通勤電車シリーズ 101系 その13 101系の廃車発生部品を使って登場した車輌達
通勤電車101系シリーズ、今回は廃車になった101系の部品を使って誕生した新製車・改造車の話題です。
前々回の記事で触れた145系、147系は101系の改造名義ということで製造された車輌でしたが、今回ご紹介する形式、クハ104形500番台、クハ118形、クハ120形、クハ715形0番台は101系の廃車で発生した台車や歯車装置を流用した車輌ですので101系のどの車両の部品が使われたか記録は残っていないと思われます。
奈良線・和歌山線等で活躍する103系1000番台改造の105系 2012/3/17 高田
クハ104-501を含む編成は撮影時、このような塗色で活躍していました。
奈良線・和歌山線等で活躍する103系1000番台改造の105系 2012/3/17 高田
クハ104-501を含む編成は撮影時、このような塗色で活躍していました。
<クハ104形500番台>
1984年の奈良線・和歌山線、紀勢本線の電化開業用、可部線の旧形車置き換え用に投入された105系は新造ではなく、他系列からの改造編入された車輌です。種車は103系0番台と1000番台です。奈良・和歌山線用に48両、可部線用に13両が改造されました。
その中でクハ104形500番台はモハ102形1000番台から10両が改造されており、それまで履いていたDT33形動力台車を101系廃車発生品のDT21形付随台車に履き替えています。運転台は新造車に準じたものが取り付けられました。
モハ102-1031・1012・1051・1027・1063・1007・1020・1001・1023・1024 → クハ104-501 - 510
かつて飯田線で活躍していた119系E12編成 クハ118-7が先頭 2009/3/20 豊橋
モハ102-1031・1012・1051・1027・1063・1007・1020・1001・1023・1024 → クハ104-501 - 510
かつて飯田線で活躍していた119系E12編成 クハ118-7が先頭 2009/3/20 豊橋
<クハ118形>
飯田線の旧形電車を置き換えるために国鉄が1982年に製造したのが119系ですが、短編成向けで加速力重視の105系をベースに飯田線向けの要素、すなわち連続急勾配を走行可能にし、長時間乗車に適した車内設備を盛り込んだ新系列となりました。クモハ119形33両とクハ118形24両が製造され、Mc-Mc-TcもしくはMc-Tcの編成で運用されました。
車体は105系をベースにした20m級の普通鋼製片側両開き3扉仕様で、国鉄の新性能近郊形電車では初めて裾絞りのない2,800mm幅車体となりました。前面形状は高運転台構造で前面窓周りを黒く塗装する105系のデザインを踏襲しており、同様の貫通扉を備えました。側面は客用扉の位置が105系とは異なっており、乗務員室に隣接する客用扉は乗務員室直後に設置されており、窓の配置も105系とは異なっています。
クハ118形の台車(DT21T形)は101系の廃車発生品を再利用しており、電動発電機は485系サシ481形などの食堂車からの70kVA電動発電機を、空気圧縮機も他系列の冷房改造の際に余剰となった機器を転用したそうです。
2012年3月17日のダイヤ改正で定期営業運転を終了し、同年3月31日の「119ファイナル号」をもってすべての営業運転が終了しました。そのうちR1編成(クモハ119-5318+クハ118-5311)、R2編成(クモハ119-5320+クハ118-5312)、R7編成(クモハ119-5330+クハ118-5322)が2012年6月に除籍され、えちぜん鉄道に譲渡され、第二の車生を送っています。
登場間もない頃の121系 クハ120-7他 1987/10/13 高松
現在も登場時と変わらない姿で活躍する121系 2013/3/20 高松
クハ120-2のDT21T台車
<クハ120形>
国鉄分割民営化直前の1987年3月23日のダイヤ改正における予讃本線高松 - 坂出間、多度津 - 観音寺間および土讃本線多度津 - 琴平間の電化開業に備えて、製造されたのが121系です。クモハ121形とクハ120形の2両編成19本、38両が製造されました。
205系や207系900番台に類似したステンレス製車体で、前面中央には貫通扉を備えています。側面は211系と同様の、戸袋窓のある片側3扉配置で扉は半自動(停車時に手動で開閉する)の設定が可能であり、、開閉用の取手が取付けられているほか、ホーム有効長の短い駅での客扱に備えて選択開閉ができるようになっています。車体幅は205系と同じ2,800mmとし、近郊形電車ではあるものの、105系や119系などと同様な裾絞りのない車体となりました。
台車および主幹制御器などの各種機器については、当時の国鉄の財政状況から、新製費用を抑えるために可能な限り廃車車両の発生品を流用しています。クモハ121形の台車は103系で採用されているDT33形をベースにブレーキシリンダやばねなどを改良したDT33A形台車を使用していますが、一部はDT33形の発生品を流用しています。クハ120形の台車は101系から流用したDT21T形を流用しています。主電動機はMT55A形、主制御器はCS51A形、空気圧縮機はC-1000形であるなど、 基本的な構成は105系と同一です。
補助電源装置は485系サシ481形などの食堂車の廃車発生品である70kVAの電動発電機 (MG) を当初装備していましたが、トラブルが多発したため、1998年から2001年にかけて静止形インバータ (SIV) に交換されました。
鳥栖駅で出発を待つ715系0番台 1985/4/20
<クハ715形0番台>
1982年のダイヤ改正から広島地区において「列車型のダイヤ」から地域密着型の「電車型ダイヤ」に転換が行われ、好評を博したことで、この方針が全国の地方都市におけるダイヤに拡大して行くことになりました。特に交流区間では新幹線の延伸で夜行特急列車としての運用が減り、ボックスシートであったが為、昼行特急としての設備面での見劣りが指摘されつつあった、581、583系特急電車を近郊形に改造する案が提案されました。
