« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »

2014年9月30日 (火)

近江鉄道ミュージアム訪問記 その6

2014年8月9日、年に数回の公開日に訪問した近江鉄道ミュージアムの訪問報告、最後は先日の西武鉄道新101系の記事で登場した元西武301系の303F, 309Fと軌道モーターカーや貨車に関してです。

尤も、301系電車や貨車に関してはミュージアムの展示物ではなく、たまたま留置してある場所がミュージアムの横といった方が正しいのかもしれませんが。

303Fは2012年11月に西武鉄道において廃車となり、サハ1301-3,4の2両を除いた6両と同じ時期に廃車となった295F2連とあわせて、2012年12月17日から18日にかけて、8両が近江鉄道に甲種輸送されました(関係記事)。彦根到着後は303Fの6連は3両ずつに分割されて留置されたとのことです(関連記事)。

1303f_140809_2 クハ1304側の3両 2014/8/9 彦根

譲渡から1年8ヶ月弱が過ぎていますが、同じ時期に到着した2連は活躍を開始していますが、301系編成の方は見た目には変わらないようです。

1303f_140809_7
反対側のサイドから 奥には2013年2月に譲渡された309Fの姿も見えます。

1303f_140809_3 303Fのクハ1303側の3連

さらに309F2012年12月に西武鉄道で廃車となり、M3M4T1T2を除く4両と同じ時期に廃車となった2連の281F,285F2013年2月5日に甲種回送されました(関連記事)。

309f_140809 また未改修の状態で彦根車庫内で休む309Fのクハ1310他4連

あとから製造されて組み込まれたM3M4T1T2が除かれて、1981年7月1日に製造されたときの編成に戻った4両ということになりますか。

今後、これらの元301系が近江鉄道においてどのような姿になって活躍するのかが楽しみであります。

続いて モ245です。

245_140809_m
245_140809_m2
側面にはモ245と表記された軌道用モーターカーで富士重工業 1966年製 自重11.6t 製番60 のTMC200Aというタイプだそうです(記事)。

TMC200Aでサーチしてみたら

030426

大船保線区404と表記されたTMC200A     2003/4/26    浜川崎   

かつて浜川崎のホームから撮ったこの車両がTMC200Aであることがわかりました。昔、何気なく撮ったこんな写真がこういうときに役立つとは思いもよらなかったです。

34_35_140809
140809_2
ワ34 ワ35 は1923年製造の有蓋貨車で救援用だそうです(記事)。下の無蓋車はト50形のようです(記事)。

これら以外にミュージアムの屋外展示物として

140809_m
折りたたまれたパンタグラフや

140809_m_2
輪軸などがありました。

以上で、近江鉄道ミュージアム訪問記は終わりです。次からは長浜スクエア訪問記です。長浜鉄道スクエアを訪問後、近江鉄道に部分的に乗車しておりますので、そのレポートも後日、掲載予定です。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月29日 (月)

ニューヨーク州イサカへ その5 イサカ空港とDHC-8

2014年7月下旬のニューヨーク州イサカへの出張、シカゴ・オヘア空港やニューアーク空港でのスポッティングの話題に続いてはニューヨーク州イサカ市のイサカ・トンプキンス・リージョナル空港の紹介と乗り入れる旅客機の紹介です。

まず、コードですが (IATA): ITH   (ICAO): KITH (FAA): ITH です。

イサカ空港に発着する定期便が就航している都市は、アメリカ国内線はニューアーク、ラガーディア、フィラデルフィア、デトロイト、ボルティモア、クリーブランド、シラキューズ、シャーロット、ノーフォーク、バッファロー、ロチェスターとカナダのモントリオールです。

乗り入れ航空会社はユナイテド・エクスプレス、USエアウエイズ、アメリカン、デルタの4社です。

イサカ市は氷河の浸食でつくられたFinger Lakesのひとつ Cayuga Lakeの南端に位置し、空港は市の北西にあります(地図)。滑走路はアスファルトのRWY14/32 2127m と芝のRWY15/33 615mの2本です(Ithaca Airport Wikipediaより)。

乗り入れている機材はどこの会社もデ・ハビランド・カナダ DHC-8です。
N936ha_de_havilland_canada_dhc8102_ N936HA De Havilland Canada DHC-8-102 Dash 8 cn 145 2014/7/26 ITH
イサカ空港におけるUSエアウエイズのDHC-8

DHC-81980年代初頭デ・ハビランド・カナダ社が開発した双発ターボプロップ機で1992年ボンバルディア・エアロスペース社との合併後も生産は続けられました。但し名称はダッシュ8に変更されました。
前作の50人乗りコミューター機 DHC-7は4発機で価格が高く、経済性にも問題があったのでDHC-7を発展させた双発機の開発が1979年に決定し、1983年7月20日に初飛行しました。
N368ph_de_havilland_canada_dhc8202q N368PH De Havilland Canada DHC-8-202Q Dash 8 cn 512 2014/7/22 ITH
こちらはユナイテドエクスプレスのDHC-8-200
尾翼の陰に隠れていますが、管制塔が見えます。

主翼は直線翼で高翼配置とし、主脚はエンジン後部に収納されます。従って離着陸の際に主脚の動きが客席窓からもよく見えます。エンジンはプラット・アンド・ホイットニー・カナダ製のPW120 (2000HP)2基を搭載しています。尾翼はT字翼です。

N837ca_de_havilland_canada_dhc8311_ N837CA De Havilland Canada DHC-8-311 Dash 8 cn 554 2014/7/26 EWR
こちらは同じユナイテドエクスプレスのDHC-8-300   ニューアーク空港

Ja801k_dhc8300_011028_hnd JA801K DHC-8-300 2001/1/28 HND
DHC-8-300は日本でも活躍していました。この機体は2011年に売却されています。

シリーズ100 -DHC-8-100 が基本形式で1984年に就航した37-40座席のバージョンです。
続いて、エンジンをより強力なPW123 (2100HP)にした-200シリーズ、そして胴体を3.4m延長した-300シリーズ 1989年に就航した50-56席バージョンと発展しました。

N339ng_de_havilland_canada_dhc8402q N339NG De Havilland Canada DHC-8-402Q Dash 8 cn 4339 2014/7/26 EWR
-400型になるとさすがに胴体をめいっぱい伸ばしているという感じがします。

合併後、ボンバルディア・エアロスペース社が改良した派生型をQシリーズといい、1996年以降製造が開始され、現在もQ400の製造が続けられています。Qは低騒音型を意味しているそうです。コックピット計器類は改善され、機体各部の製造に三菱重工業が製造参加しています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月28日 (日)

西武新101系 その4 300番台4連は8連化されて301系に

西武鉄道の新101系の話題、今回は第11次車の後半、1980年12月から登場した4連の話題です。

301_820829_2 各停 所沢行 として所沢に到着する301F  1981

301_810003_2 クハ1302 最後尾 
2枚合わせても本当に8連貫通?と思われるかも知れないので、下に中間車の写真を加えました。

4連は1980年10月261Fまで登場しており、263Fからの番号は飛ばされて、301Fからの4連が1980年12月に登場しました。これらの4連は1981年7月までに309Fまでの5編成が製造され、さらに8月からはモハユニットとサハ2両による中間車4両が組み込まれ、8連となりました。形式表記は4連時代は101系と表記されており、後に301系と書き改められたそうです。ということで、実質的には新101系の8連バージョンとして301系の登場となりました。

301 表1 新101系→301系 第一陣5編成の竣工日と製造所

4連に対する中間車の組み込みで

飯能 Tc1   M1(PP)  M2      T1        T2       M3(PP)   M4      Tc2 池袋
    1301   301     302   1301-1  1301-2    301-1   301-2   1302

といった番号の編成が出来上がりました。付随車サハの製造は551系サハ1551以来となりました。

301_810003_3 上の写真と同じ編成のM3のモハ301-1

301_810003_4 さらに折り返して池袋に向かう編成のT2 サハ1301-2です。

301_810003_5 新101系の特徴である、凹みの部分の色ですが、新101系300番台→301系登場の頃も未だ西武チョコレート色ではなく濃いベージュであったことが分かります。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月27日 (土)

1989年のDüsseldorf Airport その16 Aviogenex Boeing 737-200

冷戦下の西ドイツ1989年のDüsseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回は2014.7.21の記事でご紹介したAviogenex航空のBoenig 737です。

Yuanu_cn_24139_1530boeing_7372k3adv YU-ANU cn 24139 ln1530   Boeing 737-2K3Adv 1989/5/5 DUS

Aviogenex航空はセルビア共和国のベオグラード Nikola Tesla空港を拠点にドイツなどにチャーター便を運航する会社ですが、1989年当時、フリートは前回、ご紹介したBoeing 727の他、Boeing 737も5機運航しておりました。2013年10月までは2014.8.24の記事でご紹介した同じセルビア共和国最大のエアラインJAT航空との間でウエットリース契約を結んでおり、Aviogenexの機材、乗員がJATの便として運航されることもありました。

またAviogenexのサービスの一環として、Boeing 727, 737のメインテナンス技術提供も行っており、B check レベルまで引き受けてました。

ちなみに航空機におけるcheckのレベルとは

A check: 500-800 飛行時間ごと、200-400飛行サイクルごと 20-50人・時間の検査で通常は空港のゲート、ハンガーなどでオーバーナイトで行われる検査で内容はエンジン・オイルや作動油や酸素などの点検・補充をして、傷みやすい動翼類・タイヤ・ブレーキ・エンジンなどを中心とした検査となります。

B check: 4-6ヶ月ごとに 150 人・時間の検査で1-3日間 空港のハンガー等で行われ、内容的にはエンジン関係を中心とした詳細な検査となります。

C check: 20-24ヶ月ごとに 実飛行時間や製造者が決めた飛行時間ごとに行われる検査で1-2週間かけて行われ、6000 人・時間の検査で、さまざまな系統の配管と配線・エンジン・ランディングギアなどについて入念な検査が行われ、機体構造の検査や各部の給油や装備品の時間交換などが行われます。

D check: 6年に一度の最も重要な検査で、塗装は完全に剥がし、50,000 人・時間かけて 最大2ヶ月間かけて行われる。機体構造の内部検査及び防錆処置と各システムの諸系統に対しての点検や機能試験も行われます。また大規模な改修もこの検査で行われます。

余談ですが以前、NHKの地球ドラマチックでBritish AirwaysのBoeing 747-436 (G-CIVX)のカーディフ空港検査場でのD-checkの模様を扱った番組をみた憶えがあります。番組ではヴィクターエックスレイと言ってましたが、おそらくG-CIVXのことかと思います。

