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2014年6月30日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 2 京浜東北線 その1 非ATCの時代

通勤電車103系のシリーズ、前回の記事で記述しましたように、昭和39年度第3次債務予算までは山手線のみに投入され、形式もクハ103、モハ103/102、サハ103のみの比較的すっきりした構成でした。

クハ103は-74(東急)、モハ103/102ユニットは-73(帝車)、サハ103は-72(帝車)まで製造され、すべてのラストナンバーが1965年8月25日落成でした。

103
どうみてもスカイブルーではなくエメラルドグリーンのような色ですが,印画紙で保存していた写真からスキャンしたものでいまはこんな色になってしまいました。

大宮駅の京浜東北線、まだ東武野田線ホームが京浜東北線のホームと大きくオーバーラップしていた頃です。

続いて昭和40年度第1次民有予算で製造されたロットからは京浜東北線投入用にクモハ103が製造開始され、クモハ103-モハ102が34ユニット、モハ103-モハ102が17ユニット(モハ103は-90までモハ102は-124まで)、クハ103が-91まで、サハ103が-89まで製造されました。これら全車は浦和および蒲田電車区に配置されました。

この頃の編成は

←大宮 Mc-M' Mc-M'-T-M-M'-Tc  磯子→    でした。まだ、後に登場する磯子よりのクハ103-500番台は未登場でした。

このときに京浜東北線用に配置された方向転換可能な基本番台のクハ103-75~91のその後を調べて見ると、多くは1977年頃、神領区に転属して名古屋地区で活躍しており、一部は同じ頃、鳳区や東神奈川区に転属となっています。

103134 表1 クモハ103 1~34ユニット までの製造、配置データ

製造所、編成ごとにモハ102の番号が割り当てられているのが想像できます。また所々に相手方の番号が逆になっているものもみられます。

続く昭和40年度第2次民有予算で磯子よりの片渡り(方転不能)のクハ103-500の製造が開始され、クハ103-92からの両渡り車は昭和42年度本予算の-114まで山手線用に池袋、品川区に新製配置され、同時期にクモハ103-モハ102はクモハ103の133まで、モハ103-モハ102はモハ103の159まで、クハ103-500番台は616まで、サハ103は225まで製造されています。さらに昭和42年度本予算では力行55段の超多段バーニア制御器CS30を搭載した試作モハユニット911~913も製造され、品川区に新製配置されています。

昭和40年度第2次民有 クハ103-501~538  クモハ103-35~40 モハ103-91~98 モハ102-125~148 サハ103-90-127
昭和40年度早期債務  クハ103-539-543 クモハ103-51~61 モハ103-99~103 モハ102-149~164 サハ103-128-132
昭和40年度第2次債務 クハ103-92, 93, 544~563 クモハ103-62~81 モハ103-104~115 モハ102-165~196 サハ103-133~154
昭和41年度本予算 クハ103-564~583 クモハ103-82~101 モハ103-116~125 モハ102-197~226 サハ103-155~174
昭和41年度第1次債務 クハ103-94~102, 584~616 クモハ103-102~133 モハ103-126~150 モハ102-227~283 サハ103-175~213
昭和42年度本予算 クハ103-103-114 モハ103-151~159 モハ102-284~292 サハ103-214~225 モハ103-911~913 モハ102-911~913

この間の増備で600両を超える103系が京浜東北線に投入され、浦和区、蒲田区に加えて下十条区にも投入されました。

103_2

京浜東北線南浦和行 鶯谷

当時の103系の編成は

←大宮 Mc-M'-T'c  Mc-M'-T-T-M-M'-Tc  磯子→     3+7編成
←大宮 Mc-M'-T-T-M-M'-T-M-M'-T'c  磯子→      10両貫通編成

この間の山手線の増備は上記の予算と番号の関係からも分かるように京浜東北線の増備に押されてボチボチという感じであったことがわかります。

山手線の10連運転は1967年4月20日から開始されていますが、この頃の103系は運行窓の最後の桁の窓を赤くした表示で対応していたのを憶えています。山手線の完全103系化や完全10両編成化はその後の常磐線への103系投入もあり、足踏み状態でした。

今回はここまでです。

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2014年6月29日 (日)

公園保存蒸気 58683 佐倉 高崎川南公園

日本全国の公園等に保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は佐倉駅から歩いて数分の高崎川南公園に保存されている58683号機です。

58683_140104
58683号機 高崎川南公園

今年1月4日の千葉青春18切符の旅で最後に訪問致しました。前々回の記事でご紹介したましたが、茂原荻原公園の58680号機も同じ日に訪問しており,一日に2台の8620形を観ており、しかも番号は僅か3番違いでした。

今回はまず、機関車表(沖田祐作氏)から車歴データを見てみましょう。

58683      汽車製造大阪工場=633            1922-10-18 S46.75t1CT(1067)
   車歴;1922-10-18 製造→ 納入;国鉄;58683→1922-10-25 使用開始[東管達891];国府津→
      大宮→ 田端→1932-03-00 新小岩→1934-09-00 現在;成田→1934-11-00 現在;新小岩→
      1944-12-00 成田→1955-02-00 佐倉→1969-12-11 廃車;佐倉→
      1973-03-29(据付日)保存;千葉県佐倉市「鉄道記念公園」;58683(最終走行距離=2,287,115㎞)

140104

58680号機と同様に汽車製造大阪工場で製造されており、時期は2ヶ月遅く1922年10月ですが、国府津を嚆矢に関東地方で一生を過ごし、1969年12月11日に佐倉で廃車となっております。

58683_140104_3
丸いボイラーを支える車体との接合部のカーブが8620形らしさを現しているように思います。煙突も化粧煙突でしょうか。

58683_140104_12
蒸気ドームと砂箱の2つ瘤、スポーク動輪も大正機の特徴です。

58683_140104_8
後部ライトは欠品のようですが、ナンバープレートはレプリカかも知れませんが,きちんと着いていました。

58683_140104_9
遠目に見るとこうやって屋根付きのスペースに入れられているのがわかりますが、公開の節には訪問してみたいものです。

Photo
保存スペースの中にはかつて成田線で使われていたのでしょうか、タブレット閉塞機も展示されていました。

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2014年6月28日 (土)

EF200形電機 5号機

貨物の話題が続きますが、今回はEF200のシリーズです。

EF200形、量産5号機は1992年5月13日に日立製作所で落成しています。

Ef200_5_030906
新鶴見におけるEF200-5号機と8号機のそろい踏み 2003/9/6 新川崎

かつてはこのように深夜の東海道貨物を牽引した来たEF200が新鶴見で仲良く昼寝する風景が日常茶飯事でした。

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府中本町を通過する3072列車 本務機のEF65の前に回送のEF200がついて新鶴見まで 2006/5/20

Ef200_5_061117
北方貨物線を上る5号機牽引貨物列車 2006/11/17

新大阪駅の定番ショット

Ef200_5_100709
吹田を発車した5号機牽引貨物列車 2010/7/9

まだ梅雨の真っ盛りで雨模様の天気

Ef200_5_101207_3
梅小路~梅田を結ぶ関西地区の配給列車 2010/12/7 桂川

今回は以上です。

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2014年6月27日 (金)

早朝の浜川崎で貨物列車を撮る その3

早朝の浜川崎、小田踏切での撮影記録、続いては

Ef20013_140622_1066
大阪タ20:33発、東京タ6:16着の1066列車です。牽引機はEF200-13号機、現在のダイヤでは唯一首都圏にやってくる仕業です。

Ef64_1034_140622_2096
熊谷タ4:03発、川崎貨物6:37着の2096列車、牽引機はEF64 1034号機です。高崎線から貨物と言えば2090、2092列車が有名ですが、2096列車がこんな時間帯に走っていたのは知りませんでした。以前は2090列車は東京タ行でしたが,今のダイヤでは名古屋タ行になっていることもつい最近知りました。これが白昼東海道を走るEF641000番台の列車なんですね。
1034号機は思い出深い機関車で、EF641000番台コンプを目指していた頃に最後までなかなか撮れず、2010年6月に初めて逢えた機関車でした。

Ef210136_140622_60
続いてにやって来たのは東水島18:29発、東京タ6:49着のEF210-136(新鶴見)牽引の60列車でした。

Ef66_121_140622_4086
そして、今回の撮影の最後は東青森17:00発、東京タ7:02着のEF66 121号機牽引の4086列車でした。所定では新鶴見のEF210の仕業ですが、この日はEF66が代走していました。

最近、蝋燭が消える前に明るく燃えるようにEF66の基本番台が元気に活躍しているようですが、今回、5月31日とあわせて結構な数の貨物列車を久しぶりに撮りましたが、生憎ゼロロクとの遭遇はありませんでした。
それでも朝のこの時間帯の撮影は退屈することなく多種多様の機関車を撮影することができました。

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2014年6月26日 (木)

