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2014年4月30日 (水)

上毛電鉄のイベントに行ってきました その2

今回はデハ104の話題です。

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かつての上毛電鉄車輌のオリジナル塗装 辛子色で静態保存されているデハ104 2014/4/27 大胡電車庫

昨日のデハ101と同様に、1928年11月の路線開業(中央前橋~西桐生間)にあたり、川崎造船で101~104デハニ51・52の合計6両が製造されました。半鋼製の16m級車で芝浦製作所製のSE-132B電動機を各台車に2基ずつ搭載し、吊り掛け式駆動装置により駆動されていました。主制御機は電磁空気単位スイッチにより、手動進段を行うHB制御器を搭載しています。

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今回のイベントではHB制御器も展示されており、マスコンハンドルを回して行くとプスップスッと進段して行く様子が分かりました。

因みにWikipediの記述ではデハ100型となっており、この写真のようにイベントの表記ではデハ100形となっていましたが、記事では一応、型で行くことにしました。

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台車は川崎造船独自のKO台車で、平鋼リベット組立式イコライザー台車ですが、1928年当時、枕バネを重ね板バネではなくコイルバネとし、軸受けをローラーベアリングとした点は非常に意欲的で先進的な設計の台車だったそうです。

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開業以来、主力車輌として重用されたデハ100型、デハニ50型も1952年から更新改造を受け、昨日の101同様、104も3扉から2扉に改造され、当初中央前橋方に制御車の増結を考慮して貫通扉を設けました。その後、1997年の定期的旅客運用の終了で104は長期休車となり、廃車されました。

廃車後も解体されることなく大胡駅南側側線に留置された後、2006年5月のイベントにあわせて、辛子色に再塗装され、貫通扉を西桐生側にする方向転換も行われました。

現在、デハ101、104は群馬県近代化遺産に登録されています。

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2014年4月29日 (火)

上毛電鉄のイベントに行ってきました その1

4月27日日曜日、大胡電車庫で開催された上毛電鉄「春のイベント」に行ってきました。

以前は地方の私鉄にはあまり興味が無かったのですが、デジカメの時代となって(といってももう15年近くになりますが)、フィルムの枚数を気にせずに写真が撮れ、いろいろなものが時々刻々変化して行くことを考えると、えり好みせずに記録しておくことが大事であると思い、写真を撮るようになりました。

上毛電鉄は2006年8月に青春18切符で両毛線を旅したときが初めてでしたが、今回春のイベントが大胡の車庫であると知り、行ってきました。

この鉄道はかつて京王井の頭線で活躍していた3000系700型として活躍していること、自転車ごと車両に乗れるサービスがあること、イベントなどでデハ100型や動態保存中のデキ3021の走りが見られることなどでも有名でしばしばテレビなどでも放映されています。

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           電車の中に備え付けられていたイベント案内のちらし

イベントのメインは1928年(昭和3年)の上毛線開業に際して製造された古豪デハ100型101号車の運転、東急電鉄長津田工場で構内入れ換えに使用されていたデキ3021の試乗会と電車庫の公開からなっておりました。

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今回は沿線での写真撮影や前橋こども公園に静態保存されているD51916号機の観察も兼ねて、「赤城南麓1日フリー切符」で乗車することにしました。

さて、今回の記事ではデハ101の走行ぶりを紹介することにします。

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西桐生9時16分発の20列車が大胡駅に着いたとき、まさに大胡電車庫ではデハ101が出区するところでした。

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ホームの前を通過して西桐生方に引き上げます。

お椀を伏せた様な形をしたベンチレータはかつて小学校時代に西武国分寺線でよく見た151系を彷彿されてくれる川崎造船のスタイルかと思います。

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誘導掛の手旗信号で、上りホームに進入 10時4分発の1000列車で中央前橋に向かいます。

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 中央前橋方の顔はクハの増結に備えて貫通路が設置される改造が1956年に施されており、運転台機器も右側に移設されたそうです。

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西桐生方は非貫通ですが、更新改造によって外板の溶接化が進みリベット数はかなり減ったそうです。

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展示物をいろいろ見ていると9時48分1001列車として、戻ってきました。

デハ101を追って、大胡の車庫を後にして、以前から気になっていた桐生球場駅に行くこととしました。

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12:05 1002列車として中央前橋に向かうデハ101

桐生球場前駅は2006年10月1日に開業した現時点では最も新しい駅で、一見複線のように見えますが、向こう側の線路は東武桐生線です。

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その数分後に200系が通過して行きました。

次にやってきた32列車で、再び中央前橋方面に向かうこととしました。車窓から、適当な撮影ポイントを探しつつ、下車したのは心臓血管センター駅でした。先週の入院以来、些か気になる駅名ですが

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赤坂方面に少し行ったあたりで中央前橋から大胡車庫に戻る1003列車を撮影しました。

デハ101の歴史を見てみると、前述のように1956年に更新改造が行われ、従来の3扉配置から2扉配置になり、制御車の連結のため中央前橋よりに貫通扉が設置されました。

1979年には同線には機関車の配置がないため、保線列車の貨車牽引用にと白羽の矢が当てられ、牽引力を増すため歯車比を16:73と低速用に変更する改造が行われました。さらに、運用の余裕を利用して1997年まで朝の大胡~中央前橋区間電車の運行も担当していました。現在は年に数回のイベントでの走行と工事列車の牽引を担当しているそうです。

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2014年4月28日 (月)

通勤電車シリーズ 101系 その11 101系から改造された事業用車 145系他

これまでこのシリーズでは通勤電車101系の活躍を見て参りましたが、101系が旅客用から引退した後に、その改造名義で製作されたのが1M方式の事業用の145系です。さらに145系の制御システムに抑速ブレーキを付加した147系もあります。

形式としてはクモヤ145形、クモル145形、クル144形、クモユニ147形があります。

クモヤ145形 

国鉄が1980年から製造した直流電化区間用の牽引車で、車輌基地内の入れ換えやマヤ34形客車(軌道試験車)の牽引に使用されます。101系の電動車を種車に、主電動機やMG、台車を流用して1M方式の制御電動車として製作されました。

車体は貫通タイプの高運転台・1800mmの両開き戸が片側1カ所に配置されたものが新製され、パンタグラフは2基搭載されました。塗色は青15号の車体に黄5号を警戒色として前面窓下部に入れています。足回りは101系時代のままで電動機はMT46Aですが、後にMT54に換装された車輌(1000番台)もあります。

0番台として1980年から1981年にかけて9両が改造製作されました。

1986年度に吹田工場で0番台から2両(145-5, 8)が交流区間でも制御車として使用できるよう改造され、50番台(-51,52)となりました。これらは2000年1000番台に再改造され、廃区分番台となりました。

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クモヤ145-102 2004/9/5 天神川

1982年から1986年にかけて救援車として使用できるように車体中央部に救援資材搭載スペースを設け、天井にクレーンが設置された100番台が26両改造製作されました。

1982年に広島車両所で交流電化区間兼用の牽引車として100番台をベースに1両が改造製作されたのが200番台(-201)でこの番台はパンタグラフは1基搭載です。

1983年に狭小断面トンネルがある身延線での使用を考慮した600番台が2両、改造製作され、パンタグラフは折り畳み高さの低いPS23が搭載されました。この2両は1988年クモハ123形600番台に再改造され、廃区分番台となりました。

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クモヤ145-1001 2006/6/20 新大阪

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クモヤ145-1003 2006/6/20 新大阪

1999年度から2000年度にかけてJR西日本に配置されていた17両が主電動機をMT46AからMT54系に交換され、車両番号は原番号+1000に変更され1000番台となりました。

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145系が登場するまで首都圏でも見ることができた配給電車 田町

クモル145形・クル144形

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クモル145-9 1981/1/27 池袋

戦前に製造された旧形国電からの改造車だった配給電車を置き換えるために1979年から1981年に101系の改造名義で登場した新性能配給電車です。車体長は17mとして、台枠を厚くした設計で新規に製作され、短編成で使用されることから1M方式としました。一部に架線のない工場や車両基地内での入れ換えを容易にするためにパンタグラフはクモル145形のみならずクル144形にも設置されています。クル144形のパンタで集電した電力はジャンパ連結器を介してクモル145形に供給されますが、連結器の熱容量の関係で長時間使用は出来ないため、本線走行の際はクル144形のパンタは使用しません。

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クモル145-15 1984/12/6 尼崎

JR西日本に配置された車輌はクモヤ145形同様に主電動機をMT46AからMT54系に交換し、1000番台となっています。

首都圏では配給電車による輸送はトラック輸送に切り替えられているため、2008年6月にJR東日本配置の車輌は廃車されており、見ることができません。

クモユニ147形

1983年、飯田線の新性能化に伴って5両が改造製作された郵便・荷物合造車で車体はクモユニ143形に準じています。足回りは145系のシステムに勾配抑速ブレーキが追加されており、台車や主幹制御器、主電動機などが異なります。

