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2014年7月31日 (木)

ニューヨーク州イサカへ その2 まずは成田空港デッキで2

シカゴまでのNH012便搭乗前の成田空港、第一ターミナル展望デッキでのスポッティング、今回はその後編です。

Ja18jj_airbus_a320232_cn_5796_14072 JA18JJ Airbus A320-232 cn 5796 2014/7/22 NRT

Ja08jj_airbus_a320232_cn_5492_14072 JA08JJ Airbus A320-232 cn 5492 2014/7/22 NRT

まずはJetstarA320が2機通過、カンタス航空がバージン・ブルーに対抗するために設立したLCCで、日本を拠点とするのがこのジェットスター・ジャパンです(2012年7月就航)。他に、シンガポールを拠点とする、ジェットスター・アジア、ベトナムを拠点とするジェットスター・パシフィックなどがあるそうですが、今回初めてこれらの機体にお目にかかりました。

B6847_airbus_a320214_cn_4895_140722 B-6847 Airbus A320-214 cn 4895 2014/7/22 NRT

続いて塗装が昔から(私が頻繁に撮影していた頃から)変わっていないAir ChinaのA320

B5329_boeing_73786n_cn_35222_ln_246 B-5329 Boeing 737-86N cn 35222 ln 2463 2014/7/22 NRT

さらにB737がタキシングでRWY16Rエンドへ。

Pkgpf_airbus_a330341_cn_153_140722_ PK-GPF Airbus A330-341 cn 153 2014/7/22 NRT

続いて降りてきたのはガルーダ・インドネシア航空のA330-300で塗装はメタリックのスカ-チーム塗装ですが、レジは昔から見覚えのありそうなレジです。月刊エアライン誌によればガルーダ・インドネシア航空がスカイチームに加盟したのはつい最近のことだそうですね、

Hl8257_airbus_a321231_cn_5173_14072 HL8257 Airbus A321-231 cn 5173 2014/7/22 NRT

次にアシアナのA321がタキシングして行き、

Pkgif_boeing_7773u3er_cn_29148_ln_1 PK-GIF Boeing 777-3U3ER cn 29148 ln 1203 2014/7/22 NRT

続いてガルーダの通常塗装のトリプルセブン、通常塗装といえども私にとっては初物の新塗装です。

Fgzne_boeing_777328er_cn_37432_ln_7 F-GZNE Boeing 777-328ER cn 37432 ln 790 2014/7/22 NRT

さらにもう一機メタリックのスカイチーム塗装のトリプルセブンが降りてきましたが、今度がエール・フランスでした。

ここで時間も迫って来たので、搭乗口からセキュリティ検査を通って、出国審査場へ。

Ja807a_boeing_787881_cn34508_ln41_1 JA807A Boeing 787-881 cn34508 ln41 2014/7/22 NRT

その前に、セキュリティを通ったところで南ウィングのスポットに駐機するANAのBoeing 787を撮影。実はBoeing 787をカメラに収めたのも初めてでした。

9vsww_boeing_777312er_cn_42237_ln_1 9V-SWW Boeing 777-312ER cn 42237 ln 1184 2014/7/22 NRT

最後にシンガポール航空のトリプルセブン-300を撮影して搭乗口へ。

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2014年7月30日 (水)

ニューヨーク州イサカへ その2 まずは成田空港デッキで1

成田空港から搭乗するのも久しぶりのことでしたので、チェックイン後、ターミナル1の展望デッキに上がってみました。

やはり、しばらく航空機撮影をしていないとRWY16Rに降りてくる、あるいは離陸する機体も初めてのものが多く感じられました。

Fojse_airbus_a330202_cn_510_140722_ F-OJSE Airbus A330-202 cn 510 2014/7/22 NRT

デッキの正面に駐機していたのはAircalinA330-202でした。フランス領ニューカレドニアの国際線運航の航空会社で本社とハブ空港はヌメアにあります。1983年創設で現在のフリートはA330-202型が2機(F-OHSD, F-OJSE) とA320-232が1機(F-OJSB)です。F-OJSEは2002年12月13日にAircalinに納入された機体です。

Bhur_boeing_747444bcf_cn_24976_ln_8 B-HUR Boeing 747-444BCF cn 24976 ln 827 2014/7/22 NRT

続いて貨物エリアの方にゆっくりとタキシングしていったのはAir HongkongのB747-400貨物機でした。香港を拠点として貨物便チャーター輸送を行っている会社で設立は1986年です。香港の大手財閥スワイヤー・グループの傘下のキャセイパシフィック航空の子会社となっています。塗装からも分かるようにDHLとも業務提携をしています。現行のフリートはAirbus A300 9機 Boeing 747 3機で、このB-HURはZS-SAVとして南アフリカ航空1991年1月19日に納入され、2006年6月30日にCathay Pacificが貨物機として購入し、2011年9月8日にAir Hongkongに移っています。

N360up_boeing_76734afer_cn_37496_lnN360UP Boeing 767-34AFER cn 37496 ln 1057 2014/7/22 NRT

続いてRWY16Rに降りてきたのはUPSのB767で、アメリカの貨物運送会社で設立は1907年、1929年に空輸事業を始めますが、恐慌のために撤退し、1953年に再開しています。現時点では238機の航空機を運航しており、その内訳はAirbus A300 52, Boeing 747 13, Boeing 757 75, Boeing 767 60, McDonnell-Douglas MD-11 38 となっています。N360UPは昨年7月30日に納入されたまだ若い機体です。

Vna378_airbus_a330223_cn_1019_14072 VN-A378 Airbus A330-223 cn 1019 2014/7/22 NRT

続いてRWY16Rに降りてきた機体はベトナム航空のA330-223です。

Gvwkd_airbus_a340642_cn_706_140722_ G-VWKD Airbus A340-642 cn 706 2014/7/22 NRT

日本線は就航以来、A340がやってくるのが英国のVirgin Atlantic航空です。個人的には現行の旅客機のなかでスタイル的にもっとも好みなのがこのA340です。

今回はここまでに致しますが、Aircalin, Air Hongkongの黄色塗装、そしてVirginのA340-600は初めての撮影で、如何にブランクが長かったかを如実に感じた瞬間でした。

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2014年7月29日 (火)

ニューヨーク州イサカへ その1 プロローグ

7月22日出発、27日帰国のスケジュールでニューヨーク州イサカ (Ithaca) のコーネル大学に出張してきました。コーネル大学を訪問するのは2006年6月に続いて2度目です。

Clock_tower_060602_cornell_univ
Cornell 大学のシンボル的な時計台 (この写真は2006年6月訪問時) 

ちなみにアメリカへの渡航歴を調べると1991年1月にデンバー経由でロッキー山脈のリゾートであるコロラド州のキーストンで開催された学会以来、通算30回目のアメリカ入国になりました。

