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2014年3月31日 (月)

EF510-500番台 511号機

EF510 500番台シリーズ、今回は511号機です。

川崎重工からの出場、甲種回送2010年8月2日~3日で、吹田信号所まではDE10 1562号機、吹田信号所から新鶴見信号所までの牽引機はEF66 39号機で、同時に出場したコキ107形4両も吹田まで回送されました。

Ef510511_101003

8010列車 特急「カシオペア」を牽引して久喜に接近 2010/10/3

Ef510511_121111

2列車 特急「北斗星」を牽引して東十条を通過 2012/11/11

Ef510511_110113

再掲となりますが5388列車 通称「安中貨物」を牽引して荒川沖~ひたち野うしく間を通過 2011/1/13

Ef510511_110108_2

1657列車を牽引して越谷レイクタウンに接近 2011/1/8

Ef510511_110122_2

2095列車を牽引して南流山に接近 2011/1/22

Ef510511_110205_2

馬橋で転線して武蔵野線に入る1355列車 2011/2/5

Ef510511_130215

南柏に接近する2095列車 2013/2/15

以上、この機関車の場合、貨物運用を多く撮影しておりました。

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2014年3月30日 (日)

特急「北近畿」 その3 485系から183系へ part2

福知山区所属の電車特急「北近畿」などの話題、前回は2003年10月1日までのG編成、T編成について触れましたが,今回からは2003年10月1日の改正における変化です。

北陸特急に683系が投入され、485系に余剰車が生じ、その一部を183系に改造し,編入しました。その結果、編成名はA,B,Cとなりましたが、その由来は

<B編成> B61-B66 B41

G編成のモハ485+モハ484MM'ユニットをT・TU編成から捻出したモハ183+モハ182MM'ユニットに組替てB編成として組成。

B編成は「北近畿」5.5往復、「文殊」下り1本、「はしだて」1.5往復、「きのさき」2往復、「たんば」下り1本に充当されました。多客期には、増結ユニットを組み込んで6両編成で運転されました。

<A編成> A41-A47

T編成のクハ183形700番台は非貫通制御車であったことから、貫通制御車で電気連結器付きの200・600番台に交換。4両編成に短縮してA編成として組成。

A編成は「北近畿」4.5往復、「文殊」上り1本、「はしだて」2.5往復、「きのさき」1往復、「たんば」2.5往復に充当されました。また、「はしだて」2号の福知山 - 京都間でもC編成と連結して運転されました。

<C編成> C31-C36

追加で改造されたクモハ183+モハ182ユニットにT編成から捻出されたクハ183形を組み込んでC編成を組成。

C編成は「北近畿」2往復、「まいづる」5.5往復、「はしだて」上り1本に充当されました。「北近畿」に関しては全区間でA編成と連結の上、従来の6両編成より輸送力増強がなされました。また、「はしだて」1号の京都 - 福知山間、「はしだて」6号の綾部 - 京都間でもA編成と連結して運転されました。

塗色はB編成はG編成を引き継いで、国鉄色+窓下赤細帯となりました。
今回はそういったB編成の中でも特徴的はクハ480由来の顔を紹介します。
クハ183-801と851が組み込まれていました。

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特急「北近畿」運用のB41編成 クハ183-801 2008/12/11 島本

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同じく特急「北近畿」運用のB61編成 クハ183-851 2008/2/24 新大阪

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同じ特急「北近畿」運用で6連ながらB41編成 クハ183-801 2006/11/19 新大阪

801と851、写真からの区別は難しいのであくまで編成番号で判断しています。

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2014年3月29日 (土)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 13 723F~747F

西武鉄道のHSCブレーキ化・冷房改造シリーズ、今回は701系の最後の改造グループとして登場した車輌群です。

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西日に正面ギラリの701系最終改造グループ 1982/8/29 東伏見

まずその出場の日時は

723F   1982年4月27日
721F   1982年6月3日
715F   1982年7月1日
717F     1982年8月3日
719F     1982年9月1日
753F     1982年10月5日
755F  1982年11月8日  
747F    1982年12月10日      でした。

これらの編成のうち715F~719Fなどは、記憶するところかなり後までクハがコロ軸受けのTR11A台車を履いていた編成であり、前照灯のシールドビーム化も遅かったと思います。そして、最後に改造出場した747Fは701系の記事でも記述しましたが、1968年9月から1969年2月までの間、101系の塗装の試験が行われた編成でもありました(私自身は観ていませんが)。

さて、これらの改造編成の特徴は写真の様にエアコンのキセがステンレス無塗装タイプのCU72Cになったことと、MGがブラシレスタイプ(DCモーターから三相同期モーターへ)になったことかと思われます。

701_723f_820829

本川越行 急行6連の723F 1982/8/29 所沢

そして1982年度の最後に出場してくるのは残った801系3編成(805F~809F)です。

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2014年3月28日 (金)

西ベルリンの思い出 Air France A320

西ベルリンのテーゲル空港で撮影した旅客機の話題、今回はAir FranceAirbus A320です。

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F-GFKE cn 019 Airbus A320-111 1989/5/4 TXL

Airbus A320は近・中距離向けの旅客機で、民間機として初めてフライ・バイ・ワイヤ制御システムを採用したことが特徴で、座席数は標準2クラス仕様で約150席です。

エアバス社はA300の続く計画として150席程度の小規模な旅客機需要に対応するため、ライバルのBoeing 737規模の旅客機を開発することとしました。1980年にSA-1(Single Aisle-1: 120~150席) およびSA-2(150から180席)の開発計画が公表され、、後にこれらが統合され150から179席の計画となり、A320として1984年から開発がスタートしました。

Fgfke_cn_019_airbus_a320111_air_fra

F-GFKE 1989/2/18 TXL

最初に登場したA320-1001987年2月22日に初飛行しており、1988年3月28日にAir Franceで初就航しました。このタイプは、次に主翼中央に燃料タンクを増備し、翼端ウイングチップフェンスで空力性能を向上させたA320-200に注文が集中したため、21機の生産に留まりました。

エンジンはCFMインターナショナルCFM56とIAE(International Aero Engines)V2500のいずれかが選択可能です。

前回の記事で記述したようにキックオフカスタマーはAir France, Air Inter, British Caledonianでしたが、A320-100を受領したAir InterはAir Franceに買収され、British CaledonianもBAに買収され、それぞれ買収した航空会社でA320-100は運航されました。

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F-GFKF cn 020 Airbus A320-111 1989/4/8
停止位置標識の機種名から時代が想像されます。

当初はエアバス社お膝元のヨーロッパを中心に運航されていましたが、最近ではボーイング社の本拠地アメリカでもノースウエスト航空、ジェットブルー航空、Ted(ユナイテッド航空傘下の格安航空会社)などの航空会社への売り込みにも成功させ、A320-200と派生型のA318、A319、A321が運航されています。

アジア・オセアニアでもカンタス航空傘下のジェットスターや、香港航空、シンガポール航空傘下のタイガーエアをはじめほとんどの国で運航されています。

Air France A320の事故としては、1988年6月26日、就航したばかりの機体がデモフライトでフランスアブシーム空港脇の森に墜落しました(AF296便事故 F-GFKC)。デモフライトであったこともあり、多くの観客がA320が緩やかに森に突っ込んで行く姿を撮影しており、その映像は衝撃的でした。

私も1989年夏の休暇でフランスを訪問した際にテーゲルからシャルル・ド・ゴールまでの便でAFのA320に搭乗しましたが、CDGにアプローチする最中に不安定な揺れに遭遇し、あの事故の映像が頭をかすめました。

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2014年3月27日 (木)

通勤電車シリーズ 101系 その7  スカイブルー(青22号)塗色

101系通勤電車のシリーズ、今回はスカイブルー(青22号)塗色で活躍した車両です。

101

                      鶴見に到着する101系、初期のクモハ100が先頭

101系の中でこの塗色になった車両は極めて少なく、1970年~71年に浦和電車区に転属して京浜東北線で運用された車両と、103系に改造されて関西で活躍した車両くらいかと思われます。

京浜東北線の103系投入は1965年11月から実施されていましたが、編成両数も多いため、1970年に入ってもまだ3/4が旧形国電でした。そこで旧形国電の置き換えを促進するために1970年10月1日のダイヤ改正で中央線と総武線から捻出された101系30両がまず投入され、1971年3月にもさらに20両が投入されました。これらの101系は徐々に数を減らして行きつつも、1978年3月に103系に置き換えられるまで活躍していました。

101_2

                 些か見苦しい写真ですが、鶯谷を発車した北行

いつものように浦和電車区に籍を置いた車両をリストアップしてみると

クモハ100-18,67, 68, 120                                           4両
クモハ101-18, 40, 41, 44, 51, 59, 70, 107, 186            9両
モハ100-45, 63, 68, 69, 92, 106, 142, 145, 153, 239, 240    11両
モハ101-30, 62, 64, 102, 158, 245                                     6両
クハ100-7, 9, 49, 56, 62                                                  5両
サハ100-2, 7, 25, 52, 102, 216, 231                7両
サハ101-2, 7, 25, 52, 215, 265, 283, 285             8両

下線を付したのが1971年3月転属分です。

鉄道ピクトリアル誌(No 874, 875)の車歴表を参考にしました。

あと103系に改造された101系で如何にも元101系と分かるのが下の写真のクハ103-2052 (元クハ101-83)です。

1032052_920314_10183

1986年の関西本線と阪和線の編成短縮・編成数増加の際に不足する先頭車を余剰となっていた101系先頭車の改造で補充したもので、非冷房のクハ101形クハ101-83からの改造でした。1991年、阪和線のATS-P形化に際して対応工事がされないまま東海道緩行線に転用され活躍する姿です。他に、クハ101-78から改造された2051がいました。

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2014年3月26日 (水)

公園保存蒸気 C56 126 小淵沢小学校

久しぶりの公園保存蒸気シリーズとなりますが、今回は昨年大晦日、中央本線小淵沢を訪問した際の話題です。

C56_126_131231

C56 126号機 小淵沢小学校 2013/12/31

小淵沢と言えば,小海線、小海線と言えばC56 ポニーの愛称で親しまれた機関車ですから、C56がこのあたりで多く保存されているのが良く理解できます。

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この機関車の最大の特徴はなんと言っても集煙装置ではないでしょうか。
一方で、ナンバープレートはレプリカのようですが。

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公園保存蒸気としてC56を見るのは実は初めてですが、特徴的な集煙装置、角形で大型のデフレクター、そしてC56の特徴とも言える切りかかれたテンダーと言い,いい味を出しています。

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キャブサイドには三菱神戸造船所のプレートが

C56_126_131231_18

後方からのショット 3軸のテンダーと切り欠きの様子が分かります。

C56_126_131231_2

説明板

この機関車の履歴をいつものように機関車表(沖田祐作氏)から

C56126     三菱重工業神戸造船所=224          1938-03-16 S37.60t1CT(1067)
   車歴;1938-03-16 製造→ 納入;国鉄;C56126→ 配属[達220];札幌局→
      1938-03-16 使用開始→ 配置;岩見沢→1941-00-00 現在;深川→1941-08-23 薩摩大口→
      1949-06-21 鹿児島→1949-12-17 延岡→1951-04-26 飯山→1961-00-00 現在;飯山→
      1965-00-00 現在;松本→1971-00-00 現在;上諏訪→ 長野→1973-02-28 浜田→
      1975-02-17 廃車[工車1377];浜田→
      1975-00-00 保存;山梨県小淵沢町「中央公民館」;C56126

1938年に三菱重工神戸造船所で製造されて、北海道に配置、10年あまりの後今度は鹿児島に転属し、その後、長野で活躍し、最後は浜田に移っています。結構、日本中、いろいろな場所で活躍した機関車だったようです。

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2014年3月25日 (火)

EV-E301系に乗りに烏山線を訪問 part2

今回は、路線としての烏山線に触れようと思います。

烏山線は東北本線の宝積寺駅から烏山駅までの路線延長、20.4kmの路線で地方交通線です。駅数は東北本線の宝積寺駅を除いて7駅、全線単線、全線(烏山駅の充電設備を除いて)非電化です。

閉塞方式は宝積寺駅 - 大金駅間は自動閉塞式(特殊)、大金駅 - 烏山駅間は特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)で、保安装置はATS-P、最高速度は65km/h、運転指令所は宇都宮CTCセンターです。

開通は1923年4月15日で宝積寺~烏山間が開業し、熟田(にいた)、大金、烏山駅が開業しました。1925年4月1日には熟田駅が仁井田駅に改称されました。

1934年8月15日、気動車の運行が開始され、下野花岡、鴻野山、小塙駅が開業しました。このころ、宇都宮直通列車が定着しました。1954年6月1日、滝駅が開業しました。

1968年、国鉄の赤字83線に選定されるものの、烏山線の収支係数は近隣他路線との比較で日光線や両毛線、水戸線よりは悪く、水郡線や鹿島線、相模線、鶴見線より良く、また吾妻線や川越線、東金線とほぼ同等であることが判明し、存続となりました。以後は特定地方交通線にも選定されず現在に至っています。

1979年6月1日、全線の貨物営業が廃止され、7月1日、宝積寺~仁井田間の貨物営業が開始されました。この貨物営業は1984年3月14日に廃止されています。

1979年7月22~23日、今でも憶えていますが、「銀河鉄道999号」として上野発のミステリー列車が運行され、EF651007号機牽引の12系客車9両編成で行き先が告げられず出発しましたが、行き着いた先は烏山でした。線内の牽引機はDE10 100でした。

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現行の烏山線キハ40形の標準塗色 2003/6/1 宇都宮運転所公開時)

2003年、開業80周年を記念してキハ40形1両(1004)を朱色5号(首都圏色)に変更(4月から11月)しました。

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開業80周年記念で登場した首都圏塗色のキハ40 1004 2003/6/1 宇都宮運転所(公開時)

2010年12月24日、開業88年を記念して、キハ40形2両をクリーム色4号と朱色4号によるツートンカラーに変更しました。

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烏山線開業88年記念で登場したツートンカラーのキハ40 1007 (寿老人) 2014/3/21 宇都宮

2012年5月26日、大金駅 - 烏山駅間のスタフ閉塞式が同日最終列車後に廃止され、特殊自動閉塞に移行し、合わせて全線でATS-P運用開始しました。

2013年8月1日、大金駅の運転取り扱い終了に伴い同駅を無人化、また烏山駅を業務委託駅に変更しました。

2014年3月15日、蓄電池駆動電車EV-E301系「ACCUM」が運行開始。

昨日の記事の補足になりますが、EV-E301系は2003年にシリーズ式ハイブリッド気動車E991系(キヤE991-1)を燃料電池動車に改造したE995系(クモヤE995-1)、愛称”NE Train スマート電池くん”で各種試験を行った結果が実用化されたものです。

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大宮で休むE995-1 すまーと電池くん  2013/5/25

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那須烏山市内でも多く眼にしたACCUM運行を祝す案内

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かつては終端駅として、2列車分の線路があった烏山駅も今は、棒状の配線に 2014/3/21

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烏山駅の駅案内 7駅を七福神にたとえて烏山は毘沙門天

他の6駅は下野花岡(寿老人)、仁井田(布袋神)、鴻野山(福禄寿)、大金(大黒天)、小塙(恵比寿尊)、滝(弁財天)となっています。

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EV-E301系導入に合わせて駅舎もリニューアル

車両もキハ40形、8両には7尊とそろい踏みのシールが貼られています。

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写真のキハ40 1001は布袋尊でした。

烏山線で活躍したキハ10系、そしてキハ40への置き換えの頃の懐かしい風景はこちらのサイトで堪能できます。

私も、今度訪問する際はクルマで訪れて、沿線の風景と共に烏山線の車両を写したいと思います。

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2014年3月24日 (月)