(こちらはWikipediaの記事を参考にしました)

Yuanx_cn_20227_178boeing_737281_890 YU-ANX cn 20227 ln178     Boeing 737-281 1989/5/4    DUS

因みにこの機体はcustomer code -81から分かるようにANAが発注した機体でANA時代のレジはJA8402だった機体です。

Boeing_737281_ja8402wmf_3
表1 Boeing 737 cn 20227 ln 178 の履歴

ANAを退役した後、中華航空で働き、その後Aviogenexのフリートに加わり、最後はパナマのコパ航空で活躍しました。現在は既にスクラップになっているそうです。Aviogenexでの活躍期間はおよそ7ヶ月だったのですね。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月26日 (金)

通勤電車シリーズ 103系 10 東西線乗り入れ用車両 その2 103系 1200番台

地下鉄東西線乗り入れ用として前回の301系についで増備されたのが、103系1200番台です。
1031200_820130 西船橋を発車する11K運用の103系1200番台 1982/1/30

製造コストの低減のため301系の増備車として登場しましたので、編成は6M1Tの7両編成となり、103系としては最初のクモハ102の登場となりました。

予算的には、
昭和44年度第4次債務で第1編成
クハ103-1201 モハ103-1201~3 モハ102-1201/1202 クモハ102-1201 が製造され、
昭和46年度第3次債務で第2、3編成
クハ103-1202/1203 モハ103-1204~1209 モハ102-1203~1206 クモハ102-1202/1203
昭和52年度第1次債務で第4、5編成
クハ103-1204/1205 モハ103-1210~1215 モハ102-1207~1210 クモハ102-1204/1205
の計5編成、35両が製造されました。

地上信号バックアップ形のATC3を設置したため、大きな機器室は必要とはせず、乗務員室扉後方に戸袋窓が残されました。第2編成から側窓はユニット式となりました。さらに主電動機はMT55Aに変更されています。

1031200_301_820130 中野駅で先輩301系と顔を揃えた103系1200番台 1982/1/30

この両方のクハを見較べると、車体の材質以外、前照灯の位置が異なることとそれに伴う表示窓の存在以外、殆ど違いが無いことが分かります。

1031200_940801 301系と同様の理由で103系1200番台も帯の色がカナリア色から青に替わりました。また、冷房化はAU712方式で1988年から1990年にかけて施工されました。

常磐線転用の履歴もあり、私も1992年から1994年までの霞ヶ関勤務の時代に我孫子の車庫で休む1200番台を目にしているのですが、写真は撮り損ねていました。また、東西線では細井氏のコメントにあるように301系との混結編成も存在したとのことです。

クハ103-1200番台の履歴で見ると、1201と1202が松戸区で1993年に廃車となっており、1203~1205は三鷹区でその10年後の2003年に廃車となっています。松戸区への転属は1991年のことですから、この転属が大きく運命を分けたようです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月25日 (木)

公園保存蒸気 C12 49号機 桐生が岡遊園地

昨日に続いて蒸気機関車の話題となります。

今回は2014年4月5日、桜がちょうど満開の頃、栃木県の大田原市から、小山まで戻り、両毛線で足利へ、さらに群馬県桐生市へと足を伸ばしました。

桐生が岡公園は、桐生駅の北北東の方角に北方に広がる山地の中腹にあります。桐生駅北口を出て、上毛電鉄の東のターミナル、西桐生駅の前を通り、約30分歩くと到着します。
140405_2 毎度おなじみの上毛電鉄西桐生駅 駅舎 2014/4/5

140405 途中から上り坂になりますが、桜が綺麗に咲いていました。

140405_3 山の中腹に桐生が岡遊園地・動物園があります。

C12_49_140405_1 本記事の主役 C12 49号機は遊園地の入口付近の広場に屋根付きで保存されています。この機関車を観る分には入場料は必要ありません。今年は誕生80周年で、「ありがとう80ねん」のHMが飾られていました。

C12_49_140405_2 正面から 連結器は銀色に

C12_49_140405_3 公式側 非常に綺麗に整備されています。

C12_49_140405_14 川崎重工の製造番号まで入っているナンバープレート

C12_49_140405_12_2
以前、久留里線小櫃駅横の小櫃公民館に保存されているC12287号機をご紹介しましたが、あの機では後部前照灯の斜め下両側に風穴があいていましたが、こちらはそのような穴はありません。

この機関車の履歴を沖田祐作氏の機関車表のデータから見てみると

C1249      川崎重工兵庫工場=1466            1934-03-00 S50.00t1C1t(1067)
   車歴;1934-03-00 製造→ 納入;国鉄;C1249→ 配属;東京局→1934-03-24 竣工→
      1934-04-07 配置;桐生→1954-08-09 借入;宇都宮→1954-08-14 返却→
      1955-06-14(6/12?)借入;宇都宮→1955-06-23(6/24?)返却→
      1955-06-24 借入;小山→1955-07-01 返却→1959-01-12 借入;宇都宮→
      1959-01-17 返却→1963-02-20 一休指定→1963-02-25 指定解除→
      1963-02-27 一休指定→1963-03-26 指定解除→1963-06-08 一休指定→
      1963-06-28 指定解除→1967-11-08 一休指定→1968-04-05 指定解除→
      1968-10-01 高崎一→1968-10-17 廃車[関東支社達80];高崎一→
      保存;群馬県桐生市「桐生ケ岡公園」;C1249(最終走行距離=1,323,325㎞)

1934年製造ですからまさしく今年、満80歳です。桐生区に配置後、宇都宮、小山、高崎と北関東で過ごし1968年に廃車となっています。現役時代よりも、保存されている期間の方がはるかに長くなっています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月24日 (水)

郡山車両基地まつり 2014  その2 保存蒸気 78693号機

2014年9月6日の郡山車両基地公開レポート、2回目は公開の時しか見ることのできない保存機78693号機です。

78693_140906研修用教材であるため公式側はご覧のようにカットボディとなっています。 2014/9/6

78693_140906_6 正面から、片側がカットされているため、多少違和感はありますが・・・

78693_140906_9 キャブ横のナンバープレートの下には大正14年日本車両製造のプレートが

78693_140906_12 炭水車の水槽もカットされているので、水槽の大きさが実感できます。

78693_140906_13 ボイラー中央部上方に存在する蒸気溜に貯まった蒸気を乾燥管を通してピストン・シリンダーに送るのを制御するのが加減弁ですが、ふだんは外からでは見ることができない弁の構造、配置がわかります。

78693_140906_15_2 8620形の場合は単式空気圧縮器を装備しており、蒸気圧を利用して圧縮空気をつくり、制動装置に利用しています。

78693_140906_19 煙室内の配管の様子や蒸気管がシリンダーに導かれる様子がわかります。

78693_140906_3
この機関車の履歴をいつものように沖田祐作氏の機関車表から

78693      日本車輌名古屋工場=137           1925-08-00 S46.75t1CT(1067)
   車歴;1925-08-00 製造→ 納入;国鉄;78693→1925-08-27 使用開始[仙管達754];仙台局→
      1933-07-31 現在;米沢→ 新小岩→1941-11-16 常陸大子→1955-08-01 現在;常陸大子→
      水戸→1962-03-31 廃車[達137];水戸区土浦支区→
      保存;福島県郡山市JR 東日本「郡山工場」;78693

1925年日本車両の製造で、仙台局に配置、米坂線や水郡線で使用され1962年に廃車となっています。蒸機としては比較的早い時点での廃車ですね。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月23日 (火)

EF200形電機 13号機

EF200形電機シリーズ、今回は13号機です。製造は日立製作所で1992年10月1日に落成しています。

いつものように2003年頃からの写真をアップして行きます。

Ef20013_030328 2003/3/28 新大阪
梅田貨物線をラストスパート

Ef20013_041107 2004/11/7 浜川崎
首都圏到着後の間合い運用

Ef20013_050708 2005/7/8 山崎
早朝の山崎、サントリーカーブにさしかかる

Ef20013_060211_3 2006/2/11 尻手 (後追い)
間合い運用で尻手連絡線へ進入待ち

Ef20013_080224 塗装変更後 2008/2/24 岸辺

Ef20013_081210 2008/12/10 元町
元町カーブは上り列車の撮影名所

以上です。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月22日 (月)

近江鉄道ミュージアム訪問記 その5

2014年8月9日、年に数回の公開日であったため台風の接近する荒れた天気の中を訪問した近江鉄道ミュージアム、これまでの記事で展示されていた古典的機関車は紹介しましたので、これからは電車や貨車をご紹介致します。
501_140809_m 近江鉄道の保育園「ほほえみ園」の遊び場「ほほえみパーク号」として資料館の横に置かれた501号電車 さらにその奥には元西武クモハ291号 2014/8/9 彦根

501_140809_m2 荒天のためフォーカスが甘い写真ですが、如何にも保育園といった感じのラッピングを纏った501号

まずは500系の501号です。1969年から1983年にかけて近江鉄道車両工場で製造された(正しくは、オリジナルの車体に国鉄車輌の部品を組み合わせたもののようですが)通勤電車で最盛期は2両編成6本、12両が在籍したそうです。1980年代は西武鉄道の赤電塗装とよく似た塗装を纏っていたようです。西武から譲渡された401系改造の800系に置き換えられ2010年に最後の506Fが廃車・解体となりました。501Fの501号は近江鉄道が経営する保育園「ほほえみ園」の遊び場として保存され、ミュージアム資料館の横に存置されています。505Fの2両は貨車チ11形(11+12)に改造され、220形に連結され、レール輸送等に利用されているそうです。
501_140809_m3 同車両の反対側、エアコンの室外機がなんとも・・・

続いて501号の奥に留め置かれている元西武クモハ291です。
こちらは、2014年9月2日9月11日の記事でご紹介している西武新101形2連、1979年夏に登場した8編成のうちの1本です。
2008年12月269F, 273F, 291Fが廃車となり、武蔵丘に回送され、269Fとクモハ291の3両は2009年3月に近江鉄道に譲渡されました(その際の模様はこちらに)。

291_140809_m 501号車の奥にはクモハ291

269Fは後日、紹介する900形「淡海号」として運用に就いていますが、クモハ291は最初から部品取り目的だったのか、この写真の様な状態でミュージアムの米原より線路に置かれていました。

291_140809_m3 果たしてこの車両は今後どうなるのでしょうか?

