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2014年10月31日 (金)

高崎鉄道ふれあいデー その1 EF55 1

2014年10月18日に高崎駅構内、南側留置線スペースで開催された高崎鉄道ふれあいデー、まず最初は茶色い機関車大集合で整列した4両の機関車から触れてゆこうと思います。

141018
当日は、新幹線の高架線(東)側から、EF64 37、DE10 1705、EF55 1、EF64 1001の4両が並んでいました。

今回はこの中でも最年長のEF55 1についてです。

Ef55_1_141018_10 「ムーミン」、「かば」、「どた靴」 などの愛称で親しまれているEF55 1号機 美しく磨き上げられた姿で 2014/10/18 高崎

1936年当時は国内外とも流線形ブーム真っ只中の時代で国鉄でもC53 43号機を皮切りに、C55形20-40号機モハ52系キハ42000形、キハ43000形などが製造され、さらには最大速度40km/hの東京市電1100、1200仙台市電43、大阪市電900なども流線形で登場し、電気機関車でもEF53形1935年度製造分3両を設計替えして、EF55 1号機(日立製作所)、2号機(日本車輌製造・東洋電機)、3号機(川崎造船・川崎車両)が製造されました。

車体の組み立てではリベットやボルトは極力使用せず、電気溶接を多用し、歯車比を高速側に振り、空気抵抗を減らし、高速性能を高める工夫がなされました。

Ef55_1_090117_07 特徴的な第1エンドのフォルム 2009/1/17 横川

模型レベルでは両端流線形車体の案もあったようですが、客車の抵抗増大を招くので流線形形態は第1エンドのみとし、第2エンド側は切妻とし、運転台設備も構内運転用程度のものとし、前照灯もなく、先台車も1エンド側は旅客用機関車標準の2軸なのに対して、2エンド側は貨物用機関車から流用の1軸台車となりました。1エンド側の連結器は下に折り曲げてスカート内に格納されるようになっていました。

Ef55_1_090117_03 第2エンド側にも小さなデッキと手すりが付いています。

沖田祐作氏の機関車表より、EF55 1-3の履歴を見てみると、

EF551      日立製作所笠戸工場=636           1936-03-30 E100t2CC1(1067)
   車歴;1936-03-30 製造→ 納入;国鉄;EF551→ 配属;静岡局→1936-03-30 使用開始→
      1936-03-30 配置;沼津→1945-08-03 沼津機関区にて米軍機の銃撃を受け16 ヶ所破損→
      1949-05-20 浜松→1951-10-30 沼津→1952-03-10(3/11?)高崎二
      1955-02-24~26 日静岡ー浜松間にて高速試験に使用;時速120㎞試運転→
      1957-10-05 一休指定→ 指定解除? →1958-08-19 一休指定→
      1960-04-05 借入;国鉄中央鉄道学院→1963-08-19 一休指定→
      1964-12-04 返却(書類上の返却で現車は教習所貸出のまま)→
      1964-12-05 廃車[達678];高崎二(最終走行距離2,366,035㎞)→
      1972-05-00 現車返却→ 保存;高崎鉄道管理局→1978-10-14 準鉄道記念物に指定→
      1978-11-17 鉄道記念物指定除幕式開催→1985-05-00 復活予定にて解体検査開始→
      1985-06-12 ジャッキアップ→1986-06-26 組立完了;パンタ上昇試験後高二区構内試運転→
      1986-06-24 復籍動態;EF551→ 配属;高崎局→1986-07-08 上越線にて試運転実施→
      1986-07-25 高崎第二機関区にて出区式実施→1986-07-25 高崎駅にて出発式実施→
      1987-03-01 配置;高崎運転所→1987-04-01JR 東日本;高崎運転所;EF551→
      配置;高崎運転所→2004-04-01 現在改称;高崎車両センター→
      2008-04-01 現在;高崎車両センター
EF552      日本車輌名古屋工場=100/= 東洋電機      1936-04-26 E100t2CC1(1067)
   車歴;1936-04-26 製造→ 納入;国鉄;EF552→ 配属;静岡局→1936-03-31 使用開始→
      1936-03-31 配置;沼津→1945-04-09 借入;新鶴見圧縮機代用→1949-05-20 浜松→
      1951-10-29 沼津→1952-03-16 高崎二→1957-10-05 一休指定→1958-03-20 解除→
      1958-08-19 一休指定→1960-05-26 借入;広島二(訓練用)→1962-07-08 返却→
      1963-08-19 一休指定→1964-12-04 返却→1964-12-05 廃車[達678];高崎二→
      1965-07-12 昭島駅側線の解体場に到着(最終走行距離2,244,705㎞)
EF553      川崎重工兵庫工場=57             1936-03-00 E100t2CC1(1067)
   車歴;1936-03-00 製造→ 納入;国鉄;EF553→ 配属;静岡局→1936-03-27 使用開始→
      1936-03-27 配置;沼津→1948-12-20 第8021 列車二宮駅構内進行中自動車と衝突→
      1949-05-20 浜松→1951-10-28 沼津→1952-02-15 借入;名古屋→1952-02-27 返却→
      1952-03-19 高崎二→1954-03-10 借入;沼津→1954-03-16 返却→
      1957-10-05 一休指定→1958-03-29 指定解除→1958-08-19 一休指定→
      1961-06-07 借入;宇都宮→1961-06-18 返却→1961-06-18 米原→
      1961-06-18 浜松工場入場→1962-11-07 浜松工場改造(車体は新製)[達126];ED301
      1976-07-20 廃車;米原

新製後配置は3両とも沼津機関区で特急「つばめ」「富士」の牽引や他の旅客、小荷物列車の牽引も担当しましたが、最高速度95km/hでは流星形による空気抵抗軽減効果が殆どないこと、終端駅で転車台で方向転換しなければならないこと、スカートがあるために保守に手間がかかることなどで、製造は3両で打ち切られ、1938年からは、前位連結器の固定化、第2エンド運転台の本線運転可能化改造がなされ、1952年に高崎第二機関区に転属になるまで東海道本線で使用されました。

Ef55_1_030505 2003年5月5日 上野からイベント列車を牽引して高崎方面に向かうEF55 1号機 このときがEF55との初めての出会いでした。

高崎区転属後は上越線での活躍や東海道線でのEH10 15との高速試験や、碓氷峠での空転試験、ED71形の性能試験での関与もあったようですが、休車指定の期間もかなりあり、もてあまし気味だったようです。3号機が1962年に北陸本線交直接続用のED30形製造にあたり、主電動機MT28Aを供出する形で改造され、1号機は中央鉄道学園での教習用に、2号機は1965年に解体となりました。

Ef55_1_050528
Ef55_1_050528_2
一度だけ単機で走る姿を赤羽で目撃しましたが、まさに”大きな靴”が走っている感じでした。第2エンドの梁の形はEF10やEF13の梁の形とよく似ています。 2005/5/28

小学校時代、国分寺~国立間をバスで通っていたことがあり、1962~1964年頃中央鉄道学園の横はよく通っておりました。同所には興味深い車両が存在するのは目にしていました。国鉄民営化で売却され、現在は記念碑を残して、施設は何も無くなってしまったのが残念です。

041211_3 高崎車両センターに残されている転車台 2004年12月11日の公開時

1978年に1号機は準鉄道記念物に指定され、さらに中央鉄道学園から高崎第二機関区に戻され、転車台脇に留置されていました。

1985年、同区で開催された機関車展示のイベントに向けて、機関区有志の方々の努力により、構内試運転が可能な状態まで整備され、国鉄本社は1986年に大宮工場にてリバイバルトレインの運用を前提に本格動態復元を行い、同年6月24日車籍の復活に至りました。

Ef55_1_041211 2004年12月11日の高崎車両センター・機関区のイベントの際には2エンドを見せての参加でした。

高崎区の看板機関車としてイベント列車の先頭に立って活躍し、2006年の交通博物館閉館記念イベントでは旧万世橋駅跡に展示されたこともありました。2007年の電動コンプレッサ(CP)の故障以来、修理と復元工事がなされましましたが、本格的本線運用は無くなるとのことで2009年1月にさよなら運転がなされました。以降、車籍は存在し、いずれは鉄道博物館に保存されるとのことです。

Ef55_1_090117 2009年1月17日に横川まで運転された「さようなら」列車 EF641001が後部補機を努めていました。 松井田

考えてみると、EF53と並んで東海道本線で働いた期間が約16年、高崎に移ってからは休車の期間が長く廃車までの12年はあまり働いてはいませんね。一方で1号機の車籍は復活して今年で29年ですから、1号機は車籍復活後の方が充実した車生を送っているのかもしれません。

Wikipediaならびに日高冬比古氏の戦前戦中の国産電気機関車の記事を参考に纏めました。

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2014年10月30日 (木)

長浜鉄道スクエア訪問記 その3 D51 793号機

2014年8月9日の長浜鉄道スクエア訪問記、今回はED70 1号機と並んで展示してあった、D51 793号機です。

D51_793_140809_8 D51 793号機   2014/8/9  長浜鉄道スクエア・北陸線電化記念館

まずこの機関車の履歴を沖田祐作氏の機関車表で調べてみると

D51793     三菱重工業神戸造船所=362           1942-11-18 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1942-11-18 製造→ 納入;国鉄;D51793→ 配属;東京局→1942-11-27 配置;大宮→
      1942-11-27 使用開始→1944-08-20 発米原→1945-10-06 借入;稲沢→
      1945-11-30 返却→1946-12-20 大垣→1947-01-18 借入;米原→1947-04-04 返却→
      1950-05-17 木曽福島→1960-01-23 換気装置取付→
      1968-10-14 金沢運転所(10/15 糸魚川?)→1969-05-00 借入;糸魚川→
      1969-09-00 返却→1970-04-28 二休指定→1970-06-25 廃車[中部支達42];金沢→
      1970-10-21 保存;滋賀県長浜市「豊公園遊園地」;D51793→
      移管保存;滋賀県「長浜駅資料館」;D51793→
      2003-07-17 改組改称;北陸線電化記念館;D51793

1942年に三菱重工神戸造船所で製造され、大宮に新製配置されますが、2年ほどで米原へ、恐らく東海道線、関ヶ原付近の山越えや北陸本線米原口の輸送に活躍した後、1950年には木曽福島へ、中央西線に活躍の場を移し、18年後の1968年金沢へ、北陸線で最後の活躍をして、1970年6月に廃車となっています。D51としては比較的早い廃車で、その後、長浜市内の公園に保存され、長浜駅資料館開設で現在地に移設、2000年当時は屋外に展示されていたそうですが、2003年7月17日の北陸線電化記念館オープンで現在の展示形式になったようです。

履歴を辿ると、北陸本線との関係は新製直後の米原区時代と、最晩年の金沢区時代です。

D51_793_140809_10 全体に美しく磨きあがられており、形態的最大の特徴はデフレクターの前縁に欠き取りがあることでした。この形態的特徴は後日、記事にする予定ですが、岡崎市の岡崎南公園に保存してあるD51 688号機にも見られました。

D51_793_140809_7_2 ナンバープレートは緑地で連結器は茶色に塗られています。

D51_793_140809_6 ロッド類も緑に塗られ、逆転機のモーションプレートは小穴タイプでした。

D51_793_140809_15 砂管は見えにくいですが3本垂直に降りて、前から3本目が斜めに下る方式でした。

D51_793_140809_4 キャブ内も見学可能で、火室や火床の様子も見ることができます。

D51_793_140809_12 わたしは見つけられませんでしたが、左先輪にC1269刻印があるそうで、C1269号機は今回の旅行で安城市で見学していた機関車でした。

D51_793_140809 後部もナンバー、前照灯が完備し、きちんと整備されていました。

この機関車、最後は金沢運転所配置で、1970年10月に長浜市民の要望で貸与され、豊公園に静態保存となり、1995年12月、SLびわこ号の運行開始を記念して長浜駅資料館に移設(屋外展示)となり、

D51_140809
さらに2003年7月17日に北陸線電化記念館に再移設されています。その再移設の際の様子がパネルで展示されていました。

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2014年10月29日 (水)

ニューヨーク州イサカへ その8 Taughannock Falls

2014年7月下旬のアメリカ出張、イサカ周辺で最後に訪れたのはCayuga湖に注ぐ、Taughannock川が形成する滝(Taughannock Fall)を中心としたタガノック滝州立公園です。
場所はイサカの北西約12kmの場所です(地図)。

Taughannock_falls_140725_tf3

氷河の浸食で形成された崖にある滝の落差は66mあり、落差の点では前回のナイアガラの滝よりも大きくロッキー山脈以東の滝では最大の滝だそうです。

140725_tf 手前の道が遊歩道、奥の階段は崖の上へ 遊歩道を右方向へ進むと滝へ  2014/7/25 Taughannock Falls State Park