今回は共同研究の立ち上げに関する議論が主目的だったのですが、まだ訪問したことがなかったナイアガラの滝や、イサカ市の近くのTaghanockの滝訪問などのプログラムも用意されており、いろいろと楽しむことが出来ました。

そこで、往復路での久々の空港での飛行機撮影、ナイアガラの滝訪問、Taughanockの滝訪問、イサカ市の様子などを本Blogで報告しようと思います。

1882ithaca
宿泊したホテルのロビーに掲示されていた1882年のイサカの絵 街は低地部分に広がり、コーネル大学は奥の高地にあり、川の浸食で出来た峡谷なども大学のキャンパス内にあります。

まずは往復の行程からです。

日本からイサカに行くには2006年の時のようにデトロイト経由で行くルートか、あるいはニューヨーク経由で行くルートが一般的ですが、今回は下記のようなルートをとることにしました。

往路 7/22
NRT 10:45 → NH012 → 08:20 (22:20) ORD  B777-300ER
ORD 10:46 → UA0638 → 13:59 EWR A319
EWR 15:29 → UA4828 → 16:48 ITH Dash 8

帰路 7/26-7/27
ITH  9:39 (22:39) → UA4826 → 10:53 EWR Dash 8
EWR 13:00 → UA1093 → 14:25 ORD B757-200
ORD 17:15 → NH1011 → 20:10 (7/27) NRT B777-300ER

NRT 成田空港 ORD  シカゴ・オヘア空港 EWR ニューアーク・リバティー空港 ITH イサカ・トンプキンス空港

とシカゴ空港とニューアーク空港で2度の乗り換えを行う行路となりました。

シカゴ空港はこれまで何度か利用しておりますが、ニュージャージー州のニューアーク空港を利用するのは初めてです。往復ともにかなりの接続時間があったので久しぶりに空港で写真を撮ることも出来ました。

出発の前週の7月17日にはウクライナ東方のHraboveでマレーシア航空17便B777-2H6ER 9M-MRDが撃墜される事故が起きており、さらに旅行中の7月23日には台湾 Magong空港でTransasia AirwaysATR-72 B-22810、222便が着陸に失敗して58名が犠牲になる事故、さらに7月24日にはAir AlgerieMD-83 EC-LTV 5017便がマリ共和国のGossi付近で消息を絶ち、乗員乗客全員の118名が犠牲になる事故が起きており、最後に成田に無事着陸するまで気が気でなかった旅行でありました。

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2014年7月21日 (月)

1989年のDüsseldorf Airport その11 Aviogenex Boeing 727

1989年ベルリンの壁が崩壊した年のDüsseldorf 空港で撮影した旅客機、今回はAviogenexBoeing 727です。

Yuakm_cn_22702_1814_boeing_727243ad
YU-AKM cn 22702 ln 1814 Boeing 727-243Adv 1989/5/5

Aviogenexはセルビア共和国のベオグラードNikola Tesla空港をベースとするチャーター航空会社です。1989年当時はユーゴスラビア国籍でした。

設立は1968年5月21日で、設立以来、チャーター、サブチャーター、ウエットリースを専門にやっている航空会社です。最初のフライトが1969年4月30日で、ベオグラード発デュッセルドルフ行だったそうで、こことは縁の深い航空会社のようです。ちなみに当時の機材はTu-134でした。如何にも東側諸国です。

1990年には10機の旅客機(5機のBoeing 727と5機のBoeing 737)で633,932人の乗客を輸送し、年間の飛行時間は17,000flight hours/yearに達しました。さらに1991年にはウエットリース(機材と乗員両方のリース)を志向し、年間の飛行時間は40,000時間に達しました。この時期、ヨーロッパ、アフリカ、中東、極東、南米へのフライトを運航しました。

2012年11月時点でのフリートはBoeing 737-200 Adv 一機です。

明日から1週間、海外出張のためBlogは休みます。

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2014年7月20日 (日)

通勤電車シリーズ 103系 5 京阪神緩行線 1

通勤電車103系シリーズ、関西投入第二弾は京阪神緩行線(京都~西明石間)でした。

京阪神緩行線はそれまで戦前型の3扉車や72・73系の旧性能電車で運転されていましたが、沿線の宅地開発による混雑の増大や1970年の大阪万博を控えての車両の新性能化が望まれており、駅間の短い山手線用に開発された103系で良いのかと言う議論はあったようですが、阪和線や常磐線での実績、赤字財政下でさらなる新車開発の余裕のないこと等で103系投入が決まったようです。
103

拙Blogにおける最初の記事、1974年秋の京阪神、九州旅行で撮影した当時の緩行線で活躍するスカイブルー103系7連 新大阪
奥には153系、165系による新快速も見えます。

103_2
緩行線の103系はサハ1両を中央に挟んだTcMM'TMM'Tcの7連でした。 1974/9 大阪

車両は2回分かれて新製投入されていますが,最初のロットは
昭和43年度第5次債務予算で
クハ103-144~157 モハ103-222~235 モハ102-377~390 サハ103-275~281   7編成
続いて、昭和44年度第2次本予算で
クハ103-158~173 モハ103-236~251 モハ102-391~406 サハ103-282~289  8編成
投入され、すべて明石電車区に配置されました。

103_801213
京都駅の電留線で休む緩行線用103系非冷房編成 1980/12/13

1980年代になってもまだかなり非冷房オリジナルスタイルの103系を見ることができました。
103_801213_2
同じ日の新大阪駅 前面の行き先表示は相変わらず普通表示です。

103_801213_3
そして、阪神淡路大震災では高架橋の修復でNHKのプロジェクトXでも取り上げられた六甲道駅に進入する103系

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2014年7月19日 (土)

公園保存蒸気 D51 231号機 上野 国立科学博物館

日本全国の公園等に保存してある蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は上野の国立科学博物館前庭に展示されているD51 231号機です。

D51_231_140308
国立科学博物館の前庭脇に静態保存されているD51231号機 2014/3/8

普段からよく通る上野駅ですがいわゆる上野の森、東京文化会館や博物館が多く立ち並ぶ地域を訪問するのは久しぶりです。今回は、2014年3月8日みちのくSLギャラクシー号としてD51498号機が尾久から上野まで牽引するというので、その撮影ポイント探しで上野から日暮里方面に線路際を歩くこととし、そのついでに国立科学博物館に展示されているD51231号機を見学しました。

D51_231_140308_5
231号機は典型的な北海道のD51スタイルで、デフレクターの前が切断されています。

D51_231_140308_6
個体差の大きい砂管は前2本がほぼ垂直で、3本目が斜めに降りるタイプ、逆転機のモーションプレートは丸い穴2つのタイプ、そして主連棒のビッグエンドは長方形でした。

