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2014年11月19日 (水)

東海道新幹線開業から50年 その5 岡山開業から博多開業へ

1972年3月15日1872年(明治5年)の鉄道開業からちょうど100年に当たる年に東海道・山陽新幹線は岡山まで開業しました。

0_740929 1972年7月の萩旅行で岡山行きのAひかりの車内から撮影した鳥飼基地の0系

運転パターンは4-4ダイヤとなり、

ひかり」は

・ 新大阪~岡山間ノンストップのWひかり 所要4時間10分 毎時15分発 1~8号
・ 新神戸、姫路停車のAひかり 所要4時間20分 毎時00分発 23~44号
・ 新大阪~岡山間各駅停車のBひかり 所要4時間30分 毎時30分発 51~78号
・ 東京~新大阪間の「ひかり」 Hひかり 毎時45分発 301~345号

となりました。東京~新大阪間は従来通り、名古屋、京都のみの停車でした。

こだま」は

・毎時 05 20 50 分発 Kこだま  となりました。

ひかりにも普通車自由席が新設され、1~4号車が自由席となりました。

開業以来、超特急「ひかり」、特急「こだま」と区別されていましたが、「ひかり」も特急となり、新幹線、在来線ともに最速列車は特急となりました。

特急料金も「こだま」を基本とするようになり、東京~名古屋間で「ひかり」を利用する場合に限り、+400円の「ひかり」料金が適用されることになりました。さらに「ひかり」に自由席が設定されたため、1965年12月28日以来、特急料金100円引きで設定されていた「ひかり号立席特急券」が廃止されました。

1972年10月2日日本海縦貫線全線電化完成に伴うダイヤ改正で、北陸本線方面との接続を改善するため、「ひかり」1日3往復の米原停車が実現しました。米原停車「ひかり」の東京~新大阪間の所要時間は3時間15分となりましたが、東京から福井、金沢方面への所要時間は大幅短縮となりました。

4-4ダイヤでは「こだま」の混雑率が上昇したため、全列車16両編成化が検討され、1972年6月29日から16両編成化が実施され、1973年7月29日に完了しました。

131516表1 こだま16両編成化に関係した車両増備

13次車で増備された92両により、変則「こだま」K25 - 41編成16両17本、正規「こだま」K42 - 47編成16両6本が編成され、残りの「こだま」はS1 - S24編成12両24本となりました。

14次車では「ひかり」用H41~H43編成が増備されました。岡山以西乗り入れに対処してターボファンを利用した連続換気装置が取り付けられ、以降の編成や既存の編成にも追設されました。こだま用の編成にはこの装置は取り付けられなかったため、以降、連続換気装置非搭載の車両が組み込まれた編成は岡山以西非対応を示す原編成番号+50番台で識別されるようになりました。

15次車で「こだま」は全て16両編成となり、「こだま」47編成のうち売店車・ビュッフェ車組込の正規編成が30本、ビュッフェ車2両組込の変則編成が17本となりました。

1972_16
編成図1 16両編成化で12両のままのS編成(1-4号車は欠番)、ビュッフェ2両組み込みの変則K編成、売店・ビュッフェ組み込みの正規K編成が誕生し、その後の増備で組み替えられて行きました。増備された車両の組み込み先を赤で表示しました。

全国新幹線鉄道整備法による新幹線として、山陽新幹線岡山~博多間の整備が認可され、1970年2月10日に着工、1974年度末に完成の目途が立ちました。

これまで新幹線は短時間乗車のため、食堂車の導入は見送られていましたが、東京~博多間6時間30分になることから、食堂車の連結が必要と判断され、1974年3月16日までに0系車輌252両が増備され、4月から8月にかけて、食堂車ユニット(業務用室付き普通車+食堂車)が64組登場しました。

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表2 ひかり編成に食堂車組み込みに関係する増備

1975 編成図2 「ひかり」のグリーン車の位置を9・10号車から11・12号車に変更し、ビュッフェ車は9号車1両のみとし、食堂車ユニットを7・8号車に組み込む編成変更が行われました。8月末には64編成全てが揃い、9月5日から営業を開始しました。

16次車では博多開業用「ひかり」用に、ビュッフェ車ユニットと食堂車ユニットを含まない12両編成21本が増備されました。翌年の食堂車組み込みによる16両編成化を見 越して、「ひかり」用編成でしたがS編成S44 - S64)を名乗りました。

17次車で0系初の食堂車のユニット(27形+36形)2両64本が増備されました。
車両組替により16両H1 - H43編成にビュッフェ車ユニット(35形+26形)と入替で食堂車ユニットを組込、12両S44 - S64編成は組替で余剰になったビュッフェ車ユニットと新造の食堂車ユニットを組み込み、16両のH44 - H64編成となりました。

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表3 18次 19次 増備車両

18次車では1編成のみ両端のユニット4両を除く12両を全てグリーン車としたH70編成(別名:ひかりスペシャルまたはIPUスペシャル)として落成しました。この編成は、国際会議輸送のために組成され、会議終了後は6組中5組のグリーン車ユニットとその後落成したグリーン車のないH76 - H79,H82編成に組み込まれた普通車ユニット等とを入れ替えることでノーマルなH編成6本に組成しなおされました。この他に用にビュッフェ車ユニットを含まない14両10本が増備され、余剰のビュッフェ車ユニットを組み込み「ひかり」用H65 - H75編成が組まれました。

19次車ではH70編成と余剰のビュッフェ車の組替用として食堂車ユニットと普通車ユニットの中間車8両、グリーン車ユニットとビュッフェ車ユニットを含まない12両 編成5本とビュッフェ車ユニットを含まない14両編成6本が増備されました。編成組替で「ひかり」用H76 - H86編成が組まれました。

