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2014年5月11日 (日)

西武101系 その1 非冷房の編成

701系、801系、401系、501系の赤電から改造車の話題を前回の記事で終了しましたので、今回からは少し時代を遡って、オールラウンドサービスカー(ASカー)として1969年に登場した101系の話題にシフトしようと思います。

101
1975年頃の練馬駅に進入する各駅停車池袋行 

101系は1969年の西武秩父線開業に備えて山岳路線走行用の高出力、高ブレーキ性能の車輌として登場し、1976年までに4両編成50本、6両編成13本が新製された、所謂 旧101系1979年、4扉車2000系の増備が一段落した後に2両編成から、4両編成、8両編成(301系)まで登場した新101系があります。

私が西武鉄道の写真を撮り始めたのは、1975年の701系の最初の冷改車が登場した頃でしたから、旧101系の歴史で言えば100番台の編成は全て登場し、120番台の冷房改造6連化編成も登場し、200番台の6連編成が増備されている頃でした。

Table1_1011
表1 西武101系 製造、冷房改造に関するデータ その1

Table1_1012
表2 西武101系 製造、冷房改造に関するデータ その2

例によって、旧101系の製造、冷房改造、製造工場、編成両数に関するデータを表1,2に纏めてみました。データは保育社 私鉄の車輌6 西武鉄道と鉄道ピクトリアル誌No560, 716を参考にしました。

101_810003
池袋に到着する急行電車 列車種別表示のプラスティック板が大きくなった1981年頃

旧101系の車輌のスタイルは801系のスタイルを踏襲しましたが、台枠の厚さが増加したものの、床面高さは同じされたため、車体裾が低くなりました。さらに客用扉を閉扉した際に物挟みなどで完全に閉まりきらない扉のみ再度全開にする事ができる再開閉スイッチや、車内保温を目的に運転台の直近の扉以外を締切る装置が初めて備えられました。

屋根上にはグローブ形ベンチレーターが先頭車に7個、中間車M1車に5個、M2車に8個搭載され、パンタグラフはM1車(奇数車)に2基搭載されました。車体はレモンイエローとウォームグレーに塗り分けられました。101系が登場する前に、701系747Fで同塗装の試験が行われましたが、後年103Fからの塗り分けと較べるとウォームグレーの天地幅が大きかったそうで、101Fも当初は747Fと同じ塗装で登場したそうですね(NEKO MOOK 1876 写真で見る西武鉄道100年の記事、写真から)。

101_810003_2
新製時からの冷房付き101系編成が登場してからも非冷房の101系編成は結構残っていたように感じます。 1981年頃 保谷

台車はクハ1101形がFS072、 モハ101形がFS372を履き、モーターは日立製作所製HS-836-Nrb・Prb(出力150kW)又は東洋電機製造製TDK-8010-A(出力150kW)が、搭載され、主制御器は日立製の電動カム軸式の抵抗制御器MMC-HTB20E(弱め界磁起動1段・直列12段・並列13段・弱め界磁5段・発電制動25段)が搭載されました。補助発電機としては電動発電機(MG)がM2,4車に搭載されました。非冷房車は12kVAのHG-534-Mrb型でした。

制動装置には西武鉄道では初めて応荷重装置を持った発電制動付き電磁直通空気制動(HSC-D)を採用、勾配抑速発電制動を装備しました。これらは急勾配が続く西武秩父線を走行するための装備でした。これにより、自動空気ブレーキ装備の在来系列との通常の併結運転は不可能になった。電動空気圧縮機(CP)はAK-3型をM2,4車に2台搭載しました。

(以上、Wikipediaの記事を参考に致しました)。

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民鉄:西武鉄道グループ」カテゴリの記事

コメント

B767さん、こんばんは(^^)お邪魔します。やっと101系のスレが登場しましたね‼︎非冷房の101系ですね。2枚目の画像は、池袋に到着する通勤急行ですね。1981年頃っつぅのは、通勤急行・通勤準急は池袋線のみの種別で、新宿線で通勤急行が運行開始するのは…1993年12月のダイヤ改正からですもんね。ところで、非冷房の101系って…1980年3月のダイヤ改正以前は新宿線では走ってはいなかったのかな⁉︎

マスダっち1971さま、こんばんは。

コメントありがとうございます。
>、新宿線で通勤急行が運行開始するのは…1993年12月のダイヤ改正からですもんね。

そうでしたか。私、そこら辺は全く記憶にありませんでした。沿線住民でなかったからかもしれませんが。

新宿線に101系が走り出した当初は、分散式冷房の171Fからの編成だったように記憶しているのですが。非冷房の101系は専ら池袋線だったように思います。

B767さん、おはようございます(^^)またお邪魔しますよ。そうですか…非冷房の101系は専ら池袋線を走っていたんですね。分かる気がする。そういや、新宿線で唯一なかった種別が…「通勤準急」ですよ‼︎大体停車駅はどうするんよ‼︎ってな感じですね。新宿線の準急って、上り方向で例えて、停車駅が上石神井までの各駅・鷺ノ宮・高田馬場・終点の西武新宿でしょ⁉︎これが仮に平日朝の上りの本川越、または新所沢始発の「通勤準急」だったら…停車駅はどうなっていたのかが謎ですわ。