EV-E301系に乗りに烏山線を訪問 part1

2014年3月21日、お彼岸の3連休の初日、この3月のダイヤ改正で烏山線に導入されたEV-E301系に乗りに行ってきました。

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烏山駅に到着し、早速充電を開始したEV-E301系 2014/3/21

EV-E301系は、一口で言えば蓄電池で走る電車で、電化区間は架線から集電、さらに蓄電池に充電し、非電化区間は蓄電池に蓄えられた電気エネルギーでモーターを回して走ることが出来ます。JR東日本が導入したこの方式の電車のは蓄電池のAccumulatorからACCUMの愛称が付けられました。

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                        車体に付けられたACCUMのシンボルマーク

車体は総合車輌製作所が開発した次世代ステンレス車輌(Sustena)で、2両編成で烏山方がEV-E301形、宝積寺方がEV-E300形,両方とも制御電動車でいずれの車輌も後位側の台車に主電動機を2基装備しており、EV-E301形にはシングルアーム式のパンタグラフ2基を装備しています。

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                   sustinaの表示は車内にも

客室内装はE233系と同じくユニバーサルデザインを採用し,バリアフリーの向上が図られています。座席はオールロングシートで,連結面妻部には電気の流れや,蓄電池の充電状況を示す車内情報装置が装備されています。

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         車内設置された情報装置の画面 充電中の表示

電源/制御系は架線からの直流1500Vを電力変換装置で600Vに降圧し、その後VVVFインバーターで三相交流に変換し,交流電動機を駆動しています。電力変換装置とVVVFインバーターの間には各車5基ずつのリチウムイオン畜電池(600V-95kWh)が接続されており,非電化区間では蓄電池で走行します。

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           両方の車輌の床下に5個ずつ装備されたLi-ion電池

最初はノートパソコンやビデオカメラなどに導入されましたが、最近はBoeing 787の主要電源やハイブリッド車、電気自動車と来て、ついに電車まで駆動するに至りました。

電化区間ではパンタグラフからの電気を蓄電池とVVVFインバーターに送り、充電しながら主電動機を駆動させます。

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烏山駅に到着後、剛体架線の下でパンタを上げ、充電モードに

烏山駅には電力会社からの交流電源6,600Vを直流1500Vに整流する装置と充電用の剛体架線が用意されており,折り返し間合いの間にこの架線から充電がなされます。

140321

烏山駅終端部に設置された直流1500V電源供給用の設備
全線電化すればこの設備を全線にわたり装備しなくてはなりませんし、容量も大きくなりますが,充電用なら小容量で済みますから、経済効果は高いのかと思います。

回生ブレーキ作動時に主電動機から発生した電力もVVVFインバーター装置により直流600Vに変換され非電化区間においては蓄電池の充電に用いられます。電化区間では電力変換装置によって直流1500Vに昇圧して架線側に変換することも可能です。
補助電源装置はSIV(静止形インバータ-)ヲEV-E300形に搭載しており,電化区間では架線からの電気で,非電化区間では蓄電池からの電気で稼働します。
台車は軽量ボルスタレス台車で動力台車がDT79、付随台車がTR255Dです。
運用、現在は小山車輌センターに配置された量産先行1編成が宇都宮~烏山を2往復、宝積寺~烏山を1往復しており、将来はキハ40形気動車全て置き換える予定となっています。

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宇都宮~宝積寺間の東北本線は普通の電車とかわらない走りを見せ、烏山駅に進入するEV-E301系 烏山線内の最高速度はは気動車と同じ65km/hです。

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E233系などとも共通性の高い運転台

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ACCUMのデビューを知らせる案内表示 宝積寺 2014/3/21
JR職員から聞いた話ではなく未確認情報ですが、ACCUMは一回の充電で40kmほど走行可能とのことです。もちろん、冷房や暖房により、変化はあると思いますが、宝積寺~烏山間、20kmを普通に走るとバッテリー蓄電電力の約半分を使うことになるのですね。

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2014年3月23日 (日)

EF510-500番台 510号機

EF510 500番台シリーズ、今回は510号機です。

川崎重工からの出場、甲種回送2010年7月15日~16日で、吹田信号所まではDE10 1527号機、吹田信号所から新鶴見信号所までの牽引機はEF66 54号機で、新鶴見信号所から田端操車場まではEF65 1070号機でした。

509号機に続いて、EF510-500番台の中でも異色の2機の一台 カシオペア塗装の機関車です。

いつものように4種類の列車の写真を上げてゆきますが,今回はエキストラがあります。

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本業の8010列車特急「カシオペア」を牽引する姿 2010/7/31 古河~栗橋間 中通り踏切

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2列車「北斗星」を牽引して日暮里を通過 2010/12/29

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5388列車 安中貨物を牽引して神立~土浦間の木田余陸橋を通過 土浦名物 冬の蓮田です。 2010/12/12

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2095列車を牽引して府中本町を通過 2012/8/18

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2095列車を牽引して佐貫~牛久を通過 2010/12/2

常磐線貨物運用を初めて担当したのは501号機でしたが、同日2095列車を牽引して常磐線を初めて北上したのは510号機でした。

Ef510510_e657_110523_2

そしてエキストラは651系やE653系に代わる常磐線特急車両として導入されたE657系の第一編成(K1)を勝田まで甲種回送したのは510号機でした。 2011/5/23 ひたち野うしく~荒川沖

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2014年3月22日 (土)

特急「北近畿」 その2 485系から183系へ part1

485系特急シリーズ、今回は特急「北近畿」の2回目となります。

183_g41_030324

183系 G41編成 貫通扉が完全に無くなったクハ481-200由来のクハ 2003/3/24 新大阪

福知山区の183系 1994年12月3日の改正から、1996年3月の改正までは

ThscM' M Tc の4両編成 7本の体制で特急は「北近畿」だけの7往復でしたが、
1996年3月16日のダイヤ改正で、園部~福知山間が電化開業し(京都~園部間は1990年3月10日に電化)、特急は「北近畿」「文殊」「はしだて」「きのさき」「たんば」と名称が増えました。そして編成の種類も増え、複雑化しました。

←城崎、宮津
485系と共通運用
ThscM'M(M'M)Tc×3 所要2(臨時+2)     G 4両編成 G41,G42
北近畿(1.5)(臨時+0.5)、文殊(1)、はしだて(臨時1)
 休
 福知山‥天橋立1241-1453新大阪1656-1918天橋立‥福知山
 福知山‥篠山口624…731大阪‥新大阪956-1242城崎1325-1619新大阪1756-1942福知山
 城崎1554-1846大阪
 京都957-1205天橋立1332-1605京都

ThscM'MM'MTc×4 所要3   G 6両編成 G61~G65
北近畿(5)
 福知山712-854新大阪1156-1435城崎1446-1738新大阪1856-2134豊岡
 豊岡‥城崎920-1212新大阪1356-1647城崎1659-1947新大阪‥向日町
 向日町‥新大阪756-1040城崎1101-1353新大阪1556-1838城崎‥豊岡1943…2054福知山

TscM'M(M'M)Tc×6 所要5(臨時+1)   T 4両編成  T41~T45
きのさき(5.5)(臨時+1)、はしだて(2)、たんば(2.5)、文殊(0.5)
 休
 福知山618…724豊岡‥城崎830-1054京都1125-1344城崎1425-1651京都1725-1937城崎‥豊岡
 豊岡‥城崎943-1155京都1225-1412天橋立1602-1750京都1825-2020天橋立‥福知山
 福知山‥天橋立1042-1235京都1325-1554城崎1629-1854京都1925-2041福知山
 福知山719-840京都858-1119城崎1135-1355京都1425-1652城崎1729-1954京都‥大阪2135…2236篠山口‥福知山
 福知山‥天橋立902-1124新大阪‥京都1625-1743福知山‥天橋立1835-福知山1911-2036京都2125-2241福知山
 京都1042-1326城崎1519-1811京都(TscM'MM'MTc)

TscM'MM'MTc×1 所要1  T 6両編成  T61,T62 
はしだて(2)
 福知山‥天橋立706-855京都925-1119天橋立1303-1452京都1525-1709天橋立‥福知山

M'M×2

183_030920

塗装から183系化されたことが分かる元クハ480由来のクハ 2003/9/20 新大阪

183_t44_030329

JR西日本の通称「カフェオレ」カラーになった183系T44編成 2003/3/29 新大阪

そのために1996年2月から3月の改正直前にかけて向日町から大量に485系が転入し、183系に改造されました。

モハ485/484           →                モハ183-800番台/モハ182-700番台
210/312                                                   805/701
143/246                                                   806/702
187/289                                                   807/703
183/285                                                   808/704
122/226                                                   809/705
114/218                                                   811/707
209/311                                                   812/708
108/212                                                   813/709
140/243                                                   814/710
137/240                                                   815/711
123/227                                                   816/712
1002/1002                                              1804/1804
1028/1028                                              1805/1805

さらに2009年、列車の増発で

モハ484                                                 モハ182
319                                                       713
モハ485                      モハ183
186                                                       817
252                                                       818
141                                                       819
251                                                       820
212                                                       821
1027                                                    1806

が追加で改造されています。

クハ481                     クハ183
335                         705
318                                                       706
302                                                       707
343                                                       708
314                                                       709 

                                                        クロ183
301                        2701
340                                                     2702
321                                                     2703
338                                                     2704
316                                                     2705
308                                                     2706
9-703                                                  2751

こちらも2009年に追加改造が行われ、

クロ481-2300台
2301                                                  2707
2302                                                  2708
2303                                                  2709

となりました。

183_g42_030324

G42編成 300番台スタイルのクハを改造した183系特急「北近畿」回送 2003/3/24 山崎

これらの改造はモハ484形に搭載している床下の主変圧器・主整流器・屋根上の空気遮断器・交直切換器等の交流機器類の撤去およびその他一部機器の直流専用化、制御車の交直切換スイッチ撤去・運転室表示灯の一部変更などで、吹田・鷹取・松任の各工場で施工されました。

183_g65_030324

G65編成 最後尾のクハはキノコ形AU12タイプのエアコンキセに300番台スタイル
2003/3/24 山崎

今回、G車は全室となり、クロ183が誕生しました。従来のクロハの編成をG編成、新たに改造されたクロの編成をT編成としました。

さらに1998年7月10日の改正後、特急「スーパー雷鳥」に使用されていたクモハ485を含む編成などが金沢から転入し、改造されました。

クモハ485/モハ484    →    クモハ183/モハ182
201/322                                             201
202/318                                             202
203/344                                             203
204/336                                             204
206/325                                             205
207/316                                             206

モハ484                   モハ182
288                                                  207
244                                                  208
314                                                  209
611                                                  301
610                                                  302
1027                                               1301

クハ481                   クハ183
201                                                   201
222                                                   202
227                       203
235                       204
254                                                  205
263                                                  206
228                                                  207
クハ489               
605                                                  601

こちらは交流関連機器の使用停止のみの措置をして改番したグループで、外観は塗装以外485系時代と変わるところはありません。

183_t45_030327_2


新大阪を出発するT45編成回送 2003/3/27

クモハ183形クハ183形は、485系時代から引続いて電気連結器・自動解結装置を装備しており、綾部駅などでの分割併合の際に活用されています。各形式ともドアステップも存置されているが、2009年に入ってからこれを埋める工事が行われています。

2009年の改造車は、クハ183形は電気連結器・自動解結装置を装備していないなどの相違点があるほか、新たにモハ484形600番台・1000番台が種車に加わったため、それぞれモハ182形300番台・1300番台の番台区分が起こされました。

2011年、クモハ183形、モハ182形、クハ183形は全車が廃車され、廃区分番台となりました。

次回は編成表データを参考にこれらの改造車がどういった編成で活躍したかを見てゆこうと思います。

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2014年3月21日 (金)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 12 785F~789F と新501系

1981年9月からの改造では、601系の残りの編成が701系に組み込まれた後、引き続きHSC・冷房改造系列の6両編成バージョンの需要があったためなのか、48編成製造された701系最後の6本が、4+4 = 6+2の編成替えを受けました。

捻出されたクハ2両(1791~1796)は電装化され、2連の新501系として出場しました。501系に搭載された機器は101系と同等の機器でした。そのためか、701系、801系とは性能特性が大きく異なり、併結運用時の加減速に際して前後衝動が生じる問題がありました。

501f_8109
東伏見に到着する501F 西武新宿側に2連が連結されることが多かった新宿線では501系は前パンスタイルになりました。  1981/9

出場の日付と編成は

1981年9月9日      791Fのクハが501Fとして出場
1981年10月19日     791Fのモハを組み込んだ785F 6連
1981年11月26日     793Fのクハが503Fとして出場
1982年1月9日       793Fのモハを組み込んだ787F 6連
1982年2月18日     795Fのクハが505Fとして出場
1982年3月30日     795Fのモハを組み込んだ789F 6連  

それにしても701系同士でこういった改造が行われるとは思っていませんでしたし、701系のクハが電装化されてパンタ付きのスタイルになるとは想像していなかったため、この編成を見たときは驚きました。

501f_8109_2
501f_8109_3

こちらは501系を本川越側に連結した編成 1981/9

501_811003

所沢を発車する新所沢行 1981/10/3
701系、801系、101系様のボディにダブルパンタ、床下に機器満載の姿は、新101系の2連とともに当時、異様に見えたものでした。

501_820211

武蔵関に進入する準急西武新宿行 1982/2/11

503f

東村山を出発する準急 新所沢行

西武鉄道としても501系への改造は無理があったと感じたのか1989年1月13日付けでこの新501系3編成は改造後、僅か8年程度で除籍となり、機器は1993年10月から同年11月にかけて落成した10000系電車「ニューレッドアロー」10101・10102編成のうち、モハ10201・10301・10501・10601およびモハ10202・10302の6両に転用されました。

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2014年3月20日 (木)

西ベルリンの思い出 Air France A300

冷戦下の西ベルリン、テーゲル空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回はAir Franceの2回目です。

Fbvgr_cn_175_airbus_a300b4203_air_f

F-BVGR cn 175 Airbus A300B4-203 1989/2/18 TXL

前回の記事で1974年Airbus A300の導入までの歴史を見てきました。テーゲル空港ではそのA300や弟分のA310、さらに登場して間もなかったA320などが乗り入れていました。A310とA320は実際にパリやデュッセルドルフとの往復のフライトで搭乗する機会がありました。

1976年1月21日、パリ (CDG)~ダカール(セネガル)~リオ・デジャネイロにSST:Super Sonic Transport サービスとして、コンコルド(Anglo-French BAC-Aérospatiale Concorde)、機体レジはF-BVFAを投入しました。さらに5月24日には同じ機体でパリ(CDG)~ワシントン・ダレス便の運航も開始しました。当初はアメリカ国内の騒音反対運動が法廷闘争まで発展し、飛行承認が保留されましたが、やがてワシントン経由メキシコシティー行ということで開始されました。

コンコルド旅客機の開発当時は世界中から発注がありましたが、環境問題、開発の遅滞、価格の高騰、大量輸送と低コスト化の流れに飲まれてしまい、その多くがキャンセルとなりました。

