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2014年8月17日 (日)

西武 5000系 初代レッドアロー その4 登場後の5000系

前回、初代レッドアロー5000系の記事をアップしたのが7月16日で一ヶ月前でしたので、これからは従来シリーズと、イサカ出張の記事、さらに8月の旅行のレポートを交互に上げてゆきます。

5000系1969年10月の西武秩父線開業にあわせて、5501F、5503Fの2編成がまず準備され、その後、同年12月5505Fが落成しました。ここまでは外注方式で日立製作所で製造されましたが、1970年3月5507Fからは西武所沢工場で製造されました。

5000_6_198005_25511編成による新 愛称表示方式になったレッドアロー「ちちぶ」 1980/5 所沢 登場時から押し込み式通風器装備

5507Fまでは4連 
飯能・西武新宿クハ5500形(奇)-モハ5000形(奇)-モハ5000形(偶)-クハ5500形(偶) 池袋・西武秩父
でしたが、1974年2月に落成の5509Fからは中間電動車ユニットモハ5050形が池袋・西武秩父よりに組み込まれました。この編成から車内座席が回転式簡易リクライニングシートに変更されました。またクハ5500形偶数車にもトイレおよび車内販売準備室が新設されました。

1974年3月から5月にかけて、それまで4連だった5501Fから5507Fの6連化のため、モハ5050形5051~5058が新製され、既存の編成の座席の交換、クハ5500形偶数車の改造も施行されました。

5000_800524 5000系 「むさし」 1980/5/24 所沢 押し込み式通風器は増設されています。

この時期にVHF方式による列車無線の採用が決定しているため、クハ5509、5510は新製時より、5501~5508は追加改造で準備工事がなされました。
ただ、5505Fのみは6+4の10連運用対応のため、4連のまま残され、1976年6月のオール6連化までモハ5055、5056ユニットは竣功後2年近く、小手指検車区に留置されていたそうです。

5000 保谷検車区の横を通過する5000系 押し込み式通風器は未だ増設されていません。

1978年2月に予備車の確保目的で5511Fが新製されましたが、この編成は前面の愛称表示が電照式に変更され、愛称表示板もアクリル製の半透明のものに変更されました。さらに換気率の向上のため押し込み式通風器を新設し、冷房装置も改良型(FTUR-375-203C)を搭載しました。

5511Fが最終増備編成となり、従来の編成も5511F編成と同様の前面愛称表示の電照化改造工事が1978年以降順次施行されました。

5000_800601 こちらは新宿線「おくちちぶ」開設後、上り送り込み回送を営業運転にした「むさし」 1980/6/1 東伏見~武蔵関

5000_800601_2 上記の編成による「おくちちぶ」 1980/6/1 東伏見~武蔵関

当初は4+4や6+4編成、さらには101系との併結も想定して、電気連結器が装備されていましたが、1983年以降、順次撤去されてゆき、スカートの切り欠きのサイズも小さくなりました。5511Fに搭載された改良型冷房装置の5501~5509Fへの換装も1983年から1987年にかけて施行されました。

5000_810003 電気連結器が廃止されスカートの切り欠きが小さくなった5000系「ちちぶ」 所沢
エアコンキセのサイドにランボードが付いていますが押し込み式通風器は未装着です。

1987年から1988年にかけては更新修繕工事が全編成に対して施行され、車内内装パネルならびに床面ロンリュームが全て交換されたほか、クハ5500形奇数車のデッキ部分にカード式公衆電話ならびに清涼飲料水の自動販売機の新設、車内座席のフリーストップ式リクライニングシート化、デッキ部分への車内スピーカーの増設、トイレ設備の全面交換ならびにトイレ内への非常通話装置の設置など、施工項目は多岐におよびました。

1993年5月12日には池袋 - 西武秩父間でお召し列車が運行され、5507編成が充当されました。運行に際しては編成の方向転換を実施したほか、車内座席を赤色モケットの特別仕様のシートへ交換し、側窓ガラスを特殊強化ガラス製のものへ変更されています。

1993年には後継系列となる10000系の新製が開始され、同年のダイヤ改正より新宿線の定期特急列車「小江戸」が新設されたことによる「おくちちぶ」廃止に伴って、本系列は新宿線系統の定期運用より撤退しました。

1994年以降、本系列の代替目的で10000系が池袋線系統にも配属されたことに伴い、同年10月17日付で5509・5511編成が除籍され、本系列の淘汰が開始されました。10000系の新製に際しては本系列の台車・主要機器を流用する計画であったことから廃車は急ピッチで進められ、1995年に全編成が定期運用を離脱し、同年10月14日に開催されたさよならイベントならびに同年11月に新宿線系統で運行された団体専用臨時列車「小さな旅」における運用が最後の運行となった。その後、同年12月13日付で5503編成が除籍されたことをもって、本系列は形式消滅しました。

今回の記事を作成するにあたり、Wikipediaの当該記事の内容を参考に致しました。

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コメント

B767しゃん、おはようございます(^^)お邪魔致しますm(_ _)m新宿線「おくちちぶ」の上り送り込み回送の「むさし」が走っていたんですね。保谷検車区に停まっているのは…屋根からして551系ですね。その横には…新101系2両と旧101系・非冷房車が連結して停まっていますね。

マスダっち1971さん、おはようございます。

いつもながら、しっかり写真に写り込んだ車両を観察されており、脱帽です。

こんにちは~。モモパパです~。
以前にも書き込んだかもしれませんが僕。
子供の頃「私鉄の特急列車」って本で初代レッドアロー号を見てカッコイイなと思ったものでした。
僕の地元名鉄のパノラマカーは子供心にもちょっと見飽きた感じがしてたので。
でもパノラマカーは好きでしたけどね。
初代レッドアロー号。
名車だと思いますヨ。

モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。

5000系は西武鉄道が初めて走らせた有料特急でしたが、わたしもすっきりしていて格好いい電車だったと思います。

こんばんは。

5000系はシートやモケットが変わったこと等、資料本で知りましたが、当時は小学生ですから、細かい違いは分かっていませんでした。愛称板が行燈式に途中から変わったことも気が付かなかったくらいです。

5000系は更新修繕工事を受けていたし、10000系は当初新宿線の「小江戸」専用でしたから、当面このまま行くのだろうと思っていましたが、あっという間に全て10000系になってしまいましたね。これには少し驚いた記憶が有ります。

MiOさま、おひさしぶりです。

そうでしたね。わたしも10000系が登場したとき、5000系があっというまに置き換えられたのには驚きました。

その裏には西武お得意の部品転用もあったことはつい最近知った次第です。

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