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2014年8月31日 (日)

通勤電車シリーズ 103系 7 山手線 3 試作冷房車の登場

通勤電車103系シリーズ、今回は昭和44年度第2次債務車からの話題となります。

モハ103-256~266 モハ102-411~421 
これらの車輌は品川、池袋区に配置され、山手線の10両化に

さらに、昭和44年度第3次債務車で
モハ103-267~269 モハ102-422~424 サハ103-290~293
これらの車輌は浦和区に配置され、京浜東北線へ。同時期、中央、総武線から101系10連5編成が浦和電車区に転属し、京浜東北線の旧形車一掃が開始されました。

そして、昭和44年度第4次債務車で
モハ103-270~278 モハ102-425~433 サハ103-294~305
これらの車輌は松戸区に配置され、常磐線快速に投入されました.常磐線から捻出された72,73系は呉線電化で広島地区に投入されました。

103 1974年秋頃 高運転台ATC準備工事クハ登場後も山手線で活躍していた臨1編成 新宿

ここまではすべて中間車の増備でしたが、1970年7月

クハ103-178・179 モハ103-279~281 モハ434~436 サハ103-306・307 で山手線に試作冷房編成1編成が投入されました。実は拙blogで103系の試作冷房車の話題は、昨年5月21日の115系300番台の記事で一度触れてはいるのですが、写真などは再掲となりますが、再度触れます。

冷房装置は 
クハ103-179+モハ103-279+モハ102-434  の3両が三菱電機のAU75X
サハ103-306+モハ103-280+モハ102-435+サハ103-307 の4両が日立製作所のAU74X
モハ103-281+モハ102-436+クハ103-178  の3両が東芝のAU73X の3種類を試作しました。

103_1_2 同じく新宿にて外回りで活躍する臨1編成

容量は3種類とも42000kcal/hで扇風機の有無、風道1,2本、冷風吹き出し方式を比較試験しました。電源は両端クハにMH129-DM88 210kVA 3相440V出力のMGを搭載して、5両給電方式としました。
(マスダっち1971氏とのコメントのやりとりから追記、2014/10/15)この編成から側窓は冷房効率のアップのため、ユニット窓となりました。以降の地上型(基本番台)はすべてユニット窓に、地下鉄乗り入れ用は1200番台の第2編成からユニット窓となりました。

103_741124 信号機の支柱が前面にかかるというヘボ写真ですが、上野での臨1編成 1974/11/24

この写真から分かりますが、103系の試作冷房車も後から登場した101系の冷房改造車同様にエアコンキセが後方にずれていたことがわかります。

103_7805 山手線ATC化のため、池袋区所属ながら赤羽線運用に配置換えになった試作冷房編成 1978/5 十条 

(追記)コメントにありますが、細井忠邦氏の指摘の通り、試作編成は1977年度末の1978年3月24日あるいは31日に大井工場で量産冷房化改造を受けており、赤羽線担当に配置換えになっています。

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2014年8月30日 (土)

EF57 の活躍と保存 その2

戦前の旧型電機EF57のシリーズ、今回は宇都宮駅の東方に位置する駅東公園に保存されている7号機の話題です。

栃木県の自治体は駅東公園という命名を好むのか、小山駅東方にあるC50 123号機が保存されている公園も駅東公園でした。

140321 宇都宮駅東口から歩いて5分ほどのところにある駅東公園 2014/3/21

ここを訪問したのは2014年3月21日で、ダイヤ改正で烏山線に登場したEV-E301系を撮影しに出かけたときでした。

Ef57_7_140321_12
ちょっと柱が気になりますが、屋根付き、プラットホーム付きの場所にEF57 7号機が保存されています。公園の北東の隅、プールの横の場所でした。

Ef57_7_140321_17
旅客機特有の2軸の先台車や前方に突出したパンタグラフなど、現役時代のEF57 2号機以降のスタイルが良く保たれています。

Ef57_7_140321_13
ガラスなども破損がなく、台車は油光りしており、実にきれいに保存されています。

Ef57_7_140321_19
パンタは両方ともあげられており、逆側のエンドも、サイドも錆の浮き出しもありません。

Ef57_7_140321_2
この案内板に書かれているように保存会があってきちんと管理されているようです。春と秋には一般公開されるようです。

最後に沖田祐作氏の機関車表から7号機のデータです。

EF577      日立製作所水戸工場=4226         1941-09-30 E110.82t2CC2(1067)
   車歴;1941-09-30 製造→ 納入;国鉄;EF577→ 配属;静岡局→1942-10-23 配置;沼津→
      1951-06-11 浜松→1953-07-27 沼津→1956-08-21 長岡二→
      1960-10-08 借入;宇都宮→1960-11-26 宇都宮→1978-10-09 廃車;宇都宮→
      保存;栃木県宇都宮市「宇都宮駅前」;EF577→
      移管保存;栃木県宇都宮市「駅東公園」;EF577

履歴は前回の記事に記述したものと変わりありませんが、廃車後、最初は宇都宮駅前に保存となっていますが、

保存会のサイトをみると直接、宇都宮機関区から現在の保存場所に移されたようです。保存の際に、トップナンバーと7号機のどちらにするかということでしたが、EF57の形態的特徴を残す7号機が選ばれたそうですね。

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2014年8月29日 (金)

EF200形電機 10号機

EF200形電機シリーズ、今回は10号機です。製造は日立製作所で1992年6月17日落成です。

この夏(終盤に近づいても、週末夏らしい日はあまりなかった夏でしたが)の旅行でも感じましたが、EF200の牽引列車は沼津以西では実に良い時間に走っていると思います。
そんなことから、この10号機の写真も、名古屋以西で撮った写真が多いようです。

まずは、2004年9月、広島遠征時の写真で
Ef20010_040903 2004/9/3 広島

さらに、2005年7月の名古屋出張時の写真で
Ef20010_050705 2005/7/5 枇杷島

さらに、同年8月の関西出張時の写真で
Ef20010_050822_2 後うちですが、元町を通過する10号機牽引列車 2005/8/22

Ef20010_060618 2006/6/18 新大阪

Ef20010_061118 2006/11/18 岸辺

そして、塗装変更がありました。

Ef20010_100613 2010/6/13 八丁畷

Ef20010_101210 2010/12/10 東淀川

といったように撮影しておりました。

気になっているのが、この8月12日に2077レで18号機が広島に無動回送されていることなのですが、18号機、7月に首都圏で珍しく配給列車を牽引した後、記録がなくいきなり無動回送となっているのでもしかしてと思っているのですが。

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2014年8月28日 (木)

特急「北近畿」 その18 485系から183系へ part17

特急「北近畿」等に使用された福知山電車区所属の485系改造の183系の活躍、今回はA45編成ですが、生憎この編成だけ、写真がありません。

構成は
クハ183-204+モハ183-814+モハ182-710+クロ183-2705   でした。

クハ183-204はクハ481-235として1973年2月12日、近畿車輛で落成し、盛アオに配置されています。東北特急全盛期で「ひばり」「やまびこ」「はつかり」「いなほ」で毎日上野に顔を出していたでしょう。あるいは「白鳥」の先頭車として大阪に顔を見せていたかも知れません。1984年に大ムコに転属し、1991年には金サワに転属し、「雷鳥」で活躍しました。2003年9月23日、183系化改造を受けています。

クロ183-2705はクハ481-316として1975年5月17日、川崎重工で落成し、仙センに配置されています。こちらは「ひばり」「ひたち」などで活躍したのでしょうか、1982年、大ムコに転属し、1996年3月8日に183系化改造を受けています。

モハユニットはモハ485/484-140/243として1972年12月18日、川崎重工で落成し、大ムコに配置されています。山陽・九州、北陸特急として馬車馬のような運用を経験して、1996年3月13日、183系化改造を受けています。

続いて、A46編成に参ります。

183_a46_060619 特急「文殊」のA46編成 4連のみ 2006/6/19 新大阪

構成は
クハ183-205+モハ183-1805+モハ182-701+クロ183-2706 でした。

クハ183-205はクハ481-254として1973年9月22日、日本車輌で落成し、盛アオに配置され、1983年に大ムコに転属しています。1990年に金サワに転属となり、2004年2月26日に183系化改造を受けています。

クロ183-2706はクハ481-308として1974年8月30日、東急車輌で落成し、金サワに配置されています。1996年3月9日に183系化改造を受けています。

183_a46_080225 こちらは「回送」ですが、3+4の7連のA46編成 2008/2/25 岸辺

モハ183-1805はモハ485-1028として1978年9月7日、東急車輌で落成し、盛アオに配属となっています。1984年に大ムコに転属となり、1996年2月1日、183系化改造を受けています。モハ182-701はモハ484-312として1974年2月27日、日立製作所で落成し、大ムコに新製配置され、1996年3月9日183系化改造を受けています。このユニットは新製時と相手が替わっており、本来の相手のモハ484-1028は1996年2月1日、183系化改造を受け、モハ182-1805に改造され、B62編成に組み込まれ、モハ183-802とユニットを組んでいましたモハ484-312は当初、モハ485-210とユニットを組み、こちらもモハ183-805に改造されていますが、B61編成に組み込まれました。

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2014年8月27日 (水)

近江鉄道ミュージアム訪問記 その2

近江鉄道ミュージアム訪問記、2回目、今回から展示車両です。

まずは4台展示されていたED14形電気機関車です。

Ed141_140809_m 近江鉄道独特の水色に塗装された1号機と2号機(左)、1号機と2号機を見比べるとナンバープレートの位置や妻面扉の形態、尾灯の数、スノープラウの有無など違いがあることが分かります。 1号機の木製正面扉は4両の中で唯一原形を保っているそうです。        2014/8/9   近江鉄道ミュージアム

この機関車は国鉄の前身である鉄道省が1926年にアメリカGE.(General Electric Works)社から、4両輸入したもので、当時は1060形と呼ばれました。1928年の称号規程改正でED14となりました。

似たタイプの機関車に1923年同じくGE社から輸入した1010形(後のED11)があり、両機は同じタイプの主電動機(MT8)を使用した兄弟機関車ですが、ED11がスイベル形(車体牽引式)であるのに対して、ED14はアーチキューレート形(台車牽引式)といった違いがあります。

ED11形に関してはこのシリーズのリニア・鉄道館訪問記で同館に保存されている2号機と西武鉄道で活躍したE61(ED11 1)と併せてご紹介しようと思います。

Ed142_140809_m3 2号機 この車両の特徴は汽笛が原形を保っていることと、避雷器が他の3両は丸型LA12なのに対して、LA13であること、鎧窓は細型16本タイプのことです。

車体形状は両機ともよく似ており、箱形車体の両端に出入り用のデッキを配し、リベットで接合された車体と十字の桟のある田の字の側窓が特徴となっています。ED11は600V、1200V、1500Vの3種の架線電圧に使えるようになっているのに対してED14は1500V専用とのことでした。

鉄道ファン誌1963年5月号の日高冬比古氏のED11、ED14の記事に掲載されてる導入時の両機の写真と今では砂箱の位置など大きく変わっており、妻面の変化が顕著です。

Ed143_140809_m 3号機 日高氏の文章によればED14の台車は板台枠とのことです。登場時、田の字だった側窓も長年の使用で形態変化しています。3号機はこちらがわの妻面のナンバープレートがありません。この車両の特徴は鎧窓が太い9本タイプのことです。