マスダっち1971 さま、こんばんは。

わたしも憶えておりますが、私鉄の朝の通勤時間帯の急行、準急、快速の停車駅パターンは複雑でしたね。

池袋線なども、急行は所沢、ひばりヶ丘、石神井公園、池袋でしたが、準急は保谷、大泉学園から池袋だったりして、しかも時代で変わったりして結構、複雑でしたね。

B767さん、こんばんは(^^)またお邪魔しますよ。よくよく見ていると…優先席(シルバーシート)のステッカーはまだ貼られていないんですね、この頃の101系には。

マスダっち1971さま、こんばんは。

そうですね。わたしもシルバーシートがいつ設定されたのか「西武鉄道100年」の本で調べて見ました。すると1975年12月20日とありました。

意外なところから、撮影年代が分かるものですね。

こんばんは。

101系非冷房は701系列冷房改造よりも前ですからね。私の撮った写真にも非冷房のみの編成とかありますから(既に701系列は全車冷房化済み)、かなり後年まで非冷房車は残ったようですね。

101系の当初の塗り分けラインは赤電と同じだったそうです。それだとバランスが悪いので窓の上下均等に近い位置に変更されたということのようですね。

MiOさま、こちらにもありがとうございます。

101系の冷房改造、仰るように最初の冷房車が登場してから随分長いことかかって改造を行っていたようですね。

新101系の製造段階で初めて東急車輌に外注となったのですね。

B76,さん、こんばんは(^^)お邪魔します。「西武鉄道100年」本屋で見ましたよ。あの本を見て気付いたんですが、西武池袋駅ってJR(当時は国電でした)・東武東上線・東京メトロ丸ノ内線&
有楽町線(当時は営団地下鉄でした)の地下連絡通路が開通したのは、1974年10月なんですね。地下連絡通路が開通する前は…跨線橋で連絡していたそうで。

マスダっち1971さま、こんばんは。

そうです。憶えています。
長い跨線橋があって、しかもその下が貨物の入れ換えをやっていた貨物駅だったので、入れ換えの蒸気機関車の煤で跨線橋が黒く煤けていました。

あれは1974年頃まであったのですね。その昔、パルコは丸物デパートって言ってましたっけ。かなり古い話題ですが(笑)。

B767さん、こんにちは(^^)お邪魔しますよ。池袋のパルコって…昔は『丸物デパート』だったんすか!!あら、ま!!池袋のパルコがいつオープンしたのかが謎ですな。そういや、東京メトロ有楽町線(旧・営団地下鉄)池袋〜銀座一丁目間が開業したのは、西武池袋駅の地下連絡通路が開通したのと同時期ですか!?

マスダっち1971さん、こんばんは。

池袋の歴史も調べて見ると結構複雑ですね。

まず「丸物」が撤退してパルコが出来たのが1969年のことだそうです。そんなに古かったのかと思いました。

そして、地下通路ですが、2つあって、丸ノ内線の方と有楽町線の方で、後者が出来たのが1974年でこれが有楽町線開通と同じ年ですね。丸ノ内線の方は1954年に開業していているので有楽町線の20年前ですね。今は両方の通路が地下でも渾然一体となっていますが、昔は分かれていましたね。

西武の国鉄103系みたいな電車、1969年~1976年に旧101系は大量増備されて、赤電の古い奴を新造と同時に廃車にしたみたいですね。371系や501系対象に置き換えが行われて、501系ファンも何人もいたでしょうから私は嫌いでした。なんて言ったって赤電の歴史を壊して黄色い電車のイメージ定着させた張本人ですからね。

新田さま、コメントありがとうございます。

確かに赤電ファンから見れば、101系は赤電を駆逐していった存在にも見えますが、当時は秩父線が開通し、それまでの国鉄払い下げ車両が多かった西武鉄道が漸く近代化の道を歩みだしたとして歓迎されたような存在でもありました。

やがて時代は過ぎその101系も抵抗制御の生き残りとしてその後代がひっそりと生きる時代になってはいますが。

801系までの西武は、質より量でとにかく連結可能であればなんでもあり!!で来ていたので、1969年の西武秩父線の開業は否応なしにフル規格高性能化を実行せざるをえないきっかけとなる革命的な出来事となりました。
しかし、質より量が必ずしも西武だけだったわけではありません。中央線よりも南側を走る京王本線系統は旧型緑色車のみならず5000系も付属編成の5100系で吊り掛けが混じるのが当たり前となっており、701系量産期だけで比較すると14m旧型車を2010系のサハに組み込んでいた京王の方が質より量感は高かったように思います。
で話を西武101系に戻しますが、非冷房の101系は1987年秋に通学で何度か国分寺線で乗りました。抑速ブレーキ込みだからか、701系などよりも粘り強さが感じられるモーター音でした。701系と801系が100%冷房化を達成したのに対して101系は残念ながら…かつまさかの非冷房のままで消された編成も複数ありました。無論西武が全パーツ廃棄するようなマネをするわけがなく、現在は4000系に移植されて我々と同年代の部品が飯能〜西武秩父間で活躍してますね。

ねこたろうさま、こちらにもありがとうございます。

1987年頃の国分寺線ですか。わたしは1983年に大学院を卒業し、就職、東京を離れ、つくばでの生活となり、さらにこの時期は鉄道より飛行機だったものですから、当時の国分寺線の記憶が薄いのですが、101系は最後まで冷房改造されないままに引退した編成もあったのですね。

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