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2014年11月30日 (日)

EF200形電機 19号機

EF200形電機シリーズ、今回は19号機です。製造は日立製作所で1993年4月14日に落成しています。

いつものように2003年頃からの写真をアップして行きます。

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新鶴見を発車 2003/9/6

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塗装変更後 2006/6/20 東淀川

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2006/6/21 元町

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同じ列車を山科にて

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19号機の特徴は運転台側窓下にJR Freightマークが残されていることです。 2008/9/6 清洲

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2008/11/15 東所沢

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上の写真では青色の色合いが9,11号機のようになってきていましたが、2010年の全検入場で塗り替えられました。 2010/7/3 八丁畷

同年12月にも東淀川で撮影していますが、それが今のところ最後で、昨年から長期休車、部品取り状態のようです。

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2014年11月29日 (土)

高崎鉄道ふれあいデー その3 EF64 37

昨日の、尾久のイベントに続いて今回は2014年10月18日高崎鉄道ふれあいデーの3回目です。今回はEF64 37号機です。

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茶色い機関車大集合で整列したEF64 37号機 2014/10/18 高崎

まずこの機関車の履歴を沖田祐作氏の機関車表のデータから見てみましょう。

EF6437     汽車製造大阪工場=3647/= 東洋電機      1971-04-28 E96.0tBBB(1067)
   車歴;1971-04-28 製造→ 納入;国鉄;EF6437→ 配属;関東支社→1971-04-29 配置;甲府→
      1979-04-01 長岡→1982-09-19(9/20?)甲府→1984-02-02(2/1?)八王子→
      1986-11-01 高崎二→1987-03-01 改称;高崎運転所→
      1987-04-01JR 東日本;EF6437→ 配置;高崎運転所→
      2004-04-01 現在;高崎車両センター→2008-04-01 現在;高崎車両センター(甲府常駐)

製造は車体部分 汽車製造、電気関係 東洋電機のジョイントでEF64基本番台の中では昭和45年度第1次債務予算で製造された第5次量産車(37号機~43号機)グループに属し、1971年4月28日に落成しました。

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2007年3月29日 定番の甲府駅でのショット

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普段は甲府常駐のため、身延線ホームからはよく見ている機関車ですが、動いているところはなかなかお目にかからない機関車で、初めての出会いは2007年4月14日、大宮駅でした。

このグループの設計上の変更は

    抵抗制御器をCS22BからCS22Cに変更。
    バーニア制御器をCS23BからCS23Cに変更。
    界磁制御器をCS24AからCS24Bに変更。
    単位スイッチをSR114からSR124に、SR117からSR125に変更。
    前面貫通扉ステップの形状変更。
    前面窓がデフロスタから熱線入りガラスに変更。
    空転滑走検知装置を車軸発電機方式から電機子電流の変化を検知する方式へ変更。

とありますが、外見的に分かるのは、貫通扉ステップ形状の変更やデフロスタの変更でしょうか。
Ef64_30_050705        EF64 30 2005/7/5 稲沢

EF64の一般塗装では見分けるのが大変ですが、36号機までは妻面下部のステップが標識灯横の掴み棒の外まで伸びていましたが、37号機からは縮小されました。EF65PFでも1023号機から同様の変化が見られました。

新製配置は甲府機関区でした。

途中、1979年から3年半、長岡時代もありますが、これまでの車生の大部分を中央線関係で過ごしています。EF64は全車、JRに継承され、基本番台、1000番台とも2002年度まで全機健在でしたが、2003年度から廃車が始まっており、基本番台は目下、風前の灯火状態です。

37号機は2003年に現行のぶどう色一色塗装となり、高崎支所配置といえども、甲府運転区常駐で、中央東線の工事列車、団体臨時列車牽引がメインの仕事でした。2009年3月14日のダイヤ改正で冬季の定時性確保のために寝台特急「あけぼの」の上越線内牽引がEF81からEF64牽引に振り替えられた関係で、38号機とともに長岡センターに転属となり、「あけぼの」「北陸」の牽引を担当するようになりました。ただ、「北陸」が2010年3月12日の改正で廃止となったため、再び、高崎センターに転属となり、現在に至っています。

Ef64_37_090504_3
やはり、どんな機関車にとってもHMを付けた特急牽引は晴れ舞台かと思いますが、近い将来、こういった定期列車も無くなるかと思うと残念です。 2009/5/4 大宮

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上野駅の特殊性のための推進回送もあと少しで見られなくなるのですね。 2009/7/26 鶯谷

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2014年11月28日 (金)

尾久車両センター公開 2014 その1 185系 A4編成 part1

2014年11月15日、尾久車両センター公開に行きましたが、速報版に続いて展示車両のレポートシリーズを立ち上げたく思います。

第1回目は185系A4編成です。

まずは185系基本番台の今日までですが、185系は1981年に運用を開始した国鉄最後の優等列車用の電車で、それまでの常識を破って普通電車(通勤型)から特急までの運用に対応できるように設計・製造されました。東海道線向けの基本番台は153系急行型電車の置き換え、1982年登場の200番台は耐寒耐雪装備や横軽対策を施し、165系の置き換えでした。両タイプ併せて、227両が製造されました。

185153_810523

再掲ですが、185系登場時、153系と併結されて普通電車で運用される姿 1981/5/23 東京

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こちらは急行「伊豆」で運用されるA3編成 1981/5/23 東京

185_810523_2
今は亡き12/13番線や11番機回し線、さらに0系新幹線が懐かしいです。3本のジャンパ栓は153系165系併結用のKE64形ジャンパ連結器で、現在は1本のみ残っています。

185系基本番台は田町電車区に配置となり、1981年3月26日から153系の付属編成を置き換える形で運用が開始されました。同年7月に0番台、115両が出揃い、10月1日からエル特急「踊り子」7往復での運用も開始されました。

185_811002_3
投入翌日の185系A1編成 特急「踊り子」 1981/10/2 東京

1985年3月14日、東北・上越新幹線が上野まで延伸開業し、「新幹線リレー号」が廃止となり、200番台4編成が新前橋から、田町に転属となりました。この異動で183系1000番台で運用されていた特急「踊り子」はすべて185系になりました。このときから、田町区の構成は10両グリーン車2両入りのA編成(A1~A8)、200番台7両編成のB編成(B1~B4)、5両付属編成のC編成(C1~C7)となりました。

1988年3月13日の改正で「新特急なすの」4往復が廃止されたことで、200番台1編成が新前橋から田町に転属となり、1990年3月10日の改正における「湘南新宿ライナー」の増発で2編成がさらに転属となり、B編成は7本となりました。

パンタグラフに関して、1989年度にB編成、1990年度にA6編成が中央東線の狭小トンネルに対応したPS24形に変更され、また1990年度にはC編成が追従性の向上を図ったPS21形に交換されました。

1996年、臨時特急「はまかいじ」運用のため、B4~B6編成にATC装置が取り付けられました。1998年サロ185形の座席がバケットタイプに交換され、1999年から2002年にかけてリニューアルが行われ、普通車の座席がリクライニングシートに、化粧板も交換され、仕切り扉もマットスイッチ方式からセンサー方式に変更され、外部塗装も斜めストライプから湘南色ブロックパターンに変更となりました。

2011年、特急「踊り子」運転開始30周年を記念して、7月14日全般検査を出場したA8編成は登場時の斜めストライプ編成での登場となりました。さらに2012年6月にはC1編成も斜めストライプ塗装に復元され、6月23日より運用を開始しました。現在、懐かしの斜めストライプ編成は、B2(2014/8), B7(2014/4), C4(2014/8), C6(2014/6)と変更されているようです。

185_c1_120715 A8+C1 斜めストライプ併結15連の特急「踊り子号」 2012/7/15 大船

20013年3月16日のダイヤ改正で田町車両センターは廃止され、185系は大宮車両センターに転属となりました。転属後も編成番号等はかわらなかったものの、改正前後から編成の変更や廃車が進められるようになり、B編成はB1編成以外からグリーン車が抜き取られ、さらにB2編成にB7編成のモハ185・184-231が組み込まれ、B2編成は8両に、B7編成は4両になりました。C編成ではサハ185-7が抜き取られ4両となりました。こういった編成変更はこれまで波動輸送に対応していた183/189系の置き換えであり、この夏、名古屋で偶然見かけたように「ムーンライトながら」などにも185系が投入されるようになりました。また同改正では長らく残っていた東海道線の伊東行き普通列車運用(521M)がE231系に置き換えられ、熱海~伊東間に縮小されました。

サハ185-7が2013年4月1日付けで最初の廃車になった他、B編成から外されたサロも7月24日、10月9日付けで廃車となっています。

2014年3月15日の改正では伊東線の普通列車運用も消滅し、編成単位での廃車が開始され、2014年5月13日付けでB1編成が廃車となりました。

10両編成はこれまでA1~A8編成でしたが、200番台のOM07編成にOM06編成からのモハ185/184-221サロ185-211を組み込んだOM07(II)編成2014年5月30日に大宮を出場しており、現在9本で共通運用しているようです。

185系200番台の国鉄時代の活躍に関しては昨年7月8日から12日の記事で触れましたが、基本番台は今回初めてだったもので、その登場から振り返ってみました。

次回は尾久公開での展示について触れ、3回目はA4編成のこれまでの活躍ぶりについて触れようと思います。

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2014年11月27日 (木)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 2 扇形庫と転車台など

2014年8月10日、台風11号が接近する中、1974年9月30日以来、約40年ぶりの梅小路蒸気機関車館訪問でした.。今回は扇形庫や転車台について触れようと思います。

140810
2014年8月10日の転車台と扇形庫

740929 1974年9月30日の同じ場所からのショット

Sl740929 40年前のショット

Sl740929_2 同じく40年前のショット

保存されている機関車たちは40年前より、若干増えており、動態保存機は相変わらず頑張っているようですが、40年前の写真に写っている人々は今どうなっているのでしょうか。かくいう私も、当時は18歳の大学1年生で、今は58歳になっておりますが。

梅小路機関区は1876年9月5日、京都機関庫として仮開設されました。1897年2月15日、京都鉄道(京都~園部間、1907年に国有化)が二条機関庫を開設しました。1914年10月10日、京都機関庫と二条機関庫が統合され、梅小路機関庫が発足しました。1936年9月1日には梅小路機関区に改称しています。

1972年10月10日、梅小路蒸気機関車館が開館、1987年3月1日には、梅小路運転区に改称、1987年4月の国鉄民営化ではJR西日本に継承され、1990年3月14日、所属乗務員は京都電車区、米原電車区に異動となり、乗務員の配置がなくなりました。1997年7月4日、旧二条駅舎(京都鉄道の本社屋で1904年完成)が移転し、翌日には蒸気機関車館がリニューアルオープンとなりました。資料展示館は1996年4月に京都市の有形文化財に指定されています。

扇形庫は1914年建設の鉄筋コンクリート製で2004年12月10日1915年完成の5t電動天井クレーン、引き込み線とともに国の重要文化財指定を受け、土木学会選奨土木遺産に選ばれています。2006年にはJR西日本により、旧二条駅舎(展示館)と扇形庫に保存されている蒸気機関車一式、点検修理の工具一式が準鉄道記念物に指定されました。

開館当初は蒸気機関車の検査は長野工場が指定されていましたが、営業用蒸気機関車が全廃されたことで、保存機の保守継続が問題となり、1979年には動態保存機の両数を削減し、検査担当工場を鷹取工場へと変更しました。その鷹取工場も1995年1月の阪神・淡路大震災で被災し、跡地を市街地復興事業に資するため、2000年3月31日に100年の歴史を閉じることになりました。たまたま震災時はC571号機が入場中でボイラーなどが大きく破損し、再起不能とまで言われましたが、懸命の復旧作業で営業運転に復帰したことも同工場の技術力の高さを示すエピソードとして語り継がれています。鷹取工場閉鎖後は蒸気機関車の検査、修繕は梅小路運転区で行われています。

転車台は太平洋戦争期間中に原子爆弾の投下目標になっていたそうです。

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扇形庫の奥には蒸気機関車の部品などが展示されており、蒸気室とシリンダー