飯田線に投入された119系電車と同じく、スカイブルー(青22号)に白帯(灰色9号)の車体塗装で登場し、豊橋機関区に配属されました。1985年、飯田線の郵便・荷物輸送廃止で大垣電車区に転じ、クモニ83形・クモユニ74形を置換えました。その後1986年11月1日国鉄ダイヤ改正での国鉄の郵便・荷物輸送全面撤退に伴い、全車静岡運転所に転属、翌1987年クモハ123形40番台に改造されて、身延線へ投入されました。

車体塗装は、クモハ123形に改造されるまで飯田線時代のスカイブルーに白帯のままでした。

このシリーズ、次回は145系から再び旅客用に改造された123系について触れる予定です。

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2014年4月27日 (日)

頸動脈狭窄症での検査入院体験記 その2

脳血管造影検査を終えた直後に、主治医から狭窄の程度は思っていたほどきつくは無いようで、今後は投薬治療で行けると思うが、今回の全て検査結果を見てから判断しましょうとの所見を戴きました。

3日目は、朝食を摂る前にMRI検査に呼ばれました。すでに最大の山場である血管造影検査は終えていたので、気分的には楽でした。そして、手首の切開の跡も完全に塞がっており、メスで切ったのは1mmにも満たない長さであることが分かりました。

今回のMRI検査は頭部で、機械の中に入っていたのは15分程度でしたが、MRI検査を経験された方は分かると思いますが、あの音は何とかならないものかと思います。MRI検査で聞こえるあの不快な音は傾斜磁場コイルの電源ON-OFFでコイルが伸縮する際に出るのようです。

その後は、超音波エコーの検査が続き、まず頸部狭窄前後の血流の変化を調べました。以前、病院Aで最初にエコー検査をした時は血流値を測っていませんでしたが、今回は測定し、流速は179cm/secとのことで、高度な狭窄ではないとの所見でした。

狭窄が見つかったのは頸動脈でしたが、それ以外の動脈血管に狭窄が無いかを調べるため、手足4カ所に血圧計を装着し、心電図とともにモニターする大動脈流速検査も行いましたが、他の動脈狭窄は見いだされませんでした。

最後に、心臓の超音波エコー検査も行いましたが、こちらも正常でした。

ということで3日目の検査からはMRI画像からは脳梗塞、脳腫瘍などの異常は見いだされず、頸部以外の動脈狭窄部もないことがわかりました。

4日目は、やはり朝食前に頸部のMRI検査が行われました。今回はVISTAと呼ばれる特殊な撮影法で頸動脈の狭窄部の評価も行われました。そのためかこれまで経験したMRI検査の中ではもっとも長い30分以上、機械の中に入れられる検査で、さすがに「いい加減にしてよ」と感じました。病院Aでもそうでしたが頭部と頸部のMRI検査をわざわざ2日間に分けて行うのは一日に人体が受ける磁場線量の規程でもあるのでしょうか。

午後は核医学検査と言うことで脳シンチグラフィー検査を受けました。これは脳関門を通過する物質を放射性同位元素で標識しておき、脳でその物質が分解されると今度は脳関門を通過出来なくなる性質を利用して、脳内実質に留まらせることで脳のどの部位に血液が行っているかをモニターする検査です。MRIなどよりも正確に脳梗塞の前兆がないかを調べられる検査ということです。

★脳血流シンチグラフィー検査については こちら や こちら

この検査においては99mTc-ECD [N,N'-エチレンジ-L-システイネート(3)]オキソテクネチウム(99mTc)、ジエチルエステルなる化合物を腕の静脈に点滴方式で投与し、投与後5分以降から頭部にガンマカメラを向け、脳から出されるγ線を撮像するものです。約1時間の長きに渡って、頭部を固定され、脳の血流データをとられました。こちらの検査も予想していたより長時間の固定と、血管拡張剤の処理もあり、終わった時にはかなり疲れました。

以上、血管造影、MRI、エコー、動脈流速試験、脳血流シンチグラムの結果を総合して、医師の所見を聞いたのは夕方5時過ぎでした。

○問題の狭窄の度合いは62%(造影像からのNASCET法による測定)
○それ以外の頸部、頭蓋内に明らかな狭窄や動脈瘤の形成は認められない。
○頸部エコーのデータから血流の速度は179cm/secで基準値の200を下回っており、高度な狭窄ではない。
○脳血流の様子は左側も右側同様に認められ狭窄が血流低下を引き起こしてはいない。
○頸部MRIの画像から、狭窄部のプラークはかなり水分を多く含んだ柔らかい状態と判断された。

とのことでした。

今後は、定期的に狭窄部の状態をエコー検査等で観察し、血栓等の発生を抑え、血液の流れを改善する薬の投与と生活習慣病の改善により、血糖値や中性脂肪値が正常値になるように努めることとの所見でした。

検査前は最悪の場合、狭窄部の血管を広げるために頸動脈血管を切開して動脈硬化を取り除く内膜剥離術(carotid endarterectomy: CEA) や今回の血管内カテーテル法でステントと呼ばれる金属メッシュを血管内に留置させる(carotid artery stenting: CAS)が頭にあったので、とりあえずはホッとしたところです。

我が国における生活スタイルの西洋化が言われて久しく感じますが、それに伴う動脈硬化が原因の脳梗塞、心筋梗塞は年々、発見率が増加しているそうです。

私も人間ドックで毎回のように指摘されてきましたが、今回のような事態になると血糖値や中性脂肪値を正常値に近づける努力を惜しんではいけないと痛切に感じる次第であります。

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2014年4月26日 (土)

頸動脈狭窄症での検査入院体験記 その1

今回はいつもの鉄道や航空機の記事とは趣向をかえて、我が身におこった異変と検査入院体験に関して記述しようと思います。いつもは写真主体の記事構成ですが、今回病院内ではいっさい撮影していないので、写真無しの記事となります。

もう10年くらい前からですが、職場の人間ドックの血液検査で中性脂肪値が高いこと、善玉コレステロール値が低いことを指摘されており、さらに5年ほど前からは血糖値(ヘモグロビンA1c)の値が高く、職場のそばの病院(以後、病院A)の代謝内科で数ヶ月おきに血液検査、眼底の毛細血管の様子や1年ごとに頸動脈エコー(超音波検査)による頸動脈の異常の有無を診て貰っておりました。

因みに私の場合、喫煙はせず、年間の飲酒量はビール1~2缶程度です。

数年前には左側頸動脈の外頸動脈(顔面に行く血管)と内頸動脈(脳に行く血管)の分岐部直後、内頸動脈にプラーク(動脈硬化などの 血管壁に見られる、偏平もしくは隆起したかたまり)の存在が見つかっていました。

★脳血管の解剖図は こちら

★頸動脈エコー検査については こちら

それが今年3月の頸動脈エコー検査で、プラーク部分の血管が狭窄を起こしているとの診断がなされました。エコー検査からは80~90%程度の狭窄と診断されたので、早速MRI検査を行い、脳神経外科医の診断を仰ぎましたが、MRIの結果だけでは明確な診断ができないので、某大学付属病院(以後、病院B)の脳神経外科外来を紹介されました。

因みに、私がお世話になっている病院Aの医師の先生方は皆、病院Bから派遣されてこられている方々です。

★頸動脈狭窄症については こちら

★MRI(Magenetic Resonance Imaging)検査とは、核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance)の原理を利用した非侵襲の画像診断技術です。強い地場の中で水素原子のような核スピンをもつ原子核が配向し、さらに勾配磁場をかけることで、その原子のおかれた状態によってもとに戻る時間(緩和時間)が異なることを利用して黒白濃淡画像を描かせているもので、いわば生体内の水分の分布や組織の状態を画像データとして得られる診断技術です。画像診断技術としてはCT(Computed Tomography)も有名ですが、脳などの場合はMRIの方が頭蓋骨の影響を受けないので有利と考えられています。

病院Bの外来診察(4月初旬)にて医師から指摘されたことは、狭窄が進むと脳への血液が十分に行かなくなり、脳梗塞の症状が出ること、さらにプラークがある日突然、火山のように噴火して、血管内に破片を飛ばし、それが脳内の毛細血管に詰まってやはり脳梗塞を起こすことでした。

そこで、奨められた検査が、脳血管造影検査でした。この検査は、右手首の動脈からカテーテルを挿入し、大動脈弓までカテーテルの先端を持って行き、そこから、上方に通じる内頸動脈、外頸動脈、鎖骨骨下動脈に造影剤を流して脳内血管の様子をレントゲンで観察するという検査です。

