通勤電車シリーズ 101系 その12 もとを辿れば101系のJR東海の123系
通勤電車101系シリーズ、今回は前回の記事で触れました145系・147系から再改造され、JR東海で活躍した123系です。
富士駅で出発を待つクモハ123-5042 W102編成 2007/3/4
身延線に123形を撮影しに出かけたのは廃止まであと十数日と迫った頃でした。
2006年9月に5041、2007年1月に5044、5145が廃車されており、残って活躍していたのは5042,5043、601、602の4両でした。
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123系クモハ123形は13両が改造され、JR東日本に1両、JR東海に7両、JR西日本に5両が継承されており(JR東海の2両はJR化後に改造)、JR東日本とJR西日本の車輌は1987年、クモニ143形から改造された車輌であるのに対して、JR東海の車輌は1987年1月にクモユニ147形より改造された40番台と1988年3月にクモヤ145-600番台から改造された600番台でした。
源道寺駅に接近するW103編成(単行ですので編成という言い方は?ですが) 2007/3/4
静岡運転所(現、車輌区)に7両とも在籍し、身延線(富士~西富士宮間、鰍沢口~甲府間)の区間輸送用に活躍しましたが、2007年3月16日のダイヤ改正で313系に置き換えられ、運用離脱し、6月までに全廃されました。
如何にも元事業用車という顔をしたクモハ123形 2007/3/4 源道寺
<40番台>
種車はクモユニ147形で、運転台直後に片開扉を設けた2扉車で、戸袋窓は廃止されました。またドア下部の張り出しが前位側(パンタグラフと逆側)にありました。1989年に集約分散式冷房装置(DC-DCコンバータ電源によるインバータ式のC-AU711D形2基)を搭載して5040番台(5041 - 5045)に改番されました。
1990年のワンマン化改造に際しては5045のみ前面に貫通扉が設置され、5145に再改番されました。
源道寺を後にするW103編成 2007/3/4
<600番台>
種車は牽引車のクモヤ145-601・602で1988年3月に改造されました。両端部と中央部に扉を設けた3扉構造となっており、種車の前面にあった貫通扉は2両連結した時に貫通路が構成できるように改造されました。
改造当初は非冷房でしたが、1988年12月に集約分散式冷房装置(C-AU711A形2基)が搭載されました。冷房電源は電動発電機 (MG) からの供給とされたため、改番はされませんでした。1990年にワンマン運転設備が設置されました。
入れ違いに下りでやってきたのはW107編成 クモハ123-602 2007/3/4 源道寺
去りゆくクモハ123形を撮影するために身延線を訪問したのはこのときが1977年9月23日以来、30年ぶりのことで、1977年当時は貨物列車をEF10やEF15が牽引しており、電車はクモハユニ44、クモハ51、クハ47、そして登場して間もないクハ66などが活躍していました。沿線の宅地化と風景の変化に驚かされました。
2002年 2007年の編成表データ
モハ101-149 → クモユニ147-3 → クモハ123-41 → 5041 W1 → W1
モハ101-141 → クモユニ147-1 → クモハ123-42 → 5042 W2 W102
クモハ100-139 → クモユニ147-2 → クモハ123-43 → 5043 W3 W103
モハ101-131 → クモユニ147-4 → クモハ123-44 → 5044 W4 W104
モハ100-132 → クモユニ147-5 → クモハ123-45 → 5145 W5 W105
モハ100-806 → クモヤ145-601 → クモハ123-601 → W6 W106
クモハ100-163 → クモヤ145-602 → クモハ123-602 → W7 W107
と編成番号は変化していました。
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コメント
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こんにちは。モモパパです。
123形。
僕。
好きだったんですがね~。
あの元事業用車両然とした顔立ちが。
無くなってしまったのは寂しいですけど。
投稿: モモのパパ | 2014年5月 8日 (木) 06時29分
モモのパパさま、こんばんは。
123系、JR東海とJR東日本からはなくなってしまいましたが、JR西日本の車輌が本州の西の方で頑張っていますね。あとどれくらい続くかは不明ですが、置き換える車輌も登場していないのでまだ撮影機会はあるかも知れませんね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年5月 8日 (木) 20時09分
クハ415-1901さん、こんにちは。
身延線の123系電車アルバムを拝見です。
富士ポニーと名付けられたこの電車・・・
旧塗装時代に小さかった息子と乗りました。
旧国の流れを汲む?奥が深い電車でしたが、
勇退前に一度湘南色での活躍シーンを見てみたかったです。
入山瀬のD51ですが、
あちらに出かけたときは、必ずここで休憩するようにしています。
旧客もよい感じで、
特に紅葉のころに行くと心がほっとします。
投稿: やぶお | 2014年5月11日 (日) 09時45分
やぶおさま、こんにちは。
コメントありがとうございます。
JR東海はJR各社の中でも最も積極的に国鉄タイプの電車を淘汰していますね。123系も本来ならもっと活躍していたかも知れませんが、以外と早く廃車されてしまった感じですね。
入山瀬のD51、私もやぶおさんが掲示板にアップされたのを拝見して、是非訪問したく思いました。富士山を近くに見えて紅葉の季節も素敵でしょうね。
静岡市の公園のD51も今後どうなるか分かりませんが、是非早いうちに観察しておこうと思っています。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年5月11日 (日) 12時47分
こんばんは。
身延線の単行電車、懐かしく拝見させて頂きました。
幼い頃に乗った記憶があります。その頃は車両の出自など分かっていませんでしたが、こちらで車歴を見まして、改めて独特さを感じました。
元は通勤電車、事業用に改造され、さらにローカル用の旅客車両になるとは、稀な車両です。
今の身延線は綺麗な車両が走るようになり、変化に驚かされます。ローカル線に異端車や旧型の車両がいた時代は、もう終わっているのかもしれません。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
投稿: 風旅記 | 2020年12月 2日 (水) 03時27分
風旅記さま、お久しぶりです。
仰るように身延線、飯田線といえば旧型国電の宝庫も言われました。
その後、民営化当初は国鉄型が走っていましたが10年くらい経つとJR東海スタイルに変貌しましたね。
地元の方々にとってみれば大変ありがたいことと思えますが、訪れる側にしてみると一抹の残念さもあります。
これから鉄道会社が如何に地元に密着し、全国に存在をアピールして行くかという課題に向かってゆくのかも見ものかと思います。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2020年12月 2日 (水) 04時36分