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2014年12月31日 (水)

西武新101系 その7 時は流れて 2連編 その5 流鉄5000形 5001編成 流馬

西武新101系の第二の車生、今回からは流鉄5000形電車です。

51015001_110115
5001編成 クモハ5101+クモハ5001 2011/1/15 馬橋

流鉄は2005年8月のつくばエクスプレスの開業後、流山線の合理化の一環として定期列車を終日ワンマン運転の2両編成とするため、2009年以降、西武新101系2連を譲受することにしました。

形式は馬橋よりがクモハ5100形、流山よりがクモハ5000形で、譲受に際してワンマン化対応改造、前面行き先表示器のLED化が実施されました。以前に導入した3000形とはMM'ユニットの向きが逆になりました。

51015001_120415_3_2                          
5001 2012/4/15 馬橋

2009年273F→5001編成(3代目流馬)が武蔵丘車両研修場で改造され、6月17日に流鉄カラー(水色、N字模様)でお目見え、22日に新秋津から馬橋まで甲種回送されました。

流山線入線後、愛称板が取り付けられ、行き先表示器のLED化が行われました。西武時代、種別表示幕だった表示器はワンマンと表示されました。

51015001_110108_2
このHMはみんなの流鉄号 2011

2011
2010年11月7日に開催されたイベントで会場に来場した子供たちが描いた「夢」のテーマの絵をHMにしたようです(関連記事) 2011/1/8 馬橋

2010年1月23日のダイヤ改正に先がけ、1月20日から営業運転が開始されました。

2014年の記事も今回で最後となりますが、拙blogの記事を読んで戴き、コメントを戴いた皆さま、本当にありがとうございました。

来年も話題が続く限り、休み無く頑張って行きたく思います。

良いお年をお迎え下さい。

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2014年12月30日 (火)

1989年のDüsseldorf Airport その23 Istanbul 航空の737-400

25年前の東西冷戦終結の年、西ドイツのDüsseldorf空港で撮影した旅客機、今回はトルコのイスタンブール航空のBoeing 737-400です。
Tcada_cn_23866_1589_boeing_7374y0_8
TC-ADA cn 23866 ln 1589 Boeing 737-4Y0 1989/5/4 DUS

イスタンブール航空はトルコのチャーターエアラインで1985年12月にトルコの個人投資家によって設立されました。1986年3月14日SAT Flug (ドイツ・ケルンの航空会社 Special Air Transportで後にGermaniaに)から購入したSud Aviation Caravelle 2機とルーマニアのTAROM航空からリースしたBAC1-11 2機により、運航を開始しました。
その後、順調に業績が伸び、1987年にカラベル2機の追加、1988年にはBoeing 737-400がフリートに加わりました。 さらに機材の近代化で737や757がフリートに加わりました。

やがてトルコの国内線定期便も担当するようになりますが、2000年には財政危機に陥り、5機の737はリースバックせざるを得なくなり、2001年に倒産に至りました。

Table_1_istanbul_airlines_737_757
表1 イスタンブール航空の737/757 のフリートリスト planespotters.netのデータを参考にしました。

これら以外のフリートのメンバーとして本文中に登場した Sud Aviation Caravelle, BAC 111-500, Boeing 727-200, Lockheed L-1011 Tristarなどがいました。

Tcada_cn_23866_1589_boeing_7374y0_2
TC-ADA

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2014年12月29日 (月)

四方津を再訪 その2 豊田区のM50編成

2014年12月6日、すでに4週間以上前のことですが、豊田区のM52編成がグレードアップあずさ色に改装されて初運用で中央線を走ると云うことで四方津で待ち受けましたが、このときはM50編成やM51編成にも遭遇しました。また、横須賀色115系M1~M10編成の運用最終日でもありました。ということで、今回からこのときに撮影した編成について触れて行こうと思います。

まずはM50編成です。
189_m50_141206 9:20 頃 四方津駅を通過するM50編成 2014/12/6

構成は
←新宿 クハ189-14 モハ189/188-20 モハ189/188-44 クハ189-507 河口湖・長野→

でクハの基本番台、500番台の方向がM51、M52編成とは逆向きになっています。

塗装は旧あずさ色で、2002年松本運転所から転入しました。新宿方3両がグレードアップ車用シートで長野方3両が簡易リクライニングシートとなっています。

189_m50_141206_9
最近のJR東日本の183/189系には特急シンボルマークがありません。

189_m50_100403
かつてはその代わりかマスコットマークが貼ってありましたが、

189_m50_141206_10
今はそれもありません。

ちょうど入れ違いにM51編成がやって来ました。

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2014年12月28日 (日)

