通勤電車シリーズ 103系 10 東西線乗り入れ用車両 その2 103系 1200番台
地下鉄東西線乗り入れ用として前回の301系についで増備されたのが、103系1200番台です。
西船橋を発車する11K運用の103系1200番台 1982/1/30
製造コストの低減のため301系の増備車として登場しましたので、編成は6M1Tの7両編成となり、103系としては最初のクモハ102の登場となりました。
予算的には、
昭和44年度第4次債務で第1編成
クハ103-1201 モハ103-1201~3 モハ102-1201/1202 クモハ102-1201 が製造され、
昭和46年度第3次債務で第2、3編成
クハ103-1202/1203 モハ103-1204~1209 モハ102-1203~1206 クモハ102-1202/1203
昭和52年度第1次債務で第4、5編成
クハ103-1204/1205 モハ103-1210~1215 モハ102-1207~1210 クモハ102-1204/1205
の計5編成、35両が製造されました。
地上信号バックアップ形のATC3を設置したため、大きな機器室は必要とはせず、乗務員室扉後方に戸袋窓が残されました。第2編成から側窓はユニット式となりました。さらに主電動機はMT55Aに変更されています。
中野駅で先輩301系と顔を揃えた103系1200番台 1982/1/30
この両方のクハを見較べると、車体の材質以外、前照灯の位置が異なることとそれに伴う表示窓の存在以外、殆ど違いが無いことが分かります。
301系と同様の理由で103系1200番台も帯の色がカナリア色から青に替わりました。また、冷房化はAU712方式で1988年から1990年にかけて施工されました。
常磐線転用の履歴もあり、私も1992年から1994年までの霞ヶ関勤務の時代に我孫子の車庫で休む1200番台を目にしているのですが、写真は撮り損ねていました。また、東西線では細井氏のコメントにあるように301系との混結編成も存在したとのことです。
クハ103-1200番台の履歴で見ると、1201と1202が松戸区で1993年に廃車となっており、1203~1205は三鷹区でその10年後の2003年に廃車となっています。松戸区への転属は1991年のことですから、この転属が大きく運命を分けたようです。
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コメント
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B767−281様 お早うございます。昨日とはうって変わって良い天気ですね。さて103系1200番台、正直301系からの各落ち感は否めなかったです。しかし当時の国鉄の状況ではしかたなかったと思います。さて常磐線での使用ですが、私も一回だけ乗車したことがあります。5両の附属編成として使われており、クモハ102が中間に入っていました。恐らく東西線の10両化で余剰になった車両の活用であったと思います。その後103系自体の廃車が進んできて異端車のため早期引退のなったようです。お邪魔いたしました。
投稿: 細井忠邦 | 2014年9月26日 (金) 08時24分
B767しゃん、おこんばんは(^^)お邪魔致しますよm(_ _)m地下鉄東西線用の103系1200番台ですわね。窓がユニット窓ですね。地下鉄千代田線用の1000番台は、窓が非ユニット窓でしたね。1200番台には…乗務員室扉後方に戸袋窓があるんですね。
投稿: マスダっち1971 | 2014年9月26日 (金) 18時41分
細井忠邦さま、こんばんは。
常磐線に転属した1200番台は、5両の付属編成を構成していたのですね。
履歴を調べて見たら、第1編成のモハ103/102-1202以外の車両と第2編成が転属したようで、第2編成の1ユニットは予備だったのか基本編成に組み込まれたの加ですが、松戸区の1200番台は皆、1994年までに廃車になっているのですね。
逆に松戸区の1000番台の一部が三鷹区に転属して東西線で活躍していましたね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年9月26日 (金) 20時55分
マスダっち1971さま、こんばんは。
103系のユニット窓というのはすれ違った編成を何気なく見ていてもユニット窓とそうでない窓の区別ができましたね。
試作冷房車が最初で、その後、次回の記事で触れる予定の関西地区登場のシールドビーム2灯化された非冷房の103系がそれに続きました。
ということで、1200番台の場合、微妙な製造時期の関係から第1編成は非ユニット窓、第2編成からユニット窓となっています。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年9月26日 (金) 21時00分
東西線乗り入れ用だった103系1200番台は、当初灰色の車体に黄色い帯を巻いていましたが、ぼくとしては見た当初営団の5000系が水色の帯を巻いていただけに違和感を覚えたものです。しかしあの103系1200番台の黄色い帯は、中央・総武緩行線の車両に合わせたものだったことが分かりました。
103系1200番台は5編成あり、最初の1本だけが103系1000番台と同じ非ユニット窓でしたね。また1200番台でも後期車はMT55Aモーターを装備していたためか、東西線の地下トンネル内での走行音が1000番台より大きくも感じました。1200番台はJRになった後の1989年、中央・総武緩行線の205系投入による誤乗防止のため、営団の5000系と同じ水色の帯に変更されましたね。
投稿: 乃木坂46四期生応援団 | 2019年5月 3日 (金) 09時58分
乃木坂46四期生応援団さま、おはようございます。
連休中、ネットが混雑しているのか、小平の家のJ-COM経由のネットが昨日辺りからやたらと繋がりにくくなっております。
わたしも301系の後継として103系1200番台が東西線乗り入れ車両として登場した頃、荻窪(杉並区清水3丁目)に住んでおりましたので、よく見ておりましたが、301系は最初帯無しで登場し、黄細帯、黄太帯、空色帯と変わって行きました。103系1200番台はその流れを受けてのものだと思います。もちろん黄色は中央総武緩行線のラインカラーですね。その後、中央総武緩行線に205系が配置され、誤乗防止から空色帯に替えられたとか聞いています。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2019年5月 4日 (土) 06時22分