★脳血管造影検査については こちら や こちら にも 

この検査をメインとする2泊3日のスケジュールで20日日曜日から入院することになりました。一応、病名は無症候性左頸動脈狭窄となりました。

物心ついてから、入院というのも初めてだったもので、ホテルに宿泊する感覚で病院にいったら、スリッパ、箸、スプーンなどは用意しなくてはならないことに気づき、早速家から持ってきて貰うことになりました。後で4月初旬の外来診察の際に貰った入院案内をよく見たら、必要なもののリストが全部書かれていました(笑)。

入院後、MRIのデータやエコーのデータももう一度録っておくべきとのことで、スケジュールは1日分追加され、3泊4日になりました。

入院して早々に担当医からメインの脳血管造影検査に関する説明を受けました。
この検査では、脳内の血管の状態に関してCTやMRIよりもより多くの情報が得られるが約0.5%程度の頻度で合併症が起こることも報告されており、合併症による死亡例も報告されているとのことで、

・ 血管損傷
・ 血管損傷によって血管が詰まったり、カテーテルにより、血の固まりが出来てそれが脳の血管に詰まり、麻痺や失語、意識障害などが出現すること
・ 検査終了後にカテーテルを挿入した場所からの出血
・ 造影剤によるアレルギー症状
・ 造影剤による腎機能障害
・ 脳動脈瘤の破裂
・ 放射線被曝  

などの合併症があるという説明を事前に受け、同意書にもサインを致しました。

21日の月曜日、朝9時から検査開始のため、朝食は抜き、その分の水分、電解質等の補給で朝6時から点滴開始。下着1枚の上に検査衣の出で立ちで車椅子で検査室(アンジオグラフィー室)へ、車椅子に乗ったのも実は初めての体験でした。

アンジオグラフィー室は血管内でのカテーテルの進行状況をモニターするX線設備の備わった手術室のような部屋でした。検査台の上に寝かされると早速、右手手首に麻酔注射、切開、カテーテルを挿入するためのシースの準備が施されました。血圧は常にモニターされていましたが、やはり緊張からか、手首に麻酔をかけられる時点での血圧は170-120mmHgといった値を出しました。

こちらは寝かされているのでどの程度の切開が行われているのか、あるいはカテーテルはどのように挿入されていったのか観ることは出来ませんでしたが、肘のあたりまでカテーテルが入った時は腕の中に何か針金のようなものが入っている感覚がありました。

★検査、手術を行われている医師の方が書かれた苦労談はこちらに

麻酔は手首だけなので、撮影技師の指示に従って、胸部レントゲン撮影の時のように息を吸って止めるなど動作を繰り返しました。そして造影剤が目的の血管に噴射されると、顔面や脳の中を熱を持った液体が流れて行くのを感じました。

検査は全体で1時間程度で終了し、手首は止血のための圧迫プラスティック板が添えられ、病室に戻りました。点滴はその後も続き、結局500ml3本が注入されました。点滴をしたのも人生で初めてでした。検査後は、看護師が30分おきに検温と血圧測定を行い、言語障害や手足の痺れがないかのチェックがありました。

止血のための圧迫が取られたのが午後4時過ぎ、点滴が終了したのが午後10時でした。

次回に続く

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2014年4月25日 (金)

公園保存蒸気 C50 96 焼津小石川公園

検査入院などがあり、すこし間が開きましたが、再びいつもの順番で記事を書いて行こうと思います。

今回は公園保存蒸気機関車のシリーズで、今年年明けの1月2日に静岡県焼津の駅そばの小石川公園に保存されているC50 96号機です。

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焼津駅から歩いて数分の小石川公園に保存されているC50 96号機 2014/1/2

C50形式は私は現役時代には一度も見たことがなかった形式ですが、公園保存蒸気としては、北鹿浜公園の75号機小山駅東公園の123号機に続いて3機目の機関車となります。75号機はデフレクターなし、123号機は角形のデフレクター付きでしたが、こちらはデフレクターなしのスタイルです。デフレクターがないのは最後の活躍が豊橋駅構内の入れ換え任務だったからかも知れません。

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ナンバープレートは赤地に塗装されており、ボディも黒光りするほど美しく保たれていますが、残念なことに前照灯のガラスが欠損しており、電球などもありません。

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後方からの公式側サイドビュー

前方からキャブにいたるランボードが後期の機関車のように直線的で無い点や蒸気ドームと砂箱が別々のふた瘤の点やスポーク方式の動輪は昭和初期の機関車であることを示しています。C50の90号機から96号機は日本車輌名古屋工場で製造されていますが、そのマークも赤く塗装されています。

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炭水車の表面も美しく光っていますが、ライト、ナンバープレートはありません。

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キャブ内も見学可能ですが、窓枠は修理したのかなぜか青く塗装され、メーター類のガラス、文字盤、針などはすべて破損していました。

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非公式側の後方からのサイドビュー

この写真では少し小さくて判別が難しいかも知れませんが、日本車輌の製造銘板、公式側は240となっているのに対して、こちら側は239となっています。

機関車表(沖田祐作氏)による車歴データでは

C5096      日本車両名古屋工場=240           1929-10-00 S49.50t1CT(1067)
   車歴;1929-10-00 製造→ 納入;国鉄;C5096→ 配属;名古屋→ 配置;米原→
      1933-06-30 現在;米原→1947-10-00 現在;稲沢→1955-01-01 現在;美濃太田→
      1965-02-01 現在;美濃太田→1966-06-08 豊橋→1972-02-16(1971-12?)廃車;豊橋→
      保存;静岡県焼津市「小石川公園」;C5096

機関車表のデータでは製造240号機であり、1929年の製造後、名古屋に新製配置、米原、稲沢、美濃太田、豊橋と名古屋周辺で一生を過ごした機関車のようです。

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この説明板にあるように現役時代は非電化の東海道本線で花形の急行旅客列車の先頭に立って活躍したそうです。

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2014年4月21日 (月)

EF510-500番台 514号機

EF510 500番台シリーズ、今回は514号機です。

川崎重工からの出場、甲種回送は2010年9月16日~17日で、吹田信号所から田端まではEF66 27号機が牽引しました。

例によって、4種類の列車の写真をアップしてゆきます。
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8010列車特急「カシオペア」を牽引 本来の旅客線は工事の関係で貨物線を通過しています。 2011/3/6 南浦和付近
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2列車特急「北斗星」を牽引してさいたま新都心を通過 2011/2/3
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同じく古河~栗橋間の中通り踏切を通過 2011/2/13
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再掲ですが、5388列車 通称「安中貨物」を牽引して荒川沖~ひたち野うしく間を通過 2011/6/12
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2095列車を牽引してひたち野うしく~荒川沖間の二十三夜尊前踏切を通過 2011/2/19
この写真、2枚とも交流区間ですが、両列車とも藤代中線通過で取手~藤代間のDSまで、から無停車なものですからパンタは直流区間モードになっています。同区間で写真を撮影する場合、交直流機のパンタのモードで藤代中線停車の有無が推察可能です。
今回は以上です。

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2014年4月20日 (日)

特急「北近畿」 その6 485系から183系へ part5

福知山区の485系改造の183系の特急列車の話題、今回もクハ481-200番台由来のクロハ183の話題です。できるだけオリジナルから変化した車輌から紹介していますが、今回はB64編成クロハ183-804です。

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東淀川~吹田間を行くクロハ183-804をラストにした特急「北近畿」 2007/3/8

この車輌は本来、クハ481-210として、日立製作所で製造され1972年9月8日に落成、盛アオに新製配置されています。1975年に秋アキへ、さらに1976年には門ミフへ、1984年に天ヒネへ、前回のクロハ183-806とおなじ車生を辿っています。1986年11月19日クロハ481-210に改造され、1990年10月25日クハ183-804に再改造されています。

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この車両の最大の特徴は溶接されてしまった貫通扉と、一回り小さいHM窓です。2010/7/10

屋根上がよく見える写真が無いのが残念ですが、ベンチ-レーターもひとつ撤去されていたようです。

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改装工事後の大阪駅にて 2010/12/8

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2014年4月19日 (土)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 改造車のその後 2 他社への譲渡 401系

701系などの冷房改造車は西武鉄道において現役を引退後、多くの車両が西武鉄道と縁が深い地方私鉄に譲渡されていますが、中でも401系の19編成は全てが譲渡されています。

401F, 405F, 409Fの3編成が1990年から1993年にかけて、三岐鉄道に譲渡され同社において101系として活躍しています。譲渡に際しては塗装が変更され、前照灯の形状が変更され、ワンマン対応改造がなされました。台車も国鉄101系などに採用され、西武では701系、801系の電動車が履いていたFS342に換装されています。未だ、三岐鉄道に乗ったことが無く、写真をお示しできないのが残念ですが。

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近江鉄道 806 2009/3/23 米原 元421F で車体は側面は種車の面影を残していますが正面はかなり改造されています。