Cayuga湖畔の駐車場から谷に沿って1.2km程、歩くと滝に到達します。その間の遊歩道はTrail (Gorge Trail)と呼ばれ、Taughannock川が崖を浸食して、後退しながら作った峡谷の川沿いの遊歩道で、なかなか興味深い自然の産物を目にすることが出来ます。遊歩道に沿って案内板が用意されており、特徴的な風景の説明が書かれております。

140725_taughannock_f Gorgeの形成を説明する案内板

140725_taughannock_f_2 川にはこういった小さな段差もあります。

このあたりの地層は石灰岩(limestone)と頁岩(shale)から成っており、水の流れによって氷河が形成した崖を浸食していったそうです。

140725_taughannock_f2 日陰の効果による植生分布の異なりを説明する案内板

そしてGorge (峡谷)が形成されると日当たりの関係で、日の当たるサイドは落葉樹が繁茂し、日の当たらない側のサイドは針葉樹が繁茂し、小さいながらも異なった植生分布を示す結果となったそうです。秋になると水流の向こう側はきれいに紅葉するそうです。

140725_taughannock_f3
現在は大西洋から随分離れた内陸部ですが、3億8千万年前、この地は 海底だったそうで石灰岩はその当時の海洋生物のカルシウムの沈殿物であり、さらに頁岩、砂岩が堆積してこの付近の大地が形成されているそうです。
前々回の記事で岩塩の話題が出ましたが、通説では岩塩の誕生も3億数千年前と言われていますね。

140725_tf_2
斜面のいたるところにこういった薄い板状のシェール(頁岩)が露出しています。運が良いとこの頁岩の中から化石が見つかるそうです。

最近はこの頁岩層が有機物を多く含むことを利用してここから石油をとる技術開発(オイルシェール)も盛んですね。

Taughannock_falls_140725_tf
あたりの景色を眺めながら歩いていると滝に到着です。

Taughannock_falls_140725_tf2
さらに一旦戻って車で別ルートを行き、滝を見渡せる展望台もありました。

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2014年10月28日 (火)

西武新101系 その7 時は流れて 2連編 その1

西武鉄道の新101系のシリーズ、前回の記事ですべての車両の製造に関しては触れました。新101系はちょうど100両、301系は56両が製造されました。

今回からは、製造後の変化、晩年、そして引退後の第二の車生について触れてゆこうと思います。

まずは、2連の話題です。

101n_2_810830_edit 荒れた画像で恐縮ですが、石神井公園駅に接近する新101系2連を先頭にしたハイキング急行「奥武蔵」 1981/8/30
この付近、複々線化ですっかり様子が変わりました。

2連は1979年7月から東急車輌への外注で281Fから295Fの8本、1982年5月から、所沢車両工場製の269Fから279Fの6本の計14本が製造されました。
奇数車に主制御装置、偶数車にMG・CPなどが搭載されました。

最初に登場した281Fからの8本は前面の凹部の塗色がウオームグレイでしたが、入場で色が濃くなり、最終的には黒に統一されました。269Fからの6本は最初から黒での登場となりました。

登場時、他の私鉄や国鉄でも抵抗制御方式から、省エネ方式としてチョッパ制御方式の車両の開発、量産が開始されており、やがて時代はチョッパ方式から交流誘導電動機を用いるVVVF方式の時代へと移って行きました。また西武鉄道における車両の主流も3扉車から2000系、新2000系に代表される4扉車の時代になってゆきました。

1997年2月の701系冷改車グループの引退に伴い、101系全体の塗装簡略化が決定され、サイド窓周りのウオームグレーの塗装が省略され、黄色一色塗装となりました。

101n_2301_070330_2 301系8連と併結して10連の池袋線急行 まっ黄色編成  2007/3/30 所沢

4連の方は701系冷改車グループとの併結対応改造や秩父鉄道乗り入れ改造、さらにはワンマン対応改造などもありましたが、2連の唯一の改造は2007年度E31形電機の老朽化引退に伴う牽引車代替として、279Fに4連の255Fのモハユニットを組み込んだ4両全電動車263Fの登場くらいでしょうか。この263Fに関しては別記事で触れる予定です。

西武秩父線開通40周年記念企画として2009年3月に多摩湖線用4連261Fが新造当時のツートンカラー前面窓周りベージュとなって運用を開始し、同年6月には池袋線所属の271Fにもこの塗装が施されました。但し、271F は前述のように最初から黒で登場した編成であり、前面ウオームグレイ塗装は初めてのこととなりました。

101n2301_100102 101系オリジナル塗色リバイバルと真っ黄色の併結編成 2010/1/2 所沢

101n_2_100102_2 登場時のウオームグレイ塗色になった271F編成 2010/1/2 所沢
同じ塗色に戻っても登場時の写真 と較べると連結器胴受けの形態の違いがかなり与える印象に違いをもたらしていることが分かります。

2007年4月17日に101系、301系に代わる次世代通勤形車両30000系の導入が発表され、置き換えられるように引退して行きました。

101n_2_100102_3 特徴的な前面パンタの正面スタイルも静かに去って行きました。 2010/1/2 所沢

廃車は2004年度から開始されており、

289F 2004/9    同年12月に上信電鉄に譲渡
293F  2005/9     同年12月に上信電鉄に譲渡
283F  2008/7/14   クモハ283は10月三岐鉄道へ、クモハ284は11月伊豆箱根鉄道へ譲渡
269F/273F/291F  2008/12/29 
        269Fは未改造のまま、2009/3にクモハ291とともに近江鉄道へ 
    273Fは改造の上、2009/6に流鉄へ
    クモハ292は伊豆箱根鉄道へ
275F/277F  2010/8/4 改造後、275Fは2010/9に、277Fは2011/10に流鉄へ
287F  2012/4        改造後、2012/9に流鉄へ
295F  2012/11     2011/12 近江鉄道へ
281F/285F  2012/12  2013/2 近江鉄道へ
271F  2012/12     2013/9/1に流鉄へ

近江鉄道の編成については既に紹介してあるものもありますが、これらの他私鉄へ譲渡された新101系についてもこれから別記事で紹介いたします。

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2014年10月27日 (月)

1989年のDüsseldorf Airport その19 LH Boeing 737-330

1989年初夏、冷戦下の西ドイツ、Düsseldorf 空港で撮影した旅客機のシリーズ、今回は前回に続いてLufthansaのBoeing 737-300 型です。
Dabxk_cn_23530_1297_b737330_890507_ D-ABXK cn 23530 ln 1297 B737-330 1989/5/7 DUS

前回、書くのを忘れましたが、西ベルリンのテーゲル空港は当時、Lufthansa機を代表とする西ドイツの航空会社は乗り入れが許されていませんでしたから、DüsseldorfでLufthansa機を見たときは不思議な感じがしたものでした。

737-300からのシリーズは以前、DAN Airの記事でも触れましたが、長らく製造された-200シリーズからモデルチェンジし、エンジンはJT8Dから高バイパス比のCFMインターナショナル製CFM56-3Bシリーズとなり、パイロンで主翼につり下げられましたが、地面との距離を考慮しておむすび型になりました。また垂直尾翼前縁の形態も変化しています。

Table_1_lh_737300_2 表1 Lufthansaの737-330 フリートリスト

Table_2_lh_737400 表2 Lufthansaの737-430 フリートリスト

Table_3_lh_737500 表3 Lufthansaの737-500 フリートリスト

これらのデータはLufthansa Fleet Details and History のデータを参考に纏めました。

NGシリーズ登場後はクラシックシリーズと言われる-300 -400 -500の737のシリーズ、Lufthansaは-300を46機、-400を7機、-500を32機導入しています。-300, -400は全て自社発注の30カスタマーコードを付けていますが、-500は05のノルウェーのBraathen航空発注の機体も2機含まれています。

Dabxu_cn_24282_1671boeing_737330_89 D-ABXU  (cn 24282 ln1671) Boeing 737-330 1989/5/4  DUS
この機体は1989年1月に納入された機体でしたが、現行の新塗装を纏っています。

construction numberを見てみると、番号の連続した単位が一回の発注で決められた番号と仮定すると-330の場合は12次に分かれて、-530の場合は6次に別れて発注が行われたことを想像させます。-430の場合は一回の発注のみです。

私が西ドイツに滞在していた頃、-300タイプの導入が開始された頃で、-400は-500はまだ導入開始前でした。-500に関しては2003年にテーゲル空港で撮影した際に撮影していました。

なお、737の最新のNGシリーズは今のところ導入は無いようです。

写真のD-ABXK (23530/1297)は1986/11/20にLufthansaにデリーバーされ、2002/6/1にBalkanにリースされ、LZ-BOHの登録記号が付与され、さらに2002/12/1にはBalkan Air Tourへ、2003/4/1にはBulgaria Airへ、2005/1/31からは運航休止状態となり、2005/2/11に英国のChannel Expressのフリートに加わり、G-CELKのレジが与えられ、さらに2006/1/3からはJet2のメンバーとしてマンチェスターをベースに飛んでいるようです。D-ABXU (24282/1671)はまだLufthansaに籍を持ち、今年2月からアメリカのTulsaでstore状態にあるようです。

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2014年10月26日 (日)

通勤電車シリーズ 103系 13 量産冷房車の登場 2 中央快速線

通勤電車103系シリーズ、今回は中央快速線(オレンジ色)にも登場した量産冷房編成の話題です。
103_2 中央快速線にも登場した量産冷房編成    八王子

投入は豊田電車区で、前回の一部抜粋になりますが、

8編成
クハ103-<213, 214>, <217, 218>, <219, 220>, <221, 222>, <231, 232>, <235, 236>, <237, 238> ,<259, 260>
モハ103/102-<331/487, 332/488, 333/489>, <337/493, 338/494, 339/495>, <340/496, 341/497, 342/498>, <343/499, 344/500, 345/501>, <358/514, 359/515, 360/516>, <364/520, 365/521, 366/522>, <367/523, 368/524, 369/525>, <402/558, 403/559, 404/560>
サハ103-<324, 325>, <328, 329>, <330, 331>, <340, 341>, <344, 345>
サハが3編成分6両足りないのはサハ101に冷房改造、行き先表示装置取り付け、ジャンパ連結器交換等を施し、サハ103-750番台(751~756)として編入

103 同編成の写真の中でこれが一番最初の写真だったと思います。未だ春先で、冷房車といえども冷房は必要なかったため、普通の快速運用に就いていました。  1973.3 荻窪

緩行線のホームから下り快速電車を写していますが、あの頃、この写真の奥のように荻窪駅の北側には手小荷物取り扱いの設備がありました。

103_740506 初夏の頃になると量産冷房車は特別快速運用、一辺倒になったように思います。 1974/5/6 三鷹 

山手線の低運転台クハはあっと言う間に高運転台車に置き換えられてしまいましたが、こちらはATC化の計画は無かったのでこのタイプのクハを長く見ることができました。一方で、ATC化計画はなかったものの、後の記事で出て来ますが、ATC準備工事をしたクハも配属となりました。

103       お客さんの服装から秋から冬への頃かと 新宿

103_790923 1979/9/23 立川
この頃になると、改造冷房車もだいぶ増えてきて特別快速一辺倒ではなくなってきたように思います。
103_810829 1981/8/29 中央快速線での最後の夏を終えようとしていた頃 千駄ヶ谷

これらの車両の多くは約10年間、中央快速線で特別快速を中心とした運用で働き、1981年11月頃から、津田沼区に転属していますが、先頭車の
クハ103-219、220 は1983年3月12日 淀川区へ 
クハ103-221、222 は1983年3月25日 明石区へ
クハ103-237、238 は1974年3月23日 高槻区へ 転属となっています。

(追記:JTBパブリシング キャンブックス103系物語の103系車輌履歴表によると上記のようになりますが、JRR1979年版国鉄電車編成表によると、上記のクハ6両は1978年3月31日時点で高槻電車区に在籍しております。キャンブックス104ページに記述では昭和49年1・3月の山手線、京浜東北線ATC計画のスタートで中央快速線にも3編成分のATC準備工事クハ(311~316)を投入し、低運転台量産冷房車クハを転出させたとあるので、これら6両は1974年の時点で高槻に転属しているものと思われます(2014.11.23)。

この237,238の編成は大阪環状線で2005年に写しています。大阪環状線の回の記事でアップする予定です。

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2014年10月25日 (土)

公園保存車両 都営地下鉄12号線用試作車両 千早フラワー公園

全国の公園等に保存されている車両を観て歩くシリーズ、今回は蒸気機関車ではなく地下鉄の試作車両です。

12_140504_11 12-001  2014/5/4 千早フラワー公園

西武池袋線椎名町駅もしくは、地下鉄有楽町線要町駅から歩いて数分の豊島区の千早フラワー公園に保存されている都営地下鉄12号線(現在の大江戸線)用に試作された車両です。