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注水器と給水ポンプ

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連結棒

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耐火レンガなどが展示されていました。

「耐火レンガ」と聞くと、室田耐火煉瓦、そう松本清張の「ゼロの焦点」をなぜか思い出してしまいます(笑)。

大阪弁天町にあった交通科学博物館の老朽化により、同館の展示物と梅小路蒸気機関車館の展示物を一体化した京都鉄道博物館の建設が決まり、2016年春の開館を目指して、建設が進められています。そして2015年秋以降、SL専用研修庫を梅小路運転区内に新設し、日本のSL動態保存の拠点とするという発表もありました。さらに2017年度以降1979年車籍抹消、有火保存状態になり、1987年に車籍が復活したD51200号機の大規模修繕と本線運転用改造を実施し、本線運転を復活させるとのことでした。

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西方には建設中の京都鉄道博物館の建物の姿も見ることができます。

次回からは保存機関車を形式別に紹介して行こうと思います。

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2014年11月26日 (水)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング16 Spirit Air

2014年7月下旬のニューヨーク州イサカへの出張、シカゴ空港での積み残し写真、今回はSpirit航空です。
N505nk_airbus_a319132_cn_2485_14072 N505NK Airbus A319-132 cn 2485 2014/7/26 ORD

胴体の短さが際立っているA319です。

アメリカのLCCとして、しかもかなり安いお値段で乗れる飛行機会社として有名な航空会社のようです。SKYTRAXによる世界の航空会社の評価のなかで2-Star Airlinesが世界に23社ありますが、アメリカで唯一その評価が与えられた航空会社です(関連サイト)。

機内持ち込み手荷物も有料になるとか。このシリーズで以前、記事にしたB6 ジェットブルーがLCCの中でも高価格の会社であるとするとこちらはその正反対に位置するようです。
現在の本拠地はフロリダ州ミラマーですが、1980年の設立時はデトロイトが本拠地で、チャーターワンと名乗っていました。1992年5月29日にジェット機による運航を開始した際に、社名も現在のものになったそうです。

アメリカ国内定期便の他、カリブ、メキシコ、ラテン・アメリカにもチャーター便を飛ばしており、

現在、運航中の機材はAirbus A319 29機、 Airbus A320 31機、Airbus A321 2機の62機ですが、過去にはDouglas DC-9やMD-80シリーズを運航していました。

Fleet_a319_spirit
表1 Spirit 航空 A319のフリートリスト (Planespotters.netによる)

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2014年11月25日 (火)

西武新101系 その7 時は流れて 2連編 その3 近江鉄道101編成

西武鉄道新101系シリーズ、今回は西武鉄道から近江鉄道に譲渡され、現在は「湖風号」として活躍する100形101編成の話題です。

101f_140809 モハ1101 米原方先頭車 2014/8/9 米原

この車両は元295F2012年12月に303Fとともに譲渡され、2013年12月17日に営業運転を開始しました。近江鉄道における形式はモハ100形-モハ1100形で岳南鉄道から来たモハ100形に次いで2代目となります。近江鉄道では西武新101系による900形も活躍していますが、900形との違いは塗装と、側面のローマ字入りLED行き先表示器の新設、車内の運賃表示器が一部の近江鉄道バスで導入されている液晶ディスプレイになったこと、そして900形が空気制動を従来のHSC電磁直通ブレーキからHRD-1電気指令ブレーキへ改造したに対し100形はHSC電磁直通ブレーキのままであることなどです。

101f_140809_3 近江八幡方先頭車がパンタ付きのモハ101

101f_140809_2 側面には湖風号100形のエンブレムが

101f_140809_4 ワンマン運転に対応して運賃箱などが設置され、かつてあった3人掛けの座席は撤去されています。

101f_140809_12 東急車輌、昭和54年製造のプレートはそのまま残っています。

101f_140809_6 外装は変われど、室内の様子は昔のままです。

101f_140809_9 ワンマン運転用の放送装置などは追加されていますが、マスコン、ブレーキハンドルなどの基本的な部分は昔のままのようです。

101f_140809_14 JR米原駅のホームから いつまでも頑張って欲しいものです。

そういえば2連バージョンのスカート付きの姿を見たのは初めてでした。

2014年8月9日、長浜鉄道スクエアを見学した後、米原駅から、初の近江鉄道乗車を試みました。

140809 米原駅 近江鉄道入り口

1_140809 1_140809_2_2

乗車券は1デイ スマイルチケットを購入

米原発 13:59 多賀大社前 行きで高宮へ、高宮で近江八幡行きに乗り換え、近江八幡まで乗車しました。近江八幡到着は15:34でした。

140809_2 101編成は近江鉄道ミュージアムから彦根車庫で休む姿も撮影していました。 2014/8/9

100形としては102編成もいるようですが、まだ撮影していないものですから、再訪する機会があれば是非、102編成を写したく思います。102編成はスカート無しのようです(記事)。

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2014年11月24日 (月)

1989年のDüsseldorf Airport その21 KLMのBoeing 737-300

1989年、西ドイツのDuesseldorf空港で撮影した旅客機シリーズ、今回はKLMオランダ航空Boeing 737です。

Phbde_de005_cn_23541_1309_boeing_73 PH-BDE cn 23541 ln 1309 Boeing 737-306 1989/5/4 DUS

オランダのフラッグキャリアであるKLM (Koninklijke Luchtvaart Maatschappij N.V.)オランダ航空は1919年10月7日に創業しました。そのきっかけはアムステルダムで1919年に開催された航空博覧会でこの博覧会の閉幕後、オランダでは航空会社設立の機運が高まり、若き飛行家で大尉だったAlbert Plesmanが同年9月にハーグを拠点とした航空会社を設立し、当時の女王Wilhelminaもこれを承認した私的な航空会社となりました。

最初の飛行は1920年5月17日で、ロンドンクロイドン空港からアムステルダムまでリースされたAircraft Transport and Travel De Haviland DH-16 (G-EALU)にてふたりの英国人ジャーナリストと新聞を積載して行われました。1921年、定期便が就航しました。

最初の大陸間飛行は1924年10月1日で、アムステルダムと現在のインドネシアのバタビアのジャワ島との間をFokker F.VIIで結びました。1929年9月から定期便が就航し、1939年の第二次世界大戦の勃発まで続きました。このフライトは当時、世界最長距離の飛行でした。1934年には同ルートにDouglas DC-2が導入されました。

1926年にはアムステルダム、ロッテルダム、ブリュッセル、パリ、ロンドン、ブレーメン、コペンハーゲン、マルモなどにFokker F2Fokker F.IIIを使用したKLM便が就航しました。1934年12月には試験的な大西洋横断便がアムステルダム、クラサオ(南米大陸の北部、カリブ海の島、オランダ領)間にFokker F-XVIII "Snip"を用いて就航しました。旅客用で最初のDC-3は1936年に就航し、DC-2を置き換えました。

第二次大戦中はドイツ軍からも再三攻撃を受け、さらにオーストラリア~インドネシア付近では日本軍の侵攻から避難するオーストラリア人を輸送する途上で撃墜された機体もあったとのことです。

大戦後は1945年からDC-3やDC-4でバタビアルートやヨーロッパ域内、国内線の復活をまず進め、1948年にはロッキードコンステレーション、Douglas DC-6を導入氏、長距離路線を復活させました。

オランダ政府は戦後、同航空の国有化を目指し、株の取得を試みますが、Piemanは私企業であることを好み、株の大量取得は拒みました。1950年には新型のロッキードコンステレーションやエレクトラを購入しました。

1953年末には創業者のAlbert Piesmanが死去し、経営状態は悪化し、政府が株式の2/3を取得し、国営化されます。1958年11月1日には北極経由のアムステルダム~アンカレジ~東京ルートを開設しました。機材はDC-7Cでした。北極圏で不時着した際のためにAR-10カービン銃を含むサバイバルキットも装備したそうです。

1961年には最初のジェットフリートとしてDouglas DC-8を導入し、1966年にはヨーロッパ域内、中東路線用にDC-9を導入しました。1968年にはDC-8-63、さらに1971年2月にはBoeing 747-200Bを導入しています。1972年にはDouglas DC-10を購入、さらに1975年11月にはBoeing 747-300B Combiがフリートに加わっています。

この流れで1984年から同社が保有していた数機のBoeing 747-200Bのアッパーデッキを改造してStreched upper deckに改造する工事が行われ、1986年に終了し、Boeing 747-200SUDが登場しました。1983年には最初のエアバス機としてA310がフリートに加わり、1989年6月にはBoeing 747-400が導入されました。

同時期、Northwest航空とのパートナーシップが開始され、1994年にはNorthweatのKLM株式保有率25%にまでなりました。1995年にはBoeing 767-300ER、さらにMD-11(なんと最後のMD-11がリタイアしたのは2014年でした),Boeing 777-200ER, Airbus A330-200と導入して行きました。

2003年9月30日には2014年3月20日の記事にあるようにAir Franceとの合併が成立し、Sky Teamのメンバーとなりました。一方で2010年1月、長年のパートナーだったNorthweat航空はDelta Air Linesとの合併が決まり、21年間のパートナーシップは終わりを告げました。尤も、Delta航空はSky Teamメンバーですから、Air Franceの姉妹会社としての関係は今も続いています。

1_boeing_737300_fleetlist 表1 KLM Boeing 737-300 Fleet list (Planespotters.netより)

KLMはいずれもリースでBoeing 737-300を10機導入し、レジはPH-BD*シリーズでした。さらに各機には人の名前が愛称として与えられていました。

写真のPH-BDEのレジの機体 cn 23541 ln 1309  は2008年10月10日、A6-JUDというレジを新たに付与され、ジブチのSilver Airで活躍した後、2011年からはアラブ首長国連邦のGlobal Jetのフリートメンバーとして活躍しています。

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2014年11月23日 (日)

通勤電車シリーズ 103系 15 山手線・中央快速線に高運転台クハ登場

1974年1月、山手線にATC準備工事車が登場し、103系クハの顔は大きくモデルチェンジしました。
そもそも山手線、京浜東北線のATC導入が決まったのは、1972年6月23日日暮里駅で京浜東北線北行き電車に山手線内回り電車が追突する事故が契機となりました。さらに東北新幹線が建設されると電磁誘導により、ATS-Bが使用できなくなるという背景もあったそうです。

日暮里駅構内追突事故
京浜東北線北行第1332C電車(桜木町発大宮行き)が日暮里駅で客扱いを終了し、2分遅れで発車したところ運転台の戸閉表示灯が消灯したためブレーキを掛け、約90m進んだ所で停止した。後続の山手線内回り第1370電車の運転士は(当時は線路保守のため、データイムは田端 - 田町間で山手線と京浜東北線が同じ線路を走行していた。)鶯谷駅を1分遅れで発車し日暮里駅に進入しようとする際、先行列車がホーム中央部分に停車しているのに気付き、非常ブレーキを掛けたが間に合わずに追突し、143名が負傷した。山手線の運転士が場内信号機の制限速度を超過して運転していたのが原因とされた。追突されたクハ103-544、追突したクハ103-111は数年後復帰し、大阪環状線で長らく顔を合わせることになった。
103 駒込~田端間を行く高運転台クハ先頭のフル冷房車編成

1月から4月にかけて、21本42両がまず投入されました。これらは昭和48年度第3次民有予算で製造されました。

クハ103-269~316
モハ103-414~460 モハ102-567~569
サハ103-360~372

1)京阪神緩行線新性能化用に7連8本が投入され、中間5両は直接投入、両端クハは前年に山手線に投入されていた低運転台形の量産冷房車クハを置き換え、低運転台クハが高槻区に転属しました。   
クハ103-215, 216, 223, 224, 225, 226, 227, 228, 229, 230, 233, 234, 239, 240, 267, 268

2) 阪和線新性能化用として6連10本が山手線に投入され、捻出された低運転台、非冷房、非ATCタイプの6連10本が鳳区に転出しました。
クハ103-15, 16, 17, 18, 29, 30, 31, 32, 33, 34, 45, 46, 51, 52, 59, 60, 87, 96, 132, 133 (87は浦和区から、96は池袋~蒲田~鳳)
103_15_3b_1御徒町に進入する内回り部分冷房車編成

3) 横浜線増強用として10連1本、4連2本が山手線に投入され、捻出された低運転台、非ATCタイプの非冷房車18両が横浜線に転属しました。
クハ103-48,71, 75, 80, 125
103_atc_7405 中央快速線にも登場したATC準備工事対応のクハ103高運転台車 八王子
クハ103-311~316が豊田区に新製配置されています。