通勤電車シリーズ 103系 17 横浜線の新性能化

通勤電車103系シリーズ、今回は横浜線103系です。

横浜線、最初の103系が投入は1972年10月2日のダイヤ改正で、蒲田電車区で
McM'TT'c の4連1本を組成し、横浜線用にしたことによるものでした。

103_54_790923       横浜線用 スカイブルーの103系 クハ103-500番台 1979/9/23 八王子

誤乗防止のため、写真のように大きく横浜線と書かれた看板を掲示しました。京浜東北線と東神奈川での向きが揃う関係で東神奈川側がクハ103-500番台、八王子側がクモハ103となりました。
1974年には山手線のATC化で非冷房車7連2本+4両が転属となり、スカイブルーとウグイスの混色となりました。
103_2_2
山手線から転属したウグイス色の103系も横浜線で活躍を開始しました。当初の4連運転は6月15日にホームの延伸工事が完成し、7連での運転を開始しました。
京浜東北線でもATC計画がスタートし、非冷房車54両が転入、東神奈川区にも103系が配置されました。東神奈川区の検修施設の関係で3+4連とする必要から
TcMM'TMcM'T'cといった変則編成となりました。
京浜東北線用にATC準備、冷房車を投入する関係で6連1本を阪和線に転出させることになり、関西にそれまでクモハがなかったのでクモハの転出を避けるため、横浜線の一本をMcM'TT・McM'T'cに組換え、阪和線には両端クハで転出させるという転配も行われました(下の蒲田区の53編成)。
1978年には紀勢本線電化関連の転配で京浜東北線の冷房改造車が横浜線に転入し、初の冷房車となりました。
103
103系混色編成 2両目以降はウグイス色 編成札から東神奈川区の編成と分かります。

1979年4月1日時点での横浜線の編成データがありますので載せます。

東神奈川電車区
    Tc103  M103 M'102 T103 Mc103 M'102 T'c103
東1     61      3       3       9       114     250     586
東2      47     47     47      47       22      101     599
東3      69     69     69      69       21      100     547
東4      70     58     58     10       35      125      82

蒲田電車区
         Tc103 M103 M'102 T103 M103 M'102 T'c103
51        48      48    48      138    113    192    574
52       125    121  214    207   147   274   610
54        71    128   235       48     120   211   573
55        99      6      6       137     133   246    598
56        41      2      2       198    141   264   605
         Mc103 M'102 T103 T103  M103 M'102 T'c103
53      119    257   195   194   139   258  602   

バラ Mc103-80  M'102-194  T'c 103-558,  Tc103-403, 404、713
太字は冷房車

既に高運転台クハも数両、蒲田区において横浜線用に回されていますが、やがて京浜東北線のATC化に向けて横浜線の車両も両端クハが全車、高運転台化されて行きます。

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2014年12月27日 (土)

西武 トレインフェスティバル2014 in 横瀬 2 旧101系 part2

12月18日から23日までの広島~高知の旅行ですっかり間があいた感がありますが、またもとのシリーズを再開します。

西武トレインフェスティバル in 横瀬」において旧101系クハ1224が展示されていました。

1150_140720_gt

クハ1150 車体 美住グリーンタウン 2014/7/20

それにちなんでpart2では東村山市の美住グリーンタウン内の「くめがわでんしゃ図書館」として保存されているクハ1150について触れようと思います。

クハ1150149Fの一員として1971年7月29日に落成しており、同じ日付で149Fから155Fまでの4編成が非冷房の4連として落成しています。

1150_140720_gt9 現在は室外機を設置した冷房方式

冷房改造は1986年12月25日付けで行われています。149Fは冷房化改造と同時に座席端のパイプが新101系と同様の網棚と一体化したタイプに変更となり、車側灯の電球も2灯化されています。

1150_140720_gt7
この検査表記は、廃車後も書き換えているということ?

