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2014年4月13日 (日)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 改造車のその後 1 西武鉄道での廃車まで

これまで14回の記事で紹介してきましたように、1975年10月731Fに始まり、1983年3月809Fまでの7年半かけて、601系電動車ユニット7編成分、701系48編成、801系5編成、411系19編成、計264両が改造されました。

改造により、601系は消滅し、701系は6連10本と4連35本に改組され、411系クモハ411-クハ1451は401系となり、さらに701系クハから501系2連が3本登場しました。

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北多磨(現、白糸台)を発車する701系冷改車 1980/7/10

多摩川線に配属された701系冷改車は併結の可能性がなかったためか電気連結器は装着されておらず、そのため冷改車の特徴であった黄色の電連カバーもありませんでした。

今回は、それらの車輌が改造出場以降、どのような車生を送ったかについて触れようと思います。私自身、これらの車輌が全車登場した1983年春以降は西武沿線住民でなかったので、日常的にこれらの車輌に接する機会はあまりありませんでしたが、実家に戻った際等に撮影はしていました。

まずは旧型車の淘汰が進んで多摩川線でも冷改車が運用されることになり、701系4連の745F, 747F, 757F, 761F, 781Fが多摩川線対応編成として制動装置に甲種回送対策改造を施し、旧型車の置き換えに当てられました。

701_800710

上の写真と同じ日の写真となりますが、当時は赤電の571系も活躍しており、駅名標が北多磨であることも分かります。またこの701系は乗務員室扉の手摺りの形態から745Fもしくは747Fと想像されます。

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多摩川線で活躍する701系冷改車 1980/7/10

1980年3月のダイヤ改正以降、701系、801系冷房改造車は新宿線系統に集約されましたので、国分寺線などの支線で活躍する姿も見られるようになりました。

801_800518

恋ヶ窪付近を行く801系冷改車 1980/5/18

時期的にまだ805F以降は改造されていなので801Fか803Fだと想像されます。

1980年代後半になると701系の初期製造車も新製から25年が経過し、各部の老朽化が進行し、走行性能からもダイヤ改正に伴う速度向上に対応できなくなり、新2000系導入に伴う置き換えが計画され、725F1988年3月31日付けで廃車になったことを皮切りに淘汰が開始されました。新501系は以前、記述したように1989年1月13日付けで3編成とも廃車となり、機器は10000系に転用されました。

さらに6000系・9000系導入と代替で廃車が進行し、1997年2月22日に開催されたさよならイベントに701系781Fが充当されたことを最後に運用を離脱し、同月24日付で最後まで残存した701系781Fおよび801系809Fが除籍されました。また同日付で401系(2代)411・417Fも除籍となり、701系等の冷改車は全廃となりました。

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民鉄:西武鉄道グループ」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。モモパパです。
西武鉄道。
そういえば兄貴が東京の大学に行ってた頃。
僕、名古屋から兄貴が住む西武沿線で降りる駅が分からずにずいぶんと遠くまで乗り越してしまったのを思い出しました。
あの頃は小学生。
一人で大変心細い思いをしましたよ。
兄貴が迎えに来てくれたんですがね。

モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。

お兄様が大学生の頃、小学校とは随分歳の差があったのですね。
そういえば、うちの子供も、上ふたりは成人していますが、下は高校3年で、9歳の開きがあります。

いくら兄弟とは言え、初めての土地で電車に乗るのは心細かったのではないでしょうか。

こんばんは。

701系は沢山あったのに割とあっさり無くなった印象です。一応引退イベント列車は走ったようですが、個人的にあまり鉄に入れ込んでいなかった時期であったこともあって、殆ど記憶に残っていないのです。

701系列は4連が3連化されたりしていますが、地方私鉄への譲渡が多かったので、今でも最後の活躍が見られますね。それも新101系の譲渡車に押されてきていますが・・・。そう言えば、旧101系の譲渡車って見ないですね。

MiOさま、おはようございます。

わたしもこれまであまり地方私鉄の車輌を撮影していないもので、西武空の譲渡車両は
流鉄や上信電鉄、さらには伊豆箱根くらいしかわからないのですが、
思えば旧101系の車体は仰る通り少ないようですね。