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月21日 (日)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング14 EMB

2014年7月下旬のアメリカ出張の際に見かけた旅客機のシリーズ今回は前回に続いてRegional Jetでエンブラエル E-Jetです。

まずは国策企業からブラジルの輸出産業の旗手になったエンブラエル社の旅客機製造の歴史から見て行くと、同社が最初に製造した地域路線線用の双発ターボプロップ機(定員19~22名)がEMB110 バンデイランテでした。バンデイランテはポルトガル語でボーイスカウトの意味だそうです。
1960年代中期
に製造が計画され、1965年に設計が開始され、1972年8月9日に初飛行、1973年4月16日に初就航しました。1990年、後継機EMB120 ブラジリアが登場し、500機で製造は中止されましたが同社を世界的航空機メーカーにしたヒットモデルでした。

N298sw_embraer_emb120er_brasilia_cn N298SW Embraer EMB-120ER Brasilia cn 120290 2008/7/6 LAX

EMB120は30席クラスのコミュータ路線用の双発ターボプロップ機で愛称に首都のブラジリアを付けました。1983年に初飛行し、南北アメリカ、ヨーロッパの多くの航空会社が運航し、今日も改良されながら製造が続いています。
N803ae_embraer_emb135kl_erj140lr_cn N803AE Embraer EMB-135KL (ERJ-140LR) cn 145483 2014/7/26 ORD

同社が手がけた最初の小型ジェット旅客機がERJ145(定員50)で、1989年に計画が発表され、1995年8月11日に初飛行し、ATR-42ボンバルデイアDHC-8-300などのターボプロップ機の置き換え用として重用され、アメリカやヨーロッパで多く運航されています。ERJ145の基本モデルに対して、航続距離延長モデルERJ145ER,さらに燃料搭載量を増やして航続距離を延長したERJ145LR,さらに燃料タンクの増加、ウィングレットの追加、エンジン換装でさらに航続距離を伸ばしたERJ145XRなどが製造され、一方で欧州向けモデルERJ145EU,さらには胴体長短縮モデルERJ140, ERJ135なども製造されています。

N411yx_embraer_erj170200lr_175lr_cn N411YX Embraer ERJ-170-200LR 175LR cn 17000374 2014/7/26 ORD

前回のボンバルディアCRJシリーズがビジネスジェット機チャレンジャー600から発展したように、こちらも50席クラスのリージョナルジェットERJ145の事業化の成功を受けて、70席以上のジェット旅客機の開発に着手し、1999年2月に最初のモデルERJ170の開発計画が発表されました。6月に最初の発注があり、2001年10月29日にロールアウト、2002年2月19日、初飛行、2004年に形式証明の取得、引き渡しが開始されました。

E170の胴体延長モデルであるE1752003年6月に初飛行が行われ、2005年7月から引き渡しが開始されました。N198jb_embraer_erj190100igw_190ar_c N198JB Embraer ERJ-190-100IGW 190AR cn 19000021 2014/7/26 ORD

E175をさらに大型化したE1902004年3月12日初飛行し、ファーンボロー航空ショーで初公開されました。引き渡しは2005年ジェットブルー航空に対して行われています。

最大モデルE1952004年12月7日に初飛行し、パリ航空ショーで公開されました.2006年9月Flybeへの引き渡しが行われています。

胴体断面はダブルバブル、真円をふたつ重ねた構造をしており、立ち上がった際の天井の窮屈感を解消しています。

今回、3年ぶりのアメリカ出張でしたが、前回のボンバルディア機や今回のエンブラエル機のような新興勢力が大型化して従来のBoeing 737 やAirbus A319などのライバル機に成長している状況には驚かされました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月20日 (土)

西武新101系 その3 4連の一部は701系冷改グループの相棒に

1979年夏から登場した新101系、今回は10次車、11次車として登場した4連の話題です。

Table1 表1 10次車と11次車(一部)で出場した新101系の編成

1980年4月1日に10次車として、東急車輌から5編成、さらに4編成が秋までに所沢車両工場から11次車の一部として出場して走り出しました。10次車の登場で第2代501系がお役ご免となりました。11次車はこの後、300番台の編成が4連で3本、1981年3月末までに出場し、さらに1981年5月と7月にさらに2本出場し、さらに中間車が出場し、最終的に8連化され301系となります。その話題は次の記事に回しますが、10次車、11次車で出場した4連の最大の注目点は、抑速制動システムを殺して、701系冷改グループと併結可能にしたことでした。11次車の登場で新宿線から551系が追われました。

101n_253f_8205
4連の準急 新所沢行 1982/5 東村山

253Fが最初に併結可能編成として、登場し電連カバーが黄色く塗られたのを記憶しています。
101n_810004_3 こちらは新101系4連+401系冷改の6連 新所沢行 準急 1981 所沢

新宿線における701系冷改グループの4連と2連の編成両数調整のための措置とは思われますが、当時登場したての新101系がこういう役割を担うとは驚きでした。
101n_810003_2
所沢で赤電編成(721F)と顔を合わせた新101系 1981
一方で、未だ未改造の701系と101系の本来の性能を殺して701系冷改グループのお助けに回った新101系が共存するという光景も見られました。

最終的に253F~261Fがこの措置を採られたようで、主制御器名はMMC-HTB-20E3となったようです。1988年に新宿線に新2000系が配属になると一部の車両は抑速ブレーキ無効化は解除となり、池袋線に転属し、1997年701系冷改グループが淘汰された後は全編成、抑速ブレーキの無効化が解除されたそうです。
101n_810805_4 新101系4連+401系(437F)の準急 拝島・多摩湖行 1981/8/5 新大久保

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月19日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その15 Hapag-Lloyd の Boeing 727

東西分裂時代の西ドイツ、Düsseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回はハパクロイドのBoeing 727です。

Dahls_boeing_72789_cn_19139255_8905 D-AHLS Boeing 727-89  cn 19139  ln255  1989/5/7 DUS

実はこの機体、日本にも大変縁が深い機体です。

JALと2006年10月1日経営統合した日本エアシステム(JAS)日本国内航空時代1966年に導入した2機のBoeing 727-100のうちの一機、JA8315(愛称は羽衣)であり、さらにJALにリースされて「よど」と命名され、1970年3月31日「よど号事件」に巻き込まれた日本ではかなり有名なBoeing 727です。同機は1972年に合併後の東亜国内航空にリースバックされ、「たかちほ」と命名されました。しかし、東亜国内航空はジェット機の機種をより経済性の高い、ダグラスDC-9としたため、Boeing 727の運航は1年半あまりで終了となりました。

日本国内航空からJAL時代の懐かしい写真はNAVERに纏められているようです(サイト,2, )。

この機体の登録の履歴を追っかけてみると表1のようになります(元データはこちらから)。

Table_1_b72789_cn_19139 表1 Boeing 727-89  cn 19139  ln255 の登録履歴

因みに、日本国内航空はもう一機Boeing 727-89 (cn 19138 ln 246) を導入しており、そちらはJA8314と登録されていますが, 1975年11月29日にHapag Lloydに売却されていますが、こちらはその後、Air Djibouti、 Condor, SCIBE Airliftと渡り、1983年5月5日にスクラップにされています。

Dahls_boeing_72789_cn_19139255_89_2 D-AHLS

なお、Boeing社のproduction listによると-89のカスタマーコードが与えられたcn 19396 19397は製造されなかったようです。

西ドイツに留学する前に、航空雑誌の記事で「よど号」のBoeing 727が当時、西ドイツで活躍中という記事は読んでいましたが、まさかDuesseldorf空港で見かけるとは思ってもいませんでした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月18日 (木)

通勤電車シリーズ 103系 9 東西線乗り入れ用車両 その1 301系

通勤電車103系の歴史を製造順に追っかけているシリーズ、今回は地下鉄東西線乗り入れ用103系1200番台の順番ですが、この車両を語る上で避けて通れないのが国鉄通勤電車最初のアルミ車で登場した301系かと思います。ということで、301系について今回の記事で触れ、次回、103系1200番台について触れようと思います。

301_820130 中野を出発し、東西線に入る301系 1982/1/30

まずは地下鉄東西線の歴史を振り返ってみようと思います。

1917年内務省によって設置された「東京市内外交通調査委員会」が出した答申のひとつに現在の東西線の原型となる池袋~高田馬場~飯田橋~大手町~州崎といった路線計画がありました。1920年に東京鉄道に特許が下付されましたが、1923年の関東大震災の後、工事未着手を理由に特許が抹消され、1925年に東京市が特許を取得したものの、こちらも建設に至らぬまま、1941年に帝都高速度営団に引き継がれました。一方、東陽町~西船橋に相当する区間は戦前に東京成田芝山電気鉄道による免許申請がなされ、1927年に交付されるものの1940年失効となりました。

1946年1月より、戦災復興院での復興計画案のひとつとして地下鉄建設が計画され、12月に「東京復興都市計画鉄道」として5路線が告示となりました。このうちの5号線が「中野~高田馬場~水道橋~大手町~東陽町」とされ、1957年の「都市計画審議会」において「中野~高田馬場~飯田橋~大手町~茅場町~東陽町」となりました。

1962年の都市交通審議会答申第6号において、東京5号線は「中野方面より高田馬場、飯田橋、大手町、茅場町及び東陽町の各方面を経て船橋方面へ向かう路線」として示され、1964年には経由地を浦安・行徳とし、西船橋で総武線と接続するように答申が改訂されました。

1964年10月27日、5号線を東西線と呼ぶことが決まり、12月23日高田馬場~九段下間(4.8km)が開業しました。このときは車両を導入する設備がなかったので、開削工法区間のトンネル天井を開き、地上からクレーンで1両ずつ地下線に下ろして導入しました。春日三球・照代の地下鉄漫才を思い出しますが。

1966年3月16日、中野~高田馬場間(3.9km)開業、九段下~竹橋間(1.0km)開業
1966年4月28日、荻窪駅まで直通運転開始(当初は営団側のみからの片乗り入れ)
1966年10月1日、竹橋~大手町間(1.0km)開通、国鉄301系が投入され、相互直通運転開始。

当時は私は杉並区沓掛町、後の清水3丁目に住んでおり、毎朝荻窪から国立まで電車で通学していましたので、この頃の様子はよく見ていました。荻窪まで地下鉄東西線や中央線緩行電車が来たときはまだ総武線は旧形72系が多く走っていました。

1967年9月14日、大手町~東陽町間(5.1km)開業
1969年3月29日、東陽町~西船橋間(15.0km)開業 全線開業
1969年4月8日、相互乗り入れ区間を三鷹まで延長

