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2014年2月15日 (土)

公園保存蒸気を訪ねて~高萩駅周辺の散策

2013年12月23日の天皇誕生日は常磐線を北に向かい、湯本でD51946を観察、続いて高萩で9667を観察致しました。その後、水戸・千波湖畔のD51515を観て、最後に笠間のC58275を観察しました。今回は高萩駅周辺の話題で行きます。

高萩駅は常磐線起点の日暮里駅から162.5kmの場所にあり、ホームは1面、待避や長時間停車できる副本線にはホームが無い駅ですが、折り返す列車は多数設定されています。

その歴史は

1897年2月25日 日本鉄道 磐城線水戸~平間の開通で開業

1906年11月1日 日本鉄道の国有化で国有鉄道の駅に

1926年4月    現在の二代目駅舎に改築

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高萩駅西口と駅舎 2013/12/23

1937年10月1日 松原町から高萩町に改称

1954年11月23日 高萩町・松岡町・高岡村・黒前村の一部(福平)・櫛形村の一部(友部の一部)と合併し、高萩市が発足。

1978年10月2日 特急停車駅に

1987年4月1日  国鉄分割民営化により、JR東日本とJR貨物が継承。

2001年3月     貨物列車の発着がなくなる。

2002年3月23日  ダイヤ改正で貨物列車の設定廃止。
                       それまでは本線西側に沿って南下し、日本加工製紙高萩工場へ続く専用線があり、工場で使用する苛性ソーダや液体塩素などの化学薬品輸送が行われていました。

2007年3月18日 ダイヤ改正で常磐線で上野駅を始発・終着とする中距離電車はE531系電車に統一され、同時にグリーン車の営業が開始されました。
運用区間の北限は当駅であり、いわき方面には乗り入れていません。また、Suicaや同時に導入されたグリーン車Suicaシステムの使用範囲は当時の東京近郊区間の北限である日立駅までで、当駅までの延長もなされませんでした。
2008年3月15日 Suicaエリアおよびグリーン車Suicaシステムも当駅まで拡大され、この問題点は解消されました(後に、東京近郊区間とSuicaエリアは2009年3月14日改正でいわき駅まで拡大されました)。

常磐線で上野駅に発着する普通列車で最も遠い発着駅は2007年3月18日改正で当駅となりました。ただし、上野駅まで直通する普通列車は始発・終電を含む朝晩のみです。始発時刻は4時54分、終電の到着は0時12分です。

2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、市役所本庁舎及び第2・第3庁舎が大きく破損し崩壊の恐れがあるため、市役所は同月28日より総合福祉センターなど市内の複数の建物に仮移転して業務を行っています。破損した市庁舎は解体する予定とのことです。

産業は常磐炭田の存在によって、明治中期以降は石炭産業が盛んであり、高萩炭鉱、望海炭鉱などの鉱山が開かれていました。しかし、石炭産業の衰退に伴い、木材加工・パルプ加工等に産業の中心はシフトしています。 農業は水稲のほか、肉牛、乳牛、野菜、花などです。海に面しますが漁業は盛んではありません。市内の松久保・手綱等の工業団地には工場が多く立地しています。

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                   長久保赤水の像

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             改正日本輿地路程全図 が示されたプレート

駅西口に出ると当地出身の江戸時代の地理学者 長久保赤水(1717-1801)の像1774年(安永3年)に作成され、1779年に大坂で出版された『改正日本輿地路程全図』のプレートが眼にとまります。

この地図は日本人が出版した日本地図としては初めて経緯線が入った地図で、作成者名から通称『赤水図』と呼ばれています。これ以前に、江戸時代中期頃の地図考証家・森幸安によって描かれた『日本分野図(日本地図)』にも経緯線が入っており、この地図にならって経緯度線を入れて出版したとされています。

『幸安図』にも『赤水図』にも、当時未開拓であった北海道は描かれていません。また、緯線には緯度が記載されていますが、経線には経度は記載されておらず、京都御所を基点に経線が引かれていると考えらています。『幸安図』や後に作成される伊能忠敬の地図なども、京都を基準に経線が引かれている点で共通点が見られます。10里を1寸としているので、縮尺は約130万分の1となります。6色刷で、蝦夷(現在の北海道)や小笠原諸島・沖縄を除く日本全土が示されています。

赤水図は、伊能忠敬の地図より42年前に出版され、明治初期までの約100年間に8版を数えました。伊能の地図はきわめて正確であったが、江戸幕府により厳重に管理されたこともあり、この赤水図が明治初年まで一般に広く使われました。沿岸部のほとんど全てを測量した伊能の地図には劣りますが、20年以上に渡る考証の末、完成した地図は、出版当時としては驚異的な正確さでした。

赤水図は広く出版されたためドイツ国立民族博物館のシーボルト・コレクションや、イギリス議会図書館など海外の博物館等にも多く収蔵されており、当時の欧米において日本を知る資料として活用されていたことが伺われます。

現在、日本と韓国の間で領有紛争となっている竹島が当時の名称「松島」で記されており、日本の領有を裏付ける資料としてしばしば引用されています。

さて、目的の9667号機は駅の東側を走る国道6号線沿いにある高萩勤労青少年ホームにありますが、線路を越える際に高萩駅横の電留線に停まっている車両群を観察することが出来ました。

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高萩電留線で休む651系 K103+K205編成

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E653系 K351編成

この日は、2013年3月の改正で常磐線特急「スーパーひたち」から完全撤退したものの、E657系のSuicaシステム取り付け工事で2013年10月から1年半の予定で「フレッシュひたち」運用に復帰した651系(K103+K205編成)や同じく「フレッシュひたち」から撤退して、一部は羽越線特急「いなほ」に、さらに常磐線臨時列車運用で余生を送るE653系(K351編成)が滞泊していました。

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高萩周辺の観光地を紹介した地図 
高萩関連の観光いばらきの情報はこちら

高萩というと海水浴場というイメージですが、市の85%は山間部で花貫川と関根川の流れによって、美しい渓谷が作り出されているそうです。花貫渓谷や名馬里ヶ淵、海の見えるダムとして知られる花貫ダムは是非機会があれば訪れてみたく思いました。

今回の記事を作成するにあたり、Wikipediaの関連記事等を参考に致しました。

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