4) 京阪神緩行線新性能化用に7連3本が新製され、山手線にATC準備工事車を投入しても冷房車がもう無いため、中央快速線の量産冷房低運転台クハと置き換え、豊田区から高槻区にクハが転属しました。 
クハ103-219, 220, 221, 222, 237, 238    

(転出はクハのみ記述しています)。
このため、山手線のクハは非冷房、試作冷房、ATC準備工事と3種類のクハに、中央快速線は量産冷房低運転台、ATC準備工事高運転台の2種類となりました。中央快速線に103系オリジナルクハの冷房改造車が入線したのは1977年からでした。

1974年9月15日の敬老の日から山手線にもシルバーシートが導入されました。シルバーシートは前年の敬老の日に中央快速線に導入されましたが、シンボルマークは反転したバージョンだったそうです。

103_2 クハのみ冷房車の編成 当時はキセル冷房編成と言われました。

1975年には京阪神緩行線新性能化用に7連11本が投入され、山手線のクハが11本分高運転台車となりました。

昭和49年度第1次債務車
クハ103-337~358
モハ103-477~499 モハ102-633-655
サハ103-381-392

クハのみが冷房車でも電源がないので、冷房装置は働かず、漫才ネタで「運転士と車掌だけが涼んでいる編成」というのもあったとか。山手線への投入、クハ103-269からのロットは池袋区でしたが、今回のロットは品川区でした。

103_790923 山手線では2種類の103系クハが共存する時代がしばらく続きました。 池袋

部分冷房車編成は既製車の冷房改造でフル冷房編成になって行きました。山手線103系の冷房改造は1975年から開始されました。

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2014年11月22日 (土)

西武 トレインフェスティバル2014 in 横瀬 1 モハ505

2014年11月8日の西武トレインフェスティバル in 横瀬のレポート、第一回は赤電の前の塗装で保存されていたモハ505です。

505_141108_3 モハ505として復元され、登場時の塗装で展示 2014/11/8 横瀬

この車両の現役時代、西武新宿線で活躍する姿や、多摩湖線で活躍する姿は拙Blogでも記事にしています。この塗装、黄色と茶色の塗装は幼稚園時代(1961年4月~1962年3月)に見た憶えがありますが、しっかりとした記憶があるわけではありません。

505_141108
製造は西武所澤車輌工場で、1954年製造です。

505_141108_2
モハ501形式として20両製造され、17m車体の両端モハと20m車体のサハ1501をあわせた4両編成が501F~519Fの10本誕生しました。その後、521Fからはすべて20m車体の4連となり、あらたに20m車体の二代目501系が登場して、このモハはモハ411と改番し、主電動機、台車も二代目に譲り、主電動機はMT15系に、台車はTR14Aにそれぞれ換装されました。

1964年1月の制御電動車の形式記号変更でクモハ411~430となったものの、同年7月2代目411系の新製で、クモハ351形に再度改番され、クモハ351~370になりました。

クモハ351形になった初代モハ501のなかでもクモハ351~354は主電動機はMB-146Cで歯車比(58:25=2.32)であるのに対してクモハ355,356はMT15Eで歯車比は(63:25=2.52)だったそうです。

505_141108_4 TR14A台車

いわゆるイコライザー式(釣り合い梁式)台車で、旧型車輌ではお馴染みの台車です。
車体重量を2組の釣り合いバネと呼ばれるコイルバネを介して弓形の巨大な梁で受け止め、その両端に設けられた軸箱に伝える方式で釣り合い梁がバネ下重量となって軌道に負担を与えるため、軌道保守上は不利になるものの、軌道不整による各車輪の上下動に即座に対応できるので軌道条件が悪い路線での台車枠への負担が減り、追従性は良くなるというメリットを持つ台車だそうです。

505_141108_5
車体は改番後はそのままでしたが、ドアは当時よくみたプレスドアです。強度を保つためにこういったへこみを加えたドアを当時の片開きドアではよく見ました。
ベンチレーターは1968年以降、グローブ形に交換されましたが、保存車では最初の写真のようにガーランド形に戻されています。

505_141108_0
”西”の字を図案化した社章やモハ505の表記も当時の字体を再現しているのでしょう。

505_141108_7
この車両の説明文ですが、よく読んでみると501系としての生涯については記述されていますが、初代501系~411形~クモハ351形としての記述に欠けているようにも感じます。面白いことにこの写真のモハ505はグローブ式のベンチレータです。

505_141108_11
国鉄80系の車体を模して、正面2枚窓の車体としてデビューした501系と実際に80系の台車を再生し、さらに僚友の主電動機再利用して製造されたE31形電機が仲良く横瀬の地で保存されていることはファンとしては嬉しいことです。

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2014年11月21日 (金)

公園保存蒸機 D51 118 小手指公園

日本全国の公園等に保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は西武池袋線小手指駅から北方へ歩いて数分の場所、小手指公園に保存されているD51 118号機です。

140617_2
小手指公園の入り口です。 2014/5/4

実はこの機関車、現役の時に北海道で逢っています。

D51_118_7510再掲になりますが、1975年10月、追分で撮影したものです。

沖田祐作氏の機関車表から履歴を辿ると、

D51118     川崎重工兵庫工場=1943            1938-07-30 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1938-07-30 製造→ 納入;国鉄;D51118→ 配属;札幌局→1938-07-30 使用開始→
      1938-07-30 配置[札鉄達617];岩見沢→1941-03-31 現在;岩見沢→
      1945-09-30 現在;岩見沢→1956-09-01 借入;新得→1957-02-00 新得→
      1957-09-05 富良野→1961-05-10 運転室特別整備(含むキャブ密閉化)→
      1961-12-05 旋回窓取付→1969-03-04 岩見沢→1974-04-28 遠軽→1975-03-10 追分→
      1976-03-19 廃車[工車1224];追分(岩見沢?)→
      保存;埼玉県所沢市「小手指公園」;D51118

この機関車は新製配置から北海道で、岩見沢、新得、富良野、岩見沢、遠軽、追分と道内の路線を経験した後、国鉄蒸気機関車の終焉まで追分で過ごし、1976年3月に廃車となっています。追分機関区の火災には幸い巻き込まれなかったのでしょうか。

D51_118_140504_4 D51 118 2014/5/4 小手指公園

39年ぶりの再会となりましたが、残念ながら大事なメインの前照灯が無い状態で保存されていました。副灯のケースは残っていますが。

D51_118_140504_2 北海道のSLの特徴である切り詰められたデフレクターを持ち、さらに点検口も開いています。

D51_118_140504_12
砂管のパターンは前二本垂直落ち、3本目は斜め一直線です。さらに、逆転機のモーションプレートは大穴タイプです。

D51_118_140504_6
主連棒のビッグエンドは長方形タイプです。

D51_118_140504_7
キャブは履歴にもあるように密閉キャブに改造されていました。厳めしいダブレットキャッチャーも装備しています。

D51_118_140504_14
後部のライトはきちんとついており、標識灯を引っかけるフックはありません。

D51_118_140504
140504
公開日が平日で、週末と祝日は非公開というなんとお役所的なという感じの設定ではありますが(笑)。 

D51_118_140504_3
公開日にはキャブにも入れるようですので、来年のこどもの日にでも再訪するとしましょうか。

140504_2
公園前にはうどん屋さんがあり、そのメニューにデゴイチとあります。

再訪の際には是非、トライしてみようかと思います。

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2014年11月20日 (木)

通勤電車シリーズ E231系500番台 545編成 緑の山手線50周年

山手線での今後の活躍もあまり長くないと思われるE231系500番台、このシリーズでは編成ごとにその活躍シーンを振り返ってみようとおもいます。

今回は2013年1月から12月まで「みどりの山手線 50周年」ラッピングで注目を浴びた、トウ545編成です。

E231500_545_070521
最初の撮影は2007年5月21日 西日暮里での外回り31Gでした。

E231500_545_070811
同じ年の8月11日 内回り02G 有楽町にて

E231500_545_070924
さらに9月24日 外回り73G  浜松町にて

E231500_545_091004
2009年10月4日 外回り09G 秋葉原にて

E231500_545_120310
2012年3月10日 内回り00G 確か185系色物(OM03+OM08)併結編成を撮るついでだったと思います。鶯谷にて。ここでスカートが強化タイプになっています。

E231500_545_130119
2013年1月19日 みどりの山手線50周年が登場したので、情報無しに撮影に出たところ、1時間待っても来ず、大井町で確認したら東京車両センターで寝てました(笑)。

E231500_545_130127_2_2
翌週末 まずは鶯谷にて 内回り12G  2013/1/27

E231500_545_130127_2
半周して、湘南新宿ライン 渋谷駅ホームから この場所もいつまで撮影できるかは渋谷駅の改装工事の進捗状況によりますが・・・

E231500_545_130127_11
後追い

E231500_545_130130
その3日後、東京出張の際に 2013年1月30日 内回り 10G 新大久保 

E231500_545_130224_10
登場の翌月2月にはお茶バージョンに 外回り23G  2013年2月24日  原宿 

E231500_545_130130_4                   ロゴはこんな風だったのですね

E231500_545_130503_2
内回り 08G 再び、50th バージョンに 2013/5/3 御徒町 

E231500_545_131110_2
NAVITIME バージョンもありました。内回り10G 2013/11/10 五反田

E231500_545_140706
フツーの編成に戻った後の姿 外回り29G  2014/7/6 五反田

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2014年11月19日 (水)

東海道新幹線開業から50年 その5 岡山開業から博多開業へ

1972年3月15日1872年(明治5年)の鉄道開業からちょうど100年に当たる年に東海道・山陽新幹線は岡山まで開業しました。

0_740929 1972年7月の萩旅行で岡山行きのAひかりの車内から撮影した鳥飼基地の0系

運転パターンは4-4ダイヤとなり、

ひかり」は

・ 新大阪~岡山間ノンストップのWひかり 所要4時間10分 毎時15分発 1~8号
・ 新神戸、姫路停車のAひかり 所要4時間20分 毎時00分発 23~44号
・ 新大阪~岡山間各駅停車のBひかり 所要4時間30分 毎時30分発 51~78号
・ 東京~新大阪間の「ひかり」 Hひかり 毎時45分発 301~345号

となりました。東京~新大阪間は従来通り、名古屋、京都のみの停車でした。

こだま」は

・毎時 05 20 50 分発 Kこだま  となりました。

ひかりにも普通車自由席が新設され、1~4号車が自由席となりました。

開業以来、超特急「ひかり」、特急「こだま」と区別されていましたが、「ひかり」も特急となり、新幹線、在来線ともに最速列車は特急となりました。

特急料金も「こだま」を基本とするようになり、東京~名古屋間で「ひかり」を利用する場合に限り、+400円の「ひかり」料金が適用されることになりました。さらに「ひかり」に自由席が設定されたため、1965年12月28日以来、特急料金100円引きで設定されていた「ひかり号立席特急券」が廃止されました。

1972年10月2日日本海縦貫線全線電化完成に伴うダイヤ改正で、北陸本線方面との接続を改善するため、「ひかり」1日3往復の米原停車が実現しました。米原停車「ひかり」の東京~新大阪間の所要時間は3時間15分となりましたが、東京から福井、金沢方面への所要時間は大幅短縮となりました。

4-4ダイヤでは「こだま」の混雑率が上昇したため、全列車16両編成化が検討され、1972年6月29日から16両編成化が実施され、1973年7月29日に完了しました。

131516表1 こだま16両編成化に関係した車両増備

13次車で増備された92両により、変則「こだま」K25 - 41編成16両17本、正規「こだま」K42 - 47編成16両6本が編成され、残りの「こだま」はS1 - S24編成12両24本となりました。

14次車では「ひかり」用H41~H43編成が増備されました。岡山以西乗り入れに対処してターボファンを利用した連続換気装置が取り付けられ、以降の編成や既存の編成にも追設されました。こだま用の編成にはこの装置は取り付けられなかったため、以降、連続換気装置非搭載の車両が組み込まれた編成は岡山以西非対応を示す原編成番号+50番台で識別されるようになりました。

15次車で「こだま」は全て16両編成となり、「こだま」47編成のうち売店車・ビュッフェ車組込の正規編成が30本、ビュッフェ車2両組込の変則編成が17本となりました。

1972_16
編成図1 16両編成化で12両のままのS編成(1-4号車は欠番)、ビュッフェ2両組み込みの変則K編成、売店・ビュッフェ組み込みの正規K編成が誕生し、その後の増備で組み替えられて行きました。増備された車両の組み込み先を赤で表示しました。