1150_140720_gt6
開館時間の案内

東村山市立図書館のサイトによると、くめがわ電車図書館は中央図書館ができる前に地域の方々の尽力でつくられた施設だそうです。以前はクハ1311形だったそうですが、2001年に廃車になったクハ1150が狭山からトレーラーで運ばれて来て設置されたそうです(関連記事)。

1150_140720_gt5
同図書館には5000冊の本が所蔵されており、内部は現役当時のまま、座席、つり革、広告も残されているようです。

旧101系の形態を残す保存物は少ないので、できるだけ長く第二の車生を送って欲しいものです。

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2014年12月26日 (金)

速報 高知の路面電車 とさでん交通

広島からスタートして、伊予西条、松山、八幡浜、宇和島、予土線と巡って来た今回の旅もいよいよ最後は高知の路面電車、とさでん交通です。

2014年10月1日にそれまでの土佐電気鉄道、高知県交通、土佐電ドリームサービスが経営統合して出来上がった会社だそうです。私自身、高知を訪問するのは1987年10月以来となります。

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船中八策ならぬ電中八策に従って路面電車の旅を楽しむべし!

路線は高知駅から桟橋方向へ南北に走る桟橋線と東の後免町へ至る後免線、西の伊野に至る伊野線の十字構成になっており、テレビ番組などでは「ごめん~いーの」というシャレでよく紹介されています。

592_141222
高知駅前の電停は高知駅南口目の前に 2014/12/22 

高知駅前で、一日全線自由乗車券を購入し、夜8時過ぎの夜行高速バスの発車まで乗車を楽しむことにしました。まずは名鉄美濃町線からやって来た592号がお出迎え。

592_141222_2
桟橋通五丁目 終点 堤防もあり、もう海岸かと思ったら、意外と内陸部でした。

まずは高知駅から桟橋線で桟橋通五丁目まで。はりまや橋で我が国唯一の路面電車同士の直角クロスがあり、全線3.2kmの路線です。終点からひとつ手前には桟橋車庫があり、こちらも覗いて見ました。

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桟橋車庫で休む車両たち 高知の路面電車は広島に較べて圧倒的に単車が多く、日本製の連接車は100形1編成のみでした。その100形ハートラムHeartram)はこの日は車両検査のためお休み中でした(201の背後に)。

はりまや橋までもどり、今度は東方向、後免線へ。

703_141222
運賃は市街区間内は200円均一で、東は知寄町三丁目以東、西は旭駅前通以西は整理券の数字に依存して、上がって行き最高で460円になります。

東行きの電車は後免町まで、領石通折り返し、文珠通折り返し等があります。後免町行きは電光表示のみならず、前面に「ごめん」と書かれた方向板を掲げています。路線延長ははりまや橋から10.9kmで両端駅を数えて33駅です。後免町終点の一部を除いて全線複線です。かつてはここから安芸まで安芸線が通じていましたが、1974年に廃止されました。

後免町まで行ってから再びはりまや橋までもどり、今度は西方向へ、伊野線となりますが、こちらははりまや橋から11.2km、駅数34駅です。

703_141222_2
鏡川橋で折り返す703号 ここから西は単線区間に

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朝倉付近でのタブレット交換

はりまや橋から鏡川橋までは複線ですが、そこから先は単線となり、途中3カ所に交換場所が設けられており、そのたびにタブレットの交換が行われています。伊野まで行く車両と途中朝倉までの車両には方向板が掲げられており、多くの車両は鏡川橋で折り返します。

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伊野手前、八代での交換風景 この交換場所は11月に移設されたそうです。

141222_5
そのため通票には交換場所移動、注意のタグが付いていました。

618_141222
伊野 終点

この後、はりまや橋まで戻り、さらに葛島橋の西側で車両撮影を行いました。車両に関しては詳細版の記事の方で紹介しようと思います。

高知駅前発20:10、途中、鳴門で乗り換えがありましたが、新宿西口までの夜行高速バスで23日朝、無事帰宅しました。

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2014年12月25日 (木)