D51_231_140308_9
さすが上野の森のSLだけあって,美しく磨き出されています。

D51_231_140308_20
午前中の撮影は正面からの写真はこのようになってしまいますが、前面は副灯装備で煙室扉のハンドルも美しく磨き出されています。

いつものように沖田祐作氏の機関車表から履歴です。

D51231     国鉄長野工場=[3]              1939-03-31 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1939-03-31 製造→ 納入;国鉄;D51231→ 配属;新潟局→
      1939-03-31 竣工配置[新鉄達222];新潟局→1946-02-21 現在;吹田→
      1946-12-31 現在;吹田→1947-09-08 借入;亀山→1947-10-11 返却→
      1947-10-26 借入;鷹取→1947-12-04 返却→1954-01-12 借入;亀山→
      1954-03-02 返却→1954-06-15 盛岡→1954-09-02 重油併焼装置取付→
      1966-10-27 第3 動輪取替→1968-03-24(8/11?)小樽築港→1968-08-27 耐寒工事施工→
      追分→1976-03-10 廃車;追分→ 保存;東京都台東区「国立科学博物館」;D51231

長野工場の製造で製造番号は3,因みに1は229、2は230号機です。1939年3月の製造で、新製配置は新潟、戦後吹田に転属となり亀山などで活躍した後、盛岡を経由して、1968年から北海道に渡っています。そして1976年3月、追分で国鉄のSLが最後の活躍を終えたときまで頑張っていました。

D51_231_140308_18
さすが国立科学博物館の展示とあって、こういった展示の表示も予算をかけているようです。

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2014年7月18日 (金)

EF200形電機 8号機

EF200形電機機関車を1両ずつ紹介して行くシリーズ、今回は8号機です。

日立製作所で1992年5月29日に落成しています。

Ef200_8_030909
貨物撮影のメッカ 西浦和駅で撮影した8号機回送シーンです。 2003/9/9

2003年のダイヤでは吹田区のEF200はA71からA96までの仕業があり、A75運用で梅田から5080列車を牽引して翌朝6:48に越谷タに到着したEF200は10:08発の3461列車で新鶴見に戻っていました。

Ef200_8_050812
2005年8月12日 早朝の浜川崎 渡田踏切で撮影した5088列車

Ef200_8_050821
中京地区の貨物撮影のメッカ 清洲駅を通過する8号機牽引列車 2005/8/21

Ef200_8_070308
東淀川の梅田貨物線を通過する更新出場直後の8号機牽引の配給列車 2007/3/8

Ef2008_130321_2
岡山貨物ターミナルそばの北長瀬駅を通過する8号機牽引貨物列車 2013/3/21

上下線の真ん中にある線路は西岡山(貨物)駅の下り引き上げ線であり、北長瀬駅はポイント等のない停留所に該当する駅です。

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2014年7月17日 (木)

特急「北近畿」 その16 485系から183系へ part15

福知山電車区の485系改造、183系編成、A編成の3回目で、A43編成です。

183_a43_060620
高槻を通過するA43単独編成の特急「文殊」 2006/6/20
貫通型クハには電気連結器が装備されているのが分かります。

いつものように2007年冬号の編成表のデータによりますと

クハ183-601 モハ183-810 モハ182-706 クロ183-2703 という構成でした。

A編成41~47の中で唯一600番台のクハですが、種車はクハ489-605で貫通タイプのラストナンバーでEF63との協調サイドのクハでした。クハ489-605は1973年3月27日、近畿車輛の製造で,新製配置はもちろん金サワです。489系のクハで183系化改造を受けているのは,この車輛と非貫通型700番台-703からクロハに改造されたクロ183-2751だけです。クハ489-605は2003年9月23日に改造されるまで終生、金サワの所属でした。

183_a43_100708
A43編成のクロ側 回送 東淀川を通過 2010/7/8

クロ183-2703は元クハ481-321で、1975年2月19日、川崎重工で落成しており、新製以来金サワ配置でしたが1987年のJR化直前に大ムコに転属し、1996年3月6日に183系化改造を受けています。

モハ183-810/モハ182-706は元モハ485-131/モハ484-2351972年9月20日、日立製作所で落成し、1996年3月6日の183系化改造まで大ムコ配置でした。

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2014年7月16日 (水)

西武 5000系 初代レッドアロー その3 「おくちちぶ」

西武鉄道の5000系によるレッドアロー号、今回は1976年、西武新宿線に登場した特急「おくちちぶ」です。

5000
登場時の列車表示でデビューした特急「おくちちぶ」 武蔵関~東伏見間

今回、この記事を書くにあたっていろいろと調べてみると、「おくちちぶ」という列車はふたとおりあったことが分かりました。

ひとつは1976年に登場し、1993年に廃止された西武新宿~西武秩父間の特急「おくちちぶ」、もうひとつは1993年から2003年に存在した。池袋~西武秩父間を土休日に走った特急で停車駅パターンが「ちちぶ」と異なるために命名された特急でした。「ちちぶ」との違いは入間市駅を通過し、芦ヶ久保駅に停車していたことであったそうです。

線路構成の関係から新宿線からの西武秩父方面の特急は所沢と飯能で二度スイッチバックすることになり、それが不評で、長続きしなかったのかと推察もされますが、

なんとこの週末の19,20日に秩父川瀬祭りに合わせて西武新宿~西武秩父間に「おくちちぶ」が走るようですね。7月9日付けの西武鉄道ニュースに出てますね。停車駅は芦ヶ久保通過、横瀬停車で21年前とは若干違うそうです。

なお、前回の記事で紹介した西武新宿線の「むさし」はこの「おくちちぶ」運転のための車両の回送を営業運転にしたもので、1976年に下り回送が西武新宿~所沢間「むさし」として営業を始め、1980年に送り込み回送の所沢~西武新宿間も「むさし」となったようですね。

1993年10000系を使用した「小江戸」の運転開始で「おくちちぶ」「むさし」は廃止されました。
少し早めの予告ですが、来週は海外出張のため、1週間程度Blogは休みます。

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2014年7月15日 (火)

1989年のDüsseldorf Airport その10 Noble Air Boeing 727

1ヶ月間に渡ってブラジルで開催されたFIFAワールドカップもドイツの優勝で幕を閉じました。ドイツは1990年6月のイタリア大会以来の4度目の優勝で、1990年10月に正式に統一されているので今回の優勝は統一ドイツとしては初の優勝となりました。

グループリーグはポルトガル、アメリカ、ガーナとのG組。ガーナ戦が一番厳しい戦いでしたが、2勝1分けで1位通過し、決勝トーナメントでは、ラウンド16アルジェリアを延長120分2:1、ラウンド8フランスを90分1:0、そして準決勝ブラジル戦はベロオリゾンテ(ミネイロン)の惨劇として後世に記憶される戦いで7:1と撃破し、決勝はアルゼンチンを延長後半、ゲッツェのゴールで下し、下馬評通りの優勝でした。

