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2014年4月 4日 (金)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 14 805F~809F

西武鉄道のHSCブレーキ化・冷房改造シリーズ、今回は801系の残り3編成で、1983年1月から3月にかけて、シリーズの最後に登場したグループとなります。

805F  1983年1月18日
807F 1983年2月17日
809F 1983年3月18日

思い返せばこの頃、私は大学院の博士課程3年で、博士論文を提出から、審査、終了、さらに就職のために南大泉の実家からつくばに引っ越しという時期でした。27年間の東京都民から、茨城県民になった頃でもありました。

巷では理研のSTAP細胞事件に関連して、論文作成におけるデータ捏造が話題になっております。4月1日には理研の内部調査の最終報告が発表され、STAP細胞は本当にあるのかという点が注目されました。

世間が注目するこの問いに対する答えは最終報告では出されていませんが、Natureの論文に書かれている体細胞分化を完了したリンパ球細胞からのSTAP細胞はあり得ないのではないかというのが私の感想です。そして、OさんからW教授に渡されたSTAP幹細胞といわれる細胞の系統を調べた結果、元来、渡された129系統から、129/B6のF1雑種系統に変わっていたというニュースから、理研の実験結果は信じられなくなりました。

私は今回の事件でもっと問題にされるべきと感じたのはOさんの出身大学における博士論文審査過程のいい加減さではないかとも感じました。

私が修士論文や博士論文を書いていた頃はまだワープロさえなく、原稿用紙に手書きで指導教官のチェックで修正を受けると一から書き直しの状態でした。画像データなども自分で撮影した写真(白黒)をネガから暗室で現像し、印画紙に焼き付けし、論文の必要部数準備するといったもので、デジカメ等の発達した現代に較べ、遙かに論文の体裁を整えるのに時間と手間を要した時代でした。

私がちょうど大学院のころ、アメリカのコーネル大学でマーク・スペクターという大学院生ががん細胞におけるATP分解酵素の活性に関する実験で教授が唱えていた学説にあう実験データを捏造し、大学から追放される事件が起きたのを憶えています。

Wikipediaの「科学における不正行為」の記事でその辺が纏められていますが、今回の理研の場合、iPS細胞への対抗心や理研内での予算獲得といったプレッシャーがあったのかもしれませんが、Nature誌などに論文を発表すれば世界中が注目し、多くの研究室で再試が行われることは事前に分かっていたはずなのにと思うとなぜあんなことをしたのが疑問でなりません。

余談が長くなってしまいましたが、ことこの801系3編成に関しては私は西武鉄道での現役時代の写真を撮っていません。まさか、あれから30数年後に、こうやって改造シリーズをグループ毎に紹介する事態になるとは当時考えもしなかったせいもあります。

その代わりといってはなんですが、後年、引退後に西武から流鉄に2000形として譲渡され、活躍する姿を撮影してありましたので、それを今回は紹介致します。

この3編成のうち、809Fがモハ809の妻面にクハ1809の前頭部を接合し、3連化する改造を受け、2000形の第4編成 クモハ2004-モハ2102-クハ22として譲渡されました。愛称は「流馬」となりました。クハ22の台車はFS072に換装されました。

2004210222_050905_3

流鉄 流馬編成 2005/9/5 馬橋 手前がクハ22

2000形の仲間には803Fから改造された青空編成もおり、こちらはモハ803、804にクハ1803、1804の前頭部を接合した2連でした。

20012002_090607

流鉄 青空編成 (クモハ2002+クモハ2001) 2009/6/7 馬橋

両編成の写真を眺めていて気づいたのですが、エアコンサイドのランボードのタイプは1978年3月改造出場の803Fは出場当時は小さいランボードでしたが、流鉄時代上記の青空編成では大型になっています。さらにエアコンのキセも前回の記事でご紹介したCU75Cのように無塗装ステンレスタイプで端にリブが見えるタイプになっています。

一方、809Fは723F以降の最終グループと同様のCU75Cで出場したと思われますが、流馬の写真では端にリブが見えません。おそらく、何度かの入場の際にエアコンのキセも交換されたのかと思われます。

客用扉は801系は赤電時代にステンレス扉に交換されており、HSC・冷改では交換されていないので、809Fにおいても金属枠のガラス押さえではなくHゴム方式のままであったのだろうと思われます。

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民鉄:西武鉄道グループ」カテゴリの記事

コメント

こんばんは。

西武では、エアコンキセは頻繁に交換されていたので、どのキセがどの車両、というのを特定するのは困難でした。最初何が乗っていたかだけなら分かるのですけどね。一方、エアコン脇のランボードが交換されたという記憶は私は無いのですが、晩年は西武線沿線に住んで居なかったので、定かではありません。

余談ですが、私はギリギリPC-9801シリーズで卒論等を書きました(^^;;)。でもその頃はまだインターネットは黎明期だったので、コピペをする素材は手に入りませんでしたね。

MiOさま、こんばんは。

わたしも大宮工場の公開等でキセが大量に置いてあるのを観ていまして、もしかしたら交換されているのかなと思っていました。ありがとうございます。

私が就職した頃、MS-DOSのPC88やPC98が職場に導入され、30cmくらいのフロッピーがデータ保存用でした、Windows3.1が1990年代初頭、その後Win95のころ、Internetが徐々に普及はじめたように記憶しています。私の社会人、人生とコンピュータの普及、進化は重なっているように感じます。

こんにちは(^^)801系は晩年は…流鉄に譲渡されたんですね。現在の流鉄は…元・西武の新101系に統一されているんでしたっけ。流鉄では、西武の元501系・551系・701系・801系・新じゃない101系が走っていましたね。

マスダっち1971 さま、こんばんは。

わたしも馬橋で常磐線の列車を写すついでに流鉄の車輌をよく撮影していました。

501系、551系は噂に聞いている程度で見たことがなかったと思います。

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