全国新幹線鉄道整備法による新幹線として、山陽新幹線岡山~博多間の整備が認可され、1970年2月10日に着工、1974年度末に完成の目途が立ちました。

これまで新幹線は短時間乗車のため、食堂車の導入は見送られていましたが、東京~博多間6時間30分になることから、食堂車の連結が必要と判断され、1974年3月16日までに0系車輌252両が増備され、4月から8月にかけて、食堂車ユニット(業務用室付き普通車+食堂車)が64組登場しました。

1617
表2 ひかり編成に食堂車組み込みに関係する増備

1975 編成図2 「ひかり」のグリーン車の位置を9・10号車から11・12号車に変更し、ビュッフェ車は9号車1両のみとし、食堂車ユニットを7・8号車に組み込む編成変更が行われました。8月末には64編成全てが揃い、9月5日から営業を開始しました。

16次車では博多開業用「ひかり」用に、ビュッフェ車ユニットと食堂車ユニットを含まない12両編成21本が増備されました。翌年の食堂車組み込みによる16両編成化を見 越して、「ひかり」用編成でしたがS編成S44 - S64)を名乗りました。

17次車で0系初の食堂車のユニット(27形+36形)2両64本が増備されました。
車両組替により16両H1 - H43編成にビュッフェ車ユニット(35形+26形)と入替で食堂車ユニットを組込、12両S44 - S64編成は組替で余剰になったビュッフェ車ユニットと新造の食堂車ユニットを組み込み、16両のH44 - H64編成となりました。

1819
表3 18次 19次 増備車両

18次車では1編成のみ両端のユニット4両を除く12両を全てグリーン車としたH70編成(別名:ひかりスペシャルまたはIPUスペシャル)として落成しました。この編成は、国際会議輸送のために組成され、会議終了後は6組中5組のグリーン車ユニットとその後落成したグリーン車のないH76 - H79,H82編成に組み込まれた普通車ユニット等とを入れ替えることでノーマルなH編成6本に組成しなおされました。この他に用にビュッフェ車ユニットを含まない14両10本が増備され、余剰のビュッフェ車ユニットを組み込み「ひかり」用H65 - H75編成が組まれました。

19次車ではH70編成と余剰のビュッフェ車の組替用として食堂車ユニットと普通車ユニットの中間車8両、グリーン車ユニットとビュッフェ車ユニットを含まない12両 編成5本とビュッフェ車ユニットを含まない14両編成6本が増備されました。編成組替で「ひかり」用H76 - H86編成が組まれました。

以上の増備で、1975年3月10日の博多開業までに「ひかり」H編成86本、「こだま」K編成47本の16両編成が準備されました。

 

1975年3月10日、岡山~博多間が開業し、東海道・山陽新幹線が全通となりました。新駅は新倉敷、福山、三原、広島、新岩国、徳山、小郡、新下関、、小倉の9駅となり、広島、小倉は「ひかり」全列車、小郡は東京発着の「ひかり」一部列車、徳山、新下関は新大阪発着の「ひかり」が停車するようになりました。

Wひかり 東京発毎時00発 名古屋、京都、新大阪、岡山、広島、小倉 (1日4本 小郡にも)
Aひかり 名古屋、京都、新大阪、新神戸、姫路、岡山以西各駅停車
Bひかり 名古屋、京都、新大阪以西各駅停車 岡山行き ABで毎時12,24、36,48分発

所要時間はWひかりで6時間40分を予定していましたが、旧炭鉱地帯の路盤不安定な場所があるため、最速6時間56分となりました。ダイヤは5-5ダイヤとなりましたが、東京駅のホーム増設の遅れなどで実際はひかり4本。こだま3~4本の設定となりました。

3684_140812 博多開業前に登場した36形食堂車

3684_140812_5 最初は通路側に窓がありませんでしたが、食事中に富士山が見えるようにとの要望から、窓が開けられたとか。 2枚ともリニア鉄道館 2014/8/12

「ひかり」「こだま」の発車ホームを分けることが不可能となったため、自由席、指定席の混乱を防ぐ目的で、「ひかり」は1~4号車自由席、「こだま」は5~16号車自由席(12号車G車指定席)となりました。3月3日からは都区内からプッシュホンで東京駅発着の「ひかり」「こだま」のグリーン車、指定席予約も可能となりました。

特急料金も完全一本j本化され、東京~博多間で運賃4510円、特急券4200円、自由席は100円引き、グリーン車は+4000円、隣駅までの普通車自由席は500円となりました。

2021 表4 20次 21次 増備車両

0b
撮影時期、場所とも不明ですが20次車のH87編成と読めます。

20次車では「ひかり」組替用H87 - H92編成6本が増備され、売店車を2両組込。ビュッフェ車を2両連結していた「こだま」用K編成と組替で売店車ユニットとビュッフェ車ユニットを交換しました。
 
21次車では非常時に対応するための予備として「ひかり」組替用H93 - H96編成4本が増備され、売店車を2両組込、ビュッフェ車2両の「こだま」は7編成となりました。

これでいわゆる大窓の0番台の増備は終了し、1976年9月からは0系1・2次車を置き換えるため、小窓の1000番台の製造が行われます。

Photo_2
表5 大窓車として登場した形式と車両数

0系のなかで37形(立ち席のみのビュッフェ車)以外は大窓車として登場しました。

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2014年11月18日 (火)

EF200形電機 18号機

EF200形電機シリーズ、今回は18号機です。製造は日立製作所で1993年4月7日に落成しています。

いつものように2002年頃からの写真をアップして行きます。

Ef20018_021221 2002/12/21  倉敷

Ef20018_060218 2006/2/18  新川崎

Ef20018_070308 2007/2/8  東淀川

Ef20018_080906 2008/9/6   清洲

Ef20018_090207 2009/2/7  塗装変更後 新川崎にて

Ef20018_101205 2010/12/5   吹田機関区内で休む姿 (敷地外から望遠で撮影)

といったように塗装変更後はまだ、貨物列車を牽引する姿を撮影していないのがこの機の課題です。

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2014年11月17日 (月)

高崎鉄道ふれあいデー その2 EF64 1001

2014年10月18日高崎鉄道ふれあいデー、2回目はEF64 1001号機です。

Ef64_1001_141018 常に大先輩、EF55に寄り添うように活躍してきたEF641001号機 2014/10/18 高崎

まずこの車両の履歴から見てみましょう。データは沖田祐作氏の機関車表からです。

EF641001    川崎重工兵庫工場=635/= 東洋電機       1980-07-03 E96.0tBBB(1067)
   車歴;1980-07-03 製造→ 納入;国鉄;EF641001→ 配属;関東支社→1980-07-03 配置;長岡→
      1982-08-22 高崎二→1987-03-01 改称;高崎運転所→
      1987-04-01JR 東日本;EF641001→ 配置;高崎運転所→
      2004-04-01 現在;高崎車両センター→2008-04-01 現在;高崎車両センター

国鉄最後の電機として、1980年川崎重工・東洋電機で製造され、最初は長岡区に新製配置され、1982年に高崎区に転属、1987年の民営化ではJR東日本に継承されました。その1ヶ月前の1987年3月、お座敷客車「くつろぎ」をはじめとするイベント列車牽引ならびに、EF55 1の補機としてぶどう色1色に白帯を配した塗装に変更されました。

Ef64_1001_030503 2003/5/3 尾久

わたしも同機が青とクリームの標準塗装だった時代は撮っておらず、初めての遭遇は2003年5月3日の上野発のイベント列車「EL碓氷号」でした。

Ef64_1001_090117 2009/1/17 松井田

また、2009年1月17日にはEF55の補機として「EF551号機最終列車」のサポート役として、後部補機、帰路の牽引機を務めました。

Ef64_1001_090628        2009/6/28   東逗子

2009年6月28日にはEF65501号機と手を組んで旧客の「レトロ横濱号」を牽引し、横須賀線を走りました。
Ef64_1001_041211 2004/12/11 高崎車両センター

イベントで登場することも多く、2004年12月11日 の高崎車両センター・機関区の公開では今年、廃車となったJR貨物の1007号機との並びや

Ef64_1001_140524_4 2014/5/24  大宮車両センター

今年5月の大宮車両センター・機関区の公開では新鋭HD300-6号機と並びました。

Ef64_1001_090315 2009/3/15 鶯谷

通常塗装の長岡区のEF641000番台の代役として、寝台特急「北陸」を牽引したこともありました。HM装着なしがちょっと残念でしたが。写真は推進回送のシーン。

Ef64_1001_130808_10 そして、通常任務は上越線などでの工臨牽引を担当しており、2013年8月8日 新津駅で偶然、遭遇しました。

ちなみにEF641001号機、茶色塗装のきっかけとなった12系改造の「くつろぎ」客車の一部は碓氷峠鉄道文化むらに保存されています。

12_822_050816_2        スロフ12 822 2005/8/16 

12_050816一方、スロフ12 821と思われる車両は2005年8月当時は、横川駅横に留置されていました。

くつろぎ」客車は12系客車から1983年に幡生工場で改造されており、

    1号車 スロフ12 822(旧スハフ12 109)「赤城」
    2号車 オロ12 841(旧オハ12 170)「榛名」
    3号車 オロ12 843(旧オハ12 175)「妙義」- サロン室
    4号車 オロ12 842(旧オハ12 176)「浅間」- サロン室
    5号車 オロ12 844(旧オハ12 177)「秩父」
    6号車 スロフ12 821(旧スハフ12 108)「男体」  といった構成の6両編成でした。

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2014年11月16日 (日)

速報 尾久車両センター公開

2014年11月15日、土曜日は尾久車両センター公開に行ってきました。

開催案内を見たときはどうしたものかと思ったのですが、行って正解でした。

141115_1 尾久車両センター公開のパンフレット 2014/11/15

普段、尾久駅から見るとこのような広大なスペースとは気付きませんが、いざ足を踏み入れてみると結構広さがあるもので、そのスペースをA~Gのゾーンにわけていろいろな趣向で盛り上げていました。

Azone_141115 A ゾーン レールスター 軌道モーターカー

E259_ne003_141115 Bゾーン E259系 Ne003編成

Mtt_141115 B ゾーン マルティプルタイタンパー

185_a4_141115 Cゾーン 185系 A4編成

141115 Cゾーン マジックボーイ

141115_2 Dゾーン 鉄道ファン的には目玉のHM付き機関車のそろい踏み

27501_141115 Dゾーン 普段は滅多に見ることのないカシオペア編成の予備電源車 カヤ27-501 

42_141115 Dゾーン 旧客スハフ42 2173 + 2234

Ef81_81_141115 Eゾーン 転車台にはローズピンクお召し塗装に戻されたEF81 81が

E655_141115 Fゾーン 庫の中のE655系 お召し車両は含まない5両編成

24_500_141115 Fゾーン ブルートレイン客車の表示交換 カニ24のこのタイプの「出羽」は見たことがありませんでしたが(撮ったのはカニ24-100番台でした)

485_141115 Gゾーン 485系 ジパング 9月の郡山の公開に続いて2度目のジパング 今回は車内を見学することも出来ました。

14700_141115_1
尾久駅の横の発着線に「ゆとり」のスロフ14-701/702 オシ24 701 オロネ25 7 オロハネ24 501 が引き出されていましたが、これは今回のイベントのスペース確保のためでイベント終了後は元に戻されるとのことで、けっして廃車回送などではないそうです(と係の人に聞きました)。

以上、速報での報告とします。詳細は各記事で。

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2014年11月15日 (土)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 1 資料展示館

2014年8月の旅行、初日は近江鉄道ミュージアム長浜鉄道スクエアを訪問し、米原から近江八幡まで近江鉄道に乗車し、ホテルに戻りました。近江鉄道の乗車体験記は西武鉄道のシリーズで触れようと思います。2日目は台風10号の接近するなか、梅小路蒸気機関車館を訪問しました。

速報の記事でも触れましたが、このBlogの最初の記事に書いた1974年9月から10月にかけての大学1年の秋休みの関西・九州旅行の際に訪問して以来、40年ぶりの訪問となりました。

そこで今回からのシリーズでは40年前に写した写真と今回写した写真を比較しつつ、梅小路蒸気機関車館のレポートとしようと思います。

140810

ホテルは京都駅八条口そばでそこから大宮通を渡り、山陰線に沿って梅小路公園の中を歩いてゆきましたが、なにせ台風接近の最中で横殴りの雨にあい、到着したときには全身濡れ鼠状態でした。

140810_2
機関車館の構成は旧二条駅を移築・復元した資料展示館と旧梅小路機関区の扇形庫と転車台を活用した蒸気機関車展示館からなっており、

Box_140810_2
玄関前には1730mmのBox動輪と碑文が飾られています。

140810_3
資料展示館内部には投炭練習機や

140810_3_2
投炭訓練の様子を説明したパネル

140810_5
おなじみのタブレットマシーン

140810_4
お召し機用装備品の展示

140810_4_2
各種、工具類の展示

140810_6
扇形庫のミニチュアの展示などがありました。

40年前の訪問ではこの展示館の写真は殆ど撮っておりませんでしたが、アルバムに残っている写真からは特急列車のヘッドマークなどが展示されていたようです。

Hm_7409

Hm_7409_2
1974年当時、これらの列車はすべて在来線特急として走っていました。あれから40年経って、「さくら」「つばめ」は新幹線で復活、「かもめ」は九州内在来線特急にありますが、「はと」は翌年3月の新幹線博多開業で消滅、「あさかぜ」も2005年3月に廃止、果たしてこれらの名称は復活するでしょうか?

