東海道新幹線開業から50年 その3 1966年から1969年頃
1964年10月から、今日に至る新幹線50年の歴史、今回は「ひかり」東京~新大阪 3時間10分運転が実現した1965年11月1日改正以降、大阪万国博開催前までの話題です。
0系 K40編成 1980/12/13 新大阪
まず最初の話題は編成の変化です。
車両的には1965年10月のダイヤ改正における増発にむけて第3次車として、
上記の車両が増備され、40編成体制になっていました。
「ひかり」「こだま」開業時の編成は車両形式的には同じで、自由席と指定席の構成が違いました。
開業後、運行を続けて行くにつれ、自由席の多い「こだま」の方が混雑度が高く、1等車2両は過剰と判断されたため、7号車を2等車自由席とする「こだま」専用編成を組成することになりました。
1966年10月1日の改正から「こだま」は1等車1両(半室自由席)とし、新造された2等車(25形200番台)を従来の1等車と組み換えましたが、半数は7号車が2等車、8号車が1等車の正規編成、残り半数は6号車の次に8号車(15形)1等車、その次に7号車(26形400番台)2等車の変則編成となりました。
この編成組換えは第4次、第5次として増備された車両と第3次車として増備された編成に対して行われ、第1次、第2次車はそのまま「ひかり」専用編成となりました。この編成替えで「ひかり」30本「こだま」20本編成体制となり、2-2ダイヤ化が完了しました。
わたしが初めて新幹線に乗ったのは、1966年の夏休みの萩家族旅行で、自由席のあった「こだま」でした。当時は毎夏萩か能代に帰省していましたが、指定券の確保は至難の業で、前の晩から徹夜で並んでも特急はおろか急行の指定席も取れないということを記憶しています。、
リニア・鉄道館にて撮影した0系 普通車車内 2014/8/12
この夏のリニア・鉄道館訪問の際に0系車内を見学しましたが、1966年夏に初めて新幹線に乗った際のことを思い出しました。当時、小学校5年生で早速、車内探検をしましたが、
いまでもしっかり憶えているのが、この冷水器です。夏の暑い時期、車内は冷房は効いていましたが、何度この冷水を飲みにデッキに通ったことか。さらに紙封筒のようなコップも数枚記念に持ち帰りましたね。あとは速度計の表示でした。
あの時の萩行きは最近、当時の時刻表を見ていて気付いたのですが、東京~新大阪間の新幹線開通の効果というのは東京~萩間の従来の東京発昼行・夜行急行の旅に較べてあまり時間的メリットがないのですね。従来の急行、例えばその1の記事で紹介した1964年夏の「雲仙・西海」の旅に較べて、朝東京駅を出発する新幹線に乗っても、大阪から先の当時の在来線ではその日のうちに萩に到着するのは不可能だったのですね。
そこで、恐らく旅好きで時刻表好きだった母(旅行のプランや切符の確保は、父よりも母が主導的だったはず)が考えたアイディアは新幹線で新大阪へ、大阪港から瀬戸内海航路で別府へ、別府で一泊した後、九州から萩へという行程でした。ところが、台風の接近で瀬戸内海航路は欠航となり、大阪から先の行程は陸路への変更を余儀なくされました。
そこで乗車したのが
新大阪~広島 急行「はやとも」 205M 時刻 模型での再現
広島~下関 急行「第2関門」 303M 時刻
下関~東萩 急行「しまね」 801レ 編成
でした。結局、夜中の2時前に萩に着くという往路でした。
当時の写真はありませんが、「はやとも」で初めて見た60Hz用の475系交直両用急行型電車、車体の裾にクリームのラインが入った姿が目に焼き付きました。また夕刻の153系急行「関門」ではビュッフェでハムサンドのような軽食を食べたのが記憶にあります。広島で「はやとも」から「第2関門」にわざわざ乗り換えたのは、台風や夏休みで「はやとも」はかなり混雑しており、満足に座席が無かったためと思われます。あの時、広島に到着する前に山陽本線の瀬野~八本松という難所があることを初めて知りました。
撮影年代不明 東京駅で鼻先を揃えた0系
6次車としてこだま正規編成が7本増備されましたが、このときから東急車輌が製造に加わりました。
1966年度からは乗車率増加の傾向となり、増発の必要性から東京駅の新幹線ホームが1967年3月10日に増設され、16,17番線発が「こだま」、18,19番線発が「ひかり」と分離されるようになりました。1967年10月1日改正からダイヤもピーク時、3-3ダイヤとなり、ひかり10本、こだま15本が増発されました。
この間の車両増備の様子です。圧倒的にこだま用編成増備の時代でした。
1968年10月1日の改正では「ひかり」「こだま」各10本の増発が行われ、3-3ダイヤが終日に拡大されました。1969年4月25日には初の新駅として三島駅が開業しました。地元の工事費全額負担による駅誘致が実現したものでした。三島駅には追い越し設備が設置され、「ひかり」の追い抜きが3回となったため「こだま」の所要時間は4時間から4時間10分になりました。
1969年5月10日、国鉄の運賃法が改正され、明治以来の客車の等級制が廃止されました。1等車がグリーン車となり、2等車は普通車となり、従来の一等運賃の5~6割程度でグリーン車を利用できるようになったため、グリーン車の利用が増えたそうです。
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こんばんは。
東京駅での4本並び、素晴らしい光景ですね。個人的には時期的にまだやっと産まれたかな、といったところなのですが、小窓の1000番台もまだ登場していない、原型0系オンパレードな時代ですね。
私が始めて新幹線に乗ったのは小学校の修学旅行ですから、まだもう少し先です。
投稿: MiO | 2014年10月23日 (木) 00時11分
MiOさま、おはようございます。
MiOさまの西武の赤電に対する思い入れを拝見しているともっと年配の方かとこちらでは想像致しておりました。
新幹線も0系の歴史をいろいろ読んでみると、なんと38次まで国鉄時代の最後まで製造されているのですね。
0系がリタイアしてからのモデルチェンジの間隔は随分短くなりました。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年10月23日 (木) 06時16分