メルケル首相はよっぽどサッカー好きと見えて、GL1回戦のポルトガル戦に続き、中国訪問の後、再度決勝戦も観戦し、表彰式に参加されていました。

さて、今回の1989年Düsseldorf 空港で見た機体はNoble AirBoeing 727です。

Tcafb_cn_19864_696_b727228_890507_d
Duesselfdorf空港のRWY05に着陸するNoble AirのBoeing 727-228 TC-AFB cn 19864 ln 696   1989/5/7

恐らく、日本でこの航空会社のことを知っておられる方は殆どいないのではと思われるくらい、短期間しか存在しなかった会社です。

わたしも見たときはトルコ国籍のTCのレジから、トルコのチャーター会社かなと思っていましたが、今回Blogで紹介するにあたり、Wikipediaで調べて漸くその実体がわかりました。

Tcafb_cn_19864_696_b727228_890507_2
Noble Airはイギリスとトルコ会社によって1989年に設立された、まさに当時できたてのホヤホヤの航空会社でした。設立当初はBoeing 727-200型6機によるロンドンからトルコへのチャーターフライト専門でしたが、1990年にはロンドン~イスタンブール間の定期便およびトルコ国内便の運航権も有するようになりました。

しかし、競争の激化と経営赤字により、1991年には運航停止となりました。

6機のBoeing 727-200は

-228  3機 元Air France TC-AFB (cn 19864/696) TC-AFC (cn19863/691) 他1機
-230  2機 元Luft Hansa TC-AFD (cn 21113/1176) TC-AFE (21113/1176)
-231 1機 元TWA    TC-AFG (cn 21988/1586)

以上、Wikipediaの記事を参考に纏めました。

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2014年7月14日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 4 阪和線 その1 山手線 その2 非冷房車最終投入

通勤電車103系シリーズ、今回は阪和線投入による関西圏初進出の話題と山手線への非冷房車最終投入の話題です。

103_7603
保存中の退色でスカイブルーが緑がかっていますが、投入当時の6両編成の103系 1976/3 鳳

昭和42年度第3次債務車予算で

クハ103-115~122 モハ103-171~197 モハ102-326~352 サハ103-248/249 が製造されました。

前回のロットでクモハ103-モハ102のユニットの製造は終了しているので、再びクハ、モハ、サハのシンプルな構成に戻っての製造となりました。そしてモハ103とモハ102の番号差は155でした。

103_7603_2
1976年当時の非冷房103系6連編成 鳳
当時の阪和線のレポートは拙blogでも2012年11月30日の記事にありますが、当時はオレンジ色の旧形国電も現役でした。

これらの車両は1968年8月から9月に落成しており、その新製配置を見てみると、モハ103-171~189/102-326~344、サハの2両は山手線関係に配置されているのに対して、クハ全車とモハ103-190~197/モハ102-345~352は鳳電車区(天オト)に配置となっています。

主に快速用として6両編成4本が1968年10月、ヨンサントウの改正に向けて投入されました。しかし、旧形国電も1969年には追加投入されており、103系化が順調に推移したわけではなかったようです。
以降、103系の運転は今日まで切れることなく継続しており、最長運転記録が日々更新されています。

そして昭和43年度第1次債務車予算で
クハ103-123~143 モハ103-198~221 モハ102-353~376 サハ103-250~274が製造され、これらの車両は1969年2月から3月にかけて落成し、すべて山手線関係に投入されています。

(2014/7/19記事訂正)

この後、昭和44年度第2次債務車予算で
モハ103-256~266 モハ102-411~421
が製造され(落成は1970年4月)品川、池袋電車区に新製配置されています。

これで山手線関係への非冷房車の投入は最後となり、山手線の103系化、中央・総武線の101系化は完了となりました。

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2014年7月13日 (日)

公園保存蒸気 C57 57号機 世田谷 大蔵運動公園

全国の公園等に保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は世田谷の大蔵運動公園に保存されているC5757号機です。

C57_57_140119_4
C57 57 号機 世田谷大蔵運動公園 2014/1/19

訪問したのは日曜日の午後だったためか公園では多くの親子ずれが遊んでおり、機関車の上によじ登ってあそんでいる子の姿も多く見ました

C5757号機は最晩年、現在鉄道博物館に保存されている135号機など共に岩見沢第一機関区で室蘭本線で最後の蒸気牽引旅客列車で活躍した機関車でした。

これまでにかなりの数の保存蒸気を見て参りましたが、現役時代に写真を撮っている機関車に再会するのは初めてかと思います。

C57_57_140119_34
現役時代は気づきませんでしたが、いまこうして見るとナンバープレートの取り付け位置が低いのがこの機の特徴ですね。

C57_57_140119_7
クロスヘッド、逆転機、第一動輪、非常に美しく磨き上げられています。

C57_57_140119_16
テンダーのライトはガラスがありませんが、ナンバープレートは維持されています。

C57_57_140119_26
キャブにも立ち入り可能ですが、それが災いしてガラス類はかなり破損している感があります。

いつものように沖田祐作氏の機関車表の履歴データを見てみると

C5757      川崎重工兵庫工場=1921            1938-05-03 S67.50t2C1T(1067)
   車歴;1938-05-03 製造→ 納入;国鉄;C5757→ 配属[達363];大阪局→1938-05-03 使用開始→
      配置;大阪局 →1942-09-30 現在;宮原→1945-04-01 現在;岡山→
      1949-09-08 現在;金沢→1954-10-01 現在;小樽築港→1964-04-01 現在;小樽築港→
      苗穂→1974-07-15 岩見沢一→1976-03-01 廃車;岩見沢一→
      保存;東京都世田谷区「大蔵総合運動場」;C5757

製造は1938年川崎重工、新製配置は大阪だったようで、岡山、金沢と経て北海道に渡っています。

140119
それにしても訪れた際には煙突の上にまで登って遊ぶ子供の姿とそれをただ見ている親の姿がありましたが、あの高さから落ちたら”ただでは済まない”のではと感じました。

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2014年7月12日 (土)

EF200形電機 7号機

EF200形電機機関車を1両ずつ紹介して行くシリーズ、今回は7号機です。

日立製作所で1992年5月22日に落成しています。

Ef200_7_031230
2099列車を新鶴見まで牽引する7号機 2003/12/30

Ef200_7_040904_2
2004年9月の広島遠征の際に横川駅で撮影した7号機単機 2004/9/4

Ef200_7_041205
大船の大カーブを周る7号機牽引列車 2004/12/5

Ef200_7_080329
通常の運転では撮影できませんが遅れたために府中本町で撮影できた新座タまで担当の5084列車 2008/3/29

Ef200_7_081207
終着の幡生操車場まであと僅か、幡生駅に進入する7号機牽引列車 2008/12/7


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2014年7月11日 (金)