<運用の歴史>

製造当初は東京機関区に配置され、東海道線の貨物列車に投入されました。1930年、甲府機関区に転属となり、中央本線八王子 - 甲府間で使われました。戦後は一時、豊橋機関区に移って飯田線で使われましたが、1950年に作並機関区に移り、仙山線作並 - 山寺間で使われました。

Ed143_140809_m2 3号機と4号機 両機塗装の違い以外に、前照灯の形態等に違いがあることも分かります。

1960年、転属配置されたED17形と新製配置されたED60形に置き換えられ、4両とも休車となりました。2・3号機はこの時点で除籍され、近江鉄道へ譲渡されました。

3号機については、近江鉄道を傘下にもつ西武鉄道へ一旦貸し出された後、近江鉄道へ渡されました。1・4号機は仙山線の変電所容量不足によりED60形が転出したため休車を解除され、再び仙山線で使用されましたが、1966年に除籍され、2・3号機と同様、近江鉄道へ譲渡されました。

Ed144_140809_m2 4号機のみオリジナルの葡萄色になっています。正面扉はこの機のみ、鋼製となっています。3号機の前照灯の形態はエンドごとに違うようです。

近江鉄道では、石灰石・石油貨物列車などに使用されました。軸重15tの関係で、犬上川に架かる鉄橋が重量制限の為に渡れず、運用区間は多賀 - 米原間に限定されていました。主に多賀 − 彦根間の石灰石輸送に使用されていましたが、1988年までに貨物列車が廃止されたため、本来の目的を失いました。現在ではATSの装備が困難な点、部品調達の問題、車体重量の問題、そして電気機関車の運転免許を持っている運転士がほとんどいない状態から事実上、本線走行は困難な状態となっています。

御年90歳に近いアメリカ製の輸入機関車がこうやって4両とも保存されていることは素晴らしいことですね。

各車両ごとの詳細な形態の違いは近江鉄道の電気機関車紹介のサイトから引用しました。またED14の歴史に関してはWikipediaの記述を参考にしました。

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2014年8月26日 (火)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング11 UA A319

先般のDuesseldorf 空港のシリーズを25年前のヨーロッパの旅客機事情とするならば、こちらのシリーズは現在のアメリカの旅客機事情になります。

前回、前々回の記事でAirbus A320について触れました。今回はその弟分といえるAirbus A319について触れようと思います。

N805ua_airbus_a319131_cn_783_050121 N805UA Airbus A319-131 cn 783 2005/1/21 SFO

先々代のドブネズミと揶揄された塗装を纏ったAirbus A319

Airbusシリーズの中でもA320シリーズは標準2クラス仕様150席のA320を中心に1989年に胴体を主翼前方で4.27m、後方で2.64m、合計6.91m延長したA321の開発を発表しました。1993年には胴体を主翼前方で1.60m,後方で2.13m,合計3.73m短縮したA319の開発を発表、さらに1999年にはA319の成功を受けて100席クラスの機体としてA318の開発を発表しました。これら4種類のバリエーションをもってA320ファミリーと呼ばれています。さらにより経済的な運航を目指して、A320ファミリー(A318を除く)のエンジンを換装したモデルとしてA320neoも企画されており、2016年に初号機が登場する予定とのことです。

N803ua_airbus_a319131_cn_748_090116 N803UA Airbus A319-131 cn 748  2009/1/16 SFO

先代の白を基調とした塗装に替わったA319

A319は当初、7フレーム分胴体を短縮することからA320マイナス7として、計画発表され、1993年6月の正式ローンチでA319と名乗るようになりました。初号機(cn 546)はCFM56-5を装備して1995年8月に初飛行し、さらにIAE V2500エンジンに換装して1996年5月に初飛行も行っています。

N850ua_airbus_a319131_cn_1653_14072 N850UA Airbus A319-131 cn 1653 2014/7/22 ORD

そして現在のA319の塗装、COはA319を導入しなかったので、このモデルにこの塗装は旧UA由来機のみとなっています。

UAでは55機のA319をこれまで導入しており、すべて現役です。タイプはA319-131、コンフィグはF8W40Y72でレジはN801UA(cn 686) からN855UA(cn 1737)が付与されています。UAの中ではもっとも小さなサイズの機材となっています。

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2014年8月25日 (月)

西武 5000系 初代レッドアロー その5 引退後の第二の車生 富山地方鉄道16010形

初代レッドアロー5000系、6編成あった車輌は大半が解体処分され、台車および主要機器については10000系の新製で流用されましたが、最後に廃車された5503Fに関しては両先頭車2両が静態保存されました。

これらについてはまだ訪問していませんが、毎年10月に開催される西武トレインフェスティバルで一般公開されるとのことですので、是非観に行こうと思っています。

一方、5501Fのクハ5501・モハ5052・クハ5502が1995年3月に、5507Fのクハ5507・モハ5058・クハ5508が1995年11月に富山地方鉄道へ譲渡されました。編成の一部ずつですが、車体と一部の機器を譲渡する方式で、車輌も甲種回送ではなくトレーラーで陸送されたそうです(鉄道伝説 第32回)。

16014_100718 モハ16014 第二編成 2010/7/18 電鉄富山

到着後は稲荷町車両基地において同年7月に開始される観光客輸送開始に間に合わせるため、急ピッチで各種改造が施工され、主要機器についてはJR九州で活躍してた485系の廃車発生品の電動カム軸式制御器や京浜急行1000形電車の主幹制御器を搭載し、旧クハ5500形奇数車を電動車化し、2M1Tの16010形3両編成
モハ16011形(Mc)-モハ16012形(M')-クハ110形(Tc)
となりました。
クハ5500形に設置されていたトイレ、車販準備室に関しては第一編成(元5501F)については使用停止措置がとられ、そのまま存置されましたが、第二編成(元5507F)については撤去した上で既存の側面窓と同一形状の窓を増設し、つり革を新設して立席スペースとしました。主電動機はMT54で台車はDT32,TR69でまさに485系由来であり、第一編成ではギアボックスもそのまま流用したため、ギア比は3.50 (77:22)で、第二編成では近郊形車輌と同一の4.82 (82:17)に変更されました。電磁直通ブレーキは営団3000系の廃車発生品を、運転台ブレーキ弁は京急1000系の廃車発生品を流用したそうです。CPは都営5000系の廃車発生品です。MGは西武時代からのものです。第一編成の旧トイレ、車販準備室屋、歯車比による起動加速性能の件は後年、問題となり1996年7月に第二編成同様に改造されました。

アルペン特急」「うなづき」など優等列車として運用されていましたが20m3両編成での運用は沿線人口の減少などもあり、輸送力過剰になったので、2005年に2両編成ワンマン化改造が施工され、多客期に中間車を増結する方式がとられました。この改造は中間車にMGが搭載されており、かつ1C8M制御方式を採っていたので、中間電動車モハ16012形の機器と制御車クハ110形の機器を入れ替える大がかりな改造となり、
モハ16011形(Mc)-クハ110形(Tc)-モハ16012形(M') と改称、改番されました。
ただ、中間車クハとはいえ実態はサハとなりました。

16014_100718_2 同編成 2010/7/18 電鉄富山

ただ、増解結作業の煩雑さから、3連で運用されることは殆どなくなりました。2011年第二編成がリニューアル改造を実施されて観光列車「アルプスエクスプレス」専用編成になり、クハ112も再び編成に組み込まれました。

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2014年8月24日 (日)

1989年のDüsseldorf Airport その12 JAT の Boeing 727

1989年の西ドイツ留学中のDuesseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、25年前の冷戦時代の終わらんとする頃のヨーロッパ-の旅客機事情のレポートです。

今回はその頃のユーゴスラビア、後に分裂してセルビア共和国の最大のエアラインでFlag carrierのJat AirwaysBoeing 727です。

Yuake_cn_21037_1094_boeing_7272h9ad YU-AKE Boeing 727-2H9Adv cn 21037 ln 1094 1989/5/4 DUS

1927年、ユーゴスラビア最初の民間航空会社Aeroputとして設立されました。1929年、ベオグラードとグラーツの間に最初の国際線を運航しました。1937年、国際線の発展と旅客数の増加で、Lockeed Model 10 Electraを導入しました。しかし、第二次世界大戦で運航停止に至ります。

1947年4月1日
に再開し、軍用機だったDouglas C-47 SkytrainとJunkers Ju52を利用して運航を始めました.会社名はJAT Jugoslovenski Aerotransportと名乗ります。1949年、ユーゴスラビアは東ヨーロッパにありながら、独自の社会主義路線を歩んだため、厳しい国際情勢に晒されることになり、燃料や部品の供給で苦労しましたが、1954年にはConvair CV-340, CV-440 Metropolitanを導入し、1957年にはIlyushin-Il14M、さらに1959年にはDouglas DC-6Bを導入しています。1963年にはジェット機導入がはじまり、Sud Aviation Caravelleをまず導入、続いて1969年にはMcDonnell Douglas DC-9-32が導入され、1974年にはBoeing 727-200がフリートに加わりました。1970年に導入されたBoeing 707シリーズにより、北米、オーストラリア、極東路線も運航し、1978年には長距離路線にMcDonnell Douglas DC-10-30が導入されました。

Yuake_cn_21037_1094_boeing_7272h9_2 YU-AKE Boeing 727-2H9Adv cn 21037 ln 1094 1989/5/4 DUS

1980年代、1984年サラエボオリンピックの公式キャリアーとなり、1985年にはBoeing737-300を導入しています。

ユーゴスラビアは「南スラブ人の土地」という意味で1918年にセルビア王国を主体としたセルビア人・クロアチア人・スロベニア人の王国として成立していましたが、よく言われる

7つの国境」:イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア。
6つの共和国」:スロベニア、セルビア、モンテネグロ、マケドニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ

5つの民族」:セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、モンテネグロ人、マケドニア人。
4つの言語」:セルビア語、クロアチア語、スロベニア語、マケドニア語
3つの宗教」:カトリック、正教、イスラム教。
2つの文字」:ラテン文字とキリル文字。
1つの国家」:ユーゴスラビア

といった体制で、分裂の危機を孕んでいました。

1992年、ユーゴスラビア内戦、国の分裂により、全国内線の運航は停止されました。その間にAirbus A319などを発注していました。2000年に新国家が国際的に承認され、JATの運航も再開されました。会社名も2003年8月8日、Jat Airwaysと改めました。どの航空アライアンスにも加盟はしていませんが、Adria Airways, Aeroflot, Air France, Alitalia, Austrian Airlines, B&H Airlines, KLM, LOT Polish Airlines TAROMなどとコードシェア便を運航していました。

セルビア政府は2008年と2011年にJAT Airwaysの民営化を試みていますが、不成功に終わっています。国営航空で1250名の従業員を雇用していましたが、2013年8月1日、セルビア政府とEtihad Airwaysの協定により、再編が決定され、ATR72などのフリートがAir Serbiaに移ることが決まりました。

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2014年8月23日 (土)

