西ベルリンの思い出 Air France Boeing 727
今から四半世紀以上前の東西ドイツの時代、公式には西側戦勝国(アメリカ、イギリス、フランス)の占領地であった西ベルリンのテーゲル空港で写した写真を紹介しているシリーズ、今回からはフランス国籍の旅客機です。そしてまずはAir Franceから参ります。
F-BPJT Boeing 727-228 (cn 20540 ln 874) 1989/5/7 TXL
機内から撮影したため、全体が写っていませんが、当時はかなり珍しかったテーゲル空港でのAFのBoeing 727でした。
前回までのEuroberlin Franceで出てきたように当時、フランスの国営航空であったAir Franceはヨーロッパ域内では確固たる地位を築いていましたが、ことテーゲル空港に関係した路線では実績的にパンナムやBAの後塵を拝していました。
F-BOJF cn 19682 ln 685 Boeing 727-228 1986/6/15 CDG
この写真は1986年6月に新婚旅行でヨーロッパに行った際に、パリ~ウィーン間で搭乗した機体です。
今回の記事ではAir Franceの歴史について触れようと思います。
Air Franceの設立は1933年10月7日のことで、
Air Orient,
Air Union,
Compagnie Générale Aéropostale, Compagnie Internationale de Navigation Aérienne (CIDNA)
Société Générale des Transports Aériens (SGTA)
の4社が合併してことでした。SGTAは1919年にフランス最初の民間航空としてLignes Aériennes Farmanと言う会社名で創業していました。
これらの会社はヨーロッパ域内、あるいは北アフリカなどの植民地との間を結ぶ路線も確立していました。第二次世界大戦でナチスに占領されていた間は拠点をモロッコのカサブランカに移して活動していました。バーグマンとボガードの映画「カサブランカ」でも空港のシーンが出てきますが、まさにあの頃ですね。
1945年6月26日全てのフランスの航空輸送会社は国営化され、同年12月29日、フランス政府はAir Franceに航空輸送ネットワークを営業する認可を出し、1946年には最初のフライトアテンダントを雇用、パリのアン・バリッドにエアターミナルを設置し、ル・ブルージュ空港とリンクしました。その時点でネットワークは160,000kmにおよび世界最長でした。1946年1月1日にSociété Nationale Air Franceが設立されました。
ヨーロッパ域内路線はDouglas DC-3 一機で開始され、1946年7月1日からはパリ~ニューヨーク線がShannon と Ganderに給油寄航してDouglas DC-4で開始され、運航時間は20時間を切りました。
1947年9月には路線はFort de France やブエノスアイレス、上海まで拡張されました。.1948年にはフリート数が130機を超え、世界最大のフリート数となり、1947年から1965年にかけてはLockheed Constellationsを旅客、貨物用で運航しています。
フランス政府はAir France以外に1946年と1948年に2つの民間航空会社の設立を許可しています。それぞれはTransports Aériens Internationaux(TAI) – 後に Transports Aériens Intercontinentaux(SATI) とUnion Aéromaritime de Transport (UAT)と名乗りました。
1948年6月16日にはCompagnie Nationale Air Franceが法的に規定され、当初は政府が70%の株式を保有しましたが、後年100%になりました。2002年中ごろには54%になりました。1948年8月4日、Max Hymansが初代総裁に就任し、彼の13年の在任期間中、機材の近代化が進められ、1949年にはSociété Internationale de Télécommunications Aéronautiques (SITA)として、国際電信と航空を受け持つ会社となりました。
1952年には新設のパリオルリー空港の南ターミナルに拠点を移し、ネットワークの総延長は250,000kmになりました。1953年、de Havilland Comet series 1を導入し、ジェット時代に突入し、1950年代中期、ヨーロッパ域内路線はターボプロップ機のVickers Viscount 12機を運航しました。
1953年政府は長距離国際線をAir Franceの独占から民間航空会社にも受け持たせるようにし、 Aigle Azur、TAI 、 UATがアフリカ、アジア線に進出するようになりました。さらに1960年2月23日には国内線はAir Interが担当するようになり、Air FranceがAir Interの株を所有することで国内線を失った補償としました。さらにアフリカ線もAir Afrique とUTAが参入することとなりました。
1960年にはSud Aviation CaravelleとBoeing 707の運航が開始され、飛行時間が短縮され、旅行がより快適になりました。後にBoeing 747も導入され、一時は世界最大のBoeing 747オペレーターとなります。因みに、私の父が最初の海外出張で利用した航空会社がAir Franceで羽田からアンカレジ経由のパリ行きBoeing 707-328Cで私が、最初に海外旅行で利用したのもAir Franceで成田からアンカレジ経由のパリ行きでBoeing 747-228B Combiでした。
1963年、政府はAir Franceと国内民間航空会社の路線仕分けを行い、
セネガル除く西アフリカ、ブルンジ、ルワンダ以外の中央アフリカ、南アフリカ(南アフリカ共和国を含む)、リビア、中東(オマーン、バーレーン)、スリランカ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、ニューカレドニア、タヒチ路線からは撤退し、これらの路線はUTAとTAIとUATの合併で作られた新会社が担当することになりました。さらに日本とニューカレドニアとニュージーランドを結ぶ路線、南アフリカとインド洋のレユニオン諸島を結ぶ路線、ロサンゼルスとタヒチを結ぶ路線もUTAが運航する権利を得ました。
1974年Air Franceはパリの拠点をオルリー空港からシャルルドゴール空港(CDG)に移し、コルシカ島、マルチニーク、グアデロープ、仏領ギアナ、レユニオン諸島、マグレブ地域、ソ連を除く東欧、ギリシャとイタリアを除く南欧、ニューヨークJFKへの毎日1便を残して、大半のサービスをCDGに移しました。
さらにこの年はAir Franceがローンチカスタマーでエアバス社として最初の旅客機であるAirbus A300の運航を世界で初めて開始しました。
今回はここまでで、次回はコンコルドの運航、その後の発展の歴史について触れます。
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コメント
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こんにちは。モモパパです。
コンコルドについての記事。
楽しみにしてます^^。
投稿: モモのパパ | 2014年3月 7日 (金) 09時03分
モモのパパさま、おはようございます。
Air Franceの記事に関しては、西ベルリンというよりはむしろパリの記事が多くなりそうですが、
宜しくお願い致します。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年3月 8日 (土) 05時26分