特急「北近畿」 その15 485系から183系へ part14

福知山電車区の485系改造の183系の話題、今回はA42編成です。

183_a42_101205
東淀川を通過する特急「北近畿」 C編成との併結編成です。 2010/12/5

2007年冬の編成表データでは
クハ183-203  モハ183-808 モハ182-704 クロ183-2702  でした。

クハ183-203は元クハ481-227として1972年12月24日、川崎重工で落成しています。新製配置は盛アオで「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「いなほ」等の東北特急の先頭に立って活躍した車両でした。1977年度に金サワに転属し、1986年度に大ムコに転属しています。その後、再び1990年度に金サワに戻って、2003年まで485系として活躍した後、2003年9月23日付けで183系化改造を受けています。

クロ183-2702は元クハ481-340で、1976年6月12日、日立製作所で落成し,仙センに新製配置されました。1983年度に大ムコに転属するまで仙センで「ひばり」「日立」「やまばと」等の先頭に立って活躍し、1996年2月17日に183系化改造を受けています。

モハ183-808/モハ182-704ユニットは元モハ485-183/モハ484-285で485系時代とユニット構成は同じで1973年9月22日に日本車両で落成しています。履歴はクハ183-203とおなじですが,183系化改造の日付は1996年2月1日となっています。
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回送表示で京キトに回送されるA42編成  2006/11/19

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2014年7月10日 (木)

西武 5000系 初代レッドアロー その2 「むさし」

う西武鉄道初の有料特急5000系レッドアローのシリーズ、今回は特急「むさし」です。

5000
1969年の西武秩父線開業時に運行開始した特急は「ちちぶ」と「こぶし」だったそうで、「むさし」という名称は1973年に登場しました。「こぶし」の運転は池袋~西武秩父間でしたが、休前日の夜間運転だったそうです。

レッドアローが走り出した頃は西武池袋線だけを見ていたものですから、「ちちぶ」は西武秩父行、「むさし」は飯能行かなと思っていましたが、西武新宿線に「おくちちぶ」が走り始めた1976年に、西武新宿~所沢間の特急も「むさし」と名乗っていたのですね。

1986年には新宿線の「むさし」は本川越まで延長運転にとなり、後年の「小江戸」の礎となっています。

5000_2
東長崎を通過する特急「むさし」

次回は「おくちちぶ」です。

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2014年7月 9日 (水)

上毛電鉄 700型電車 その8  718-728編成

上毛電鉄で活躍中の700型電車、今回はデハ718-クハ728の第8編成です。

718_140427_2
715-725編成からは、中間車が種車でしたが、この車両は京王帝都3000系クハ3760とクハ3710 (オリジナルではサーモンピンク)を種車にしているので、正面窓下にベンチレーターがあり、エアコンも分散式エアコンとなっています。上毛でのカラーはゴールデン・オレンジだそうで、この塗装でのデビューは2009年2月とのことです。

728_140427_2
2014年4月27日の大胡車庫のイベントでは車庫前にデハ104型と並べられ、観客を迎えていました。

今回の記事で上毛電鉄の紹介は最後になりますが、最後にとっておきの東側のターミナル、西桐生駅を紹介致します。

060826
2006/8/26 の駅舎風景

前回の中央前橋駅同様、JR桐生駅とは隣接せず、北方に歩いて5分ほどの場所にあります。

140427
2014/4/27 の駅舎

この8年間で看板の掛け替えなどが行われています。

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出札口周りの様子 2006/8/26

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近年、レトロな雰囲気にさらに磨きがかかっています。 2014/4/27
スカイツリー観光とのタイアップなども時代の流れを感じさせてくれます。

上毛電鉄、また機会があれば是非訪れてみたく思います。

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2014年7月 8日 (火)

1989年のDüsseldorf Airport その9 Olympic航空のBoeing 727

ベルリンの壁崩壊の年、1989年5月に留学中の西ベルリンから休暇で訪問したDüsseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、前回までは大型3発機のシリーズとしてLockeed L1011 Tristar, McDonnell Douglas DC-10を紹介して参りましたが、ここでは4発機は撮影していないので、次は少し小さめの3発機シリーズということで、西ベルリンのテーゲル空港でもよく見たBoeing 727のシリーズに行こうと思います。

まず最初は、ギリシャのオリンピック航空です。

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SX-CBE Boeing 727-284 cn 20201 ln 765 1989/5/4 DUS

ギリシャと言えば現在最終盤にさしかかっているFIFAワールドカップ第20回ブラジル大会において日本と同じグループリーグC組で戦い、第2戦の日本戦ではひとり退場者が出て10人になるものの、得点を許さず、スコアレスドローに持ち込み、第3戦のコートジボアール戦で後半終了間際(92分)にPKを獲得し、劇的な勝利をおさめ、勝ち点4,総得点2でグループリーグを2位で通過しました。日本も総得点は同じものの・・・。

決勝トーナメント1回戦では戦前は三優勝経験国、イタリア、イングランド、ウルグアイがひしめく死の組と言われたD組を一位通過したキプロスにPK戦の末で敗退しました。因みにベスト8に進出したキプロスは、オランダとの120分に渡る死闘の末、PK戦で敗れ敗退しました。キプロスの躍進は5月27日の日本代表との国際親善試合で0:1で敗北したことで修正をしたことにあったようで・・・。

その国営航空会社、フラッグキャリアーの歴史は、1930年に遡ります。最初に設立されたのはIcarusという名の会社でしたが数ヶ月間運航して、経営状況が悪化し、倒産しました。1935年には私有の航空会社、Technical and Aeronautical Exploitations (TAE)が創設されました。第二次世界大戦後、さらに2つの会社Greek Air Transporthellenic Airlinesが創設されました。
1951年にこれら3社を統合してTAE Greek National Airlinesとして国内線運航をDouglas DC-3で開始しました。さらに1950年には4発のDC-4を入手してロンドン線も就航させています。しかし、経営状態は芳しくなかったので1955年に政府は営業を終わらせています。

1957年4月6日にこの状態の航空会社をギリシャの海運王だったアリストテレス・オナシスが買収し、名前もOlympic Airwaysとしました。

1960年には最初のジェット旅客機であるde Havilland Comet 4Bを導入し、British European Airways (BEA)とコードシェア便の運航を開始しました。さらに1965年にはBoeing 707-320を発注し、翌年受領、ニューヨークJFK空港への直行便の運航も開始し、1968年にはアテネ、ナイロビ、ヨハネスブルクを結ぶアフリカ便の運航も開始しました。さらにBoeing 727-200も発注しました。

Sxcbe_boeing_727284_20201_765_mou_2
1971年
には老朽化したDC-3の置き換えのため日本航空機製造(NAMC)のYS-11を購入しており、ギリシャ国内、特に諸島部の連絡のためにOlympic Aviationという子会社も設立しています。また、中距離用としてNorthwest航空からBoeing 720-051Bを7機購入しており、Boeing747-200も導入しています。コンコルド導入に興味を示した時期もあったようです。

