« EF57 の活躍と保存 その2 | トップページ | 1989年のDüsseldorf Airport その13 ATAの Boeing 727 »

2014年8月31日 (日)

通勤電車シリーズ 103系 7 山手線 3 試作冷房車の登場

通勤電車103系シリーズ、今回は昭和44年度第2次債務車からの話題となります。

モハ103-256~266 モハ102-411~421 
これらの車輌は品川、池袋区に配置され、山手線の10両化に

さらに、昭和44年度第3次債務車で
モハ103-267~269 モハ102-422~424 サハ103-290~293
これらの車輌は浦和区に配置され、京浜東北線へ。同時期、中央、総武線から101系10連5編成が浦和電車区に転属し、京浜東北線の旧形車一掃が開始されました。

そして、昭和44年度第4次債務車で
モハ103-270~278 モハ102-425~433 サハ103-294~305
これらの車輌は松戸区に配置され、常磐線快速に投入されました.常磐線から捻出された72,73系は呉線電化で広島地区に投入されました。

103 1974年秋頃 高運転台ATC準備工事クハ登場後も山手線で活躍していた臨1編成 新宿

ここまではすべて中間車の増備でしたが、1970年7月

クハ103-178・179 モハ103-279~281 モハ434~436 サハ103-306・307 で山手線に試作冷房編成1編成が投入されました。実は拙blogで103系の試作冷房車の話題は、昨年5月21日の115系300番台の記事で一度触れてはいるのですが、写真などは再掲となりますが、再度触れます。

冷房装置は 
クハ103-179+モハ103-279+モハ102-434  の3両が三菱電機のAU75X
サハ103-306+モハ103-280+モハ102-435+サハ103-307 の4両が日立製作所のAU74X
モハ103-281+モハ102-436+クハ103-178  の3両が東芝のAU73X の3種類を試作しました。

103_1_2 同じく新宿にて外回りで活躍する臨1編成

容量は3種類とも42000kcal/hで扇風機の有無、風道1,2本、冷風吹き出し方式を比較試験しました。電源は両端クハにMH129-DM88 210kVA 3相440V出力のMGを搭載して、5両給電方式としました。
(マスダっち1971氏とのコメントのやりとりから追記、2014/10/15)この編成から側窓は冷房効率のアップのため、ユニット窓となりました。以降の地上型(基本番台)はすべてユニット窓に、地下鉄乗り入れ用は1200番台の第2編成からユニット窓となりました。

103_741124 信号機の支柱が前面にかかるというヘボ写真ですが、上野での臨1編成 1974/11/24

この写真から分かりますが、103系の試作冷房車も後から登場した101系の冷房改造車同様にエアコンキセが後方にずれていたことがわかります。

103_7805 山手線ATC化のため、池袋区所属ながら赤羽線運用に配置換えになった試作冷房編成 1978/5 十条 

(追記)コメントにありますが、細井忠邦氏の指摘の通り、試作編成は1977年度末の1978年3月24日あるいは31日に大井工場で量産冷房化改造を受けており、赤羽線担当に配置換えになっています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« EF57 の活躍と保存 その2 | トップページ | 1989年のDüsseldorf Airport その13 ATAの Boeing 727 »

電車103系」カテゴリの記事

コメント

B767−281様 お早うございます。昨日は良い方に天気予報が外れ久しぶりに太陽を拝んだ気がします。今朝も爽やかですね。さて103系試作冷房車、懐かしいです。よく見ると赤羽線運用に入っているお写真では、量産化改造されていますね。クーラーがAU75B(?)に変り(屋根布がその部分だけきれい。)、MGも撤去されています。その後は中央・総武緩行線に転属し、特別保全工事も受けました。一時期武蔵野線の応援に黄色のまま入って驚かされたのも思いだしました。関西にいたらまだ現役かもしれませんね。では、失礼致しました。

サッシ式窓
側面行き先表示なし

結果的には、後の冷房改造車と同じになってしまいますが。


山手線の試作冷房車を1時間も待っても来なかったなんてありました!


常磐快速の非冷房車、同級生が やっぱり常磐快速だ!!と言っていたものでした。

細井忠邦さま、おはようございます。

赤羽線、配置転換後の試作冷房車、写真から量産化改造後と気付かれたとはさすがですね。
わたしもメッセージを拝見してから履歴を見てみたら、昭和53年3月24日(-178)、31日(-179)に大井工場で量産化改造を受けていることに気付きました。早速、テキストにその旨付け加えます。

準急豊島園様、こんにちは。

私も当時、高校生で高田馬場~渋谷間で利用していましたが、一度冷房車に乗ってみようとわざわざ逆回りした憶えがあります。
昨年、緑の山手線50周年編成がデビューしたとき、その編成を写そうとまっていたときふと冷房試作編成のことを思い出しました。

B767しゃん、こんばんは(^^)お邪魔致しますm(_ _)m山手線の103系試作冷房車・低運転台車ですか。どちらかといえば…山手線の103系非冷房車・低運転台車なら覚えていますが、こちらも当時山手線で走っていたんですね。

マスダっち1971さん、こんばんは。

試作冷房編成が登場したときは新聞等で騒がれましたが、その後、量産冷房編成、ATC準備工事クハの登場などで、どんどん薄まっていったのかも知れませんね。

こんにちは~。モモパパです~。
僕が山手線でよく見かけた103系。
まさしく高運転台の車両でした。

モモのパパさま、こんばんは。

山手線の高運転台のクハ、わたしは1974年3月に大学入試の下見で山手線に乗ったときに初めて見たのを憶えています。
最初はなんて顔だとおもいました。装甲車かと思いました(笑)。
あっというまに増殖して行き、前年にデビューした低運転台量産冷房車を追いやってしまいましたね。

B767しゃん、こんばんは(^◇^;)またお邪魔致しますよm(_ _)m山手線の103系の低運転台車・試作冷房車ですが、こちらも…全車両がユニット式の窓なんすかね!?ヘッドライトは…まだブタ鼻にはなってないっすね。

マスダっち1971さま、こちらにもありがとうございます。

ユニット窓はこの編成からだそうで、そもそもは冷房効果を上げるためだったそうです。

B767しゃん、おはようございます(^◇^;)お邪魔致しますよm(_ _)m赤羽線運用の103系【低運転台車・試作冷房車】ですけども、この車両は…何両編成なんすか!?ありゃ!?全車が試作冷房車かと思ったら…非冷房車も連結されていますね。この非冷房車の窓は…非ユニット式ですか??ん??ドアの上に貼ってあるこの黄色いステッカーは…??

マスダっち1971さま、こんばんは。

ご指摘の通り、赤羽線で活躍するこの35編成は8連で両端クハのみ、試作冷房車のクハ103-178,179なんですね。

1979年の配置表によると、(1979年4月1日時点)
クハ103-179 + モハ103-187 + モハ102-187 + サハ103-151 + サハ103-152 + モハ103-110 + モハ102-188 + クハ103-178 でした。
当時の池袋区は
山手線用10連 1~26編成 臨1 臨2編成 の28本
赤羽線用8連 31~35編成 と予備車がクハ2両 モハユニット1 が配置されていました。
クハ103-178,179 は4/28には津田沼区に転出しています。
黄色のステッカーは路線色黄色の赤羽線ですので、誤乗防止のためですね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 通勤電車シリーズ 103系 7 山手線 3 試作冷房車の登場:

« EF57 の活躍と保存 その2 | トップページ | 1989年のDüsseldorf Airport その13 ATAの Boeing 727 »

カテゴリー

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村