12_140504_10 12-002

都営12号線は元々都営新宿線などと同じ20m級車両10両編成での建設を想定していましたが、建設費を削減するため、小形地下鉄方式で建設することに決まりました。同方式は日本では当時、実用化されていなかったため、安全性や信頼性などの様々な面で試験を行いデータを収集する必要がありました。

試作車として1986年に東急車輌製造で12-001(Tc)12-002(Mc)の2両が製造され、3月25日に陸送で馬込検車場に搬入されました。試作車としてのコンセプトは省エネ、省メンテナンス化、最新の技術を導入した車両システムの統合化、車体・機器の小形軽量化でした。

12_140504_13 ボルスタレス台車、車輪径がかなり小さい

軽量ステンレス車体で前頭部はFRP成形品を取り付け、前面は非対称でプラグドア式の非常扉を備えました。制御方式は都営初のGTO-VVVFインバータ制御方式とし、主電動機は120kW三相誘導電動機とし、台車も都営初のボルスタレス台車を履きました。車輪径は小形地下鉄なので660mmと小さく、床下の艤装スペースもかなり小さくなりました。補助電源装置は100kV静止形インバータを採用し、集電装置は菱形、Z形、下枠交差形を試験しました。冷房装置は車内床置式冷房装置を2台搭載し、車端部が冷房機器室になりました。

12140504_3 車端部の冷房機器室

乗務員室は右側運転台で12-001と12-002で当時としては斬新なタッチパネル式やバーグラフ式メーターを採用しました。主幹制御器も右手操作形ワンハンドル方式を採用しました。

馬込検車場内に延長300mの仮設線路を設置し、構内走行試験を実施しました。さらに浅草線運転終了後の時間帯に本線走行試験も戸越~西馬込間において実施しました。仮設線路では最高時速40km/hが限度でしたが、本線では70km/hで走行し、高速走行時の振動、騒音などの試験が行われました。

12_140504_2 車内の様子、現在はモケット等は撤去され、木張りの座席に

1987年6月に地下鉄12号線の走行方式はリニアモーター方式と提言が出され、東京都交通局も試作車をリニアモーター方式に改造することに決定し、リニアモーターの装着、12-001の電動車への改造、電磁吸着ブレーキの取り付けが行われました。馬込検車場の仮設線路にリアクションプレートが設置され、1988年4月から11月にかけて走行試験が実施され、試験結果は概ね良好であったことから、1988年12月21日に大江戸線全線リニアモーター方式の採用が決定されました。

12_140504 地下鉄12号線の説明やリニアモータ方式の説明もあります。

試験で得られた実績の多くは量産車12-000形に採用されましたが、試作車は開業後に営業運転に就くことなく廃車となりました。もっとも、試作車は東京都交通局の車両としての車籍は最初から有していなかったそうです。豊島区に払い下げられ、この地に1991年2月から保存となったそうです。

小形地下鉄車両として大阪市交通局鶴見緑地線(現・長堀鶴見緑地線)が1990年の花の博覧会開催に合わせて開業しましたが、それに続く第二段として鉄輪式リニアモーター駆動方式を採用したのが東京の都営地下鉄大江戸線でした。

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2014年10月24日 (金)

郡山車両基地まつり 2014  その5 485系A1A2編成

2014年9月6日の郡山車両基地公開の話題、今回は仙台車両センター所属の485系A1A2編成についてです。

4811016_140906 「あいづ」のHMを掲出中のA1A2編成 クハ481-1016 2014/9/6 郡山車両基地

構成は

←仙台・会津若松 6号車               1号車 郡山・上野→

クハ481-1015+モハ485/484-1032+モハ485/484-1077+クハ481-1016

この編成は以前、東北特急について触れた記事で紹介しています。

それぞれの車両の履歴は、クハ481-1015/1016は1978/9/7に東急車輌で落成し、盛アオに配置されています。モハ485/484-1032は1979/3/23は東急車輌で落成し、盛アオに配属されています。モハ485/484-1077は1978/9/7に日立製作所で落成し、秋アキに配置されています。

まず、手元にある車両編成表から、今日こうやって生き延びた485系各形式がそれぞれがどういった編成に組み込まれ、活躍していたか見てみようと思います。

1979年の編成表によると、当時は編成番号の表記はなく、
クハ481-1015は「はつかり」「やまびこ」「ひばり」「いなほ」「白鳥」用12両編成19本のうちの1本の青森より12号車、-1016は別の編成の1号車に組み込まれていました。-1032ユニットは同編成群のさらに別の編成の9・8号車に組み込まれていました。-1077ユニットは秋アキの「つばさ」「いなほ」「やまばと」用12両編成9本のうちの1本の5・4号車に組み込まれていました。

クハ481-1015, -1016は1982/9/11に盛アオから秋アキに転属しています。そして-1015は1986/7/23に再び盛アオに戻っています。

1986年の車両編成表によると、
クハ481-1015  は盛アオ「いなほ」「はつかり」用6両編成の6号車、青森よりクハで隣のモハユニットが-1032でした。一方、クハ481-1016は秋アキ「つばさ」「いなほ」用6両編成の1号車、福島・新潟よりクハで、モハユニット-1077は「つばさ」「あいづ」用9両編成の8・7号車でした。

485_a1a2_080730 クロハ化改造された際に青函ATC搭載、CP床下移設でルーバーがなくなったクハ481-1015 2008/7/30 郡山

クハ481-1016は1987/7/1、秋アキから盛アオに転属しています。クハ481-1015は1988/1/28に「はつかり」短編成化でクロハ481-1013に改造されました。グリーン室定員16名、普通室定員36名の奇数向き片渡り構造となりました。このときに青函トンネル通過用ATC-Lが装備され、CPが床下に移設されたため、非公式側のルーバーがなくなりました。1988/3/13、モハユニット-1077が秋アキから盛アオに転属しています。

1993年の車両編成表によると、
今日の原型となるA3編成としてクロハ481-1013+モハ485/484-1032+モハ485/484-1077+クハ481-1016となりました。アコモ改造や高速用パンタグラフ交換(PS26B)取替も行っています。

485_a1a2_090726_2 上野に回送中の赤べぇ編成 2009/7/26 鶯谷

2006年、会津大学短期大学部学生のデザインをベースとした赤と黒の2色に「あいづデスティネーションキャンペーン」のマスコットキャラクター「あかべぇ」をまとわせた専用塗装となり、クロハ481形をクハ481形に復元し、座席交換とシートピッチの拡大が行われ、保安装置にATS-P/Ps形が追加されました。

4811016_140906_2
2011年6月
に国鉄特急色に塗り直されて現在に至っています。なお、ユニークなA1A2という編成名ですが、2011年の編成表などでは1号車側からA1、6号車側からA2と表記されており、同じく仙台の583系も1号車側からN1,8号車側からN2と表記されています。
485系各形式の転属データは485系の動き 配置および編成の移り変わり 青森のデータをを参考に致しました。

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2014年10月23日 (木)

通勤電車シリーズ E231系500番台 520編成

前回、このシリーズでは10月11日から運行を開始したトウ514編成、東京駅100周年赤煉瓦ラッピング車について触れましたが、今回はトウ520編成について触れようと思います。

同編成は2002年1月より、205系置き換え用として山手線に投入されたE231系500番台編成のうち,第3次車(2003年度車 2003年4月から11月にかけて製造の514~527編成)の一員でした。

今年7月に山手線に後継車両としてE235系の量産先行編成が2015年秋頃から投入されるニュースが発表され、11両編成のうち,10号車はE231系から改造されるとのことでした。改造車の種車としてトウ520編成中のサハE231-4620に白羽の矢があたり、2014年9月2日にJ-trec新津事業所に中間車3両を除いた8両が配給回送、サハE231-4620を抜き取った後、9月4日に東京総合車両センターに戻されました。

ネットの情報によると,サハE231-4620を抜き取られた残りの編成は三鷹区転属に向けて改修が行われており、今月末には総武中央緩行線運用に就くとのことです。

E231500_520_070329
デジカメを使用するようになってから身近の通勤車両は全編成、撮影しておくことにしていましたが、520編成を最初に撮ったのは 内回り 2007/3/29 田町でした。

E231500_520_070521
2007/5/21 Tully'sのラッピング 西日暮里 内回り 

E231500_520_070811
2007/8/11 内回り 有楽町
まだ6扉車を連結しており、クハのスカートもセンターに折れ目の無いタイプです。

E231500_520_070924
Adeccoのラッピング 2007/9/24 外回り 浜松町 
2007年頃、E231系500番台編成、撮影コンプリートに向けて山手線の電車を撮影しており、8月26日に537編成を撮って,コンプリートとなっています。

E231500_520_090201
2009/2/1 内回り 鶯谷 
おそらく、寝台特急「北陸」もしくは「あけぼの」の推進回送を撮ろうとしていたときに偶然、写したものと思われます。この頃からスカートはセンターに折り目のあるタイプに代わったようです。

E231500_520_140706
2014/7/6 外回り 五反田

この写真が私としては520編成、山手線で活躍する最後の一枚となりました。

元520編成の車両(10両)が三鷹区に投入され、三鷹区から常磐快速線の松戸区に209系500番台編成もしくはE231系基本番台が転属し、上野東京ライン開通で必要となる編成を新造でなく補充するという置き換えストーリーのようですが、来年春の上野東京ラインの開通に向けて車両がどのように動いてゆくのか楽しみです。

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2014年10月22日 (水)

東海道新幹線開業から50年 その3 1966年から1969年頃

1964年10月から、今日に至る新幹線50年の歴史、今回は「ひかり」東京~新大阪 3時間10分運転が実現した1965年11月1日改正以降、大阪万国博開催前までの話題です。

0801213 0系 K40編成 1980/12/13 新大阪

まず最初の話題は編成の変化です。

車両的には1965年10月のダイヤ改正における増発にむけて第3次車として、

3_3

上記の車両が増備され、40編成体制になっていました。

196410_4 「ひかり」「こだま」開業時の編成は車両形式的には同じで、自由席と指定席の構成が違いました。

開業後、運行を続けて行くにつれ、自由席の多い「こだま」の方が混雑度が高く、1等車2両は過剰と判断されたため、7号車を2等車自由席とする「こだま」専用編成を組成することになりました。

196610_3

1966年10月1日の改正から「こだま」は1等車1両(半室自由席)とし、新造された2等車(25形200番台)を従来の1等車と組み換えましたが、半数は7号車が2等車、8号車が1等車の正規編成、残り半数は6号車の次に8号車(15形)1等車、その次に7号車(26形400番台)2等車の変則編成となりました。

45 この編成組換えは第4次、第5次として増備された車両と第3次車として増備された編成に対して行われ、第1次、第2次車はそのまま「ひかり」専用編成となりました。この編成替えで「ひかり」30本「こだま」20本編成体制となり、2-2ダイヤ化が完了しました。

わたしが初めて新幹線に乗ったのは、1966年の夏休みの萩家族旅行で、自由席のあった「こだま」でした。当時は毎夏萩か能代に帰省していましたが、指定券の確保は至難の業で、前の晩から徹夜で並んでも特急はおろか急行の指定席も取れないということを記憶しています。、

0_140812_2 リニア・鉄道館にて撮影した0系 普通車車内 2014/8/12

この夏のリニア・鉄道館訪問の際に0系車内を見学しましたが、1966年夏に初めて新幹線に乗った際のことを思い出しました。当時、小学校5年生で早速、車内探検をしましたが、

0_140812_3 いまでもしっかり憶えているのが、この冷水器です。夏の暑い時期、車内は冷房は効いていましたが、何度この冷水を飲みにデッキに通ったことか。さらに紙封筒のようなコップも数枚記念に持ち帰りましたね。あとは速度計の表示でした。

あの時の萩行きは最近、当時の時刻表を見ていて気付いたのですが、東京~新大阪間の新幹線開通の効果というのは東京~萩間の従来の東京発昼行・夜行急行の旅に較べてあまり時間的メリットがないのですね。従来の急行、例えばその1の記事で紹介した1964年夏の「雲仙・西海」の旅に較べて、朝東京駅を出発する新幹線に乗っても、大阪から先の当時の在来線ではその日のうちに萩に到着するのは不可能だったのですね。

そこで、恐らく旅好きで時刻表好きだった母(旅行のプランや切符の確保は、父よりも母が主導的だったはず)が考えたアイディアは新幹線で新大阪へ、大阪港から瀬戸内海航路で別府へ、別府で一泊した後、九州から萩へという行程でした。ところが、台風の接近で瀬戸内海航路は欠航となり、大阪から先の行程は陸路への変更を余儀なくされました。

そこで乗車したのが
新大阪~広島 急行「はやとも」 205M 時刻 模型での再現
広島~下関 急行「第2関門」 303M 時刻
下関~東萩 急行「しまね」 801レ 編成