1973年1月22日、オナシスの息子アレキサンダーが航空機事故で死亡し、オナシスはオリンピック航空の全株式をギリシャ政府に売却、自身も息子の後を追うように1975年に死去したため、同航空に大きな転機が訪れます。このころから経営状態が悪くなり、1980年代には再三の経営トラブルに見舞われます。

1990年にはロードファクターの悪化もあってバンコク経由東京線の運航停止を余儀なくされ、ギリシャ政府も本格的なてこ入れを図ります。1974年にギリシャ政府が買収して国営航空会社になりましたが、一旦2004年12月に名称をOlympic Airlinesに変更して民営化を試みましたが失敗に終わりました。2009年9月に買い手が現れ、民営化となり、名称もOlympic Airとなりました。

Sxcbe_boeing_727284_20201_765_mou_3

SX-CBE 初飛行は1969年10月15日 Mount Athosと命名 2003年1月にギリシャ・アテネ空港でスクラップ

現在の立場はAegean Airlinesの子会社でギリシャの一地域航空会社です。

Olympic Airlines時代までのフリートリスト

3         Airbus A300-605R
12        Airbus A300B4-100
3        Airbus A320-211/214
4        Airbus A340-313X
7        ATR 42-300
7        ATR 72-200
8        Boeing 707-320
3        Boeing 717-200
7        Boeing 720-051B
2        Boeing 727-30
10        Boeing 727-284
15        Boeing 737-284
7        Boeing 737-3M8/36N
5        Boeing 737-412
13       Boeing 737-484/4Q8
1       Boeing 747-133
6       Boeing 747-212B
15      Britten Norman BN2 Islander
5       Bombardier Dash 8-102
9       Dornier Do 228
6       de Havilland Comet 4B
14      Douglas DC-3
2       Douglas DC-4
13      Douglas DC-6
1       McDonnell Douglas MD-83
10      NAMC YS-11
4       Shorts Skyvan
6       Shorts 330
2       Jakovlev Yak-40

記事作成にあたり。英語版Wikipediaの当該記事の内容を参考に致しました。

ネットでSX-CBEと検索すると、アテネの空港でスクラップにされて、キャビン前方部分がごろん転がっているショッキングな写真などが出てきますね。

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2014年7月 7日 (月)

通勤電車シリーズ 103系 3 常磐線 その1

103系の話題、1967年夏までに京浜東北線に659両、集中投入が行われ、それも一段落した後に山手線にも再び増備が行われましたが、次に103系が投入されたのは常磐線でした。

103_016_7601
クモハ103を下り側先頭にした常磐線快速103系 1976/1 上野

昭和42年度本予算追加車

クハ103-617~638 クモハ103-134~155 モハ103-160~170 モハ102-293~325 サハ103-226~247

このときのロットは1967年12月から1968年3月にかけて落成し、クモハ103やクハ103-500番台の製造はこれで終了となりました。

103
103系快速と415系 中電 松戸駅にて

まだ私にとっては常磐線とはほとんど縁が無かった時代 103系のクハは500番台です。

クモハ103が製造され、モハ102はモハ103もクモハ103も通し番号で製造されたので、クモハ103の製造両数155両分だけ、モハ102の番号が進む関係がモハ102-325からは続きました。

モハ、クモハのユニット番号対照データはこちらに。

ところが1970年5月20日(1971年と書いてましたが訂正します)に根岸線新杉田~洋光台間で住宅公団造成の初歩的ミスにより発生した土砂崩れに根岸線電車が突っ込み前3両が進行方向右側に脱線し、先頭車がくの字型に凹み、線路の両側が泥沼で搬出困難でもあったため前2両が廃車となる事故が発生しました。

クハ103-5481966年5月20日に東急車輌で、モハ102-1691966年6月13日に日本車輌で落成した製造5年の車両でした。モハユニットの相手のモハ103-105はしばらく休車の後、モハ102-445が製造され,クハ103は-188が製造されました。そのためにモハ103-289+モハ102-444の後から、両者の番号は156違いとなりました。 ことの真相は随分後から知ったのですが、高校時代(1971年4月~1974年3月)高田馬場~渋谷間、毎日山手線を使って通学していた頃、古めの103系のユニット番号と比較的新しい103系のユニット番号の違いが155で揃っていないのが気になっておりました。

常磐線の103系、当初は

McM' T'c+ McM' T T MM'T'c   もしくは
McM' T MM' TT MM'T'c  の10両編成で活躍していましたが、1971年4月20日の複々線化完成で快速電車は8両編成に減車され、

McM'TT'c + McM'TT'c もしくは
McM'TTMM'TT'c もしくは
McM'TT'c+TcMM'Tc の3種類の編成が1972年10月までは併用されたそうです。

8連化で捻出されたMM'ユニットは山手線の10連化に回され、これで漸く山手線の完全10連化が達成されました。また1971年3月には山手線がやまて線からやまのて線に名称復活し、103系の前面の表示も山手から山手線になったのを記憶しています。

実際に「昭和42年度本予算追加車」で製造されたモハ103-モハ102ユニットの車歴を見てみると

160-294, 161-297, 162-300, 163-304, 164-307, 165-310, 168-319, 169-322, 170-325 と当時松戸電車区に新製配置されていますが、161-297以外は,1971年4月20日に下十条電車区(モセ)、あるいは6月1日付けで森の宮電車区(モリ)に転属になっており,常磐線での在籍期間は僅かだったことがわかります(2017/9/22 追記:ロクロク様のご指摘のように誤記がありましたので修正致しました)。

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2014年7月 6日 (日)

公園保存蒸気 D51 428 東調布公園

日本全国の公園等に保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は大田区の東調布公園のD51 428号機です。

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D51 428 号機 2014/1/19 大田区東調布公園

東調布公園は東急池上線御嶽山駅から歩いて約8分の距離にあります。住宅地に囲まれた総合運動公園のようで、夏にはプールもオープンするようです。私にとってはこのあたりはあまりなじみの無い土地ですが、今年はじめ、ちょうどこの撮影に出かけた直後の2014年1月25日に公開された山田洋次監督の「ちいさなおうち」はこの辺を舞台にした映画のようですね。山田監督ご自身が、今年正月に出演された鉄道関連番組で言っておられたのをつい最近、録画で観ました。

D51_428_140119_3
ライト、ナンバープレート、煙室扉ハンドルなど、きちんと保持されています。

D51_428_140119_8
D51の砂管も機関車一両ずつ3本の管の下り方が違うのが面白いですね。主連棒のビッグエンドは角形の標準タイプです。逆転機のモーションプレートの穴は丸い穴ふたつのタイプです。

D51_428_140119_21
キャブにも立ち入り可能ですが、メータ類はすべてガラスがなく、かなり悲惨な状態でした。なぜか時刻表はしっかり残っていましたが。

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テンダーの前照灯のガラスはなくなっていましたが,ナンバープレートは残っていました。