次回は扇形庫や転車台についてです。

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2014年11月14日 (金)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング15 MD-10

前回のTaughannock Fallsの話題で、2014年7月のイサカ出張の話題はおしまいのつもりだったのですが、シカゴ・オヘア空港やニューアーク・リバティ空港で撮影した旅客機の写真を見返していたら、まだ話題にすべき機体があったので、もう少し続けることに致します。

なお、このシリーズのタイトル名、前回までの名前は長すぎたのですべて変更し、それぞれの内容が分かるようにしました。

最初はニューアーク空港で出会ったFederal Express (FedEx) の MD-10-30F N311FEの話題です。

N311fe_mcdonnell_douglas_md1030f_cn N311FE McDonnell Douglas MD-10-30F cn 46871 ln 219 2014/7/26 EWR

3発ジェット旅客機 DC-10に関しては拙BlogにおいてもDuesseldorf Airportシリーズのガーナ航空タイ航空ルフトハンザ航空の機体などで紹介していますが、双発機が長距離路線に就航してからというものDC-10, L1011, MD-11などの大型3発機は旅客型からは引退し、貨物機として辛うじて残っている感があります。

なかでもアメリカ合衆国メンフィスをメインハブとするFederal Expressは今でもDC-10 61機、MD-11 60機を運航しています。

MD-11はDC-10の後継機種として1986年に開発が開始され、1990年1月10日に初飛行し、11月8日に型式証明の取得、29日からキックオフカスタマーのフィンランド航空に引き渡し、12月20日から運用が開始されました。改良点としては、胴体の延長、ウイングレットの装着、グラスコックピット化による2名乗務化などでした。日本でもJALJA8580~JA8589まで10機導入し、J-Birdとしてそれぞれに野鳥の愛称が付けられていました。

N311fe_mcdonnell_douglas_md1030f__2 N311FE

しかし、Boeing747-400に較べて乗客定員が少ないこと、双発機のエンジン1機故障の際の洋上飛行制限(ETOPS"Extended-range Twin-engine Operation Performance System")が120分から180分に延長されたことなどから、双発機に対するメリットも失い、販売不振に陥りました。さらにマクドネル・ダグラス社の業績が悪化し、1997年8月4日にボーイング社との合併が決定し、その3ヶ月後にはMD-11の新規受注は行わないとの発表があり、製造開始からわずか10年で製造終了となりました。最終的な製造機数は200機でした。

旅客機としては不人気で終わりましたが、貨物機としては胴体の幅が広く、3発エンジンのために貨物積載量が多いので使いやすく、需要が旺盛で、FedEXやUPS (United Parcel Service:38機使用中)などが運航しています。

Fedex_md10_small FedEX MD-10 Fleet list (Planespotter.net の情報による)

一方で、DC-10にMD-11の2名乗務方式やBoeing 777のコックピットを移植し、MD-11とDC-10を同じ乗務資格で操縦可能にしようとした派生形がMD-10です。

これはFedEXがBoeing社に提案したもので、同社が保有するDC-10-10、DC-10-30の操縦システムをMD-11同様のものに改造し、さらに777などの最新鋭のものを加えたものにしています。FedEXのDC-10は現在すべてMD-10になっています。ただし他社のDC-10でこの改造をしたものはまだありません。

N311fe_mcdonnell_douglas_md1030f__3 N311FE

そんなMD-10の一機、N311FEをニューアーク空港で目撃しました。

この機体はDC-10-30として1976年1月23日SASスカンジナビア航空に納入され、登録記号 LN-RKB、 Haakon Vikingという愛称が与えられました。エンジンはGE CF6-50C2でした。その間の1984年2月29日JFK空港でオーバーラン事故を起こし、浅瀬に突っ込んだこともありましたが、修復されました。

就航からほぼ10年後の1985年12月23日、FedEXに売却され、レジはN311FEとなりました。そして、2002年8月にMD-10-30Fにコンバートされました。2012年3月から2013年にかけて南カリフォルニアのVictorvilleにストアされていた期間もありましたが、現在は運用に復帰しています。現在、同機に与えられた愛称はAbrahamです。

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2014年11月13日 (木)

西武新101系 その7 時は流れて 2連編 その2

西武新101系、2両編成14本において最も驚かされた変化は263Fの登場ではなかったかと思います。

101n_263f_120814_2 多摩湖線 一橋学園を発車する263F 2012/8/14

西武鉄道では貨物列車運用終了後も、外注で製造された車両の国鉄・JRとの受け渡し、あるいは多摩川線の車両の回送等は長らく電気機関車牽引で対処していました。

E31_141108
現時点で西武最後の新製電機となったE31形 2014/11/8 横瀬

その最後を担ったのが二代目E31形電気機関車でした。E31形はE851形の代走や保線工事列車の牽引を目的に1986年から1987年にかけてE31~E34の4両が所沢工場で製造された小型直流用電機です。

台車は1983年まで飯田線で運用されていた80系電車の廃車発生品、DT20Aを履き、主電動機は351系で使用されていた130kWモーターを4機搭載しています。重連総括制御も可能でした。

2000年代後半になると交換時期を迎えた機器類の調達が困難になり、会社として多種の車種を維持するのが困難になったこと、さらに電気機関車の操縦資格を持つ運転士の減少などから、甲種回送の牽引は電車でということで登場したのが263Fといわれています。E31形電機はE31を残して、あとの3両は大井川鉄道に譲渡されました。

牽引車としての役割と、ふだんは4連のワンマン編成としての役割と2つの顔を持った編成として2007年に登場しました。

組成は4連編成の255Fのモハユニット279F編成に組み込み、4両全電動車の編成となり、

        263    264     265     266
        Mc1    M2            M1          Mc2
        Cont      SIV CP      CONT               

といった車番・機器配置となり、

クモハ263には新製車両の全電気指令式ブレーキ対応用読み替え装置を搭載し、台車には増粘着剤噴射装置、運転台にはその発射ボタンを新設しました。
クモハ266にはMG・CPを撤去し代わりにバランスウェイトを搭載しています。

101n_263f_140720
萩山駅に到着する西武遊園地発の263F 2014/7/20 萩山

101n_263f_140720_4
261Fが白色化され、唯一オリジナル塗装で頑張る263F 2014/7/20 萩山

増粘着剤噴射装置は新幹線車両(500系、700系、800系、E5系)やJR東海の313系などでも有名ですが、株式会社テスの商標、セラジェットととして、従来の砂撒き装置の改良型として、普及しているようです。粘着剤の材質は酸化アルミニウム粒子で、100m/sの高速、かつレール面上の幅、25-30mmにピンポイントで噴射することで高速走行中の風の影響も排除しているそうです。

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2014年11月12日 (水)

1989年のDüsseldorf Airport その20 Viva Air の Boeing 737-300

1989年11月9日、東西冷戦の象徴だったベルリンの壁が東ドイツ政権内部の手違いから開放された晩から四半世紀、25年の歳月が流れました。

1989年の夏頃からチェコやハンガリーなどを経由して西側に越境しようとする東ドイツの人々が増えだし、10月7日のドイツ民主共和国(DDR: Deutsche Demokratische Republik)建国40周年の記念日にソ連のゴルバチョフ書記長が東ベルリンを訪問し、ホーネッカー議長に引導を渡したのは私も西ベルリンのテレビニュースで見ていました。

そして私が日本に戻ってから約1ヶ月後に、西ベルリン時代に同じアパートに住んでいた日本人の一家から今、ベルリンは大変なことになっているとの国際電話での連絡を受けたのを憶えています。確か、9日は木曜日で、電話を貰ったのが10日の夜で、そのまま週末になったのを記憶しています。

まさにその瞬間が東西冷戦の終結の象徴的瞬間だったとはあのときは気がつきませんでしたが、12月3日のマルタ会談でアメリカのジョージ・H・W・ブッシュ大統領とソ連のミハイル・ゴルバチョフ最高会議議長が冷戦の終結を宣言し、時代の大きな変化を実感したものでした。

その後、西ドイツが東ドイツを飲み込むというか、ソ連から購入するような形(ちょっと表現が過激かも知れませんが)で東西ドイツの統合が進みましたが、ドイツ国内ではいまだに東西の格差が残り、さらにEUの東方発展に伴う新規加盟諸国に対するドイツの国際的な役割の増大、あるいは負担の増大も国内問題となっており、フランスやイギリスなどでは国内に脱EUを唱える政治勢力が力をつけつつあるという不穏なニュースも耳にします。

Ecelj_boeing_7373q8_cn_24299_1598_8 EC-ELJ Boeing 737-3Q8 cn 24299 ln 1598 1989/5/7 DUS

さて、1989年のDüsseldorf空港で撮影した飛行機、今回はこの空港の性格を象徴する旅客機です。ドイツは分権国家で、日本や隣国のフランスのような中央集権国家ではありませんから、どの都市も似たような大きさ、人口、規模ですが、空港に関してはフランクフルト・アム・マイン空港が主要玄関口であることは当時も今も同じであると思います。それに対して、このDüsseldorf空港はフランクフルトに乗り入れられないチャーター系の会社が多く乗り入れているというイメージが強くあります。

そんなスペインのチャーター系エアラインのひとつだったViva Air(IATA: FV, ICAO: VIV)はスペイン語のVuelos Internacionales de Vacacionesから社名をとったと言われ、1988年2月24日イベリア航空ルフトハンザ航空によって設立されました。以前、西ベルリンのテーゲル空港でのシリーズでEuroberlinの紹介をしましたが(記事)、あのときは西ベルリン乗り入れのためにエールフランスとルフトハンザが出資して、Euroberlinを設立しましたが、今回はイベリア航空とのコラボです。

Ecelj_boeing_7373q8_cn_24299_1598_2 EC-ELJ のアプローチ

機材はBoeing 737を使って、路線はもっぱら西ドイツ国内からスペインへのチャーター便でスペインの目的地はパルマ・デ・マヨルカでした。1992年には両航空会社のコラボは解消され、イベリア航空がViva Airの運航権を引き継ぎ、スペイン国内線市場にも参入し、機材もDouglas DC-9-32 (3機)になりましたが、その期間は短くやがてBoeing 737(トータル15機)に戻りました。塗装は如何にもスペイン、しかもバカンスを象徴するスペインの子供が描いたミロ風の絵を垂直尾翼に示していました。

Viva_air_fleet_list_small 表1 Viva Air のFleet List

ロンドン・ヒースロー空港にも乗り入れ、定期便を飛ばすまで成長したこともありましたが、定期便は赤字が続き、1995年には定期便運航権はイベリア航空に譲り、1998年には厳しい競争に敗れ、運航停止、倒産への道を辿りました。最終的にスタッフ、機材、運航権はイベリア航空が引き受けました。

Ecelj        表2  Boeing 737-3Q8 cn 24299 の機体の履歴 
EC-ELJと登録された後にEC-FERに再登録されています。

Düsseldorf空港で撮影したViva Airの Boeing 737-300のEC-ELJですが、表1には出てきません。ただcn 24299の機体があるので、その経歴を追ってみると、リースの期限が切れて戻った際に再登録されてレジが替わっていることがわかりました。同機は2012年に現役生活を終えたようです。

