5764列車 撮影の記録 その1
2014年6月6日の記事で高崎線、武蔵野線等を走る石炭返空の5764列車について触れました。今回は2002年頃から撮影して来た同列車の写真を紹介しつつ,変遷を振り返ってみようと思います。
高崎機関区のEF65 一般形55号機に牽引されて浜川崎で東海道貨物線から転線する5764列車 2003/8/12
かつて石炭が我が国の主要エネルギー資源であった頃は九州、北海道、そして常磐線などでは産炭地から積み出し港までセキを連ねた石炭列車が多数運転されていました。石炭から石油へエネルギー資源が大きくシフトし、今ではそう言った列車も殆ど無くなりましたが川崎扇町から秩父鉄道の武州原谷にある日本セメントの工場に輸入炭を運ぶ5783列車は今でも走る石炭列車です。
高崎機関区のEF65 一般形119号機に牽引されて尻手連絡線に入線する5764列車 2003/5/3 割畑
このセメント製造用の燃料輸送も当初は原油を輸送していたそうですが、1979年の第二次オイルショックで原油が高騰し、原油から石炭に製造燃料を切り替えたそうで、そのために石炭輸送用のホキ10000形貨車を新造したそうです。
ホキ10000形10000~10249が秩父セメント(現・太平洋セメント)向けに1980年から1981年にかけて日本車輌製造・川崎重工業で製作されました。
このホキ10000形の空車を扇町に返送するのが5764列車であり、あるときは石油輸送用のタキの空車も連結した長大編成の貨物列車として走っていたこともありました。
表1 5764列車の変遷 2002年度から現行時刻まで
表1に2002年度から2014年度までの5764列車の時刻、牽引機の変遷をまとめました。やはり、高崎線運用とのことで高崎のEF65が牽引していた時代が長いことがわかります。そして、2008年3月のダイヤ改正で大きく時刻が朝方にスライドしているのが分かります。
因みに1993年のJR貨物時刻表も手元にあったので、調べて見ると当時の列車番号は6782列車で、熊谷ターミナル23時37分発、浜川崎5時30分着となっていました。
JR貨物色になったかつての東海道・山陽ブルートレイン牽引機EF65 502号機に牽引されて新川崎を通過する5764列車 2004/6/20
こちらも塗色はJR貨物色になったEF65 530号機が牽引する5764列車 2004/7/4 小倉陸橋から
最後まで特急色を纏って活躍したEF65 541号機が牽引する5764列車 2004/3/12 新川崎
今回はここまでです。
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