速報 予土線の旅

12月22日は、宇和島から窪川まで予土線に乗車し、さらに高知へ抜けました。

141222
早朝、夜明け前でしたが、6時11分発の窪川行きに乗車しました。

予土線の宇和島発は一日に窪川までが6本、近永までが5本、江川崎までが2本です。なので、この列車を逃すと窪川までは9:39発までありません。

141221
西宇和島で予讃線と別れます。右が予土線。 (写真は21日の近永往復の際に撮影したものです)。

当日は風に雪が舞うこの季節の四国としてはえらく寒い日でした。宇和島発車から、江川崎までは乗客は私1名、あとは運転士と初発列車で線路の状態を監視されているのか、作業服姿のJR職員1名という状態でした。

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途中、吉野生で宇和島行きの列車と交換 2連の後は海洋堂ホビートレインでした(慌てて撮ったため、画像が乱れました)。

32_6_141222
予土線の中核駅 江川崎では7:19着、40分発で21分の長時間停車。

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四万十市は2013年8月12日に観測史上最高気温41℃を記録した「日本で最も暑い場所」なので、駅にも「日本で最も暑い駅」とありましたが、この日は非常に寒かったです。また、らぶらぶベンチという風変わりなベンチもありました。以前、テレビで紹介されているのを見た憶えがありましたが。

江川崎から先はこれまでの軽便鉄道区間とは違って、1974年3月1日に開業した高規格路線となるため、四万十川沿いを高速で走ります。

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141222_4
この辺には面白い駅名が多く、順序は逆ですが「若い(若井)と言われ喜び、ハゲ(半家)と言われて怒り出す。大正(土佐大正)、昭和(土佐昭和)があって、なぁーせ(方言で何故)明治(、平成と続くことも)がない」などという唄もあるそうで。

土佐大正を過ぎるあたりから乗客が大量に乗ってきて、座席は全部埋まる状態に。さらにそれまでは四万十川の蛇行に沿って線路が敷かれていましたが、蛇行を無視してトンネルで突き抜けて行くように走り出しました。

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川奥信号所で交換した土佐くろしお鉄道の列車(TKT-8012)

川奥信号所で中村線と合流になり、若井駅を過ぎて終点の窪川駅に到着します。中村線は1963年12月18日に窪川~土佐佐賀間が開業しましたが、1968年9月国鉄赤字83線に指定され、1970年10月1日、中村までの全線開業するも、国鉄分割民営化の1年後の1988年4月1日にJR四国から土佐くろしお鉄道に移管されました。川奥信号所から窪川駅までは土佐くろしお鉄道の管理となりました。

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そういった関係から青春18切符などでこの区間を通過する際は210円を土佐くろしお鉄道に支払わなければならないそうです。

ただ、車内検札があるわけでもなく、窪川でそのままJR土讃線に乗り換えても誰からも呼び止められることがないので、結構、料金の徴収漏れがあるのではと感じました。

1036_141222
窪川から高知まではJR四国の1000形DC(1036)でした。

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窪川では江川崎で滞留し、朝一番の列車で窪川にやってきていた鉄道ホビートレインキハ32 3と再度対面

この後、土讃線DCに約2時間乗車して、快晴の高知に到着しました。
明日の記事では高知の路面電車事情を紹介したく思います。

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2014年12月24日 (水)

速報 予土線 鉄道ホビートレイン キハ32 3

昨日の宇和島観光の続きになりますが、

141221_2
宇和島まで来た目的のひとつは上記のポスターにあるように2014年3月15日のダイヤ改正で予土線に登場した鉄道ホビートレイン「0系もどき」に逢うためでもありました。この車両の登場は1974年3月1日の予土線全線開通から40周年、そして1914年10月18日の宇和島鉄道による宇和島~近永間開業から100周年を記念してのものです。

この車両が宇和島発15:37の窪川行きに運用されることが分かっていたので、乗ることに致しました。

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窪川方のスタイル 2014/12/21 宇和島

32_3_141221_2
宇和島方はラッピングのみ

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0系21、22形タイプの前照灯を点灯させるためにキハ32のライトを前方に延長したような構造に

それにしても今年の春先、この車両の登場を知ったときは「なんじゃこのゲテモノは」と正直思ったのですが、実物を間近で見て、乗車してみるとなにか「かわいい気動車」という気が致しました。12月の初頭には伊予西条の「四国鉄道文化館」まで出張し、ホンモノの0系と対面したというニュースもありました。