でした。結局、夜中の2時前に萩に着くという往路でした。

当時の写真はありませんが、「はやとも」で初めて見た60Hz用の475系交直両用急行型電車、車体の裾にクリームのラインが入った姿が目に焼き付きました。また夕刻の153系急行「関門」ではビュッフェでハムサンドのような軽食を食べたのが記憶にあります。広島で「はやとも」から「第2関門」にわざわざ乗り換えたのは、台風や夏休みで「はやとも」はかなり混雑しており、満足に座席が無かったためと思われます。あの時、広島に到着する前に山陽本線の瀬野~八本松という難所があることを初めて知りました。

0_2 撮影年代不明 東京駅で鼻先を揃えた0系

6_3 6次車としてこだま正規編成が7本増備されましたが、このときから東急車輌が製造に加わりました。

1966年度からは乗車率増加の傾向となり、増発の必要性から東京駅の新幹線ホームが1967年3月10日に増設され、16,17番線発が「こだま」、18,19番線発が「ひかり」と分離されるようになりました。1967年10月1日改正からダイヤもピーク時、3-3ダイヤとなり、ひかり10本、こだま15本が増発されました。

79 この間の車両増備の様子です。圧倒的にこだま用編成増備の時代でした。

1968年10月1日の改正では「ひかり」「こだま」各10本の増発が行われ、3-3ダイヤが終日に拡大されました。1969年4月25日には初の新駅として三島駅が開業しました。地元の工事費全額負担による駅誘致が実現したものでした。三島駅には追い越し設備が設置され、「ひかり」の追い抜きが3回となったため「こだま」の所要時間は4時間から4時間10分になりました。
1969年5月10日、国鉄の運賃法が改正され、明治以来の客車の等級制が廃止されました。1等車がグリーン車となり、2等車は普通車となり、従来の一等運賃の5~6割程度でグリーン車を利用できるようになったため、グリーン車の利用が増えたそうです。

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2014年10月21日 (火)

EF200形電機 16号機

EF200形電機シリーズ、今回は16号機です。製造は日立製作所で1992年12月22日に落成しています。

いつものように2003年頃からの写真をアップして行きます。

Ef20016_030806 最初の塗装時代は側面にInverter Hi-Tech LOCOのロゴが入っていましたが、多くの機関車で消えかかっていました。 2003/8/6 新鶴見

Ef20016_031211 吹田を出発した東海道線下り貨物が北方貨物線 東淀川を通過 2003/12/11

Ef20016_040222 越谷タまで5084レを牽引してきた機関車のEF65との単重での新鶴見までの回送 2004/2/22 西浦和

Ef20016_060622 雨の千里丘を通過 2006/6/22 この頃には側面のロゴが消えそうです。

Ef20016_061123_2 塗装変更後 東京タから相模貨物まで1155レを牽引 2006/11/23 八丁畷

Ef20016_061123上の写真の機関車の折り返し 単機1968レ 2006/11/23 戸塚

Ef20016_120818 根岸までの専用貨物運用 87レ 2012/8/18 鶴見 この色は9号機や11号機と共通の気配

以上です。

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2014年10月20日 (月)

速報 高崎鉄道ふれあいデーに行ってきました

2014年10月18日、秋晴れの好天に恵まれた土曜日でしたが、つくばから3時間かけて、ググっとぐんま観光キャンペーンの一環として高崎駅南側の留置線スペースなどで開催された「高崎鉄道ふれあいデー」に行って参りました。

今年は上毛電鉄のイベントなどで高崎に来るのは既に3回目ですが、高崎駅周辺のイベントで来たのは2004年12月11日の高崎車両センター公開以来となります。

高崎駅東口から新幹線の高架に沿って歩くとやがて
141018_2
この看板が見えてくると入口です。

141018
国会でも団扇の配布で追求されている大臣がいるようですが、入口で入場のしるしに特製の団扇を受け取って入場です。
手前の広場に各種店舗が出店しており、新幹線高架下のスペースでは
130_141011 1884年5月1日、日本鉄道が新町~高崎間を開業して、今年が130周年の年でもあるので、その記念のメッセージも寄せられていました。また同駅に関わる懐かしい写真の数々も展示されていました。

そして車両展示は、
Sl_141018 新津から遙々やってきたSLばんえつ物語号の客車
来週はレトロおおだて号として大館に出張の予定が入っており、引っ張りだこですね。

111204112204_80_141018 八高線開通80周年を記念して登場した特別塗装のキハ111+キハ112-204編成

141018_3 今回のテーマは茶色の機関車大集合と言うことで
EF64 37   DE10 1705    EF55 1    EF64 1001      が並び、

D51_498_141018_10
10:30 12:00 13:30 の3回 D51 498の走行もありました。走行開始前に各機関車がそれぞれ汽笛を鳴らす場面もありました。

141018_2_2
展示されていたマルチプルタイタンパーの作業の実演もありました。
D51498の運転中の12:11にはDD51 888+12系3両+DD51 895で組成された八高線開業80周年のプッシュプル方式の記念客車列車が高崎駅に到着し、イベントに花を添えました。
Dd51_88812dd51_895_80_141018 DD51 888+12系3両+DD51 895の八高線開業80周年記念客車列車 2014/10/18 高崎 写真は到着後引き上げ回送のシーン

秋晴れの好天にも恵まれて、なかなか盛況のイベントでした。後日、いつものように車両それぞれについてレポートしようと思います。

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2014年10月19日 (日)

長浜鉄道スクエア訪問記 その2 ED70 1号機

2014年8月の旅行、長浜鉄道スクエア訪問記の2回目は展示されていた我が国初の量産型交流機関車ED70 1号機の話題です。

Ed70_1_140809_4 日章旗付きで展示されているED70 1号機  2014/8/9 長浜鉄道スクエア・北陸本線電化記念館

我が国の交流電化は1957年9月5日の仙山線の仙台~作並間での営業運転開始が最初ですが、そのための研究は1953年頃から開始されました。この結果、変電所を少なくすることができ、建設費を抑えられる商用周波数(通常の送電に用いられている50Hzあるいは60Hzの周波数)による交流電化方式が着目されました。在来線の交流電化の電圧20kVは一般的な送電の標準電圧だそうで、新幹線の25kVは国際的な標準電圧だそうです。

世界的にはフランスが単相交流方式の商用周波数における交流電化でリードしており、車両もフランスから交流機関車を輸入する計画だったそうですが、日本のメーカーがモーター開発に成功したことで自力開発方式になったそうです。

1955年から仙山線にて試験が開始され、交流整流子電動機を用いた直接方式のED44形 (後のED90形 日立製作所 1955年7月20日製造)と静止形整流器+直流直巻電動機方式のED45形 (後のED91形 三菱電機・新三菱重工製 1955年9月28日製造)が試験されました。

ED44形は1時間定格出力においてED45形を上回っていましたが、起動トルクが弱く、引き出し力とともに加速力が劣り、加速停止を頻繁に行う列車には不向きであることが分かりました。25‰勾配における引き出し能力でもED44形が360tであったのに対してED45形は600tと大きな差がでました。交流整流子方式の電動機は磁極数が多く、1運用ごとにブラシの接点を磨かなくてはならず、整備の手間がかかることもわかりました。

水銀整流器(イグナイトロン)方式は位相制御方式による連続的な電圧変換が可能なため、起動時に有利で、空転した場合にも端子電圧が上昇しにくいため、主電動機の回転数がすぐに復帰するため、空転が自然に収まるという特性を発揮しました。

以上の点から、整流器方式のED45形が採用となりました。続く2次試験では東芝製のED45 11 (1956年12月21日製造)と日立製作所のED45 21 (1957年2月製造)が加わりました。

それぞれの方式は以下の様でした。

ED45 1 送油風冷式変圧器 水冷式イグナイトロン水銀整流器 低圧タップ方式
ED45 11 乾式変圧器           風冷式整流器                           低圧無電弧タップ方式
ED45 21                             エキサイトロン水銀整流器           高圧タップ方式

11号機はイグナイトロンの交換、21号機は機器配置の変更等がありましたが、いずれも好成績であったため、

ED45 1の方式で ED70
ED45 11の方式で ED71 2, ED72 ED73
ED45 21の方式で ED71 1, ED71 4以降の量産機 が製造されることになりました。

なお、動力伝達方式はED44 1,ED4511が吊り掛け方式で、ED45 1, 21はクイル方式でした。

1961年の形式称号の変更でED44はED90にED45はED91になりました。試験終了後、仙山線の正式交流電化後も引き続き、運用されましたがED44は保守・整備の手間に難があったため、1961年以降休車となり、1966年に廃車となりました。残るED91形3機は1968年の仙山線全線交流電化後も引き続き使用されましたが、老朽化の進行、保守部品確保の問題、重連総括制御ができないこと、電気暖房装置がないことなどの問題で1970年ED78 10,11号機が製造され置き換えられ廃車となりました。

Ed70_1_140809_3 運転台にも入れるように階段が用意されています。

ED70形はED45 1号機のシステムを受け継いで、60Hz交流機として量産化されたものですが、車体デザインはDF50形ディーゼル機関車のデザインを踏襲しました。10‰勾配で1000t以上の引き出しが可能なように大出力化されています。

Df50_and_ed70 かつて下関で撮影したDF50の正面気味の写真があったのでED70と並べてみました。標識灯の位置は違いますが、窓の位置関係、サイズ、ラインの入れ方などよく似ています。

1957年6月から9月にかけて1~18号機が製造され、1959年に追加改良形として19号機が製造されました。全機、三菱電機・新三菱重工の製造でした。19号機のみ東北本線黒磯~白河電化試験に向け、50/60Hz共用で、製造されました。

Ed70_1_140809_2
Ed70_1_140809_4_2 運転台とメータ類も現役時代そのままに

整流器トラブルや三相補機の起動、クイル式駆動装置の異常振動、粘着力不足による空転などのトラブルが頻発したため、整流器のシリコン整流器への交換などがなされました。列車暖房も当初は搭載されていなかったので,1960年代初頭に主変圧器に暖房電源供給用4次巻線を新設し、電気暖房装置搭載改造が松任工場で施工されました。

Ed70_1_140809_2_2 建物の2階の通路から屋根上を見ることも可能です。

1974年の湖西線開業で北陸本線の電気機関車運用が交直流機中心にシフトし、EF81形が大量に投入され、1975年までに全車廃車となりました。

Ed70_140809 松任本所から記念館への移設の様子も写真で説明されていました。

といったわけでわたしはED70形の現役時代は見ることができませんでしたので今回の長浜鉄道スクエア・北陸本線電化記念館におけるED701号機との対面は初対面となりました。

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2014年10月18日 (土)

ニューヨーク州イサカへ その7 ナイアガラの滝へ

2014年7月下旬のニューヨーク州イサカへの出張、今回はナイアガラの滝訪問です。

このご時世、「出張の最中に観光とは何事か」と仰る方もおられるかもしれませんが、今回の出張では先方が是非、イサカから日帰りでゆける場所をということでナイアガラの滝を観ておいたらということで実現したものです。我々が海外から訪れる研究者に筑波山や日光などを案内するのと同じです。

これまでアメリカにはハワイを含めて30回入国していますが、日本人が観光でよく訪れるナイアガラの滝は今回が初めての訪問でした。そもそもナイアガラの滝は五大湖、カナダとの国境付近とは知っていてもどの州なのか訪れてみるまでは知りませんでした。

コーネル大学の研究室の日本人STAFFの方が運転する車でイサカから片道4時間のドライブでした。地図で見ると,イサカからCayuga湖に沿って北上する州道96号線を進み、アメリカ大陸を東西方向に結ぶルート90号線を西に、Rochesterを通り、Buffaloに向かうとオンタリオ湖とエリー湖に挟まれた地帯に到着します(地図)。平面的な地図では一見分かりにくいですが、滝はアメリカ側はニューヨーク州、カナダ側はオンタリオ州で、どちらもナイアガラフォールズ市にあります。

Niagara_falls_state_park_140724_ny
ナイアガラの滝州立公園の案内表示 2014/7/24
右下の灰色の部分が駐車場などがある場所、ナイアガラ川の濃い色の方が上流で左の島がゴート島、Cの字をした滝がカナダ滝、直線がアメリカ滝

ナイアガラの滝は五大湖のエリー湖からオンタリオ湖に流れるナイアガラ川の途中にあり、南米のイグアスの滝、アフリカのビクトリアの滝と並んで世界3大瀑布に数えられ、流量は世界最大だそうです。アメリカ領のゴート島によってカナダ滝(落差54m、幅670m)とアメリカ滝(落差21mから34m、幅260m)に分かれています。水量は春から初夏のピークシーズンでおよそ毎秒5,720 m³になるとのことです。

