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2014年10月26日 (日)

通勤電車シリーズ 103系 13 量産冷房車の登場 2 中央快速線

通勤電車103系シリーズ、今回は中央快速線(オレンジ色)にも登場した量産冷房編成の話題です。
103_2 中央快速線にも登場した量産冷房編成    八王子

投入は豊田電車区で、前回の一部抜粋になりますが、

8編成
クハ103-<213, 214>, <217, 218>, <219, 220>, <221, 222>, <231, 232>, <235, 236>, <237, 238> ,<259, 260>
モハ103/102-<331/487, 332/488, 333/489>, <337/493, 338/494, 339/495>, <340/496, 341/497, 342/498>, <343/499, 344/500, 345/501>, <358/514, 359/515, 360/516>, <364/520, 365/521, 366/522>, <367/523, 368/524, 369/525>, <402/558, 403/559, 404/560>
サハ103-<324, 325>, <328, 329>, <330, 331>, <340, 341>, <344, 345>
サハが3編成分6両足りないのはサハ101に冷房改造、行き先表示装置取り付け、ジャンパ連結器交換等を施し、サハ103-750番台(751~756)として編入

103 同編成の写真の中でこれが一番最初の写真だったと思います。未だ春先で、冷房車といえども冷房は必要なかったため、普通の快速運用に就いていました。  1973.3 荻窪

緩行線のホームから下り快速電車を写していますが、あの頃、この写真の奥のように荻窪駅の北側には手小荷物取り扱いの設備がありました。

103_740506 初夏の頃になると量産冷房車は特別快速運用、一辺倒になったように思います。 1974/5/6 三鷹 

山手線の低運転台クハはあっと言う間に高運転台車に置き換えられてしまいましたが、こちらはATC化の計画は無かったのでこのタイプのクハを長く見ることができました。一方で、ATC化計画はなかったものの、後の記事で出て来ますが、ATC準備工事をしたクハも配属となりました。

103       お客さんの服装から秋から冬への頃かと 新宿

103_790923 1979/9/23 立川
この頃になると、改造冷房車もだいぶ増えてきて特別快速一辺倒ではなくなってきたように思います。
103_810829 1981/8/29 中央快速線での最後の夏を終えようとしていた頃 千駄ヶ谷

これらの車両の多くは約10年間、中央快速線で特別快速を中心とした運用で働き、1981年11月頃から、津田沼区に転属していますが、先頭車の
クハ103-219、220 は1983年3月12日 淀川区へ 
クハ103-221、222 は1983年3月25日 明石区へ
クハ103-237、238 は1974年3月23日 高槻区へ 転属となっています。

(追記:JTBパブリシング キャンブックス103系物語の103系車輌履歴表によると上記のようになりますが、JRR1979年版国鉄電車編成表によると、上記のクハ6両は1978年3月31日時点で高槻電車区に在籍しております。キャンブックス104ページに記述では昭和49年1・3月の山手線、京浜東北線ATC計画のスタートで中央快速線にも3編成分のATC準備工事クハ(311~316)を投入し、低運転台量産冷房車クハを転出させたとあるので、これら6両は1974年の時点で高槻に転属しているものと思われます(2014.11.23)。

この237,238の編成は大阪環状線で2005年に写しています。大阪環状線の回の記事でアップする予定です。

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電車103系」カテゴリの記事

コメント

B767しゃん、こんにちは(^^)お邪魔致しますよ(^◇^;)103系の量産冷房車、中央快速線にやっと登場ですね。当初から【特別快速】運用かと思いきや…スタートは【快速】運用だったんですね。のちに【特別快速】運用に入るんですな。

B767−281様こんばんは。中央線への103系初投入。とにかくがっかりしたというのが当時の思いです。もともと中央線には合わない系列なのに当時の閉塞的な状況で仕方なく投入された感じです。それはともかく投入の必要性は武蔵野線開業でした。6連✖️11本の101系(1000番台に小改造)を用意する代わりでした。そのため最初に7本の103系が用意されました。70輌➖66両は4両でサハ103−751〜754の4輌はサハ101−111〜114の改造となりました。そこまで7本は1973年初頭に落成し、2月頃から営業に入ったと記憶しています。その後関西線の電化開業で関西101系(環状線)からの転属では足りないので、後1本の103系を中央線に入れ10両の101系を捻出、そのうち2輌はサハ101−133,134でサハ103−755,756に改造し103系に組み込み、101系6輌が関西線電化用として転属となりました。(クモハ101−50など)そんなこんなで、当時の国鉄はその時ある車輌を工夫して最大限有効活用していたのだ、と今思います。民営化されすぐにスクラップにして新車を入れる(201系が最大の被害車かな)現在には違和感を覚えるのは私だけでしょうか。夜分お邪魔いたしました。

マスダっち1971さま、おはようございます。

早速、コメントありがとうございます。私も当時沿線住民として見た感じでは
まず快速運用から始まってその後、特別快速専任のような感じでした。盛夏のころは専ら、特別快速でした。

細井邦忠 さま、おはようございます。

一見、華やかに見えた103系の新製車の投入のようでしたが、現場サイドではぎりぎりの苦労があったのですね。まさに、すこしも無駄ができないという財政難に苦しむ当時の国鉄の姿が見えてくる貴重なお話しありがとうございます。

この後、1982年でしたか、台風10号が関西線の101系を廃車に追い込み、関東から廃車前提だった101系を急遽、送り込むというまたしても大変なことが起こるのですね。

B767しゃん、おはようございます(^◇^;)お邪魔致しますよm(_ _)mこの頃っちゅうのは…中央線の【特別快速】は主に101系・冷房改造車&103系・量産冷房車の運用だったんでしゅか⁉︎101系・非冷房車は…【快速】運用ですかね。

マスダっち1971 さま、おはようございます。

わたしも断言はできないのですが、冷房の必要な時期は、冷房付き編成を特別快速運用に優先的に投入したと思いますので、仰る通りかと思います。

特別快速運用に必要な編成本数も決まっていたので、故障時などはやむなく非冷房車が投入されることもあったと思います。

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