Boeing社もBoeing 2707というモデルを計画しましたが、原型試作機完成前に中止となりました。一方、当時のソ連はツポレフ設計局がTu-144を完成させ、コンコルドよりも2ヶ月早い1968年12月31日に初飛行させています。あまりにコンコルドに似ていたので”コンコルドスキー”などと揶揄もされましたが、1973年6月3日、パリ航空ショーで展示飛行中にル・ブルジェ空港北側に墜落したのは衝撃的でした。その後、アエロフロートが貨物便として運航したそうですが、燃費性能が悪く、長くは続かなかったそうです。

コンコルド便として最後まで残ったニューヨーク(JFK)便は1977年11月22日に運航開始されています。ニューヨークまでは高度5.5万から6万フィートをマッハ2で飛行し、飛行時間は3時間23分でした。同区間、通常のジェット機ならば6時間程度かかります。わたしも一度だけ、ヨーロッパ出張とアメリカ出張の日程が接近していたため、アメリカン航空のBoeing 777でヒースローからニューヨークまで飛びましたが、日本人には縁の薄い区間だなと感じました。

2000年7月25日、CDGで離陸時に発生した墜落事故(AF4590便事故)、2011年9月11日のアメリカ同時多発テロで低迷していた航空需要下での収益改善が望めなくなったことで2003年5月にAir Franceは営業飛行を終了させました。

1983年はAir France創業50周年で、従業員数3万4千人を超え、33機のBoeing747を始めジェット機保有数は100機になり、73の国、150の目的地を結ぶネットワーク延長は634,400kmとなりました。これは当時世界第4位の旅客実績で、貨物分野では第2位でした。

1986年にはフランス政府による国内航空会社間の路線の制限が緩和され、Air FranceとUTAが同じ路線に就航し、競争することもありとなりました。

1987年にはルフトハンザ、イベリア、SASとAmadeus(もしくはGDS: Global distribution system)というコンピュータオンラインシステムによる旅行代理店業務システムを構築し、1988年にはAir Inter, British Caledonianとともに世界初のフライバイワイヤー方式によるAirbus A320のローンチ・カスタマーとなりました。同年3月、A320を受領しています。

1990年1月12日、国営のAir Franceと半官半民のAir Inter、民間のUTAは合併しました。これはEUの航空自由化に対抗する手段としてフランス政府が指導したもののようです。

1999年2月19日、部分的民営化が承認され、同年6月、アメリカのデルタ航空との間でtransatlantic partnershipが締結され、2000年6月22日にはSky Teamに発展しました。

<Sky teamのメンバー> Aeroflot, Delta Air Lines, Aeroméxico, Korean Air, Czech Airlines, Alitalia, Northwest Airlines, China Southern Airlines, Air Europa, Continental Airlines, and Saudi Arabian Airlines .

2003年9月30日にはオランダのKLM航空との経営統合が発表され、2004年5月5日Air France-KLMとなりました。統合時点では81%(44%がフランス政府、37%が民間)の株式を旧Air France系が保持していました。その後、政府保有の株の割合が減少し、20%以下になりました。収益上世界最大、旅客路線距離で世界第3位の航空会社となりましたが、運航は別々のbrand名で継続され、引き続きSky Teamのメンバーでした。

Fbvgr_cn_175_airbus_a300b4203_air_2

F-BVGR 1989/2/18 TXL

2007年10月17日にはAir France-KLMとDelta航空が大西洋路線におけるEU、USA間のオープンスカイ協定によるロンドンヒースローとアメリカを結ぶ路線の運航を発表し、2008年3月28日から運航を開始しましたが、その一部であったデイリーのヒースロー、ロサンジェルス便は期待された搭乗数が得られず2008年11月に終止されました。

燃料価格の高騰や、リーマンショックの影響も残り、欧州は未だ不況から抜け出せない状況が続いており、年間7億ユーロの赤字を計上しているようです。

航空会社としても利益を確保するのに必死の状況のようで、2012年1月12日に向こう3年の財政計画Transform2015を発表しました。

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2014年3月19日 (水)

通勤電車シリーズ 101系 その6 中央・総武緩行線

通勤電車101系のシリーズ、今回はカナリア色(黄色5号)101系が山手線に続いて活躍を始めた中央・総武緩行線です。

101

最後尾にクハ100を連結しているカナリヤ色の101系(津田沼区所属) 吉祥寺(だったと思いますが)

山手線に101系が投入され始めた時点で、山手線は101系に代わる新たな通勤電車の投入が決定されており、新車両の投入後、首都圏では京浜東北線と中央・総武緩行線が捻出される101系の投入候補になったようです。

101_820211

飯田橋を後にする津田沼行 1982/2/11 昔は飯田橋駅のこの風景気に入っていたのですが・・・

そこでどちらに先に101系を投入するかの調査が行われ、車両の需給面から検討された結果、中央・総武緩行線に投入すれば手戻りが少なく有利との結論にいたったそうです。当時の車両運用上からの必要両数は京浜東北線644両、中央・総武緩行線509両で、山手線は461両(8両化完了時点)でしたので、上下方向にTc T'cを新製し、TをT''に若干改造すれば少ない新製両数で置き換えが完了できるので中央・総武緩行線に101系が投入されることとなったそうです。

101_820130

市川に到着する中野行101系(津田沼区) 1982/1/30

前回の記事で山手線用に、池袋、品川、東十条に配置された101系のリストを載せました。さらにそれらの多くが103系の投入で津田沼、中野に転属したことも記述しましたが、中央・総武緩行線用として、新製配置された車両もありました。今回はそのリストを載せます。新製配置の開始は1963年9月10日でした。

津田沼区

クモハ100-166, 167, 169, 174, 175, 179-181, 183        10両
クモハ101-171, 172, 174, 175, 179, 180, 184-186, 188     10両 
モハ100-214-217, 220-224, 228-230, 237-241, 244-245   19両 
モハ101-221-224, 227-231, 235-237, 244-248, 251, 252   19両
クハ100-32-38, 40-43, 46-48, 50, 78, 82-91, 95         40両
クハ101-33-40, 43-45, 48-50, 52-57, 60-66, 73-83, 85    41両
サハ100 なし
サハ101-127, 128, 251-256, 260-262, 281-282, 287-291, 294-295 20両

中野区

クモハ100-184-186                          5両
クモハ101-181, 187, 189-191                    5両
モハ100-242, 243, 246-250                     7両
モハ101-249, 250, 253-257                     7両 
クハ100-25-31, 39, 44, 45, 51-77, 92-94                            20両
クハ101-27-32, 41, 42, 46, 47, 58, 59, 67-72, 84        17両
サハ100 なし
サハ101-123, 124, 143-145, 292-293, 296-299         11両

こうやってみると101系としては"新しい"クハ100クハ101が中央・総武緩行線に大量に投入されたのが分かります。私が杉並区清水町に住んでいたころの1966年、中央線の複々線化工事が荻窪まで完成し、中央・総武緩行線と地下鉄東西線の相互乗り入れが開始されましたが、その時点ではまだ旧形国電は健在でした。

101_810829

晩年のシールドビーム灯改造車の101系(津田沼区) 1981/8/29 千駄ヶ谷

このカナリア色の101系の活躍は中央・総武緩行線に留まらず、成田線の「初詣成田号」(1969年の年末年始)、1968年7月13日の房総西線木更津電化に伴う快速電車などに投入されました。当時、房総西線のATSはS形だったのでクハにはS形、クモハにはB形を設置した車両が運用されました。

1969年4月8日には荻窪~三鷹間の線増も完成し、中央・総武緩行線の101系10連化も完成しました。旧形電車の置き換えも完了しました。同年7月11日には千倉まで電化が完成し、それまで113系で運転されていたローカル列車を101系に置き換え、113系は臨時急行として運転されました。

1978年、101系の冷房改造車が僅かながら中央・総武緩行線にも投入されましたが発展はせず、本格的な冷房化は1979年の103系の投入を待つことになりました。1982年からは201系が投入され、1984年度中に中野区から101系が消滅し、1986年に津田沼区から改称された習志野区でも1988年11月に運転を終了し、1989年4月に両国~銚子間で運転された団体列車がさよなら運転となりました。

1979年の電車編成表によると

津田沼電車区の101系は344両配置されており、

←千葉 Tc M M' T T M M'c Mc M' T'c 三鷹→ の編成が19本
      Mc M' T'c Tc M M' T T M M'c             の編成が5本
      Mc M' T T M M' T T M M'c                 の編成が4本
      Tc M M'c Mc M' T T M M' T'c             の編成が2本
そしてバラの車両という構成になっています。

一方、中野区には242両配置されており、
←千葉 Tc M M' T T M M'c Mc M' T'c 三鷹→ の編成はなく
      Mc M' T'c Tc M M' T T M M'c             の編成が21本  
            Mc M' T'c Mc M' T T T M M'c             の編成が1本
            Mc M' T'c Tc M M' T M M' T'c             の編成が1本
そしてバラの車両という構成になっています。

10連貫通タイプもあれば、7+3もあり、3+7の編成でも中央快速線に較べてバラエティが豊富であったことが分かります。
また、運行番号Bは中野区、Cは津田沼区で、編成札では白が中野区、青が津田沼区でした。

以上、今回はこれまでの鉄道ピクトリアル誌の101系特集号の記事(No487, 724, 874)、1979年版JRR国鉄電車編成表のデータを参考に纏めました。

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2014年3月18日 (火)

公園保存蒸気を訪ねて 水戸線 その2

前回、このシリーズでは水戸線を走る定期列車の写真を紹介致しましたが、今回はその歴史と、私が水戸線で撮影した臨時列車について触れようと思います。

485_k40_090204

今は既に廃車されていますが勝田区のK40編成の臨時列車(回送) 2009/2/4 福原~稲田間

水戸線の開業は1889年(明治22年)1月16日のことで、水戸鉄道(初代)が小山から水戸までを開通させました。水戸に到達した最初の鉄道であり、1892年3月1日に水戸鉄道は日本鉄道に買収され、同社の支線となり、1895年に土浦から友部に海岸線(現在の常磐線)が延伸され、友部~水戸間はその一部となりました。

4851500_k60_100508

こちらは同じく勝田区のK60編成 2010/5/8 福原~稲田間

日本鉄道も1906年11月1日に鉄道国有法によって買収・国有化され、1909年10月12日、線路名称制定時に友部~水戸間が常磐線に編入され、小山~友部間が水戸線となりました。以来、水戸線は区間の表示、線名の変更はいっさい行われておりません。

Ef81_140_246b_131120

まだ記憶に新しいEF81140牽引による24系BT試運転列車 2013/11/20 稲田付近

1935年12月15日、小山~下館間で気動車運転が開始されました。貨物列車の通行のために1950年8月23日に東北本線の間々田方面から小山駅を経由しない短絡線が新設され、上野方面から水戸線経由で運転される急行「つくばね」(1962年10月1日運転開始、1985年3月14日、廃止)などの運転にも活用されましたが、1986年11月のダイヤ改正後、実質的に廃止状態となり、2006年2月頃から、撤去工事も始まりました。

246b_131120

上記の列車の後追い写真 2013/11/20 稲田付近

100508

臨時列車ではありませんが、東結城~川島間の鬼怒川橋梁は水戸線の屈指の撮影ポイントです。 415系1500番台 2010/5/8

以上です。このシリーズ、次回からは昨年大晦日の中央本線、小淵沢までの旅と公園機関車観察の模様です。

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2014年3月17日 (月)

EF510-500番台 509号機

EF510 500番台シリーズ、今回は509号機です。

川崎重工からの出場、甲種回送2010年7月5日~6日で、吹田信号所から新鶴見信号所までの牽引機はEF66 132号機で、新鶴見信号所から田端操車場まではEF65 1088号機でした。

EF510-500番台の中でも異色の2機の一台 カシオペア塗装の機関車です。

Ef510509_120107_2

8010列車特急「カシオペア」 大宮到着 2012/1/7

Ef510509_120721_3

2列車 特急「北斗星」 日和田 通過 2012/7/21

Ef510509_110115

2列車 特急「北斗星」 さいたま新都心 通過 2011/1/15

Ef510509_120630

5781列車 通称「安中貨物」を牽引して大宮を通過 2012/6/30

同機関車は2013年ダイヤ改正前の最後の安中貨物牽引機にもなりました。

なお2014年3月のダイヤ改正では安中貨物の列車番号は高崎操~5098レ~大宮~5095レ~泉~単5095レ~いわき~単5094レ~泉~5094レ~田端操~5097レ~安中~5098~高崎操 となり、高崎操~高崎操の仕業番号がA126、隅田川と高崎操の往復は2073レ、2080レで結ばれています。

Ef510509_101223

東日本震災前まで常磐線を南下していた朝の96列車を牽引する 2010/12/23
荒川沖~ひたち野うしく

以上です。

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2014年3月16日 (日)

特急「北近畿」 その1 485系の時代

これまで、このシリーズでは特急「雷鳥」や九州で活躍した485系特急について触れてきました。

今回からは、1986年11月1日の国鉄最後のダイヤ改正の福知山線城崎電化で誕生した特急「北近畿」で活躍した485系、あるいはその改造版のJR西日本の183系について触れようと思います。

485_481800_870224

特急「くろしお」から転用されたクハ481-800番台もしくは850番台を先頭にした特急「北近畿」 1987/2/24 大阪

まずは福知山運転区福知山支区における485系配置の様子から見て行きましょう。

電車基地の起工式が行われたのは1981年5月29日のことで、1986年10月22日に完成を迎えています。11月1日のダイヤ改正に向けて、

モハ485/484 
         3/3, 5/5, 7/7, 10/10, 89/89, 90/90,  92/92
         225/604, 226/605, 227/606, 228/607, 249/608,
         250/609, 251/610, 252/611, 253/612, 254/613, 255/614

クハ481
    201, 204, 205, 209, 210, 211, 212,
         309, 317, 331, 336, 339, 354,
         751, 752, 801, 802

が勝田、金沢、日根野、南福岡、鹿児島から転属してきています。特にモハ484-600番台特急「くろしお」の485系投入で青森・仙台から日根野に転属したグループです。

クハ481-751,752,753 サハ489-202, 203, 5からの改造で幡生車輌所で改造がなされています。種車の後位車端部を台枠ごと切断して、クハ481-1000番台に準じた運転台ブロックを接合しており、床下に160kVAのMGとCPを取り付けています。

751、752はサハ489-200番台(旧サハ489形初期形・1972年製)から改造のため、エアコンはAU12タイプで、753は中期形・1973年製のためAU13Eです。751、752は福知山に配置されましたが、753は上沼垂に転属し、JR東日本に継承され、2001年きらきらうえつ」に再改造されました。

クハ481-801, 802は特急「くろしお」で1985年3月から1年半活躍したクハ480-8, -6の再改造版です。こちらは再改造に際して210kVAのMGとCPを大宮工場で取り付けています。

8021990年、直流化改造されクハ183-801となり、8011991年金サワに転属し、「スーパー雷鳥」で活躍し、さらに京キトで晩年の「雷鳥」で活躍し2010年8月に廃車となりました。

これらの車両により、1986年11月1日の改正から特急「北近畿」10往復での活躍がスタートしました。

←城崎
TcM'MM'MTc×8 所要7 →1986.11より順次ThscM'MM'MTc
北近畿(10)
 休
 福知山705-855大阪1005-1304城崎1329-1622大阪1730-1925福知山
 福知山840-1041新大阪1258-1606城崎‥豊岡/城崎1629-2001大阪
 豊岡‥城崎1058-1403大阪1505-1817城崎1826…2004福知山
 福知山‥城崎855-1159新大阪1358-1717城崎1738-2032大阪‥宮原
 宮原‥大阪905-1100福知山-1221城崎1540-福知山1717-1908大阪‥宮原
 宮原‥大阪805-1058城崎1124…福知山1339-1532大阪1830-2024福知山
 福知山740-933大阪1105-1253福知山…1432城崎1445-1800新大阪1955-2154福知山

