西ベルリンの思い出 Air France A300
冷戦下の西ベルリン、テーゲル空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回はAir Franceの2回目です。
F-BVGR cn 175 Airbus A300B4-203 1989/2/18 TXL
前回の記事で1974年のAirbus A300の導入までの歴史を見てきました。テーゲル空港ではそのA300や弟分のA310、さらに登場して間もなかったA320などが乗り入れていました。A310とA320は実際にパリやデュッセルドルフとの往復のフライトで搭乗する機会がありました。
1976年1月21日、パリ (CDG)~ダカール(セネガル)~リオ・デジャネイロにSST:Super Sonic Transport サービスとして、コンコルド(Anglo-French BAC-Aérospatiale Concorde)、機体レジはF-BVFAを投入しました。さらに5月24日には同じ機体でパリ(CDG)~ワシントン・ダレス便の運航も開始しました。当初はアメリカ国内の騒音反対運動が法廷闘争まで発展し、飛行承認が保留されましたが、やがてワシントン経由メキシコシティー行ということで開始されました。
コンコルド旅客機の開発当時は世界中から発注がありましたが、環境問題、開発の遅滞、価格の高騰、大量輸送と低コスト化の流れに飲まれてしまい、その多くがキャンセルとなりました。
Boeing社もBoeing 2707というモデルを計画しましたが、原型試作機完成前に中止となりました。一方、当時のソ連はツポレフ設計局がTu-144を完成させ、コンコルドよりも2ヶ月早い1968年12月31日に初飛行させています。あまりにコンコルドに似ていたので”コンコルドスキー”などと揶揄もされましたが、1973年6月3日、パリ航空ショーで展示飛行中にル・ブルジェ空港北側に墜落したのは衝撃的でした。その後、アエロフロートが貨物便として運航したそうですが、燃費性能が悪く、長くは続かなかったそうです。
コンコルド便として最後まで残ったニューヨーク(JFK)便は1977年11月22日に運航開始されています。ニューヨークまでは高度5.5万から6万フィートをマッハ2で飛行し、飛行時間は3時間23分でした。同区間、通常のジェット機ならば6時間程度かかります。わたしも一度だけ、ヨーロッパ出張とアメリカ出張の日程が接近していたため、アメリカン航空のBoeing 777でヒースローからニューヨークまで飛びましたが、日本人には縁の薄い区間だなと感じました。
2000年7月25日、CDGで離陸時に発生した墜落事故(AF4590便事故)、2011年9月11日のアメリカ同時多発テロで低迷していた航空需要下での収益改善が望めなくなったことで2003年5月にAir Franceは営業飛行を終了させました。
1983年はAir France創業50周年で、従業員数3万4千人を超え、33機のBoeing747を始めジェット機保有数は100機になり、73の国、150の目的地を結ぶネットワーク延長は634,400kmとなりました。これは当時世界第4位の旅客実績で、貨物分野では第2位でした。
1986年にはフランス政府による国内航空会社間の路線の制限が緩和され、Air FranceとUTAが同じ路線に就航し、競争することもありとなりました。
1987年にはルフトハンザ、イベリア、SASとAmadeus(もしくはGDS: Global distribution system)というコンピュータオンラインシステムによる旅行代理店業務システムを構築し、1988年にはAir Inter, British Caledonianとともに世界初のフライバイワイヤー方式によるAirbus A320のローンチ・カスタマーとなりました。同年3月、A320を受領しています。
1990年1月12日、国営のAir Franceと半官半民のAir Inter、民間のUTAは合併しました。これはEUの航空自由化に対抗する手段としてフランス政府が指導したもののようです。
1999年2月19日、部分的民営化が承認され、同年6月、アメリカのデルタ航空との間でtransatlantic partnershipが締結され、2000年6月22日にはSky Teamに発展しました。
<Sky teamのメンバー> Aeroflot, Delta Air Lines, Aeroméxico, Korean Air, Czech Airlines, Alitalia, Northwest Airlines, China Southern Airlines, Air Europa, Continental Airlines, and Saudi Arabian Airlines .
2003年9月30日にはオランダのKLM航空との経営統合が発表され、2004年5月5日、Air France-KLMとなりました。統合時点では81%(44%がフランス政府、37%が民間)の株式を旧Air France系が保持していました。その後、政府保有の株の割合が減少し、20%以下になりました。収益上世界最大、旅客路線距離で世界第3位の航空会社となりましたが、運航は別々のbrand名で継続され、引き続きSky Teamのメンバーでした。
F-BVGR 1989/2/18 TXL
2007年10月17日にはAir France-KLMとDelta航空が大西洋路線におけるEU、USA間のオープンスカイ協定によるロンドンヒースローとアメリカを結ぶ路線の運航を発表し、2008年3月28日から運航を開始しましたが、その一部であったデイリーのヒースロー、ロサンジェルス便は期待された搭乗数が得られず2008年11月に終止されました。
燃料価格の高騰や、リーマンショックの影響も残り、欧州は未だ不況から抜け出せない状況が続いており、年間7億ユーロの赤字を計上しているようです。
航空会社としても利益を確保するのに必死の状況のようで、2012年1月12日に向こう3年の財政計画Transform2015を発表しました。
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コメント
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こんにちは。モモパパです。
航空機についてもすごい知識をお持ちでらっしゃいますね。
ここまで緻密にご存知だとは。
僕なんか足元にも及びません。
ちなみに僕。
エアバスA300.
好きな航空機であります。
投稿: モモのパパ | 2014年3月21日 (金) 11時40分
モモのパパさま、A300は日本でもTDA、後のJASが積極的に導入し、さらにエアバスのコーポレートカラーを自社の塗装にしてしまったのでしたね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年3月21日 (金) 19時09分