140724_ny
まずはアメリカ滝の横に張りだした展望デッキへ(上の案内図表示の1)
アメリカ側から滝を観る場合、地形上の制限から十分に観ることができなかったのでこのデッキを建造し、ナイアガラ川に張りださせることで眺望を良くしたのではと思われます。

140724_ny_2
展望デッキからアメリカ滝の眺め 画面奥の滝がカナダ滝

140724_ny_3
ナイアガラ川下流方向 レインボーブリッジ

五大湖や滝が浸食によって形成されたのは1万年前といわれており、書物に滝の存在を発見が記載されているのは17世紀頃の探検家の日記が最初といわれています。18世紀になると観光が盛んになり、この地域のメインの産業となったそうで、南北戦争後はアメリカ人の新婚旅行のメッカになったそうです。

140724_ny_4
周辺は映画などでみるラス・ヴェガスの風景を思い起こさせるような観光地です。

140724_ny_5
展望デッキから滝全体を見渡したあとはエレベータで川岸に降りて、遊覧船 「霧の乙女」 (Maid of the mist)号で滝壺付近まで

140724
まずはアメリカ滝の滝壺へ

140724_ny_6
船上の様子 乗船する際に皆同じ色のレインコートが手渡され滝壺付近ではミストを浴びるのを喜んでいる様子でした。

140724_ny_7
カナダ滝滝壺付近 アメリカ滝より規模が大きいだけにミストの量も半端ではないので船内はキャーキャーの大騒ぎ状態に

140724_ny2
おそらくアメリカン人だけでなく多くの国からの観光客が乗船していたと思いますが、水しぶきに対する反応はよく似ていました。

Niagara_falls_140724_ny4
対岸のカナダ側と遊覧船 上から見ると遊覧船の乗客のレインコートの色が船ごとに統一されているのが印象的です。

ちなみに「霧の乙女号」の運航期間はエリー湖から流れてくる氷が流れきる4月中旬頃、開始となり、終了は10月24日と決められているそうで、今年も残すところあと1週間程度ということです。

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2014年10月17日 (金)

西武新101系 その6 最後の新製 301系 2編成

西武鉄道の新101系の話題、今回は13次車として登場した301系、2編成の話題です。

301_311f_070812_2
塗色も黄色一色となり、スカート付きとなった2007年8月12日 所沢駅で撮影した写真ですが、車体側面灯の形態から311Fもしくは313Fと判別できます。

登場は311F1983年11月末313F1984年3月末でした。製造は2編成とも所沢車両工場でした。参考文献によると1983年度における当初計画では3000系を5編成製造する予定でしたが、その計画が変更となり、3000系を3編成、301系を2編成製造することになったそうです。

13

そのためか、この301系2編成は形態的には3000系に準じた部分があり、ひとつは連結器胴受けの形状、もうひとつは車側灯の形態変化だそうです。エアコンのキセはステンレス製のCU-72Cになりました。MGは3000系では140kVAブラシレスタイプを装備したのに対して301系は従来同様の150kVAタイプを装備しました。

これまでの301系は4連として出場し、後日中間車組み込みで8連化の経緯を辿っていましたが、この2編成は新製時から8連固定編成での出場となりました。

なお、前回の記事で触れた12次車の2連6編成に関して、鉄道ピクトリアル誌の西武鉄道特集記事1992年 No,560 臨時増刊、2002年 No.716)を見ると、本来701系グループと併結できる4連として301系が計画されていたのが、10次車、11次車でその4連は登場し、301系は8連となったため、あまった運転台部分の仕掛けを有効利用するために急遽,2連を製造したのではという記載があります。どちらも小林尚智氏の記事で、情報源はひとつなので、別の方のご意見も聞きたいところですが、興味深い考察と思いました。

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2014年10月16日 (木)

1989年のDüsseldorf Airport その18 LH Boeing 737-230

1989年の初夏、冷戦下の西ドイツ、Düsseldorf空港で撮影した旅客機の話題、今回は西ドイツのフラッグ・キャリアであり、現在もドイツを代表する航空会社のLufthansaBoeing 737の話題です。

Dabhk_cn_22136_783_boeing_737230adv D-ABHK cn 22136 ln 783 Boeing 737-230Adv 1989/5/4 DUS

以前、LufthansaのBoeing 727の記事でLufthansaとBoeingの50年に渡る協調の歴史について触れましたが、Boeing 737はまさにその象徴といえるタイプかと思います。

今ではベストセラー機となったBoeing 737ですが、それまでローカル路線に就航していたダグラスDC-4コンベア440などのレシプロ機やロッキードL-188 エレクトラなどのターボプロップ機を代替する100から150名乗りの小型短距離用ジェット旅客機として、当時ライバル社であったダグラスのDC-9に対抗すべく,1965年に開発が始められました。

最初に開発されたのが-100型でアメリカの航空会社ではなく、当時西ドイツのルフトハンザが30機発注したことで製造が開始されました。1967年1月17日にロールアウトし、1968年から就航しました。Boeing 707, 720, 727などと共通の太さの胴体を持ち、その長さは28.6m、航続距離は3440kmでした。しかし、他の航空会社はこの最初のタイプには興味を示さず、胴体の延長された-200型がUnited航空により、ローンチされ、1967年6月29日にロールアウトしたこともあり、-100型の製造は30機で終了となりました。

なお、737のプロトタイプ (cn19437 ln1 N73700 → N515NA)は1967年4月9日に初飛行し、長らくBoeing社のテスト機でしたが、1973年7月26日からNASAによって運航され、その後はシアトルの航空博物館 (The Museum of Flight) に展示されているそうです。

Lh_boeing_737100_fleet
表1 Lufthansa の Boeing 737-130 のリスト 30機発注されたと記事にはありますが、ネットのFleet Listをみると 複数のサイトで22機が出てきます。

-100型は-130のカスタマーコードが付与された機体が、プロトタイプとルフトハンサにデリバーされた22機、さらに-159 (Avianca)が2機、 -112 (Singapole Airlines) が5機あります(情報)。

わたしもかつてこの元Lufthansaの737-130の活躍する姿を見たくて、America West Airlinesなどの便の撮影を試みましたが,結局会えずじまいだったことを記憶しています。

Dabmb_cn_23154_1078_boeing_737230ad D-ABMB cn 23154 ln 1078 Boeing 737-230 Adv 1989/5/4 DUS

Lh_boeing_737200_fleet
表2 こちらは-230のリストです。
           2つの表はPlanespotters.netのFleet情報をもとに作成しました。

-230型の場合、初号機が1969年12月で最終号機が1985年3月とおよそ15年の長きに渡ってデリバーされていたことが分かります。

因みに最初の写真のD-ABHK(cn22136/ln 783)だった機体はTunis Airにリースされたのち、LHにバックされ、1994年11月24日にインドネシアのマンダラ航空に売却されました(レジ: PK-RIM )。しかし、2005年9月5日、RI091便としてインドネシアのメダン空港離陸直後に墜落し、乗員5名乗客112名のうち、102人が死亡、さらに地上の住人49人も死亡する事故となりました。

事故原因はパイロットが離陸前のチェックリストを怠り、フラップとスラットを所定の位置まで展開しないまま離陸滑走を開始したためと事故報告書には記載されています。

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2014年10月15日 (水)

通勤電車シリーズ 103系 12 量産冷房車の登場 1 山手線

通勤電車103系、1973年からは、首都圏の山手線、中央快速線、大阪環状線に昭和46年度本予算以降投入されたモデルチェンジ車にAU75Aの冷房装置を搭載した量産冷房車が投入されました。番号的には豊田電車区投入編成の方が先になりますが、今回は山手線投入車両から先に行きます。

103_2_7303_1 1973年2月から僅か1年間、山手線で見ることができたウグイス色の103系低運転台量産冷房車 1973/3 新宿

昭和47年度民有予算で
クハ103-213~240 モハ103-331~382 モハ102-487~528 サハ103-324~347
昭和48年度民有予算で
クハ103-241~266 モハ103-383~410 モハ102-539~566 サハ103-348~357
昭和47年度第3次債務で
クハ103-267, 268 モハ103-411~413 モハ102-567~569 サハ103-358, 359 が冷房付きで製造される一方、
モハ103-373~382 モハ102-529~538は昭和47年度民有予算で製造され、非冷房のまま浦和区に配置され京浜東北線編成に組み込まれました。

これらの新製配置を見てみると

豊田区  8編成
クハ103-<213, 214>, <217, 218>, <219, 220>, <221, 222>, <231, 232>, <235, 236>, <237, 238> ,<259, 260>
モハ103/102-<331/487, 332/488, 333/489>, <337/493, 338/494, 339/495>, <340/496, 341/497, 342/498>, <343/499, 344/500, 345/501>, <358/514, 359/515, 360/516>, <364/520, 365/521, 366/522>, <367/523, 368/524, 369/525>, <402/558, 403/559, 404/560>
サハ103-<324, 325>, <328, 329>, <330, 331>, <340, 341>, <344, 345>
サハが3編成分6両足りないのはサハ101に冷房改造、行き先表示装置取り付け、ジャンパ連結器交換等を施し、サハ103-750番台(751~756)として編入

池袋区  8編成
クハ103-<215, 216>, <223, 224>, <225, 226>, <227, 228>, <229, 230>, <233, 234>, <239, 240>, <267, 268>
モハ103/102-<334/490, 335/491, 336/492>, <346/502, 347/503, 348/504>, <349/505, 350/506, 351/507>, <352/508, 353/509, 354/510>, <355/511, 356/512, 357/513>, <361/517, 362/518, 363/519>, <370/526, 371/527, 372/528>, <411/567, 412/568, 413/569>
サハ103-<326, 327>, <332, 333>, <334, 335>, <336, 337>, <338, 339>,<342, 343>, <346, 347>, <358, 359>

森の宮区
クハ103-<241, 242>, <243, 244>, <245, 246>, <247, 248>, <249, 250>, <251,252>,<253, 254>,<255, 256>, <257,258>, <261, 262>, <263, 264>, <265, 266>
モハ103/102-383/539, 384/540, 385/541, 386/542, 387/543, 388/544, 389/545, 390/546, 391/547, 392/548, 393/549, 394/550, 395/551, 396/552, 397/553, 398/554, 399/555, 400/556, 401/557, 405/561, 406/562, 407/563, 408/564, 409/565, 410/566
サハ103-348, 349, 350, 351, 352, 353, 354, 355, 356, 357
こちらもサハ101-750 2両(757,758)を加えて8連6本、6連6本、予備1モハユニットという配置になりました。

103_2_7303_2 上の写真の出発後の後追い写真ですが、編成番号は2ですから、番号順に編成番号が振られていたとすればクハ103-223,224の編成でしょうか。

構造的な特徴は
1) AU75A M三菱、H日立 S東芝製42000kcal集中式冷房装置を搭載したこと。試作のAU75Xに対して、カバー断熱材・防振ゴムを不燃化したこと、冷却用送風機の容量をアップし、車体のほぼ中央に取り付けたこと
2) 側面行先表示器を設置し、前面ともに自動化したこと、運転台に設定のダイヤルが見えました。
3) MGはMH135-DM92 160KVAをM'車に搭載し、4両給電方式としました。

103_1_7303 こちらは第1編成 1973/3 神田

当時、私は高校2年から3年になる頃で、山手線の103系に試作冷房車が登場した頃からカメラを通学鞄にしのばせて山手線で通学しており、この量産冷房車の登場も通学途中で偶然見かけて写真に収めたのだと思います。この後、1974年3月に大学入試の試験会場下見で山手線に乗ったときにあの装甲車のようなスタイルのクハ(高運転台車)を初めて見て愕然としたものでした。

ちなみに我々の時代はまだ一期校、二期校の時代で共通一次になったのは1979年1月からでした。

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2014年10月14日 (火)

公園保存蒸気 D51 14 流山総合運動公園 

日本全国の公園等に保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回はつくばエクスプレス、流山セントラルパーク駅そばの流山総合公園に保存されているD51 14号機です。

番号からも分かるようにいわゆる「ナメクジ」スタイルのD51です。

D51_14_140504_6
保存状態はあまり良くなく外板等はかなり荒れていますが、美しいナメクジスタイルを保っているD5114号機 2014/5/4 流山総合運動公園

D51_14_140504_9
デフレクターは切り詰められており、前照灯は副灯付きのスタイルです。公式側にはホームが用意されています。

D51_14_140504_15
ナメクジスタイルであるがために砂管の出口は特有の形態をしており、逆転機のモーションプレートは大穴タイプです。主連棒のビッグエンドは長方形タイプです。

ボイラー横の金色のバルブは給水逆止弁で灌水の逆流を抑えるものです。汽笛は5室ベルという5種類の周波数の異なる笛の音が共鳴して「ボォー」というあの独特の音が出されます。