M'M×2 Tc×1

当初、編成は8編成体制、両端クハでしたが、1986年11月から福知山/城崎よりの1号車のクハのクロハ化改造が吹田工場で開始され、さらに日根野からクハ480-5クハ481-851に改造されて転入します。851は吹田工場での改造に際して160kVAのMGとCPを搭載しています。

485_481200_870224

6両編成時代の特急「北近畿」 1号車はクロハ481-200番台 1987/2/24 大阪

これで1987年4月時点ではH1~H9の9編成体制となり、そのメンバーは

     クハ481-モハ485-モハ484-モハ485-モハ484ークロハ481
      6号車                          1号車 

 H1   317       10          10          251       610         201(213)
  H2       331       90          90          255       614         204(214)
  H3       339      226        605    254       613         205(215)
  H4       751       89          89          228       607         209(209)
  H5       801      253        612          249       608         210(210)
  H6       802         5           5          250       609         211(211)
  H7       752        3           3          252       611         212(212)
  H8       851       92         92          227       606         309(301)
  H9       336        7           7          225       604         354(302)

()内の番号はクロハに改造後の新番号です。太字、イタリック、下線は以後転出したユニット。

485_481200_870224_2
宮原操車場の485系 「北近畿」編成 1987/2/24

1989年1月にH3編成のモハ226/605、H8編成のモハ227/606ユニットとクハ481-317、さらにクロハ481-301がクハ481-309に復元改造され、金サワに転出し、8編成体制となります。

さらに1989年11月から1990年3月にかけてモハ225/604, 90/90, 92/92, 251/610, 252/611, 254/613が金サワに転出し、北近畿の編成は4両編成体制となり、

←城崎

ThscM'MTc×8 所要5(臨時+1)
北近畿(6.5)(臨時+1.5)

 休
 福知山858-1053新大阪1258-1557城崎1744-2033大阪2129…2234篠山口‥福知山 福知山749-939大阪1105-1344城崎1505-1810新大阪1952-2145福知山
 福知山707-849大阪1005-1258城崎1308-1603大阪1905-2147豊岡
 豊岡‥城崎1056-1355新大阪1558-1855城崎‥豊岡
 豊岡‥城崎857-1153新大阪1358-1653城崎1942…2052福知山
 城崎1617-1912大阪(ThscM'MM'MTc)

M'M×2

485_481300_870224
大阪駅10番線に入線する非貫通クハ先頭の「北近畿」 1987/2/24

1991年9月1日の七尾線の直流電化開業に合わせて、北陸本線と七尾線を直通する普通列車用に福知山区の113系800番台および網干/日根野区の113系0番台を415系800番台に改造するため、485系から交流機器を捻出することとし、交流機器を撤去したグループを183系700、800番台、使用停止にしたグループを183系200番台としました。

この期間に向日町からモハ1001,1005, 1006ユニットも転入おり、一方で228/607ユニット、クハ801が金沢に転出しています。

1991年4月から11月にかけてさらに改造は進められ

モハ485/484          → モハ183/182
   255/614                         801/801
      250/609                         802/802
      253/612                         803/803
      249/608                         804/804
         5/5                            852/852
    1005/1005                      1801/1801
    1006/1006                      1802/1802
   10/10                           854/854
        3/3                             851/851
    1001/1001                      1803/1803   
        7/7                             853/853
クロハ481             →  クロハ183
        214                            801
        211                            802
        302                            701
        210                            804
        213                            201
        209                            803
        215                            805
        212                            806
クハ481       →   クハ183
   802                             801
       331                            701
       851                            851
       336                            702
       751                            751
       339                            703
       752                            752                                        

1994年12月3日のダイヤ改正後、次の1996年のダイヤ改正まで4両編成7本体制で特急「北近畿」7往復の運用で推移します。

大きな変化があるのは1996年3月16日の改正となります。

その様子は次回の記事で。

今回も、485系 および 183系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 福知山 のデータを参考に作成致しました。

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2014年3月15日 (土)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 11 707F~713F

西武鉄道のブレーキHSC化、冷房改造シリーズ、今回は601系が一掃された1981年3月からの701系の6連化第二弾です。

1976年4月から8月にかけて、701~705Fの編成が601系601~605Fの電動車ユニットを組み込んで6連化され、余ったクハ1601~1606クハ1651形としてクモハ451形とペアを組んで活躍しました。

701_707f_810804

井荻を発車する拝島行 707F6連 1981/8/4

1976年に改造された6連との相違点は、屋根のエアコンキセ横のランボードの大きさ、両開き扉のガラス抑えが金属になった点でした。

今回は同じように残った601系編成の電動車ユニットを701系の対応する番号の編成の偶数側クハとの間に組み込んだのですが、余剰となったクハ1601形1607~1614は改造、再利用されることなく廃車となりました。

この点は後から思えば、この後に改造された701系同士の6連化でクハ1791~1796が電装化されて三代目501系になったのとは対照的でした。

改造出場の日付です。

707F 1981年3月14日
709F 1981年4月30日
713F 1981年6月17日
711F 1981年7月31日

このグループも何かの都合か、711Fよりも713Fの入場が先になっています。

701_709f_6_810805

新大久保駅から撮影した709F 1981/8/5

偶数側から撮影しているので、601系由来の電動車ユニットの窓の違いがよく分かります。

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2014年3月14日 (金)

マレーシア航空 370便事故について 3/13 現時点で明らかになっていること

拙Blogではこれまでにも留学中の西ベルリン・テーゲル空港で撮影した旅客機関連の話題を扱った記事で、航空機事故の話題も何回か取り上げて来ました。

消息不明が報じられて数日が経過するにもかかわらず、機体の残骸すら発見されていないのが今回、触れるマレーシア航空370便の事故です。すでに英語版・日本語版のWikipedia等が公開されており、機体の情報も分かりましたので、私も整理しておこうと思い記事にしました。情報は英語版Wikipedia MH370の情報を参考にしています。

1)フライト状況について

マレーシア航空370便(MH370)、コードシェアで中国南方航空748便(CZ748)は2014年3月8日午前0時41分(現地時間)、マレーシアのクアラルンプール国際空港を離陸し、中華人民共和国北京国際空港に午前6時30分(現地時間)到着予定の便で227名(15カ国)の乗客、15名の乗員が搭乗し、離陸約1時間後、高度35000フィート、速度471ノットで飛行、位置は北緯6度55分15秒、東経103度34分43秒の地点で突然交信が途絶え、トランスポンダーの信号も消えました。

交信を受け持っていたSubang航空管制所は1時22分に交信の途絶を認識し、マレーシア航空に2時40分に通報したそうです。マレーシア航空が情報を発表したのは7時24分でした。機体に搭載してあるACARSではなんの機器的トラブルは送信され無かったとのことです。エンジンデータは30分ごとに製造会社のロールスロイスのオフィスに自動送信されており、トランスポンダー信号が途絶えてからも4時間は送信が続いていたとのことです。

マラッカ海峡から南シナ海に渡る7万平方キロに及ぶ範囲を12カ国が捜索していましたが、残骸等は発見されておらず捜査当局はマラッカ海峡の北西のアンダマン海まで捜索範囲を広げたと発表しています。

機体の不具合による墜落なのか、あるいはテロ等によるものなのかも現時点では不明であり、航空機から自動的に発せられるエンジンデータの記録は離陸後5時間も飛行状態を示しており、航空機の場所を特定するのを一層困難にしているようです。

9mmro_cn_28420_ln_404_b7772h6er_200

9M-MRO cn 28420 ln 404 Boeing 777-2H6ER     2003/1/2 NRT

昔、成田で撮影した写真を調べてみたら2003年の正月にRWY34Lエンドで離陸スタンバイするところを撮影していました。

2)機体に関する情報

Boeing 777-2H6ER cn 28420 ln 404
9M-MRO

2002年5月14日 初飛行 5月31日マレーシア航空が受領

エンジン: ロールスロイス Trent 892 双発

座席:282名: ビジネスクラス35名 エコノミークラス 247名

総飛行時間 53,460時間 7525サイクル

これまで大きな事故に遭遇したことはありませんでしたが、2012年8月上海浦東国際空港でタキシング中に他の機体と衝突して翼端のウイングチップを破損したことがありました。最後のメインテナンスチェックは2014年2月で今回の事故の12日前でした。

Boeing 777は安全な機体として知られており、これまでに全損事故は
2008年1月にロンドン・ヒースロー空港でBA38便が燃料系統の凍結でパワーロスに陥り、空港手前に不時着した事故(47名負傷)(G-YMMM)と、まだ記憶に新しい2013年7月6日アシアナ航空214便のサンフランシスコ空港の着陸時の事故(3名死亡、181名負傷)(HL7742)、2011年7月29日にカイロ国際空港でエジプト航空機がコックピットから出火して全損した事故(SU-GBP)の3件でした。

3)乗員・乗客に関する情報

機長    53歳 1981年入社 飛行時間 18,365時間
副操縦士 27歳 2007年入社 飛行時間   2763時間
乗員は全てマレーシア国籍

227名の乗客の内、152名が 中国国籍 38名がマレーシア国籍 他に13カ国の方々

現時点で捜索活動が続いていますが、残骸等の確認情報は3月13日夜の段階ではないようです。

この事故で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り致します。

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2014年3月13日 (木)

通勤電車シリーズ 101系 その5  山手線/赤羽線

通勤電車101系のシリーズ、前回までは中央快速線に投入された101系について、試作車、山用800番台、電力回生ブレーキ試験車、サハの200番台、特別快速、改造冷房、そして武蔵野線用改造1000番台について触れてきました。

今回は、2本目の投入線区、山手線について触れようと思います。

山手線の黄色い(カナリアイエロー:黄色5号)101系は私自身、見てはいますが写真は撮っていないので、同じ色の車輌が比較的長く活躍した、赤羽線の写真を紹介しつつ、話題を展開しようと思います。

101

赤羽線の101系 赤羽
かつては京浜東北線のホーム端からこのような写真が撮れたのですが、今はこの付近はすっかり変わってしまいました。

中央線、大阪環状線に続いて山手線に101系が投入されたのは1961年9月のことでした。

新製配置は10月6日からでしたが、それ以前に武蔵小金井区に新製配置された1編成が池袋区に貸し出され乗務員訓練が行われたそうです。9月5日から営業運転が開始されました。
1962年5月7日のダイヤ改正で、ホーム、電車区等の電車留置線の延伸工事が完了して、7両編成の8両化が可能となり、これまでの4M3T編成から6M2T編成にパワーアップされたそうです。8両化は1963年10月1日に完了しています。
編成は写真で見ると
池袋 内回り線 M'cMTTM'MM'Mc  品川 だったようです。

配置車輌を番号でみると

池袋区には

クモハ100-105-108, 117-124, 126, 128-139, 146, 147   27両
クモハ101-106-109, 118-121, 126-131, 133, 135-146   27両
モハ100-91, 92, 95, 96, 101-104, 106-108, 110-140, 150-156, 162-164, 166,167, 177-183, 235                        62両
モハ101-91, 92, 94, 95, 100-106, 111-113, 115-145, 155-159, 167-175, 185-189, 242                             66両
サハ100-69, 70, 83-89, 92-99, 229-234, 236-240    28両
サハ101-72, 73, 82-88, 91-100, 229-234, 236-239   30両

品川区には

クモハ100-140-145, 148-155, 159, 161    16両
クモハ101-147-160, 164, 166    16両
モハ100-149, 157-161, 165, 168-176, 184-186, 191-197, 202-204, 208, 209, 231-234   35両
モハ101-154, 162-166, 176-183, 190-193, 198-204, 209-211, 215, 216, 238-241 34両
サハ100-100-102, 241-244  7両
サハ101-101-103, 125, 126, 240-250, 257-259, 285, 286 21両

さらに下十条区にも配置されており、

クモハ100-156-158, 160, 162-165, 168, 171-173 12両
クモハ101-161-163, 165, 167-170, 173, 176-178  12両
モハ100-187-190, 198-201, 205-207, 210-213, 218, 219, 225-227 20両
モハ101-194-197, 205-208, 212-214, 217-220, 225, 226, 232-234 20両
サハ100-103-107  5両
サハ101-104-108, 263-280   23両

が新製配置されています。データは鉄道ピクトリアル誌No874, 875によります。池袋、品川のモハの両数が気になりますが。

下十条区に新製配置された車輌は数ヶ月後の1963年10月1日付けで品川区に転属しています。101系化は1963年8月に完了しています。

編成はクハが無く、両端クモハ+モハのユニットで中間にモハユニット・サハを挟んだスタイルでした。

上記の番号で編成を組んでみると、池袋27編成、品川14編成、下十条10編成で計51編成となり、今日の11連52編成と較べると、輸送力は8割以下だったようです。

駅間が短く、性能的にMT46A電動機搭載の101系は山手線の運用に向かないと判断が下り、1964年からは103系への置き換えが開始され、1969年4月の改正で101系は山手線から去り、中央緩行・総武線に活躍の場を移しました。
赤羽線の101系化は1967年4月3日でした。

山手線に103系が投入されると101系は総武・中央緩行線等に活躍の場を求めて移動しましたが、そのパターンをクモハ100で見てみると

津田沼区に移動した車両
1964年 105, 107, 137, 142, 146, 159, 160, 162, 163, 164, 165,
1965年 108, 120, 123, 134, 147
1966年 119
1967年 140、141, 143, 144, 148, 149,
1968年 128,
1969年 133, 136, 150, 151, 152, 153, 154, 155, 161, 172
中野区に移動した車両
1964年 117, 129, 135, 168, 171, 173
1965年 118, 122, 124, 138, 139
1969年 130
別の線区に移動した車両
1964年 106(武蔵小金井),
1967年 121(武蔵小金井), 156, 157 (森ノ宮)

山手線の表記が「山手」から「山手線」に代わったのは103系登場後の1971年3月7日のことでした。この日は当時の国鉄が吾妻線(あがつません)開通を機に全路線にふりがな表記を付けた日でもありました。

赤羽線の101系時代は1978年まで続き、

そのときまで残った101系はクモハ100で見ると
126, 131, 132, 145, 158 でした。

これらの101系は運用終了後、中原区に移動しました。

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2014年3月12日 (水)

公園保存蒸気を訪ねて 水戸線 その1

前回のこのシリーズで、笠間市市民体育館横に保存されているC58275号機をご紹介致しました。今回と次回の二回に渡り、かつてC58形や8620形が活躍した水戸線について触れてみようと思います。

水戸線は栃木県小山市の小山駅と茨城県笠間市の友部駅を結ぶ延長50.2kmのJR東日本の路線で、全線電化、小山駅付近は直流1500V方式、小田林駅との間にある交直デッドセクションより東側は交流50Hz、20kVの電化方式です。駅数は両端駅を含めて16、旅客営業規則で東京近郊区間、Suicaの首都圏エリアに含まれる路線です。そのおかげで荒川沖を最寄り駅としている私は、荒川沖~ひたち野うしく間の乗車券で水戸線経由の大回り乗車が可能です。

運転指令は水戸総合司令室の管轄で、保安装置はATS-P方式、最高速度は95km/hとなっています。全線単線で、列車交換が出来ない駅は小田林、東結城、玉戸、大和、宍戸で後の全ての駅では列車交換が可能です。

運行形態はすべて普通列車で1時間あたり,1-2本程度、大半が小山~友部間の線内折り返しと常磐線水戸・勝田駅発着の列車、朝夕を中心に小山~下館間区間運転、勝田~下館間の最終列車があります。