地下鉄東西線は最初の開業から4年半で全線開業になりましたが、区間が伸びるたびに地下鉄路線図が改訂され、それを駅で入手するのも当時の楽しみのひとつでした。

301_820130_2 西船橋を出発する三鷹行 301系編成 1982/1/30

さて、国鉄側の乗り入れ車両の301系1966年10月の登場で、
営団5000系に合わせて TcMM'MM'MM'cの7両編成となりました。川崎重工と日本車輌で1966年に5本、1969年に3本製造されており、三鷹電車区に配置されました。国鉄が初めて製作した地下鉄対応の車両であり、アルミニウム合金車体を初めて本格採用した車両でもありました。また空気バネを採用した通勤車としても異色の車両でした。製造所が川崎重工と日本車輌が選定されているのは1962年製造の山陽電鉄2000系の製造経験を持つ川崎重工と1963年北陸鉄道6010系の製造経験を買われてのことでした。

アルミ車体であるが故の特徴として、窓枠の加工の困難さからユニット窓方式になっている点、さらに鉄粉などの異種金属の付着を徹底的に洗い落とす必要性から、雨樋の高さも高く設定されました。

台車はダイレクトマウント式空気バネ台車のDT34, TR204形を履き、103系と較べると乗り心地は大幅に改善されました。空気バネ台車にした理由は車体の軽量化にともなう揺れの軽減目的だそうです。

私も記憶していますが、登場時はアルミ地肌にクリアラッカーを塗り、黄色のテープを側面窓上に配置したスタイルでした。第5編成からは側面窓下にもラインが入り、前面も当初は銀色一色でしたが、窓下に黄色い帯が巻かれ、帯から黄色の板に変化しました。

1981年に輸送力増強のため、7両編成6本から、10両編成4本に組成変更が行われました。
その方法は
編成AB   TcMM'MM'MM'c     を    Tc- -MM'c x2 と MM' MM' x2 に
編成CDに TcMM'c を連結して TcMM'MM'MM'c+TcMM'c 10連2本
MM' を電装解除して T サハ301-101 -102に 
編成EFに  MM'Tと組み込んで10両貫通編成2本に。 MM' 1ユニットが休車に

301_820130_2_2 編成組成変更後の7+3 編成 クハ、クモハの運転機器は撤去され、窓ガラスは塗りつぶされています。  1982/1/30 西船橋

10年後の1991年に再度、10連化が行われており、このときは103系1200番台も交えた変更が行われています。この編成替えでサハ301-103が誕生しています。

301940801 かつてJNRと入っていた表示窓はJRになり、AU712で冷房化された301系 1994/8/1 西荻窪

3019408012 同編成の後追い写真 クモハ300 1994/8/1

1989年に中央総武緩行線に205系が登場し、ステンレス地に黄色の帯であったため、誤乗防止の観点から東西線のラインカラー(青22号)に変更されました。1990年から1992年にかけて、一部の車両を除いて更新工事が施工されました。

301系は1990年にそれまで115系が保持していた単一系列の登場から初廃車までの最長記録23年を更新しました。これは営業区間に踏切が無かったこと、他地域への転属が無かったことが理由と考えられています。

JR東日本の103系を首都圏から一掃する方針の決定により、最終置き換え計画が決定し、後継車のE231系800番台の竣工と交替する形で運用を離脱して行きました。最後は2003年6月10日に定期運用を終了しています。現在もクモハ300-4、1両が大宮総合車両センターで保管され、残存しています。

以上、Wikipediaの該当記事を参考に作成致しました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月17日 (水)

保存機関車 EF60 123号機 足利駅前

日本中のいろいろな場所に保存されている鉄道車両を観て歩くシリーズ、今回は両毛線足利駅前に保存されているEF60 123号機です。

Ef60_123_140405_3 JR両毛線 足利駅前に保存されているEF60 123号機             2014/4/5

この車両は129両製造されたEF60 0番台の中でも1964年7月から10月にかけて製造された100号機以降の第5次量産車に属し、形態はその前の第4次量産車(84~99号機)とおなじ、前照灯が2灯シールドビームに変更され、側面は通気口の上に明かり取り窓を配した構造となりました。その後に製造されたEF65形とほぼ同一の形状となっています。

沖田祐作氏の機関車表のデータによると

EF60123    川崎重工兵庫工場=308/= 川崎電機       1964-09-26 E96tBBB(1067)
   車歴:1964-09-26 製造→ 納入;国鉄;EF60123→1964-10-12 配属[達47];中部支社→
      1964-10-12 発送;鷹取機関区→1964-10-13 配置;米原→1964-10-13 到着;米原→
      1965-10-14 使用開始→1965-09-28(9/27?)稲沢二→1968-07-04 借入;岡山→
      1968-09-03(9/2?)返却→1968-10-03(10/11?)岡山→
      1984-01-30 高崎二→1986-11-00 一休指定→1987-03-31(3/2?)廃車;高崎二→
      保存;栃木県足利市「足利駅前」;EF60123(最終走行距離2,727,626㎞)

東京オリンピックや東海道新幹線の開業直前の1964年9月26日に川崎重工で落成し、米原区に新製配置されています。1984年1月に高崎第二機関区に転属するまでは東海道・山陽線一筋で働き、貨物列車運転の大きな方針転換や国鉄民営化の荒波にもまれる形で1987年3月31日を持って22年半の現役生活を終え、廃車となっています。
Ef60_123_140405_40 運転台屋根上の避雷器がLA15になったのが第4次量産車からで、さらにそれに爆発時の飛散防止にカバーが付けられたのが5次車からだそうです。モニター屋根部分が斜めなのがEF60のこのタイプの特徴でEF65では垂直になっています。

この時期に多くの僚機が廃車解体される中でこうやって解体を免れ、今日もその美しい姿を留めているのは極めて幸せなことですし、しかも現役期間よりもすでに長く保存機としての余生を送っていることになります。

Ef60_123_140405_28
運転台や機械室を見学することも可能です。

Ef60_123_140405_9
メーター類、速度計は破損していますが、上段は電圧計、下段は圧力計

Ef60_123_140405_14
機械室内部 コンプレッサーでしょうか?

Ef60_123_140405_19
電極むき出しといった感じで走行中にこの場所にはいたくない感じです。

Ef60_123_140405_26
ノッチ投入、進段とともにこのリレー類がカチカチと動いていったのでしょうか?

Ef60_123_140405_39
蒸気機関車に較べて電気機関車の場合はどちらかと言えば静的ですが、日本の鉄道から機関車が牽引する旅客列車が消滅しかかっている現在、貨物用機関車でも良いですから、是非こういった形で機関車を残し、内部の機構をきちんと説明する形で残していくべきかと思います。

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月16日 (火)

郡山車両基地まつり 2014  その1 C63 1 1/5モデルによるライブスチーム

速報版でお伝えした2014年9月6日(土曜日)の「郡山車両基地まつり 2014」の様子をこれから数回に渡って、報告したく思います。

2014_140906 今回の「郡山車両基地まつり」のパンフレット

郡山駅や会場入り口で配布されていたパンフレットです。裏面はスタンプラリーの台紙でした。

140906 車両基地正門 バスや徒歩で会場に入場する際の入り口です。正確にはJR東日本の「郡山総合車両センター」、JR貨物の「郡山車両所」と表札には記されています。

鉄道イベントで毎度のようにみられる巨大な浮き輪のような半円状のゲートは今回は見られませんでした。入ってすぐのテントが本部でした。 2014/9/6

<C63 1 1/5 モデルによるミニSL>

第一回は郡山工場特製のC63設計図に基づいたミニSL実演についてです。

C63形蒸気機関車は国鉄最後の制式蒸気機関車として計画され、1956年設計図までは完成したものの、製造は行われなかったいわゆる幻の機関車として有名な蒸気機関車です。

1955年当時、戦後の復興による財政難で電化は遅々として進まず、気動車やディーゼル機関車の技術は未成熟であり、動力近代化を着実に進めてゆける状況ではなく、一方で既存の機関車の老朽化は進み、輸送需要の増加に伴って機関車不足が深刻となり、手戻りを承知で蒸気機関車の新製もやむを得ないとの判断が下されました。

当時、老朽化が深刻な状況にあったC51形を置き換える目的で地方ローカル線における客貨両用目的での使用を前提とし、C58形をベースに設計がなされました。

設計は

1)ボイラーを全溶接構造として圧力を16kg/cm2から18kg/cm2に昇圧する。
2)1軸従台車の台車枠をばね上装荷として乗り心地向上を図る。
3)下方の一部を切り取ったデフレクターを採用する。ドイツのヴィッテ式と同様の煙室から支持部材を水平につきだして固定する方式をとる。
4)テンダ台車へのコイルバネやオイルダンパを新規に採用する。
5)軸受けはローラーベアリングとする。ただし、一部は戦後製のC59形・C61形・C62形と同様、動輪軸・先輪軸をプレーンベアリング、従輪軸と炭水車車輪軸をローラーベアリングとし、比較検討する。

といった点が従来にないものであり、軸配置は1C1(プレーリー)となりました。

1956年、設計図が完成し、試作車の製造命令が下されるのを待つ状態にまで至ったのですが、同時に無煙化の進捗状態と機関車の需給の再検討が行われ、現段階では蒸気機関車の製造が絶対に必要とは言えないとの結論に達し、当分の間製造を見送り、情勢を見守るということになりました。その後、交流電化およびディーゼル機関車・気動車の技術が確立し、急速に電化・ディーゼル化が進むこととなりました。

さらに、1959年には「動力近代化計画」として1960年度より、15年で蒸気機関車を全廃する計画が立てられ、実行に移されたため、C63形の製造決定が下されることはなくなりました。

郡山工場(郡山総合車両センター)では若手職員への蒸気機関車関連技術継承の目的で、設計図を元に1/5スケールのライブスチームが製造されました。

今回、郡山駅職員に尋ねたところ、この模型は数年前までは駅に展示されていましたが、今は基地に移され、イベント時などに運転されるとのことで、今回はそれを見るのが参加の一つの目的でした。

C63_1_140810 梅小路蒸機機関車館 展示室にあるC63形の模型 2014/8/10

Dsc08144 梅小路蒸気機関車館扇形庫の奥に展示されている蒸気機関車のナンバープレート 実在した機関車のプレートとともに幻のC631のプレートも展示されています。 2014/8/10

なお、京都の梅小路蒸機機関車館にもC63形の模型やナンバープレートが展示されており、1974年9月に訪問した際に見た憶えがあり、この夏の再訪問でも再会しました。

C63_1_51_140906_29 イベントで活躍中のC631号機 

デフレクターの取り付け方式は設計図とは違っているのかもしれません?