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近江鉄道 1806 2009/3/23 米原 

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近江鉄道 810F  2013/3/23 米原 元427F 張り上げ屋根スタイルを継承しています。本来は700系の第二編成と改造予定だったそうですが急遽、800系として改造されたそうです。

さらに403F, 411F~437Fの15編成が1990年から1997年にかけて、近江鉄道に譲渡され、同線内における車両限界の関係から車体に改造が加えられ、改造内容の相違から800系820系に区分されています。さらに元437Fはイベント列車用に大幅な改造が施され、700系「あかね号」といった愛称が与えられています。

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上信電鉄 150形 クモハ151-152編成 2014/4/5 高崎 JRのホームから撮影した見苦しい写真で恐縮ですが。

1992年11月には407Fが上信電鉄に老朽化した100形電車(元西武451形)の置き換え目的で150形(クモハ151-クモハ152)として譲渡されました。譲渡に際しては台車が701系のFS342に換装され、塗装も同社の標準塗色のコーラルレッド一色塗りとなりましたが、2008年以降はクリーム地に緑ストライプの塗装となっています。こちらは遠目に見ても元西武401系ということがすぐ分かる形態を保っています。

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2014年4月18日 (金)

西ベルリンの思い出  Flughafen Tegel エピローグ

WEB pageのUpdate of Airlinersに示したように、2013年8月25日の記事から、41回に渡って書いてきた西ベルリン・テーゲル空港で観た旅客機の記事も前回のFranceのTAT European Airlinesで最後となりました。

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滞在中に空港の売店で購入した絵はがきから テーゲル空港の全景

奥に見えるのが滑走路でRWY08R/26L(2428m), 08L/26R(3023m)でほぼ東西を向いており、ターミナルは特徴的な六角形をしています。

1988年10月から1989年10月までの1年間の西ベルリン滞在中、テーゲル空港で写真を撮ったのは

1988/10/23
1988/12/4
1989/2/18
1989/4/8
1989/4/15
1989/5/4
1989/5/7
1989/6/25
1989/9/17   

でした。

これら以外にも当時の西ドイツはキリスト教の安息日の関係で週末は街中の殆どの店は(11月のアドベントからクリスマスまで期間を除いて)土曜日の午後から、日曜日は閉店となる関係で、買い物や食事等でも店の開いている空港はよく訪問したものでした。

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当時の西ベルリンの空港、テーゲル空港とテンペルホーフ空港を紹介した絵はがき

ヨーロッパ大陸では3月の春分の日に近い週末に冬時間から夏時間に、9月の秋分の日に近い週末に夏時間から冬時間に変更されますが、空港のオブザベーションデッキも夏時間の季節になると入場が可能となり、より近くで航空機を撮影できたものでした。

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Ticket_140416_tx2

空港のオブザベーションデッキへの入場券 入場料は1.5ドイツマルク(日本円で120円程度)でした。

東西ドイツを占領した米、英、仏、ソの飛行機しか乗り入れない当時の西ベルリンは航空ファンにとっては物足りない空港であり、私も、滞在期間中は西ドイツ本土(ハンブルグ、デュッセルドルフ、ケルン・ボン、フランクフルト、ミュンヒェン、シュトゥットガルト)のみならずフランス、イギリス、オーストリアに足を伸ばしました。

拙Blogでテーゲル空港の思い出を書き出した昨年8月末の時点では、ドイツ・ベルリンの新しい空港としてベルリン・ブランデンブルク国際空港が2013年10月27日に開港する見込みでしたが、4回目の開港延期とかで、なんと現時点での開港予定は2016年以降とのことのようです。ドイツの場合、ミュンヒェンの新空港も当初の予定から随分遅れて開港したのを憶えています。

次回からは1989年5月に訪問したデュッセルドルフ空港で観た旅客機の模様について記述してゆこうと思います。

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2014年4月17日 (木)

通勤電車シリーズ 101系 その10 南武支線

通勤電車101系シリーズ、JRで101系が最後まで活躍したのが今回、ご紹介する南武支線です。

南武支線の開業は1930年3月25日のことで、南武線の本線(川崎~登戸)の開業が1927年3月9日ですから、遅れること3年でした。貨物支線として開業と同時に、八丁畷停留場・川崎新町駅・新浜川崎駅が開業し、4月10日に尻手駅 - 新浜川崎駅間で旅客営業も開始されました。

160072

クハ16007 1983年頃 尻手

11

クモハ11248 尻手

私が初めて南武線を訪問した頃は本線には101系が投入されていましたが、支線の方は相変わらずクモハ11+クハ16の17m車の2連が走っていました。

1979年の配置、編成表によると 中原電車区の南武支線用電車は

クハ   クモハ
16007  11248
16215    11244
16211    11270
16003    11222         

101_830219

カナリアイエローの塗色で旧形国電に代わって南武支線に投入された101系2連 1983/2/19 尻手

101_830219_2

クモハ同士の2連ですが、浜川崎方がMc、尻手方がM'cだったのですね。

南武支線に101系が投入されたのは、1980年11月17日のことで、塗色はカナリアイエロー(黄色5号)でした。最初は非冷房の2連で、101系ですのでクモハ101+クモハ100の全電動車編成でした。いずれかの鉄道誌で101系最後の投入線区で念願の全電動車化実現なんて、皮肉たっぷりの記事を見た憶えもあります。

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JR化後、塗色変更、冷房化された101系2連 2001/12/31 尻手

そして、数年後に再度、南武支線を訪問した際には塗色がこのように変化しており、AU712方式で冷房化もなされていました。

1993年の編成表によると、南武支線で活躍していた101系の車番は

Mc         M'c           冷房取り付け
130        172     1992/10/29
180        145           1992/8/10
188        186           1992/4/10

JR線上で最後の活躍となった南武支線の101系も2002年8月には205系改造の2連が進出し、2003年12月に予備で残っていた最後の編成も引退となりました。

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2014年4月16日 (水)

公園保存蒸気 D51 101 島田中央小公園

日本全国の鉄道保存車輌を観察して歩くシリーズ、年末の神奈川D52ツアーに続いて、年明けの2014年1月2日、青春18切符で再び東海道を下りました。

場所は東海道五十三次、島田の宿で島田駅からあるいて10分ほどの場所にある中央小公園のD51 101号機です。

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島田中央小公園に展示されているD51 101号機 2014/1/2

この写真を見て、通常の展示機関車では見られないようなネットがサイドに付いているのが分かります。恐らく、機関車に登る子供がいてその転落防止用に付けられたのでは思います。

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非公式側にも同様にネットが付けられています。

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正面から見ると前照灯のガラスと中身がありません。さらに台枠の前面カバーも無くなっています。前照灯の中身が無いためケーシングの裏がああいった状態だったのかと言うことがわかります。

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D51 標準タイプのサイドビュー

D51_101_140102_35

後部から、ライトはなく、標識灯は引っ掛け式です。後部ナンバープレートもありません。

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助手席前のランボードには缶水清浄装置が搭載されています。

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砂管の配置は3本が垂直に下るタイプです。

この機関車の履歴を機関車表(沖田祐作氏)から

D51101     汽車製造大阪工場=1570            1938-06-21 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1938-06-21 製造→ 納入;国鉄;D51101→ 配属;仙台局→ 配置[仙鉄達501]仙台局→
1938-06-21 使用開始[仙鉄達501];仙台局→1948-07-01 現在;一ノ関→
      1959-11-00 酒田→ 新津→1972-10-28 中津川→
      1973-06-16 廃車[履歴簿];中津川(酒田?)→ 保存;静岡県島田市「中央公園」;D51101
      (重油併焼装置取付=1500ℓ・テンダー交換= 時期不祥)

1938年汽車製造で製造された後、仙台に配置、東北、羽越で活躍した後、中津川で廃車を迎えたようです。この機関車が羽越本線で活躍していた頃の写真はこちらにあります。中央西線で活躍していた頃は、長工式集煙装置が装備されていたそうですが、保存時に撤去されたそうです。快速木曽路を牽引する勇姿はこちらに。

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キャブ内部立ち入りも可で、バルブ類は赤く塗られていました。

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機関士席からの前方の眺め 如何に視界が狭いかよく分かります。

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機関助手席側の中央の丸いハンドルは清缶剤注入装置の制御レバーとのことです。

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2014年4月15日 (火)

EF510-500番台 513号機

EF510 500番台シリーズ、今回は513号機です。

川崎重工からの出場、甲種回送2010年9月6日~7日で、川崎重工から吹田信号所まではDD51 757号機が牽引しました。

例によって、4種類の列車の写真をアップしてゆきます。

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8009列車 特急「カシオペア」を牽引する513号機 2010/10/3 日暮里
今でも記憶に残っていますが、この日は近々、カシオペアE26系客車が検査のため長期運休になるとのことで、日曜日夕刻の出発列車を日暮里から撮影することにしたのですが、このショットの直後、対向のE231系に被られました。