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キハ32 6 オリジナルの車内の様子 2014/12/22 宇和島

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車内は壁、シートを青で統一し、運転席の後ろに歴代新幹線の模型(0系、100系、500系、そして鉄道ホビートレイン) そして 後方の座席だった場所には153系急行「鷲羽」、10系寝台急行「さぬき」、151系宇野線特急「うずしお」、宇野線EH10貨物、マリンライナー、20系寝台特急「瀬戸」など四国関連の鉄道史に残る車両の模型が飾られています。

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さらに窪川方を向いて初期の0系の転換形クロスシートに似た座席が4席配置されています。

車内を見渡して、手の加えられていないのは運転席のみのようでした。

さすがに窪川まで乗車すると帰りが遅くなるので、宇和島軽便鉄道の最初の開通区間である近永まで乗車することに致しました。

32_4_141221
出発間際にはキハ32 4の海洋堂ホビートレインも到着し、

3_141221
午前中に下宇和で交換した「しまんトロッコ」を含めて予土線3兄弟に無事遭遇できました。

翌日は予土線で窪川さらに高知まで行くのですが、早朝の列車であるため、日の出の関係から明るい内に風景を見ておこうと思い、急遽、近永往復を決めました。西宇和島で予讃線と別れると務田(むでん)まで上り坂で急曲線の線路が続きます。この区間は1941年7月2日の全線1067mm軌間に改軌した際に軽便時代の線路とは別に敷かれた新線ですが、かなりの急勾配(30‰)、急曲線の連続です。単行のキハ32でもゆっくり登って行く感じでした。

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2014年12月23日 (火)

速報 ただ今 宇和島市内観光中

21日分の続きとなりますが、宇和島ではまず駅前に飾ってあるコッペル社製ケ220 軽便鉄道用蒸機の復元模型を見学しました。

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この模型は宇和島城築城400年祭の記念として、鉄道唱歌誕生100周年記念事業として復元されたそうです。
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横にはご当地名物の闘牛の像もあります。

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駅の北側には和霊神社と和霊公園があり、公園にはC12 259号機が保存されていました。

15:37発の予土線窪川行き 4824D (鉄道ホビートレイン)の出発まで未だ1時間ほどあったので、宇和島城を見学することに

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標高74mの城山に三層の天守閣があり、藤堂高虎が築き、伊達氏が現在の状態に造り上げたそうですが、天守からの眺めは見事でした。

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天守閣は入場料200円がかかりますが、急な階段を三層分登って上からの眺めは最高でした。

そして宇和島から予土線鉄道ホビートレイン乗車の内容は明日の記事で。


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2014年12月22日 (月)

速報 ただ今 八幡浜市内観光中

20日の夕刻から予讃本線を走って、宇和島に到着しましたが、21日はもう一度来た道を八幡浜まで戻りました。四国はこれまで1987年10月、2002年12月、2012年3月に仕事で来ていますが、松山以西に足を踏み入れたのは初めてでした。

宇和島7:06発の4630Dで北上すると下宇和での交換で日本のトロッコ列車の草分け的存在しまんトロッコ号牽引のキハ54 4 と遭遇しました。

54_4_141221
八幡浜に到着すると、4630Dは特急待避、行き違いで長時間停車モードとなり、

2000_141221
まずはTSEと表示されている2000系試作車2101先頭の特急「宇和海4号」の待ち合わせ、

18531133106_141221
さらに下りキハ185系3100番台使用の913D宇和島行き(キハ185-3113+3106)との行き違いとなりました。

79642_141221
八幡浜に来た目的は王子の森公園に保存されている9600形蒸機 79642号の見学でした。

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このように平成29年に愛媛県で国体が開催され、王子の森公園がソフトボールの開催球場となり、バックスタンドを新築する工事が行われていました。その一環として、保存機79642号機の屋根の設置工事も行われているようでした。

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キハ54 7  4632D 八幡浜~双岩間 2014/12/21

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2151 特急「宇和海7号」 八幡浜~双岩間 2014/12//21

八幡浜市内、八幡濱まちなみミュージアムとして江戸、明治時代の邸の建物が保存されているのを見ながら、港まで歩きました。

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八幡浜と臼杵をむすぶオレンジ四国 2014/12/21 八幡浜港

