通勤電車シリーズ 103系 2 京浜東北線 その1 非ATCの時代
通勤電車103系のシリーズ、前回の記事で記述しましたように、昭和39年度第3次債務予算までは山手線のみに投入され、形式もクハ103、モハ103/102、サハ103のみの比較的すっきりした構成でした。
クハ103は-74(東急)、モハ103/102ユニットは-73(帝車)、サハ103は-72(帝車)まで製造され、すべてのラストナンバーが1965年8月25日落成でした。
どうみてもスカイブルーではなくエメラルドグリーンのような色ですが,印画紙で保存していた写真からスキャンしたものでいまはこんな色になってしまいました。
大宮駅の京浜東北線、まだ東武野田線ホームが京浜東北線のホームと大きくオーバーラップしていた頃です。
続いて昭和40年度第1次民有予算で製造されたロットからは京浜東北線投入用にクモハ103が製造開始され、クモハ103-モハ102が34ユニット、モハ103-モハ102が17ユニット(モハ103は-90までモハ102は-124まで)、クハ103が-91まで、サハ103が-89まで製造されました。これら全車は浦和および蒲田電車区に配置されました。
この頃の編成は
←大宮 Mc-M' Mc-M'-T-M-M'-Tc 磯子→ でした。まだ、後に登場する磯子よりのクハ103-500番台は未登場でした。
このときに京浜東北線用に配置された方向転換可能な基本番台のクハ103-75~91のその後を調べて見ると、多くは1977年頃、神領区に転属して名古屋地区で活躍しており、一部は同じ頃、鳳区や東神奈川区に転属となっています。
表1 クモハ103 1~34ユニット までの製造、配置データ
製造所、編成ごとにモハ102の番号が割り当てられているのが想像できます。また所々に相手方の番号が逆になっているものもみられます。
続く昭和40年度第2次民有予算で磯子よりの片渡り(方転不能)のクハ103-500の製造が開始され、クハ103-92からの両渡り車は昭和42年度本予算の-114まで山手線用に池袋、品川区に新製配置され、同時期にクモハ103-モハ102はクモハ103の133まで、モハ103-モハ102はモハ103の159まで、クハ103-500番台は616まで、サハ103は225まで製造されています。さらに昭和42年度本予算では力行55段の超多段バーニア制御器CS30を搭載した試作モハユニット911~913も製造され、品川区に新製配置されています。
昭和40年度第2次民有 クハ103-501~538 クモハ103-35~40 モハ103-91~98 モハ102-125~148 サハ103-90-127
昭和40年度早期債務 クハ103-539-543 クモハ103-51~61 モハ103-99~103 モハ102-149~164 サハ103-128-132
昭和40年度第2次債務 クハ103-92, 93, 544~563 クモハ103-62~81 モハ103-104~115 モハ102-165~196 サハ103-133~154
昭和41年度本予算 クハ103-564~583 クモハ103-82~101 モハ103-116~125 モハ102-197~226 サハ103-155~174
昭和41年度第1次債務 クハ103-94~102, 584~616 クモハ103-102~133 モハ103-126~150 モハ102-227~283 サハ103-175~213
昭和42年度本予算 クハ103-103-114 モハ103-151~159 モハ102-284~292 サハ103-214~225 モハ103-911~913 モハ102-911~913
この間の増備で600両を超える103系が京浜東北線に投入され、浦和区、蒲田区に加えて下十条区にも投入されました。
京浜東北線南浦和行 鶯谷
当時の103系の編成は
←大宮 Mc-M'-T'c Mc-M'-T-T-M-M'-Tc 磯子→ 3+7編成
←大宮 Mc-M'-T-T-M-M'-T-M-M'-T'c 磯子→ 10両貫通編成
この間の山手線の増備は上記の予算と番号の関係からも分かるように京浜東北線の増備に押されてボチボチという感じであったことがわかります。
山手線の10連運転は1967年4月20日から開始されていますが、この頃の103系は運行窓の最後の桁の窓を赤くした表示で対応していたのを憶えています。山手線の完全103系化や完全10両編成化はその後の常磐線への103系投入もあり、足踏み状態でした。
今回はここまでです。
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