通勤電車シリーズ 103系 6 大阪環状線 1

通勤電車103系シリーズ、今回は大阪環状線への最初の投入時の話題です。

昭和44年度第2次本予算で製造されたロットのうち、多くは京阪神緩行線に投入されましたが、クハとモハユニットの
クハ103-174~177  モハ103/モハ102-252~255/407~410
が森ノ宮電車区に配置され、
103系初のオレンジ・バーミリオン車として大阪環状線で活躍を始めました。
わずか6連2本というささやかな投入でしたが、1960年10月1日から投入されていた101系編成に混じって、1969年12月10日から運用開始となりました。

103_7503_1

1975年3月、関門にダイヤ改正で去って行く山陽路の特急を撮影しに出かけた帰り、天王寺駅で撮影した大阪環状線の103系、すでに8連化されていますが、大きな単灯のヘッドライトはクハ103-179までで、このころは初期型に存在した通風口の穴を塞ぐ工事が進んでいたようです。 1975/3/6

103_801212
これは1980年12月に関西に出かけた際に大阪駅の環状線ホームで撮影した103系です。既に中央快速線にも103系は投入されていましたが、顔は量産形冷房車のシールドビーム2灯でしたので、オリジナル単灯のオレンジ色103系は私にとっては珍しい存在でした。 1980/12/12

103_841204 こちらは1984年12月の関西出張で大阪駅で撮影したもので、オリジナルスタイルの103系も冷房改造されて走っていました。前面の通風口も綺麗に塞がれていました。 1984/12/4

その後、JRとなって大阪環状線での103系運転は長く続き、撮影する側として嬉しいことに前面にクハの車両番号が表示されるようになりました。

103_103174_030327_2 クハ103-174   2003/3/27 桜宮

103_103174_050708 クハ103-174   2003/3/27 桜宮

103_103175_050708_2 クハ103-175 2005/7/8 桜宮

前照灯のシールドビーム2灯化、前面窓枠、行き先表示、運行窓枠の金属化、スカートの取り付け、戸袋窓の廃止等、だいぶスタイルは変わりましたが、新製配置された線区で粛々と活躍する103系の姿がありました。この時点で36年間の活躍です。

現在はクハ103-174, 175ともに奈良電車区に配置され、ウグイス色で活躍中とのことです(情報はこちら)。なお、同期の-176,177は2012年3月改正に絡んだ車両の動きで2012年6月頃、廃車となったそうです(情報はこちら)。

まだ、先の予定ですが、1両1両クハの車両番号がわかる写真が結構あるので、いずれそれぞれの履歴を辿る記事がかけるなと感じております。

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2014年8月22日 (金)

EF57 の活躍と保存 その1

今回と次回の2回に渡って、戦前の名機といわれたEF57の活躍と保存機の様子について触れようと思います。

EF57といえば、国鉄の前身の鉄道省が太平洋戦争前に製造した最後の旅客用電機でした。東海道本線における優等列車牽引を目的に企画した機関車で、戦時体制下ではありましたが、良質な材質・工作によって製造され、当時の優秀機として完成されました。

Ef57_1_124750511_2 父親のミノルタXEを借りて、東北本線蓮田付近で初めて線路際撮影したときの写真 
接近してくる当時未だ残っていた東北本線客車列車に無我夢中でシャッターと切った憶えがあり、あとで牽引機がEF57の1号機と分かりました。 1975/5/11

1号機は1940年10月に登場し、EF5613号機として出場予定でありましたが、新たに開発されたMT38主電動機により定格出力が1350kWから1650kWされたことで新形式を名乗ることとなり、EF57と命名されました。EF56の方式に倣って、パンタグラフは中央よりでした。

Ef57_3_74010
10月の土曜日の午後だったと思いますが、雨の降りしきる中でEF57 3号機が上野駅で入換えをしていました。 1974/10

1941年に2号機以降が登場し、1943年までに15両が日立製作所、川崎重工業・川崎車輛で製造され、2号機以降はパンタグラフ2基を車体両端に寄せたため、イメージが大きく変わりました。

製造当初は沼津機関区に配属され東海道本線の特急・急行列車を中心とした客車列車の牽引に使用されました。1942年に関門トンネルが開通し、EF10形が大里(後の門司)機関区に移動した後は、EF12の補充待ちの間、ワキ1、ワムフ1形高速有蓋貨車で編成された「ワキ列車」の牽引も担当しました。

戦後は後続形式のEF58形がSG装備なしで誕生したので引き続き東海道本線の優等列車牽引など幅広く運用されました。この頃、12号機が追突事故で廃車となりました(1948年11月)。

Ef57_5

上野駅に夜行列車の出発風景を撮影しに出かけた際、地平ホームで単機でいる5号機に偶然遭遇し撮影しました。 1974年頃

1952年、EF58形が大改良を受け、1900kW級、自動暖房ボイラー搭載の流線型機関車として大量増備されると、優等列車牽引の座をEF58形に譲り、普通列車牽引が主任務となりました。
1956年の東海道本線全線電化を前に、コロ軸受けの発熱の問題やSGの不安定性の問題から、超長距離運用に向かないため高崎第二、長岡第二機関区に移動となり、上越線が主任線区となりました。
1960年秋から1961年春
にかけて上越国境の厳しい峠越え任務は後輩のEF58形に任せて、宇都宮運転所に転属し、ここが終生の職場となりました。すでに先輩、EF56もここに集結していました。
最初はSGの自動運転化工事を施工しましたが、交流区間は電気暖房が早くから取り入れられていたため、EF57も電気暖房化することとし、1965年11月の1号機の改造を手始めに順次改造され、1966年3月の3号機をもって全機改造が終了しました。EF56形は引き続きSGとしたため、運用が分離され、小荷物列車専用となりました。

Ef57_ef15_ef65pf_740325

この写真は再掲ですが、1974年3月「つばさ51号」車内から宇都宮運転所の様子を撮影したもの

運転中の異常振動問題等もあり、運転サイドからは敬遠される様になり、1975年3月の改正で広島、下関で余剰となったEF58形が大量に転属してくるとEF56形がまず廃車となり、EF57形も状態不良車から廃車が始まり、1977年正月の臨時列車牽引で運用を終え、1978年10月までに全機が廃車となりました。

Ef57_1_030601 1号機の動輪はこういった形で宇都宮運転所の構内に保存されています。
2003/6/1の同所の公開の際に撮影しました。

次回は、現在も美しい姿で宇都宮駅東公園に保存されるEF57 7号機を紹介します。

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2014年8月21日 (木)

EF200形電機 9号機

EF200形電機シリーズ、今回は9号機です。製造は日立製作所で1992年5月30日落成です。

その活躍シーンを2004年頃からの写真で紹介します。

Ef200_9_040620 3072レの先頭に立って、新鶴見まで 2004/6/20 西国分寺

Ef200_9_041018 長大コンテナ貨物を牽引して幡生駅に進入、直流電機西の終端まではあと少し
2004/10/18 幡生

Ef200_9_050823 雨の朝、梅田行のコンテナ貨物を牽引し、千里丘の坂を駆け下りる 2005/8/23

Ef200_9_060422 2099レを牽引して、八丁畷の坂をゆっくり上ってくる 2006/4/22

と、ここまで旧塗装時代はごく普通の機関車でした。

Ef200_9_061118_2 2006年の後半には他機同様に塗装変更を受けました。

Ef200_9_070310 新塗装にかわりたての頃は、他の新塗装機と較べて特段の違いはないと思ったのですが・・・   2007/3/10   東淀川

Ef200_9_071211 塗装に使われたペイントの成分が少し違っていたのでしょうか、時間の経過とともに退色?が進み、僚機とはだんだん違う色に、11号機も同様です。 2007/12/11 東所沢

Ef200_9_090228
Ef200_9_090228_3 入場した際にお顔の傷(東所沢の写真の縦方向の傷)を修復したのでしょうか、僚機と同じペイントで修復した結果、9号機オリジナルペイントと僚機のペイントの違いが見事に出てしまい、お顔両面はこういったパッチワーク状態に。 2009/2/28 八丁畷

Ef2009_130427
2009/4/27 鶴見 
私にとってはこれが最新の写真ですが、9号機ペイントはますます空色化が進み、僚機ペイントとのパッチワークは良く保たれているようです。

この夏、東海道線を旅して名古屋以西ではEF200が昼間、実によ見かけるなと感じた次第です。

 

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2014年8月20日 (水)

特急「北近畿」 その17 485系から183系へ part16

福知山電車区の485系改造、183系編成、A編成の4回目で、A44編成です。

183_a44_070310
毎回同じような写真で恐縮ですがA44編成とC編成の併結7連の北近畿です。 2007/3/10 東淀川

いつものように2009年冬の編成表によると構成は
クハ183-202+モハ183-812+モハ182-708+クロ183-2704 でした。

それぞれの車輌の履歴を調べると
クロ183-2704はクハ481-338として1975年6月4日、日立製作所で製造され仙センに新製配置されています。1984年に大ムコに転属し、1996年3月6日に183系化、クロ化改造を受けています。

クハ183-202クハ481-222として、1973年1月9日日本車輌で落成し、盛アオに配置され、1978年には金サワに転属しています。2003年12月17日に改造されるまで金サワに在籍していました。

モハ183-812+モハ182-708のユニットはモハ485-209+モハ484-311として1974年2月27日、日立製作所で落成し、大ムコに配置されています。1996年3月6日に改造を受けるまで大ムコ配置でした。

183_a44_101210
島本を通過する北近畿 2010/12/10

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2014年8月19日 (火)

近江鉄道ミュージアム訪問記 その1

2014年夏の旅行、まずは近江鉄道ミュージアムから参ります。

今回の記事では資料館の展示品について紹介します。

以前から、青春18切符などで京都~米原間を乗車したときに彦根駅で見かける近江鉄道の車両群や米原駅でみかける編成は気になっており、さらに既に記事でも記述していますが、元西武鉄道の車両が多く第二の車生を近江鉄道で送っているということも知ってはおりました。

さらに鉄道旅番組などで近江鉄道の特集があり、かつて活躍した電気機関車などが彦根駅そばに設けられた近江鉄道ミュージアムに展示され、公開されていることも知りました。

WEBサイトによればその公開日は決められており、今年8月は9日(土)となっていたので、この日を中心にスケジュールを立てることにしました。宿泊の予約などをした時点で台風11号12号が発生して、9日から10日にかけて西日本にやってくることは予想できましたが、9日の公開に合わせて旅行を開始しました。

140809_2
彦根駅の東口に通じる跨線橋から近江鉄道の車両基地を見る 2014/8/9 彦根

彦根駅についた頃は灰色の空から大粒の雨がかなり降っておりました。車庫には元西武鉄道の新101系改造の100形湖風号(手前の空色)、220形225(伊藤園)、元西武の401系改造の800形などの姿が見えました。

JR彦根駅の東側に寄り添うように近江鉄道の彦根駅があり、さらに車両基地も設置されています。駅の開業は官設鉄道(1889年7月1日、関ヶ原~膳所間の開業と同時)、近江鉄道(1898年6月11日、彦根~愛知川間の開業と同時)ですでに開業から125年以上が過ぎています。

かつては国鉄の下りホームに面して近江鉄道の上りホームがある相対式でしたが、橋上駅化に際して現在の島式1面2線方式に改められたそうです。また駅東側には住友大阪セメントの彦根工場があり、さらにキリンビール関連の車扱い貨物輸送(1988年3月12日に廃止)があったため、駅東側のJR下り線に面して側線群や専用線があったそうです。詳細はこちらのサイトに。