早朝の浜川崎で貨物列車を撮る その2

6月22日、日曜朝の浜川崎での貨物列車撮影、続いては52列車、吹田タ22:55発、東京タ5:38着です。

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EF210-151 新鶴見 牽引の52列車

Exp_140622_50
TOYOTA ロングパス同様に同じタイプのコンテナコキが連なる様は壮観です。

正式名称は「福山レールエクスプレス号」といい、2013年3月25日に運行を開始したもので1列車あたり、コキ20両、31フィートコンテナ40個、日曜日出発の便は運休で年間300日運転、二酸化炭素排出量は年間で17,244トンを削減する効果が見込まれています(資料はこちら)。

Ef65_2117_140622_73
5時40分 東京タ方面からやって来たのはEF652117号機牽引の73列車です。73から79列車まで、武蔵野線、常磐線経由の隅田川行列車で、その多くがEF65の担当となっています。

Ef210130_140622_1052
所定では吹田のEF210の運用ですが、この日は岡山の130号機が牽引して来た福岡タ7:15発、東京タ6:41着の1052列車

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EH200-23号機牽引、2083列車 東京タ5:38発、南松本12:42着

Eh20024_120623
府中本町で武蔵野線から南武線に転線するEH200-24号機牽引、2083列車 2012/6/23 8:20とタイムスタンプ

これまでは府中本町で8:20頃撮っていた列車ですが、新鶴見で1時間程度停車時間があるため、浜川崎付近は意外と早く通過していることを知りました。

今回はここまでです。

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2014年6月25日 (水)

早朝の浜川崎で貨物列車を撮る その1

6月22日の日曜日、関東地方は典型的な梅雨空の天気でしたが、5月31日の八丁畷に続いて日ノ出の頃通過する、まさにこの時期しか写せない貨物列車を撮影しに行ってきました。

つくばの自宅を午前2時少し前に出発し、高速のICを通過したのが2時ちょうど、途中守谷SAで朝食を調達し、常磐道、首都高三郷線、向島線、箱崎、銀座、1号羽田線、大師、K1と通り、交通量が少なめだったので60km/h程度の速度でたらたらと走り、浜川崎のランプに到着したのが午前3時半でした。

20140622_2
表1 今回の撮影のための時刻表 EF210のOは岡山、Sは新鶴見、Uは吹田

実はこのタイプの撮影は2005年8月12日以来で、そのときは渡田踏切で撮影しましたが、今回はひとつ川崎新町よりの小田踏切で撮影することにしました。

Ef2108_140622_1086

空もだいぶ明るくなってきた4時36分定刻に通過したのは名古屋ターミナル発稲沢経由のの1086列車でした。所定では吹田のEF66の運用ですが、なぜか岡山のEF210-8号機牽引でした。

Ef210117_140622_5693
その5分後、川崎貨物方面から単機でEF210-117号機(新鶴見)がやってきました。季節柄単機になっていますが、本来は5693専用貨物列車で石油返空の根岸行です。時刻表では日曜運休のはずですが,運転されていました。

Ef21018_140622_54
続いて岡山区のEF210-18号機、基本番台ラストナンバー牽引の54列車が通過します。百済タ発、東京タ行で吹田タで30分程停車する以外は停車時間少なく大阪~東京間を駆け抜ける列車です。

Mc2501_140622_52
Mc2504_140622_2_50
その10分後、まさに今回の主目的のひとつである、特急貨物電車50列車が通過します。

東京方がMc250-1、大阪方がMc250-4でしたが、昨年5月の東京貨物ターミナルのイベント

Mc250_1_060621
Mc250_4_060621
2006年6月21日に東淀川で51列車を撮影した時もおなじ電動車構成でしたが、編成がすっかり方向転換していました。また当時はHMを装着していましたが,今はシールになっているようですね。

今回はここまでです。

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2014年6月24日 (火)

特急「北近畿」 その13 485系から183系へ part12

福知山電車区の183系の話題、これまでは国鉄特急色のB編成を見てきましたが、これからはJR西日本オリジナルカラーのT編成、さらにそれを基本に組み換えたA編成、C編成について見て行こうと思います。

183_t44_030329
新大阪に到着後、回送表示に切り替えたT44編成 2003/3/29

手元に1993年夏号のJR電車編成表があるので、ここから福知山運転所の183系、485系の編成をピックアップすると
←新大阪・大阪                                   福知山・城崎→
     クハ183 モハ183 モハ182 クロハ183  増結   モハ183 モハ182
G1        801          801        801         801           GU1         851        851
G2        701          802        802        802            GU2         852        852
G4        702          804        804        804            GU3         853        853
G5        703         1802      1802        805           GU4         854        854

          クハ183  モハ183 モハ182 クロハ183    増結  モハ485 モハ484      
G3    851          803        803        701      U5         89           89
G6         752        1803       1803       806
G7         751        1801       1801       803 

といった構成でした。
増結用のモハ183/182-851~854はモハ485/484 の一次車3・5・7・10 (AU72キノコ形エアコンキセ搭載)を183系化したものです。モハ183-801~805はAU13E冷房装置搭載のモハ485-255, 250, 253, 249, 210を183系化したもので、モハ182-801~805はモハ484-600番台614,609, 612, 608を183系化したものです。

これらが2002年夏号の編成表では
北近畿、文殊、きのさき、はしだて 
       クハ183 モハ183 モハ182 モハ485 モハ484 クロハ183
G61    701      802      802       70       70       802
G62    851        803        803           84          84           701
G63    702        804        804           89          89           804
G64    703       1802      1802          88          88           805
G65    752       1803      1803          74          74           806
      クハ183 モハ183 モハ182 クロハ183 
G41  801       801      801           801
G42    751      1801     1801          803

たんば、はしだて、きのさき、北近畿
    クハ183 モハ183 モハ182 モハ183 モハ182 クロ183
T61      704        806         702        805          701      2701
T62      708        814         710        813          709      2705

        クハ183 モハ183 モハ182 クロ183     増結    モハ183  モハ182
T41   705       808         704        2702   TU1           807           703
T42      706       810          706       2703       TU2           809           705
T43      707       812          708       2704       TU3           811           707
T44      709     1805        1805       2706        TU4           815           711
T45      710     1804        1804       2751        TU5           816           712

モハ182-700番台はモハ484-200番台からの改造車
クロ183-2700番台はクハ481-300番台(2701~2706)、元「雷鳥」用クロ481-2300番台(2707~2709)からの改造車、2750番台はクハ489-700番台からの改造車

183_t45_030327_2
新大阪を出発する回送のT45編成 2003/3/27 こちらのエンドがクロ183-2751

2003年10月1日のダイヤ改正で北陸特急に683系電車が投入され、485系に余剰が生じたので、
1) G編成のモハ485+モハ484MM'ユニットをT・TU編成から捻出したモハ183+モハ182MM'ユニットに組替てB編成として組成。
2) T編成のクハ183形700番台は非貫通制御車であったことから、貫通制御車で電気連結器付きの200・600番台に交換。4両編成に短縮してA編成として組成。
3) 追加で改造されたクモハ183+モハ182ユニットにT編成から捻出されたクハ183形を組み込んでC編成を組成。
といった編成の組換えが行われて、ABC編成体制になりました。

さらに2009年には京都総合運転所から捻出された485系6両編成3本が加わり、BB67~BB69編成となりました。

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2014年6月23日 (月)

西武101系 その6 多摩川線での運用

西武鉄道の101系、今回は多摩川線で活躍する最晩年の姿です。

101_100102
2010年1月 高架化工事の完成した武蔵境駅に到着する101系 ワンマン改造編成 2010/1/2

1996年4月に多摩川線でワンマン運転が開始されるのに際して、池袋線所属車だった217-225編成にワンマン運転対応改造が施されました。甲種回送対応改造も行い、多摩川線で働いていた701系、401系を置き換えました。

実際の改造内容は
1) 車内に非常通報器を設置。
2) 自動放送装置ならびドアを閉める際の注意喚起放送装置の搭載。
3) 運転台にマイクを設置。
4) マスコンハンドルをデッドマン装置付きのものに交換。それに伴う抑速ブレーキの機能停止。
5) 電気連結器の撤去。

といったもので、多摩川線には4編成が配置され、もう1編成は新宿線の支線(主に西武園線)で運用されるシステムが採られました。

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白糸台駅に進入する旧101系編成 2010/1/2

検査などの際には武蔵野線を介して編成の入れ替えを行っていましたが、JR中央線武蔵境駅高架化工事でJR線との連絡が絶たれてからは,217-223編成で固定されることになりました。検査時には主要機器をトラックで武蔵丘車両検修場まで陸送し、台車交換を白糸台車両基地で行っていました。

101_100102_2
白糸台検車区で休む旧101系編成 2010/1/2

2010年に武蔵境駅の高架化が完了。多摩川線と中央線の連絡線が復活したことから車両の入れ替えが再開され、同線にはワンマン改造を施工された新101系が順次4編成投入されました。それらと交替で3月に217編成、6月に219編成、9月に221編成、11月に223編成がそれぞれ多摩川線から小手指車両基地に回送され、最終的には横瀬車両基地に回送され解体されました。

101_100102_4
終着駅 是政で折り返す旧101系 2010/1/2

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2014年6月22日 (日)