1984年に長崎・佐世保線用に715系0番台、1985年に715系1000番台が交流専用の近郊形電車として登場し、同年交直両用の419系が北陸本線に改造投入されました。
581系モハネ580、581形の歯車比は高速仕様の22:77 (1:3.50)であり、これを近郊形に合わせるために101系の廃車発生品の歯車装置(歯車比15:84(1:5.6)が再利用されました。標準的な近郊形電車の歯車比1:4.82に比べて加速性能は高くなったものの、高速性能は劣ったため、最高速度は100km/hに抑えられ、動力台車の形式名もDT32Kに変更されました。
車体が重いだとかラッシュ時に乗降扉が狭く時間を要すだとか、種々の問題を指摘されつつ、改造後10年以上活躍した715系でしたが、、1996年から1998年にかけて813系に置き換えられ廃車・解体の道を辿りました。
以上、Wikipediaの各車両の記事を参考にしながら、101系の台車等が新しい車両で再利用される様子をさらってみました。次回は、この3月に運用が終わった譲渡先、秩父鉄道1000系の活躍について記事にする予定です。
車体は105系をベースにした20m級の普通鋼製片側両開き3扉仕様で、国鉄の新性能近郊形電車では初めて裾絞りのない2,800mm幅車体となりました。前面形状は高運転台構造で前面窓周りを黒く塗装する105系のデザインを踏襲しており、同様の貫通扉を備えました。側面は客用扉の位置が105系とは異なっており、乗務員室に隣接する客用扉は乗務員室直後に設置されており、窓の配置も105系とは異なっています。
クハ118形の台車(DT21T形)は101系の廃車発生品を再利用しており、電動発電機は485系サシ481形などの食堂車からの70kVA電動発電機を、空気圧縮機も他系列の冷房改造の際に余剰となった機器を転用したそうです。
2012年3月17日のダイヤ改正で定期営業運転を終了し、同年3月31日の「119ファイナル号」をもってすべての営業運転が終了しました。そのうちR1編成(クモハ119-5318+クハ118-5311)、R2編成(クモハ119-5320+クハ118-5312)、R7編成(クモハ119-5330+クハ118-5322)が2012年6月に除籍され、えちぜん鉄道に譲渡され、第二の車生を送っています。
登場間もない頃の121系 クハ120-7他 1987/10/13 高松
現在も登場時と変わらない姿で活躍する121系 2013/3/20 高松
クハ120-2のDT21T台車
<クハ120形>
国鉄分割民営化直前の1987年3月23日のダイヤ改正における予讃本線高松 - 坂出間、多度津 - 観音寺間および土讃本線多度津 - 琴平間の電化開業に備えて、製造されたのが121系です。クモハ121形とクハ120形の2両編成19本、38両が製造されました。
205系や207系900番台に類似したステンレス製車体で、前面中央には貫通扉を備えています。側面は211系と同様の、戸袋窓のある片側3扉配置で扉は半自動(停車時に手動で開閉する)の設定が可能であり、、開閉用の取手が取付けられているほか、ホーム有効長の短い駅での客扱に備えて選択開閉ができるようになっています。車体幅は205系と同じ2,800mmとし、近郊形電車ではあるものの、105系や119系などと同様な裾絞りのない車体となりました。
台車および主幹制御器などの各種機器については、当時の国鉄の財政状況から、新製費用を抑えるために可能な限り廃車車両の発生品を流用しています。クモハ121形の台車は103系で採用されているDT33形をベースにブレーキシリンダやばねなどを改良したDT33A形台車を使用していますが、一部はDT33形の発生品を流用しています。クハ120形の台車は101系から流用したDT21T形を流用しています。主電動機はMT55A形、主制御器はCS51A形、空気圧縮機はC-1000形であるなど、 基本的な構成は105系と同一です。
補助電源装置は485系サシ481形などの食堂車の廃車発生品である70kVAの電動発電機 (MG) を当初装備していましたが、トラブルが多発したため、1998年から2001年にかけて静止形インバータ (SIV) に交換されました。
鳥栖駅で出発を待つ715系0番台 1985/4/20
<クハ715形0番台>
1982年のダイヤ改正から広島地区において「列車型のダイヤ」から地域密着型の「電車型ダイヤ」に転換が行われ、好評を博したことで、この方針が全国の地方都市におけるダイヤに拡大して行くことになりました。特に交流区間では新幹線の延伸で夜行特急列車としての運用が減り、ボックスシートであったが為、昼行特急としての設備面での見劣りが指摘されつつあった、581、583系特急電車を近郊形に改造する案が提案されました。
1984年に長崎・佐世保線用に715系0番台、1985年に715系1000番台が交流専用の近郊形電車として登場し、同年交直両用の419系が北陸本線に改造投入されました。
581系モハネ580、581形の歯車比は高速仕様の22:77 (1:3.50)であり、これを近郊形に合わせるために101系の廃車発生品の歯車装置(歯車比15:84(1:5.6)が再利用されました。標準的な近郊形電車の歯車比1:4.82に比べて加速性能は高くなったものの、高速性能は劣ったため、最高速度は100km/hに抑えられ、動力台車の形式名もDT32Kに変更されました。
車体が重いだとかラッシュ時に乗降扉が狭く時間を要すだとか、種々の問題を指摘されつつ、改造後10年以上活躍した715系でしたが、、1996年から1998年にかけて813系に置き換えられ廃車・解体の道を辿りました。
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