通勤電車シリーズ 101系 その6 中央・総武緩行線
通勤電車101系のシリーズ、今回はカナリア色(黄色5号)101系が山手線に続いて活躍を始めた中央・総武緩行線です。
最後尾にクハ100を連結しているカナリヤ色の101系(津田沼区所属) 吉祥寺(だったと思いますが)
山手線に101系が投入され始めた時点で、山手線は101系に代わる新たな通勤電車の投入が決定されており、新車両の投入後、首都圏では京浜東北線と中央・総武緩行線が捻出される101系の投入候補になったようです。
飯田橋を後にする津田沼行 1982/2/11 昔は飯田橋駅のこの風景気に入っていたのですが・・・
そこでどちらに先に101系を投入するかの調査が行われ、車両の需給面から検討された結果、中央・総武緩行線に投入すれば手戻りが少なく有利との結論にいたったそうです。当時の車両運用上からの必要両数は京浜東北線644両、中央・総武緩行線509両で、山手線は461両(8両化完了時点)でしたので、上下方向にTc T'cを新製し、TをT''に若干改造すれば少ない新製両数で置き換えが完了できるので中央・総武緩行線に101系が投入されることとなったそうです。
市川に到着する中野行101系(津田沼区) 1982/1/30
前回の記事で山手線用に、池袋、品川、東十条に配置された101系のリストを載せました。さらにそれらの多くが103系の投入で津田沼、中野に転属したことも記述しましたが、中央・総武緩行線用として、新製配置された車両もありました。今回はそのリストを載せます。新製配置の開始は1963年9月10日でした。
津田沼区
クモハ100-166, 167, 169, 174, 175, 179-181, 183 10両
クモハ101-171, 172, 174, 175, 179, 180, 184-186, 188 10両
モハ100-214-217, 220-224, 228-230, 237-241, 244-245 19両
モハ101-221-224, 227-231, 235-237, 244-248, 251, 252 19両
クハ100-32-38, 40-43, 46-48, 50, 78, 82-91, 95 40両
クハ101-33-40, 43-45, 48-50, 52-57, 60-66, 73-83, 85 41両
サハ100 なし
サハ100 なし
サハ101-127, 128, 251-256, 260-262, 281-282, 287-291, 294-295 20両
中野区
クモハ100-184-186 5両
クモハ101-181, 187, 189-191 5両
モハ100-242, 243, 246-250 7両
モハ101-249, 250, 253-257 7両
クハ100-25-31, 39, 44, 45, 51-77, 92-94 20両
クハ101-27-32, 41, 42, 46, 47, 58, 59, 67-72, 84 17両
サハ100 なし
サハ101-123, 124, 143-145, 292-293, 296-299 11両
こうやってみると101系としては"新しい"クハ100やクハ101が中央・総武緩行線に大量に投入されたのが分かります。私が杉並区清水町に住んでいたころの1966年、中央線の複々線化工事が荻窪まで完成し、中央・総武緩行線と地下鉄東西線の相互乗り入れが開始されましたが、その時点ではまだ旧形国電は健在でした。
晩年のシールドビーム灯改造車の101系(津田沼区) 1981/8/29 千駄ヶ谷
このカナリア色の101系の活躍は中央・総武緩行線に留まらず、成田線の「初詣成田号」(1969年の年末年始)、1968年7月13日の房総西線木更津電化に伴う快速電車などに投入されました。当時、房総西線のATSはS形だったのでクハにはS形、クモハにはB形を設置した車両が運用されました。
1969年4月8日には荻窪~三鷹間の線増も完成し、中央・総武緩行線の101系10連化も完成しました。旧形電車の置き換えも完了しました。同年7月11日には千倉まで電化が完成し、それまで113系で運転されていたローカル列車を101系に置き換え、113系は臨時急行として運転されました。