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大宮に接近する2列車 特急「北斗星」  2010/11/6

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川口を通過する2列車 特急「北斗星」 2011/1/9

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古河~栗橋間の中通り踏切を通過する2列車 特急「北斗星」 2011/2/27
列車の後方に見える踏切が下の写真の中通り踏切です。

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同じく古河~栗橋間の中通り踏切を通過する2列車 特急「北斗星」 2011/6/12

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大宮を通過する通称「安中貨物」 5781列車 2010/12/31

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朝の小牛田からの紙列車96レを荒川沖~ひたち野うしく間の妙向寺踏切にて 2011/1/20

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1657列車をひたち野うしく~荒川沖間の二十三夜尊前踏切で 2011/2/18

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2095列車を武蔵野線東川口駅にて 2011/2/5

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同じく2095列車を府中本町にて 2012/6/17

以上です。

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2014年4月14日 (月)

特急「北近畿」 その5 485系から183系へ part4

このシリーズ、前回の記事ではクハ481-200番台をオリジンとするも踏切事故で前面貫通扉が完全に無くなったクロハ183-801を紹介致しましたが、今回も200番台オリジンのクルマで貫通扉の構造が特徴的であったクロハ183-806(B66編成)の写真を紹介致します。

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クロハ183-806を先頭にしたB66編成による特急「こうのとり」 2011/12/26 島本

この車両はクハ481-212として1972年10月12日、日本車輌で落成後、盛アオに新製配置されています。1975年11月の特急「つばさ」の電車化で秋アキに転属し、翌年春には門ミフに移っています。そして、1984年特急「くろしお」の485系投入で天ヒネに転属し、1年後に福フチに移り、1987年3月12日に吹田工場でクロハ481-212に改造され、1991年7月8日、再改造を受け、クロハ183-806となっています。

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B66編成による特急「文殊」 2008/2/25 岸辺

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同編成による特急「北近畿」 2010/7/8

前回の記事の写真と見較べると気付くのですが、この車輌の特急マークとHMの窓の間隔は通常に較べて若干長いことが分かります。次回も同じように貫通扉に特徴のあるクロハを紹介しますが、今回のクロハ183-806のHM窓はオリジナルの形態を保っています。

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2014年4月13日 (日)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 改造車のその後 1 西武鉄道での廃車まで

これまで14回の記事で紹介してきましたように、1975年10月731Fに始まり、1983年3月809Fまでの7年半かけて、601系電動車ユニット7編成分、701系48編成、801系5編成、411系19編成、計264両が改造されました。

改造により、601系は消滅し、701系は6連10本と4連35本に改組され、411系クモハ411-クハ1451は401系となり、さらに701系クハから501系2連が3本登場しました。

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北多磨(現、白糸台)を発車する701系冷改車 1980/7/10

多摩川線に配属された701系冷改車は併結の可能性がなかったためか電気連結器は装着されておらず、そのため冷改車の特徴であった黄色の電連カバーもありませんでした。

今回は、それらの車輌が改造出場以降、どのような車生を送ったかについて触れようと思います。私自身、これらの車輌が全車登場した1983年春以降は西武沿線住民でなかったので、日常的にこれらの車輌に接する機会はあまりありませんでしたが、実家に戻った際等に撮影はしていました。

まずは旧型車の淘汰が進んで多摩川線でも冷改車が運用されることになり、701系4連の745F, 747F, 757F, 761F, 781Fが多摩川線対応編成として制動装置に甲種回送対策改造を施し、旧型車の置き換えに当てられました。

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上の写真と同じ日の写真となりますが、当時は赤電の571系も活躍しており、駅名標が北多磨であることも分かります。またこの701系は乗務員室扉の手摺りの形態から745Fもしくは747Fと想像されます。

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多摩川線で活躍する701系冷改車 1980/7/10

1980年3月のダイヤ改正以降、701系、801系冷房改造車は新宿線系統に集約されましたので、国分寺線などの支線で活躍する姿も見られるようになりました。

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恋ヶ窪付近を行く801系冷改車 1980/5/18

時期的にまだ805F以降は改造されていなので801Fか803Fだと想像されます。

1980年代後半になると701系の初期製造車も新製から25年が経過し、各部の老朽化が進行し、走行性能からもダイヤ改正に伴う速度向上に対応できなくなり、新2000系導入に伴う置き換えが計画され、725F1988年3月31日付けで廃車になったことを皮切りに淘汰が開始されました。新501系は以前、記述したように1989年1月13日付けで3編成とも廃車となり、機器は10000系に転用されました。

さらに6000系・9000系導入と代替で廃車が進行し、1997年2月22日に開催されたさよならイベントに701系781Fが充当されたことを最後に運用を離脱し、同月24日付で最後まで残存した701系781Fおよび801系809Fが除籍されました。また同日付で401系(2代)411・417Fも除籍となり、701系等の冷改車は全廃となりました。

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2014年4月12日 (土)

西ベルリンの思い出 TAT

冷戦時代の西ベルリン、テーゲル空港で撮影した旅客機の思い出、今回はフランスのTAT (Transport Aérien Transrégional) European Airlinesです。

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全体的にはAir Franceの塗装を纏っているものの、TATのロゴが見える F-GDUZ cn11144 Fokker F-28-4000 Fellowship 1989/4/15 TXL

前回の記事で、Air Liberteを紹介した際に、1997年の同社の経営危機の際に、BAに同時に購入された会社でもあります。

トゥールのTours Val de Loire Airportを拠点に1968年に設立された地域航空会社で最初は同じTATでもTouraine Air Transportと名乗っていました。機材はターボプロップのBeech 99 Airliner1971年に取得し,1975年まで使用していました。

1970年代は国内の約30の地域を結ぶネットワークを築き、Taxi Avia France,やAir Parisとも合併を重ね、パリ・オルリー、リヨン、リール、サン・ブリューから国内便を飛ばしました。そして多くの国内便がAir Interとの共同運行となりました。さらに近隣国外都市との便はAir Franceとの共同運行となりました。これらの便はリール~ロンドン・ヒースロー間、ストラスブール~ミラノ間、あるいは季節運航でベジェ~ロンドン・ガトヴィック間で運航されました。これらの便名はAir InterとはIT, Air FranceとはAFで始まる便名で運航されました。さらにAFとの共同運航に用いられる機体はAFの塗装を纏いました。

そして1970年代後半から1980年代初頭にかけて西ドイツ内、国内ルート、西ベルリン・テーゲル~ザールブリュッケン間はTATの子会社の、TAT Exportが受け持ちました。1980年代初頭にはAir Alpes, Air Alsaceを取得し、フランス第一の国内地域エアラインとなり、国内、近隣諸国の50以上の都市を結ぶネットワークを確立し、名前も1984年Transport Aérien Transrégional  と改名しました。

1989年6月、Air FranceがTATの株式35%を取得し、AF, Air Inter, UTAに次いで第4位の航空会社となりました。1990年代初頭にはEUによる航空自由化に基づきパリ・シャルルドゴール~ロンドン・ガトヴィック間の便数を3往復設定し、TAT European Airlinesとなりました。1993年1月にはBAが49.9%の株式を購入、BAのフライトナンバーでの運航が開始され、一方でAir Franceとの共同運航は終焉を迎えました。

1996年8月、BAが全株式を取得、さらにBAは1997年にAir Liberteも取得し、両者は合併することになりました。しかし2001年にはスイス航空を中心とするSAir Groupに売却され、その結果、AOMと合併することになりました。

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                      F-GDUZ     1989/4/15 TXL

運航した機材は

Aérospatiale Corvette
Beech King Air C90
Beech 99/99A
Fokker F27 "Friendship"/Fairchild F-27A
Fairchild-Hiller FH-227B
Fokker F28 "Fellowship" (1000/2000/4000 series)
Fokker 100
McDonnell Douglas DC-9 (10/20 series)
Nord 262
VFW 614  です。

以上、英語版Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2014年4月11日 (金)

2014/3/29 真岡鐵道SL運転20周年記念列車 その3

2014年3月29日の真岡鐵道SL重連運転、今回は帰路の6002列車です。

運転開始当時は茂木駅に転車台が設置されていなかったため、機関車は帰路、逆向きでの運転を強いられていましたが、1996年3月に転車台が設置されてからは前向きでの運転となりました。

これまでの撮影では茂木駅まで行ってますが,今回はクルマの駐車場所として手前の道の駅で昼食休憩をとり、6002列車を待つことにしました。

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茂木~天矢場間,道の駅 裏手の曲線を行く6002列車 2014/3/29

帰りはC11 325が先頭に立ち、C12 66を従えての運行となりました。このカーブを列車が通過するときは、道の駅でも構内放送があり、多くのギャラリーが沿線に詰めかけます。