140809 彦根駅の東口の階段を米原方向に降りると目の前にこういった景色が見えて来ます。

2007年は1607年の彦根城天守閣完成から400年目にあたり、彦根市が記念行事を企画し、国宝・彦根城築城400年祭が開催されました。その一環として、近江鉄道では同祭開催期間中の金、土、日、祝日とゴールデンウィークに車両基地の一部を近江鉄道ミュージアムとして公開し、それが好評を博したので翌年以降も特定の日に公開という形で今日に至っています。

ミュージアムは上の写真奥の資料館と手前の車両群、屋外展示から構成されています。資料館は旧変電所の建物を利用したものだそうです。

140809_2_2 この日は生憎の悪天候であったため、当館の鉄道マスコットキャラクター「がちゃんこ」はお休みでした。

140809_3

140809_2_3

入場料200円を支払うと硬券の入場券がもらえます。

140809_4 まず、目に付いたのはタブレット閉塞機です。

140809_2_4 中が見えるようになっている装置も展示されていました。

140809_5 電話機もいろいろな世代のものが展示されていました。下には昔の5玉のそろばんも置いてあります。もしかしたら、最近の子供さんはそろばんを見ても何をするものかわからないかも知れませんが(笑)。

140809_6 なぜか鉄道博物館に鬼瓦が展示されていますが、近江鉄道のターミナルのひとつ、近江八幡市は鬼瓦の産地だそうですね(関連サイト)。

140809_7

かつて在籍したC型ロッド駆動のディーゼル機関車のプレートのようです。写真はこちらのサイトに。上に見えるのはマスコンでしょうか、中身が見えています。

展示はこれ以外にいろいろなイベントのポスターやお知らせの類でした。

ただ折角の展示品が説明がないために些か消化不良の感もありました。

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2014年8月18日 (月)

あの悲劇から1ヶ月 MH0017

わずか4ヶ月の間に同じ航空会社の、しかもこれまで殆ど全損事故を起こしていなかったBoeing 777が連続して墜落するという極めてショッキングな事故から一ヶ月が過ぎました。

マレーシア航空17便は乗客283名、乗員15名が搭乗し、アムステルダムからクアラルンプールに向かっており、当初ウクライナ上空は高度35000フィートで通過するフライトプランを提出していましたが、ウクライナ空域に進入後、ウクライナ航空交通管制(ATC)より高度33000フィートの飛行を指示されました。同便はウクライナを横断後、ロシア領内に入る50kmほど手前のドネツィク州グラボベ(Hrabove)村近郊でモスクワ時間17時15分頃、消息を絶ちました。墜落現場はロシア国境から40kmのトレーズ(Torez)市付近でした。

9mmrd_boeing_7772h6er_cn_28411_ln_8 9M-MRD Boeing 777-2H6ER cn 28411 ln 84 2001/9/3 DMK

2001年9月にタイに出張した際にバンコク・ドムアン国際空港で撮影していた事故機9M-MRD

機体はBoeing 777-2H6ER cn 28411 ln 84 (9M-MRD)で1997年7月17日に初飛行し、7月29日にマレーシア航空に新造機として納入されています。エンジンはRolls-Royce Trent 892で座席配置はビジネスクラス35席、エコノミークラス247席です。事故までに43,000時間、6950サイクルの飛行を記録しています。

乗客乗員全員の死亡が確認されており、298名の搭乗者のうち、約2/3の193名はオランダ国籍、43名がマレーシア、27名がオーストラリア、12名がインドネシア、10名がイギリス、他となっています。この中にはメルボルンで開催予定の第20回国際AIDS学会の参加者が含まれており、当初の100名と報道されていましたが、後で6名と修正されました。

今年3月初旬頃、いわゆるクリミア危機の勃発以降から大韓航空、アシアナ航空、英国航空などはウクライナ東部の上空を避けて飛行するようにしており、国際民間航空機関(ICAO)は4月に各国政府に危険を通達しており、アメリカ連邦航空局も同様の通達を出していました。それでもアエロフロート、ルフトハンザ、シンガポール航空他の航空会社はマレーシア航空の事故が起きるまではウクライナ東部を飛行していました。

クリミア危機勃発以来、これまでにも何機かのウクライナ空軍機が撃墜されています。イギリスで行われている回収されたフライトレコーダーのデータ解析からミサイルのようなものが炸裂し、機体に穴が開き、爆発的な減圧が起きたことまでは分かったようですが、交信記録と照らしあわせても、操縦士らが墜落直前まで異変に気付いた様子はなかったようです。仮に炸裂したミサイルがBuk地対空ミサイルであると分かったとしてもそれを誰が発射したのかは事故機側の調査からは分からないと思います。

この事故が果たしてロシアからウクライナに運び込まれ、親ロシア派によって発射されたによるものなのか、まさに国際紛争まっただ中の現場で起きた事件のため、欧米を中心とする西側諸国の見解とロシア側の見解が大きく対立しており、さらに将来、1983年9月に起きた大韓航空機撃墜事件のように当事者が真相を告白することがあるのか現時点では全く分からない展開となりつつあります。

2014/9/10 追記: Dutch Safety Board は2014/9/9 この事故の予備調査報告書を公開しました。34ページからなるPDF版はこちらからダウンロード出来ます。

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2014年8月17日 (日)

西武 5000系 初代レッドアロー その4 登場後の5000系

前回、初代レッドアロー5000系の記事をアップしたのが7月16日で一ヶ月前でしたので、これからは従来シリーズと、イサカ出張の記事、さらに8月の旅行のレポートを交互に上げてゆきます。

5000系1969年10月の西武秩父線開業にあわせて、5501F、5503Fの2編成がまず準備され、その後、同年12月5505Fが落成しました。ここまでは外注方式で日立製作所で製造されましたが、1970年3月5507Fからは西武所沢工場で製造されました。

5000_6_198005_25511編成による新 愛称表示方式になったレッドアロー「ちちぶ」 1980/5 所沢 登場時から押し込み式通風器装備

5507Fまでは4連 
飯能・西武新宿クハ5500形(奇)-モハ5000形(奇)-モハ5000形(偶)-クハ5500形(偶) 池袋・西武秩父
でしたが、1974年2月に落成の5509Fからは中間電動車ユニットモハ5050形が池袋・西武秩父よりに組み込まれました。この編成から車内座席が回転式簡易リクライニングシートに変更されました。またクハ5500形偶数車にもトイレおよび車内販売準備室が新設されました。

1974年3月から5月にかけて、それまで4連だった5501Fから5507Fの6連化のため、モハ5050形5051~5058が新製され、既存の編成の座席の交換、クハ5500形偶数車の改造も施行されました。

5000_800524 5000系 「むさし」 1980/5/24 所沢 押し込み式通風器は増設されています。

この時期にVHF方式による列車無線の採用が決定しているため、クハ5509、5510は新製時より、5501~5508は追加改造で準備工事がなされました。
ただ、5505Fのみは6+4の10連運用対応のため、4連のまま残され、1976年6月のオール6連化までモハ5055、5056ユニットは竣功後2年近く、小手指検車区に留置されていたそうです。

5000 保谷検車区の横を通過する5000系 押し込み式通風器は未だ増設されていません。

1978年2月に予備車の確保目的で5511Fが新製されましたが、この編成は前面の愛称表示が電照式に変更され、愛称表示板もアクリル製の半透明のものに変更されました。さらに換気率の向上のため押し込み式通風器を新設し、冷房装置も改良型(FTUR-375-203C)を搭載しました。

5511Fが最終増備編成となり、従来の編成も5511F編成と同様の前面愛称表示の電照化改造工事が1978年以降順次施行されました。

5000_800601 こちらは新宿線「おくちちぶ」開設後、上り送り込み回送を営業運転にした「むさし」 1980/6/1 東伏見~武蔵関

5000_800601_2 上記の編成による「おくちちぶ」 1980/6/1 東伏見~武蔵関

当初は4+4や6+4編成、さらには101系との併結も想定して、電気連結器が装備されていましたが、1983年以降、順次撤去されてゆき、スカートの切り欠きのサイズも小さくなりました。5511Fに搭載された改良型冷房装置の5501~5509Fへの換装も1983年から1987年にかけて施行されました。

5000_810003 電気連結器が廃止されスカートの切り欠きが小さくなった5000系「ちちぶ」 所沢
エアコンキセのサイドにランボードが付いていますが押し込み式通風器は未装着です。

1987年から1988年にかけては更新修繕工事が全編成に対して施行され、車内内装パネルならびに床面ロンリュームが全て交換されたほか、クハ5500形奇数車のデッキ部分にカード式公衆電話ならびに清涼飲料水の自動販売機の新設、車内座席のフリーストップ式リクライニングシート化、デッキ部分への車内スピーカーの増設、トイレ設備の全面交換ならびにトイレ内への非常通話装置の設置など、施工項目は多岐におよびました。

1993年5月12日には池袋 - 西武秩父間でお召し列車が運行され、5507編成が充当されました。運行に際しては編成の方向転換を実施したほか、車内座席を赤色モケットの特別仕様のシートへ交換し、側窓ガラスを特殊強化ガラス製のものへ変更されています。

1993年には後継系列となる10000系の新製が開始され、同年のダイヤ改正より新宿線の定期特急列車「小江戸」が新設されたことによる「おくちちぶ」廃止に伴って、本系列は新宿線系統の定期運用より撤退しました。

1994年以降、本系列の代替目的で10000系が池袋線系統にも配属されたことに伴い、同年10月17日付で5509・5511編成が除籍され、本系列の淘汰が開始されました。10000系の新製に際しては本系列の台車・主要機器を流用する計画であったことから廃車は急ピッチで進められ、1995年に全編成が定期運用を離脱し、同年10月14日に開催されたさよならイベントならびに同年11月に新宿線系統で運行された団体専用臨時列車「小さな旅」における運用が最後の運行となった。その後、同年12月13日付で5503編成が除籍されたことをもって、本系列は形式消滅しました。

今回の記事を作成するにあたり、Wikipediaの当該記事の内容を参考に致しました。

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2014年8月16日 (土)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング10 B6 A320

昨日の記事ではUnited AlirlinesのA320について触れましたが、今回はJet Blue Airwaysが運航するA320について触れようと思います。

JetBlue(IATA: B6 ICAO: JBU)は1999年7月14日にJFK空港をベースに設立し、2000年2月11日にJFKとフロリダのフォートローダーデール間に就航した比較的新しい格安航空会社です。現在は国内線に加え、メキシコ、カリブ海諸国、南米北部への国際線を運航しています。

2001年9月11日の同時多発テロ以降、多くの航空会社が経営不振に苦しむ中、低コストで高い生産性を維持することで利益を得ている数少ない会社だそうです。

保有機材は
A320-232    130機 現役 12機 売却済み
   エンジンは IAE V2527-A5 コンフィグはY150 もしくは Y156
A321-231(WL)  8機 発注中 1機
   エンジンは IAE V2533-A5 コンフィグはY190
Embraer ERJ-190  60機  3機 売却済み (このタイプのキックオフカスタマーです。)
      エンジンは GE CF34-10E6 コンフィグはY100