C63_1_51_140906_3 ふだんのイベントで走っているライブスチームではこれほど熱心写真は写したことはありませんが、郡山の場合はC631号機だけに細部まで気になって写真を撮ってしまいました。従台車やテンダーの台車はやはり、従来になかった台車のようです。

C63_1_51_140906_2 土地柄、SLばんえつ物語号を模した客車2両を牽引して、約100mの直線線路を往復していました。

C63_1_51_140906_22 発車の際の黒煙の上かり方はかなりリアルです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月15日 (月)

EF200形電機 12号機

EF200形電機シリーズ、今回は12号機です。製造は日立製作所で1992年8月24日に落成しています。前回の11号機よりも落成時期は早いのですが、番号は12号となっています。

いつものように2004年頃からの写真をアップして行きます。

Ef20012_040715 2004/7/15 浜川崎
南武支線の終点、浜川崎駅での定番ショット

Ef20012_040903 2004/9/3 広島 
広島駅に進入する下り貨物列車

Ef20012_050705 2005/7/5 清洲

Ef20012_070811 2007/8/11 新秋津
3972レの前に付いて新鶴見まで回送 、塗装変更後の姿

Ef20012_070819 2007/8/19 新川崎
新鶴見機関区でしばしの休憩

Ef20012_081212 2008/12/12 鷹取を通過
奥のDD51は川崎重工からのEF210-152の甲種回送列車

Ef20012_090613 2009/6/13 関内
今も残る、首都圏の間合い運用、根岸専用貨物列車

この夏、東海道沿線で何回か見かけたのがこの12号機でした。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月14日 (日)

特急「北近畿」 その20 485系から183系へ part19

JR西日本で活躍した485/9系改造の183系の話題、最後はC編成の話題です。

183_c32_101210_2 C32編成 北近畿 2010/12/10  島本

C編成の構成は
←京都・東舞鶴 クハ183+モハ182+クモハ183 で2009年冬の編成表によると、6本存在し、

C31                      705        201      201
C32                      709        202      202
C33                      706        203      203
C34                      707        204      204
C35                      710        205      205
C36                      708        206      206     となっていました。

183_c34_100708 C34編成のクモハ183-204 2010/7/8 新大阪

これらの編成は1991年に「スーパー雷鳥」の七尾線乗り入れに際して吹田工場・松任工場でモハ485形の前位に切妻貫通型運転台を設置し、クモハ485-201~207に改造し、3両の付属編成化したものです。車両後位車端には電話室も設置されました。室内は指定席仕様として座席床面を7cm嵩上げし、フリーストップリクライニングシート設置し、クモハの定員は60名となりました。

     クモハ485-200/モハ484  ←  モハ485/484
            201/321                     219/321
                     202/322                     220/322
                     203/332                     235/332
                     204/333                     236/333
                     205/343                     246/343
                     206/344                     247/344
                     207/608                     239/608      

1997年3月22日の改正で「スーパー雷鳥」用の付属編成は一部「しらさぎ」に転用されることになり、米原駅で増解結が行われるようになりました。このときに-201,203,204の3編成が転用され、旧国鉄特急色に準じた塗装変更を受けました。2001年にスーパー雷鳥が廃止となり、しらさぎの従来編成がスーパー雷鳥編成に置き換えられた際に、クモハ485-200台のユニット組み合わせも交換されています。
その「しらさぎ」も2003年の改正(3月15日4往復を683系化、7月19日完全に683系化)で全車運用から外れ、この時点でクモハ485-205が廃車となり、他の6両が交流機器使用停止措置を受けて、クモハ183-201~206 に改造されました。
クハ183-700番台(交流機器を完全撤去)はB編成に701~704が組み込まれており、残りがこちらのグループに組み込まれています。

183_c33_060619 C33編成 2006/6/19 千里丘

2003年に転入した時点では
Mc183-201-M'182-201(484-322)-Tc183-204(481-235)
           202           202      -318             202      -222
           203           203      -344             203      -227
           204           204      -336             206      -263
           205           205      -325             205      -254
           206           206      -316             201      -201   といった構成だったようです。

最後は駆け足になりましたがこれにてJR西日本の183系シリーズは終わりです。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月13日 (土)

近江鉄道ミュージアム訪問記 その4

2014年8月9日の公開日、近江鉄道ミュージアムで見学した車両の話題ですが、今回はロコ1101形です。

1101_140809_m 1101形 電気機関車 2014/8/9 近江鉄道ミュージアム

この機関車は1930年に当時の阪和電気鉄道が発注した30t凸型機関車で、東洋電気(電気関係)と日本車輌(車両関係)の合作で1両のみ製造されました。軸配置はB-Bで天王寺駅構内での国鉄との貨車授受作業に充当されました。駅構内には33/1000勾配があったため、発電・回生ブレーキを装備していました。

1500V高圧直流車でありながら、路面電車などと同様の直接制御方式を採用している点がユニークで、タイトな構内配線と急勾配の連絡線という使用環境で間接制御によるノッチ操作のレスポンスの遅れを嫌って敢えてこの方式を採ったのではと考えられています。

阪和電気鉄道はもう1形式ロコ1000形(後の国鉄ED38形)も製造しており、こちらは本線用電気機関車で、1号機は今でも秩父鉄道の三峰口駅に保存されています

1101_140809_m2 中央の運転台を挟んで前後のボンネットが点対称形にオフセットされています。

1940年、阪和電気鉄道は南海鉄道によって合併され、さらに1944年、国家買収で国鉄阪和線となり、使用は継続されていましたが、1950年廃車となり、翌1951年7月10日、近江鉄道に払い下げられました。入換え機としてはかなり優秀であったため、彦根駅構内、および住友セメント彦根工場専用線の入換え専用機として、1986年6月30日まで使用されました。2000年に近江鉄道本線にATSが設置された際に、同機には設置することができず、本線での運用が不可能となりました。近江鉄道での廃車は2004年だそうですが、今でも自走可能な機械として登録され、保存されています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ

にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月12日 (金)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング13 CRJ

2014年7月下旬のアメリカ出張の際に、シカゴ空港、あるいはニューアーク空港で見かけた飛行機の話題、UAの機材を中心にいろいろな機体について触れてきましたが、今回からはUA Expressなどで活躍中のRegional Jetについて触れようと思います。

最初はボンバルディア(Bombardier) CRJシリーズです。カナダのボンバルディア・エアロスペース社が製造・販売しているジェット旅客機のファミリーで、胴体長の短い方からCRJ100/200, CRJ700, CRJ900, CRJ1000の4タイプがあり、座席数、航続距離の違いで細かい派生型に分かれています。

最初のモデル CRJ100が初飛行したのが1991年5月10日で、それ以来1600機以上が生産され、同社を世界3位の航空機メーカーにした立役者であります。

Cgqja_bombardier_crj200er_cl6002b19 C-GQJA Bombardier CRJ-200ER (CL-600-2B19) cn 7963 2008/7/1 YVR
CRJ200の航続距離延長型でスターアライアンスcsですが、エアカナダ傘下のJazz Airの機体です。

Halnb_canadair_cl6002b19_regional_j HA-LNB Canadair CL-600-2B19 Regional Jet CRJ-200ER Malev Hungarian Airlines cn 7686 2003/7/1 TXL

ハンガリーのマレブ航空の機体です。2003年のテーゲル空港

かつては短距離路線の場合、ジェット機よりはターボプロップ機の方が経済的に優れていると考えられていましたが、1970年代以降規制緩和が進んで地域航空で使われる機材が大型化し、路線網も拡大するとその需要特性に合わせた高速で静粛なジェット旅客機が求められるようになりました。カナディア社はビジネスジェット機チャレンジャー600を当時製造しており、同機の設計を流用して低価格で経済的な小型ジェット機の開発を模索していました。この構想が具体化されたのがCRJ1001987年にその基本設計が開始され、ボンバルディア社の傘下になった後もCanadair Regional JetのイニシャルをとったCRJが残されました。

CRJ100を最初に就航させたのは統一間もないドイツのルフトハンザ・シティーライン1992年11月のことでした。その後、エンジンをGE製のCF34-3B1に変更したCRJ200が標準型(227号機以降)となり、CRJ200の初号機はオーストリアのチロリアン航空1996年1月に引き渡されました。

1995年以降、リージョナルジェットの市場の成長に対応するため胴体の延長型(計画名CRJ-X)の検討が進められ、客席数が70席程度になることからCRJ700と命名され、1999年5月27日に初飛行が行われました。2002年2月にフランスの航空会社ブリテールに最初に引き渡されました。

さらに胴体の延長が計画され、2000年7月のファーンボロー航空ショウで計画が公となり、客席数が90席程度からCRJ900と命名されました。2001年10月20日に初飛行が行われ、2003年2月、アメリカのメサ航空に最初の引き渡しが行われました。

現在、我が国では三菱重工業などによるMRJプロジェクトが進行中ですが、CRJ700や900の開発、製造にも三菱重工業は参加しており、胴体後部とエンジンパイロンの設計と製造を担当したそうです。その後、Boeing787の開発計画に参画することになり、開発・生産のリソースをそちらに集中させる必要性からボンバルディア社との契約は解消したそうです。

ブラジルのエンブラエル社がERJE-Jetといったライバル機を市場に投入することでCRJファミリーの進化が求められるようになり、新規設計のCシリーズの開発と平行してCRJファミリーの設計の見直しも進められ、Next Generation (NextGen)と呼ばれる改良版が公開され、CRJ900NextGen2007年6月にパリ航空ショウで公開され、同月ノースウエスト・エアリンクに引き渡されました。さらにCRJ1000NextGen2009年7月に初飛行し、形式証明取得後、2010年12月スペインのエア・ノストラムとフランスのブリテールに引き渡されました。

N501mj_canadair_cl6002c10_regional_ N507MJ Canadair CL-600-2C10 Regional Jet CRJ-701ER cn 10077 2014/7/26 ORD

UA Expressといっても単独の航空会社ではなく、全米各地のローカル航空会社がUnited Airlinesと提携して、UAのハブ空港とその周辺のローカル空港を結ぶ便を運航しているのが実態で、現在は11のローカル航空会社(Regional Airlines)がメンバーになっているようです。2010年10月1日のコンチネンタル航空との合併の際には、それまでコンチネンタル・コネクション、コンチネンタル・エクスプレスとして運航していた会社もUnited Expressへの統合が認められました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月11日 (木)

西武新101系 その2 2連から4連へ

1979年7月から、101系の9次車として登場した新101系のシリーズ、2回目は編成番号と竣工日時を対応させながら、話を展開しようと思い、まず表1を作成しました。