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再掲となりますが、2012年4月21日の真岡軽便鉄道以来100周年の記念HMを付けた6002列車

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2010年4月10日のC12 66牽引の6002列車

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再び、列車を追っかけ、西田井~北真岡間で6002列車を撮影

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西田井駅を発車するC11 325牽引時の6002列車 2012/4/21

重連運転列車も真岡駅で、C11325を切り離し、C12 66が単独牽引で下館を目指します。

C12_66_140329

真岡を出発するC12 66単独牽引の6002列車 HMもC12に移され、最後尾には真岡までの回送時に牽引するDE10 1535がぶら下がっています。

6002列車出発後は、下館には向かわず、真岡駅に隣接して2013年春に開館したSLキュウーロク館を見学することにしました。かつて井の頭公園に保存されていた右運転台の49671号機ほか、キハ20形ほか多くの客車、貨車が保存されています。その様子は別の記事で。

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16:33頃、DE10 1535号機が牽引する6103列車が真岡に戻ってきました。

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2014年4月10日 (木)

2014/3/29 真岡鐵道SL運転20周年記念列車 その2

2014年3月29日のSL重連運転、今回は往路の6001列車です。

久下田駅で回送列車を撮影した後、すぐに下館駅まで南下して、出発風景を撮影することに致しました。

駅横の踏切に到着すると既に多くの方がいらっしゃいましたが、そこに加わり,撮影することに。

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列車は既に入れ換えを終えて、C1266が先頭、C11325が次位の重連スタイルで発車を待っておりました。 2014/3/29 下館

C12 66号機には祝20周年のHMが装着されていました。

これまでにも下館駅での出発準備シーンは撮っており、

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C12 66単独牽引の際の出発シーン 2010/5/8

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真岡軽便鉄道以来、100周年の記念列車 C11 325牽引時の下館出発風景 2012/4/21

出発準備風景を見届けたところで、沿線を北上

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いつもなら正面きみに狙うところですが,今回は重連ということでサイド気味に狙うポイントと言うことで折本~ひぐち間で

C12_66c11_325_140329_3_2

つづいて、天矢場~茂木間で撮影

同様に単独牽引の場合でも下館から先回りして、列車を撮影しており、

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益子~七井間でC11 325 牽引列車を 2012/4/21
手前の踏切ぐらいまでは煙をもうもうと吐いていたのですが、ここまで来たときには絶気状態でした。

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七井~多田羅間でC12 66牽引列車を 2010/4/10

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2014年4月 9日 (水)

2014/3/29 真岡鐵道SL運転20周年記念列車 その1

今回から数回に渡り、先日3月29日に行われた真岡鐵道SL運転20周年を記念しての重連運転について触れようと思います。

真岡鐵道は旧国鉄特定地方交通線だった真岡線を転換した第三セクターの鉄道会社で設立は1987年10月12日のことでした。真岡線の開業は1988年4月11日で、「SLもおか」の運転開始は1994年3月27日でした。

SLに関してはかつて福島県伊達郡川俣町のふもと川団地に保存されていたC12 66号機と新潟県阿賀野市水原中学校に保存されていたC11325号機が使用されています。

1年を通じて毎週土曜日と日曜日に1往復ずつ、さらに殆どの祝日に運転されており,夏休み、春休み、冬休み期間中は土日以外の曜日にも運行されることがあります。

運行ダイヤは

回送6100列車で真岡(9:26)から、下館(9:55)まで列車を回送し、下館発(10:36)の6001列車は折本、久下田、寺内、真岡、西田井、益子、七井、多田羅、市塙と停車して茂木に12:06に到着します。
帰りは茂木で機関車の方向転換、給水等を行って14:27に茂木を出発、往路と同じ駅に停車して、15:58に下館に到着します。そして、下館発16:05の回送6103列車で16:31に真岡の戻ります。

わたしもこれまで数回、真岡鐵道のSL真岡号を写しに行ってますが,重連列車の撮影は今回が初めてでした。

まず今回は久下田駅での回送6100列車撮影です。

C12_66_100503_2

これはC12 66 単独牽引時の2010/5/3の写真ですが、久下田駅は満開の桜と菜の花で色彩豊富の駅です。

140329_3

当日、3月29日はまだ桜は開花前でした。

C12_66_6100_140329

久下田駅に進入する回送6100列車 2014/3/29 

C12 66が下館側に逆位で連結され、オハ50系3両(1号車:オハ50 11、2号車オハ50 22、3号車オハフ50 33)をサンドウィッチして、C11 325が逆位で推進する形態でした。

C11_325_c12_66_6100_140330_7

C11 325が逆位で推進するPP重連スタイルの回送6100列車 2014/3/29 久下田

Img_8621

久下田を出発する6001列車 C11325単独牽引時のもの 2012/4/21
100年のHMは2012年が真岡軽便線下館駅 - 真岡駅間 (16.5km) 開業から100周年だった記念です。

De10_1535_100503

回送6100列車はSL単独牽引時はDE10 1535が牽引し、SLが最後にぶら下がる形で運転 2010/5/3 久下田

今回はここまでで,次回は下館駅発車、そして6001列車の様子を。

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2014年4月 8日 (火)

通勤電車シリーズ 101系 その9 鶴見線

通勤電車101系シリーズ、今回は鶴見線です。

鶴見線に101系が投入されたのは1979年12月のことで、それまで走っていた旧形国電の置き換えでした。電車区は弁天橋区でした。

翌年1月には大川支線を除いて101系に統一され、1987年4月の民営化後は中原区に統合され,1992年5月103系に置き換えられて運転を終了しました。

101_800224

鶴見線の101系 塗色はカナリア色で、編成は3両編成でした。

私も鶴見線を訪れるようになったのはごく最近なので101系時代の写真はこの一枚です。

旧国から101系時代,鶴見線の電車区は弁天橋区でしたが、101系の車歴表(鉄道ピクトリアル誌No.874, 875)から弁天橋区に配置された車輌を拾ってみると、

クモハ100 なし
クモハ101 57, 141, 153, 159, 161, 162, 164, 165, 167, 169, 170, 172, 173, 177, 192, 193, 195, 196    18両
モハ100  47, 114, 165, 185, 187, 188, 191, 200, 205, 211, 216, 218, 232, 233, 807, 808, 809, 810  18両
クハ100 31, 32, 60, 66, 67, 68, 78, 82, 83, 84, 85, 86, 87, 93, 94, 95    16両

となっています。中央線用の山用モハ100-800番台の一部も弁天橋に配置されていたのですね。

1986年11月1日国鉄最後のダイヤ改正時の弁天橋区の編成表では、McM'T'cの3連11本の配置となっていました。

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2014年4月 7日 (月)

公園保存機関車+貨車  EF15 198 韮崎中央公園

前回の記事ではC12 5号機を紹介しましたが今回は同じ韮崎中央公園に保存されているEF15 198号機です。

Ef15_198_131231_3

EF15 198号機とトラ3両+ヨの編成 2013/12/31 韮崎中央公園

EF15は拙blogにおいても何度か紹介して来ましたが、198号機は202号機まで製造されたEF15の中でも最終グループ(168~202)として1958年から1959年に製造された35両の中の1両でした。

韮崎中央公園にはEF15のみならず貨車も数両保存されており、あたかも昔の貨物列車の編成の形態で保存されています。

Ef15_198_131231_5

機関車自身の保存状態は良いと思うのですが、パンタから車体まですべてこの妙な色に塗ってしまっているところが?です。

74778_131231

かつてはよく見た無蓋車も今は安中貨物くらいでしか見かけませんし、単軸貨車もワム8の廃車ですっかり見なくなりました。

Ef15_198_131231_8

EF15 198 + トラ 75013 + トラ 74778 + トラ 72379 + ヨ14041 の編成

Ef15_198_131231_14

足回りなどは今にも動き出しそうに整備されているように見えるEF15ですが・・・

この機関車の履歴をいつものように沖田祐作氏の機関車表から

EF15198    汽車製造大阪工場=2808/= 東洋電機     1958-10-01 E102t1CC1(1067)

   車歴;1958-10-01 製造→ 納入;国鉄;EF15198→ 配属[達606];中部支社→

      1958-10-01 竣工→1958-10-02 配置;稲沢二→1963-10-06 米原→1964-09-28 岡山→

      1965-06-10 借入;糸崎→1965-07-11 返却→1969-08-09 借入;浜松→

      1969-10-15 返却→1969-10-17(10/16?)宇都宮→1976-04-15 借入;東新潟→

      1976-06-02 返却→1978-10-30 八王子→1979-07-12(7/11?)甲府→

      1983-03-20(3/19?)立川→1983-00-00 甲府→1985-03-14 八王子→

      1986-02-10 廃車;八王子→ 保存;山梨県韮崎市「中央公園」;EF15198

製造後、稲沢第二機関区に配置され、約10年東海道筋で働いた後、次の10年は宇都宮、東新潟で活躍、1986年に廃車されるまでの最後の10年は中央線筋で活躍しています。