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助手席前のランボードには灌水清浄装置が搭載されていました。

沖田祐作氏の機関車表によるこの機関車の履歴は

D51428     日本車輌名古屋工場=803           1940-09-10 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1940-09-10 製造→ 納入;国鉄;D51428→ 配属;仙台局→1940-09-10 使用開始→
      配置[達754];仙台局→1948-07-00 現在;青森→1955-09-00 長町→1967-09-11 新庄→
      秋田→1971-10-02 新見→1972-09-16 廃車;新見→
      保存;東京都大田区「東調布公園」;D51428

1940年日本車輌製造で、当初は東北地区で活躍しましたが、晩年は伯備線新見機関区の配置となり、あの有名な伯備線D51三重連でも活躍した機関車でした。屋敷要氏の「保存蒸気完全制覇」の本の中に428号機が三重連の先頭に立つ屋敷貢氏(要サンのお父様)撮影の写真もあります。

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引退したのが33歳の時として、その後、東調布公園に保存されて41年の歳月が過ぎているのですね。

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2014年7月 5日 (土)

EF200形電機 6号機

EF200形電機機関車を1両ずつ紹介して行くシリーズ、今回は6号機です。日立製作所で1992年5月20日に落成しています。

以前にもお話ししましたが、2001年夏にデジカメを導入し、EF200など貨物牽引機の写真を撮りだし、EF200は21両という少数であることもあり、コンプリートを目指そうと思いました。

首都圏に朝やってくるEF200の運用を調べ、武蔵野線~東所沢や新秋津から、府中本町、南武線を経由して最後、八丁畷で一日に4両のEF200を撮影できると言うことで、せっせとEF200の番号集めを行い、最後に残ったのがこの6号機でした。おそらく6号機は当時、部品補給用の長期休車状態だったのかと思います。

当時はインターネットの掲示板はありましたが、貨物チャンネルのように便利なサイトはなく、手探りで運用を追っかけていました。ちょうど2004年9月に広島に遠征する機会があり、広島空港から市内へ山陽本線で移動している時、かつて八本松でEF59が後補機を務める貨物列車を撮ったのを思い出し、八本松駅で降車し、貨物列車の通過を待っていたら、やって来たのが懸案の6号機でした。

Ef200_6_040903
2004/9/3 八本松

6号機牽引のコンテナ貨物列車 通過時間が12:06となっているので東京タ発福岡タ行の1051列車のスジの列車だったようです。ただ当時の運用ではEF66の仕業のはずですが。

Ef200_6_040904
2004/9/4 五日市 

翌日には五日市で上り貨物列車 2068列車に遭遇 こちらは当時のEF200の仕業

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そして首都圏でも,3072列車の前について新座タから新鶴見に戻る姿を 2004/9/26 東所沢

Ef200_6_050708
北方貨物線を行く姿 2005/7/8 東淀川

Ef200_6_100709_2
更新で塗装変化の後 2010/7/9 吹田

最近も5月31日に八丁畷で元気な姿を見ています。

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2014年7月 4日 (金)

特急「北近畿」 その14 485系から183系へ part13

福知山電車区の485系改造の183系の話題、今回からA編成について触れて行こうと思います。
A編成はA41~A47まであり、
←京都/東舞鶴 Tc MM' Tsc 福知山→ 
の4両編成で京都側のクハにC編成3連を増結するための電気連結器が装備されていました。

今回はA41編成です。クハ183-206 モハ183-806 モハ182-702 クロ183-2701 の構成でした。

183_a41_070308
2007年3月8日に東淀川で写した特急「北近畿」の写真で、手前側がクロ183-2701 で4連のA41編成に3連のC編成が併結されています。

先頭のクロ183-2701は元はクハ481-301として、1974年2月27日に日立製作所で製造されており、大ムコに配属になっています。多くのクハ481-300番台が金サワや盛アオに配属されていますが、クハ481-301,302,304の3両は大ムコ新製配置で、新幹線博多開業前の1年間、大ムコの481/5系11両編成グループの一員として、北陸、九州特急に馬車馬のような働きを経験しています。1996年3月9日に183系化改造を受けています。

一方、反対側のクハ183-206は元はクハ481-263として、1973年9月5日、同じく日立製作所で落成し,盛アオに新製配置された200番台のラストナンバーで、1984年に大ムコに転属となり、その後1991年からは金サワに転属し、183系に改造されたのは2003年9月11日でした。なんとその最晩年に200番台のラストナンバーと300番台のトップナンバーが同一編成を組んでいたことになります。もっとも両車ともに大ムコの485系として共存期間があるのでその間に編成の前後であった可能性もあります。

中間のモハ183-806/モハ182-702は元モハ485-143/モハ484-246として川崎重工で1972年12月18日に落成しており、こちらも大ムコ生え抜きの車両で、1996年3月9日に183系化改造を受けています。ユニットとしての関係は製造時から変わっていません。

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2014年7月 3日 (木)

西武 5000系 初代レッドアロー その1 「ちちぶ」

西武鉄道の車両シリーズ,前回で旧101系は終了しましたので、新101系の話題にうつる前に旧101系と同じ時期にデビューした5000系について触れようと思います。

5000
所沢を出発し,池袋へ向かう5000系 レッドアロー 特急「ちちぶ」 

1969年10月の西武秩父線開業とともに都心と秩父方面を結ぶ西武としては初となる座席指定制有料特急として計画されたのが5000系電車で、設計は日立製作所が担当し、今の体制の西武鉄道としては初の外部発注となった車両でした。

クハ5500Tc1-モハ5000M1-モハ5000M2-クハ5500Tc2 からなる4両編成で新製され、1969年9月に,5501、5503の2編成が落成し、当初多客時には2編成を併結した8両編成、6両編成化された後は6+4の10両編成でも運転され、最終的には6両編成6本の体制となりました。1970年度鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞しています。

5000_2
保谷を通過する特急「ちちぶ」

第6編成が登場する1978年までは写真の様な列車愛称表示板で「ちちぶ」「むさし」といった列車名を示していました。第6編成からはマイナーチェンジされ、愛称表示も電光式となったため、それまでに登場していた編成もそれに合わせて改造されました。

性能的には101系と全く同一の性能で、併結も可能だったそうですが、併結運転の実績はありませんでした。

その辺の詳細は次回の記事で。

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2014年7月 2日 (水)

上毛電鉄 700型電車 その7  717-727編成

上毛電鉄で活躍中の700型電車、今回はデハ717-クハ727の第7編成です。

717_140427
2014/4/27の大胡車庫のイベントの際には大胡駅横の電留線で休んでいた第7編成

ミントグリーンとしてのデビュー2008年7月だそうです。
この編成も京王時代はデハ3006+デハ3105の中間車であったので、上毛電鉄導入にあたって、運転台が製作されました。エアコンも集中式タイプで、前面窓下のベンチレータはありません。