上毛電鉄 700型電車 その6  716-726編成

上毛電鉄で活躍中の700型電車、今回はデハ716-クハ726の第6編成です。

716_140427
この編成も前回の第5編成同様に、中間車だった種車(京王3000系デハ3008、デハ3055)のデハ3055を非電装化し、両方に3000系と良く似た運転台を新設しました。正面窓下のベンチレーターは無く、集中式冷房装置を搭載しています。

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現在、前頭部の塗色はパステルブルビューといわれる色に塗られています。

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これは2007年10月からだそうで、2006年8月26日に中央前橋で撮影した時は全車共通のフィヨルドグリーンでした。

716_140405_2
700型編成の番号は戸袋窓にも表示があります。

今回は心臓血管センターという駅についても触れようと思います。

この駅は前橋から赤城山南麓の農村地帯へ登坂して行く区間(上泉~大胡)に上下列車の交換可能な駅が無かったため、閉塞区間を短縮して列車を増発するために信号所として開設されたのが始まりとのことです。
1968年12月10日に前橋病院前信号所として設置されました。

140427
1994年4月10日にプラットホームを設置し、群馬県立前橋病院との連絡通路を設置し,無人駅「循環器病センター駅」として昇格しました。さらに病院名が「心臓血管センター」に改称されたことから2001年6月1日には駅名も改称されました。人間の内臓器官が2つ含まれる,日本でも珍しい駅名として有名になりました。

140427_2
無人駅のため、交換設備、特にポイントの動作に関してはスプリングポイントを設置しており、分岐側からの列車の通過後自動的にもとに戻るようになっています。Sの表示があります。

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2014年6月21日 (土)

1989年のDüsseldorf Airport その7 タイ航空のDC-10 

1989年5月の西ドイツ、Düsseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回は日本でもおなじみのタイ国際航空(Thai Airways International) DC-10です。

Hstma_cn_48267_434_mcdonnell_dougla
HS-TMA  McDonnell Douglas DC-10-30ER cn 48627/ ln 434 1989/5/5 DUS

1987年12月1日に納入された機体でタイ国際航空では9機活躍したDC-10の中の一機でした。後年、Northwest 航空に売却されN238NWのレジが付与されました。

いつものように航空会社の歴史から見てみますと、設立は1959年で資本金200万バーツを国内航空会社タイ航空(Thai Airways Company)(70%)とスカンジナビア航空(SAS)(30%)の合弁事業として設立されました。

1960年5月1日から国際線運航を開始し、東京/羽田線をはじめアジアの9都市への路線を就航させています。

1971年にオーストラリアへ、1972年にヨーロッパはコペンハーゲンへ、1980年には成田経由でロサンゼルスへへ就航し、ネットワークを拡充しています。

1977年にタイ政府が全株式を取得したものの、SASとも引き続き密接な関係を維持しています。1988年4月1日にタイ航空と合併し、株式を一部公開して半官半民事業会社となりました。

1997年には エア・カナダ、スカンジナビア航空、ルフトハンザドイツ航空、ユナイテッド航空と共に航空連合「スターアライアンス」を立ち上げ、創立メンバーに名前を連ねました。

2006年9月28日、バンコク・スワンナブーム国際空港が開港し、それまでのドムアン空港から本拠地を移転しました。

バンコク/ドムアン空港には2001年、2002年に出張で訪れた際に、当時のタイ国際航空の航空機を撮影しているので、今回はこのくらいにしておきます。

最後にタイ国際航空で活躍したMcDonnell Douglas DC-10のリストです。

Thai_dc10

データは Thai Airways International Fleet Details and History  を参考に作成しました。

HS-TG*とHS-TM*のシリーズのレジが付与された9機(6機は通常の-30型、3機は-30ER型)が活躍していたことが分かります。

 

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2014年6月20日 (金)

通勤電車シリーズ 103系 1 基本番台 山手線 その1

通勤電車シリーズ、今回からは103系です。

103_10_7708
非冷房、連結器上の空気口ありの103系10連 1977/8 新大久保

国鉄初の新性能電車として101系(最初はモハ90系)が、MM’ユニット方式、平行カルダンドライブ、1300mm両開き4扉、7人掛けロングシートなどの新機軸をひっさげて、1957年に登場しました。しかし全電動車方式ではモーターの温度上昇、変電所の容量超過などの問題が次々と明らかになり、早々と方針変更を迫られる事態となりました。

そこで考えられた標準形通勤電車がMT比を1:1に近づけて、低コストで大量生産が可能な103系です。101系に搭載されて熱容量的に問題があった主電動機MT46A形出力100kW はMT55形,110kWに置き換えられました。

1963年から1984年の20余年に渡り、3447両が新造され、101系からの編入36両、72系からの編入20両を加えて総数3503両の大所帯となりました。といっても全車輌が同じ時期に揃ってはいないそうです。

試作車は1963年3月25日に2M2T構成の2編成が落成し、9ヶ月にわたる試運転を繰り返した後、12月28日から営業運転に入りました。

クハ103-1+モハ103/102-1+クハ103-2
クハ103-3+モハ103/102-2+クハ103-4

両端クハは方向転換可能な設計に、台車はTR62に変更を加えたTR62X、制御回路用ジャンパ連結器はKE58を2本、主幹制御器はMC39、ブレーキ弁はME40となりました。

101系ではM’車にパンタグラフ、第1遮断機(CB12)、M車に第2遮断機(CB13)としていましたが、103系ではパンタ、CB25形断流器,主抵抗器等をM車に集約しています。量産車の落成を前に1964年3月31日付けで試作車は900番台に改番され,番号表記も白文字から黒文字表記に改められました。量産化改造は1967年2~3月の入場時に実施され、台車や主要機器が量産車と同じものに交換されました。

クハ103-901~904
モハ103/102-901~902

103_14
鶯谷に進入する外回り電車 この頃の塗色は時間とともに退色して先頭のクハと2両目以降のような色の違いが目立つようになりました。

最初の投入線区は山手線で1964年5月に池袋、品川電車区に新製配置されており、この年度だけで202両が新製されています。

昭和38年度第3次債務車
クハ103-1~4 モハ103/102-1~4 サハ103-1~4                   16
昭和38年度第4次債務車
クハ103-5~14 モハ103/102-5~14 サハ103-5~14              40
昭和39年度第2次民有車
クハ103-15~18 モハ103/102-15~18 サハ103-15~18         16
昭和39年度第2次民有車
クハ103-19~46 モハ103/102-19~46 サハ103-19~46        112
昭和39年度早期債務車
クハ103-47~50 モハ103/102-47-51 サハ103-47~50        18    

以上が1964年度製造車両です。

昭和39年度第3次債務車
クハ103-51~74 モハ103/102-52~73 サハ103-51~72

このロットは1965年度上半期に製造されています。

ここまでが池袋、品川電車区のみに新製配置された車両です。またモハユニットに関してはモハ103+102で製造されているため番号が揃っていました。

私自身の記憶では山手線に101系が走っているのを見ており、さらにウグイス色の103系が走り出したのも記憶しております。101系に較べて、前面窓の上下幅が狭くなったせいか腰高で軽快感があり、前面連結器上の空気取り入れ口や側面戸袋窓上の空気取り入れ口の存在が印象的でした。そして停車時や発車時にスカーと空気が抜ける音がえらく大きい電車だとも感じました。

103
今はもう見ることが出来なくなった八角屋根の東京駅駅舎前を行く山手線103系電車

自分が撮った写真としては高校時代に高田馬場~渋谷間山手線を利用していたのでその頃の写真が最も古い写真となります。まずは、非冷房の時代、試作冷房車、量産冷房車、そしてATC準備工事車と行きたく思います。

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2014年6月19日 (木)

公園保存蒸気 C12 287 小櫃公民館

全国の公園等に保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回も今年1月4日の18切符、千葉の旅で訪れた久留里線小櫃駅そばの公民館に保存されているC12 287号機です。

これまで内房線の木更津やその先までは頻繁に訪れていましたが、久留里線に乗車したことはなく初めての乗車になりました。

C12_287_140102_4
小櫃公民館に保存されているC12 287号機 2014/1/4

よくあることですが、ナンバープレートは右サイドタンク上のものを除いて、手書きであることが分かりました。

C12_287_140102_3
デフレクターなしがデフォルトのC12

C12_287_140102_2
屋根付きの状態で保存されているので状態は良いのではと思います。もっとも、反対側のサイドの屋根の寸法が小さいため、腐食が進んでいるという説もあります。

C12_287_140102_8
逆転機周辺やロッド類は白く塗られています。

C12_287_140102_20_2
九州で活躍したタンク機関車の特徴である風穴が炭庫に開けられていました。後部標識灯は以前は両方装着されていたようですが、片方、外れていました。

C12_287_140102_25
後方、サイドから眺めると炭庫の縁が屋根まで行っていることがわかります。韮崎の5号機や大宮の29号機に較べても縁の高さが高いことが分かります。