なんと1機ごとに垂直尾翼の塗装パターンが異なるのですね。

かつて、BAが同じように垂直尾翼のパターンを世界の特徴的な絵柄で塗り分ける試みを行いましたが、経費がかかるので結局、ユニオンフラッグに統一されてしまいましたが、こちらはそれを実行しているのですね。さらに1機ごとにニックネームが付けられています。

以前に撮った写真と今回の出張で撮った機体の写真を載せます。

N507jb_airbus_a320232_cn_1240_02070 N507JT Airbus A320-232 cn 1240 2002/7/6 JFK
本拠地 JFKにて  ニックネームは Blue Crew

N521jb_airbus_a320232_cn_1452_14072 N521JB Airbus A320-232 cn 1452 2014/7/22 EWR

ニックネームはBaby Blue

N580jb_airbus_a320232_cn_2136_14072 N580JB Airbus A320-232 cn 2136 2014/7/26 EWR

ニックネームは Mo’ Better Blue

この写真の背後にマンハッタンのシルエットが見えますが、中央のひときわ高いビルは2001年9月11日の同時多発テロで倒壊したWTCツインタワーの跡地に建設中の One World Trade Center (1WTC) です。以前はフリーダムタワー(Freedom Tower)と呼ばれていましたが2009年に名称変更が決まりました。2014年終わり頃に完成予定だそうです。

Ground_zero_020706_nyc
この写真は2002年にニューヨークを出張で訪れた際のWTC跡地(グラウンド・ゼロ) 2002/7/6

グラウンド・ゼロは本来、「爆心地」を意味する言葉で広島、長崎の原子爆弾投下による爆心地、ネバタ州の世界初の核実験場跡地などを指していましたが、アメリカのマスコミがWTC跡地をグランド・ゼロと呼び、これが定着したそうです。

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2014年8月15日 (金)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング9 Airbus A320

7月下旬のアメリカ出張の際にシカゴやニューアークで見かけた旅客機の話題、これまではBoeing 旅客機の話題でしたが、今回はAirbusの話題で行きたく思います。

AirbusはA300以来、いろいろなサイズの旅客機を世に送り出して来ましたが、United Airlinesが導入したのはA320A319の2タイプです。

Airbus A320の開発経緯に関しては拙blog 2014/3/28の記事で記述しました。昔の写真を整理していたら、今は亡き Air Interが導入したA320-111の写真が出てきましたのでまずそれをご紹介します。

Fggec_airbus_a320111_cn_013_890820_ F-GGEC Airbus A320-111 cn 013 1989/8/20 CDG

1989年の西ベルリン留学中に夏休みの旅行でフランスに行った際にパリ シャルルドゴール空港内で撮影したものです。この頃はまだシュッドカラベル SE210 や11機しか製造されなかったダッソーメルキュールなども現役で活躍しており、メルキュールはパリ~トゥールーズ間で搭乗しました。

このA320-111は21機しか製造されなかったタイプで

cn 1    Airbus社 2x CFMI CFM56-5B4    Test bed             現役
cn 2, 5, 7, 9, 19, 20, 21 Air France   2x CFMI CFM56-5A1   9号機F-GFKCは事故消失 他はスクラップ
cn 6, 8 British Caledonian 2x CFMI CFM56-5A1 スクラップ
cn 11, 17, 18   British Airways スクラップ
cn 3, 4 10, 12, 13, 15, 16   Air Inter 15号機F-GGEDは1992年1月20日 ストラスブール空港着陸時事故

といったように1号機のみが現役のようです。

話を本題に戻しますと、A320は当初はヨーロッパを中心に運航されていましたが、ノースウエスト航空、ジェットブルー航空、Ted(UAの格安子会社)が導入したことでアメリカでも活躍範囲が広がり、アジアでも多くの航空会社が運航しています。

いつものようにUAのフリートリストを見てみるとA320に関しては98機(N401UA~N498UA)導入しており、すべてA320-232タイプでエンジンはIAE V2527-A5 コンフィグはF12Y126とF12Y132が圧倒的に多く、F12W12Y90がN401UA~N403UAの3機あります。既に1機 N450UAは他社に売却されています。

現在は恐らく殆どが旧コンチネンタルの塗装をベースとした現行塗装に変わっていると思います。

N405ua_airbus_a320232_cn_452_070120 N405UA Airbus A320-232 cn 452 2007/1/20 SFO

先々代の塗装に先代のレドームを装着しています。

N408ua_airbus_a320232_cn_457_060114 N408UA Airbus A320-232 cn 457 2006/1/14 SFO

この頃、2006年から2009年にかけてサンフランシスコ空港などでよく見かけたTed塗装のA320 

私の記録ではN407UA, N408UA, N451UA, N452UA, N471UA, N474UA, N478UA, N485UA, N496UA などがこの塗装になっていました。しかしAirliners.netの写真を調べて見るとどの機体も現在はTed塗装ではなくなっているようです。

N420ua_airbus_a320232_cn_489_060120 N420UA Airbus A320-232 cn 489 2006/1/20 SFO

先代の塗装を纏ったN420UA

N409ua_airbus_a320232_cn_462_140726 N409UA Airbus A320-232 cn 462 2014/7/26 ORD

そして現行塗装のN409UA

個人的には先代の塗装がA320には最も似合っていたように感じました。

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2014年8月14日 (木)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング8 Boeing 757

それにしても今年の夏はお盆の週の直前には台風の襲来とそれに伴う水害、さらにその台風が去っても列島上空は前線が停滞し、スカットしない天気の毎日のようですね。

さて、先週末からの京都、滋賀、岐阜、愛知方面の旅行で中断しましたが、あと少し、7月末のアメリカ出張での話題を続けようと思います。

前回の記事でUABoeing 767を紹介致しましたので今回はその兄弟機であるBoeing 757に行こうと思います。旧NW現DLなどが成田に乗り入れているので日本でも全く見ない飛行機ではありませんが、Boeing旅客機シリーズの中では日本の航空会社が全く導入しなかったタイプで日本では比較的マイナーな類の旅客機ですね。

N559ua_boeing_757222_cn_26657_ln_46 N559UA Boeing 757-222 cn 26657 ln 467 1998/6/24 LAX

三代前のBoeing 757 デビュー当時の塗装を纏ったN559UA

N567ua_boeing_757222_cn_26673_ln_49 N567UA Boeing 757-222 cn 26673 ln 497 2002/8/8 DEN

N597ua_boeing757222_cn_28750_ln_841 N597UA Boeing757-222 cn 28750 ln 841 2008/7/6 LAX

Boeing 757はBoeing 727の後継機という位置づけで1981年から2004年まで1050機が製造されました。Boeing社の旅客機としては最大のナローボディ(単一通路)旅客機です。

技術的には2人乗務のグラスコックピットとターボファンエンジンを備え、空力抵抗を抑制できるスーパークリティカル翼型の設計が採用された点が特徴です。開発はワイドボディ双発機のボーイング767と同時並行で行われ、757と767でシステムの共通化が図られ、パイロットの操縦資格も共通化されました。

N18119_boeing_757224_cn_27561_ln_75 N18119 Boeing 757-224 cn 27561 ln 753 1998/6/24 LAX

こちらは統合される前のコンチネンタル航空時代のN18119

シリーズとしては胴体長の異なる-200と-300がありますが、-200が1983年に最初の引き渡しが開始され、その後-200と共通のボディの貨物専用(-200PF)、貨客混載タイプ(-200M)が登場し、1999年になって-300が登場しています。エンジンはPW2000もしくはRR-RB211シリーズが選択可能でした。

キックオフカスタマーはイースタン航空とブリティッシュエアウェイズで両社ともロールスロイス製のエンジンを選択し、Boeing旅客機としては初の米国製以外のエンジン採用によるローンチだったそうです。イースタン航空がB757のローンチに加わったのは同社が多数のシャトル便を運航していたニューヨークのラガーディア空港はワイドボディ機の乗り入れを認めていなかったためでした。

ワシントン州のレントン工場で最終組み立てが行われ、1982年1月13日にプロトタイプ(RB211仕様)がロールアウトしています。初号機から5号機までが飛行試験に供され、同年12月21日にアメリカ連邦航空局から形式証明が交付されました。最初の引き渡しはイースタン航空に対して1982年12月22日に行われ、PW2037仕様の機体は1984年11月5日にデルタ航空に対して行われました。ln1の機体はBoeing社がN757Aとして登録所有しており、未だ現役(エンジンはPW2037)、ln2は-225 N501EAとしてイースタン航空が受領し、NASAを経て、現在はStarflite International CorporationがN144DCとして所有しています。

ヨーロッパでキックオフカスタマーのBA以外にモナーク航空エアーヨーロッパが早期に運航を開始し、デビューは成功したものの、直接競合する機種はなかったものの販売は伸び悩んだ時期もありました。ひとつにはマグダネルダグラスMD-80などのナローボディ機が価格的に安かったことも理由に挙げられています。その後、ノースウエスト航空が20機の大量発注を行い、さらにアメリカの空港の騒音規制の強化でアメリカン、UAなどが大量発注を行ったことで短距離国内線、大陸横断路線で主力機の地位を確立しました。

ヨーロッパではチャーター系の航空会社がBoeing757を好んで採用しました。Duesseldorf空港をベースとするLTUもそのひとつです。中国の航空会社も多く採用しています。

N595nw_boeing_757351_cn_32995_ln_10 N595NW Boeing 757-351 cn 32995 ln 1036 2006/6/03 DTW

-300タイプの胴体伸長バージョン デルタ航空に統合されたノースウエスト航空が導入していました。

そして1990年代後半の1996年9月2日、コンドル航空からの12機の発注で胴体延長モデル-300のローンチがなされ、これは-200のローンチからなんと18年後のことでした。-300は-200の胴体を7.11m延長し、定員を20パーセント増加させてものでした。1998年5月31日にロールアウトし、1000年3月19日にコンドル航空が初就航させています。しかし、このタイプの販売はアメリカンやUAなどの財政事情の悪化もあって低調であり、他のチャーター会社も興味を示さず55機で製造終了となりました。

N17122_boeing_757224wl_cn_27564_ln_ N17122 Boeing 757-224(WL) cn 27564 ln 768 2014/7/26 EWR

いつものようにUA Fleet Deatail and Histroyのサイトを見ると
UAとしてBoeing757の最初の機体はln 241の機体 元N501UAでアメリカ大手エアラインの中ではかなり遅い方です。トータルで162機のBoeing 757を運航しており、その構成は

・現役機   
122機   -222 WLありなし    60機  PW2040 もしくは PW2037
       -224  すべてWLあり  41機  RB211-535E4B 
              -33N      〃       12機   RB211-535E4C
              -324   〃        9機     RB211-535E4C
  -33NはATA: アメリカントランスエアーが受領した機体 

・他社へ売却済みの機体
10機   すべて -222
    1機はBoeing社へ、8機はFEDEX、1機はCargo Aircraft Managementへ
・ストア
26機    -222 および -222WL  
   14機はFEDEXへ売却予定
・スクラップ済み    -222(WL)
   2機 元N517UA cn 24861 ln 310
          元N532UA cn 25072 ln 366
・事故等
 N591A(-222 cn 28142 ln 718)で2001年9月11日の同時多発テロでニューアーク空港発サンフランシスコ行、93便として運航中に4名のテロリストにハイジャックされ、ピッツバーグ州Shanksville北方3.8kmに墜落し、乗員7名。乗客37名が死亡しました。    