D51_14_140504_19

キャブは密閉式で、ナンバープレートの下にはタブレットキャッチャーが付いています。北海道に配置されていた機関車のスタイルです。

D51_14_140504_2 外板の傷みはかなり激しいですが、貴重なナメクジスタイルの若番機なので整備すれば美しく保存できると思います。

沖田祐作氏の機関車表データから履歴を見てみると

D5114      汽車製造大阪工場=1371            1936-02-29 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1936-02-29 製造(日付は本線試運転実施日)→ 納入;国鉄;D5114→ 配属;大阪局→
      1936-03-06 配置;吹田→1936-03-18 使用開始→1936-06-28 鷹取→
      1936-10-06 借入;吹田→1937-01-05 返却→1940-09-22 函館→
      1940-09-30 耐寒工事施工(苗穂工場)→1940-09-31 岩見沢→1945-09-30 現在;岩見沢→
      1948-06-30 滝川→1949-03-01 現在;旭川→1952-10-10 名寄→ キャブ密閉化→
      1973-07-20 廃車;名寄→ 保存;千葉県流山市「総合運動公園」;D5114

(追記:2015/6 D51 1号機の記事を書いていて、気づいたのですが、1~13号機は川崎重工、14~23号機は汽車製造が担当し、こちらの14号機が1号機よりも約1ヶ月先に落成しており、日本で最初に誕生したD51だそうです。) 情報は鈍行列車一人旅さまのサイトから
D51_14_140504
1936年製造で当初は大阪配属ですが1940年に渡道し、最期まで北海道で活躍しました。

なおD5114号機のとなりには流山鉄道のキハ31 ガソリンカーも保存されておりました。こちらは次回紹介致します。

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2014年10月13日 (月)

郡山車両基地まつり 2014  その4 石巻マンガッタンライナーⅢ

2014年9月4日に郡山車両基地公開、今回は展示車両で石巻マンガッタンライナーⅢです。

48_140906_7
48503_140906 石巻マンガッタンライナーⅢは赤青2色の車両から構成され、赤い方の車両はキハ48 503でした。 2014/9/4 郡山車両基地

実はこの車両を見るまで、マンガッタンライナーという列車の存在すら知らなかったのですが、調べてみると、既に10年以上前から活躍しているキャンペーン列車であることが分かりました。石巻市はマンガを活かした街づくりを推進しており、地域の活性化のためにJRと石巻市のコラボレーションにより、マンガッタンライナーは登場したそうです(紹介記事)。

初代マンガッタンライナーIは仙石線205系にラッピングを施し、2003年3月22日に登場しました。石ノ森章太郎作品の中でも人気の高い「サイボーグ009」「仮面ライダー」「ゴレンジャー」「ロボコン」の4つの車両から構成されています。
続いて、2008年9月13日に全面ラッピングになったマンガッタンライナーIIがデビューしました。こちらは同じく仙石線205系、4両の車両に「サイボーグ009」「時代劇」「コメディ」「ヒーロー」と4つのジャンルのキャラクターがラッピングされています。

48_140906
481513_140906 青い方の車両はキハ48 1513 でした。

2011年3月11日の東日本大震災で仙石線が大きな被害を受け、あおば通り~石巻間の運行が困難となったため、2013年3月23日の石巻萬画館のリニューアルオープンに合わせて登場したのが、今回展示された石巻マンガッタンライナーⅢで、初めての気動車編成となりました。これまで同様、「サイボーグ009」や「がんばれ!!ロボコン」、石巻のヒーロー「シージェッター海斗」などの石ノ森キャラクターが描かれました。運転区館は小牛田~浦宿間です(関連記事)。

石巻マンガッタンライナーⅢになったキハ48形500/1500番台はキハ40形500番台と同様、東北地方向け寒地仕様車として1979年から1982年まで製造されたタイプでデッキ付き、上段下降・下段上昇式ユニット窓と空気ばね台車を装備しています。トイレ付きの500番台は59両 (501 - 559)、トイレなしの1500番台は50両 (1501 - 1550) が製造されました。

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2014年10月12日 (日)

通勤電車シリーズ E231系500番台 514編成 東京駅開業100周年ラッピング 内回り編

拙blogにおける通勤電車シリーズと言えば、およそ40年前の103系の話題が進行中ですが、今回はリアルタイムの話題です。

2014年10月11日土曜日から、東京駅開業100周年を記念した赤煉瓦色のラッビングを施したE231系500番台が走り始めました(関連記事)。E231系500番台の時代になって、こういったタイプのラッビングは2009年502編成山手線命名100周年+明治のチョコレート、まだ記憶に新しい2013年545編成みどりの山手線50周年に続いて今回が3回目かと思いますが、今回は514編成が充当されました。

関東地方は朝から好天に恵まれ絶好の鉄道撮影日和でしたので、基本的に駅撮りですが早速、編成写真の撮影にトライして参りました。

いつものように常磐線で日暮里へ、さて内回り運用なのか、外回り運用なのかも情報が無かったので、まずは外回りの先頭車に乗って偵察開始です。すると、御徒町で内回り運用に入っている514編成がやって来ました。御徒町のホームでもかなりの人がカメラを向けていました。
そこで、まず思いついたのが五反田での撮影でした。
E231_547_141011 547編成 2014/10/11 五反田

しかし、五反田で何編成か試し撮りしてみると、カメラに装着されている70-210mmのズームレンズでは内回りが目黒方面からカーブを回って来る写真は後ろが切れてしまうことがわかり、さらに外回りに被られる可能性もあることが分かりました。

案の定、514編成が来たときまさに外回りが出発するところで、バッチリ被られ、仕方なしに内回り側から撮影したのが
E231500_514_141011 この写真でした。
誠に残念なファーストショットになりました。
次に思いついたのが原宿です。今ではすっかり使われなくなった宮廷ホームの前を走ってくるショットです。
205_28_141011 原宿に到着して早速やって来たのは埼京線に未だに残っている205系 28編成でした。

待つことしばし、やがて514編成を追っかけていると思われる方々が何名か集まって、514編成の登場となりました。

E231500_514_141011_2 原宿での3度目の出会い

E231500_514_141011_4 原宿を出発する編成の後撃ち

むしろ正面から順光で狙うよりは逆光となるものの後撃ちの方が雰囲気がある写真かも知れません。

続いて思いついたのが日暮里を出て、西日暮里に登ってくるシーンです。
E231500_514_141011_3 4度目は西日暮里で

内回りの場合、被られる可能性は十分ありましたが、思い描いていたウネウネ感のある写真が撮れました。

次は田町の浜松町よりでも狙ってみましたが、すっきりしないショットだったので、写真は省略しました。

そして、今回初めて代々木での発車シーンも狙ってみました。
E231500_514_141011_2_2
E231500_514_141011_4_2
E231500_514_141011_10
E231500_514_141011_11 山手線電車とは50年以上の付き合いになりますが、代々木駅でこの方向で撮ったのは初めてでした。本日、6度目の出会い。

以上、内回り運用に入った514ラッピング編成をいろいろな駅で撮影してみました。

今回のラッピングは来年3月末までとのことで、外回り運用に入った時にまた狙って見たいものです。

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2014年10月11日 (土)

東海道新幹線開業から50年 その2

1964年10月1日、東海道新幹線が開業しましたが、まだ0系とは呼ばれていない新幹線電車、12両編成30編成が準備されました。製造は日車、川車、汽車、近車、日立の5社でN・R・K・S・Hの編成表示になって行きました。後に東急車輌も参画し、Tに。

0 東海道在来線から写した新幹線 撮影時期も場所も不明

開業前の1962年に試作車両A編成 (2両編成)、B編成 (4両編成)がまず準備されました。
それぞれの構成は
A編成 新大阪 ← 1001 (汽車製造)+1002 (日本車両製造) → 東京
B編成  ← 1003 + 1004 (日立製作所) +1005 (川崎車輌) + 1006(近畿車輛) →
でした。それぞれが異なる台車を履いていました。

2編成準備されたのはすれ違い試験を行うためだそうです。鴨宮のモデル線区でシステム全体の試験が実施され、速度向上試験も行われ、1962年10月31日にはB編成がそれまでクモヤ93000が持っていた175km/hの狭軌鉄道世界最高記録を抜き、電車方式としての世界最高速度256km/hを記録しました。

そしてA・B編成の試験結果をもとにC編成と呼ばれる先行製造車6両が製造されました。

Mc          M'           Mb        M's       M        M'c
21-1  +   26-1   +   35-2   + 16-1   + 25-2   + 22-1
といった構成でした。
試作編成と違いは
・ プラグドアを通常のタイプに変更
・ 運転台上の静電アンテナを棒状から板状に変更
・ 非常用脱出口を車両中央に設置
・ 排障器の強化
・ 前頭部内部への非常用連結器の格納と蛍光灯内蔵の取りやめ
・ 前照灯の大型化

これに続いて1次車 6両編成 30本
16-1 -30
21-1 -30
22-1 -30
25-2 -60 (偶数)
26-1 -59 (奇数)
35-2 -60 (偶数)  が1964年3月から9月までに量産されました。

さらに途中で開業時6両編成案が12両編成に計画が変更されたため、2次車として
15-1 -30
25-1 -59(奇数)
26-2 -60(偶数)・201-260
35-1 -59(奇数) が増備されました。

これまで在来線では東京方奇数向き、大阪方偶数向きでしたが、新幹線では号車番号と奇数、偶数の関係が一致するようになりました。

開業時の12連は
Mc(21)-M'(26)-25(M)-26(M'2)-35(Mb)-26(M'2)-Ms(15)-M's(16)-Mb(35)-M'(26)-M(25)-M'c(22) となりました。ひかり、こだまは共通編成でした。

開業時のダイヤは1-1ダイヤと言われ、毎時00分発(12時以外)がひかり、毎時30分発(10時30分以外)がこだまで、ひかりは6時発から20時発までの14本(ひかり1号から27号)、こだまは6:30から18:30発までの12本(こだま101号から123号)と区間運転の名古屋~新大阪、東京~名古屋、東京~静岡(下り)、新大阪~静岡(上り)が設定されました。路盤の安定と初期故障対策から、東京~新大阪間ひかり4時間、こだま5時間と設定され、上り下りともに浜松駅でひかりがこだまを抜く設定でした。

新幹線の場合、特急料金としてA,B,Cの3ランクがあり、2等車の場合、開業時は4時間、5時間設定であったので、東京~新大阪間、ひかりがB1300円、こだまがC1100円で、A1600円の設定は1965年11月以降になりました。ちなみに新幹線開業前の特急料金は2等で東京~大阪間 800円でした。

開業初年度はオリンピックが開催されたにもかかわらず、利用客数は予想を大きく下回ったそうです。車両の初期故障や風水害、雪害で運行に支障をきたすことが多かったこともありますが、在来線の急行列車が存置されたため、300円の急行料金と較べて、料金が割高に感じた人が多かったのではと考えられています。

翌年、1965年10月1日のダイヤ改正で、ひかりを毎時00分と30分発に、こだまを05分と35分発にした2-2ダイヤとなり、ひかりが40本、こだまが46本運転されるようになりました。

0_860216 夕暮れの東京駅にて 1986/2/16

そして台風シーズンを避ける形で、翌11月再度ダイヤ改正が行われ、当初の計画通り、東京~新大阪間、超特急ひかりが3時間10分、特急こだまが4時間運転となりました。在来線のダイヤ改正(10月に実施)では新幹線接続の新大阪発のブルートレイン「あかつき」が登場し、東京発15:00 ひかり29号~新大阪着18:10 発18:30 寝台特急「あかつき」 西鹿児島10:33という、従来の寝台特急「はやぶさ」の東京駅18:30発、西鹿児島着17:00を大幅に短縮することが可能となりました。私も1974年の大学1年の秋休み、九州一周旅行した際の九州入りはこの「あかつき1号」20系客車でした(記事)。このときに再度、増発が行われ、ひかり52本、こだまは区間運転を含めて58本の110本体制となっています。

国鉄の「みどりの窓口」はこの年の9月24日から主要152駅に設置され、10月1日乗車分から発券が行われるようになりました。MARS-102というコンピュータに特急券情報が収容され.各端末からアクセスして情報をやりとりする体制が整備されて行きました。

11月の改正でのスピードアップに伴い、ひかりはA料金1600円、こだまはB料金1300円となりました。さらに東京以外の新幹線停車駅(大阪を含む)で在来線特急・急行・準急に乗り継ぐ場合、新幹線特急券と同時に購入すれば在来線の特急・急行・準急料金が半額になる「乗り継ぎ割引」が設定されました。

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2014年10月10日 (金)