1978年、101系の冷房改造車が僅かながら中央・総武緩行線にも投入されましたが発展はせず、本格的な冷房化は1979年の103系の投入を待つことになりました。1982年からは201系が投入され、1984年度中に中野区から101系が消滅し、1986年に津田沼区から改称された習志野区でも1988年11月に運転を終了し、1989年4月に両国~銚子間で運転された団体列車がさよなら運転となりました。
1979年の電車編成表によると
津田沼電車区の101系は344両配置されており、
←千葉 Tc M M' T T M M'c Mc M' T'c 三鷹→ の編成が19本
Mc M' T'c Tc M M' T T M M'c の編成が5本
Mc M' T'c Tc M M' T T M M'c の編成が5本
Mc M' T T M M' T T M M'c の編成が4本
Tc M M'c Mc M' T T M M' T'c の編成が2本
そしてバラの車両という構成になっています。
一方、中野区には242両配置されており、
←千葉 Tc M M' T T M M'c Mc M' T'c 三鷹→ の編成はなく
Mc M' T'c Tc M M' T T M M'c の編成が21本
Mc M' T'c Mc M' T T T M M'c の編成が1本
Mc M' T'c Tc M M' T M M' T'c の編成が1本
Mc M' T'c Tc M M' T M M' T'c の編成が1本
そしてバラの車両という構成になっています。
10連貫通タイプもあれば、7+3もあり、3+7の編成でも中央快速線に較べてバラエティが豊富であったことが分かります。
また、運行番号Bは中野区、Cは津田沼区で、編成札では白が中野区、青が津田沼区でした。
以上、今回はこれまでの鉄道ピクトリアル誌の101系特集号の記事(No487, 724, 874)、1979年版JRR国鉄電車編成表のデータを参考に纏めました。
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アンニョンハセヨ。こんにちは。
モモパパです。
山手線時代はもちろん中央・総武緩行線時代の101系はリアルタイムで乗ったこと無いので。
かろうじて山手線の103系に乗ったことは覚えてるんですが。
101系。
何気に僕、好きです。
投稿: モモのパパ | 2014年3月19日 (水) 08時52分
B767さん、こんにちは(^^)お邪魔致します。中央・総武緩行線の101系ですな‼︎カナリアイエローがお似合いでしたね。一番上の画像ですが…吉祥寺駅で間違いありませんよ‼︎
投稿: マスダっち1971 | 2014年3月19日 (水) 16時23分
モモのパパさま、こんばんは。
韓国語、わたしも10年程前に韓国の研究所と共同研究していたときに何度か訪問して、
勉強しなくてはとも思ったのですが、やはり続きませんでした。
中央・総武緩行線の101系は私にとってみれば青春の思い出かもしれません。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年3月19日 (水) 18時53分
マスダっち1971 さま、こんばんは。
101系らしい、塗色でしたね。
やはり吉祥寺でよかったのですね。安心致しました。
あのビルのマークは駅ビルのエコーでしたでしょうか?
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年3月19日 (水) 18時56分
B767さん、おはようござんす‼︎(^^)またまたお邪魔致します。そうです‼︎吉祥寺駅の駅ビルは…ターミナルエコーですよ。ターミナルエコーのマーク…こんなデザインだったんだ。今頃気付いちゃった、ワタシ(^^)
投稿: マスダっち1971 | 2014年3月20日 (木) 10時45分
マスダっち1971さん、こんばんは。
調べてみるとターミナルエコーは三鷹までの複々線化の1969年4月にオープンしており、その後、ロンロンも出来たのですね。
ところが数年でエコーの方はテナントが撤退して、あのビルは幽霊ビルと言われていたのですね。
思い出しましたが、エコーがオープンした頃は中学生で、杉並の中学に通っており、親に連れて行かれた憶えがあります。大学1,2年は吉祥寺から井の頭線に乗っていましたがあの頃、エコーの方はもうかなり寂れていましたね。
その後、手芸のゆざわやが入りましたが、数年前にビルは壊されて、今は新しいビルが建っているそうですね。
投稿: B767-281 (クハ415-1901) | 2014年3月20日 (木) 17時04分