またBoeing customer code Q8はILFC(International Lease Finance Corporation)に与えられていますが、同社も1990年には大手保険会社AIGの傘下となり、さらに今年には同じく航空機リース企業のエアキャップに買収されているのですね。

Viva Air のFleet list, Boeing 737-3Q8 cn 24299 の機体の履歴に関してはPlanespotters.netのデータを歴史に関しては英語版Wikipediaの文章を参考に纏めました。

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2014年11月11日 (火)

通勤電車シリーズ 103系 14 量産冷房車の登場 3 大阪環状線

最近のイベント関連記事の多さで、些か間が開いてしまいましたが、通勤電車103系シリーズです。

103_7503
1975年3月 大阪

1973年初頭に登場した、シールドビーム2灯、低運転台クハの量産冷房車は大阪環状線にも投入されました。

番号は、再掲となりますが、森ノ宮電車区に以下の車両が投入されました。

クハ103-<241, 242>, <243, 244>, <245, 246>, <247, 248>, <249, 250>, <251,252>,<253, 254>,<255, 256>, <257,258>, <261, 262>, <263, 264>, <265, 266>
モハ103/102-383/539, 384/540, 385/541, 386/542, 387/543, 388/544, 389/545, 390/546, 391/547, 392/548, 393/549, 394/550, 395/551, 396/552, 397/553, 398/554, 399/555, 400/556, 401/557, 405/561, 406/562, 407/563, 408/564, 409/565, 410/566
サハ103-348, 349, 350, 351, 352, 353, 354, 355, 356, 357
こちらもサハ101-750 2両(757,758)を加えて8連6本、6連6本、予備1モハユニットという配置になりました。

こちらもオレンジ・バーミリオンの塗色であったため、中央線から武蔵野線への転属で余剰となったサハ101がサハ103-750番台に改造され、2両103系グループに加わっています。

前回の豊田区同様にサハ101から車齢の若い車輌のサハ103-750番台化改造がなされています。

101系サハの103系併結化改造は、750番台改造車が登場する前にもあったそうで、1970年12月に大阪環状線101系の一部8連化が行われた際に、4M2T 6連の101系3本を、6M2Tの 8連に2本に組み替える際に余剰となったサハ101-55、58をジャンパ栓の交換、貫通幌の103系側のみ交換で併結化したとのことです。後年、101系に復帰することが予想されたので、103系への編入はされず、約9年間使用されたとのことです(鉄道ピクトリアル誌no 874より)。

103_7503_2 1975/3 大阪

この103系量産冷房車の投入で新造車両数を抑える目的で、サハ103-751~758が改造されましたが、その後も表1に示したように、サハ103-750番台は780まで30両改造編入されています。尚、750番台という番号区分は、サハ100からの改造車を700番台とする予定もあったとかという説もあるそうです。

103750small 表1 サハ101からサハ103-750への改造

759~761の改造は1978年10月1日の武蔵野線(新松戸~西船橋間:小金線)開業用目途に京浜東北線に27両の103系が投入され、101系3本を置き換え、京浜東北線の103系化が完了しました。101系24両が武蔵野線に転出し、3両は南武線新性能化に充当され、さらに残った3両が103系化改造され、京浜東北線の103系に併結されました。実際には元浦和区の101系ではなく、中野区の101系(143、144,145)が改造されました。これが唯一、スカイブルーに塗装された750番台でした。
762~7651976年に片町線新性能化名義で103系84両が新製され、中間車42両は森の宮区に投入、残りの42両は浦和区と蒲田区に投入され、玉突き転配で森の宮区のサハ101形(137,138,141,142)が103系化され、残りは片町線用になりました。
766、767は中央西線新性能化名義で京浜東北線から103系が転出する際に三鷹区に事実上転属した103系に元中野区の100と107が改造されました。

残りの改造は別の記事で後日触れる予定です。

103_7603
1976/3 天王寺

今回は、1970年代の古い写真を載せましたが、関西の103系に関してはクハの前面に番号が掲出されてからの写真も大量にあるので、以後の記事で一両ずつ履歴を追いながらリストアップして行こうと考えています。

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2014年11月10日 (月)

速報 西武 トレインフェスティバル2014 in 横瀬

ここのところ週末は、毎週のように鉄道関係のイベントに出かけておりますが、2014年11月8日は西武鉄道 横瀬駅そばの車両基地で開催された西武トレインフェスティバル2014 in 横瀬に行ってきました。
141108 横瀬駅横の案内看板 2014/11/08

横瀬に来たのは今回が初めてで、なにせ西武秩父線に乗車したのも1980年代初頭に大学の研究室のハイキングで芦ヶ久保まで乗車して以来のことでした。

横瀬車両基地は今年2月の大雪で建屋が崩壊し、中に保存されていた車両も一部被害を受けました。崩壊した建屋は全て撤去され、横瀬のイベントも今回はその建屋の撤去のスケジュールにあわせ、例年より遅く、異なった形態で開催される運びとなったそうです。

西武の車両基地は横瀬以外にも武蔵丘、入曽、小手指、玉川上水といろいろありますが、横瀬基地公開の魅力はここに保存されている歴史的な車両にあえることです。

建屋がなくなってこれまで保存されていた貴重な歴史的車両が雨ざらしになり、錆もだいぶ出て来たようでそれを守る新たな仕組み作りも重要になっている気も致します。

3011_141108
3011_141108_4 3011Fの塗色は反対側からみるとイメージが全く異なるので横瀬駅のホームからも

保存車両中心の展示車輌群のなかで今回の目玉となった車両は12月で引退予定の3000系 3011編成 銀河鉄道SPでした。

1224_141108
大雪による建屋の倒壊で被害を受けたクハ1224 保存車とスム201

141108_3
クハ1224のエアコンの室外機は無残にも・・・

141108_4
保存されている電機に関しては例年とおなじメンバーが展示されていたとのことです。
これらの保存電機に関しては西武鉄道シリーズの中で現役時代の写真と比較しつつ取り上げて行こうと思います。

10000_redarrow_classic_141108
横瀬駅に発着する列車のなかでも10000系 10105F レッドアロークラシック塗装編成は異彩を放っていました。個人的にはNRE10000系の塗色は全編成、この塗色にしたらと思うのですが。

すでに西武鉄道シリーズで紹介しているクモハ351形(旧塗装:クモハ505)、旧101系クハ12245000系クハ5503をこのシリーズ紹介し、保存機関車は後ほど紹介して行こうと思います。

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2014年11月 9日 (日)

公園保存車両 キハ31 流山総合運動公園

日本の各地の公園等に保存されている車両を観て歩くシリーズ、前々回、流山総合運動公園のD51 14号機の記事の最後で
”なおD5114号機のとなりには流山鉄道のキハ31 ガソリンカーも保存されておりました。こちらは次回紹介致します。”

と云っておきながら、その次の回ではすっかり忘れて、都営地下鉄12号線の試作車の話題に行ってしまいました。ということで、今回はもう一度、流山総合運動公園に戻って、ガソリンカーキハ31の話題です。
31_140504_3 流山総合運動公園でD5114号機の隣に保存されているキハ31 2014/5/4

キハ31は1933年汽車会社製のガソリンカーで、かつて流山軽便鉄道(現在の流鉄)で働いていた車両です。

その歴史は1986年12月25日、日本鉄道が土浦線(田端~土浦間)を開通させた頃に、遡ります。流山町は醸造と水運で栄えた町でした。当初、日本鉄道は流山町を通る予定でしたが、当時の町民は鉄道が水運業を成り立たせなくするということで猛反対したそうです。一方で、常磐炭鉱の石炭を早く東京まで輸送するために、流山を経由しないルートを鉄道局が指示したという説もあるそうです。

この開通で、松戸駅が開設され、流山町の人々はそれまで船で東京まで出ていたのを、松戸駅まで2時間歩いて鉄道を利用するようになったそうです。当時の船、和船や蒸気船が両国まで数時間かかったのに較べると、時間は40~50分で、しかも時間が正確でした。やがて、1889年には馬橋駅、1911年には北小金駅が開業し、流山から1時間で鉄道の駅に行けると云うことになり、流山町にも鉄道をという機運が盛り上がったそうです。
1912年に流山町の商工業者が発起人となって鉄道敷設の行動が起こり、同年9月17日に免許申請、1913年7月1日に認可が降りました。
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1913年11月7日に流山軽便鉄道株式会社が設立され、鉄道用地の買収が始まりました。1914年前半までに用地買収は完了し、工事が開始され、1916年工事は完了、3月14日営業が開始されました。車両は機関車2両、客車2両、貨車2両で、駅は馬橋駅、大谷口駅、鰭ヶ崎駅、流山駅の4駅でした。軌間は762mmでした。開業当初は流山の人々は従来と変わらず徒歩や荷車で荷物を運び、あまり鉄道の旅客・貨物輸送実績は芳しくなかった様ですが、年を追うごとに増えて行きました。
1922年、社名を流山鉄道に変更、1924年には改軌して1067mmに。国鉄貨車の直通が可能に。1925年には陸軍糧秣本廠流山出張所が平和台駅そばに完成し、貨物輸送量は飛躍的に増大、改軌時に駿豆鉄道から蒸機No15とNo16が入線、さらに明治期の旧型の木造2軸客車貨車2両を国鉄から購入して入線、そして1933年キハ311934年キハ32のガソリンカーが入線しています。キハ31の運行開始は1933年4月2日とのことです。
31_140504 市民の宝のような存在ですね。

車体は半鋼製、定員40名、座席20名、電化まで旅客輸送の主力として活躍、エンジンはフォードBB 4気筒 29kW (1600rpm) 座席はロングシート
1949年の電化後、1952年にエンジンが取り外され、ラッシュ時に電車に牽引される客車となりました。1959年、荷台部分を窓ひとつ分客室延長して、サハ31と改称、1963年5月15日付けで廃車となりました (以上、Wikipediaの記事を参考にしました)。

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2014年11月 8日 (土)

郡山車両基地まつり 2014  その6

2014年9月6日の郡山車両基地の公開、今回は郡山基地で検査・修理される車両について触れようと思います。

郡山総合車両センターに入場し検査を受ける車両 (Wikipediaの記事を参考にしています)

【電車】 
205系 仙台車両センター宮城野派出所
415系 勝田車両センター
485系 青森車両センター・小山車両センター・勝田車両センター・仙台車両センター・高崎車両センター・幕張車両センター・盛岡車両センター
E491系 勝田車両センター
E501系 勝田車両センター
E531系 勝田車両センター
651系    勝田車両センター
E653系  勝田車両センター
701系    勝田車両センター・仙台車両センター・盛岡車両センター・山形車両センター(各種搭載機器の検修のみ)
719系  仙台車両センター・山形車両センター(各種搭載機器の検修のみ)
E721系 仙台車両センター
E751系 青森車両センター

【気動車】
キハ40系 郡山総合車両センター・小牛田運輸区・新津運輸区
キハ100系・キハ110系 一ノ関運輸区・郡山総合車両センター・小牛田運輸区・高崎車両センター・新津運輸区・八戸運輸区・盛岡車両センター・山形車両センター
キハE120系 新津運輸区
キハE130系 水郡線営業所・幕張車両センター木更津派出
キハ141系  盛岡車両センター

【客車】
マニ50形・スユニ50形 郡山総合車両センター・盛岡車両センター

と多種の車両の検査・修理を担当しており、さらに車両の解体もこちらで行われており、これまでに解体された主な車両は

勝田車両センター 403系
        一部は鹿島臨海鉄道鹿島臨港線 神栖駅構内でも行なわれた
勝田車両センター 415系0番台
        一部は鹿島臨海鉄道鹿島臨港線 神栖駅構内でも行なわれた
勝田車両センター 415系1500番台の一部
        一部は鹿島臨海鉄道鹿島臨港線 神栖駅構内でも行なわれた
川越車両センター 205系の一部
松戸車両センター 203系の一部
仙台車両センター 451系
仙台車両センター 453系
仙台車両センター 455系
        一部は鹿島臨海鉄道鹿島臨港線 神栖駅構内でも行なわれた
仙台車両センター 457系
仙台車両センター 715系1000番台
仙台車両センター 717系
        一部は鹿島臨海鉄道鹿島臨港線 神栖駅構内でも行なわれた
宮城野電車区→仙台車両センター宮城野派出 103系
        首都圏からの借り入れ車両を含む
新津運輸区 キハ58系
京葉車両センター 205系の一部