沖田祐作氏の機関車表による履歴では

C12287     日本車輌名古屋工場=1489           1947-09-26 S50.00t1C1t(1067)
   車歴;1947-09-26 製造→ 納入;国鉄;C12287→ 配属[達583];門司局→1947-09-26 竣工→
      配置;門司局→ 門司→1949-12-07 鹿児島→1970-02-09 全検→1973-04-18 発;南延岡→
      1974-02-09 休車→1974-05-16 廃車上申→1974-06-12 廃車[工車203];南延岡→
      保存;千葉県君津市「小櫃公民館」;C 12287

1947年9月に日本車輌名古屋工場で製造後、九州は門司局に配置され、鹿児島、宮崎で活躍し,1974年に南延岡で廃車になっています。

140102

宮崎と云えば1974年10月に私も宮崎駅で現役のC5557号機とC11195号機を見ており、延岡の機関庫も車窓から見ていますが,あの中にこの機関車もいたのかもしてません。

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2014年6月18日 (水)

EF200形電機 4号機

貨物の話題が続きますが、今回はEF200のシリーズです。

EF200形、量産4号機は1992年5月2日に日立製作所で落成しています。

Ef200_4_020329_2
2002/3/29 倉敷

山陽本線上り貨物列車を牽引して、倉敷駅を通過するところです。長大コンテナ貨物がSカーブを通過するシーンは絵になります。

Ef200_4_031228
2003/12/28 新座
2003年当時のダイヤではEF200は越谷貨物ターミナルまで5080列車を牽引してやってくる運用(A75)を持っており、新鶴見までEF65と単機重連で戻るシーンです。この運用の他、岩国から1076列車を牽引して新座ターミナルまでやってくる運用(A77)もありました。

Ef200_4_060621
2006/6/21 千里丘
早朝の千里丘で東海道下り貨物を撮影したものです。

Ef200_4_070308_3
2007/3/8  東淀川
更新後もまない頃の姿 梅田からの単機回送

Ef200_4_090228_2
2009/2/28 八丁畷
時間的には2099列車を牽引する姿 かつては八丁畷でコンスタントに見られたシーンですが,現行のダイヤでは(代走でない限りは)見ることが出来ません。

Ef200_4_120109_5
2012/1/9 沼津
なかなかEF200を停車中に撮影する機会はありませんでしたが、幸いにも沼津で目の前にとなっていたので足回りを撮影

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2014年6月17日 (火)

5764列車 撮影の記録  その2

昨日に続いて5764列車の写真を紹介して行こうと思います。

Ef65_129_060305_5764
EF65 129号機牽引で大宮を通過する5764列車 2006/3/5

10000_5764_060305
大宮を通過する5764列車 岡部で連結した石油返空のタキを連結した長大編成の時代もありました。 2006/3/5

10000_5764_070415
西浦和を通過する5764列車 2007/4/15

Ef65_118_040605_5764
武蔵野線 東所沢~新秋津間を行くEF65 118号機牽引の5764列車 2004/6/5

Ef65_118_050730_5764
新秋津駅を通過する5764列車 2005/7/30

Ef65_49_061103_5764
EF65 49号機牽引の5764列車 2006/11/3 新川崎

10000_5764_070805
新川崎を通過する5764列車 2007/8/5

これまでに高崎線を除く各地で5764列車に遭遇しており、写真も結構撮ってはいたのですが、いま振り返ってみるとEF65 一般形や500番台牽引の写真は撮っていたのですが、意外にも1000番台PFの写真がないことに気づきました。

ちなみにあの頃(2004年から2009年)の高崎機関区のEF65の配置データを添えておきます。

2004年4月1日現在

EF65 49 55  57  67  68  86  108  113  115  118  119  124  125  127  129
EF65P     502   504   505   506   508   509   512   528   530   535   539   541
EF65F     514   515
EF65PF   1009  1034  1035  1036  1037  1038  1039  1040  1041  1042  1043  1044  1046  1047  1094  1095  1101  1116  1122

2005年4月1日現在

EF65 49 57  108  113  115  118  119  124  125  127  129
EF65P     502   506   528   530   535   539   541
EF65F     515
EF65PF   1009  1034  1035  1036  1037  1038  1039  1040  1041  1042  1043  1044  1046  1047  1094  1095  1101  1116  1122

2006年4月1日現在

EF65 49 57  108  113  115  118  119  124  125  127  129
EF65P     502   506   528   530   535   539   541
EF65F     515
EF65PF   1009  1034  1035  1036  1037  1038  1039  1040  1041  1042  1043  1044  1046  1047  1094  1095  1101  1116  1122

2007年4月1日現在

EF65 49 57  108  115  118  119  124  125 
EF65P     502   506   528   530   535   541
EF65F     515
EF65PF   1009  1034  1035  1036  1037  1038  1039  1040  1041  1042  1043  1044  1046  1047  1094  1095  1101  1116  1122

2008年4月1日現在

EF65 57  118 
EF65P     535   541
EF65PF   1009  1034  1035  1036  1037  1038  1039  1040  1041  1042  1043  1044  1046  1047  1048  1049  1051  1054  1055  1056  1061  1062  1093  1094  1095  1101  1116  1121  1122

2009年4月1日現在

EF65P     535   541
EF65PF  1036  1037  1040  1043  1119  1121  1122

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2014年6月16日 (月)

5764列車 撮影の記録  その1

2014年6月6日の記事で高崎線、武蔵野線等を走る石炭返空の5764列車について触れました。今回は2002年頃から撮影して来た同列車の写真を紹介しつつ,変遷を振り返ってみようと思います。

Ef65_55_030812_5764
高崎機関区のEF65 一般形55号機に牽引されて浜川崎で東海道貨物線から転線する5764列車 2003/8/12

かつて石炭が我が国の主要エネルギー資源であった頃は九州、北海道、そして常磐線などでは産炭地から積み出し港までセキを連ねた石炭列車が多数運転されていました。石炭から石油へエネルギー資源が大きくシフトし、今ではそう言った列車も殆ど無くなりましたが川崎扇町から秩父鉄道の武州原谷にある日本セメントの工場に輸入炭を運ぶ5783列車は今でも走る石炭列車です。

Ef65_119_030503_5764
高崎機関区のEF65 一般形119号機に牽引されて尻手連絡線に入線する5764列車 2003/5/3 割畑

このセメント製造用の燃料輸送も当初は原油を輸送していたそうですが、1979年の第二次オイルショックで原油が高騰し、原油から石炭に製造燃料を切り替えたそうで、そのために石炭輸送用のホキ10000形貨車を新造したそうです。

ホキ10000形10000~10249が秩父セメント(現・太平洋セメント)向けに1980年から1981年にかけて日本車輌製造・川崎重工業で製作されました。

このホキ10000形の空車を扇町に返送するのが5764列車であり、あるときは石油輸送用のタキの空車も連結した長大編成の貨物列車として走っていたこともありました。

5764
表1 5764列車の変遷 2002年度から現行時刻まで

表1に2002年度から2014年度までの5764列車の時刻、牽引機の変遷をまとめました。やはり、高崎線運用とのことで高崎のEF65が牽引していた時代が長いことがわかります。そして、2008年3月のダイヤ改正で大きく時刻が朝方にスライドしているのが分かります。

因みに1993年のJR貨物時刻表も手元にあったので、調べて見ると当時の列車番号は6782列車で、熊谷ターミナル23時37分発、浜川崎5時30分着となっていました。

Ef65_502_040620_5764
JR貨物色になったかつての東海道・山陽ブルートレイン牽引機EF65 502号機に牽引されて新川崎を通過する5764列車 2004/6/20

Ef65_530_040704_5764
こちらも塗色はJR貨物色になったEF65 530号機が牽引する5764列車 2004/7/4 小倉陸橋から

Ef65_541_040312_5764
最後まで特急色を纏って活躍したEF65 541号機が牽引する5764列車 2004/3/12 新川崎

今回はここまでです。

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2014年6月15日 (日)

特急「北近畿」 その12 485系から183系へ part11

JR西日本で活躍した485系改造の183系、今回は国鉄色B66編成のクハです。

183_b66_111226_22
福フチの183系B66編成による特急「こうのとり」 2011/12/26 島本

B66編成の構成は
←新大阪・京都                  福知山・天橋立・城崎温泉→
クハ183-705  モハ183/182-1803  モハ183/182-816・712 クロハ183-806

でした。
奇数方先頭車のクハ183-705クハ481-335として1975年5月12日に東急車輌で落成し、盛アオに配置されています。これまでの車両とは違って1984年度に大ムコに転属となり、長らく特急「雷鳥」などで活躍し,1996年1月23日に183系に改造されています。

183_b66_111226
B66編成の回送列車 2011/12/26 島本

モハ183/182-1800番台は前回の記事で触れましたが、この1803ユニットはモハ485/484-1001ユニットからの改造車です。

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2014年6月14日 (土)