EF200形電機 15号機

EF200形電機シリーズ、今回は15号機です。製造は日立製作所で1992年11月18日に落成しています。

いつものように2004年頃からの写真をアップして行きます。

Ef20015_040704 このパターン、既に何回か登場していますが、3072列車の前部に連結されての新鶴見回送シーンです。 2004/7/4 西国分寺

Ef20015_040904 一回した撮影したことがありませんが、山陽本線の玖波駅東方のSカーブをやってくるEF200牽引列車 今度広島に行くチャンスがあれば是非、再訪したい場所です。
 2004/9/4

Ef20015_040905 幡生操から折り返してきた15号機を向洋の複々線区間でゲット ここも素晴らしいポイントです。 2004/9/5

Ef20015_080225 塗装変更後、東淀川にて 2008/2/25

Ef20015_120915 桂川を通過 2012/9/15

Ef20015_121222 宇部を通過 2012/12/22

以上です。

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2014年10月 9日 (木)

長浜鉄道スクエア訪問記 その1

2014年8月の京都、滋賀、中京、静岡の旅、前回までの近江鉄道ミュージアムに続いて湖東地方の北陸本線長浜駅近くにある長浜鉄道スクエアの訪問の報告です。

140809 第一回の鉄道記念物に指定された旧長浜駅舎 2014/8/9

長浜鉄道スクエアは日本最古の駅舎として現存する旧長浜駅舎(1958年制定の第一回鉄道記念物)、2000年10月14日に開館した長浜鉄道文化館、2003年7月17日に開館した北陸線電化記念館の3施設を総称した名称です。

旧長浜駅が早くに建設、開業した訳は、京都と東京を結ぶ鉄道を建設するにあたり、滋賀県内では琵琶湖の水運を利用するのが建設費を抑えるのに効果的との判断から、琵琶湖岸に水運と鉄道の接続駅を設けることとなり、1880年に大津駅が開業した後、岐阜・名古屋方面と敦賀方面の分岐点として開設が決められたからです。同時に長浜から岐阜へ向かう路線が着工されました。

140809_2琵琶湖の連絡船の模型

1882年3月10日に金ケ崎へ向かう路線の起点駅として開業しました。1884年5月25日,大垣から春照経由で長浜に至る路線も開業しました。1889年4月16日に新橋~長浜=連絡船(太湖汽船)=大津~神戸という東西幹線ルートが完成しました。

しかし、同年7月1日は米原駅が建設され、関ヶ原から米原を経由して、馬場(膳所)に至る湖東線が開業し、長浜駅は水運と陸運の中継点という役目を終え、若狭・北陸へ向かう路線の中間駅となりました。1891年1月21日、休止中だった深谷~長浜間が貨物支線として復活しました。1899年12月28日、東海道貨物支線は廃止となり、1902年11月1日、線路名称の改定により,北陸線の所属となりました。

1903年1月1日、新駅舎が現在地に完成し、使用が開始されたことで、旧駅舎の使用は中止となりました。

140809_3 旧長浜駅舎の内部

改札口と表示された接続口から、長浜鉄道文化館や北陸線電化記念館に通じています。

140809_4 当時の乗客の様子が人形で再現されています。

身なりから想像して、富裕層が利用していたのでしょうね。

140809_5 当時のスーツケースやチッキで送った小荷物でしょうか。

第一回の鉄道記念物に指定された物件は
    1号機関車 - 所蔵:鉄道博物館
    1号御料車 - 所蔵:鉄道博物館
    弁慶号機関車 - 所蔵:鉄道博物館
    旧長浜駅 - 所在:長浜鉄道スクエア
    0哩ポスト - 所在:旧汐留駅構内  であり、

29_140809
玄関前に展示されている旧長浜駅29号分岐器ポイント部も1961年に鉄道記念物に指定されています。

最後に受付でもらったパンフレットを

140809_small 隅が乱れているのは当時の大雨で鞄の中まで雨水が浸入したためです。 

次回は、ED70保存機です。

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2014年10月 8日 (水)

ニューヨーク州イサカへ その6 イサカの街

2014年7月下旬のアメリカ出張、今回はイサカの街を紹介しようと思います。

060530 イサカのダウンタウンの風景 2006/5/30 前回訪問時のもの

場所はニューヨーク州のほぼ真ん中、トンプキンス群(Tompkins County)に属し、面積は15.7平方kmです。地理的には北緯42度26分、西経76度30分ですから、日本でいえば北海道の函館の北、苫小牧、室蘭、同じアメリカではシカゴ、ヨーロッパではローマ、ソフィアあたりと同じ緯度となります。2010年の人口調査データによると市の総人口は30,014人とのことです。

なんといってもコーネル大学、イサカ大学、ニューヨーク州立大学コートランド校の3大学があるため、学生の街として活気がありますが、逆に定住者達は日本同様かなり高齢化が進んでいるとのことです。

アメリカ大陸にヨーロッパ人が入植する前はネイティブアメリカンのカユガ(Cayuga)族が統治しており、入植が進むに従って土地を追われていったそうです。1820年代から30年代にかけて鉄道が開通し、エリー運河を通じてサスケハナ川に至る交通路が確立されました。今でもこの地域から掘り出される岩塩を輸送する貨物列車が1日1往復設定されており、私も夜遅く機関車の汽笛を何回か耳にしました。

140724 ホテルからあるいて僅かのところに通っていた鉄道線路 毎日、湖の底から掘り出される岩塩を輸送する貨物列車が通過しているらしく線路は光っていました。2014/7/24

南北戦争後の10年以内に実業家エズラ・コーネル(米国の電信事業の先駆者で上院議員)は鉄道路線の整備とともに、コーネル大学を設立し、1865年には開学(開設は1868年10月7日)にこぎ着けています。さらに1892年にはイサカ音楽院としてイサカ大学も開学しています。

060602 ヨーロッパのアイルランドあたりのビルをおもわせる大学キャンパス内の建物 2006/6/2

コーネル大学は設立当初から、南北戦争中の1862年に制定された連邦政府所有の土地を州政府に与え、それを利用する形で設立される高等教育機関のランドグラント大学であると同時に私立大学のアイビーリーグの一校でもある、世界でも珍しい半官半民の大学です。アメリカではMITが同じく半官半民だそうです。機械工学、生命科学、農学、獣医学などで世界的に有名ですが、ホテル経営学などの学科もあります。今週はノーベル賞の受賞者が発表される週ですが、同大学出身者では月曜日に発表された医学生理学賞、1958年にはジョージ・ウェルズ・ビードル博士1968年ロバート・W・ホリー博士1983年にはバーバラ・マクリントック博士が受賞しております。また、昨晩は青色ダイオード関連で日本の研究者3名が物理学賞を受賞しましたが、コーネル大学出身の研究者も4名受賞しています。

140723 大学のキャンパス内に峡谷があるのもおそらくここだけかも 2014/7/23

そういった気風からかダウンタウンを歩いていても街全体に科学の雰囲気が見られます。決して大きくは無い街ですが子供に理科的興味を持たせる様な工夫を見つけることがしばしばありました。生憎、写真が無いのが残念ですが。

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2014年10月 7日 (火)

西武新101系 その5 再び2連の登場

西武鉄道新101系のシリーズ、今回は旧101系から数えて第12次車として、1982年5月から12月にかけて登場した2両編成の話題です。

101n_2_820829_3 ブラックマスクで登場した新101系第二次2連 1982/8/29 所沢

製造はいずれも西武所沢車両工場で、269Fから279Fの6編成が製造されました。このロットから前面の凹みの部分の塗色が黒になり、それまでに登場していた新101系は入場の際に同様の塗色に変更されてゆきました。

12

新101系ではコンプレッサーを従来のAK-3 2台方式から大容量のHB-2000形 1台搭載に変更しましたが、この2両編成シリーズにおいては除湿装置の取り付けにより、床下スペースに余裕が無くなったため、AK-3形1台に変更となりました。後年、AK-3形の老朽化で283Fを除いて低騒音形のHS-10形に再交換されたそうです。

座席は271F -279Fのみ旧101系の特修車と同じFRP成形物を入れたタイプとなりました。

101n_2_820829_5 所沢行 各停の池袋側に連結された2連 1982/8/29 所沢

101n_2301_070330
701系冷改車グループ全廃後、黄色一色に塗り替えられ連結器胴受けの形状も変更された新101系2連の姿 今回の6本のうちの一本かどうかは不明ですが、301系8連と併結されて10連で池袋線急行で活躍する姿です。 2007/3/30 所沢

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2014年10月 6日 (月)

1989年のDüsseldorf Airport その17 Tunisair の 737-200

冷戦下の西ドイツ、1989年5月のDüsseldorf 空港で撮影した旅客機のシリーズ,今回はアフリカのチュニジアのTunisair (Société Tunisienne de l'Air) のBoeing 737です。

Tsioc_cn_21973_607_boeing_7372h3adv TS-IOC cn 21973 ln 607 Boeing 737-2H3Adv 1989/5/5 DUS

Tunisairはチュニジアの首都チュニスを拠点とする国営航空会社です。1948年に設立され、ヨーロッパ、アフリカ、中東に路線を持っており、ベース空港はTunis-Carthage International Airportです。

チュニジアはアフリカ大陸の中では,地中海に面し,東にリビア、西にアルジェリアに接し,イタリアの対岸に位置する国です。サッカーが国技の国で,2002年のFIFAワールドカップ日韓大会ではグループリーグ第3戦で日本代表チームと対戦しています。

航空連合はArab Air Carriers Organizationに属しています。
設立時の資金は6000万フランスフランでチュニジア政府が35%、エールフランスが35%、他の投資が30%だったそうです。

1949年4月1日運航を開始し、当初はエールフランスから供与されたDC-3により、エールフランスが運航していた路線(チュニス~アルジェ、チュニス~ニース、チュニス~ローマ、貨物便でチュニス~マルセイユ)に就航しました。

1954年にはエールフランスからDC-4をリースし、パリまで運航開始しました。さらにフランス製の4発プロペラ機SNCASE SE.161 LamguedocもFleetに加わっています。1957年には持ち株比率がチュニジア政府51%、エールフランス15%となっています。

ジェット化は1961年8月31日から開始され、最初に導入された機体はSud Caravelle IIIでした。1969年にはフランス製のノール262もfleetに加わっています。1970年3月には従業員数888名になり、この時点でのFleet構成は

カラベル 4機
セスナ402 2機
DC-3
ノール262 でした。

国内線とアルジェリア、ベルギー、フランス、西ドイツ、オランダ、イタリア、リビア、モロッコ、スイスに国際便を運航していました。

1972年3月12日、最初のBoeing 製ジェット機として、727-200が導入され、パリ線に投入されました。サベナ航空からBoeing 707もリースし,ロンドン線に投入されたのは同年4月1日です。その後、727は1975年までに5機まで増備され、カラベルやDC-3と置き換えられてゆきました。

Tsioc_cn_21973_607_b7372h3adv_89050 TS-IOC

この機体は1979年10月22日にTunisairに納入され、2001年3月から4ヶ月強,アルジェリアのEcoair International にリースされましたが、2001年7月21日、再びTunisairに戻され,現在は退役し、スクラップになっています。

1995年、株式がチュニス株式取引所に上場となり,2000年には従業員数7259名に達しました。この時点でのfleet構成は

Airbus A300B4-200 1機
Airbus A319-100 2機
Airbus A320-200 10機
Boeing 727-200Adv 4機
Boeing 737-200Adv 3機
Boeing 737-500 4機
Boeing 737-600 3機  でした。

Boeing_737_fleet_tunisair_small 表1 Tunisair のBoeing 737は現役9機 売却済み20機、ストア3機、スクラップ1機でTS-IOCはその唯一のスクラップ済みの機体です。データはPlanespotters.net から。

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2014年10月 5日 (日)

通勤電車シリーズ 103系 11 京阪神緩行線 2

通勤電車103系、その製造の歴史を振り返っておりますが、今回は地上型基本番台のモデルチェンジ車の京阪神緩行線への投入です。

103_7603 1976/3 京都

103_7503 1975/3 大阪

予算は
① 昭和46年度本予算で
クハ103ー180~187 モハ103ー282~288 モハ102-437~443 サハ103-308~310
② 昭和46年度第1次債務で
クハ103-188~212 モハ103-289~315 モハ102-444~471 サハ103-311~323
③ 昭和46年度第3次債務で
モハ103-316~330 モハ102-472~486

103_7603_2 1976/3 大阪

外観的な特徴は クハの前照灯がシールドビーム2灯化されたこと、側窓がユニット式になったことです。1972年1月から3月にかけて製造され、明石電車区(後半のモハユニットは松戸電車区)に大量配置されました。

モハ102ー4451970年5月の根岸線脱線事故で廃車されたモハ102-169の補充として単独で製造されました。これによってモハ103とモハ102のユニット番号の違いは156となりました。

