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2014年7月 7日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 3 常磐線 その1

103系の話題、1967年夏までに京浜東北線に659両、集中投入が行われ、それも一段落した後に山手線にも再び増備が行われましたが、次に103系が投入されたのは常磐線でした。

103_016_7601
クモハ103を下り側先頭にした常磐線快速103系 1976/1 上野

昭和42年度本予算追加車

クハ103-617~638 クモハ103-134~155 モハ103-160~170 モハ102-293~325 サハ103-226~247

このときのロットは1967年12月から1968年3月にかけて落成し、クモハ103やクハ103-500番台の製造はこれで終了となりました。

103
103系快速と415系 中電 松戸駅にて

まだ私にとっては常磐線とはほとんど縁が無かった時代 103系のクハは500番台です。

クモハ103が製造され、モハ102はモハ103もクモハ103も通し番号で製造されたので、クモハ103の製造両数155両分だけ、モハ102の番号が進む関係がモハ102-325からは続きました。

モハ、クモハのユニット番号対照データはこちらに。

ところが1970年5月20日(1971年と書いてましたが訂正します)に根岸線新杉田~洋光台間で住宅公団造成の初歩的ミスにより発生した土砂崩れに根岸線電車が突っ込み前3両が進行方向右側に脱線し、先頭車がくの字型に凹み、線路の両側が泥沼で搬出困難でもあったため前2両が廃車となる事故が発生しました。

クハ103-5481966年5月20日に東急車輌で、モハ102-1691966年6月13日に日本車輌で落成した製造5年の車両でした。モハユニットの相手のモハ103-105はしばらく休車の後、モハ102-445が製造され,クハ103は-188が製造されました。そのためにモハ103-289+モハ102-444の後から、両者の番号は156違いとなりました。 ことの真相は随分後から知ったのですが、高校時代(1971年4月~1974年3月)高田馬場~渋谷間、毎日山手線を使って通学していた頃、古めの103系のユニット番号と比較的新しい103系のユニット番号の違いが155で揃っていないのが気になっておりました。

常磐線の103系、当初は

McM' T'c+ McM' T T MM'T'c   もしくは
McM' T MM' TT MM'T'c  の10両編成で活躍していましたが、1971年4月20日の複々線化完成で快速電車は8両編成に減車され、

McM'TT'c + McM'TT'c もしくは
McM'TTMM'TT'c もしくは
McM'TT'c+TcMM'Tc の3種類の編成が1972年10月までは併用されたそうです。

8連化で捻出されたMM'ユニットは山手線の10連化に回され、これで漸く山手線の完全10連化が達成されました。また1971年3月には山手線がやまて線からやまのて線に名称復活し、103系の前面の表示も山手から山手線になったのを記憶しています。

実際に「昭和42年度本予算追加車」で製造されたモハ103-モハ102ユニットの車歴を見てみると

160-294, 161-297, 162-300, 163-304, 164-307, 165-310, 168-319, 169-322, 170-325 と当時松戸電車区に新製配置されていますが、161-297以外は,1971年4月20日に下十条電車区(モセ)、あるいは6月1日付けで森の宮電車区(モリ)に転属になっており,常磐線での在籍期間は僅かだったことがわかります(2017/9/22 追記:ロクロク様のご指摘のように誤記がありましたので修正致しました)。

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電車103系」カテゴリの記事

コメント

こんにちは~。モモパパです~。
広窓103系も時代を感じますけど小豆カラーの415系にも興味を惹かれます^^。

B767しゃん、おはようございます(^^)お邪魔致しますm(_ _)mついに常磐線の103系の登場ですね。エメラルドグリーン塗装ですね。ところで、一枚目の画像で、先頭車両の戸袋窓の上にあるのは…なんでござんすか⁉︎京浜東北線の103系の非冷房車にもありましたね。山手線の103系の非冷房車にもあったような。1971年5月20日に、根岸線新杉田〜洋光台間の土砂崩れによる脱線事故があったんですか⁉︎ワタシが生まれるちょっと前だな。

モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。

常磐線の415系、ついに後年増備された1500番台も終焉の時が迫っているようで、来年にはE531系が増備されて,あと数年で消えて行きそうですね。

マスダっち1971さま、おはようございます。

>ところで、一枚目の画像で、先頭車両の戸袋窓の上にあるのは…なんでござんすか⁉︎京浜東北線の103系の非冷房車にもありましたね。

103系の特徴であるMG用の冷却風取り込み口ですね。わたしも最初に103系を見たときからあの通風口の存在が印象的でした。

こんにちは、
久々にコメントいたします。
私がこの世に生まれたのは1970年5月20日(水)で、武州・大宮駅東口にある産院でしたが、この日は雨の日であり、そのさいにこの年の春に開業したばかりの新杉田〜洋光台間にて、雨天時における雨水対策が不十分だった為に土砂崩壊が起きて、そこへ電車が突っ込んで脱線・損傷する事故が発生したけど、私が生まれた日にこの様な事故が起きたとは、正直いってビックリでした。
(なお、記事内では1971年5月20日となってますが、正しくは1970年5月20日です)
それでは、失礼します。

みやのこさま、こんにちは。

根岸線の事故は1970年でしたか。わたしは当時、中学3年だったはずですが、この事故のことは全く記憶に残っておらず、後で知った次第でした。

そして年代の間違い、ご指摘ありがとうございます。早速、修正致しました。

はじめまして。
カマ好きで、昔は機関車の履歴ばかり調べていましたが、最近は客車や電車・気動車の履歴もきになっております。
72系について調べていた所、103系も気になりだし、こちらのサイトに辿り着きました。

で、「昭和42年度本予算追加車」で製造されたモハ103-モハ102ユニットの車歴を拝見していると、
「165-310, 168-310」とモハ102-310が重複して記載されていました。
貴ページからリンクされている「103系のユニット対照表」で確認した所「165-310,168-319」が正解のようですね。

余計なことかもしれませんが、他にこのページを参考にされる方のために・・・。

ロクロクさま、はじめまして。

確かにモハ102-310が2度出てきてますね。単純ミスですが、ご指摘ありがとうございます。早速、本文を修正しておきました。

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