西武新101系 その6 最後の新製 301系 2編成
西武鉄道の新101系の話題、今回は13次車として登場した301系、2編成の話題です。
塗色も黄色一色となり、スカート付きとなった2007年8月12日 所沢駅で撮影した写真ですが、車体側面灯の形態から311Fもしくは313Fと判別できます。
登場は311Fが1983年11月末、313Fが1984年3月末でした。製造は2編成とも所沢車両工場でした。参考文献によると1983年度における当初計画では3000系を5編成製造する予定でしたが、その計画が変更となり、3000系を3編成、301系を2編成製造することになったそうです。
そのためか、この301系2編成は形態的には3000系に準じた部分があり、ひとつは連結器胴受けの形状、もうひとつは車側灯の形態変化だそうです。エアコンのキセはステンレス製のCU-72Cになりました。MGは3000系では140kVAブラシレスタイプを装備したのに対して301系は従来同様の150kVAタイプを装備しました。
これまでの301系は4連として出場し、後日中間車組み込みで8連化の経緯を辿っていましたが、この2編成は新製時から8連固定編成での出場となりました。
なお、前回の記事で触れた12次車の2連6編成に関して、鉄道ピクトリアル誌の西武鉄道特集記事1992年 No,560 臨時増刊、2002年 No.716)を見ると、本来701系グループと併結できる4連として301系が計画されていたのが、10次車、11次車でその4連は登場し、301系は8連となったため、あまった運転台部分の仕掛けを有効利用するために急遽,2連を製造したのではという記載があります。どちらも小林尚智氏の記事で、情報源はひとつなので、別の方のご意見も聞きたいところですが、興味深い考察と思いました。
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コメント
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B767−281様 お早うございます。301系と3000系の関連性面白いですね。3000系は窓の毎地が601系のようでちょっと異色に感じます。いまは中のモハユニットを抜かれ6連となって国分寺線で働いている編成もいますね。最初4連で表れ、後に中間車を組み込むのは、所沢工場の製造能力の関係でしょうか?またまたおじゃまいたしました。
投稿: 細井忠邦 | 2014年10月17日 (金) 10時38分
細井忠邦さま、こんばんは。
確かに301系と3000系はよく似ており、また相違点もよく言われますね。301系が101系の系譜とすると、3000系は2000系のシステムを持った3扉車といえるそうですね。今、まさにその3000系も終焉の時が迫っているようで、時間の経つのは早いものだと感じます。
301系の4連登場、そして8連化、まさに所沢工場の製造能力を考えつつの措置だったようですね。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年10月17日 (金) 18時07分
こんばんは。
101系、701系の池袋線と新宿線への分離配置では、701系列が足らなくなるため、101系ベースで701系列に組み込むものを作ろうと言うことで、301系にする案も含めて複数の手法が検討されたみたいですね。結果は新101系の改造という形になりましたが、2連が追加された理由をそこに持ってくるのは、あくまでも趣味的な類推としてはおもしろいですね、といった感想です。
3000系は8両固定で併結相手無しでしたから、10連運用が出てきた時代においては301系の方が使い勝手が良かったのでしょうね。101系用の機器の在庫がまだ有ったから、という理由もあるのでしょうが。時期的にはこの5年後には旧101系を潰して機器捻出を開始していますけどね。
投稿: MiO | 2014年10月20日 (月) 23時15分
MiOさま、こんばんは。
鉄道の歴史を短期的に追っかけていると、4扉の2000系が作られた後に3扉の3000系が出て来て、さらに8連の時代から10連の時代になってといろいろと紆余曲折があるように感じます。2連をたくさん作ったことが後年、地方私鉄譲渡の際には役立っているようにも感じます。
そう考えると、誰も近未来のことは分からない、短期的な予測は難しいと言うことですね。
新幹線の歴史を読んでいてもそう感じている次第です。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年10月21日 (火) 21時16分