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2014年8月13日 (水)

速報5 早朝の名古屋から、東海道をゆっくり東上

いよいよ京都、岐阜、名古屋の旅も最終日となり、まずは5:32発の東海道線上り初発の豊橋行で豊橋に向かいました。

185_b7
この電車が発車する10分前の5:22には東京から「ムーンライトながら」が到着します。実は昨日もこの列車が到着するのを見守りましたが、今日は編成が短縮、登場時の斜めストライプ塗装に戻されたB7編成4連が大垣方に連結されていました。

Photo
これまでも豊橋は18切符乗車で再三、来てはいるのですが、市電や豊橋鉄道渥美線を撮影していなかったので、

Photo_2
一見して元東急の7200系かなと思う車輌ですね。上毛電鉄700型などと同様、何色かあるようですね。

313
豊橋発7:48の920M浜松行きは373系でした。

1月には静岡~富士間で経験しましたが、東海道18切符の旅で、373系投入電車に巡り会うと得した気分です。

C58_49
掛川では中央公園に保存されているC5849号機を見学

D51_146
静岡では昨年9月頃から動く、動かないで話題がいろいろあった城北公園のD51146号機を見学して、そのまま東海道を熱海へ

185_c1
熱海では本日2度目の斜めストライプC15両編成と遭遇し、帰路につきました。

今回の旅行で、一体何両の保存車両を見たのか、すぐには数が出て来ませんが、写真を整理しつつ、記事に纏めてアップして行こうと思います。

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2014年8月12日 (火)

速報4 今日は再び雨の中、名古屋周辺の公園保存蒸気とリニア鉄道館を見学

朝、目が覚めると再び窓をたたく雨音、台風は去っているはずなのに、また雨かと思いつつ、今日は昨晩、プラニングしたとおり、名古屋から南の保存蒸気、保存車両を見学し、10時過ぎの開館後、リニア鉄道館を訪問することにしました。

まずは、名古屋発一番の豊橋行きで、大府へ。大府で武豊線に乗り換え、半田へ。

C11_265 半田駅横に展示されているC11265号機

半田駅横に展示されている武豊線を最後に走ったC11265号機を見学。この機関車、2つの瘤のうち、前方の砂だめは戦時スタイルの角形、後方の蒸気だめは丸形という変形タイプです。

続いて、刈谷に向かい、刈谷市交通児童遊園に保存されている、D51777号機と、名古屋市電1603号車を観るつもりでしたが、9時開館で、到着時7時15分には、入れず。

Photo 宮城道雄氏の慰霊碑 背後にJR東海道線 名鉄線のオーバークロス付近 写真の坂を下った道の向かいに児童遊園

実は刈谷ではもう一つ観るものがあり、この児童遊園のすぐそばに、大阪に向かう途中、急行銀河から転落されて落命された琴の大家、宮城道雄氏の慰霊碑があるとのことで、そちらに向かいました。

C1269

続いて、新快速で安城へ。安城総合運動公園に展示してあるC1269号機を見学に安城駅から歩いたのですが、到着する頃には雨の降り方が最高潮に。まさに傘をさしていてもGet wet to the skin 状態でした。

駅まで、バスで戻り、さらに岡崎へ

D51_688 駅から2kmほどの岡崎南公園にはD51、名鉄の連接車両モ400、そしてHSSTとティラノザウルスが展示されていました。

そして時間もだいぶたったので、刈谷の児童遊園を再訪し、
D51_777 D51777号機と名古屋市電を見学して、名古屋駅まで戻りました。

そこからはあおなみ線で、金城ふ頭へ、
Photo_2 こちらを初めて、訪問してきました。

詳細は、後日報告しますが、夏休みで子連れが多くて、はっきり言って疲れました(笑)。

今年は、5月の大宮センター公開のあと、大宮の鉄道博物館を初めて訪問し、これでJR北海道と四国以外の博物館はすべて訪問したことになるかと思います。

とりあえず、ホテルに戻り、少し休んだら元気が出てきたので、関西線で桑名へ、三岐鉄道北勢線をちらっと覗いて、さらに富田へ、JR富田駅の三岐鉄道ホームは貨物駅ですが、500mほど離れた近鉄富田駅で三岐鉄道三岐線の電車もちらっと写して、名古屋に戻りました。

明日は、名古屋から東海道をゆっくり、寄り道をしながら関東に戻る予定です。

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2014年8月11日 (月)

速報3 今日は京都から岐阜経由で名古屋へ

旅行中にblogの記事を書いて、皆様からコメントを頂けるというのも初めての経験ですね。

昨日は、結局、あの後雨も残っていましたし、電車の回復も遅かったので、再外出はあきらめました。

C57_128 琵琶湖の湖岸に近い大津市遊びの森公園に保存されているC57128号機

今朝は、京都駅を朝一番の琵琶湖線でまず、膳所へ。本来なら昨日、訪問する予定だった「大津市遊びの森公園」のC57128号機」を見学し、米原へ。

C11_155 C11 155 大垣こどもサイエンスプラザ

米原からJR東海に乗り換え、大垣へ。大垣では「こどもサイエンスプラザ」に展示してあるC11155号機」を見学。

D51_470 D51 470 岐阜梅林公園

513 モ513 号 岐阜 金公園

そして、岐阜へ。岐阜市内の梅林公園に展示されているD51470号機を見学した後、歩いて駅まで戻る途中の金(こがね)公園に展示してある名鉄のモ513号を見学。

Photo
美濃市に保存されている旧名鉄美濃駅駅舎と車両たち

さらに高山本線で、美濃太田へ、長良川鉄道で美濃市へ行き、旧名鉄美濃駅あとに残されている車両と駅の遺稿を見学し、さらに「うだつのあがる街並み」を見学し、来た道を岐阜へ戻り、岐阜から東海道で名古屋へ、18切符の旅+保存車両見て歩きの旅を楽しみました。

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2014年8月10日 (日)

速報2 梅小路蒸気機関車館を訪問してきました

本日、2本目の記事です。

京都地方は今まさに台風が通過しているところですが、午前中、ホテルから歩いて行けるので10時の開館に合わせて梅小路蒸気機関車館を訪問してきました。

140810

同館は鉄道100年を記念して1972年10月に開館し、私も1974年9月に関西、九州旅行の一環として訪問しましたが、今回は2度目でなんと40年ぶりの訪問となります。あのときの記事に後日、公開と書いてありますが、公開せずに今回の再訪になっております。

展示機関車としては1080号機と義経号(現在、展示に向けて修理中)が加わっていますが、どの機関車も当時と同じに美しく保たれている姿には感動しました。

2001_140810

また機関車館にゆく途中には京都市電2001号も展示してあり、そちらも見てきました。

後日、きちんとレポートする予定です。

Dsc08356

京都駅までバスで戻り、嵯峨野線で嵐山付近にゆこうかと思ったら、台風の接近もあり、京都駅発着のすべての列車が運行中止でした。

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速報 ただ今 京都・滋賀地方を旅行中

京都・滋賀方面の鉄道博物館等を見学する旅行として、9日の近江鉄道ミュージアム(彦根)の開館日に合わせて、9日からこちらに来ることにしました。

ご承知のように、予期していなかったのは足の遅い、しかも勢力の強い台風11号で、本日は梅小路蒸気機関車館を訪問する予定でしたが、今のところホテルで足止め状態です。とりあえず、午後から行動開始の予定です。

昨日は彦根の近江鉄道ミュージアム、

140809
長浜の長浜スクエア、

140809_2
そして近江鉄道の乗車を

140809_3

体験しました。近江鉄道はまさに旧西武ワールドですね。

詳細は戻りましたら、レポートします。

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2014年8月 8日 (金)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング7 UA Boeing 767

最近、拙blogの記事は鉄道blogではなくてすっかり旅客機blogになってしまっております(笑)。

地元の常磐線ではここ数ヶ月限定運用状態だったEH500の試作機901号機が7月初め頃から、本来運用に復帰し、1年4ヶ月ぶりに、ついに貨物列車2095~2094レを牽いて常磐線を往復するといった出来事もありました。また今週末からは夏休みを取って、関西、名古屋方面に鉄道撮影旅行を考えているのですが、台風の動きも気になるところです。

それでもまだシカゴ、ニューアーク空港 スポッティングネタがありますので、もう少し続けます。

今回はUAのBoeing 767について触れようと思います。といっても既に-400ERは触れているので、-300、-200を中心によく見るBoeing 767の話題です。

United Airlines Fleet Details and History のサイトの情報によるとUAはこれまで82機のBoeing 767を運航しており、51機が現在運用中、22機が他の会社に売却済み、5機がストア中、3機がスクラップ済み、1機が事件(N612UA cn 21873 ln 41 で2001年9月11日の同時多発テロ事件でボストン・ローガン空港発ロサンゼルス国際空港行175便として運航中ハイジャックされてWTC南棟に)に巻き込まれました。

N604ua_boeing_767222_cn_21865_ln_5_ N604UA Boeing 767-222 cn 21865 ln 5 1991/10/13 SFO

1991年サンフランシスコ空港で撮影した今から、3代前のUA塗装のBoeing 767-200

N617ua_boeing_767222_cn_21877_ln_46 N617UA Boeing 767-222 cn 21877 ln 46 2005/1/15 SFO

そのうち、-200は29機(元々UAの機体がN601UA~N620UAの20機と元々COの9機)ですが、すべて退役しており、20機が売却、5機がストア、3機がスクラップ、1機が事件で失われています。-300は37機で、2機が売却されています。-400は16機すべてが現役です。

N649ua_boeing_767322er_cn_25286_ln_ N649UA Boeing 767-322ER cn 25286 ln 444 1997/1/29 LAX

N672ua_boeing_767322er_cn_30027_ln_ N672UA Boeing 767-322ER cn 30027 ln 777 2003/1/11 SFO

N653ua_boeing_767322er_cn_2539_ln_4 N653UA Boeing 767-322ER cn 2539 ln 460 1998/10/2 LHR

ドブネズミ塗装のBoeing 767の中で異彩を放っていたのが、このN653UAで初代スターアライアンス塗装を纏っていました。同機はその後、現在に至るまで歴代のスターアライアンス塗装を纏っているようですね。

N641ua_boeing_767322er_cn_25091_ln_ N641UA Boeing 767-322ER cn 25091 ln 360 2006/1/20 SFO

先代の塗装を纏ったN641UA

現役の-300は Boeing 767-322ER (N641UA~N644UA, N646UA~N649UA, N651UA~N663UA)とBoeing 767-322ER(WL) (N664UA~N677UA)の2つのタイプが存在し、前者はPW4060エンジン装備、F6C26Y151のコンフィグであるのに対して、後者はPW4056エンジン装備、C30W49Y135のコンフィグでウイングレット装備となっています。後者のグループは当初、F34Y210のコンフィグでしたが、2012年夏頃から2013年2月頃に現在のコンフィグに変更され、ウイングレットも同時に装備されたようです。