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2014年4月 6日 (日)

EF510-500番台 512号機

EF510 500番台シリーズ、今回は512号機です。

川崎重工からの出場、甲種回送2010年8月23日~24日で、新鶴見~田端間の牽引はEF65 1138が担当しました。

例によって、4種類の列車の写真をアップしてゆきます。

Ef510512_120415_2

8010列車特急「カシオペア」 2012/4/15 久喜

この写真が4列車x15機の最後に撮った写真だったと思います。久喜では以前、カシオペアをねらった際に下りホームから撮ろうとすると中線から出発する列車に被られたので、上りホームから撮っていますが,今回も下りから撮っていたら被られていました。

Ef510512_120708_3

8010列車 特急「カシオペア」 2012/7/8 さいたま新都心

その後、もう一度512号機牽引の機会が巡って来たので今度はさいたま新都心で狙ったのですが梅雨時の写真になってしまいました。

Ef510512_101003_1

2列車 特急「北斗星」 2010/10/3 久喜

同じ久喜でも「北斗星」は被られることがなかったです。

Ef510512_110703

2列車 特急「北斗星」 2011/7/3 さいたま新都心

Ef510512_110220_2

5388列車 通称「安中貨物」 2011/2/20 妙向寺踏切(荒川沖~ひたち野うしく間)

Ef510512_121123_2

3097列車 2012/11/23 南浦和

Ef510512_120630_2

2095列車 2012/6/30 府中本町

以上です。

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2014年4月 5日 (土)

特急「北近畿」 その4 485系から183系へ part3

JR西日本、福知山区に配置された485/489系改造の183系による特急電車の特集、今回からはB編成の中でも貫通タイプのクハ481-200番台に由来するクハ、クロハの写真をご紹介しようと思います。

貫通型クハの場合、貫通路があるために運転室が狭いとか,隙間風の問題があり、晩年は貫通扉を溶接して塞ぐ、あるいは貫通扉を撤去して一枚の板で塞ぐなどいろいろなやりかたでこの問題に対処したようです。

まずはB41編成のクロハ183-801です。

183_b41_081211

183系 B41編成 特急「北近畿」 2008/12/11 島本

183_b41_101209

183系 B41編成 特急「北近畿」 2010/12/9 千里丘

2014/3/22の記事でG41編成で活躍する姿を紹介していますが、この時代はB41編成の福知山・天橋立・城崎温泉方先頭車になっているクロハ183-801です。

情報によるとトラックとの衝突事故で貫通扉を破損し,修復の際にこうなったとのことで、まさに貫通スタイルの面影を残す非貫通スタイルになっています。

この車両の履歴は

クハ481-204 1972.9.25 東急車輌  盛アオ新製配置 「はつかり」「やまびこ」「ひばり」など
          1975. 秋アキ転属   「つばさ」 関連記事 
         1976 門ミフ転属   「かもめ」「みどり」「にちりん」 関連記事
         1984 天ヒネ転属   「くろしお」  関連記事
         1987.2.9  改造 クロハ481-214  関連記事
         1990.6.17 改造 クロハ183-801  関連記事

B41編成は

←新大阪・京都  福知山・天橋立・城崎温泉→
         Tc      M       M'      Thsc
           801     801    801     801

といった構成でした。

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2014年4月 4日 (金)

西武鉄道 HSCブレーキ化・冷房改造 14 805F~809F

西武鉄道のHSCブレーキ化・冷房改造シリーズ、今回は801系の残り3編成で、1983年1月から3月にかけて、シリーズの最後に登場したグループとなります。

805F  1983年1月18日
807F 1983年2月17日
809F 1983年3月18日

思い返せばこの頃、私は大学院の博士課程3年で、博士論文を提出から、審査、終了、さらに就職のために南大泉の実家からつくばに引っ越しという時期でした。27年間の東京都民から、茨城県民になった頃でもありました。

巷では理研のSTAP細胞事件に関連して、論文作成におけるデータ捏造が話題になっております。4月1日には理研の内部調査の最終報告が発表され、STAP細胞は本当にあるのかという点が注目されました。

世間が注目するこの問いに対する答えは最終報告では出されていませんが、Natureの論文に書かれている体細胞分化を完了したリンパ球細胞からのSTAP細胞はあり得ないのではないかというのが私の感想です。そして、OさんからW教授に渡されたSTAP幹細胞といわれる細胞の系統を調べた結果、元来、渡された129系統から、129/B6のF1雑種系統に変わっていたというニュースから、理研の実験結果は信じられなくなりました。

私は今回の事件でもっと問題にされるべきと感じたのはOさんの出身大学における博士論文審査過程のいい加減さではないかとも感じました。

私が修士論文や博士論文を書いていた頃はまだワープロさえなく、原稿用紙に手書きで指導教官のチェックで修正を受けると一から書き直しの状態でした。画像データなども自分で撮影した写真(白黒)をネガから暗室で現像し、印画紙に焼き付けし、論文の必要部数準備するといったもので、デジカメ等の発達した現代に較べ、遙かに論文の体裁を整えるのに時間と手間を要した時代でした。

私がちょうど大学院のころ、アメリカのコーネル大学でマーク・スペクターという大学院生ががん細胞におけるATP分解酵素の活性に関する実験で教授が唱えていた学説にあう実験データを捏造し、大学から追放される事件が起きたのを憶えています。

Wikipediaの「科学における不正行為」の記事でその辺が纏められていますが、今回の理研の場合、iPS細胞への対抗心や理研内での予算獲得といったプレッシャーがあったのかもしれませんが、Nature誌などに論文を発表すれば世界中が注目し、多くの研究室で再試が行われることは事前に分かっていたはずなのにと思うとなぜあんなことをしたのが疑問でなりません。

余談が長くなってしまいましたが、ことこの801系3編成に関しては私は西武鉄道での現役時代の写真を撮っていません。まさか、あれから30数年後に、こうやって改造シリーズをグループ毎に紹介する事態になるとは当時考えもしなかったせいもあります。

その代わりといってはなんですが、後年、引退後に西武から流鉄に2000形として譲渡され、活躍する姿を撮影してありましたので、それを今回は紹介致します。

この3編成のうち、809Fがモハ809の妻面にクハ1809の前頭部を接合し、3連化する改造を受け、2000形の第4編成 クモハ2004-モハ2102-クハ22として譲渡されました。愛称は「流馬」となりました。クハ22の台車はFS072に換装されました。

2004210222_050905_3

流鉄 流馬編成 2005/9/5 馬橋 手前がクハ22

2000形の仲間には803Fから改造された青空編成もおり、こちらはモハ803、804にクハ1803、1804の前頭部を接合した2連でした。

20012002_090607

流鉄 青空編成 (クモハ2002+クモハ2001) 2009/6/7 馬橋

両編成の写真を眺めていて気づいたのですが、エアコンサイドのランボードのタイプは1978年3月改造出場の803Fは出場当時は小さいランボードでしたが、流鉄時代上記の青空編成では大型になっています。さらにエアコンのキセも前回の記事でご紹介したCU75Cのように無塗装ステンレスタイプで端にリブが見えるタイプになっています。

一方、809Fは723F以降の最終グループと同様のCU75Cで出場したと思われますが、流馬の写真では端にリブが見えません。おそらく、何度かの入場の際にエアコンのキセも交換されたのかと思われます。

客用扉は801系は赤電時代にステンレス扉に交換されており、HSC・冷改では交換されていないので、809Fにおいても金属枠のガラス押さえではなくHゴム方式のままであったのだろうと思われます。

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2014年4月 3日 (木)

西ベルリンの思い出 Air Liberte

冷戦下の西ベルリン、テーゲル空港の思い出も残すところあと僅かとなってきました。

今回はフランスのリゾートチャーター航空会社だった、Air Liberteです。写真は同社のMD-83を紹介致します。

Fghec_cn_496621429_mcdonnell_dougla
F-GHEC cn 49662 ln 1429 McDonnell Douglas MD-83  1989/2/18 TXL

Air Liberteは1987年7月に創業したオルリー空港そばの、ランジス(Rungis)、世界最大の生鮮食品市場のひとつであるランジス公益市場(Marche d'Intret de Rungis)がある、に本社を持ち、オルリー空港を拠点とした航空会社でした。

1988年4月からリース機のMD-83で、ヨーロッパ、地中海のリゾート都市向けの運航を開始しました。1989年にはAir Libertie Tunisieも設立し、1990年3月21日に運航を始めています。