次の予算で量産形冷房車が投入されましたが、今回のシリーズは非冷房で過渡的なスタイルとなりました。さらに、クハ103-188は一両だけ松戸電車区に配置となり、関東地区唯一のこのタイプの車両となりました。

103_013_850429
関東地方で唯一見られた前照灯2灯、非冷房のクハ103-188 1985/4/29 上野

103_103188_850429_2
1000番台との併結可能改造を意味するアンダーライン付き番号のクハ103-188 

103_013_850429_2
地上運用に回った103系1000番台の先頭クハとして活躍するクハ103-188 日暮里


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2014年10月 4日 (土)

公園保存蒸気 D51 916号機 前橋こども公園

日本全国の公園等に保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は2014年4月27日、上毛電鉄の春のイベントとともに訪れた前橋こども公園のD51 916号機です。

最寄り駅は上毛電鉄の城東駅です。同公園は児童文化センターとして1969年につくられ、2013年4月にリニューアルされたそうです。

D51_916_140427_31 カマボコスタイルのドームなど準戦時形の特徴を示すD51 916号機 2014/4/27 前橋こども公園

916という番号が示すとおり、準戦時形の形態的特徴と北海道のSLのデフレクターの前方を切り欠いたスタイルが特徴的です。

D51_916_140427_17
前照灯は副灯付きの2つ目、足元にはスノープラウも装備されていますが、残念なことに煙室扉のハンドルがかけているため些か表情に締まりがありません。

D51_916_140427_23
主連棒のビッグエンドは湯本の946号機同様の円形で標準形の長方形ではありません。

D51_916_140427_36 逆転機のモーションプレートは丸い穴が2つ空いたタイプで、こちらは946号機とは異なっています。

D51_916_140427_11
3本の砂管のパターンは写真の様になっています。

D51_916_140427_2
機関車本体は屋根付き、ホーム付きのスペースに保存されており、後部標識灯は引っ掛け式だったようです。

いつものようにこの機関車の履歴を沖田祐作氏の機関車表から見てみると

D51916     日本車両名古屋工場=1219     1943-12-17(12/12?) S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1943-12-17(12/12?)製造→ 納入;国鉄;D51916→ 配属;広島局→
      1944-01-01 配属;糸崎→1944-01-06 使用開始;広島局→1948-05-05 発;函館→
      1948-06-04 追分→1949-06-16 新得→1954-12-17 岩見沢→1958-08-30 新缶に交換→
      1966-11-28 踏段改造→1967-08-08 借入;富良野→1967-08-18 返却→
      1968-10-01 小樽築港→1973-10-13 名寄→1974-00-00 追分→1976-03-10 廃車;追分→
      1976-03-25 群馬県国鉄前橋駅着→
      保存:群馬県前橋市「こども公園」;D51916(児童交通公園説?)

1943年暮れに名古屋で誕生し、当初は広島に配属されましたが、戦後の1948年5月北海道に渡り、国鉄蒸気機関車の最後の時を追分機関区で迎えています。

D51_916_140427

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2014年10月 3日 (金)

郡山車両基地まつり 2014  その3 展示車両 485系 ジパング

2014年9月6日の郡山車両基地祭り、今回は展示車両の485系改造ジョイフルトレイン”ジパング”の紹介です。

485_140906_7 展示されたジパング 4両編成 2014/9/6 郡山車両基地

4両編成のジパングは2012年4月から6月まで開催された「いわてデスティネーションキャンペーン」に合わせてJR東日本盛岡支社の新しい観光列車として4月から運行が開始されました。

構成は
← 一関                          盛岡 →
クハ485-704 モハ485-3014 モハ484-3014  クハ484-704
1号車展望車 2号車普通車 3号車普通車   4号車展望車

となっており、クハは元「やまなみ」の先頭車クロ485-4クロ484-6です。

485_tg10_091031 在りし日の「やまなみ」 TG10編成 2009/10/31 鶯谷

「やまなみ」は老朽化した12系改造の和風客車「くつろぎ」の代替として1999年に大宮工場で485系、クハ481-34、モハ484-58、モハ485-58、クハ481-40から改造されました。

2010年12月で営業運転を終了し、2011年1月に中間電動車ユニットは「リゾートやまどり」に改造のため東急車輌製造に入場し、5月に「リゾートやまどり」になって出場しました。一方、クロ485-4とクロ484-6は引き続き高崎車両センターに留置されていましたが、2011年12月に「ジパング」に改造されるため郡山車両センターに入場し、再改造となりました。

485_tg11_090504_4 在りし日の「せせらぎ」 TG11編成 2009/5/4 大宮

一方、リゾートやまどりへの改造にあたって、2001年に郡山工場で485系電車から改造された「せせらぎ」は同じく老朽化していた12系客車改造の和風客車「やすらぎ」の代替として登場したもので、今回の再改造にあたり、2010年1月で運転を終了し、同年7月12日から2011年2月10日にかけて東急車輌製造に入場しました。

せせらぎの種車は複雑な経緯を経ており、

サロ181-1104 → サロ481-1504 → クハ481-1107 → クロ484-7 5号車
モハ484-1071 → モロ484-11 6号車
モハ485-1071 → モロ485-9 7号車
サロ181-1102 → サロ481-1502 → クハ481-1105 → クロ485-5 8号車 

485_tg10_020910 両者が併結されて運用されることもあり、その際は「やまなみ」が1~4号車、「せせらぎ」が5~8号車となりました。 2002/9/10 東十条

485_yd01_110828 「やまなみ」編成-クロx2+「せせらぎ」編成で誕生した「リゾートやまどり」 YD01編成 
2011/8/28 大宮
1号車から クハ484-703 モハ484-703 モハ485-703 モハ484-704 モハ485-704 クハ485-703 となっています。

4853000_101023_4 特急「つがる」で活躍中の485系3000番台 この中間車 モハ485/484-3014が改造されて「ジパング」の電動車に  2010/10/23 弘前

因みにモハ485/484-3014 は1998年9月22日土崎工場でモハ485/484-1014から改造されています。

485_140906 屋根の形態に関しては敢えて揃える改造はしていないので、クハとモハで不揃いになっている「ジパング編成」

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2014年10月 2日 (木)

東海道新幹線開業から50年 その1 1964年夏の家族旅行

昨年の11月は1963年11月22日第35代アメリカ合衆国大統領John Fitzgerald Kennedy暗殺事件から50年にあたり、あの事件に関するいろいろなドキュメンタリーが放映されていました。そして今年は1964年10月1日の東海道新幹線開業、さらには10日の東京オリンピック開幕から50年ということで既にいろいろなイベントが開催され、テレビでは特別番組などが放映されています。

私は、1964年当時、小学校3年でした。父の実家が秋田県の能代市、母の実家が山口県の萩市だったため、小学校の奇数学年の夏休みは萩へ、偶数学年の夏休みは能代へ里帰りの家族旅行を経験しました。

東海道新幹線が開業する直前の1964年7月の夏休みは東京発12:30の客車急行33レ「雲仙・西海」で東海道、山陽筋を下り、一路萩へと向かいました。当時の時刻と編成はこちらに掲載されています。
編成は
「西海」 東京~長崎 1~6号車 スロ51 ナハネ11 オシ17 ナハ ナハ ナハフ
「雲仙」 東京~佐世保 7~12号車 ナハフ スロ54 ナハネ11 オハ スハフ スハフ 
下り方に オユ マニ マニ(米軍専用荷物 東京発月・水・金 佐世保発 火・木・土) 
オユは東京~鳥栖 12号車は東京~下関 だったようです。

厚狭駅で下車した際に15両の客車の後何両かがホームからはみ出し、ホームでないところに飛び降りたのを憶えているので、乗車したハコ(当時は客車のことをこう呼んでいました)は「雲仙」の後から2両目のスハフあたりだったのではと思います。今から思えば食堂車や寝台車も連結されていた編成ですが、列車は大変な混雑で自由席の座席を確保するために東京駅では乗車前から並んだと思います。

因みに当時の東海道新幹線開業前の東京駅発の名古屋以西に向かう優等列車を当時の時刻表データに基づいて表1に纏めてみました。

119645small 表1 1963年10月改正(1964年10月改正前の大きな改正)ダイヤによる東海道本線名古屋以西に向かう優等列車(特急、急行、準急)の発車時刻

太字が特急、細字は急行、青字は準急です。このなかには「第2ひびき」のように5月にしか運転されなかった不定期列車も含まれています。

意外と11時台の列車がなかったりしますが、夜行列車の頻発ぶりには驚かされます。

東京駅で駅弁「幕の内弁当」と冷凍みかんを購入し、真夏の昼下がりの東海道を下りました。車窓には10月に開業予定の新幹線の工事が着々と進んでいるのが見えました。名古屋での停車時間に「きしめん」を購入し、そのときのどんぶりが長く実家にあったのを憶えています。どんぶりといえば帰りの「出雲」でも出雲市で購入したそばのどんぶりが家にありました。当時は、駅そば・うどんを購入するとどんぶりが付いてきました。

京都では叔父がわざわざホームまで見送りに来てくれ、窓越しに対面したのを憶えています。そして、大阪、神戸は夜となり、岡山は深夜、夜が白みはじめたのが徳山を過ぎたあたりだったかと思われます。

長大編成の客車列車がカーブにさしかかる度に、前方や後方を見るのが楽しみでした。前方では真っ黒な巨体の蒸気機関車が列車を牽引していました。恐らくC59C62だったとおもいます。蒸機が牽引しているので窓は暑くても開けるなの世界でした。山陽本線の全線電化は1964年7月25日、横川~小郡の電化で完成しているはずですが、乗車日が25日以前だったのか、電化後も蒸機の運用が続いたのか、牽引機は間違いなく蒸機でした。そして、5:49定刻に厚狭に到着しました。

ここから美祢線で北上し、山陰本線の長門市(以前は正明市:しょうみょういち)まで気動車に乗りました。2両編成のキハ17だったのか、煙突からの発熱で車内はかなり温度が高かったように思います。切符は周遊券でしたが、券面の地図ではまだ正明市となっていました。長門市からは仙崎への支線が出ており、車両はレールバスのキハ01系でした。後日、青海島観光で仙崎に行く際に乗車しました。

萩では青海島観光の他、菊ヶ浜での海水浴、松陰神社、毛利家の墓所がある東光寺、日本一小さい火山という笠山見物などで過ごし、帰りは山陰本線を東上し、浜田から急行「出雲」で東京に向かいました。

急行「出雲」の当時の編成がこちらに記載されています。山陰本線はまさに一日中、海岸を走っているという感じで、夕暮れ時に余部の鉄橋を通過したのも憶えています。

2022レとして浜田からは スハフ スハ スハ スロフ53 の4両編成で出発し、
出雲市で東京寄りに オロネ10 オハネ17 ナハネフ10 の3両を増結し、さらに京都で大阪発の急行「金星」 ナハネフ10 スハネ30 x 4 オハネ17 ナハネフ10 を併結し、22レとして東京に向かう列車でした。浜田 13:55発、出雲市15:52、 京都23:45 東京着 9:36でした。(時刻データはこちら

50年前の夏休みの旅行、当時写真は親が撮ってましたが、鉄道関係のものはありません。

1964年10月、東海道新幹線の開業後の最初の日曜日、晴海埠頭で開かれた自動車ショー改め東京モータショー(第11回)のついでだったと思いますが、父親に連れられ東京駅の新幹線ホームに行きました。そのときに父が撮影したのがこの写真です。

0_641001 1964年10月4日 東京駅

新幹線開業前までは試作のA編成やB編成を本などで見ており、営業用編成を間近で見た際に、一番驚いたのはスカートの排雪フィンと排障器の「いかつさ」でした。

開業直後の東海道新幹線はいわゆる1-1ダイヤ、1時間あたりひかり1本、こだま1本で,東京~新大阪間、「ひかり」は4時間、「こだま」は5時間かかっていました。東京駅は2面3線の使用でホームは17~19番線でした。東海道新幹線に初めて乗車したのは、1966年夏休みの萩旅行(小学校5年)だったと思います。

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2014年10月 1日 (水)

EF200形電機 14号機

EF200形電機シリーズ、今回は14号機です。製造は日立製作所で1992年10月31日に落成しています。

いつものように2003年頃からの写真をアップして行きます。

Ef20014_030426 新鶴見を出発する短い編成のコンテナ貨物  2003/4/26

Ef20014_031009 EF200が武蔵野線を越谷ターミナルまで入線していた頃 2003/10/9 西浦和
しかもこの日は遅れていた模様

Ef20014_061123_2 八丁畷を通過 2006/11/23

Ef20014_070819 塗装変更後まだ日の浅い14号機 2007/8/19 大船

Ef20014_120913_3 連日のハードな運用で汚れの目立つ14号機 2012/9/13 枇杷島

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