E501_k751_131124

友部に到着するE501系 5連 K751編成による高萩行 2013/11/24  

E501系は2007年3月の改正で上野口の運用から追われ、土浦以北、水戸線を活躍の場とするようになりましたが、水戸線には付属の5両編成、K751~754のみが入線しています。

1998年頃までは一部の列車が両毛線の桐生まで乗り入れていたそうですが、私にはその記憶がありません。また快速列車運転されていたこともあったそうですが(1992年3月改正から1993年12月改正前まで)、快速通過駅の停車本数が減るという事態になって廃止されたそうです。また、早朝・夜間の一部普通列車は小田林、東結城駅を通過していましたが、2014年3月15日のダイヤ改正で全列車停車することになります。常磐線の名物貨物列車通称「安中貨物」も2000年12月のダイヤ改正までは水戸線、両毛線経由で運転されていたそうです。

国鉄時代は1985年3月13日まで急行「つくばね」が上野~水戸・勝田、上野~真岡線真岡・茂木間に水戸線経由で運行されていました。

使用車両は勝田車両センターの交直流車両で運転され、常磐線普通列車と共通で運用されています。

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水戸線大和~岩瀬間を行くE531系K460編成 2007/2/4 

E531系は現在、定期運用はありませんが、415系1500番台、E501系などの検査入場時には付属編成5両の代走があります。

2006年8月26日から2007年3月17日までは、E531系5両編成が1日上下合わせて12本暫定的に運転されていました。翌18日のダイヤ改正以降は原則として415系1500番台とE501系による運行となっています。E501系はダイヤ改正前の2007年2月27日から運用が開始されました。

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今はJR東日本からは全廃されてしまい見られなくなった全鋼製415系 K522編成 2007/2/4 大和~岩瀬間

この編成の手前のクハ401-51は本来、403系の第一編成の先頭車として製造された車輌でJR東日本の簡易冷房装置であるAU712装備の車両

4151500_k528_070204

水戸線のヌシ的存在の415系1500番台 K528編成 2002/2/4 大和~岩瀬間

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稲田~福原間ののどかな風景をゆく415系1500番台 K529編成 2010/5/8

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小山駅で出発を待つ415系1500番台 K532編成 2006/3/12

過去には冒頭で記述したように小山機関区所属の8620形C58形が貨物列車、旅客列車を牽引し、1967年2月1日に全線電化された後にはEF80が牽引する旅客列車、貨物列車も走ったそうです。客車はオハ35系・スハ43系などから構成され、荷物車・郵便車も併結されていたそうです。1982年11月14日で運用が終了となりました。前述の急行等で気動車も運用され、キハ11形・キハ17形・キハ20形・キハ25形・キハ45形・キハ28形などの乗り入れがありました。電車で過去の車両となっているのは403系と415系の一部です。

次回は、その歴史と、不定期の車両について触れます。

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2014年3月11日 (火)

EF510-500番台 508号機

EF510 500番台シリーズ、今回は508号機です。

川崎重工からの出場、甲種回送2010年6月21日から22日で、吹田信号所からの牽引機はEF200-17号機でした。

Ef510508_110626_0

8010列車特急「カシオペア」を牽引してさいたま新都心を通過 2011/6/26

Ef510508_110828_2

大宮に到着する2列車 特急「北斗星」 2011/8/28

Ef510508_120722_2

郡山に到着する2列車 特急「北斗星」 2012/7/22

Ef510508_110115_2

馬橋を通過する5388列車 通称「安中貨物」 2011/1/15

Ef510508_110703_2

北浦和~与野間、武蔵野線東北支線が合流・分岐する付近を通過する5781列車、通称「安中貨物」 2011/7/3

Ef510508_121125_2

府中本町を通過する2095列車 2012/12/25

以上です。

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2014年3月10日 (月)

みちのくSLギャラクシー号 

釜石線に復活したC58 239号機が牽引する「SL銀河」の編成が釜石から上野まで走行し、しかも尾久から上野まではD51 498が牽引するということで撮影に出かけました。

これはフジテレビがJR東日本と共同で企画したもので「みちのくSLギャラクシープロジェクト」というのだそうです(フジテレビのサイト)。JR東日本によると都心を蒸気機関車が走行するのは2003年12月以来、約10年ぶりとのこと。

朝9:00前、日暮里に接近する常磐線の車内から眺めると下御隠殿橋は鈴なりの人だかり、そして駅南の跨線橋の階段には人影がないものの、跨線橋下にはカメラの砲列、そして鶯谷ホームも黒山のカメラマンの列・・・やはり予想した通りの人出でした。

SL列車の通過時刻は13:30すぎ、いくらなんでもあの列に加わって4時間も待つのは耐えられないので、上野駅から尾久付近まで撮影ポイント探しでロケハンすることにしました。

まずは時間に余裕があったので上野公園の国立科学博物館前庭に保存されているD51 231号機を見学、この様子は後日の記事に。

上野公園側から線路を東側にわたり、北上野1丁目を線路沿いに北上、鶯谷駅南口前の跨線橋に到着すると遅れの「北斗星」が通過、見通しは良いものの、列車通過時には跨線橋での撮影はできないと警備員に言われ、別の場所へ。

鶯谷から根岸一丁目を通り、言問通りの跨線橋へ、この区間は電車の車窓からは知っていましたがまさしく”その方面”のホテル街の密集地だったのですね。言問通りで線路を再び渡り、上野桜木へ、現世の快楽地帯から今度は来世の世界へ、谷中の墓地の中を抜けて日暮里駅南側の跨線橋へ。

谷中の墓地下の線路脇から狙っている方もいらっしゃいましたが、被られる可能性も高く、しかも持っていたレンズが70-210mmのズーム一本だったので横からの撮影には向かないと思い断念。

Ef510509_140308_2

EF510-509号機 推進回送中の特急「北斗星」  2014/3/8

鶯谷で撮り逃がした「北斗星」の推進回送列車がやってきましたが、ここも階段下のスペース、(すでに満席状態でしたが)を除いてSL列車通過時には撤収を命じられるということで別の場所へ。

120616

日暮里駅の北側の下御隠殿橋も入る余地がないほど満席状態

そして最後に思い立った場所が、田端から歩いていける尾久操車場からの出区線の踏切。

尾久で機関車交換が行われるとすれば

ホームのある本線ではなく、
尾久操車場の配線図 にある東北着発線に入線するはず。

着発線からの出発となれば高架線ではなく、踏切を通過するはずとのことで、
日暮里から田端まで山手線に乗車し、田端から歩いて現地へ。

20143_140308
  JR東日本 東京支社ビルに掲示された2014年3月改正の垂れ幕

田端駅北方に聳えるJR東日本東京支社ビルには今回のダイヤ改正の案内が、いよいよ寝台特急「あけぼの」の定期列車としての走行期間もあと数日かと思ったり、改正での変化を新たな撮影課題と感じたり・・・

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目的地に到着して尾久方面をみるとEF8180号機が停車中。田端でEF81の姿を見ることが出来るのもあまり長くはないのかなと思いつつ、

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右前方には高崎/東北本線での営業運転を終了した?211系編成が

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12:29頃にはDE10に伴われてD51498号機が機関区から出区して行く姿が

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12:54頃、(番組によると)郡山から尾久までギャラクシー号を牽引してきたEF510-500番台ラストナンバーの515号機が解放されて目の前に
*番組によれば、花巻~郡山間の牽引機はEF81のようでした。追記:訂正です、ED75757とのことです。

13:26の出発予定時刻を過ぎてもなかなか警報機は鳴らず、5分ぐらいして警報機が鳴り出したものの汽車が来る気配はなく、なんて長い警報機だと感じて5分ほど待つと

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目の前をD51498号機に牽引されたみちのくギャラクシー号が通過して行きました。
最後尾にはEF65501号機がぶら下がっていました。

返しの回送列車も鶯谷で撮影を試みましたが、こちらは失敗しました。

「首都圏を十年ぶりに蒸気機関車が走る」という大きな話題の割にはニュースとして報道は(わたしが見た限りではフジテレビ以外)見られず、3月9日13:00からのフジテレビの番組も見ましたが、主催者側のはしゃぎすぎの印象も強く感じました。
もし再度、こういった機会があれば、もっと長い距離を走行し、撮影する側も楽しめる企画が良いなと感じました。

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2014年3月 9日 (日)

九州に渡った485系 南福岡電車区 その2 大分車両センター

九州に渡って活躍した485系シリーズ、今回は1985年3月改正以降の門ミフ、および1994年3月1日の改正から配置が始まった大分車両センターにおける動きについて触れようと思います。

485_48011_860218
厳密に時期を考えると鹿カコ所属の時代ですが、当時の特急「有明」 1986/2/18 西鹿児島

1985年3月14日のダイヤ改正では、門ミフの担当は「にちりん」、「かもめ」、「みどり」と「有明」(臨時)となりましたが、先の鹿カコの記事で記述したように国鉄最後の改正となった1986年11月1日の改正に向けて、鹿カコ等との間で大きな動きがありました。

1) クモハ485-100番台改造

熊本発着「有明」の3両編成用として鹿児島車両管理所・小倉工場でモハ485形の前位側にクハ481形300番台同様の運転台を設置し制御電動車化しました。
短編成用のため、0番台と異なり機器室は未設置とし、MG・CPを省略し定員64名としました。出入台および行先表示器は後位側に移設しました。

モハ485-202・231・240 - 245→クモハ485-101 - 108

2) クロハ481-200番台改造

クモハ485-100と同様の用途に小倉工場でクハ481形200番台8両に改造施工され、グリーン室座席は、当初新幹線0系電車廃車発生品3列×3席を流用しましたが、分割民営化後の1989年201を除いて0番台と同数の新型シート3列×5席に交換されました。

クハ481-236・242・244・248 - 250・252・259→クロハ481-201 - 208

3) 前年の改正前に特急「くろしお」用に天ヒネに転出したクハ481-200番台の一部が復帰、一方300番台が福フチ(福知山運転所)に転出しました。

クハ481-203, 207, 208, 217
クハ481-309, 317, 331, 336, 339, 354

4) 前年の改正前に改造されたクロ~クモハ編成が鹿カコより、転入

485_860218

西鹿児島駅横の電留線で休む特急「有明」と「にちりん」編成 1986/2/18

1986年11月1日の改正後、鹿カコの記事で記述したように特急「有明」の全ての運用が門ミフの担当となりました。

←西鹿児島、長崎、早岐
有明(5)
TscM'M(M'M)M'Mc×4 所要4
 南福岡‥博多700-1122西鹿児島1151-1625博多1720-2155西鹿児島
 西鹿児島800-1225博多1320-1758西鹿児島
 西鹿児島1053-1526博多1620-2047西鹿児島
 西鹿児島654-1125博多1220-1650西鹿児島1805-2248博多‥南福岡

TscM'MM'Mc×11 所要8(臨時+1)
有明(8)(臨時+1)、にちりん(4)(臨時+2)
 休
 南福岡‥博多752-1041大分1110-1352博多1420-1852西鹿児島2300-537博多
 西鹿児島945-1426博多1520-1955西鹿児島
 西鹿児島840-1325博多1355-1637大分1735-1920小倉1954-2136大分‥下郡
 下郡‥大分810-952小倉1056-1239大分1410-1654博多‥南福岡
 南福岡‥博多920-1358西鹿児島1430-1856博多1920-2055熊本‥川尻
 川尻‥八代817-熊本847-1025博多1121-1559西鹿児島1648-2233門司港
 門司港637-1224西鹿児島1255-1726博多1820-1956熊本‥川尻
 川尻‥熊本747-926博多1022-1454西鹿児島1558-2027博多‥南福岡/2359-543西鹿児島
 大分828-1012小倉1109-1257大分1315-1511小倉1528-1712大分

ThscM'Mc×3 所要2
有明(5)
 南福岡‥博多850-1028熊本1117-1252博多1350-1528熊本1617-1756博多2120-2257熊本‥川尻
 川尻‥熊本647-828博多950-1128熊本1217-1356博多1450-1628熊本1647-1828博多‥南福岡

TcM'Mc×5 所要3 →1986.12より順次ThscM'Mc
有明(7)(臨時+0.5)
 休
 南福岡‥博多1050-1228熊本1317-1456博多1550-1728熊本1817-1956博多2020-2157熊本‥川尻
 川尻‥熊本1017-1156博多1250-1428熊本1517-1655博多1750-1928熊本-2000八代‥川尻
 川尻‥熊本917-1052博多1150-1326熊本1417-1556博多1650-1827熊本1917-2055博多‥南福岡

TcM'MTs[T]M'MTc×10 所要8(臨時+2)
かもめ(12)(臨時+2)、にちりん(3)、有明(臨時3)
 南福岡‥博多953-1229長崎1328-1547博多2015-2230長崎
 長崎914-1131博多1155-1437大分1610-1806下関1837-2039大分‥下郡
 下郡‥大分910-1157博多1215-1427長崎1521-1729博多1815-2022長崎
 長崎1110-1434小倉1516-1839長崎2023-2232博多‥南福岡
 南福岡‥博多705-920長崎1012-1232博多1315-1527長崎1621-1832博多1915-2125長崎
 長崎818-1031博多1118-1329長崎1421-1631博多1715-1935長崎
 長崎719-933博多1018-1240長崎1324-1531博多1554-1840大分1910-2153博多‥南福岡
 南福岡‥博多915-1129長崎1221-1432博多1515-1733長崎1820-2030博多‥南福岡
 博多1230-1500長崎1750-2018博多
 熊本825-956博多1053-1227熊本1309-1452博多1523-1656熊本1748-1920博多1955-2126熊本

TcM'MTsc×9 所要7(臨時+2)
みどり(13)(臨時+上4下2)、にちりん(臨時1)
 休
 南福岡‥博多745-932佐世保1513-1701博多1845-2034佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保711-905博多1045-1238佐世保1313-1502博多1645-1839佐世保1921-2105博多‥南福岡
 南福岡‥博多945-1143佐世保1216-1401博多1445-1631佐世保1713-1902博多1945-2133佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保812-1001博多1345-1533佐世保1604-1751博多‥南福岡
 南福岡‥博多845-1035佐世保1117-1259博多1545-1729佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保910-1103博多1145-1330佐世保1414-1602博多1745-1935佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保1010-1201博多1245-1430佐世保1817-2002博多‥南福岡
 佐世保942-1135博多1153-1341佐世保/佐世保1517-1716博多
 佐世保1020-1222博多1254-1510佐世保1538-1759博多
 佐伯907-1216小倉1408-1728佐伯

Ts×1 Tsc×1

1988年3月13日の民営化後初めてのダイヤ改正に向けて、再び鹿カコとの間に動きがあり、

1) クロハ481 基本番台の改造

小倉工場で計13両が改造され、
1 - 8は種車がクハ481形200番台
9 - 13は種車がクハ481形300番台 でした。
グリーン席は3列×5席。
クハ481-226・232・233・234・239・241・251・262・312・328・329・341・353→クロハ481-1 - 13