Gpatc_cn_49662_1429_mcdonnell_dougl
G-PATC cn 49662 ln 1429 1989/4/8 TXL

最初の写真の2ヶ月後、似たような塗装でタイトルがParamountになり、レジもG-PATCのMD-83がテーゲル空港にいました。

cnやlnからお分かりかと思いますが、この2機は実は同じ機体でタイトルをAir LibertieからParamountにしてレジもGレジに登録したものでした。

Paramount Airways (QJ/PAT)は1986年6月8日にブリストルで設立されたチャーター航空会社で1987年5月1日に運航を開始しています。MD83,2機をリースして運航を開始しましたが、これはイギリスでは初めてのMD-83の運航でした。1988年にはAmber Airを買収し、Boeing 737もフリートに加えます。

1989年7月,早くも経営危機に陥り、11月に倒産しました。ちなみにParamount Airwaysはインドの航空会社にもありますが、全く関係は無いようです。

Fleet list

McDonnell Douglas MD-83

G-PATA49398(Now with by Blueline as F-GMLU)

G-PATB49400(Now with American Airlines as N9407R)

G-PATC49962(Now with Nordic Leisure as SE-RDM)

G-PATD49663(Now with American Airlines as N9307R, stored Roswell)   

Boeing 737

G-PATE24093 (Now with Batavia as PK-YVX)

G-BKMS22453(Last noted with Batavia as PK-YTG)

G-BOSA20808(Scrapped on 31/07/2006)   

Boeing 727

N289AT18942 (Lsd from American Trans Air in 1989 - Last known as OB-1588)

以上、情報はこちらから

************************************************************************

さらに1992年からは、モントリオールや、マダカスカル東方のレユニオン(Reunion)やカリブ海沿岸の都市にも足を伸ばしました。さらにツールーズからダカールとロンドンの路線も開拓を試みたようですが、オルリー空港のスロットの問題から失敗に終わっています。

1996年にはフリートがBoeing 737-200、5機、MD-83、8機、DC-10、5機まで増えています。同時のこのころから財政危機に陥り、年間で10億フランの赤字を計上し、1997年にはBAが持ち株比率で70%を抑える事態になりました。BAはフランスの他の航空会社のTATも傘下に抱えることになり、両者をひとつの経営体としました。一方、1995年、Air Libertie TunisieからNouvelairが独立しました。

2000年5月5日、BAはAir Libertieをオランダの会社であるTaibout AntibesとSwissairに売却しました。

一方、2001年3月25日1990年からそれまでフランスではAFに次ぐ航空会社であったAOM French Airlinesが名称をAir Liberteと替え、2001年9月22日に両者が合併してAirlibとなりました。同年10月アメリカの同時多発テロ後の航空不況でSwissairが経営破綻し、フランス政府が3050万ユーロの負債を肩代わりしたものの、2002年8月に経営破綻を宣言し、2003年2月17日に倒産しました。

フリートは最終的に、
Airbus A300, 2機
Airbus A310, 3機
ATR 42/72, 10機
Boeing 737, 6機
Fokker F70/F100, 11機
DC-10, 5機
MD-80, 18機  となっており、その詳細を表1、2に纏めました(データはPlane Spotters.netの情報を参考にしております。

Table_1_3

表1 Air Liberteのフリートリスト 1

Table_2

表2 Air Liberteのフリートリスト 2

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2014年4月 2日 (水)

通勤電車シリーズ 101系 その8 南武線

通勤電車、101系のシリーズ、今回は南武線です。といっても101系の2連が最後まで活躍した南武支線ではなく、本線の方です。

国鉄時代、首都圏では、これまで見てきたように、中央快速線、山手線、赤羽線、中央・総武緩行線に101系が新製配置され、それが103系の投入などで置き換えられる形で南武線(本線)の車両配置区である中原電車区に転属し、南武線で運用されるようになりました。車体色はカナリア色(黄色5号)でした。

南武線の電車区は開業当時は矢向駅構内の矢向電車区でしたが、手狭となり、1960年4月25日に中原電車区が開設されています。

101

南武線で走り始めた101系快速 川崎

南武線における101系の運用開始は1969年12月15日の快速運転開始で、日中60分間隔での運転でしたが、車両は武蔵小金井区からの借り入れでした。

1972年9月12日、中央・総武緩行線で活躍していた101系が中原区に転入し、初めての配置となり、それまで活躍していた旧形国電の置き換えが開始されました。

101_100903

中央線で長らく活躍した101系の試作車 クモハ100-901 尻手

1976年3月8日には京浜東北線の101系が浦和区から転入し、半数が101系化され、本線全線で6両運転が開始となり、1978年に旧形国電を完全に置き換えました。さらに10月2日には快速の運転を終了しました。

101_830219_4

非冷房の101系編成、立川方の2両はオレンジ色のまま 1983/2/19 尻手

約20年後の1991年、103系と205系の投入で本線から101系の運用はなくなりました。

101_790923

中央線から転属してきた改造冷房車 1979/9/23 川崎

101_830219

改造冷房車の中にはライトのシールドビーム改造車も 1983/2/19 尻手

101_830219_2

上の編成の反対側 クハ100 

101系の試作改造冷房車は大部分が中原電車区に集結し、当初は5両給電方式でしたが、AU75の所要電力から6両まで給電可能と言うことで6両編成1MG方式とされました。量産冷房改造車として1976年以降に改造された52両も後年、殆どが中原電車区に配置され、南武線と鶴見線で活躍しました。

1979年の編成表データによると、中原区には185両の101系が配置されており、編成は

←川崎  立川→
Mc M' T T M M'c   の編成が15本
Mc M' T M M' T'c  の編成が 7本
Mc M' T'c Tc M M'c の編成が3本
Tc M Mc M M' T'c の編成が1本
Tc M M' T M M'c の編成が1本 とあとはバラといった構成でした。

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2014年4月 1日 (火)

公園保存蒸気 C12 5 韮崎中央公園

公園保存蒸気を観て歩く旅、今回は中央線沿線、韮崎の中央公園(市民運動場)に保存されているC12 5号機です。

韮崎市民運動場は地図で調べると韮崎駅と新府駅のほぼ中間の線路の南側にありますが、歩いてゆく場合は新府駅の方が近かったので,新府駅から歩くことにしました。

131231_2

新府桃源郷の案内図 この案内図北が下になっています。中央公園が目的地です。2013/12/31

拙ブログの新春の記事で紹介致しましたように新府駅のホームからは富士山が見えます。そして年末のこの季節、桃の木は既に落葉していますが、袋かけの跡の白い袋が枝に大量に残っており、まるで白く花が咲いたように見えました。

131231


桃を収穫したあとの桃の木には大量の袋掛けのあとが残っており、遠くから観ると白い花が一面咲いたように見えました。 2013/12/31 新府

新府駅から、七里岩ラインを歩いておよそ30分、韮崎中央公園に到着しますが、こちらには2種類の機関車が保存されています。ひとつは道路に面した正面ゲート付近に保存されているEF15198と数両の貨車編成で、こちらに関しては次回の記事でご紹介致します。市民運動場の陸上競技場のトラックの向こう側、南の外れに、今回の記事で紹介するC12 5号機が保存されています。

C12_5_131231_5

C12 5号機 韮崎中央公園 2013/12/31

C12_5_131231_4

デフレクターのないオリジナルの姿ですが、砲金部分は美しく磨き出されており、野外ですが保存状態は極めて良く感じました。

C12_5_131231_11

サイドタンクのプレート、製造銘板、重量表示

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クロスヘッド付近 ボイラーと足回りの間がかなり空いているのもこの形式の特徴

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後部のライト,プレートも装着されており、機関車の設置場所も工夫されています。

C12_5_131231_23

ちょっと残念だったのは非公式側のシリンダー下部のカバーが無くなっていたことです。

C12_5_131231

蒸気機関車の説明とC125号機の履歴が説明板に

例によってこの機関車の履歴を機関車表(沖田祐作氏)から

C125      汽車製造大阪工場=1186            1933-02-03 S50.00t1C1t(1067)
   車歴;1933-02-03 製造→ 納入;国鉄;C125→ 配属;東京局→ 配置;宇都宮→
      1933-02-27 現在;宇都宮→1934-09-10 現在;桐生→1935-02-01 現在;桐生→
      1941-03-31 現在;中湧別駐泊所→1945-09-30 現在;苫小牧→
      1949-03-01 現在;苫小牧支区→ 小樽築港→1955-03-23 横川区軽井沢支区→
      1955-03-23 保留指定→1955-04-27 解除→1964-04-01 現在;横川区軽井沢支区→
      1969-05-07 甲府→1970-04-30 廃車;甲府→
      1970-09-05 保存;山梨県甲府市「舞鶴城趾公園」;C125→ 移動

1933年の製造で、最初は宇都宮に配置され、烏山線などで活躍したのでしょうか,その後桐生に移動し,両毛線で活躍後、北海道に渡り、さらに軽井沢、そして最後は甲府と東日本で活躍しています。引退後の保存場所も最初は甲府だったのですね。

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