-300に関してはレジやカスタマーコードから見てすべて元々UAの機体です。

N643ua_boeing_767322er_cn_25093_ln_ N643UA Boeing 767-322ER cn 25093 ln 368 2014/726 EWR

そして現在の元コンチネンタルの塗装を受け継いだN643UA

売却済みの2機はN645UA(cn 25280 ln 391)とN650UA (cn 25287 ln 449)で前者は2005年12月10日にAir Saharaに売却後、2007年3月2日にAircastleに転売され、現在はUR-GEAというレジでウクライナ国際航空で活躍しているようです。一方、元N650UAの方は2007年4月13日にSynergy Aerospaceに売却され、2013年7月12日からはHS-AACというレジでAsia Atlantic Airlinesで活躍しており、そういえばと思ったら、先週の土曜日成田で同機を撮影していました。

Hsaac_boeing_767322er_cn_25287_ln_4 HS-AAC Boeing 767-322ER cn 25287 ln 449 2014/8/2 NRT

Asia Atlantic AirlinesはHIS傘下のチャーター便を運航航空会社で2012年12月に設立された会社でバンコクを拠点に成田便を運航中です。

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2014年8月 7日 (木)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング6 Boeing 767-281

前回のBoeing 767-400ERに続き、今回は懐かしい元ANAのBoeing 767-281改造機の話題で行きます。

N769ax_boeing_767281bdsf_cn_22787_l N769AX Boeing 767-281BDSF cn 22787 ln 58 2014/7/22 EWR

ニューアーク・リバティ空港でターミナルC遠方の貨物エリアに駐機していたB767-200タイプ レジはN769AXでANAで活躍した-281型(JA8481)が退役後、アメリカのエアボーン・エクスプレスに売却され、その後ABX Airとして現在も活躍しているものとわかりました。

Boeing767の標準型として、-200タイプを日本の航空会社もANAが25機(JA8479~JA8491, JA8238~JA8245, JA8251,JA8252, JA8254,JA8255)、JALが3機(JA8231~JA8233)導入しましたが、ANAの所属機は2004年3月までに、JALの所属機は2010年3月に退役しました。

N769AXの現在に至るまでの履歴を調べて見ると

1983年6月14日にJA8481 Boeing 767-281としてデリバリーされました。エンジンはGE CF6-80AでコンフィグはY234でした。
JA8481時代は国内各地の空港で撮影していましたのでその写真をアップします。
Ja8481_b767281_cn_22787_ln_58_96082 JA8481 B767-281 cn 22787 ln 58 1996/8/26 CTS
Ja8481_b767281_cn_22787_ln_58_96121 1996/12/19 NGO 現在の県営名古屋空港です。
Ja8481_b767281_cn_22787_ln_58_97030 1997/3/6 HND
Ja8481_b767281_cn_22787_ln_58_98022 1998/2/26 KMI

1998年3月23日N769AXとしてAirborne Expressに納入され、Boeing 767-281PCというタイプに改造されました。さらに2003年8月15日にABX Air所属となり、タイプもBoeing 767-281BDSFとなりました。

ABX Airはオハイオ州ウイルミントン近郊のWilmington Air Parkを拠点とする貨物専用の航空会社で現在、DHLの運送業務をメインに受け持っているので塗装もDHL塗装になっているようです。またAir Jamaicaの貨物運送業務も代行しているようです。現在のフリート構成はBoeing 767-200Fを28機、うち15機がDHL Express, Boeing 767-300Fが7機、うち2機がDHL Expressです。

Ja8241_n793ax_boeing_767281pc_cn_23 N789AX  Boeing 767-281PC cn 23022 ln 104  2001/1/13 SAN

この写真は2001年1月にサンジエゴに出張した際に、空港内の貨物エリアに駐機するタイトルだけAirborne Expressになった元ANAのJA8491を撮影したものです。現在も活躍中で塗装はDHLの黄色塗装になっているそうです。

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2014年8月 6日 (水)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング5 Boeing 767-400ER

昨日のBoeing 747-8Iに続いて今回はBoeing 767-400ERです。

N76062_boeing_767424er_cn_29457_ln_ N76062 Boeing 767-424ER cn 29457 ln 869 2014/7/26 EWR
今回、ニューアーク空港で元コンチネンタルの-424ERを何機か目にしました。

Boeing 767は1980年代中期にセミワイドボディといわれる胴体、グラスコックピットを導入し、航空機関士を廃止した中距離用ジェット旅客機で、兄弟機といわれたBoeing 757とともにハイテク旅客機としてデビューしました。

当初は短胴型の-100も計画されましたが、ユナイテッド航空、アメリカン航空、デルタ航空の発注などで正式にローンチが決まり、1979年7月6日-200型が標準型として製造が開始されました。また同時期に開発されたBoeing 757との共通性もAPU、アビオニクス、操縦資格などに適用されました。

当初、積載コンテナのサイズからBoeing 707747などのローンチカスタマーだったパンナムから発注を得られず(以前ご紹介したようにパンナムはA300A310 を発注)、登場当初の販売は決して順調ではありませんでしたが、1983年頃から始まった双発機の洋上飛行制限の緩和(ETOPS)、さらに航空自由化政策による多くの航空会社の国際線参入で、受注数が増え、やがて大西洋線の主力機の地位を獲得するに至りました。派生型としては-200の燃料容量を増加させ、航続距離を延伸した-200ER、-200の胴体を6.43m延長し、座席数と貨物積載量を増加させた-300、-300に新型エンジンを搭載し、燃料容量も増加させ、航続距離を増やした-300ER、そして-300の胴体をさらに6.42m延長し、操縦席をBoeing 777タイプに変更したのが-400ERです。

N78060_boeing_767424er140722_ewr N78060 Boeing 767-424ER 2014/7/22 EWR

こちらも-424ER でレジの判別は難しいですが、この角度からだと主翼端のレイクド・ウイングチップの形がよく分かります。

-400ERの特徴はこれら以外に機首上げ時の尾部の接地を防ぐためのテイルスキッドの装備、メインギア(主脚)の46cm伸長、主翼端にレイクド・ウイングチップを設けた点などがあります。
1997年3月20日にデルタ航空から21機の確定発注を受け、正式にローンチし、1999年10月9日に初飛行しました。コンチネンタル航空からも発注を受けていますが、結局この2社のみが運航している形式となっています。

Boeing_767400_continentalfleet_list 表1 コンチネンタル航空が発注したBoeing 767-424ER のリスト 

Boeing767-424ERの場合も先のBoeing777-224ERの場合と同様、レジの番号を51~66に揃えるため、万と千の位の数字で空き番を揃えたのかと思われます。

N66056_boeing_767424er_cn_29451_ln_ N66056 Boeing 767-424ER cn 29451 ln 842 2009/9/27 CDG

以前、フランスに出張した際にシャルルドゴール空港でコンチネンタル時代の機体を見かけました。

N76054_boeing_767424er_cn_29449_ln_ N76054_boeing_767424er_cn_29449_l_2 N76054 Boeing 767-424ER cn 29449 ln 816 2002/4/14 NRT RWY16エンド

以前、コンチネンタル時代には成田にも就航しており、RWY16エンドでその姿を撮影していました。上の方の写真で胴体前方がえらく沈んで見えますが、これは主脚の46cm延伸のせいであること、今回初めて知りました。

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2014年8月 5日 (火)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング4 Boeing 747-8

トリプルセブンの話題に続いてはBoeing 747の話題に移ります。

アメリカの航空会社で旅客用のBoeing 747を運航しているのはUAの24機<Boeing 747-422 23機と元NWのBoeing 747-451 (N105UA)1機)>、DLの16機<すべて元NWのBoeing 747-451>だけかと思いますが、今回、シカゴ・オヘア空港でもニューアーク・リバティ空港でもこれらのBoeing 747には出逢いませんでした。

しかし、シカゴ・オヘア空港のターミナル1にはLufthansa航空のBoeing 747-830がいました。最初は-8Iとは気付かずに帰ってからレジを調べて分かりました。

Dabyn_boeing_747830_cn_37838_ln_149 D-ABYN Boeing 747-830 cn 37838 ln 1497 2014/7/26 ORD

いきなりこの写真を見ても、これが-400までのBoeing 747の全長70.66mに対して76.3mに延伸されたBoeing 747とは分からないかも知れませんが、

Dabvs_boeing_747430_cn_28286_ln_110 D-ABVS Boeing 747-430 cn 28286 ln 1109 2014/8/2 NRT

こちらの-430のBoeing 747と比較すると主翼前後で胴体が延長されていることが分かります。さらに-8Iでは-400に装備されていたウイングレットはなくなり、レイクド・ウイングチップに換わっています。

ちなみにこの塗装は2014年FIFAワールドカップ特別塗装ですね。

ルフトハンザ航空はこのタイプのキックオフカスタマーで同社以外には大韓航空、中国国際航空、アリクエア、トランスアエロ航空、VIP ORDERS(要人輸送用)のオーダーがあるようです。だた、Boeing 社としては-400の後継機として位置づけて開発しているのですが、A380の存在や、エンジンの選択肢が現時点ではGE製のエンジン(GEnx-2B67 66,500Ib)しかないこと、航空不況で超大型機が敬遠され気味であることなどから受注は伸び悩んでいるようです。

LHのWEBサイトの情報によると現在の就航都市は、ワシントン、デリー、バンガロール、ロサンゼルス、香港、メキシコシティ、シカゴ、ソウル、サンパウロとのことです。

Ja12kz_boeing_7478kzfscd_cn_36137_l JA12KZ Boeing 747-8KZFSCD cn 36137 ln 1422 2014/8/2 NRT

貨物機版のBoeing 747-8Fはすでに日本貨物航空でも就航しており、先日成田で撮影しました。

ちなみに今回のワールドカップ特別塗装Fanhansa塗装になったもう一機のBoeing 747-430 D-ABVKは2000年のハーノーファーEXPOを記念した特別塗装も施されており、その写真を載せます。

Dabvk_boeing_747430_cn_25046_ln_8_2 Dabvk_boeing_747430_cn_25046_ln_8_3 D-ABVK Boeing 747-430 cn 25046 ln 847 2000/8/19 NRT RWY16 エンド


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2014年8月 4日 (月)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング3 AA Boeing 777

ユナイテドのトリプルセブンに続き、今度はアメリカン航空のトリプルセブンの話題に行こうと思います。

アメリカン航空のフリートリストによると987機の所属機があり、トリプルセブンは61機所有しており、7機が発注中です。47機の-200型は全て-223ERで14機の-300型もすべて-323ERです。発注中の7機はすべて-333ERです。

アメリカン航空はテキサス州フォートワース市に本拠を置き、ダラス・フォートワース空港を本拠地とする会社で、その塗装はジェット機運航開始以来、長いこと

N770an_boeing_777223er_cn_29578_ln_ N770AN Boeing 777-223ER cn 29578 ln 185 1999/4/17 NRT RWY34エンド

N771an_boeing_777223er_cn_29579_ln_ N771AN Boeing 777-223ER cn 29579 ln 190 1999/5/30 NRT RWY 16エンド

これらの写真のようなポリッシュド・スキンでしたが、2013年1月に下の写真の様な新塗装に改められ現在、塗り替えが進行中です。

N795an_boeing_777223er_cn_30257_ln_ N795AN Boeing 777-223ER cn 30257 ln 315 2014/7/26 ORD2