以上の増備で、1975年3月10日の博多開業までに「ひかり」H編成86本、「こだま」K編成47本の16両編成が準備されました。

 

1975年3月10日、岡山~博多間が開業し、東海道・山陽新幹線が全通となりました。新駅は新倉敷、福山、三原、広島、新岩国、徳山、小郡、新下関、、小倉の9駅となり、広島、小倉は「ひかり」全列車、小郡は東京発着の「ひかり」一部列車、徳山、新下関は新大阪発着の「ひかり」が停車するようになりました。

Wひかり 東京発毎時00発 名古屋、京都、新大阪、岡山、広島、小倉 (1日4本 小郡にも)
Aひかり 名古屋、京都、新大阪、新神戸、姫路、岡山以西各駅停車
Bひかり 名古屋、京都、新大阪以西各駅停車 岡山行き ABで毎時12,24、36,48分発

所要時間はWひかりで6時間40分を予定していましたが、旧炭鉱地帯の路盤不安定な場所があるため、最速6時間56分となりました。ダイヤは5-5ダイヤとなりましたが、東京駅のホーム増設の遅れなどで実際はひかり4本。こだま3~4本の設定となりました。

3684_140812 博多開業前に登場した36形食堂車

3684_140812_5 最初は通路側に窓がありませんでしたが、食事中に富士山が見えるようにとの要望から、窓が開けられたとか。 2枚ともリニア鉄道館 2014/8/12

「ひかり」「こだま」の発車ホームを分けることが不可能となったため、自由席、指定席の混乱を防ぐ目的で、「ひかり」は1~4号車自由席、「こだま」は5~16号車自由席(12号車G車指定席)となりました。3月3日からは都区内からプッシュホンで東京駅発着の「ひかり」「こだま」のグリーン車、指定席予約も可能となりました。

特急料金も完全一本j本化され、東京~博多間で運賃4510円、特急券4200円、自由席は100円引き、グリーン車は+4000円、隣駅までの普通車自由席は500円となりました。

2021 表4 20次 21次 増備車両

0b
撮影時期、場所とも不明ですが20次車のH87編成と読めます。

20次車では「ひかり」組替用H87 - H92編成6本が増備され、売店車を2両組込。ビュッフェ車を2両連結していた「こだま」用K編成と組替で売店車ユニットとビュッフェ車ユニットを交換しました。
 
21次車では非常時に対応するための予備として「ひかり」組替用H93 - H96編成4本が増備され、売店車を2両組込、ビュッフェ車2両の「こだま」は7編成となりました。

これでいわゆる大窓の0番台の増備は終了し、1976年9月からは0系1・2次車を置き換えるため、小窓の1000番台の製造が行われます。

Photo_2
表5 大窓車として登場した形式と車両数

0系のなかで37形(立ち席のみのビュッフェ車)以外は大窓車として登場しました。

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コメント

B767−281様 お早うございます。0系の増備過程まさに歴史は繰り返すですね。20系〜151系もつばめ、はとの電車化をはじめとして(その前にモロ、サハの組み込みはありますが)最後には12連で11形式と言う複雑な編成になりました。それとよく似ているような気がします。「ひかりは西へ」や「ディスカバージャパン」のキャッチフレーズが懐かしく思い出されます。前に勤務していた昭島市には21形が図書館として保存されていてたいそう人気がありました。記事を読ませていただき再訪したくなりました。ではまた失礼いたします。

細井忠邦さま、こんばんは。

0系の場合は、最初の計画では6両からスタートして、12両に、さらにひかり、こだまと2種の編成が生まれ、16両にと規模の拡大あり、さらに車種の増大ありで151系が東海道から退いたときはちょうど151両だったというエピソードがありましたが、0系の場合はその20倍くらいの規模になっていましたね。

まさに、どんどん規模は拡大するは、車種は増えるはで、車両のやり繰りは大変だったと想像されます。さらに連続換気装置のあるなしで、岡山以西走行可不可などといった条件も加わり、本当にやり繰りが大変だったのではと思います。

0系の保存車というのも結構、いろいろとあるもので、東京でも多摩地区にもあるようですので、わたしも訪れてみようと思っています。

こんにちは~。モモパパです。
新幹線。
岡山開業時は僕2歳でしたよ。
0系車両も今見るとなかなかすっきりとしていて好感がもてます。

モモのパパさま、おはようございます。

私が小学生の頃、明治100年という年があり、高校2年の時、鉄道100年になりました。それから既に40年以上、まさに明治は遠くなりにけりですね。

私も今回、0系の歴史をいろいろ調べ、昔撮った写真を見返していて、やはり
カッコいいなと感じました。

新幹線の岡山開業アルバム・・・とても懐かしいですね!!
やはり最大のハイライトは、新幹線に本格的食堂車の連結でしょうか。
昭和49年からの食堂車連結はよく覚えています。
これで(こだま)編成との差別化が決定的となり、
(ひかり)が全部通過していた静岡が地元だった私は、うらやましい思いをしたものです。
新幹線は車幅が広い分、
食堂車もゆったりとしていて、ぜひ復活を望みたいところです。

やぶおさま、こちらにもありがとうございます。

新幹線の車内、普段はあまり写真など撮らないものですが、リニア鉄道館のおかげで当時の貴重な車両が遺され、しかもそれをこちらは写真として記録できるのが嬉しく思います。
新幹線の場合、距離が伸びると飛行機との競争になり、また要員の問題等もあって、食堂車の設定というのは本当に難しい問題なのかなと思います。乗客としては望ましいのですが。

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