西武101系 その5 多摩湖線での運用と晩年の改造

西武(旧)101系の活躍について記述しているシリーズ、今回は晩年の101系の改造と多摩湖線での活躍シーンの紹介です。

101_070812
萩山駅に進入する国分寺発 西武遊園地行 直通電車 2007/8/12

1969年の登場以来、池袋線、新宿線といった本線系で活躍してきましたが、1979年からはマイナーチェンジした新101系が登場し、また4扉の2000系も増備され、だんだん旧101系も古い電車に分類されるようになりました。

その間に

1) 列車無線装置の設置 外観的にはアンテナの取り付けで変化
2) ブレーキ制御装置の変更 カバー取り付け
3) 前面密着連結器の胴受形状の変更
4) ドアエンジンの改造 TK-4DからSTK-4Dへ
5) 空気圧縮器CPへの除湿装置取り付け %
6) 屋根ならびに床下機器のグレー色への変更 %
7) MGからSIVへの変更 %    %は一部編成に
などといった改造が施されました。

1988年8月から9月には141, 143, 147, 171, 173, 179, 181編成、クハ1145、1146 などが廃車になる一方で129, 183, 191-201, 209-225編成の30編成に対して、リフレッシュ工事が施されました。

101_060505
101_060505_2
萩山~一橋学園間の本町信号所を行く101系 2006/5/5

2013年3月のダイヤ改正で使用が停止された本町信号所ですが、かつてはここで351系3連がすれ違うシーンも見ました。使用停止後、この信号所は2013年10月から12月にかけて設備が撤去され、レールも交換されたようですね (詳細はこちら)。

701系冷改車一族の全廃後、塗装工程簡略化で黄色一色となった101系ですが、よく見ないと801系冷改車と間違えますね。

801_800518
因みに(再掲ですが)こちらは国分寺線恋ヶ窪付近で撮影した801系冷改車 1980/5/18

台車、黄色い電連カバー、連結器の胴受けの形態、あとは台枠の厚さの違いですか。

145編成に関しては中間車モハ145,146を利用してVVVFインバータ制御試験が行われました。

すなわち、
    主制御器としてVVVFインバータ制御装置を搭載。
    台車は田無事故で廃車となった2000系の発生品であるFS372Aを流用。
    両車の連結面とは反対の貫通路をそれぞれ新101系と同じように狭幅化。

改造後は301系307編成サハ1301形の代わりに組み込まれ(1307+307+308+145+146+301-7+301-8+1308)、モハ301-7,301-8は主電動機回路をカットした上でMT比4M4Tで営業運転を行ったそうです。

試験終了に伴い307編成は編成から抜かれたサハ1301-7,1301-8を復帰させ、モハ145,146は1990年に廃車されました。

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2014年6月13日 (金)

上毛電鉄 700型電車 その5  715-725編成

上毛電鉄で活躍中の700型電車、今回はデハ715-クハ725の第5編成です。

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城東駅に進入する第5編成 前頭部はジュエルピンク色 2014/4/27

この編成はこれまでの編成と違って、京王井の頭線では中間車であったデハ3009とデハ3007を種車としているため、運転台はあらたに作製したものです。
そのために最も顕著な違いは正面窓下にベンチレーターの穴がないことと、冷房装置が集中式であることです。さらに正面下部はステンレス製ではなく、普通鋼製となっています。

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城東駅を出発する第5編成 2014/4/27

この塗装でのデビューは2007年6月とのことです。

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城東駅の案内板

上毛電鉄は沿線の名所もこうやって案内板で紹介しています。
後日紹介する予定ですが、前橋市児童文化センターそばの前橋児童公園にはD51 916号機が静態保存されており、その見学のため下車しました。

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駅のホーム横には自転車置き場も

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2014年6月12日 (木)

1989年のDüsseldorf Airport その6 ガーナ航空のDC-10 

1989年の東西分裂時代の西ドイツ、Düsseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回からは同じ大型3発ジェット機でL1011 TristarのライバルであったDC-10です。

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9G-ANA cn 48286 ln 369 McDonnell Douglas DC-10-30 1989/5/5 DUS

まずは日本では見ることの出来なかったガーナ航空 (Ghana Airways)DC-10です。さすがアフリカと感じるカラフルな塗装が印象的な機体でした。

ガーナ航空はイギリス連邦加盟国のガーナ共和国の国営航空会社で首都アクラのコタカ国際空港を拠点に運航していました。

創立は1958年7月4日でガーナ政府が60%、BOACが40%の株式を保有する形で、当初7年間はBOACが航空会社運営を指導し、7年後に完全にガーナ政府が引き継ぐ契約でスタートしました。アクラ~ロンドン線の最初の運航はBoeing 377 ストラトクルーザーにより同年7月16日になされました。最初の国内線は12月30日にデリバーされたデハビランド・ヘロン機で運航されました。

因みにガーナ共和国の独立は1957年のことで、サハラ以南のアフリカにおいて現地人が中心となって初めてヨーロッパの宗主国から独立を達成した国家でした。

1959年には2機目のヘロンが導入され、3月9日には最初のDouglas DC-3が投入されました。4月16日にはロンドン線にBOACから乗員ともにリースされたBristol Britannia102が投入され、8月31日にはストラトクルーザーが引退しました。

1960年4月20日には3機のVickers Viscountが発注され、8月18日には6機のイリューシン18も発注されました。11月にはAntonov An-12も導入されています。こういったソ連製の旅客機の導入は初代大統領ンクルマの社会主義国との友好政策強化の施策でした。

1961年1月にはアメリカ本土乗り入れ、東京やシドニー線の開設を目論んでロールスロイスエンジンを装備したBoeing 707-420が2機発注となり、Vickers VC10も3機発注されています。後にこのBoeing707の発注は経済上の理由からキャンセルとなりました。1963年10月にはSwiss AirからConvair CV990Aをウエットリースしています。

1975年には最初のDC-9が納入され、さらにDC-10が発注されました。実機が納入されるまでの間KLMからDC-10をリースし、1983年2月24日には発注していたDC-10 (9G-ANA) が納入となりました。

1994年9月にアメリカ合衆国への運航が開始され、週に2度の頻度でJFKに乗り入れました。1999年3月25日には南アフリカ航空と協定を結び、アクラとヨハネスブルク間の便数を増やすと同時にアメリカへの便数を増やすこととしました。

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9G-ANA

しかし、21世紀に入ると財政危機が襲い、2004年にはアメリカの運輸局から安全上の理由で乗り入れ禁止命令が出され、同年8月13日経営委員会は解散し、チケットの販売が停止となりました。2005年6月に会社は精算されました。

フリートリスト

1     Airbus A320-200
1     Airbus A330-300
3     Douglas DC-8
8     McDonnell-Douglas DC-9
6     McDonnell-Douglas DC-10
1     McDonnell-Douglas MD-11

これを引き継ぐ形で2004年、ガーナ政府と国際的な投資家グループによって設立されたのがGhana International Airlinesです。国際的な投資家グループにはSkywest Airlinesの創設者のRalph AtkinやKenya Airwaysの前のCEOのBrian Presburyなどが含まれていました。

同社はアクラとロンドン・ガドヴィック空港を毎日、Ryan International AirlinesからリースしたBoeing 7572005年10月29日から運航開始し、ヨハネスブルグやDüsseldorfへの運航も開始しましたが、2010年5月13日に運航を停止しました。

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2014年6月11日 (水)

通勤電車シリーズ 101系 その16 秩父鉄道1000系 その3

秩父鉄道1000系の3回目で、最終回となりますが、1009、1010、1012編成の写真を紹介しようと思います。

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大麻生に到着する1009編成 2010/4/25

1009編成      デハ1009    デハ1109    クハ1209
           クモハ100-174   モハ101-236     クハ101-80

クモハは1963年9月15日、近車支で落成、津田沼区に配置され、1989年2月8日の廃車まで活躍しました。モハは1963年9月5日に汽車会社で落成、以降はクモハと同じです。クハは1968年2月20日に東急車輌で落成、その後はモハユニットと同じです。

秩父鉄道ではウグイス色にカナリア色の警戒色の帯、関西本線の101系のスタイルで2011年2月19日まで活躍しました。

1009_100425
デハ1009の運転台で、マスコンとブレーク弁の間のSWはパンタと上げ下げと放送用です。 2010/4/25

1009_100425_2
上方に目をやると行き先表示幕の順序が表示されています。

続いて1010編成です。

 デハ 1010       デハ1110        クハ1210
クモハ100-160           モハ101-208      クハ101-73

クモハは1963年6月20日,汽車会社で落成し、下十条区に配置後、同年10月1日、品川区に転属、1964年11月1日に津田沼区に転属し、1989年7月25日の廃車まで同区で活躍しています。モハは全く同じ履歴です、クハは1966年7月8日、汽車会社で落成し、津田沼区に新製配置され、モハユニットと同じ日に廃車となっています。