Table_1_1019                   表1 101系 9次車製造リスト

新101系は1979年7月、最初に東急車輌製の2両編成(281F~295F)の8本が出場しました。前回の記事でのマスだっち1971氏やMiO氏のご指摘から、これら編成は池袋線、新宿線の両線に振り分けられて活躍したことが分かります。

5ヶ月後の1979年12月、同じく東急車輌から4両編成(235F~243F)が出場し、さらに所沢車両工場からも12月中227F 、続いて年度末の2月から3月229F~233Fが出場しています。これらの編成から、前面凹みの部分の塗色が少し濃くなりました。

101n_800224_2 4連も登場した新101系 1980/2/24 池袋

新101系は従来の101系の構造、システムを踏襲していますが、2000系設計時の思想も継承しており、その例が運転台の高さが150mm高くなっていることだそうです。さらに計器盤はブラックフェイスとなり、ワイパーはKW50の2連となりました。運転台が広がった分だけ座席定員が64名と2名減少しています。蛍光灯の数も17灯から22灯に増設され、化粧板、座席袖、荷棚、吊手棒、妻面レイアウトも2000系と同じものになっています。

101n_810004 快速急行 「奥武蔵」に投入された新101系4連 1981 所沢

後年、4連の227F~241Fは秩父鉄道乗り入れ対策車として、クハ1228,1229, 1232, 1233, 1236, 1237, 1240, 1241の8両には自動連結解放装置が設けられ、電連カバーが白色に塗られたそうですが、私はその時期の写真を撮っていませんでした。さらにこれら8編成のM1車のパンタグラフは折り畳み高さの低いPT4310-S-A-Mに交換されたそうですね。

一方、2連の方は、12次車として、1982年5月から12月にかけて所沢車両工場製の269F~279Fが登場するまで、間が開きますが、その間、MiO氏がコメントされているように1979年7月に登場した編成の凹みの部分の塗色が入場の際に4連のように変化していったのではと思われます。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月10日 (水)

1989年のDüsseldorf Airport その14 LufthansaのBoeing 727

東西分裂時代の西ドイツ、Duesseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回は地元 LufthansaBoeing 727-230Advです。

Dabkg_cn_20905_1091_boeing_727230ad D-ABKG cn 20905 ln 1091 Boeing 727-230Adv  1989/5/4 DUS

この空港でのLufthansaの機体はDC-10-30に続いて2回目となります。

ネットでLufthansaのFleet情報を調べてもBoeing 727 に関しては古すぎるのか、なかなか情報が得られません。そこで、Boeing 社のProduction listから、727の情報を選び出し、-30, -230のカスタマーコードの機体をリストアップする作業から始めました。さらに、2010年5月、Lufthansaが1960年に最初のBoeing 旅客機である707を導入して50年の記念出版物、

History with a Future
50 years Boeing jet aircraft for Lufthansa

があるので、その情報を参考に記事をまとめることにしました。

まずはBoeing 727-100, -100C, -200タイプでLufthansaが発注した、カスタマーコード-30を付与された機体のリストです。

Table1_boeing_72730_and_72730c_lh 表1に最初に導入された-30, -30Cタイプのリストを載せます。
cnの連続からD-ABIBからD-ABIQまでが最初に発注された12機と思われます。

Table2_boeing_727230adv_lh 続いて表2に-230Advタイプのリストを載せます。

これらの表を作成した後に、Austrian Wingsに掲載されたLufthansa のBoeing 727の記事 を見つけ、その中に

Boeing 727-30, -30Cは Bis zum Jahr 1968 erhielt die Lufthansa insgesamt 27 Maschinen dieser Baureihe  27機導入

さらに-230Advに関しては34機導入という記事が50周年の記述にも見られるので、このリストで間違いないのではと思います。

[B/U]       Broken up.
[CLD]       Behind the regs: previous registration cancelled, either as exported
[DER]       Derelict, in a presently not fit to fly condition
[WFU]       Withdrawn From Use, could be flying again でいずれももはや飛行できる状態では無いことを意味しており、
[FIRE DEPT} は空港などで見かける消火用訓練設備ではないかと思われ、
[SCHOOL}は教材でしょうか。
貨物用にコンバートされた機体や軍の輸送機C-22Aに改造された機体もあります。

Dabkg_cn_20905_1091_boeing_727230_2 D-ABKG

なんとBoeing 727-230Advが1986年に伊丹に飛来したことがあるそうで、航続距離から考えてノンストップでは無理なので、どういうルートでやって来たのか興味があります。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月 9日 (火)

通勤電車シリーズ 103系 8 常磐緩行線・千代田線乗り入れ用1000番台の登場

通勤電車103系の製造を振り返りながら各線区への投入を振り返ってゆくシリーズ、今回は常磐線の複々線化工事完成に伴う、緩行線と営団地下鉄千代田線乗り入れ用に登場した1000番台の話題です。

昭和30年代の高度経済成長期、常磐線沿線のベッドタウン化・宅地開発が進み、上野、日暮里駅の混雑緩和といわゆる通勤五方面作戦により、常磐線北千住~我孫子間を複々線化し、1962年の都市交通審議会答申6号、および1964年の改訂による東京8号線(後の9号線)と直通する計画が進められました。

1971年4月20日に北千住~我孫子駅間の複々線化が完成し、快速・中距離(取手以北直通)と緩行の分離運転が開始され、同時に緩行の地下鉄千代田線乗り入れ(当時は霞ヶ関まで開通)も開始されました。それまで北千住~綾瀬間は国鉄の保有でしたが、綾瀬から分岐した車庫(現在の綾瀬検車区)への回送を考慮して、この区間は複々線化後は営団の保有となりました。ただ、運賃計算は特例措置として国鉄運賃として計算される方式(運賃計算上の二重戸籍区間)となりました。その後、1982年11月15日に緩行線が取手まで延伸されて、現在に至っています。

<停車駅の変化>

複々線化以前  

新松戸、北柏、天王台の駅は未開業、
中距離電車は北千住、柏は一部停車、三河島、南千住、綾瀬、亀有、金町、北松戸、馬橋、北小金、南柏は通過

第一期複々線化開業後

快速電車 上野~北千住間の各駅、松戸、柏(1972年10月から)、我孫子、天王台、取手
中距離電車 上野、日暮里、北千住(一部)、松戸、柏(一部停車)、我孫子、取手
緩行 北千住~我孫子各駅停車

複々線化直後は京浜東北線へ103系捻出で、10両編成だった103系が8両編成に減車された時期がありました。線増による輸送力増加で混雑率が下がると読んでの措置だったようですが、地下鉄経由で都心に向かう場合、運賃が割高になることから多くの乗客が松戸や北千住で快速線に乗り換えることとなり、混雑度は8連化で増大することになりました。新聞等でも「迷惑乗り入れ」と糾弾される結果になったとか。103系増備までの間、転属予定だった旧形国電を使用した臨時快速を設定して、急場をしのいだそうです。さらに1972年10月2日までにそれまで快速通過駅だった柏駅に快速ホームを設置して、快速停車駅に変更したそうです。今の柏からは想像も出来ない話ですが。なお、1972年10月20日、千代田線は霞ヶ関~代々木公園間が開通し、1978年3月31日、代々木公園~代々木上原間が開通して全線の完成に至っています。

5000_790707 地下鉄千代田線の開通当初、6000系が登場するまでは5000系が活躍していました。 1979/7/7 我孫子

1970年代後半になると、藤代~土浦間の交流区間までベッドタウン化が進み、輸送力増強のため、近郊電車としては初のオールロングシート車となった415系500番台が投入されました。そのころの中距離電車のダイヤは日中、1時間に1本、夕方のラッシュ時間に2本程度でしたが、つくば科学万博開催直前の1985年3月のダイヤ改正で大増発が行われ、編成も最長15両となりました。私がつくばで生活するようになったのが1983年4月からですので、この年の3月は常磐道も首都高とつながり、大きなインフラの変化を感じました。103系快速が15連化されたのは1987年12月からでした。

最近は交通機関のストライキもあまり聞きませんが、営団の労働組合がストを決行して千代田線が止まり、国鉄が動いている場合は、綾瀬~松戸間の乗客は松戸まで戻り、上野方面に向かう特例措置が設けられたのも記憶にあります。

緩行線・地下鉄千代田線用に当時の国鉄が投入した車両が103系1000番台で、営団側も千代田線開業当初は抵抗制御の5000系を投入していましたが、相互乗り入れ開始当初からは世界初の電力回生ブレーキ付き電機子チョッパ制御車となる6000系を投入しました。

1031000_1031001_850429 常磐緩行線から引退直前の103系1000番台 51編成 (トップナンバーの編成) 1985/4/29 亀有

さて103系1000番台ですが、予算は昭和44年度第4次債務で
クハ103-1001~1008 モハ103/102-1001~1016 の10両編成(8M2T) 4本
昭和45年度民有で
クハ103-1009~1020 モハ103/102-1017~1040 の6本が、
昭和45年度第1次債務で
クハ103-1021~1032 モハ103/102-1041~1064の6本の計16本(編成番号は51~66)が製造されています

構造上の特徴は
1) CS-ATC(ATC4)を乗務員室背後に設置したため、乗務員室扉後部の戸袋窓を廃止したこと
2)地下線乗り入れのためのA-A基準準拠の難燃構造で先頭車に非常用貫通扉の設置し、前照灯はシールドビーム2灯としたこと
3)主回路機器の配線はダクト配線として、主回路ヒューズをパンタグラフ近傍に設置したこと
4)パンタグラフを鋼体架線対応のPS21としたこと
5)主制御器は910番台のCS30をベースに無接点化したCS40にしたこと
6)主抵抗器は騒音・粉じんの防止のためMR119自然通風方式としたこと
7)最急勾配33‰で自走不能になった場合に別編成が救援可能という乗り入れ条件を満たすために8M2T編成となり、M'車が4両となるのでMGは10kVAのMH124-DM77としたこと
8)側窓の開口寸法を規制し、下段の上昇寸法を145mmとしたこと などです。

1031000_821031 同じく亀有にて 59編成 1982/10/31

長らく千代田線乗り入れ車両として活躍していましたが、営団6000系に較べて電力消費量が格段に多いこと、抵抗器からの排熱でトンネル内の温度が上昇することなどが問題となりました。わたしも1983年3月まで大手町~根津間毎日のように乗車しており、マスコミ等が取り上げているのも目にしておりました。そんなことで、1986年3月201系で開発された技術を適用した203系に置き換えられる形で常磐快速線へ、あるいは105系改造へと常磐緩行線を去って行きました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月 8日 (月)