2) クロハ480 50番台改造

改造施工は小倉工場で前位側のグリーン席5列を残して後位側を普通車化。
521992年クロ480-12へ復元されました。

クロ480-11・12→クロハ480-51・52

3) クロ481 1, 2, 51, 55, 56, 57, 101, 102, 103, 104の転出

4) クロ~クモハ基本番台編成の転出

などの他にも細かい動きがありますが、485系にとって一番大きかったのは新しい電車特急系列としてJR九州が独自に開発した783系の営業運転が開始されたことでした。

1992年3月20日からは新たに特急「ハウステンボス」が登場しており、

←西鹿児島、長崎、早岐
ThscM'M(M'M)Tc×4 所要3
にちりん(2)
 1991.3~と同じ

ThscM'MTc×14 ThscTM'Mc×2 所要14
にちりん(13.5)、みどり(14)
 門司港512…631博多2105-2253佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保710-906博多943-1143佐世保1205-1349博多1443-1627佐世保1702-1850博多1945-2136佐世保
 佐世保903-1048博多1143-1333佐世保1401-1549博多1643-1839佐世保1931-2124博多‥南福岡
 南福岡‥小倉610…725博多847-1041佐世保1105-1249博多1343-1528佐世保1604-1749博多1843-2031佐世保2053-2239博多‥南福岡
 南福岡‥博多739-930佐世保1000-1151博多1243-1429佐世保1500-1648博多1743-1931佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保808-953博多1043-1231佐世保1305-1448博多1543-1729佐世保1811-2001博多2300…012門司港
 休
 南福岡‥博多923-1157大分1236-1509博多1623-1904大分1934-2110小倉
 小倉750-933大分1036-1311博多1423-1707大分‥下郡
 下郡‥大分902-1040小倉1252-1433大分1602-1756下関1838-2032大分‥下郡
 下郡‥大分803-956下関1032-1234大分1340-1610博多1723-2000大分‥下郡
 下郡‥大分714-853小倉922-1105大分1140-1409博多1523-1757大分1833-2030門司港
 門司港728…850博多1122-1359大分1433-1708博多1853-2134大分‥下郡
 下郡‥小倉616-別府805-1343西鹿児島1632-2338小倉
 小倉‥門司港700-901大分939-1209博多1323-1601大分1634-1911博多‥南福岡

TcM'MTs(T)M'MTc×5 所要4(臨時+1)
かもめ(9)(臨時+1.5)
 南福岡‥博多1813-2018長崎2127-2323博多‥南福岡
 南福岡‥博多739-1002長崎1104-1318博多1413-1617長崎1732-1946博多2013-2223長崎
 長崎630-848博多910-1121長崎1214-1418博多1513-1721長崎1806-2021博多2204-2400長崎
 長崎808-1018博多1113-1329長崎1415-1618博多1713-1922長崎2025-2231博多‥南福岡
 長崎846-1105博多1257-1356肥前山口1432-1522博多

TcM'Mc×5 所要4(臨時+1)
ハウステンボス(9.5)(臨時+1)
 南福岡‥博多847-1037ハウステンボス1109-1249博多1343-1527ハウステンボス1608-1749博多1843-2032ハウステンボス2101-2239博多‥南福岡
 南福岡‥博多1043-1230ハウステンボス1310-1448博多1543-1726ハウステンボス1817-2001博多‥南福岡
 南福岡‥ハウステンボス908-1048博多1143-1333ハウステンボス1405-1549博多1643-1844ハウステンボス‥早岐
 早岐‥ハウステンボス1004-1151博多1243-1426ハウステンボス1504-1648博多1743-1927ハウステンボス1938-2124博多‥南福岡
 門司港750-博多915-1122ハウステンボス1727-1901博多-2018門司港

M'M×2 Tc×-2(鹿児島より借用) Thsc×3 Ts×2

博多 - 肥前山口間では「かもめ」「みどり」「ハウステンボス」の3列車を併結し、旅客列車としては九州最長の13両編成で運転されました。

485_481301_red_exp_970307
長崎駅に到着したRED EXPRESSかもめ編成 1997/3/7

このクロ481-3011990年に小倉工場(現・小倉総合車両センター)でクハ481-243に施工された全室グリーン車化改造で出入台前位に乗務員室を増設したため乗降扉横の窓は2分割されたほか、窓配置とシートピッチは一致しなくなりました。1両のみの区分でした。

1994年3月1日の改正を前に

1) モハ485-126, 163, 195の非電装化 サハ481-同番号へ
2) クロハ481-201のクハ481-226への復元 改造がありました。

2000年3月には885系白いかもめ」が登場し、「みどり」「ハウステンボス」が783系に統一され、長崎本線・佐世保線での運行は終了しました。

485_481_red_exprss_020315
小倉駅東方の電留線で休むRED  EXPRESS編成 2002/3/15

2004年4月に門ミフの配置は無しとなります。

********************************************************

一方、大分車両センター(分オイ)は1994年3月1日のダイヤ改正から485系の配置が開始され、当初は全て門ミフからの転属車両でした。

モハ485・クモハ485/484 :  129, 151, 154, 157, 161, 170, 198, 206・106, 107/233, 253, 256, 263, 272, 300, 308, 340, 341

クロハ481/クロハ480 : 11, 201, 202, 203, 204, 207, 208/51

クハ481/480 : 213, 214, 215, 219, 220, 245, 1, 2, 10, 11

担当は特急「にちりん」で

←大分、博多
ThscM'MTc×8 所要6(臨時+1)
にちりん(10)(臨時+3)
 休
 下郡‥大分813-1045博多1140-1408大分1513-1741博多1904-2144大分‥下郡
 下郡‥大分635-905博多1240-1508大分1613-1841博多2004-2245大分‥下郡
 下郡‥大分913-1141博多1540-1813大分1913-2105門司港
 門司港‥小倉803-1300南宮崎1320-1914博多…南福岡
 南福岡‥博多940-1208大分1313-1541博多1640-1908大分1935-2116小倉
 小倉‥門司港718-915大分1013-1242博多1740-2008大分‥下郡
 大分741-920小倉1108-1249大分1337-1520小倉1607-1748大分1816-1956小倉2207-2348大分

TcM'Mc×2

1989年から1992年にかけては485系「有明」のキハ183系1000番台オランダ村特急」との動力協調運転なども行いました。

1992年には787系が特急「つばめ」としてデビューし、熊本以南の運転がなくなりました。

1994年7月1日に向けてさらに鹿カコから転入があり、運転本数が増えています。
←西鹿児島、博多
ThscM'MTc×12 所要10(臨時+1)
にちりん(13)(臨時+3.5)
 下郡‥大分1813-2044博多2340…055門司港
 門司港512…631博多840-1110大分1213-1440博多1504-2107南宮崎‥都城
 都城‥西都城707…805宮崎‥南宮崎1220-1815博多1904-2144大分‥下郡
 下郡‥大分813-1045博多1140-1408大分1513-1741博多2004-2245大分‥下郡
 下郡‥大分635-905博多1040-1308大分1413-1641博多1740-2008大分‥下郡
 下郡‥大分913-1141博多1540-1813大分1913-2105門司港
 門司港‥小倉803-1300南宮崎1320-1914博多2300…014門司港‥小倉
 小倉640-1345西鹿児島1615-2318小倉‥門司港
 門司港735…853博多1004-1619南宮崎1639-2245博多‥南福岡
 南福岡‥博多940-1208大分1313-1541博多1640-1908大分‥下郡
 大分839-1025小倉1108-1305大分/大分1237-1419小倉1507-1705大分/大分1637-1827小倉/大分1137-1319小倉1705-1855大分

TcM'Mc×2
ThscM'Mc×1

同改正では、特急「有明」の783系統一で、鹿児島本線鳥栖以南の運転が終了しました。

1995年4月20日の改正では、運転本数が若干減少し、

←南宮崎、博多
ThscM'MTc×10 所要8
にちりん(11.5)
 下郡‥大分1756-2022博多2104-2342大分‥下郡
 下郡‥大分750-1019博多1058-1324大分1356-1622博多1758-2024大分2051-2325博多‥南福岡
 南福岡‥博多700-1306南宮崎1359-1955博多2340…055門司港
 門司港640-754博多858-1124大分1156-1422博多1523-2115南宮崎
 南宮崎600-1156博多1558-1824大分1856-2121博多‥南福岡
 南福岡‥博多923-1527南宮崎1559-2155博多2310…021門司港
 門司港‥小倉612…725/門司港735…851博多1023-1628南宮崎1820-2318小倉
 小倉640-1141南宮崎1259-1856博多1958-2233大分‥下郡

TcM'Mc×1

1997年3月22日の改正では特急「ソニック」の担当も加わり、

←宮崎空港、博多
ThscM'MTc×6 所要5
にちりん(4)、ソニック(1)
 竹下‥博多636-915大分2045-2325博多‥竹下
 竹下‥博多700-1318宮崎空港1354-1954博多2340…055門司港
 門司港‥小倉612…724博多/門司港735…851博多1024-1632宮崎空港1813-2318小倉
 小倉640-1151宮崎空港1254-1857博多‥南福岡
 南福岡‥博多924-1531宮崎空港1554-2155博多‥竹下

TcM'MTc×2 所要臨時2
にちりん(臨時1)
 小倉1524-1704大分
 小倉1724-1904大分

M'M×2

特急「ソニック」投入は、大分区への出入区の営業運転だったとのことです。

485_481201_030712
クロハ481-201を先頭にした5連のRED EXPRESS 2003/7/12 門司

485_4853_030712
同編成の逆エンドはクモハ485-3 

2000年3月11日の改正からは、配置はあるものの定期運用はなくなり、2005年10月1日の改正まで臨時運用のみの状況が続き、2006年3月18日の改正から、再び定期運用が復活します。2000年3月11日の改正で「にちりん」から系統分離されていた特急「ひゅうが」の担当が大分区になりました。

TcM'Mc×7 所要6(臨時+1)
きりしま(2)、ひゅうが(1)、にちりん(7)(臨時+2.5)
 都城‥西都城657…803宮崎809-1119別府1158-1523宮崎空港1617-1946別府‥大分2247-2348中津
 中津647-753大分1332-1503小倉1519-別府1658-2027南宮崎‥宮崎空港2137…2254延岡‥南延岡
 別府850-1221宮崎空港1251-1617別府-1753小倉1850-2031大分(指定日G組込編成で運用)
 南延岡‥延岡716…842宮崎空港903…920宮崎934-1139鹿児島中央1214-1419宮崎1443…1453宮崎空港1527-1848別府2000-2322南宮崎
 南宮崎‥宮崎729-938鹿児島中央1052-1253宮崎‥宮崎空港1717-2100別府‥下郡
 下郡‥別府647-1031宮崎空港1925-2040延岡2129-2233南宮崎
 南宮崎605-919別府-1057小倉1114-1259大分1419-1557小倉1620-別府1759-2125南宮崎‥宮崎2147…2238都城
 大分1117-1255小倉1317-1502大分

ThscM'MM'Mc×1 所要臨時1
にちりん(臨時+0.5)
 別府850-1221宮崎空港1251-1617別府-1753小倉1850-2031大分

M'M×4

485_do31_100830
波動用 Do31 編成 2010/8/30 竹下

Do31編成の組成

Mc485-4 + M'484-205 + M485-175 + M'484-277 + Thsc481-201

この状態が、2011年3月12日の改正前まで続き、同改正では配置のみの状態となりました。

今回の記事の作成にあたり、いつものように485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 一覧 と Wikipediaの記事を参考にさせて戴きました。

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2014年3月 8日 (土)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 10 401系 (423F~437F)

西武鉄道のブレーキHSC化、冷房改造シリーズ、今回は1980年8月から1981年2月にかけて登場した401系の最終グループです。

401_iii101810829

冷改車と併結可能に改造された新101系との6連 1981/8/29 新大久保

1461-422    423F    1980年8月13日
423-1464  425F  1980年9月9日
425-1466  429F  1980年10月11日
1465-426  431F    1980年11月4日
427-1468  433F   1980年12月3日
1467-428  435F   1980年12月29日
429-1470  437F  1981年2月2日

前年の同時期に続いての改造出場で、411系一族はすべて改造されたことになります。このグループのなかで423Fを除いた6編成はもともと411系のなかでも張り上げ屋根風スタイルの車体でしたので、401系化された後でもそのスタイルの特徴が維持されていました。

401_iii_820829

2連x3の編成で回送される401系 1982/8/29 武蔵関

もっとも、この特徴的な外観の一族の中で、427Fだけは先に改造されていたため、同じ張り上げ風屋根でもドアのガラス抑えがゴムだったので、写真で見て区別がつきました。その427Fの写真も載せます。

401_iii_80812

西武多摩湖線、国分寺~萩山間で活躍中の427F 1980/8/12 萩山
撮影時期からこの編成が427Fであるとわかりました。

401_ii_800601

珍しく偶数エンドが外側に出た編成の準急西武新宿行き 1980/6/1 武蔵関~東伏見 

401_ii_800601_2

こちらは上の編成の折り返し? 急行本川越行き 1980/6/1 武蔵関~東伏見

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2014年3月 7日 (金)

西ベルリンの思い出 Air France Boeing 727

今から四半世紀以上前の東西ドイツの時代、公式には西側戦勝国(アメリカ、イギリス、フランス)の占領地であった西ベルリンのテーゲル空港で写した写真を紹介しているシリーズ、今回からはフランス国籍の旅客機です。そしてまずはAir Franceから参ります。

Fbpjt_boeing_727228_cn_20540874_890

F-BPJT Boeing 727-228  (cn 20540 ln 874) 1989/5/7 TXL

機内から撮影したため、全体が写っていませんが、当時はかなり珍しかったテーゲル空港でのAFのBoeing 727でした。

前回までのEuroberlin Franceで出てきたように当時、フランスの国営航空であったAir Franceはヨーロッパ域内では確固たる地位を築いていましたが、ことテーゲル空港に関係した路線では実績的にパンナムBAの後塵を拝していました。

Fgojf_b727200_860615_cdg2

F-BOJF cn 19682 ln 685 Boeing 727-228  1986/6/15 CDG

この写真は1986年6月に新婚旅行でヨーロッパに行った際に、パリ~ウィーン間で搭乗した機体です。 

今回の記事ではAir Franceの歴史について触れようと思います。

Air Franceの設立は1933年10月7日のことで、
Air Orient,
Air Union,
Compagnie Générale Aéropostale, Compagnie Internationale de Navigation Aérienne (CIDNA)
Société Générale des Transports Aériens (SGTA)

の4社が合併してことでした。SGTA1919年にフランス最初の民間航空としてLignes Aériennes Farmanと言う会社名で創業していました。

これらの会社はヨーロッパ域内、あるいは北アフリカなどの植民地との間を結ぶ路線も確立していました。第二次世界大戦でナチスに占領されていた間は拠点をモロッコのカサブランカに移して活動していました。バーグマンとボガードの映画「カサブランカ」でも空港のシーンが出てきますが、まさにあの頃ですね。

1945年6月26日全てのフランスの航空輸送会社は国営化され、同年12月29日、フランス政府はAir Franceに航空輸送ネットワークを営業する認可を出し、1946年には最初のフライトアテンダントを雇用、パリのアン・バリッドにエアターミナルを設置し、ル・ブルージュ空港とリンクしました。その時点でネットワークは160,000kmにおよび世界最長でした。1946年1月1日Société Nationale Air Franceが設立されました。

ヨーロッパ域内路線はDouglas DC-3 一機で開始され、1946年7月1日からはパリ~ニューヨーク線がShannon と Ganderに給油寄航してDouglas DC-4で開始され、運航時間は20時間を切りました。

1947年9月には路線はFort de France やブエノスアイレス、上海まで拡張されました。.1948年にはフリート数が130機を超え、世界最大のフリート数となり、1947年から1965年にかけてはLockheed Constellationsを旅客、貨物用で運航しています。

フランス政府はAir France以外に1946年と1948年に2つの民間航空会社の設立を許可しています。それぞれはTransports Aériens Internationaux(TAI) – 後に Transports Aériens Intercontinentaux(SATI) とUnion Aéromaritime de Transport (UAT)と名乗りました。

