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2014年11月 2日 (日)

東海道新幹線開業から50年 その4 万博輸送とDiscover Japan

東海道新幹線開業から50年を振り返るシリーズ、今回は1970年の万博輸送から、岡山延伸開業までです。

0 0系 H74編成 名古屋

1970年の大阪万国博覧会を前に、1969年10月1日のダイヤ改正では、3-6ダイヤ体制が組まれ、「ひかり」は毎時00、20、40分、「こだま」は毎時10、15、30、35、50、55分と東京~三島、名古屋などの区間運転や不定期運転も含めて予約状況を見ながら臨機応変に対応できる体制が設定されました。このときに「ひかり」の16両編成化も決定し、1969年12月8日から、1970年2月25日にかけて16両編成化が実施されました。これにより「ひかり」の座席定員は1407人となりました。

国鉄としても最初は鉄道技術の成果を展示する独自のパビリオンを出すことも考えていましたが、財政状況がそれを許さず、当時世界最高速の新幹線を「動くパビリオン」として見せることにしました。

一方で後に新幹線のライバルとなる東名高速道路は1962年に東京IC-静岡IC間、豊川IC-小牧IC間の工事が着手され、1963年には静岡IC-豊川IC間の工事も始まり、1968年4月25日、東京IC-厚木IC間・富士IC-静岡IC間・岡崎IC-小牧IC間が開通し、小牧ICで名神と接続しており、1969年2月1日に静岡IC-岡崎IC間が開通し、3月31日には厚木IC-大井松田IC間・御殿場IC-富士IC間が開通し、そして5月26日、大井松田IC-御殿場IC間の開通で全線開通しました。6月10日から東名ハイウエイバス、東名高速線 東京~名古屋間が開業し、昼行便43往復体制でスタートしました。

1012 万博輸送に向けたひかりの16両編成化、およびこだまのビュッフェ車1両化に向けた0系の増備

1970年3月14日、大阪千里丘陵において「人類の進歩と調和」をテーマにした「日本万国博覧会(EXPO70)」が開幕し、会期が進むにつれ乗客数は増え、8月には1日に平均36万人が新幹線を利用し、8月16日には46万人の乗客数を記録しました。会期終了までに約6400万人という記録的な入場者数を数えることとなりました。

「ひかり」の16編成化を進める一方で「こだま」に2両連結されていたビュフェ車の利用率が芳しくないことから、5号車のビュッフェ車を新登場の売店車(25形400番台)に置き換える編成替えも同時に進められました。その結果、5号車に売店車、9号車にビュッフェ合造車を組み込んだ編成が「こだま」の新正規編成となりました。

大阪万博の時、私は中学3年でした。杉並区立の中学校でしたので5月の修学旅行は関西でしたが、大阪の宿は避けて、品川発の修学旅行電車「ひので」で彦根へ、彦根城、安土城などを見学して奈良へ、多武峰、室生寺などを見学して、京都から夜行の「ひので」で東京に戻りました。恐らく、我々の学年か、次の学年が東京の中学校でも「ひので」を使った最後の世代ではないかと思います。

0_3 東京駅を出発する0系

万博終了後の旅行需要を落ち込みに対処するために国鉄が打ち出したキャンペーンがディスカバージャパンでした。広告代理店電通とのタイアップによる「美しい日本と私」をキャッチフレーズに日本の国土の美しさを再認識することで国内外の人々を観光に誘引しようという試みで、空前の旅行ブームが巻き起こりました。新幹線に修学旅行臨時列車が運転され始めたのもこの頃でした。

1970年10月1日のダイヤ改正では「こだま」のグリーン車を全車指定席とした他、短距離利用客の利便性を図るため、「こだま」の隣接停車駅間の普通車自由席を従来の600円から400円で利用できるようにした特定特急券が発売開始されました。

東海道区間の開業後から、山陽区間の建設も検討され始め、1965年9月9日には新大阪~岡山間の建設工事の認可、1966年5月にルートの決定、1967年3月16日には山陽本線複々線化の名目で工事が着工されました。駅は、新神戸、西明石、姫路、相生の4駅と決まりました。東海道区間は最高速度210km/hを想定して建設が行われましたが、山陽区間は250km/hを想定し、高架構造とトンネルを多用し、カーブの最小半径も4000mに抑えられました。1971年8月31日に新大阪駅構内でレール締結式が行われ、10月16日には951形試験電車による試運転が開始され、1972年1月27日には0系を利用した直通公式試運転も実施され、東京~岡山間を4時間10分で走破しました。1972年は明治5年(1872年)に新橋~横浜間に鉄道が走り始めてちょうど100年の年でもありました。

ひかりは西へ」のキャッチフレーズで建設工事が進められていた新大阪~岡山間は1972年3月15日開業を迎えました。

車両的にはこれまで製造会社別に編成記号を分けていたのが、製造会社別に編成を組めなくなったことから、1971年12月15日から「ひかり」はH編成、「こだま」はS編成(12両)K編成(16両)と用途別に記号を使い分けることにしました。

19723 ひかり16両編成とこだまの新正規編成

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