公園保存蒸気 C11 275号機 大田原市交通公園

全国の公園等に保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ今回は栃木県大田原市交通公園(美原公園)に保存されているC11 275号機です。

訪れたのは桜が満開の2014年4月5日でした。東北本線西那須野駅西口から出ている市内循環バスで東武百貨店前で下車して徒歩5~7分の場所でした。公園の場所はこちら
140405市営バスと東野バスの東武百貨店バス停 2014/4/5

C11_275_140405_2 満開の桜の下で保存されている C11 275号機 2014/4/5

C11_275_140405_54 C11 275号機はこの写真から分かるように蒸気ドーム、砂箱ともカマボコタイプの戦時設計のスタイルです。

C11_275_140405_58 キャブに入るための階段はさらにランボードのレベルまで続いているためにかなり上からの視点で機関車を観察することができます。

また、後方のはしごもこれまでに撮ってきたC11形で比較してみると、半田駅横の265号機は同じタイプの2段ばしご、新橋駅前の292号機はまだこちらでは公開してませんが、ライトあたりまでの1本はしご、大荒田交通公園の304号機は水タンク上辺までの一本はしご、鴻巣せせらぎ公園の322号機は炭庫上辺までの一本はしごと個体間で違いがあることがわかります。
後方のライトを囲むカバーの形態も個体間でかなり違います。

C11_275_140405_5
蒸機機関車の顔のアクセントである煙室扉のハンドルが欠損しているのが残念であります。

C11_275_140405_12 動輪を始め、足回りがすべて白く塗られています。ちょっと異様な感じですが。

C11_275_140405_21_2
M.TADAさんのサイトの情報によると数年前に大田原工業高校の生徒さんの手で塗装などの手入れがされたそうですが、鋼板の表面はかなり腐食が目立って来ています。

C11_275_140405_28 キャブ内部に入り機器の状態も見ることができます。

C11_275_140405_39 ランボードレベルまで上がって、カマボコドームの真横からの視点で周辺機器を見ることもできます。
C11_275_140405
C11_275_140405_2_2
この機関車の諸元と保存の経緯の説明が書かれています。
例によって沖田祐作氏の機関車表から履歴データを見てみると
C11275     日本車輌名古屋工場=1350           1944-12-22 S66.1t1C2t(1067)
   車歴;1944-12-22 製造→ 納入;国鉄;C11275→ 配属;? →1944-12-22 竣工→ 配置;? →
      1955-08-01 現在;浜川崎→1967-03-24 米沢→ 小牛田→1971-07-21 廃車;小牛田→
      保存;栃木県大田原市「交通公園」;C11275
とのことで製造は1944年12月22日で1955年までの不明期間は御殿場線だったのでしょうか?晩年は左沢線や陸羽東線あたりで活躍していたのでしょうか?

140405_2 機関車のそばにはこういった構造物も立っていました。果たして何を意味しているのか?不明ですが。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月 7日 (日)

速報 郡山車両基地公開に行ってきました。

昨日、9月6日、土曜日は「郡山車両基地祭り2014」でした。JR東日本、JR貨物のイベントは大宮、大井、東京貨物タなどに参加していますが、郡山はまだ参加したことがなく、青春18切符も1日分残っていたので、行ってきました。

詳細は後日、車両別に記事にする予定ですが、今回は概略を。

まず、郡山往復のルートは
(往路)
荒川沖~水戸 1321M  6:08~6:58
水戸~郡山       327D  7:28~10:50
(帰路)
郡山~いわき    732D 15:11~16:42
いわき~水戸    680M 16:54~18:32
水戸~荒川沖  1452M 18:40~19:41

でした。つくばからだと、あとは水戸線経由、上野経由がありますが、今回はこの2つを選びました。

水郡線327Dは常陸大子で4両編成から2両編成の切り落としや乗務員交替で15分間停車時間があるので、駅横に保存されているC12187号機を観る機会もありました。

C12_187_140906
C12 187号機 常陸大子の駅横に保存されています。1967年から廃車になる1970年まで水戸機関区に配属され、水郡線で活躍した機関車だそうです。

111101_140906 キハ111-101他による体験乗車号

定刻に郡山に到着すると、6番線(通常は磐越東線のホーム)の黒磯よりで「車両基地祭り体験乗車号」と称したキハ111が待機しており、通常旅客営業はしない基地構内への線を走って会場に連れって行って貰うことができました。

郡山車両センターは常磐線の交直両用車両や仙台管内の交流車両などの検査を受け持ち、廃車の解体も行っていますが、今回、この公開で一番興味深かったのは、
78693_140906
1.カットモデル状態とは言え非常に素晴らしい検修材料になっている78693号機を観ることができること

C63_1_51_140906
2.幻の蒸気機関車として知られるC631号機の1/5スケールのライブスチームモデルの走行を見ることができること
でした。

展示車両もふだん関東では目にしない、485系改造のジパングや石巻線マンガッタンライナーDCなどが展示されており、なかなか興味深かったです。

D51_264_140906 D51264号機

およそ1時間半の滞在でほぼ全てを観たので、駅までバスで戻り、駅西方にある開成山公園も訪問し、D51264号機を観てきました。

以上、9月6日の18切符による郡山往復の旅の概略でした。いずれ、それぞれをそれぞれの記事で詳細に報告する予定です。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月 6日 (土)

EF200形電機 11号機

EF200形電機シリーズ、今回は11号機です。製造は日立製作所で1992年9月22日落成です。なぜか同年8月24日に登場した12号機の方が先に落成しています。

いつものように2003年頃からのEF200-11号機の写真をあげてゆきましょう。

Ef20011_030325 流し撮り風に撮った新大阪駅を通過する11号機 梅田行貨物列車 2003/3/25

Ef20011_030325_3 機関車だけの単機回送 2003/3/25 新大阪

Ef20011_050129 3072列車の先頭に立っての新鶴見までの回送 2005/1/29 東所沢

Ef20011_060225 首都圏における間合い運用 根岸貨物 2006/2/25 根岸

Ef20011_061118 塗装変更後の初ショット 2006/11/18 東淀川

Ef20011_080906 11号機の新塗色も9号機同様、時間が経つにつれ、変化が 2008/9/6 清洲

Ef20011_081130 相模貨物からの折り返し列車 2008/11/30 大船

Ef20011_090704 ここまで来ると色が違うことは明白に 2009/7/4 新川崎

Ef20011_101210 ここまでくるともう完全に色違いですね。2010/12/10 東淀川~新大阪

といった具合に、11号機も9号機同様に新塗装では明らかに色違いの機関車となっています。ただこちらは、パッチ修繕はしていないのですっきりしてはいますが。

なお、これらの写真では判別が難しいですが、側面上の黒い帯の部分が前後に延長されているのがこの機の特徴でもあります。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月 5日 (金)

特急「北近畿」 その19 485系から183系へ part18

特急「北近畿」等に使用された福知山電車区所属の485系改造の183系の活躍、今回はA47編成です。

183_a47_050823 これまで関西地区で撮影している183系の写真はどれも貨物列車を狙って撮影しているときのついでに撮った写真ですが、A47編成、珍しく緩行線を走っています。 2005/8/23 千里丘

A47編成の構成は

クハ183- 201+モハ183-1804+モハ182-713+クロ183-2751  でした。

クハ183-201はクハ481においても貫通型200番台のトップナンバーの201として、1972年9月9日、東急車輌で落成しました。新製配置は盛アオでしたが、1975年11月に特急「つばさ」の電車化(*)で秋アキに転属となりました。ただこれは、485系1000番台が落成するまでの緊急措置で、翌年1976年には門ミフに転属となります。その後、九州で「かもめ」「みどり」「にちりん」「有明」などで活躍し(**)、1984年阪和線、紀勢本線の特急「くろしお」の485系投入で、天ヒネに転属となります(***)。しかし、その「くろしお」の期間は1年半という短期で終わり、クハ481-201は関西に残り、福知山に転属となり、1987年1月22日クロハ481-213に改造となります。485系北近畿の時代、H1編成の1号車として、活躍しますが(****)、1991年1月28日、再びクハ481-201に再改造されます。改造と同時に金サワに転属し、2004年までY23編成の米原方先頭車として、特急「しらさぎ」で活躍しました。しかし、「しらさぎ」の683系2000番台投入により、485系としての活躍の場を失い、2004年1月30日、183系化改造を受けて、クハ183-201となりました。この車両の車生は本州最北の地からスタートして、東北特急、あるいは日本海縦貫特急をこなし、さらに九州へ転属し、最南端の特急も経験し、最後は関西から北陸で活躍し、485系の活躍範囲としては、北海道以外すべて経験した車輛であることがわかります。

クロ183-2751は、489系の非貫通型編成の3本目のEF63協調側のクハ489-703として1973年3月2日、近畿車輛で落成しました。新製配置は金サワで特急「白山」として、上野~金沢間を碓氷峠越えのルートで往復しました。1987年には大ムコ転属となり、1996年3月13日に183系化改造されるまで、「雷鳥」等で活躍しました。

モハユニットはモハ183-1804モハ485-1002として、1976年2月18日、日立製作所で落成し、秋アキに配置されています。その時の相手はモハ484-1002で、1983年に大ムコに転属し、1996年3月5日、183系化改造を受け、モハ182-1804になっています。

一方、モハ182-713モハ484-329として1975年2月6日に川崎重工で落成し、金サワに新製配置されています。その当時のユニットの相手はモハ485-232でした。2003年まで金サワで活躍し、2004年1月20日、183系化改造を受けています。相手のモハ485-232は2001年5月22日モハ485-504(「スーパー雷鳥」から「しらさぎ」への転用で編成から外れるサロ481-2000番台からCPを移設)に改番されて活躍しましたが、2011年8月15日に廃車となっています。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月 4日 (木)

近江鉄道ミュージアム訪問記 その3

彦根の近江鉄道ミュージアム、今回はED31形電気機関車の紹介です。

構内には3号機と4号機の2両が展示してありました。

Ed313_140809_m ED31 3 2014/8/9 近江鉄道ミュージアム

これらの車輌は現在のJR飯田線の一部である伊那電気鉄道(天竜峡~辰野)が1923年に新製した電気機関車デキ1形です。戦時買収で鉄道省に編入となり、1952年の車両形式称号規定改正でED31形と改番されました。

製造は電気部分を芝浦製作所、機械部分を石川島造船所が担当し、デキ1形1-6の6両が新製されています。形態は写真の様な凸型スタイルで、制御器は運転室内、抵抗器はボンネット内に搭載されています。製造当初は伊那鉄道の架線電圧1200V に対応していましたが、買収後1500V対応に改造され、機器も交換されました。