秩父鉄道では今年、2月23日に運用を終えています。

1210_100515
1010編成 上熊谷にて 2010/5/15

続いて1012編成です。

   デハ1012       デハ1112       クハ1212
クモハ100-192      モハ101-263           クハ101-82

クモハは1965年12月10日、クモハ100のラストナンバー193と同じ日に川崎車輌で落成し,森の宮区に配置され、1977年3月15日淀川区に転属しています。1985年4月26日に津田沼区に転属し、1988年3月19日に中原区に移動しています。廃車は1989年9月26日でした。同日生まれの193が終生大阪地区で活躍したのとは違って流転の車生でした。モハもクモハと全く同じ履歴で,終生ユニットととして手を繫いでいたのでしょう。クハは1968年2月26日、東急車輌で落成し、津田沼区に配置されますが、1979年4月12日に中野区に転属し、1985年1月29日、再び津田沼区に戻り、1988年3月19日に中原区に移動しています。

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前パンスタイルは国鉄では見られなかったスタイルですが、慣れたカナリア色を纏って働きました。 2010/4/25 三峰口

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西武鉄道の新101系改造の6000系と並んで 2010/4/25 三峰口

秩父鉄道では2010年12月3日に運用を終えています。

以上で、秩父鉄道の1000系シリーズの紹介は終わりで、通勤電車101系シリーズもこれで終わりかと思います。次回からは103系シリーズで行こうと思います。

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2014年6月10日 (火)

公園保存蒸気 58680 茂原萩原公園

日本全国の公園等で保存されている静態保存蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は前回に続いて、今年1月4日の18切符を利用した千葉県の旅です。

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動輪やタイヤは白く塗られ美しく保存されている58680号機 茂原萩原公園 2014/1/4

旭駅から東金駅まで総武本線を戻り、東金線で大網に抜け、外房線で新茂原へ、新茂原から歩いて10分ほどで到着しました。

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残念ながら右側のシリンダーカバーが欠品となっていました。

これまでに大正時代の名機9600形式は数機紹介していますが、8620形は初めてとなります。

<8620形式について>

国鉄の前身鉄道院が製造した我が国初の量産形、旅客列車牽引用テンダー式蒸気機関車で、明治末期に急行列車用として輸入された8700形、8800形、8850形などを参考に蒸気機関車国産化技術の確立を目的として製造されました。

旅客用機関車は先輪をボギー式にして軌道追従性を上げるのが設計の常道なのだそうですが、本形式では島安次郎氏の考案で先輪1軸と第1動輪を心向キ棒で一体化した特殊な台車として、第1動輪に32mmの横動を与えて曲線通過性能を向上させているそうです。

1914年から1929年の間に672両製造され、半数以上が汽車会社で製造され、川崎造船、日本車輌、日立製作所、三菱造船所なども製造に参加し、樺太庁鉄道向け、台湾総督府鉄道向け、北海道拓殖鉄道向けにも同形機が製造されています。

58680_140104_25
正面から大きめの四角いデフつきの姿で保存されています。

58680_140104_74
キャブ内は立ち入り禁止でした。

58680号機の履歴を沖田祐作氏の機関車表から見てみると

58680      汽車製造大阪工場=630            1922-10-00 S46.75t1CT(1067)
   車歴;1922-10-00 製造→ 納入;国鉄;58680→1922-10-18 使用開始[東管達891];東京局→
      1925-08-01 現在;田端→1934-11-00 現在;尾久→1936-05-00 現在;田端→
      1955-08-01 現在;佐倉→1969-09-27 福井→1971-07-06 廃車;福井→
      保存;千葉県茂原市「萩原交通公園」;58680

140104
ということで、1922年製造後、東京局配属で田端、尾久と首都圏に配属となり、33年後に佐倉へ、さらに14年後に福井へ転属しそこで廃車となっています。

58680_140104_85
公園の中央部の開けた場所におかれているのでこのように全景を写すことも可能です。

8620形式の付番の仕方は 8620 (1) ~8699 (80)、18620 (81) ~18699 (160)、 28620 ~28699 (240) ・・・ と云う方式になっており、N86** の場合、
80xN+(**-20)+1 = 製造順 となります。

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2014年6月 9日 (月)

EF200形電機 3号機

貨物列車の話題が続きますが、EF200を一両ずつ観てゆくシリーズ、今回は3号機です。

3号機は1992年5月8日に日立製作所で落成し新鶴見区に新製配置され、その後吹田区に転属しています.最近の全検は2007年8月3日でした。

Ef200_3_021221_3
岡山駅を通過する上り貨物列車 2002/12/21

Ef200_3_050708
北方貨物線を上る貨物列車 2005/7/8 東淀川

Ef200_3_050822
元町のカーブを曲がって来る上り貨物列車 2005/8/22

Ef200_3_070826
車体更新後まもない3号機 2007/8/26 八丁畷

Ef200_3_090404_2
舞阪を通過する貨物列車 2009/4/4

Ef200_3_100919
大船を通過する1151列車 2010/9/19

以上です。

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2014年6月 8日 (日)

2014年5月31日 久しぶりに八丁畷で貨物列車を写す 3

前回に引き続き5月31日の八丁畷での撮影です。
10時を過ぎると南武支線の電車と貨物列車の頻度が逆転して,貨物列車の本数が増えてきます。

まずは75列車です。

Ef66_120_140531_2
吹田区のEF66 120号機 A3運用 75列車

70番台の列車番号というと四国方面というイメージがありますが、四国行きは71~3071列車のみで、73,75,77, 79列車はいずれも東京タ~隅田川連絡列車となっています。
75列車は黒磯から4086列車を牽いて到着した吹田区のEF66が新鶴見まで牽引します。新鶴見から隅田川は新鶴見区のEF65が担当します。なお吹田区のEF66は新鶴見から2089列車を牽引して稲沢へ向かいます。

EF66 100番台はJRになってから製造されていますが、更新工事の計画はないようであと4~5年で見納めかも知れません。いままで、0番台に較べて塗装の変化やスペシャルマーキングもなかったので、期待したいものです。

続いては1153列車です。

Ef210169_140531_2
EF210-169号機牽引の1153列車

東京タ発の1150番台の列車で1151, 1155, 1159の3本は相模貨物行ですが、1153列車は根岸経由で神奈川臨海鉄道の横浜本牧に行きます。

続いて 東京タから熊谷タまで一往復設定されている配給6795列車です。

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EF210 トップナンバー牽引の配6795列車

川崎車両所で検査を受けた貨車の試運転で東京タ~熊谷タを一往復する列車で、新鶴見までは岡山のEF210、新鶴見からは新鶴見区のEF210が引き継ぎます.一方、岡山区のEF210は配6794列車で新鶴見に到着した列車を東京タまで牽引します。

続いて広島タ発の1060列車です。

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岡山区の147号機牽引の1060列車

以前は鶴見方面からやってくる列車はカーブの先で視認することができたのですが久しぶりに撮影して樹木が成長したためか見通しが悪くなって列車がいきなり飛び出してくるように感じました。
EF210の100番台も久しぶりに撮影するとどの番号がどこの所属だったか分からなくなるくらい、140番台以降は錯綜しています。

最後は4095列車です。

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東京タから南武支線~武蔵野線をぐるっと回って蘇我へ、さらに千葉貨物まで行く4095列車です。

牽引機は吹田区のEF210-114号機です。114号機は新製配置は岡山区でしたが、2011年度に吹田区に転属しています。4090番台の列車も出発地と到着地がいろいろあり、4093列車は東京タから宇都宮タ、4097列車は新座タから宇都宮タへ、4099列車は越谷タから千葉貨物へとなっています。

数年前までは4095列車といえば岡山区の桃太郎の受け持ち列車でしたが、この3月の改正からこの前の四国新居浜往復運用共々吹田区の受け持ちとなりました。

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2014年6月 7日 (土)

2014年5月31日 久しぶりに八丁畷で貨物列車を写す 2

2014年5月31日の八丁畷での撮影、続いては1151列車です。

Ef200_6_140531
八丁畷で見ることが出来る今では貴重なEF200 今回は6号機でした。

大阪タ発東京タ行の1066列車を牽引してきた吹田区のEF200が相模貨物まで高速C貨物(最高速度85km/h)を牽引し、単1978列車で新鶴見に戻るA110運用の列車です。
このあと、EF200は91列車~5079列車で根岸を往復して、新鶴見から1085列車を牽引して吹田に戻るため、東海道往復前後で機関車が方向転換する運用となります。

続いては5681列車です。

Ef210142_140531_3
5681_140531
夏場は単機のことが多かったと思いますがこの日は1両タキを牽引していました。

気温もぐーんと上昇し、燃料需要も落ち込んでいるのでタキ1000を一両、新鶴見機関区の142号機が牽引して行く姿もなにかユーモラスでした。

続いては所定では吹田区のEF210が5060列車を牽引して下関貨物からやってくる予定でしたが時間を過ぎてもやってきませんでした。

後で調べてみると牽引機はEF66 127号機が代走で途中1時間30分程度遅れて到着したようでした。

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因みにこの写真は下関で撮影した下関貨物発東京タ行(当時のダイヤでは5066列車 : 2008年12月7日)です。16時46分で東京では真っ暗な時間帯ですが、本州の西端ではまだ撮影可能でした。EF210は岡山区の146号機でした。