701系のあと、新101系の廃車の時代がすぐやってきてしまったせいでしょうか。

B767さん、こんにちは(^^)お邪魔致します。701系の冷房改造車、多摩川線でも走っていましたね。多摩川線は、他の西武線と接続がない独立路線ですね。2枚目の画像で、脇のホームに停車している赤電も懐かしいです。多摩川線には…乗ったこたぁありませぬが。『北多磨』は現在の『白糸台』ですね。801系の冷房改造車も国分寺線を走っていたんですね。赤電・非冷房車の801系も国分寺線を走っていましたよね。

マスダっち1971さま、こんばんは。

そうですね。わたしもこの写真を撮った頃は免許取り立ての頃で、クルマで多摩川線付近をうろうろして撮った憶えがあります。

実際に多摩川線に乗ったのは、旧101系が廃車になるつい数年前のことでした。

こんばんは。たしか、新501系の廃車は1989年ではなく、1990年じゃないでしょうか・・・?
昔発売の西武関連特集の鉄道雑誌で、沼袋駅付近カーブで撮影された1990年1月3日撮影・前パン各停西武新宿行の写真が掲載されていましたよ。

ただ、残念ながらいつ発売のどの雑誌か覚えておりません。申し訳ない。。。

ゆっきーさま、おはようございます。

私も3代目501系のデビューは鮮烈に憶えているのですが、廃車がいつだったのかはあまり自信はありません。部品の流用であっと言う間に消えていったのは憶えているのですが。そこで、資料をもう一度調べて見たところ、鉄道ピクトリアル誌No560 特集西武鉄道の記事では平成元年1月に廃車とありました。

この時期、私自身は西ドイツに留学中で実体験としては空白期間なのが問題なのですが。

初めまして。
管理人様の記事は西武鉄道車両に関して学ぶところ多く、時折拝読させて戴いております。
有難う御座います。

さて、私も501系(3代)の廃車年月日について疑問に思いましたので、複数の出版物に当たってみました。
以下、該当箇所を抜粋致します。

鉄道ピクトリアル560号 1992.5西武特集   280頁「平1.1.13」、270頁「平成元年1月に一斉廃車」

鉄道ピクトリアル534号 1990.10新車年鑑  301頁「90.1.13」
保育社カラーブックス799日本の私鉄⑫西武 118頁「平成2年に六両全車が廃車された」
私鉄車両編成表90年版             138頁「90.1.13」
鉄道ダイヤ情報72号1990年4月号      140頁私鉄車両のうごき'90年1月1日~3月31日「1.13」

当のピクトリアル誌(534号)や他の出版物すべてが1990年、平成2年としているところを見ますと、ピクトリアル560号での記述は西暦年号の元号への変換ミス、或いは平成元年「度」の記載ミスである疑いが濃厚と言ったところではないでしょうか。
ただし、ピクトリアル560号が上記の中では最新のものですから、過去の記載を訂正した可能性も否定はできません。

以上、ご参考までにお知らせ申し上げます。

失礼しました。
12時11分コメントで鉄道ダイヤ情報は、75号1990年7月でした。
お詫びいたします。

通りがかり さま、はじめまして。

501系(3代)の廃車年に関して貴重な情報を提供戴きありがとうございます。
推察するところ1990年1月頃が正しい様ですね。

以前にも記しましたとおり、1989年はまさにわたしも日本にいなかった関係もあり、3編成があっと言う間に消えてしまったのは驚きでしたが、1990年と分かったことですっきりしました。ありがとうございました。

701系はやはり赤電色が合っていたと思います。西武のレモンイエロー1色は実質的な新宿線フル規格高性能車第1号である2000系のようなエポックメイキングカーにはマッチしても、ある程度車齢が進行した701系では却って古さを露呈した感は否めません。
しかし製造から25年で廃車とか同期の東武8000系や、半世紀プレイヤーの“しるこ色”の近鉄車と比べると早死にだと思えてなりませんね。

ねこたろうさま、こんにちは。

私は701系の冷改車が登場したとき、赤電カラーに黄色の電連カバーがアクセントになっており、さらに集中式冷房機を積んだスタイルはカッコいいと感じました。さらに703Fから黄色一色なった際には驚きすら感じたものでした。ただ、それスタイルが701系全編成に及ぶにつれ、些か飽きを感じたのも事実、また年月が経つにつれ塗装が窶れていったのを見たのは残念でした。そして彼らが引退を迎える頃はほとんど見ていないのが今から思えばもったいないことをしたと感じています。

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