と常磐線関係や、仙台関係の車両が多数を占めていることが分かります。
機関車(蒸機以外)関係は秋田総合車両センター、蒸気機関車関係は大宮総合車両センターで受け持っています。

E5315_140906 E5315_140906_2

サロE531-5がジャッキアップの準備をされていました。

E531系は沿線住民として、日頃お世話になっている車両ですが、2005年3月に最初の編成が登場し、同年7月のダイヤ改正から基本(10両)6編成、付属(5両)6編成 計90両の体制で運行が開始されました。増備の途中で急遽、グリーン車導入の計画が持ち上がり、編成の組み替えや一部改造を伴って、2007年3月18日のダイヤ改正から、それまで活躍していた403系、415系、E501系を置き換えて常磐線上野口中距離電車の主力になりました。

グリーン車導入後、E501系入場時の予備編成確保のため、2010年6月17日にK467編成、7月23日にK468編成が増備され、基本編成22本、付属編成18本の体制で運用されてきましたが、2015年3月の上野東京ライン開通に伴う所要増で2014年9月30日にK423編成が新製されました。

E531_k401_050409_2
E531系 K401編成 登場時の試運転の様子 2005/4/9 藤代
まだグリーン車が組み込まれていない10連

E531dt71_140906
E531系 電動車の履くDT71台車 因みに付随台車はTR255

140906
台車から外されたダンパー類

Dt71_140906
DT71台車に関する説明

E657_k14_140906_2
指定席表示の改造のため入場中だったE657系K14編成 2014/9/6

E657系2012年3月3日、臨時特急「復興いわきフラガール号」で営業運転を開始しました。同年3月17日のダイヤ改正から「スーパーひたち」「フレッシュひたち」で定期列車運用を開始し、2013年3月15日のダイヤ改正からは651系、E653系の常磐線での定期運用終了で、「スーパーひたち」「フレッシュひたち」の運用はE657系に統一されました。

651_k103_131005

2013/10/5 土浦~荒川沖

しかし、E657系の指定席の発売状況を示すLEDランプを取り付ける改造が行われることになり、その入場により編成が不足するため、2013年秋から651系による「フレッシュひたち」が1年半の予定で復活しました。

131006

         2013/10/6 荒川沖

         足下の表示の写真の方も貴重だったりするかもしれませんが。

そして2015年3月14日のダイヤ改正からは「ひたち」「ときわ」に愛称が変更されるとのニュースもありました。

E657系時代になってから常磐線の特急はバラエティがなくなり、おもしろくなくなってしまったと感じているところです。こちらも上野東京ライン乗り入れ関連でK17編成が増備され、最近、出場したというニュースもありました。

いっそうのこと17編成、共通運用で回すのではなく、例えば特急色の「ひたち」専用編成と、急行色の「ときわ」専用編成に分けて運用すれば、見ている側としてみれば面白みが増すのですが。却下されるでしょうね。

140906_2
大宮の公開ではトラバーサーに人を乗せて動かしていましたが、こちらでは静止していました。できれば車両が乗って動いているところを見てみたいものです。

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トラバーサーのそばで休憩車両となっていた701系F2-501編成

仙台近郊で活躍する701系1500番台は最初に客車列車の置き換えで登場した583系改造の715系1000番台を置き換える形で1998年2001年に製造され、2両編成18本が存在します。

7151000_8911114
クハネ581改造のクハ715-1000番台 1991/11/14 仙台

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こちらは食パン電車とも揶揄されたサハネ581改造のクハ715-1100番台

1985年3月のダイヤ改正に向けて登場した715系1000番台は、上り方がオリジナルクハネのスタイルの1000番台、下り方が切り妻スタイルの1100番台となり、0番台であったクハ714-1000はありませんでした。4両編成15本、60両が改造されました。

E130104_140906
水郡線に続いて久留里線用に2012年12月1日より、導入されたキハE130-104  (101-110のうちの1両)も展示されていました。製造は0番台同様、新潟トランシスです。

以上で、「郡山車両基地公開 2014」のレポートは終わりです。

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2014年11月 7日 (金)

東葉家族車両基地まつり その3

東葉高速鉄道の車両基地公開、今回は展示車両や走行車両です。

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駅に掲示してあったポスターやパンフレットにあるようにメトロ東西線と東葉高速の3本の編成が写真撮影場所に並べてありました。今回は第6回ということで、メトロ05系36編成、東葉の2006編成、メトロ15000系56編成とすべて末尾6編成で統一されていました。

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メトロの05系36編成は第11次車として、2002年度に製造され、半蔵門線用08系の設計思想を取り入れたそうで、2000年3月に起こった日比谷線中目黒脱線事故の教訓から車体構造の強化と安全性の向上を目的とした台車の設計変更も行われたそうです。バリアフリーの観点から床面の高さもそれまでの1150mmから1140mmへと下げました。行き先表示が高田馬場というのも通常はお目にかからない表示です。

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この写真では編成番号は確認できませんが、2006編成であることは後で確認いたしました。2006編成は2005年度製造で、通常は乗り入れない三鷹の表示が掲出されていました。

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メトロ15000系56編成 こちらは2010年から営業運転を開始した系列で、朝のラッシュ時の混雑に対応すべく、05系第14~18編成以来、18年ぶりのワイドドア車となりました。

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05系第18編成 登場時はワイドドア車であることをアピールするステッカーが貼ってありました。 1994/8/1 西荻窪

05系13次車(第40ー43編成)をベースに10000系の設計思想を採用し、「快適性や使い易さの向上」「リサイクル性の向上」「火災対策の強化」「車体強度の向上」「コストダウン・省メンテナンス」をコンセプトとした車両となりました。2009年度末から2011年度にかけて13本が製造され、05系第1~4次車(第14編成以外)の置き換えを完了させました。

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さらにもう一本、2005編成が八千代緑が丘駅往復の体験試乗列車として停車していました。

当日、北習志野から八千代緑が丘まで乗車した編成はメトロの05系36編成で、同編成は東葉勝田台まで運用された後、八千代緑が丘まで回送され、入庫。2005編成は八千代緑が丘で下車した際に上り線ホームに入線して来た回送で、そのまま車庫に入庫してゆきました。

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車庫の反対側には2009編成が停車しており、こちらは手前のステージで制服を着たちびっ子の撮影の背景となっていました。

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D51892号機のミニSL、見た感じでは石炭を焚いているのではなくバッテリーで走っているようでした。その他、バス、消防車、はしご車、パトカーなどが展示され、リチウムイオン電池で動く巡回用eカートの展示、試乗などもありました。

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基地公開でしか目にしないのが各種工務車で、写真のような架線検査作業車や、

141102_3 バラスト運搬車、クレーン車、

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軌道モーターカーに牽引されたトロッコの体験乗車もありました。

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2005編成による駅までの体験乗車編成を撮影して会場を後にしました。

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2014年11月 6日 (木)

東葉家族車両基地まつり その2

東葉高速鉄道の車両基地公開、今回は床下見学編です。

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車庫の中では2000系 2002編成が床下見学用に停められていました。

2000系は東京メトロ05系13次車(2004年度製造の第40~43編成)と共通の設計で開発され、日立製作所の提唱した「A-train」 (次世代アルミ車両システム:AはAdvanced・Amenity・Ability・Aluminumからとられている)製造技術を採用して製造されています。
車両のコンセプトは「安全性の確保」、「人と環境に優しく」、「快適性の追求」、「ライフコストの低減化」とのことです。

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東葉高速2000系と共通設計の東京メトロ05系43編成 2010/4/3 西荻窪

2000系は2004年度に3編成、2005年度に4編成、2006年度に4編成導入され、10編成分は1000形の代替新造、1編成は2007年度以降の輸送力増強用という名目でした。

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ATC装置 
東葉高速線内はWS-ATC方式 (国鉄ATC-3型と同じで103系1000番台、1200番台に搭載されていました)、メトロ線内は新CS-ATC方式(国鉄ATC-10型と同じ方式で信号現示を0/10/10-80間5km/h刻みとして、閉塞数を細かくした方式)で対応しています。

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ATS-Pは搭載していないため、JR線内(中央緩行線)に乗り入れはできませんが、メトロと共通の機器のため、本来乗り入れない中央緩行線内の放送にも対応しているそうです。

日本語放送は敢えてメリハリを付ける意味で、東京地下鉄とは異なるアナウンサーで、英語放送は外国人乗客に安心感を与えるとのことで、東京地下鉄と同じアナウンスにしたそうです。

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ブレーキ継電器装置とTIS装置

TISはTrain-control Information Management Systemの略で1988年の営団地下鉄03系からモニタ情報の表示だけでなく、マスコンやブレーキハンドルからの運転操作も直列伝送で送信する制御伝送装置として三菱電機製の装置が搭載され、後の標準装備となったそうです。

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2000系の運転台、見苦しい写真ですが、右上にTISのモニタ画面が見えます。

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VVVF制御方式にとっては必須の半導体制御で発生する高調波等の電気的ノイズを架線やレールに流さないためのフィルタリアクトル (中にコイルが入っています)

制御装置は三菱電機製のIGBT素子を使用したIPM (Intelligent Power Module) 方式の2レベルVVVFインバータ制御方式を採用し、主電動機の出力は165kWです。

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補助電源は東芝製240kVA容量のSIVを搭載し、各種電力を供給しています。

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台車はメトロ05系11次車以降と同一設計のモノリンク式軸箱支持構造のボルスタレス台車SS168・SS068形です。
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             SS068 台車 銘板 2004年11月製造

中でも興味深かったのが制輪子(ブレーキシュー)の展示で
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制輪子は付随車と電動車で異なった材質のものを使っており、上の写真の黒い方が付随車用、青い方が電動車用だそうです。
左側が使用前、右側が使用後です。如何にすり減っているかがよく分かります。
勉強になったのは、電動車用の制輪子の方が付随車用に較べて硬い材質の制輪子を使っているとのことです。電動車の車輪の踏面を硬い材質の制輪子で抑えることによって、敢えてザラザラ感を増し(摩擦係数を上げて)レールに対する粘着性を上げているとのことでした。

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床下見学した2002編成の車内も見学しました。座席モケット地は常緑樹をイメージした配色で床板は習志野台地の土を表現し、座席袖仕切りは楓の木目で安らぎと高級感を出しているそうです。写真ではよく見えませんが、ロールカーテンは千葉県の花である菜の花が丘陵一面に咲いたイメージを出しているそうです。

2002_141102_2_2
前面のデザインはメトロ05系8次車(第25-27編成; 5年間のブランクを経て製造されたために、05N系と呼ばれています。)と類似しています。
車体の帯の3色はサンライズの赤、デイタイムの白、サンセットのオレンジを意味しているそうです。
今回はここまでです。

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2014年11月 5日 (水)

東葉家族車両基地まつり その1

2014年11月2日の日曜日は、こちらも初めての乗車となる東葉高速鉄道の車両基地まつりに初めて行ってきました。下のパンフにあるように今年で6回目だそうです。

東葉高速鉄道は元々は京成本線の混在解消を目的に、営団地下鉄東西線の延伸区間として計画され、「営団勝田台線」と呼ばれたそうですが、オイルショックの影響や成田空港の開港の遅れもあり、営団が申請を取り下げて、第三セクター方式で建設されることになったそうです。
歴史的には1974年、営団地下鉄が西船橋~勝田台間の免許を申請し、1981年9月1日に会社設立、1996年4月27日、東葉高速線開業となっています。

路線総延長は16.2kmで駅数は両端駅を含めて9駅です。

1070_040131 営団地下鉄5000系を改造した1000形 2004/1/31 中野

開業当時は営団5000系10両編成10本を譲受し、整備改造した1000形が活躍していました。2001年1月の運輸政策審議会答申18号で、地下鉄東西線の輸送力増強対応として、保安装置をWS-ATCからCS-ATCへ更新することが決定され、東葉高速鉄道もそれを受け入れるために、1000形から現在の2000系への置き換えが進められました。2004年12月7日より、2000系の営業運転が開始され、2006年12月3日、1000形の営業運転は終了しました。

車両基地や本社は八千代緑が丘駅そばにあります。
東葉高速鉄道の車両は地下鉄東西線内や、中野駅でよく目にしておりましたが、この地域を訪れるのは初めてでしたので、つくば(荒川沖)からの行き方を検討した結果、松戸から新京成線で北習志野、東葉高速鉄道で2駅という方法で往復しました。新京成線はこれまで何度か乗車経験はありましたが、北習志野での乗り換えは初めてでした。

