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2014年10月31日 (金)

高崎鉄道ふれあいデー その1 EF55 1

2014年10月18日に高崎駅構内、南側留置線スペースで開催された高崎鉄道ふれあいデー、まず最初は茶色い機関車大集合で整列した4両の機関車から触れてゆこうと思います。

141018
当日は、新幹線の高架線(東)側から、EF64 37、DE10 1705、EF55 1、EF64 1001の4両が並んでいました。

今回はこの中でも最年長のEF55 1についてです。

Ef55_1_141018_10 「ムーミン」、「かば」、「どた靴」 などの愛称で親しまれているEF55 1号機 美しく磨き上げられた姿で 2014/10/18 高崎

1936年当時は国内外とも流線形ブーム真っ只中の時代で国鉄でもC53 43号機を皮切りに、C55形20-40号機モハ52系キハ42000形、キハ43000形などが製造され、さらには最大速度40km/hの東京市電1100、1200仙台市電43、大阪市電900なども流線形で登場し、電気機関車でもEF53形1935年度製造分3両を設計替えして、EF55 1号機(日立製作所)、2号機(日本車輌製造・東洋電機)、3号機(川崎造船・川崎車両)が製造されました。

車体の組み立てではリベットやボルトは極力使用せず、電気溶接を多用し、歯車比を高速側に振り、空気抵抗を減らし、高速性能を高める工夫がなされました。

Ef55_1_090117_07 特徴的な第1エンドのフォルム 2009/1/17 横川

模型レベルでは両端流線形車体の案もあったようですが、客車の抵抗増大を招くので流線形形態は第1エンドのみとし、第2エンド側は切妻とし、運転台設備も構内運転用程度のものとし、前照灯もなく、先台車も1エンド側は旅客用機関車標準の2軸なのに対して、2エンド側は貨物用機関車から流用の1軸台車となりました。1エンド側の連結器は下に折り曲げてスカート内に格納されるようになっていました。

Ef55_1_090117_03 第2エンド側にも小さなデッキと手すりが付いています。

沖田祐作氏の機関車表より、EF55 1-3の履歴を見てみると、

EF551      日立製作所笠戸工場=636           1936-03-30 E100t2CC1(1067)
   車歴;1936-03-30 製造→ 納入;国鉄;EF551→ 配属;静岡局→1936-03-30 使用開始→
      1936-03-30 配置;沼津→1945-08-03 沼津機関区にて米軍機の銃撃を受け16 ヶ所破損→
      1949-05-20 浜松→1951-10-30 沼津→1952-03-10(3/11?)高崎二
      1955-02-24~26 日静岡ー浜松間にて高速試験に使用;時速120㎞試運転→
      1957-10-05 一休指定→ 指定解除? →1958-08-19 一休指定→
      1960-04-05 借入;国鉄中央鉄道学院→1963-08-19 一休指定→
      1964-12-04 返却(書類上の返却で現車は教習所貸出のまま)→
      1964-12-05 廃車[達678];高崎二(最終走行距離2,366,035㎞)→
      1972-05-00 現車返却→ 保存;高崎鉄道管理局→1978-10-14 準鉄道記念物に指定→
      1978-11-17 鉄道記念物指定除幕式開催→1985-05-00 復活予定にて解体検査開始→
      1985-06-12 ジャッキアップ→1986-06-26 組立完了;パンタ上昇試験後高二区構内試運転→
      1986-06-24 復籍動態;EF551→ 配属;高崎局→1986-07-08 上越線にて試運転実施→
      1986-07-25 高崎第二機関区にて出区式実施→1986-07-25 高崎駅にて出発式実施→
      1987-03-01 配置;高崎運転所→1987-04-01JR 東日本;高崎運転所;EF551→
      配置;高崎運転所→2004-04-01 現在改称;高崎車両センター→
      2008-04-01 現在;高崎車両センター
EF552      日本車輌名古屋工場=100/= 東洋電機      1936-04-26 E100t2CC1(1067)
   車歴;1936-04-26 製造→ 納入;国鉄;EF552→ 配属;静岡局→1936-03-31 使用開始→
      1936-03-31 配置;沼津→1945-04-09 借入;新鶴見圧縮機代用→1949-05-20 浜松→
      1951-10-29 沼津→1952-03-16 高崎二→1957-10-05 一休指定→1958-03-20 解除→
      1958-08-19 一休指定→1960-05-26 借入;広島二(訓練用)→1962-07-08 返却→
      1963-08-19 一休指定→1964-12-04 返却→1964-12-05 廃車[達678];高崎二→
      1965-07-12 昭島駅側線の解体場に到着(最終走行距離2,244,705㎞)
EF553      川崎重工兵庫工場=57             1936-03-00 E100t2CC1(1067)
   車歴;1936-03-00 製造→ 納入;国鉄;EF553→ 配属;静岡局→1936-03-27 使用開始→
      1936-03-27 配置;沼津→1948-12-20 第8021 列車二宮駅構内進行中自動車と衝突→
      1949-05-20 浜松→1951-10-28 沼津→1952-02-15 借入;名古屋→1952-02-27 返却→
      1952-03-19 高崎二→1954-03-10 借入;沼津→1954-03-16 返却→
      1957-10-05 一休指定→1958-03-29 指定解除→1958-08-19 一休指定→
      1961-06-07 借入;宇都宮→1961-06-18 返却→1961-06-18 米原→
      1961-06-18 浜松工場入場→1962-11-07 浜松工場改造(車体は新製)[達126];ED301
      1976-07-20 廃車;米原