東海道・山陽系の貨物牽引機は幡生で機関車交換するので下関駅で通常見られる電機は関門用のEH500かEF81となり、下関貨物から出発する直流機牽引の列車はレアな存在ですね。

続いては8074列車です。

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8000番台で如何にも臨時列車的列車番号の列車ですが、吹田区のEF210の運用にしっかり組み込まれており、盛岡タから黒磯まではEH500(A130)が牽引しています。今回は141号機でした。

吹田区にEF210が新製配置された2007年頃は首都圏~幡生間を往復する運用ばかりで、おまけに首都圏には日の落ちた後に到着して未明に出発するパターンで撮影は絶望的でした。そのため名古屋や関西圏で撮影することにしていましたが、歳を経るごとに担当が変化して、今期のダイヤでは八丁畷で最も良く遭遇するのは吹田区のEF210となってしまったようです。

今回はここまでです。

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2014年6月 6日 (金)

2014年5月31日 久しぶりに八丁畷で貨物列車を写す 1

先週末の土曜日、5月31日、2年9ヶ月ぶりに"メッカ"八丁畷で貨物列車の撮影をして来ました。

私の場合、荒川沖5時27分発の勝田からの上り初電1320Mに乗っても、日暮里、川崎、尻手経由で八丁畷に到着するのは7時26分となります。かつては東海道貨物牽引機の撮影、中でもEF200の番号集め、EF210の新造機追っかけなどでよく来ていたのですが、最近はそういった目的が薄れてしまったためか足が遠のいていました。

ここのところ毎年3月にJRグループのダイヤ改正が行われ、JR貨物の機関車特集が5月下旬発行の月刊誌で記事になり、ガイドブックや時刻表も付録でついてくるので,否応なしにこの時期貨物列車に興味が向くのがきっかけと言えそうです。

昨年のゴールデンウィーク4月27日5月3日には鶴見駅で東海道貨物を撮っており、5月5日には東京貨物ターミナルの公開イベントにも行っており、地元ではEH500牽引の常磐線コンテナ貨物、安中貨物の番号集めも実行中なので貨物列車とそれほど遠ざかっているという感はないのですが、貨物に特化撮影スポットといえる八丁畷にはご無沙汰でした。

20140531
表1 2014年3月改正ダイヤにおける八丁畷時刻表
EF210Oは岡山、EF210Uは吹田、EF210Sは新鶴見

今回は上記の表のように7時半から11時までの3時間半滞在し、12本の列車の撮影を行いました。

これまでに撮った写真を調べてみると八丁畷には2003年頃から来ていますが、毎年JR貨物のダイヤ改正で列車と牽引機関車の関係はよくかわっていますが、傾向としては

1) EF65の担当する列車が随分減り、その分、EF641000番台の運用が増えた。

2) EF200に関しても以前は東京タ、新鶴見、武蔵野線内、越谷、新座などで折り返し運用の合間に首都圏の近距離貨物列車を牽いていた運用が激減した。

3) 吹田区のEF210の運用が以前に比べて増えた。

といった印象を持ちました。

それでは撮った写真を紹介して参ります。

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153列車 EF64 1014 2014/5/31 八丁畷

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最初はEF64 1014号機、未更新機が牽引する153列車 「クリーンかわさき号」返空貨物です。

クラッチ 鉄道貨物部屋さんの記事によりますと、この列車は梶が谷貨物ターミナルに集められた廃棄物を臨海部の処理センターに輸送するクリーンかわさき号の返空列車で、1995年7月から運転されているそうです。2013年9月からはUM8A-9000番台60個を導入して、プラスチック製容器包装の輸送も開始しているとのことです。

編成を見ていると延々と廃棄物輸送用のコンテナが続いた後に最後に普通のコンテナコキがついて行くのもご愛敬です。

続いて5073列車です。

Ef210128_140531
東京タ発福岡タ行の列車で、本来は吹田区のEF66が静岡貨物ターミナルまで担当の列車ですが、この日は岡山区のEF210-128号機の牽引でした。東京タ発8時8分、途中、静岡貨物で30分、京都貨物で30分、吹田タで20分、姫路貨物で50分、広島タで20分、北九州タで60分程停車しながら,翌朝6時47分に福岡タに到着するダイヤですが,思えば昔の東海道急行「高千穂・桜島」の筋が現在も使われているような感じの列車ですね。

続いて760列車です。

De11_2004_140531_2
川崎貨物での入れ換え業務用に新鶴見DE10が単機で回送されるのが760列車で、尻手連絡線のキャパシティの関係から鶴見経由で走る列車ですが、今まではDE10でしたが、この日は住宅地に立地する横浜羽沢駅周辺の騒音対策として1901をベースにさらに防音を徹底したDE11 2000番台でした。

続いて5764列車です。

Ef64_1047_140531_5764
今ではすっかり珍しくなった石炭輸送用ホキ10000を連結した返空貨物列車で、石炭を積んだ5783列車は秩父鉄道の武州原谷にある日本セメントの工場まで川崎港から輸入炭を運搬しています。

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長大なホキ10000の編成は迫力があります。

牽引機のEF641047号機は元々岡山区配置の伯備線用のEF641000番台1046~1050の1両で、1046、1047、1049の3両は広島更新塗装で活躍していましたが、前回大宮に入場した際に、大宮更新塗装に塗り替えられてしまいました。一方、続いて入場した1049、1046号機は塗料こそ大宮カラーになったものの、マスキングの工程が少ないことが利したのか、広島更新塗装のパターンのままで出場しました(昨年の大宮センター公開の際に1049号機が入場中でした)。一方、未更新だった1048号機、1050号機1040号機に続いて廃車、解体されてしまったそうですね。

なお、この5764列車に関しては2003年頃の高崎区のEF65形牽引の頃から撮影しているので一つの記事にまとめようと思います。

今回は以上です。

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2014年6月 5日 (木)

特急「北近畿」 その11 485系から183系へ part10

JR西日本で活躍した485系、改造の183系、今回は国鉄色B65編成のクハです。

183_b65_050822_2
山崎のカーブを行く特急「北近畿」B65編成   2005/8/22

編成の構成は
←新大阪・京都         福知山・天橋立・城崎温泉→
クハ183   モハ183   182 モハ183    182    クロハ183
   703        1802        1802      815       711         805 

となっており、奇数エンドの先頭車クハ183-703クハ183-339として、1975年6月5日日立製作所で製造され、仙センに配置されています。1984年度に門ミフに転属となり、1986年度に福フチに再転属し、JR西日本に継承されています。1991年3月15日、クハ183-703に改造されています。

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東淀川^新大阪間をゆくB65編成回送列車 2010/12/10

奇数側のモハユニットは1800番台ですが、これらも元々はモハ485-1000番台として製造されたもので、1802は1006として1976年2月25日、特急「つばさ」の485系1000番台投入で製造されたものです。秋アキに新製配置されましたが、1984年度に転属となり,そのままJR西日本に継承され、1990年度に福知山に転属となり、1991年3月15日にモハ183/182へと改造されています。同様の履歴を辿っている車輌にモハ485/484-1005があり、モハ485/484形1000番台のうち、88ユニット製造された1000番台ユニットのうち、1001~1006、1025~1029はJR西日本に継承されています。なお、1025から主抵抗器がCS15FからCF15-G2に、さらに室内ではリクライニングシートがロック機構つきに変更されています。これらのうち、6両がモハ183/182形1800番台に、1029は雷鳥用に非電装化されてサハ481-751に改造されています。 

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2014年6月 4日 (水)

西武101系 その4 秩父線と快速急行運用

西武鉄道の101系の話題、なんといっても忘れてはならないのが秩父線への快速急行運用かと思います。

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急行「奥武蔵」のHMを誇らしげに付けた101系 快速急行 1980/5/5 所沢

前回までの記事で所謂、旧101系の製造に関して記述してきました。今回は101系との関連が深い秩父線の歴史に触れてみようと思います。

西武池袋線は1915年に武蔵野鉄道が池袋~飯能間を開業し、1922年に池袋~所沢間が電化、1925年には飯能まで電化されていました。1929年に吾野まで延伸開業されています。
1948年、秩父武甲山から産出される石灰石の輸送を目指して、路線を秩父まで延伸する動きが出て来ました。1955年、延伸を目指して路線の調査が開始され、1957年、吾野~西武秩父間の免許申請がなされました。免許は1961年に下付され、1967年に着工に至り、2年後の1969年10月に開業しました。

秩父線は山岳路線で建設キロ19.1km、うちトンネルが16カ所、7.7km,橋梁35カ所、2.0kmと路線の半分以上に及びました。なかでも正丸~芦ヶ久保間の正丸トンネルは全長4.8kmと当時私鉄としては最長のトンネルで信号所が設けられ,列車の行き違いが可能な構造とされました。

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所沢駅での有料特急レッドアロー号との遭遇 1980/5/5

この秩父線に直通する池袋発の快速急行が運転開始されたのは1980年3月17日のダイヤ改正からでした。当初は101系で運用され、1988年以降は新たに秩父線用に登場した4000系が運用を受け持つようになりました。

