公園保存車両 キハ31 流山総合運動公園
日本の各地の公園等に保存されている車両を観て歩くシリーズ、前々回、流山総合運動公園のD51 14号機の記事の最後で
”なおD5114号機のとなりには流山鉄道のキハ31 ガソリンカーも保存されておりました。こちらは次回紹介致します。”
と云っておきながら、その次の回ではすっかり忘れて、都営地下鉄12号線の試作車の話題に行ってしまいました。ということで、今回はもう一度、流山総合運動公園に戻って、ガソリンカーキハ31の話題です。
流山総合運動公園でD5114号機の隣に保存されているキハ31 2014/5/4
キハ31は1933年汽車会社製のガソリンカーで、かつて流山軽便鉄道(現在の流鉄)で働いていた車両です。
その歴史は1986年12月25日、日本鉄道が土浦線(田端~土浦間)を開通させた頃に、遡ります。流山町は醸造と水運で栄えた町でした。当初、日本鉄道は流山町を通る予定でしたが、当時の町民は鉄道が水運業を成り立たせなくするということで猛反対したそうです。一方で、常磐炭鉱の石炭を早く東京まで輸送するために、流山を経由しないルートを鉄道局が指示したという説もあるそうです。
この開通で、松戸駅が開設され、流山町の人々はそれまで船で東京まで出ていたのを、松戸駅まで2時間歩いて鉄道を利用するようになったそうです。当時の船、和船や蒸気船が両国まで数時間かかったのに較べると、時間は40~50分で、しかも時間が正確でした。やがて、1889年には馬橋駅、1911年には北小金駅が開業し、流山から1時間で鉄道の駅に行けると云うことになり、流山町にも鉄道をという機運が盛り上がったそうです。
1912年に流山町の商工業者が発起人となって鉄道敷設の行動が起こり、同年9月17日に免許申請、1913年7月1日に認可が降りました。
1913年11月7日に流山軽便鉄道株式会社が設立され、鉄道用地の買収が始まりました。1914年前半までに用地買収は完了し、工事が開始され、1916年工事は完了、3月14日営業が開始されました。車両は機関車2両、客車2両、貨車2両で、駅は馬橋駅、大谷口駅、鰭ヶ崎駅、流山駅の4駅でした。軌間は762mmでした。開業当初は流山の人々は従来と変わらず徒歩や荷車で荷物を運び、あまり鉄道の旅客・貨物輸送実績は芳しくなかった様ですが、年を追うごとに増えて行きました。
1922年、社名を流山鉄道に変更、1924年には改軌して1067mmに。国鉄貨車の直通が可能に。1925年には陸軍糧秣本廠流山出張所が平和台駅そばに完成し、貨物輸送量は飛躍的に増大、改軌時に駿豆鉄道から蒸機No15とNo16が入線、さらに明治期の旧型の木造2軸客車と貨車2両を国鉄から購入して入線、そして1933年にキハ31、1934年にキハ32のガソリンカーが入線しています。キハ31の運行開始は1933年4月2日とのことです。
市民の宝のような存在ですね。
車体は半鋼製、定員40名、座席20名、電化まで旅客輸送の主力として活躍、エンジンはフォードBB 4気筒 29kW (1600rpm) 座席はロングシート
1949年の電化後、1952年にエンジンが取り外され、ラッシュ時に電車に牽引される客車となりました。1959年、荷台部分を窓ひとつ分客室延長して、サハ31と改称、1963年5月15日付けで廃車となりました (以上、Wikipediaの記事を参考にしました)。
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コメント
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B767−281様 今晩は。総武流山電鉄が非電化路線であったとは初めて知りました。このような車輌を見せていただきますと、鉄道の原点を見る思いがします。小さくても非力でも架線がなくても自力で動けるなら十分輸送力になります。そう言えば湯河原温泉が好きで何回か訪れていますが、人車鉄道というのがあったそうで、車輪のついた鉄道車両を人が押して輸送していたそうです。そちらも鉄道の原点かなと思い出しました。夜分にお邪魔いたしました。
投稿: 細井忠邦 | 2014年11月 9日 (日) 21時21分
細井忠邦さま、こんばんは。
豆相人車鉄道ですね。わたしも、今年正月に熱海駅前に保存されている、その鉄道の後継、熱海鉄道の機関車を観てきました。
よく東海道線の紹介番組などで人車鉄道の再現されている湯河原の和菓子処・味楽庵のことも紹介されていますね.。私も機会があれば訪問してみたく思っています。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2014年11月 9日 (日) 22時09分