新製後配置は3両とも沼津機関区で特急「つばめ」「富士」の牽引や他の旅客、小荷物列車の牽引も担当しましたが、最高速度95km/hでは流星形による空気抵抗軽減効果が殆どないこと、終端駅で転車台で方向転換しなければならないこと、スカートがあるために保守に手間がかかることなどで、製造は3両で打ち切られ、1938年からは、前位連結器の固定化、第2エンド運転台の本線運転可能化改造がなされ、1952年に高崎第二機関区に転属になるまで東海道本線で使用されました。

Ef55_1_030505 2003年5月5日 上野からイベント列車を牽引して高崎方面に向かうEF55 1号機 このときがEF55との初めての出会いでした。

高崎区転属後は上越線での活躍や東海道線でのEH10 15との高速試験や、碓氷峠での空転試験、ED71形の性能試験での関与もあったようですが、休車指定の期間もかなりあり、もてあまし気味だったようです。3号機が1962年に北陸本線交直接続用のED30形製造にあたり、主電動機MT28Aを供出する形で改造され、1号機は中央鉄道学園での教習用に、2号機は1965年に解体となりました。

Ef55_1_050528
Ef55_1_050528_2
一度だけ単機で走る姿を赤羽で目撃しましたが、まさに”大きな靴”が走っている感じでした。第2エンドの梁の形はEF10やEF13の梁の形とよく似ています。 2005/5/28

小学校時代、国分寺~国立間をバスで通っていたことがあり、1962~1964年頃中央鉄道学園の横はよく通っておりました。同所には興味深い車両が存在するのは目にしていました。国鉄民営化で売却され、現在は記念碑を残して、施設は何も無くなってしまったのが残念です。

041211_3 高崎車両センターに残されている転車台 2004年12月11日の公開時

1978年に1号機は準鉄道記念物に指定され、さらに中央鉄道学園から高崎第二機関区に戻され、転車台脇に留置されていました。

1985年、同区で開催された機関車展示のイベントに向けて、機関区有志の方々の努力により、構内試運転が可能な状態まで整備され、国鉄本社は1986年に大宮工場にてリバイバルトレインの運用を前提に本格動態復元を行い、同年6月24日車籍の復活に至りました。

Ef55_1_041211 2004年12月11日の高崎車両センター・機関区のイベントの際には2エンドを見せての参加でした。

高崎区の看板機関車としてイベント列車の先頭に立って活躍し、2006年の交通博物館閉館記念イベントでは旧万世橋駅跡に展示されたこともありました。2007年の電動コンプレッサ(CP)の故障以来、修理と復元工事がなされましましたが、本格的本線運用は無くなるとのことで2009年1月にさよなら運転がなされました。以降、車籍は存在し、いずれは鉄道博物館に保存されるとのことです。

Ef55_1_090117 2009年1月17日に横川まで運転された「さようなら」列車 EF641001が後部補機を努めていました。 松井田

考えてみると、EF53と並んで東海道本線で働いた期間が約16年、高崎に移ってからは休車の期間が長く廃車までの12年はあまり働いてはいませんね。一方で1号機の車籍は復活して今年で29年ですから、1号機は車籍復活後の方が充実した車生を送っているのかもしれません。

Wikipediaならびに日高冬比古氏の戦前戦中の国産電気機関車の記事を参考に纏めました。

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コメント

B767−281様 お早うございます。始業前のひととき読ませていただくのが楽しみになっております。さてEF55、やはりファシズム時代に咲いた徒花、という感じがしないでもありません。もし両端流線型で客車の方にも工夫があったらなどと妄想してしまいます。戦後高速鉄道を機関車牽引にするか電車方式にするか比較検討する際試験されたのですね。EH1015は有名ですが、55については知りませんでした。モハ52、モハ63、そして80形電車の方が成績が良かったのでしょうか。何れにしても狭軌で線路の悪い日本では電車の方が軸重がおさえられるので有利と判断されたのでしょうね。でももし機関車方式で高速列車が実現していたら面白かっただろうな、とまた勝手に空想してしまいます。現役でなくとも現存していて本当に良かったです。しかし機関車に比べ電車の保存に対する考えはイマイチですね。モハ52だけ残しても意味は半減してしまいます。やはり4両なり編成で残すことが必要だと思います。またまたお邪魔いたしました。

細井忠邦 さま、おはようございます。

わたしも戦後の高速試験の際にEH1015とともにEF55が空気抵抗の試験に用いられていたとは今回の記事作成で初めて知りました。
動力集中方式か、分散方式か大きな判断の分かれ目だったかと思いますが、我が国のような線路条件では集中方式は厳しかったのでしょうね。

ヨーロッパではTGVが集中方式でICEも集中方式で始まりましたが、最近は分散方式になっているようですね。

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