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2014年6月 3日 (火)

上毛電鉄 700型電車 その4  714-724編成とテ241

上毛電鉄で活躍中の700型電車、今回はデハ714-クハ724の第4編成です。

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大胡駅を発車する第4編成 2014/4/27

京王井の頭線時代はクハ3759クハ3709で、前頭部はアイボリーでしたが、上毛電鉄ではフィヨルドグリーンの後2006年8月より、サンライト・イエローを纏って活躍しています。さらに現在は前頭部下部に海の生き物の絵がラッピングされ、「はしる水族館」電車として活躍しています。

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クハ724

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デハ714  心臓血管センター~赤坂間にて 2014/4/27

今回は先の大胡での春のイベントの際に展示こそされてはいませんでしたが、大胡駅構内に留置されていた1928年日本車輌製の鉄製有蓋車テ241号を紹介します。

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東武の社紋もしっかり入ったテ241 2014/4/27 大胡

かつては東武佐野線や会沢線(貨物)などで水を嫌う生石灰の輸送用として活躍した貨車です。昭和40年代に次々と廃車となり、非常用機材積載用として車両基地や工場に振り向けらましたが、このテ241号は七光台検修区で余生を送っていたものを先日のイベント記事で紹介したデキ3021号が東武鉄道から上毛電鉄に移籍する際に一緒に移籍となったそうです(記事はこちらこちら)。

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大胡駅の西桐生よりの留置線に台車とともに留置されているテ241 

両者が上毛電鉄に来たのは2009年12月のことで、デキ3021号は1929年生まれでこのテ241号の方が少し年上となりますが、昭和一ケタ同士の貨物列車の再現も期待したいものですね。

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2014年6月 2日 (月)

1989年のDüsseldorf Airport その5 LTU Tristar 2

1989年のDüsseldorf Airportで撮影した旅客機のシリーズ、今回はTristarの開発の歴史に触れようと思います。

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D-AERT cn 193J-1183 L1011-385-3 Tristar 500 1989/5/4 DUS

角度から判別はしにくいですが、胴体の短い500型のトライスター

ロッキードL-1011 TristarBoeing 747, McDonnell Douglas DC-10についで3機目のワイドボディ民間ジェット旅客機です。ロールスロイス製のRB211エンジン3機を装備した3発機で2機は主翼下に、1機はSダクトを介して胴体尾部に搭載されています。

ロッキード社は1964年当時、Boeing 747の開発ストーリーで必ず話題となるアメリカ空軍のC-5Aギャラクシーの開発競争では勝利するものの、営業成績は決して良くなく、さらに旅客機として開発していたターボプロップ機L-188 エレクトラの開発も採算見込みが立たない144機しか販売で製造終了となり、旅客機製造会社としてはBoeingやDouglasに大きく水をあけられた状態でした。

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D-AERV cn 193Y-1195 L1011-385-3 Tristar 500 1989/5/4 DUS
こういった通常の塗装パターンとは違う機体もいました

当時の状況において,新たに旅客機市場に打って出るに当り、社運をかけて当時最新の技術を盛り込んだ旅客機をつくる意気込みで提案したのがCL-10111966年2月の当初案では双発機でした。

一方、アメリカン航空同年3月25日、アドバンスト・ジャンボ・ツイン中距離旅客機として新しい双発大型旅客機の開発要求を出しました。ロッキード社はアメリカのみならず、ヨーロッパでも需要があると考え、エンジンは当時、燃料消費率が優れていたロールスロイスRB211を採用し、洋上飛行やロッキー山脈越えを考慮して,双発から三発機に変更しました。

1967年9月アメリカン航空、ユナイテッド航空、イースタン航空、トランス・ワールド航空、ナショナル航空などの大手航空会社からの受注を見込んでローンチがアナウンスされました。この時点ではライバルMcGonnell Douglas DC-10は基本設計は未完了でDC-10の開発計画が発表されたのは11月でした。アメリカン航空はトライスターを発注せずDC-10を50機発注すると発表しましたが、イースタン航空が50機、トランス・ワールド航空から44機、エア・ホールディングスから50機の受注し、一挙に受注機数は100機を超えました。さらにデルタ航空から24機を受注するに至り、1968年4月3日、ローンチ(生産プログラム開始)を発表、DC-10より先に製造が開始されました。

開発途中でRB211エンジンの再設計、さらにはロールスロイスの倒産でRB211エンジンの生産の継続が怪しくなる事態にも発展しましたがアメリカ政府が補償する交渉までなされ、なんとかDC-10に遅れること9ヶ月で就航にこぎ着けました。

当時の旅客機では初めて自動着陸装置と自動降下装置を装備し、通常は貨物室となっている胴体下部にギャレイやラウンジのスペースが作られました。こういった最新の技術が取り込まれた機体ではあったものの、エンジンの開発遅れによる販売開始の遅れで、BoeingやDouglas社に大きく遅れたことで販売は不振で,それを打開しようとして賄賂工作なども起こり、ロッキード事件に発展しました。

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手前は500型 奥は 1型 1989/5/7 DUS

胴体長に関しては2種類つくられL1011-11970年11月に初飛行し、キックオフカスタマーのイースタン航空での初就航は1972年となりました。胴体を短縮し,航続距離を増やしたL1011-5001978年に初飛行し、British Airwaysは翌年に就航させています。

ライバルDC-10が胴体にセンターギアを設けることで最大離陸重量増加に対処出来たのに対してL1011にはその対応がなく、-500形による対応がなされたのは些か遅すぎた感がありました。

タイプ
L1011-1    基本タイプ 我が国でANAが導入したタイプ  160機
L1011-100  1975年 中央燃料タンク装備モデル 1500km航続距離増加  14機
L1011-200  エンジンをRB211-524Bに変更 24機
L1011-500 1978年 胴体を14フィート(4.3m)短縮して航続距離を増やしたモデル

1型を基本に最大離陸重量を増やした改造型-50型 (28機)、-150型 (6機)、 200型に同じような改造を施した -250型(6機)(ロッキード社の正式な品番ではない)などがあります。

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2014年6月 1日 (日)

通勤電車シリーズ 101系 その15 秩父鉄道1000系 その2

通勤電車101系がJRを引退した後、最後に働いたのが秩父鉄道1000系でした。
今回はその2回目で、1005、1007、1008編成の写真を紹介しようと思います。

1205_100515
上熊谷に進入する羽生行 2010/5/15
最近の標準色で、前面窓ガラスの周りが黒く塗られています。

1005編成    デハ1005     デハ1105    クハ1205
       クモハ100-166         モハ101-222   クハ101-64

クモハ・モハユニットは1963年9月10日に日本車輌で製造され、津田沼区に配属され、1986年12月3日に引退するまで中央・総武緩行線で活躍しています。クハも製造こそ、1965年9月13日と、2年後ですが、引退まで一緒です。

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毎年5月中旬になると広瀬川原の車両基地でイベント「わくわく鉄道フェスタ」が開催されますが、そのHMを付けて走るリバイバルカラーの1007編成  2010/4/25  大麻生~ひろせ野鳥の森

1207_100515_1
2010/5/15 熊谷駅電留線

1007編成    デハ1007     デハ1107     クハ1207
        クモハ100-130  モハ101-112    クハ101-66
クモハは1962年3月31日近畿車輛で落成し,池袋区に新製配置された山手線経験組です。1969年4月1日に中野区に転属し、さらに1985年2月28日に中原区に転属となり、1987年1月24日に引退しています。モハは1962年3月24日に日本車輌で落成し、中野区に転属してからはクモハと同じです。クハは1965年9月13日に日本車輌で落成し、最初は津田沼区に配置されますが、1965年9月30日に中野区に転属し、1984年3月10日に津田沼区に戻り、中原区には行かず、1987年1月24日に習志野区で引退しています。

1008_100425
熊谷駅の電留線で休む1008編成 2010/4/25

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終点三峰口駅で西武鉄道の4000系と並んで休む 1008編成 2010/4/25

1008編成    デハ1008     デハ1108       クハ1208 
        クモハ100-154  モハ101-212  クハ101-79  
クモハは1963年1月11日、近畿車輛で落成し,品川区に配置され、1969年3月26日、津田沼区に転属し、1989年2月8日引退しています。モハは1963年6月21日、川崎車輌で落成後、下十条区に配置され、1963年10月1日、品川区に転属し、1964年11月8日、津田沼区に転属となっています。引退はクモハと同じです。クハは1968年2月15日、東急車輌で落成後、津田沼区に新製配置されますが、1979年4月13日中野区に転属となり、1985年3月2日に津田沼区に戻っています。引退はクモハ・モハと同じです。こちらも電動車ユニットは山手線経験組です。

今回の編成の各車両ごとの履歴を追っかけてみると、1005編成とクハ以外は基本的には同じ山手線から中央・総武緩行線という流れではありますが、最後に寄せ集められたという車輌だったことが分かります。

そして国鉄・JRで約23年から26年働いたあと、秩父鉄道でそれとほぼ同じかそれより長い期間務めていたこと分かります。  

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