シカゴ・オヘア空港 ターミナル1コンコースC撮影したアメリカン航空の新塗装のトリプルセブン

N765an_boeing_777223er_cn_32879_ln_ N765AN Boeing 777-223ER cn 30257 ln 315 2014/7/26 NRT

成田空港にもこの新塗装機が飛来しています。

2001年9月11日の同時多発テロ事件では11便と77便がハイジャックされ、テロに使われ、その後利用客の激減、経営悪化に繋がり、破産寸前前追い込まれますがなんとか持ち直しました。その後、徹底したコスト削減行い、2007年にはテロ後初の業績利益を達成するまで回復したものの、2011年11月29日についに破産申請を行いました。

2013年2月15日、長らく協議を続けてきたUSエアウエイズとの合併が正式に決まり、新生アメリカン航空として新たなスタートを切りました。

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2014年8月 3日 (日)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング2 CO Boeing 777

さて、今回の記事は現在はUAのトリプルセブンのフリートに属しているものの、元はコンチネンタル航空が発注したトリプルセブンについてです。
N78001_boeing_777224er_cn_27577_ln_ N78001 Boeing 777-224ER cn 27577 ln 161 NRT RWY16エンド

これらは22機いて、タイプはすべてBoeing 777-224ER です。
Exco_boeing_777224er 表1 元コンチネンタル航空のBoeing 777-224ER リスト

この表のようにline numberで並べると22機が綺麗に並ぶのですが、N5桁のレジの方は登録の際に”N780000機体製造順”で登録番号を取得したかったのが、すでに6,7機目あたりから既にそのレジが取得されていたので、下二桁が合うように万と千の桁を調整したのでしょうか。クラス別の座席数(Configration)に関しては22機すべて同一となっています。

N77014_boeing_777224er_cn_29862_ln_ N77014 Boeing 777-224ER cn 29862 ln 253 2000/4/29 NRT RWY16エンド

コンチネンタル航空がBoeing 777を受領して、ニューアーク~成田線に飛ばした際にもっとも印象的だったのがN77014のレジが付与された機体に施されたド派手な特別塗装でした。

N77014_boeing_777224er_cn_29862_l_2
N77014_boeing_777224er_cn_29862_l_3 同上 2000/1/2 成田第一ターミナル展望デッキ

同機の塗装は左右非対称でどちら側のサイドも写しとかなくてはということで展望デッキで写したのを憶えています。

同特別塗装機はその後、比較的早く通常塗装に塗り替えられたとは聞いていましたが、今回、ニューアーク空港で通常塗装で活躍するN77014に出逢いました。

N77014_boeing_777224er_cn_29862_l_4 N77014 Boeing 777-224ER cn 29862 ln 253 2014/7/26 EWR

通常塗装では誰も注目しない普通のトリプルセブンになってしまいます。

N37018_boeing_777224er_cn_31680_ln_ N37018 Boeing 777-224ER cn 31680 ln 397 2014/7/26 EWR

こちらも元コンチネンタルのトリプルセブンです。

N78017_boeing_777224er_cn_31679_ln_ N78017 Boeing 777-224ER cn 31679 ln 391 2014/7/26 EWR

こちらは新たな特別塗装として、現行のスターアライアンス塗装をまとった機体です。

この写真のようにニューアーク空港で写真を撮ると摩天楼のシルエットが背景に写し込まれます。

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2014年8月 2日 (土)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング1 UA Boeing 777

今回の行程は往復ともに同じルートでしたので、シカゴ・オヘア空港とニューアーク空港では往きと帰りにそれぞれ約2時間の乗り継ぎ時間を利用したスポッティングが出来ました。

まずはユナイテド系列の機体から紹介して行こうと思います。

ユナイテド航空はもともとボーイング社の輸送部門、ボーイング・エアー・トランスポートを起源とする会社で1934年の独占禁止法(反トラスト法)で分割されました。本社はここシカゴにあり、オヘア空港のターミナル1はまさにそのお膝元であり、最大のハブとなっています。

オヘア空港ターミナル1の雰囲気はユナイテド航空のその時の塗装によって変化すると言っても過言ではないほどです。今のユナイテド航空系列は2002年12月の経営破綻、会社更生法の申請といった危機を乗り越え、2010年コンチネンタル航空との合併以降、かつてのコンチネンタル航空の塗装を纏っています。

コンチネンタル航空の塗装は、白が主体ですのでターミナルも明るい感じです。二代前のグレーの屋根に濃紺のラインの時代はターミナル全体も随分暗い雰囲気でした。

まずはトリプルセブンから行きましょう。今回、その中でも元々UAのN***UAレジのトリプルセブンです。

N217ua_boeing_777222er_cn_30550_ln_N217UA Boeing 777-222ER cn 30550 ln 294 2014/7/22 ORD

UAはBoeing 777を  74機保有しており、すべて-200タイプの短胴タイプで、-200が19機、ー200ERが55機となっています。UAオリジナル(-222)の8機は既にブラジルのヴァリグ航空エアインディアに売却されています。
かつてコンチネンタル航空が保有していた777はレジをみれば、区別が付きます。UAオリジナルの場合はN***UA、コンチネンタルオリジナル(-224)の機体はNの後5桁の数字のレジとなっています。

N771ua_boeing_777222_cn_26932_ln_3_ N771UA Boeing 777-222 cn 26932 ln 3 2014/7/22 EWR

今回の出張でニューアーク空港で撮影した写真ですが、N771UA 通算3機目のトリプルセブンです。もっともUAには通算2機目のN774UAも現役で頑張っていますが。

N204ua_boeing_777222er_cn_28713_ln_ N204UA Boeing 777-222ER cn 28713 ln 191 2009/1/16 SFO

二代前の旧塗装時代のN204UA UAのトリプルセブンの200番台レジと700番台レジは-222と-222ERで分けられているわけではないようです。

N218ua_boeing_777222er_cn_30222_ln_ N218UA Boeing 777-222ER cn 30222 ln 317 2005/1/21 SFO

スターアライアンス塗装のN218UA

N785ua_boeing_777222er_cn_26954_ln_ N785UA Boeing 777-222ER cn 26954 ln 73 2006/5/28 NRT

そして先代の塗装を纏ったN785UA

今回、シカゴオヘア空港では数機この塗装のUA系列の機体をみましたが、殆どが現行のコンチネンタル航空の塗装に変わっており、700機もある機体をよくもまあ3年半で殆ど塗り替えられるものだと思いました。

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2014年8月 1日 (金)

ニューヨーク州イサカへ その3 NH012 NRT~ORD

成田から最初の経由地、シカゴまでのフライトはNH012便でBoeing 777-381ER JA783Aでした。

Boeing 777-300ERシリーズは現行777シリーズの決定版といわれるタイプで-200の胴体延長タイプの-300をさらに長距離バージョンにした派生型です。-300型に対して-300ER型では主翼端にレイクド・ウイングチップを装備しており、これは-200ER, 777Fにも装備されています。さらに胴体延長に伴う離着陸時のテイルストライクを防止するために、引き込み式のテイル・スキッド、テイルストライク・プロテクションシステム、セミ・レバー・ギアという3種類のメカが装備されています。

ANAは54機のBoeing777を保有しており、内訳は

-281         JA8197~8199,, JA8967~69, JA701A~JA706A,
-281ER    JA707A~JAJA710A, JA741A~JA745A              計 28機
-381         JA751A~JA757A
-381ER  JA731A~JA736A, JA777A~JA789A                  計 26機
エンジン形式は
-200が PW4074, 4074D, 4077, 4090 なのに対して
-300は -381がPW4090であり、-381ERはGE90-115Bを装備しています。

Ja783a_boeing_777381er_cn_27940_ln_ JA783A Boeing 777-381ER cn 27940 ln 737 2014/7/22 NRT

なんと最近はこんなサイトもあって、JA783Aがどんな路線に投入されいるか一目瞭然に分かるのですね。ここ数日、NRTから ORD, LAX, SFO, IAD, JFKと太平洋上を連日往復フライトしているのがわかります。

出発は第1ターミナル、南ウイング第4サテライト43番ゲートでした。言うなれば、第4サテライトの先端で、もっとも遠いゲートでした。

JA783Aの場合、ファーストクラス8席、ビジネスクラス スタッガード52席、プレミアムエコノミー24席、エコノミー166席の4クラス250席仕様のコンフィグレーションで、もちろん私はエコノミーでした。

Inflight_vision_140722_nh012
同じアメリカ行きの便でも西海岸行きの便に較べるとニューヨーク行やシカゴ行き、あるいはダラス・フォートワース行きは出発時間が早いですね。

座席に備え付けられているフライト・エンターテイメントシステムも随分進化しました。1986年に初めてアンカレジ経由のパリ行きで国際線に乗った際は自分が今どこを飛んでいるのかも分からず不安でしたが、やがてこのルートマップシステムが導入され、最初は大画面スクリーンへの投影でしたが、いつ頃からかパーソナル方式にかわり、現在に至っているのですね。
機内食は離陸後1時間くらいしてからサービスが始まり、洋食と和食の選択、そして着陸2時間前頃に朝食が出されました。

Inflight_vision_140722_nh0122
シカゴ空港への進入は一旦空港上空を通過し、ミシガン湖上空に出てから旋回し、東側からRWY27Lに降りたのかと思います。

Img_0017
シカゴ・オヘア国際空港のターミナル配置 2001年撮影

到着は国際線ターミナル5でした。現在でも入国管理施設はターミナル5にしかないため、如何なる国際便もターミナル5に到着するようです。

入国審査を受け、成田で預けた手荷物を受け取って、再びUAのカウンターで預けて、Airport Transit SystemでUAの第1ターミナルに向かいました。

Inter_terminal_shattle_140722_ord2 O'Hare International Airport Transit System

ゴムタイヤ方式で集電は第三・四軌条から行っています。1993年に設置され、路線全長は4.3kmです。24時間運転しており、運賃はかかりません。

ターミナル1駅で下車し、セキュリティチェックを通り、

Concorse_b_140726_ord

まずは、コンコースBへ、写真をよく見ると分かるのですが、コンコースBの屋根は独特の形状をしています。

Tunnel_b_to_c_140722_ord2
色とりどりのネオン管による装飾で有名なトンネルを抜けてコンコースCへ、

Concorse_c_140722_ord

一方、コンコースCの屋根はBの屋根に較べると押しつぶされた感じです。

Ua638_140722_ord
そして、2番目のフライト、ニューアークまでのUA638の出発するC30ゲートへ向かいました。C30ゲートも実はコンコースCの一番端でした。

もともとこのオヘア空港のある場所はDouglas C-54輸送機の製造工場用の飛行場だったそうで、1942年に空港の建設が行われました。3組の平行滑走路を含む7本の滑走路を持つ巨大空港で2005年までは離着陸回数が世界一の空港でした。ちなみに現在の一位はハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港で年間発着回数93万250回、シカゴ・オヘア国際空港は87万8108回で2位です。3位はダラス・フォートワース国際空港で65万124回(2012年の統計速報値)。

成田を午前11時少し前に出発して、11時間半、身体的には真夜中ですが、シカゴは14時間の時差で朝の9時前後、まさに時差ボケ生活の始まりです。

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