141102 北習志野駅の東葉高速鉄道と新京成の乗り換え口

日大船橋を過ぎると地上に出て高架線を走り、八千代緑が丘駅の先で車両基地に向かう複線の連絡線が分岐しています。

141102_2 八千代緑が丘駅から東葉勝田台方向を見た風景

Photo
Photo_2今回の家族車両基地祭りで配布されてパンフレット A3サイズの両面版

駅から車両基地への連絡線路に沿って約10分ほど歩くと、車両基地門前に到着します。、

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車両などが停車している場所までの間、踏切を渡って広大なスペースがあります。

141102_4 踏切横からのショット

141102_2_3
この広大なスペースでは東京動物専門学校の皆さんの協力による馬車が走ったり、動物の放し飼いが行われていました。

141102_2_2
踏切からさらに7~8分歩くと、漸く車両が見えて来て、車庫の手前に2000系1編成、車庫内に床下見学用の2000系、さらに車庫の向こう側に2000系が2本、メトロ05系、15000系が各1本ずつ撮影用等に停められていました。

今回はここまで次回に続く。

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2014年11月 4日 (火)

多摩モノレール車両基地公開

2014年11月1日は生憎の雨模様の天気でしたが、多摩モノレールの車両基地公開に行ってきました。

141101_5
多摩モノレール、正式には多摩都市モノレールは東京都と西武鉄道、京王電鉄、小田急電鉄などの出資による第三セクター方式の鉄道会社で立川市の高松駅と立飛駅間で西方向に分岐する連絡線の先に運営基地、本社があり、今回のイベントもそちらで開催されました。因みに私にとって、多摩モノレールに乗るのは今回が初めてでした。

141101_7 高松駅全景 左手前のカーブした線路を進むと車両基地へ、奥が本線 上北台方面

141101

141101_2

多摩モノレール、現在の開通区間は上北台~多摩センター間約16kmで、1998年11月27日に上北台~立川北間5.4kmがまず開業し、2000年1月10日に10.6kmが開業しました。

1407_141101_2 写真撮影用の第7編成 2014/11/1  運営基地内

141101_6 車両について説明しているボード

現在、多摩モノレールで運用されているのは1000系4両編成(1100形(Mc1)-1200形(M2)-1300形(M3)-1400形(Mc2)です。
1998年の開業時は6編成でスタートし、2000年の延伸時に9編成が増備され、2005年にさらに1編成増備され、現在は16編成体制です。
座席配置が編成によって異なり、1102F, 1103F, 1111F~1116Fは全車ロングシート、1101F,
1104F~1110Fは先頭車セミクロス、中間車ロングシートとなっています。

141101_3 セミクロスシート編成(1108F)の車内の様子 2014/11/1 立川南~立川北

1402_141101 4両に分けられ、床下装置類も展示用に外されていた1102F

この1102Fはラッピング編成として他の編成とは異なる白一色に塗装されていました。

Small メカ的に興味深かったのはゴムタイヤを使っている駆動部で、モノレールのタイヤは外形1006mm、幅341mm、空気圧1000kPa、最大負荷能力5500kgで旅客機のタイヤに較べると圧力は低いですが、サイズ的には若干小さい程度です。

Photo               表 モノレール、旅客機、自動車のタイヤの比較

Small_2
同時にモノレールの場合、線路に張り巡らされた架線からの集電、さらに接地のメカニズムでした。左の赤い機械がパンタグラフで手前の部分が線路の架線に押し当てられ電極から集電します。右側の説明にあるように1両に+-4つのパンタが付いており、さらに駅などで静電気を逃がすアースも用意されているとのことでした。

K1_141101
普段はお目にかかることの少ない黄色の工務車 (K-1) もポイントの動きに合わせて動いていました。

141101_4 2005年に増備された1106Fの搬入の様子に関する説明があり、下松の日立製作所から、航送で川崎埠頭へ、そこからトレーラーで基地へとのことでした。

この後、西武国分寺線を4000系によるアニバーサリートレイン(本川越まで)が走るというイベントあり、そちらの撮影のため、モノレールで玉川上水へ、そして小川へと向かいました。4000系に関してはいずれ西武鉄道シリーズの方で触れる予定です。

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2014年11月 3日 (月)

通勤電車シリーズ E231系500番台 514編成 東京駅開業100周年ラッピング 外回り編

2014年10月11日から、運行を開始した山手線E231系500番台、トウ514編成の「東京駅開業100周年赤煉瓦ラッピング電車」、運行スタート日は内回り運用の写真を撮りましたが、今回は外回り運用を狙って撮って来ました。

山手線の運用は大崎駅を発車する24時制の時間、それぞれの編成が受け持つ運用番号**Gを付けた4桁表示を運行窓に掲出して走ります。1周ほぼ1時間ですので、朝の5時台から始まる運用は周回を重ねるごとに05, 06, 07と増えて行きます。そして内回りが偶数+G、外回りが奇数+Gとなります。

平日ダイヤでは外回り運用が01G~53G, 71G~75G、内回り運用が00G~34G, 50G~66G,
70G, 72Gと振られており、休日運用は01G~29G, 51G, 71G~75G,
00G~20G, 50G~60G, 70G, 72Gとなっており、平日運用は朝のラッシュ時間帯を過ぎると終わってしまう運用が多いのに対して、休日運用は終日走る運用が多いようです。詳細は山手線運用で検索するとすぐ見つかるサイトで、その日の運用担当編成情報や当該運用の編成の現在位置とともに見ることが出来て、大変便利です。

そこで、10月25日土曜日、自宅で514編成が01G運用に入っていることを確認してから撮影に向かいました。
E231500_514_141025 2014/10/25   01G運用に入った514編成 

まずは西日暮里にて、田端を出発して坂を登って来るところを狙いました。

こちらは内回りに乗車して、次の周回は代々木で狙うことにしました。
E231500_514_141025_2
山手線電車を随分長く撮っていますが、代々木のこのショットは今回初めてでした。運が悪いと内回りにもろに被られますが、幸い今回はセーフでした。

E231500_514_141025_1 3回目はこれまでにも何回も撮影している五反田駅の入線シーンです。

E231500_514_141025_2_2 出発後の後撃ちシーンも撮影しました。

同ラッピング編成は来年3月まで走るので、今度は冬景色、雪、桜などをからめて撮影できればと思います。

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2014年11月 2日 (日)

東海道新幹線開業から50年 その4 万博輸送とDiscover Japan

東海道新幹線開業から50年を振り返るシリーズ、今回は1970年の万博輸送から、岡山延伸開業までです。

0 0系 H74編成 名古屋

1970年の大阪万国博覧会を前に、1969年10月1日のダイヤ改正では、3-6ダイヤ体制が組まれ、「ひかり」は毎時00、20、40分、「こだま」は毎時10、15、30、35、50、55分と東京~三島、名古屋などの区間運転や不定期運転も含めて予約状況を見ながら臨機応変に対応できる体制が設定されました。このときに「ひかり」の16両編成化も決定し、1969年12月8日から、1970年2月25日にかけて16両編成化が実施されました。これにより「ひかり」の座席定員は1407人となりました。

国鉄としても最初は鉄道技術の成果を展示する独自のパビリオンを出すことも考えていましたが、財政状況がそれを許さず、当時世界最高速の新幹線を「動くパビリオン」として見せることにしました。

一方で後に新幹線のライバルとなる東名高速道路は1962年に東京IC-静岡IC間、豊川IC-小牧IC間の工事が着手され、1963年には静岡IC-豊川IC間の工事も始まり、1968年4月25日、東京IC-厚木IC間・富士IC-静岡IC間・岡崎IC-小牧IC間が開通し、小牧ICで名神と接続しており、1969年2月1日に静岡IC-岡崎IC間が開通し、3月31日には厚木IC-大井松田IC間・御殿場IC-富士IC間が開通し、そして5月26日、大井松田IC-御殿場IC間の開通で全線開通しました。6月10日から東名ハイウエイバス、東名高速線 東京~名古屋間が開業し、昼行便43往復体制でスタートしました。

1012 万博輸送に向けたひかりの16両編成化、およびこだまのビュッフェ車1両化に向けた0系の増備

1970年3月14日、大阪千里丘陵において「人類の進歩と調和」をテーマにした「日本万国博覧会(EXPO70)」が開幕し、会期が進むにつれ乗客数は増え、8月には1日に平均36万人が新幹線を利用し、8月16日には46万人の乗客数を記録しました。会期終了までに約6400万人という記録的な入場者数を数えることとなりました。

「ひかり」の16編成化を進める一方で「こだま」に2両連結されていたビュフェ車の利用率が芳しくないことから、5号車のビュッフェ車を新登場の売店車(25形400番台)に置き換える編成替えも同時に進められました。その結果、5号車に売店車、9号車にビュッフェ合造車を組み込んだ編成が「こだま」の新正規編成となりました。

大阪万博の時、私は中学3年でした。杉並区立の中学校でしたので5月の修学旅行は関西でしたが、大阪の宿は避けて、品川発の修学旅行電車「ひので」で彦根へ、彦根城、安土城などを見学して奈良へ、多武峰、室生寺などを見学して、京都から夜行の「ひので」で東京に戻りました。恐らく、我々の学年か、次の学年が東京の中学校でも「ひので」を使った最後の世代ではないかと思います。

0_3 東京駅を出発する0系

万博終了後の旅行需要を落ち込みに対処するために国鉄が打ち出したキャンペーンがディスカバージャパンでした。広告代理店電通とのタイアップによる「美しい日本と私」をキャッチフレーズに日本の国土の美しさを再認識することで国内外の人々を観光に誘引しようという試みで、空前の旅行ブームが巻き起こりました。新幹線に修学旅行臨時列車が運転され始めたのもこの頃でした。

1970年10月1日のダイヤ改正では「こだま」のグリーン車を全車指定席とした他、短距離利用客の利便性を図るため、「こだま」の隣接停車駅間の普通車自由席を従来の600円から400円で利用できるようにした特定特急券が発売開始されました。

東海道区間の開業後から、山陽区間の建設も検討され始め、1965年9月9日には新大阪~岡山間の建設工事の認可、1966年5月にルートの決定、1967年3月16日には山陽本線複々線化の名目で工事が着工されました。駅は、新神戸、西明石、姫路、相生の4駅と決まりました。東海道区間は最高速度210km/hを想定して建設が行われましたが、山陽区間は250km/hを想定し、高架構造とトンネルを多用し、カーブの最小半径も4000mに抑えられました。1971年8月31日に新大阪駅構内でレール締結式が行われ、10月16日には951形試験電車による試運転が開始され、1972年1月27日には0系を利用した直通公式試運転も実施され、東京~岡山間を4時間10分で走破しました。1972年は明治5年(1872年)に新橋~横浜間に鉄道が走り始めてちょうど100年の年でもありました。

ひかりは西へ」のキャッチフレーズで建設工事が進められていた新大阪~岡山間は1972年3月15日開業を迎えました。

車両的にはこれまで製造会社別に編成記号を分けていたのが、製造会社別に編成を組めなくなったことから、1971年12月15日から「ひかり」はH編成、「こだま」はS編成(12両)K編成(16両)と用途別に記号を使い分けることにしました。

19723 ひかり16両編成とこだまの新正規編成

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2014年11月 1日 (土)

EF200形電機 17号機

EF200形電機シリーズ、今回は17号機です。製造は日立製作所で1993年4月2日に落成しています。16号機までは1992年中に落成していましたが、17~20号機1993年4月に纏めて落成しています。

いつものように2003年頃からの写真をアップして行きます。

Ef20017_030919

2003/9/19 梅田貨物線を行く単機です。 

Ef20017_040704

2004/7/4   新鶴見での休息

Ef20017_040717 2004/7/17 新鶴見を発車

Ef20017_040903

2004/9/3 補機 EF67 3号機の助けを借りて、八本松駅に進入

Ef20017_081212

2008/12/12  塗装変更後 さくら夙川を通過

 

Ef20017_091226_2

2009/12/26 八丁畷を通過

Ef20017_101210

2010/12/10 北方貨物線 新大阪付近を通過 新大阪駅にはトワイライトエクスプレスの姿も見えます。

以上です。

 

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