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2014年7月 3日 (木)

西武 5000系 初代レッドアロー その1 「ちちぶ」

西武鉄道の車両シリーズ,前回で旧101系は終了しましたので、新101系の話題にうつる前に旧101系と同じ時期にデビューした5000系について触れようと思います。

5000
所沢を出発し,池袋へ向かう5000系 レッドアロー 特急「ちちぶ」 

1969年10月の西武秩父線開業とともに都心と秩父方面を結ぶ西武としては初となる座席指定制有料特急として計画されたのが5000系電車で、設計は日立製作所が担当し、今の体制の西武鉄道としては初の外部発注となった車両でした。

クハ5500Tc1-モハ5000M1-モハ5000M2-クハ5500Tc2 からなる4両編成で新製され、1969年9月に,5501、5503の2編成が落成し、当初多客時には2編成を併結した8両編成、6両編成化された後は6+4の10両編成でも運転され、最終的には6両編成6本の体制となりました。1970年度鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞しています。

5000_2
保谷を通過する特急「ちちぶ」

第6編成が登場する1978年までは写真の様な列車愛称表示板で「ちちぶ」「むさし」といった列車名を示していました。第6編成からはマイナーチェンジされ、愛称表示も電光式となったため、それまでに登場していた編成もそれに合わせて改造されました。

性能的には101系と全く同一の性能で、併結も可能だったそうですが、併結運転の実績はありませんでした。

その辺の詳細は次回の記事で。

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コメント

こんばんは。

有料特急は、西武鉄道としても一種の賭けみたいなものだったみたいですね。101系と併結出来るようにしたり、いざとなったら解体して部品は101系に転用しようと考えていたり、手探り状態だったのが見て取れます。

私が最初に乗ったのは小学校の遠足でしたが、時期的には板状愛称板だったのだと思われます。

こんにちは。モモパパです。
初代レッドアロー号。
懐かしいです。
僕は実際に乗ったことも生で見たこともありませんが子供のころ好きだった「日本の特急電車」って本に載ってたのを思い出しました。
結構いいデザインだったと思うのですがね~。

MiOさま、おはようございます。

レッドアロー5000系の登場で、それまでの西武のイメージが大きく変わったと思っていましたが、会社側としてみたら初めての路線に,初めての試みでやはり大きな賭だったのですね。

私は地元の特急というものに乗車経験があまりない人間で、レッドアローも未だに乗ったことはなく、見送るだけで、常磐線の特急も485系時代には仙台まで乗りましたが、651系スーパーひたちは仙台から一度乗っただけ、E653系は昨年、高尾から牛久まで初めて快速として乗車しました。

B767しゃん、おはようございます(^^)お邪魔致しやすm(_ _)m初代レッドアロー5000系の登場ですね。初代レッドアローは、池袋線では頻繁に運行されていましたね。ワタシは新宿線沿線生まれですから、1976年に運行開始の西武新宿〜西武秩父の「おくちちぶ」は覚えています。乗ったことはありませんが。西武新宿発着の「おくちちぶ」って、運行開始当初は高田馬場は上りのみ停車で、下りは通過だったそうですね。のちに下りの「おくちちぶ」も、高田馬場に停車するようになったとか。

マスダっち1971 さん、おはようございます。

西武新宿線のおくちちぶ、わたしも日曜日に写真撮りに行きました。

最初は高田馬場に下りが停まらなかったというお話し、如何にも西武のプライドのようなものを感じますね。やはり特急たるものそんなに停車駅を増やさないと言うことからそうなったのでしょうかね。
だだ、走らせてみると結構要望が強かったのかも知れませんね。

B767しゃん、おはようございます(^^)またお邪魔致しますm(_ _)mワタシ知らなかったんですが…池袋線のレッドアローって、運行開始当時は4両編成と6両編成があったらしいですね。多客時には4+4=8両編成、6+4=10両編成で運行されていたとか。

マスダっち1971 さん、おはようございます。

そうなんですね。5000系も4連から,6連に変化を遂げているのですね。
そして併結運転をしていた頃は電気連結器が先頭車両に着いていたのですが,晩年のオール6連になるとそれが全て撤去されているのですね。その辺もこれからの記事で写真でお見せできます。

んちは_(..)_レッドアローは都会に出る時の贅沢電車ですた飯能で乗り換える必要も無いし じじばば子供も乗ったら迷わず池袋へ到着する夢のよな道具秩父鉄道のボロ電車や貨物列車に馴染んでおったので西武の車両はずいぶん乗り心地ええ贅沢なモノちう印象おました。今になればひたすら懐かしひ。

田舎者さま、はじめまして。

コメントありがとうございます。

5000系が活躍していた当時は私は南大泉町在住で、颯爽と通過する姿をただただあこがれをもって眺めておりました。
あれから、10000系になり、やがて新車が出てくるようですが、実は未だに「ちちぶ」「むさし」「小江戸」の乗車経験がありません。
昨日、新宿線に乗ったらお彼岸のシーズン、小平に臨時停車するようなことを聴きました。
この機会に乗ってみようかなどと考えております。

これからも宜しくお願い致します。

投稿者 Jじい 2017.04/29
1969年、当時中学一年だった私は、二年になるとクラス替えがあり、1-4のおもいで作りに皆で協議し鉄道マニアの友人の、そうだ!レッドアローで秩父へ行こう、との一言で担任と共に秩父の武甲山に登った思い出があります。出来立てのレッドアロー号は、今の九州を走るななつ星のイメージがありました。

Jじい 2017.04/29さま、はじめまして。

コメント書き込みありがとうございます。

1969年当時、中学校1年生というと私も、1968年4月に中学に入学していますので、殆ど同じ年齢ですね。
5000系レッドアローに対する思い出話、ありがとうございます。
確かに、私も「レッドアロー」は高嶺の花のイメージがありました。只、後年になって意外と安く乗れるのだなあと感じたものでした。

今の中学生が40000系、S-Trainをどう感じているか興味がありますね。
これからも宜しくお願い致します。

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