1948年6月16日にはCompagnie Nationale Air Franceが法的に規定され、当初は政府が70%の株式を保有しましたが、後年100%になりました。2002年中ごろには54%になりました。1948年8月4日、Max Hymansが初代総裁に就任し、彼の13年の在任期間中、機材の近代化が進められ、1949年にはSociété Internationale de Télécommunications Aéronautiques (SITA)として、国際電信と航空を受け持つ会社となりました。

1952年には新設のパリオルリー空港の南ターミナルに拠点を移し、ネットワークの総延長は250,000kmになりました。1953年de Havilland Comet series 1を導入し、ジェット時代に突入し、1950年代中期、ヨーロッパ域内路線はターボプロップ機のVickers Viscount 12機を運航しました。

1953年政府は長距離国際線をAir Franceの独占から民間航空会社にも受け持たせるようにし、 Aigle Azur、TAI 、 UATがアフリカ、アジア線に進出するようになりました。さらに1960年2月23日には国内線はAir Interが担当するようになり、Air FranceがAir Interの株を所有することで国内線を失った補償としました。さらにアフリカ線もAir Afrique とUTAが参入することとなりました。

1960年にはSud Aviation CaravelleBoeing 707の運航が開始され、飛行時間が短縮され、旅行がより快適になりました。後にBoeing 747も導入され、一時は世界最大のBoeing 747オペレーターとなります。因みに、私の父が最初の海外出張で利用した航空会社がAir Franceで羽田からアンカレジ経由のパリ行きBoeing 707-328Cで私が、最初に海外旅行で利用したのもAir Franceで成田からアンカレジ経由のパリ行きでBoeing 747-228B Combiでした。

1963年、政府はAir Franceと国内民間航空会社の路線仕分けを行い、
セネガル除く西アフリカ、ブルンジ、ルワンダ以外の中央アフリカ、南アフリカ(南アフリカ共和国を含む)、リビア、中東(オマーン、バーレーン)、スリランカ、インドネシア、マレーシア、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランド、ニューカレドニア、タヒチ路線からは撤退し、これらの路線はUTAとTAIとUATの合併で作られた新会社が担当することになりました。さらに日本とニューカレドニアとニュージーランドを結ぶ路線、南アフリカとインド洋のレユニオン諸島を結ぶ路線、ロサンゼルスとタヒチを結ぶ路線もUTAが運航する権利を得ました。

1974年Air Franceはパリの拠点をオルリー空港からシャルルドゴール空港(CDG)に移し、コルシカ島、マルチニーク、グアデロープ、仏領ギアナ、レユニオン諸島、マグレブ地域、ソ連を除く東欧、ギリシャとイタリアを除く南欧、ニューヨークJFKへの毎日1便を残して、大半のサービスをCDGに移しました。
さらにこの年はAir Franceがローンチカスタマーでエアバス社として最初の旅客機であるAirbus A300の運航を世界で初めて開始しました。

今回はここまでで、次回はコンコルドの運航、その後の発展の歴史について触れます。

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2014年3月 6日 (木)

通勤電車シリーズ 101系 その4 武蔵野線用1000番台

通勤電車101系のシリーズ、今回は1973年4月1日の武蔵野線開業用に登場した1000番台改造車について触れようと思います。

101_760201
武蔵野線に投入された101系1000番台 1976/2/1 西国分寺
クモハ100の標識灯から初期型であることがわかります。

武蔵野線には西国分寺~新小平、新小平~新秋津間に長大トンネルが存在するためA基準に準拠させる改造が初期車に対して施されました。

1973年の開業時に6両編成11本、1978年10月2日の新松戸~西船橋間延伸開業時に同じく6両編成4本が改造されています。

101_2

編成は両端McM' M'M'cでクハは改造されませんでした。

←西船橋
  McM'TTMM'c  で電動車と付随車の比率は4:2(4M2T)でした。

自動列車停止装置(ATS)は同線用のS形(当時の列車区間用)と当時の電車区間用のB形が併設されました。これに加えて同線用の列車無線を搭載したため、運転席後部の中央窓をふさいでいたのが特徴でした。なお、改造から同線転用まで時間のあった車両は転用時まで中央線快速や中央・総武緩行線にも使用されました。

1011000

表1 1000番台改造の番号対応表 第1次と第2次それぞれ種車の番号順に1000番台の番号が振られています。

改造(転用)後は全車が豊田電車区(現・豊田車両センター)配置(東所沢電車区常駐)で、武蔵野線で運用されていましたが、1986年3月3日のダイヤ改正で豊田区の青梅線・五日市線用の103系5連が6連に増強されてから共通運用となり、103系や201系とともに両線の6連運用にも充当されました。

101

西船橋で折り返す1000番台車 

開業時の武蔵野線は40分間隔といった運行で、一旦電車を降りると次の電車が来るまでかなり待たなければならず乗り鉄趣味にとっては恐怖の路線でした。

また南武線や仙石線に貸し出されたことや、大宮支線経由の府中本町 - 大宮間臨時列車に充当されたこともありました。しかし、種車が経年の高い初期車が中心であったこと、また武蔵野線への103系投入に伴い、1987年までに基本番台よりも先に全車が営業運転を終了しました。これにより首都圏からオレンジ色(朱色1号)塗装の101系が消滅しました。その後国鉄分割民営化時にクモハ101-1006クモハ100-1003の2両は保留車としてJRに継承されましたが、翌1988年3月までに廃車となりました。また、サハ101-1007はすべり粘着試験台車TR910形を装着し試験用に用いられたほか、秩父鉄道へ譲渡された車両もあります。

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2014年3月 5日 (水)

公園保存蒸気 C58 275 笠間市市民体育館

全国の公園等に静態保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は笠間市市民体育館に保存されているC58 275号機です。

C58_275_131223_3

屋根付きで綺麗に保存されているC58 275号機 2013/12/23 笠間市市民体育館

笠間駅から歩いて15分程の場所にあり、地図はこちらです。

C58は秩父鉄道の363号機、最近復元された釜石の239号機と動態保存機は2機あり、全国的に保存機はかなりありますが、関東地方では以前、ご紹介した大塚台公園の407号機、まだ訪れていない羽村市立動物公園の395号機、近日中に紹介予定の千葉旭中央公園の217号機とそれほど機数は多くありません。

C58_275_131223_4

ライト周り、連結器、ブレーキ管などが白く塗られています。

C58_275_131223_5

非公式側 デフレクターは点検窓のあるタイプです。

C58_275_131223_9

プレートは前後正面、サイドともに赤プレートで、キャブの中には立ち入れませんでした。

C58_275_131223_10

C58独特のプレーリー1C1軸配置 モーションプレートはD52などに較べると小型です。

C58_275_131223_24

この6連のバルブは油圧系のバルブでしょうか?教科書にも出ていないものでご存知の方いらっしゃれば、コメント頂けると幸甚です。

C58_275_131223_28

テンダーのライトはシールドビームタイプで、引っ掛け式の標識灯がひとつ装備されています。

沖田祐作氏の機関車表によるこの機関車の履歴です。

C58275     汽車製造大阪工場=2060           1941-03-20 S58.70t1C1T(1067)
   車歴;1941-03-20 製造→ 納入;国鉄;C58275→1941-03-20 竣工→1945-08-00 現在;宮古→
      1955-08-01 現在;新庄→1956-04-01 現在;黒沢尻→1964-04-01 現在;新庄→
      土崎工場全検→1974-04-24 鹿児島→ 志布志→1975-01-20 休車→
      1975-03-31 廃車[工車1609];志布志→
      1975-04-25 貸与[工車10-2]保存;茨城県笠間市「石川児童公園」;C58275

1941年汽車会社の製造で、東北地区で活躍した後、晩年は鹿児島の志布志線で活躍しています。
1975年1月19日、志布志線の「SLさよなら列車」は本機と宮崎県小林市で保存されている277号機との重連で牽引したそうです。

個体としては水戸線とは縁はなかったようですが、

C58_275_131223

水戸線で最後に活躍した蒸気機関車の形式がC58であったことからこの機が選ばれたそうです。

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2014年3月 4日 (火)

EF510-500番台 507号機

EF510 500番台シリーズ、今回は507号機です。

川崎重工からの出場、甲種回送2010年6月9日~10日で、吹田信号所からの牽引機はEF65 1057号機でした。

今回も507号機がJR東日本の所属機として、寝台特急や貨物列車の先頭に立つ姿を集めてみました。

Ef510507_110703_2
さいたま新都心を通過する8010列車 特急「カシオペア」  2011/7/3

Ef510507_120415

久喜を通過する2列車 特急「北斗星」 2012/4/15

Ef510507_120616

大宮を通過する安中貨物 5781列車 2012/6/16

Ef510507_110109_2

武蔵野線江戸川橋梁を渡る75列車 2011/1/9 三郷

Ef510507_110109_3  

友部駅の中線に進入する1657列車 2011/1/9

Ef510507_120325

府中本町を通過する2095列車 2012/3/25

以上です。

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2014年3月 3日 (月)

九州に渡った485系 南福岡電車区 その1

九州で活躍した485系特急電車、今回からは南福岡電車区(門ミフ)です。

485200_791218_2
かつて自動解結装置を試験したクハ481-200番台を最後尾にした特急「にちりん」 1979/12/18 博多

門ミフの485系配置は、鹿カコと同じく1975年3月10日の新幹線博多開業によるダイヤ改正で山陽特急の全廃に伴う大ムコの485系の大量移動で始まりました。同区には1967年10月以来、581/3系が配置されていましたが、同改正で大ムコに転出しました。

鹿カコに481系や485系初期車が移動したのに対して、門ミフにはクハの200番台をメインに中期の車輌が転属しました。

クハ481 225, 226, 231, 232, 233, 234, 239, 240, 241, 242, 243, 244, 245, 246, 247, 248, 251, 252 (18両)

モハ485 150,151,152,153,154, 155, 156, 157, 158, 159, 163, 164, 165, 166, 167, 168, 169, 170, 171, 172, 173, 174, 175, 176, 177, 178, 179, 180, 181, 182
(30両)

モハ484 252, 253, 254, 255, 256, 257, 258, 259, 260, 261, 265, 266, 267, 268, 269, 270, 271, 272, 273, 274, 275, 276, 277, 278, 279, 280, 281, 282, 283, 284
(30両)

サロ481  76, 77, 78, 79, 80,  81, 82, 83, 87, 88,  89, 90, 91, 92, 93,  94, 95, 96, 97, 98 (20両)

サシ481 57, 58, 59, 61, 62, 63 (6両)

鹿カコの場合は大ムコ時代の11両編成がそのままのスタイルで14編成転属したのに対して、こちらは6編成と予備車という内容になりました。予備車が多かったのは長崎・佐世保線の電化開業が控えていたからだと思われます。

改正後は

←宮崎
TcM'MTsTsTdM'MM'MTc×6 所要4
にちりん(3)
 休
 南福岡‥博多7391414宮崎14472028小倉‥門司港
 門司港‥小倉7421320宮崎14072038博多‥南福岡
 南福岡‥博多11421824宮崎‥南宮崎
 南宮崎‥宮崎11031738博多‥南福岡

M'M×12 Tc×6 Ts×8

大ムコ時代とおなじ11両編成で特急「にちりん」を担当しました。

1975年3月から6月末にかけて、

1) 新製配置として モハ485/484ユニット 
229/326, 230/327, 231/328, 240/337, 241/338, 242/339, 243/340, 244/341, 245/342 の9ユニットが配置されました。

2) 盛アオからの転入
  サロ481-98

3) 仙センからの転入
  クロ481-1, 2, 51, 52, 53, 54, 55, 56, 57
  サハ481-3, 4, 5, 6, 7, 8, 9, 10, 11
4)  仙センへの転出
  サロ481-92, 93, 94, 95, 96, 97

サハ481は元々、大ムコの編成には無く、「ひばり」「やまびこ」の12両化で1970年から1972年にかけて仙センに1-14 新製配置されたものですが、1,21972年サハ489に改造されていました。今回の移動で仙センに残った12-14は1978年サハ481-100番台と交換で大ムコに転出後、1984-1985年クハ480に改造されました。

1975年8月7日からはサシ481が編成から抜かれています。

1975年10月の改正で奥羽南線の電化が完成し、特急「つばさ」がキハ181系から485系化されるにあたり、本来は485系1000番台が投入される予定でしたが,落成が1976年春となったため,急遽門ミフの予備車が転属することとなり、

モハ485 171,172,173, 174, 175, 176,177,178,179,180,181,182, 229, 230, 231,
240, 241, 242, 243, 244, 245

モハ484 273,274,275,276,277, 278,279, 280, 281, 282, 283, 284, 326, 327,328, 337, 338, 339, 340, 341, 342

クハ481 245, 251

サシ481 57, 58, 59, 61, 62, 63

が秋アキに転属となりました。

1976年3月にはサハ481-114, 115, 116, 117, 118新製配置され、さらに秋アキに485系1000番台が投入され始めたことで、同年4月から5月末にかけて長崎・佐世保電化に向けて200番台をメインとするメンバーが転入してきました。これらの中には秋アキからだけでなく、盛アオ、仙センからの転入車もありました。このときのメンバーに201からの盛アオ配属だった自動解結試験車グループも含まれていました。

485_481225_850419

クハ481-225を先頭にした特急「かもめ」 1985/4/19 博多

485_481328_850419

上の編成の反対側はクハ481-328でした。 1985/4/19 博多

1976年7月1日の改正では長崎・佐世保電化が開業となり、1975年3月の改正で消えていた特急「かもめ」「みどり」の愛称が復活しました。

←宮崎、長崎、早岐
TcM'MTTsTsM'MM'MTc×6 所要4 にちりん(3)

 1975.3~と同じ

TcM'MTsTM'MTc×7 所要5 かもめ(7)
 休
 南福岡・・博多1325-1549長崎1915-2144博多‥南福岡
 南福岡‥博多1025-1250長崎1326-1654小倉1921-2254長崎
 長崎927-1300小倉1611-1956長崎
 長崎734-959博多1125-1350長崎1427-1659博多1922-2153長崎
 長崎622-956小倉1125-1458長崎1635-1859博多‥南福岡

TcM'MTsc×7 所要5 みどり(6)、かもめ(併結1)
 休
 南福岡‥博多1325-1525佐世保1945-2144博多‥南福岡
 南福岡‥博多1025-1234佐世保1355-1654小倉1921-2230佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保956-1300小倉1611-1821肥前山口
 肥前山口905-959博多1125-1325佐世保1454-1659博多1922-2127佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保650-956小倉1125-1430佐世保1656-1859博多‥南福岡

Tc×1 T×1 Ts×1 Tsc×2

「にちりん」は食堂車無しの11両編成、「かもめ」は8両編成、「みどり」は4両編成となりました。

1978年6月から7月にはサロ481に動きがみられ、

サロ481-90, 98がそれぞれ サロ183-1051, -1052に改造され、新潟に転出し、特急「とき」で活躍しました。

また-115, 116, 122, 123, 127, 128サロ481-1051, -1052, -1053, -1054. -1055, -1056に改造され、秋アキに転出し、特急「つばさ」「やまばと」「いなほ」で活躍しました。

これらの改造は予算が許せば新造するべき車両でしたが、当時の国鉄の財政事情からは、極力あるものを有効に使おうと言うことで、車令の若い車両を使い回したことがよく分かります。