Ed313_140809_m2 ED31 3 2014/8/9 近江鉄道ミュージアム

国鉄では終生、伊那松島機関区に配置され、天竜峡以北の飯田線で活躍し、1955年から廃車が始まり、1956年に全車廃車となりました。

1および2は西武鉄道に譲渡され、1形(3代目)と2として導入され、多摩川線で砂利輸送で活躍し、1960年に近江鉄道に譲渡され、ED31形1,2と国鉄当時の原番号を再び称するようになりました。3~5は直接、近江鉄道に譲渡され、国鉄時代の番号のまま使用されました。6は上信電鉄に譲渡されましたが、箱形車体に改造され、運転台も移設されて原形を留めない姿になってしまいました。

Ed314_140809_m ED31 4 2014/8/9 近江鉄道ミュージアム

Ed314_140809_m2 ED31 4 2014/8/9 近江鉄道ミュージアム

Wikipediaにも書かれていますが、写真を見て感じるのは前面の窓の小さいことです。さぞかし、運転は大変だったと想像されます。

本記事を書くに当たっていろいろと調べていたら、保存車両の情報でいつもお世話になっている「保存車のページ」のM.TADA氏がご自身のBlog「本日の無駄遣い」で8月9日に近江鉄道ミュージアムを訪問されているのを知ったことでした。
8月9日、10日は台風11号の接近で近畿地方はどこも大雨で、わたしも行動が大きく制限されてしまい、草津線沿線の保存蒸気を見る機会を逸してしまいましたが、Blogに書かれている多賀SLホテル跡に残されたD51の情報は大変参考になりました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月 3日 (水)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング12 UA Boeing 737 NG

7月下旬のアメリカニューヨーク州イサカ出張の際に撮影したアメリカの旅客機のシリーズ、おもにUnited Airlinesの機体を中心に見てきています。

今回は同社のFleetの中でも現役機276機と4割近くを占めるBoeing 737 シリーズについて触れてみようと思います。

N26215_boeing_737824_cn_28775_ln__2 N26215 Boeing 737-824 cn 28775 ln 76 2014/7/26 ORD

276機の内訳は、UAのフリートリストによると、すべて第三世代 (NG: New Generation) と呼ばれる-700, -800, -900シリーズで、カスタマーコードは-24となっていることから元コンチネンタル航空が購入した機体であることがわかります。レジもN以下5桁の数字のレジです。

この第三世代シリーズ(-600 ~-900)は、1997年から製造されており、従来のBoeing 737を近代化し、Airbus A320シリーズに対抗するためにBoeing 777の技術をふんだんに取り入れたハイテク旅客機です。従来の737を操縦していたパイロットが新規の資格を取得せずにこれらの機体を操縦できるようになっている点がBoeing社の販売戦略でもありました。

NGシリーズのうち、もっとも胴体の短い-600シリーズは後日、記事にする予定のボンバルディアエンブラエルなどのリージョナルジェットやAirbus A318との競合もあって苦戦し、2012年に生産を終了しています。また-900型も-900ER型の登場で生産を終了しました。

N76516_boeing_737824_cn_37096_ln_27 N76516 Boeing 737-824 cn 37096 ln 2718 2014/7/26 EWR

スターアライアンス塗装機も2機(N26210, N76516)存在し、運良くN76516に出会いました。

エンジンは、CFMインターナショナルのCFM56-7B型に統一され、主翼端にはオプションでウィングレットを装備でき、離陸性能や燃費の向上が図れるようになっています。ウイングレットは翼端をそのまま上に持ち上げたような形状のため「ブレンデット・ウイングレット」と呼ばれています。燃費効率の上昇と、燃料容量の増加で航続距離は従来の3000~4000kmに対して5550~7000kmと大幅に伸びています。

276機は
-724(WL) 36機
-824(WL) 130機
-924(WL)   12機
-924(ER)(WL) 98機 といった構成となっています。

-924(ER)(WL)に関してはさらに16機発注中となっています。これら16機のカスタマーコードも-24です。

コンフィグも多様で
C12W40Y66        -724(WL)       32機
C20W42Y117   -924(ER)(WL) 22機
C20W51Y96       -924(ER)(WL) 39機
C20Y153      -924(ER)(WL) 4機
F12Y112            -724(WL)       4機
F14Y141          -824(WL)      9機
F16W48Y90        -824(WL)     90機
F16Y144            -824(WL)     13機
F20Y132     -824(WL)      18機
F20Y153     -924(ER)(WL) 45機 となっています。
発注中の16機については7機はC20W42Y117に決定しているようです。

N37468_boeing_737924er_cn_32836_ln_ N37468 Boeing 737-924ER cn 32836 ln 4356 2014/7/22 ORD

今回、胴体の短い-724には逢えませんでしたが、クラッシックタイプの-522が多く就航していたサンフランシスコ空港(SFO)などでは多く見かけるのではと思います。

次回はそのクラッシックシリーズ、-322, -522などの昔のUAのBoeing 737について触れようと思います。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月 2日 (火)

西武新101系 その1 登場は2連から

1979年7月、まだ梅雨が明けきらなかった頃だと思いますが、側面は従来の101系と同じでしたが、前面はマイナーチェンジしてイメージを一新した2連の新101系が池袋線に走り出しました。

101n_2_790720 新101系 2連の登場 1979/7/20 池袋

101n_2_790720_2 1979/7/20 池袋

引退前のレトロ塗装による再現などもあって、あまり昔のこととは思えないのが正直なところですが、思えば既に35年前のことなんですね。261F, 271Fがレトロ塗装として復活しました際の写真と登場時の写真を見比べると連結器の胴受けの形態が違うのが分かります。

当時、私は大学院修士課程の2年目の夏でした。

101n_2_790723
1979/7/23 保谷

こうやって当時の写真を引っ張り出してみると、池袋線の2連の連結位置というのは、いまでも2000系などに見られますが、池袋側、飯能側ともあったのですね。

飯能側に連結されると、前パンスタイルとなって当時国鉄で最終盤の活躍をしていたEF58のイメージと重なるものを何となく感じていました。

101n_2_810830 池袋で発車を待つ準急小手指行 1981/8/30

従来の101系は225Fで、1976年9月までにその製造を終了していました。

1977年から1979年まではもっぱら西武新宿線用に4扉の2000系6両編成が増備されており、

  • 1977年 : 6本(2001編成 - 2011編成)
  • 1978年 : 5本(2013編成 - 2021編成)
  • 1979年 : 6本(2023編成 - 2033編成)

その製造が一段落した後に、車両運用の効率化のため、新101系の増備となったわけですが、新101系の増備からは外注方式も取り入れて、東急車輌製造分も加わることとなりました(もっとも、それ以前に前回までの記事で記述していますが、特急車両の5000系は日立製作所の製造となっています)。

101f_140809_12
近江鉄道100形湖風号1101の車内に見られる東急車輌の製造銘板 この編成は元西武鉄道の295Fでした。 2014/8/9 米原

新101系の2両編成バージョンは269Fから番号が与えられ、295Fまでの14編成が最終的に製造されました。

101n_2_820829 所沢を発車する急行 池袋行 1982/8/29

登場は281Fから295F が先で、これらの編成は全面の凹みの部分の塗色が写真のように側面窓周りとおなじウォームグレイの塗色でした。

ただ、これらの全面塗色はインパクトが少ないと判断されたのか、後に登場した4連からはもっと深いダークグレイ塗色となり、271F-279F登場の際には黒色になり、初期に登場した編成も入場の際に新101系は黒色に統一されました。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

2014年9月 1日 (月)

1989年のDüsseldorf Airport その13 ATAの Boeing 727

25年前の西ドイツ、Duesseldorf空港での写真撮影、今回はAmerican Trans Air(ATA)のBoeing 727-100です。

N285at_cn_19152_507_boeing_72722_89 N285AT cn 19152 ln 507 Boeing 727-22 1989/5/4 DUS

American Trans AirはAmbassadair旅行クラブの航空会社として1973年8月にインディアナ州、インディアナポリスにて設立されました。最初に導入された機材はBoeing 720 (Miss Indyと命名)で2機目も同じタイプでSpirit of Indianaと命名され、1978年に導入されました。Boeing 720はBoeing 707-120をベースに短中距離用に開発されたバージョンで胴体を2.54m短縮し、軽量化したもので、JT3Dエンジンに換装した720Bも登場しましたが、Convair  CV-880, CV-990などと競合し、さらに同規模のキャパを持ったBoeing 727やDouglass DC-9が登場し、少数の生産で終了したバージョンでした。

1981年3月に一般旅客航空会社として認可を得、8機のBoeing 707をもってインディアナポリスをベースにチャーター事業を展開始めました。1983年にはDC-10-10シリーズ(N183AT)を導入し、1984年には-40シリーズも導入しています。

1984年に設立されたAmtran Inc.がAmbassadair, ATAなどの株式保有会社になりました。1984年にはBoeing 707はBoeing 727にリプレイスされ、Lockeed L-1011が追加され、1985年にはBoeing 757-200が追加されています。この757を使ってインディアナポリス~フロリダのフォートマイヤース間の定期便運航も開始されました。

N285at_cn_19152_507_boeing_72722__2 N285AT

1990年代になると、JFKから大西洋を越えて北アイルランドのベルファスト、さらにラトビアのリガへの定期便も飛ばせました。これはATAの創業者がラトビア出身だったからでしたが、このサービスは赤字続きで数年で運航中止に至りました。

1991年、湾岸戦争の勃発でATAにとって大きな転機が訪れます。アメリカ国防省と米軍に協力し、494のミッションで108,000の兵員輸送を「砂漠の嵐作戦」の下に実行しました。

私は見たことはありませんが、日本の横田基地などにもATAの兵員輸送機が数多く飛来するようになったのはこの頃からかと思います。

Boeing 727-100は1993年-200に置き換えられる形でリタイアしました。

この後、アメリカにおける低コスト定期便サービス会社として隆盛の時期がありましたが、2008年に倒産しました。ここら辺の状況は後日、LAXで撮影した航空機の記事で紹介しようと思います。

にほんブログ村 鉄道ブログへ
にほんブログ村  鉄道コム

最後まで読んで戴きありがとうございます。
上のリンクをクリックされると面白い鉄道記事満載のブログ村。もしくは鉄道コムに飛ぶことができます。

« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »

カテゴリー

2023年2月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28        
フォト
無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • 日本ブログ村