727_140405
2014/4/5 中央前橋駅で発車を待つ第7編成

ということで、今回は中央前橋駅をご紹介致します。

060826_2
駅舎は地方私鉄としては珍しい総ガラス張りの建物で、東側の終点、西桐生駅(次回の記事で紹介予定)とは大違いです。 2006/8/26

私は初めて見たときに東ベルリンにあった旧東ドイツの議会の建物を思い出してしまいました。

060826

JR前橋駅からは並木通りに沿って歩いて,10分程の距離です。

060826_3
両駅間はこの写真の様なバスでも結ばれています。上毛電鉄の電車が到着するのにあわせてバスはJR前橋駅に向かって出ており、運賃は100円です。

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2014年7月 1日 (火)

1989年のDüsseldorf Airport その8 Lufthansa DC-10

1989年、ベルリンの壁が崩壊する年の5月、西ベルリン留学中に休暇で訪れたDüsseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回はドイツのフラッグキャリアー LufthansaDC-10です。
Dadgo_cn_47926_170_mcdonnell_dougla

D-ADGO cn 47926 ln 170 McDonnell Douglas DC-10-30 1989/5/5 DUS

Lufthansa航空に関しては後日、触れることにして今回はMcDonnell Douglas DC-10という旅客機の開発の歴史について触れようと思います。

アメリカのダグラス社がマグダネル社と合併する前の1966年に開発を開始した、ワイドボディ3発方式でアメリカ国内中距離路線用の300席クラスの旅客機です。初飛行は1970年1971年に運航が開始され、1988年まで生産されています。

開発のきっかけはアメリカ空軍の輸送機C-5Aギャラクシーの受注競争であり、ダグラス社もボーイング社同様にロッキード社との受注競争に敗れました。ダグラス社はそれまでDC-3から DC-8にいたる旅客機製造会社として確固たる地位を築いており、DC-8を大幅に上回る大型旅客機の研究を進めていたそうです。社内的には当時、計画が進んでいた短距離向け中型ジェット旅客機DC-9に次ぐDC-10として、機体全長に渡って総二階建て構造の機体が構想されていたそうです。

一方、同じ頃 先日のトライスターの記事でも記述しましたように、アメリカン航空1966年にGE(General Electric)の工場を視察した際にC-5A向けに開発中だったTF39型エンジン(後のCF6エンジン)を見て、このエンジンが旅客機向けに改良されれば250席クラスでアメリカ大陸横断が可能な旅客機が製造可能と考えたそうです。

アメリカン航空は1966年3月25日に「アドバンスト・ジャンボ・ツイン」と呼ばれる中距離旅客機の構想を発表し、航空機製造会社に仕様にあう航空機の開発要求を出しました。

具体的には
    推力4万ポンド程度の高バイパス比エンジンを搭載
    座席はシートピッチ36インチで合計250席
    乗客1人当たり250ポンドの手荷物と、5000ポンドの貨物
    航続距離は1850nm(3426km)

さらに、後に全幅155フィート(47メートル)以内、全長は180フィート(55メートル)以内と改められました。

ダグラス社としてはそれまで構想していた大型旅客機の構想とほぼ一致したので、「本当に発注するのであれば1966年に開発に着手する」と公言しました。

もっとも、エンジンの数に関しては当時はまだTF39型エンジンが開発途上であったことや、双発ではエンジンが一基トラブルが起こった際の安全性などを考慮して、経済性では問題があるものの、3発機で開発がスタートすることになりました。

さらに当時、大陸間横断用などの超長距離路線には超音速旅客機(SST)がすぐにでも就航すると考えられていたため、それを補完する機材としてこのクラスの機体の開発が求められたのでした。

この後の、ローンチに至る過程はトライスターとの激しい競争となり、1967年9月にトライスターの開発体制が整ったとの発表を受けて、11月にはDC-10の開発計画も発表され、1968年2月19日には、アメリカン航空からオプションを含めた50機のオーダーを受け、4月25日にはユナイテド航空からも60機のオーダーを受けて、ローンチが発表され、詳細な設計等も公表されました。

カリフォルニア州ロングビーチ工場で製造が進み、1970年7月にロールアウト、8月29日に初飛行がなされました。1971年7月29日に、ローンチカスタマーのアメリカン航空とユナイテド航空に引き渡され、同年中に就航しました。一方のトライスターはロールスロイス社の倒産などもあり、就航は1972年になりました。この間の激烈な販売競争でロッキード事件などの贈収賄事件が起きたことも如何に競争が激しかったかを如実に示しています。

勝負はロッキード社が1981年に旅客機部門から撤退したことで、DC-10側の勝利となりましたが、DC-10側も熾烈な販売競争のため、貨物室ドアの設計時の欠陥を放置したまま販売を優先させたことにより、大きな事故を繰り返し起こすと言った悲劇に見舞われることになりました(アメリカン航空96便貨物室ドア破損事故、トルコ航空DC-10パリ墜落事故)。

騒音問題、環境問題などでSSTの開発計画は1971年には中止となり、Boeing747が国際線の長距離輸送を担う機体として再認識されるようになり、DC-10も長距離型が開発されるようになりました。しかし、1973年のオイルショックで航空燃料価格が高騰し、航空業界は低燃費の機体を求めるようになり、ヨーロッパではA300,A310が台頭し、アメリカでもBoeing 767などの双発機が導入されるようになり、McDonnell Douglas 社は後継機MD-11とのバッティングを避けるためDC-10の製造は446機で終了としました。

タイプ・ヴァリエーション

DC-10-10   CF6-6エンジン搭載の基本タイプ

DC-10-30  1972年から製造の長距離タイプ CF6-50C2エンジン搭載

DC-10-30ER バルクカーゴエリアに燃料タンクを搭載し、エンジンを推力向上型のCF6-50C2Bに換装した航続距離延伸型

DC-10-30F   DC-10-30の貨物型 旅客型からコンバートされたものもある。

DC-10-40    NWとJLの要請でPW JT9D エンジンを搭載した2社のみのバージョン Boeing747のJT9Dエンジンとの整備上の共通性からの要望

DC-10-15  高温、高地の空港で運用するためにCF6-50が搭載されたアエロメヒコ、メキシカーナバージョン 1979年から製造

MD-10    MD-11のツーマンクルー方式をDC-10に移植し、旧形のDC-10をMD-11と同じ乗員構成で運用できるようにした機体 FEDEX向け

KC-10エクステンダー 1981年から製造の軍用空中給油機

Duesseldorf空港で見かけたのは1機のみでしたが、当時 LufthansaではDC-10-30をフランクフルト~成田線などにも飛ばしていたように思います。

Lhdc10
Plane Spotters netの情報に基づいて12機のLufthansaのDC-10-30のリストを作成しました。

また本記事を記述するにあたり、Wikipediaの記事を参考に致しました。

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