改造による転出を補完するためか、鹿カコからサロ481-4~11と大ムコからサハ481-112,113が転入しています。

1978年10月2日の改正では特急「にちりん」に充当される編成のサロ、サハの順序が変わっています。

←宮崎、長崎、早岐
TcM'MTsTsTM'MM'MTc×6 所要4 にちりん(3)
 休
 南福岡‥博多739-1415宮崎1447-2028小倉‥門司港
 門司港‥小倉742-1321宮崎1408-2039博多‥南福岡
 南福岡‥博多1142-1824宮崎‥南宮崎
 南宮崎‥宮崎1100-1739博多‥南福岡

TcM'MTsTM'MTc×7 所要5 かもめ(7)
 休
 南福岡‥博多1325-1548長崎1915-2144博多‥南福岡
 南福岡‥博多1027-1252長崎1330-1654小倉1921-2248長崎
 長崎928-1300小倉1611-1957長崎
 長崎734-959博多1125-1349長崎1427-1659博多1922-2154長崎
 長崎621-956小倉1125-1458長崎1631-1900博多‥南福岡

TcM'MTsc×7 所要5 みどり(7)
 休
 南福岡‥博多1325-1525佐世保1945-2144博多‥南福岡
 南福岡‥博多1027-1234佐世保1358-1654小倉1921-2226佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保955-1300小倉1611-1821肥前山口
 肥前山口905-959博多1125-1326佐世保1453-1659博多1922-2126佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保651-956小倉1125-1432佐世保1655-1900博多‥南福岡

Tc×1 T×2 Ts×1 Tsc×2

485_481300_850420

鳥栖に接近する「かもめ・みどり」併結の12両編成 1985/4/20

1980年10月1日の改正前には、仙セン、盛アオ、鹿カコからモハユニット、クハが大量に転入し、「にちりん」充当編成からサロ、サハが一両ずつ抜かれましたが、編成数は増加しました。

Table_1_198010_tenzoku_list_2 表1 1980年10月改正前に門ミフに転属した485系の各形式と番号

TcM'MTsM'MM'MTc×10 所要8
にちりん(10.5)
 休
 南福岡‥博多709-1021大分1040-1244小倉1335-1908宮崎‥南宮崎
 南宮崎‥宮崎804-1344小倉1435-2225西鹿児島
 西鹿児島1154-1944小倉2035-2239大分‥下郡
 下郡‥別府745-1323西鹿児島1420-2252博多‥南福岡
 南福岡‥博多1032-1332大分1416-1617小倉1735-2308宮崎‥南宮崎
 南宮崎‥宮崎619-1144小倉1235-1434大分1537-1744小倉1835-2045大分‥下郡
 下郡‥大分643-844小倉1200-1945西鹿児島
 西鹿児島700-1444小倉1535-1735大分1815-2117博多‥南福岡

1981年6月7日には「2021M かもめ・みどり11号」として走行中の編成が長崎本線久保田~牛津間の柳掘橋梁付近の左側半径800mのカーブで左側レールが2箇所、横に波打っているのを発見し、非常ブレーキを使用し約340メートル走行して停車したものの、後ろ寄りの7~12号車(かもめ後ろ2両とみどり全車両)が進行方向右側に脱線し、後ろ2両が上り線を支障する事故となりました。43度の高温で枕木とレールの締結部分が緩み暑さでレールが伸びたのが原因とされており、この事故でクロ481-53、モハ484-221、モハ485-117の3両が廃車となりました。国鉄時代、唯一の485系の廃車事故でした。

485_481_850420_850420

髭無しのクロを最後尾にした特急「みどり」 1985/4/20 鳥栖

1982年11月15日の東北新幹線の本格開業によるダイヤ改正で東北地区の485系に大量の余剰車両が発生することから、モハユニット、クロ、クハ、サロが盛アオ、仙センから転入してきました。このとき、クハ481-300番台車(309, 312, 354) もはじめて門ミフのメンバーとなりました。

Table_2_198210_tenzoku_list 表2 1982年の東北新幹線本格開業関連で九州に移動した485系各形式と番号

485_481200_850419_2

クハ481 200番台を最後尾にした特急「にちろん」 1985/4/19 小倉

これにより、従来、特急「にちりん」のみを担当していた編成は「有明」も担当するようになり、編成も7両に短縮されました。

←西鹿児島、長崎、早岐
TcM'MTsM'MTc×16 所要14 にちりん(14.5)、有明(9)(臨時+1)
 休
 南福岡‥博多712-1018大分1044-1241小倉1335-2127西鹿児島
 西鹿児島1208-1944小倉2035-2237大分‥下郡
 下郡‥別府757-1340西鹿児島1420-2252博多‥南福岡
 南福岡‥博多1029-1912西鹿児島
 西鹿児島658-1448小倉1535-2109宮崎‥南宮崎
 南宮崎‥宮崎804-1344小倉1635-1844大分1921-2117小倉2147-2350大分‥下郡
 下郡‥大分744-1050博多1521-1704熊本1726-1913博多2005-2150熊本‥川尻
 川尻‥熊本1039-1230博多1315-1459熊本1525-1715博多1858-2038熊本‥川尻
 川尻‥熊本628-816博多905-1046熊本1129-1313博多1406-1548熊本1656-1844博多1920-2103熊本‥川尻
 川尻‥熊本737-916博多1105-1247熊本1327-1514博多1605-1753熊本1822-2009博多2100-2255熊本‥川尻
 川尻‥熊本827-1015博多1824-2137大分‥下郡
 下郡‥大分658-846小倉1157-1358大分1419-1618小倉1735-2308宮崎‥南宮崎
 南宮崎‥宮崎619-1133小倉1235-1431大分1548-1745小倉1842-2034大分‥下郡
 下郡‥大分809-1007小倉1038-1235大分1340-1544小倉1607-1812大分1839-2140博多‥南福岡

TcM'MTsTM'MTc×9 所要7 かもめ(13)
 休
 南福岡‥博多1001-1237長崎1344-1622博多1655-1950長崎
 長崎748-1021博多1056-1325長崎1448-1720博多1755-2033長崎
 長崎844-1125博多1158-1427長崎1525-1754博多1911-2134長崎
 長崎650-924博多1258-1530長崎1639-1921博多1956-2228長崎
 長崎922-1210博多1455-1729長崎1900-2146博多‥南福岡
 南福岡‥博多743-1021長崎1252-1521博多1558-1832長崎1957-2230博多‥南福岡
 南福岡‥博多700-942長崎1042-1322博多1358-1648長崎1757-2022博多‥南福岡

TcM'MTsc×9 所要7 みどり(13)
 休
 南福岡‥博多1001-1226佐世保1407-1622博多1655-1912佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保815-1021博多1056-1311佐世保1513-1720博多1755-2013佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保913-1125博多1158-1405佐世保1543-1754博多1911-2116佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保714-924博多1258-1506佐世保1715-1921博多1956-2206佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保1001-1210博多1455-1705佐世保1926-2146博多‥南福岡
 南福岡‥博多743-953佐世保1316-1521博多1558-1814佐世保2020-2230博多‥南福岡
 南福岡‥博多700-922佐世保1116-1322博多1358-1608佐世保1820-2022博多‥南福岡

TcM'MTc×1

M'M×6 T×2 Ts×5 Tsc×2

この時期、仙センからの483系のクハとして製造された車輌と鹿カコから転属車輌が共存し、これまで無かった481系メンバーと483系メンバーの共存が成立しました。

1984年2月1日の改正を前に、鹿カコ、仙セン、大ムコと若干の車輌のやりとりがありましたが、改造で注目したいのはサハ489-251からサハ481-201への改造でした。

この改造は 前述のように1972年の489系の増備の際に489系の製造費を抑えるため、サハ481-1,2に横軽協調装置を装着して、サハ489-51,52としたのが最初で、さらにこの2両は1973年EF63形との協調運転時にパンクさせる空気バネ台車への空気再供給を短時間で行う改善目的からCPを取り付けて-251,252に改番されていたものです。今回の復元改造では元番号には戻らず、201番という新たな区分が割り当てられました。

1984年2月1日の改正では前改正で受け持った「有明」の運用はなくなり、「にちりん」に一本化されました。

←西鹿児島、長崎、早岐
TcM'MTsM'MTc×14 所要11(臨時+1)

にちりん(15.5)(臨時+2)
 休
 南福岡‥博多712-1018大分1045-1241小倉1335-2129西鹿児島
 西鹿児島1124-2010博多‥南福岡
 南福岡‥博多823-1708西鹿児島
 西鹿児島658-1447小倉1535-2109宮崎‥南宮崎
 南宮崎‥宮崎1109-1746博多1824-2138大分‥下郡
 下郡‥別府800-1339西鹿児島1552-2326小倉‥門司港
 門司港‥小倉735-1303宮崎1516-2044小倉2147-2340大分‥下郡
 下郡‥大分745-1050博多1321-1626大分1745-1944小倉2035-2237大分‥下郡
 下郡‥大分700-846小倉1110-1305大分1420-1617小倉1735-2308宮崎‥南宮崎
 南宮崎‥宮崎620-1133小倉1235-1433大分1455-1700小倉1738-1959大分
大分949-1149小倉1324-1518大分1545-1745小倉1843-2035大分‥下郡
 下郡‥大分810-1007小倉1038-1235大分1345-1544小倉1635-1837大分1945-2249博多‥南福岡
TcM'MTsTM'MTc×9 所要7(臨時+1)
かもめ(13)(臨時+1)
 休
 南福岡‥博多1001-1238長崎1347-1622博多1655-1950長崎
 長崎747-1021博多1056-1325長崎1448-1721博多1755-2033長崎
 長崎850-1125博多1158-1431長崎1525-1754博多1900-2135長崎
 長崎705-927博多1258-1518長崎1636-1922博多1956-2218長崎
 長崎932-1213博多1455-1725長崎1900-2146博多‥南福岡
 南福岡‥博多743-1020長崎1249-1521博多1601-1832長崎2002-2231博多‥南福岡
 南福岡‥博多700-940長崎1039-1322博多1357-1642長崎1757-2022博多‥南福岡
長崎1153-1423博多/博多1318-1606長崎

TcM'MTsc×9 所要7

みどり(13)
 休
 南福岡‥博多1001-1220佐世保1411-1622博多1655-1910佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保815-1021博多1056-1306佐世保1511-1721博多1755-2006佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保917-1125博多1158-1405佐世保1547-1754博多1900-2111佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保731-927博多1258-1455佐世保1715-1922博多1956-2158佐世保‥早岐
 早岐‥佐世保1001-1213博多1455-1659佐世保1943-2146博多‥南福岡
 南福岡‥博多743-952佐世保1316-1521博多1601-1815佐世保2029-2231博多‥南福岡
 南福岡‥博多700-915佐世保1116-1322博多1357-1603佐世保1822-2022博多‥南福岡
TcM'MTc×1 所要臨時1
かもめ(臨時1)、みどり(臨時2)

 長崎600-826博多955-1214佐世保1235-1438博多/博多1418-1626佐世保1700-1903博多2100-2312長崎

M'M×4 Tc×2 T×1 Ts×3 Tsc×1

1985年3月14日の改正ては鹿カコに記事で記述したようにクロ~クモハ編成が登場しますが、クロ480-3~13の種車は門ミフの所属であったため、それらを補完するために鹿カコからサロが転入し、さらに仙セン、盛アオから300番台クハが転入し、逆に200番台クハは日根野に転出し、485系「くろしお」用になります。

今回の記事の作成にあたり、データは485系の動き 配置および編成・運用の移り変わり 南福岡のサイトのものを参考にさせて頂きました。

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2014年3月 2日 (日)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 9 701系 (757F-763F)

西武鉄道のブレーキHSC化/冷房改造、今回は再び701系に戻り、1980年度初頭から登場した編成です。757Fから763Fまでの編成で今回は番号順に出場しています。

701_1757f_8005
出場してまだ日が浅い757F 1980/5 所沢

1980年3月のダイヤ改正で701系801系401系の冷房改造車は新宿線に集結しましたが、出場直後のこの編成は池袋線運用です。

757編成 1980年4月4日
759編成 1980年5月9日
761編成 1980年6月6日
763編成 1980年7月8日

701_810805

改良間もない東伏見駅を通過する701系冷房改造車 1981/8

私は当時、大学院の修士課程を終えて、博士課程に進んでおりました。保谷から毎日、池袋線で通っておりましたので、これらの編成の登場は比較的早く察知できたのかと思います。また外観を見るだけでなく、実際に乗っていましたので内装の変化も感じることができました。

701_820829

小平を出発する準急西武新宿行き 1982/8/29

Wikipediaにあるように1980年4月に竣功した757編成より、車内座席袖仕切りが2000系電車と同形状の荷棚一体形状タイプに改良され、客用扉の窓固定支持方式がHゴム式から新101系同様の金属枠式に改められた。
といった改良がなされたものでした。

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2014年3月 1日 (土)

西ベルリンの思い出 Euroberlin France その2

西ベルリンのテーゲル空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回はEuroberlin Franceの2回目です。

Gmonm_cn_24256_1629_boeing_7373y0_e
G-MONM cn 24256 ln 1629 Boeing 737-3Y0 1989/4/ 8 TXL

前回の記事で機材、要員、メンテナンスはイギリスのルートンをベースとするモナーク航空からそっくりウエットリースしたと記述しましたが、今回は機材について触れようと思います。
1988年11月の運航開始時点でリースした機体は4機のBoeing 737-300型
G-MONH   cn 23685 ln 1357 -3Y0
G-MONL   cn 24255 ln 1625 -3Y0
G-MONM  cn 24256 ln 1629 -3Y0
G-MONN  cn  24029 ln 1601 -33A
でした。
カスタマーコードからY0は Guinness Peat Aviation というリース会社が発注したもので、3Aはオーストラリアのアンセット航空の下部組織だったリース会社Ansett Worldwide Aviationが発注した機体であることがわかります。
路線はテーゲル空港からケルン/ボン、フランクフルト、ミュンヒェン、シュトゥットガルトでした。私も冬のクリスマス休暇にウィーン/ザルツブルグを訪問した際に、ミュンヒェン~ベルリン間、搭乗しました。
1989年の夏スケジュールからはさらに1機がFleetに加わり、デュッセルドルフとハンブルグにも路線を開設しました。さらに週末のチャーターフライトにも参入を始めました。
1990年には7機体制になります。この時点でDan Air Serviceを抜いて西ベルリン三位のオペレーターに成長しました。
1990年から1991年の冬スケジュールではさらに3機が加わり、最終的に10機体制となりました。このうちの2機はかつてAeromaritimeで運航していた機体でした。
G-DHSW cn 23495 ln 1206 -3Y0
G-MONF cn 23497 ln 1227 -3Y0
G-MONG cn 23498 ln 1233 -3Y0
G-MONU cn 24025 ln 1556 -33A
G-MONT cn 24026 ln 1595 -33A
G-MONP cn 24028 ln 1599 -33A
データはPlanespotters.netのフリートリストを参考にしていますが、Deliveryの日付から1989年に追加されたのがどの機体なのかは不明です。
1990年10月3日の東西ドイツ統一により、まずはAir FanceとLufthansaの出資額が50%ずつとなり、胴体の塗装からFranceの文字が消えました。
出資元のLufthansa航空としてはもはやEuroberlin FranceとしてBerlin路線を飛ばす必要がなくなり、Lufthansaの機体がテーゲル空港に乗り入れるようになり、Euroberlinは自然消滅しました。
Gmonn_cn_24029_1601_boeing_73733a_8
G-MONN cn 24029 ln 1601 Boeing 737-33A 1989/9/17 TXL
因みに Euroberlin Franceの IATA Codeは EE
                   callsign はEurober でした。

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