地図で見ると八幡浜と臼杵の航路は佐田岬半島と佐賀関半島にほぼ並行しており、両半島先端間の直線距離は14kmですが、中央構造線が走っていることによる地質構造上の問題、財政事情の問題、あるいは伊方原発の存在などで、豊予海峡トンネル構想の実現は現時点では難しそうです。

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港には魚市場もあり、新鮮な獲れ立ての魚が並んでいました。

八幡浜発11:50の4917Dで宇和島に戻り、今度は宇和島市内の観光をしました。
続きは明日の記事で。

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2014年12月21日 (日)

速報 ただ今 広島から松山、伊予西条、そして宇和島へ

早朝、広島のホテルを出発して、未だ夜の明けきらぬうちに広島港へ。

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広島港ターミナルの出発表示 2014/12/20

路面電車は港の乗船ターミナルの目の前まで来ているのですね。

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スーパージェット「道後」 2014/12/20 広島港

呉経由、松山観光港までの高速線スーパージェットに乗船。さすがに高速艇だけあって、海上を最大速力36ノット(約65km/h)で進み、呉港にはおよそ20分で到着、音戸の瀬戸では減速をし、瀬戸内海では時化のため、多少延着しましたが、松山観光港に無事到着。

観光港からリムジンバスで松山駅へ、そこから本日の長い長いJR四国の旅が始まりました。まずは、東へ戻る形で伊予西条へ、

7001_141220
松山~伊予西条間は往復ともJR四国オリジナルの7000系電車でした。

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最近、南館もオープンした四国鉄道文化館を訪問、こちらには
C57 44 DF50 1 DE10 1 キハ65 34 0系 21-141(短縮)そして写真のように屋外にはフリーゲージトレイン GCT01-201が保存されています。

ちなみに海を渡ってイギリスのヨーク博物館に保存されている0系先頭車は22-141でこの21形とペアを組んでいた先頭車だったそうですね。

再び松山に戻り、1時間程度の接続待ちの間に大手町の伊予鉄道 大手町踏切へ

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伊予鉄道市内線 75 大手町踏切 2014/12/20

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伊予鉄道高浜線3000系 元京王井の頭線3000系

12年前にも来ていますが、あのときは高浜線の方は700系(元京王5000系)でした。市内線の方はあまり変化が無いようでした。

141220_4
運良く「坊ちゃん列車」もやって来ました。

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松山からはDCの旅となり、このキハ54 6が後ろにキハ32 10を併結し、内子線経由の伊予大洲行きに。

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伊予大洲ではキハ54が宇和島行きに、キハ32が松山行きになり、結局、同じ車両を松山~宇和島間乗り通すことになりました。宇和島到着は21:06でした。

141220_5
終点 宇和島

特急を使えばもっと早く到着できたのですが、「18切符の旅」だったため、松山から宇和島まで伊予大洲での約50分乗り継ぎを含めて3時間半かかりました。

宇和島到着直前に予土線に登場したキハ32 3改造の「0系もどき」と西宇和島で交換しました。

JR四国予讃線は今回乗車した区間は単線で、行き違いに3分間の停車が頻繁にあり、さらに特急の待避で10分停車が数回ありました。特急優先のダイヤは経営上、致し方ないのかも知れませんが、伊予西条~松山間などは四国の海岸線を大きく回る線形となっており、一方でライバルの高速バスは内陸を直線的に辿るコースのため、時間的にも金額的にも大きなハンディを持っていることがよく分かりました。

あと、広島から伊予西条に行く場合は広島バスセンターから尾道~今治ルート経由の今治行きの高速バスが運行されているので、そちらを使えばもっと経費は少なくてすんだと言うことも出発の前の晩分かりました。

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2014年12月20日 (土)

速報 ただ今 広島地方を旅行中 その2

広島旅行、2日目はまず市電で横川まで行き、可部線を北上しました。

 

141219

 

 


朝の横川駅 同じ漢字でも信越線の横川は「よこかわ」ですが、こちらは「よこがわ」なんですね。 2014/12/19

 

可部線といえば、2003年12月1日に可部から三段峡までの非電化区間が廃止となりましたが、地元の方々の熱心な運動により、2016年3月に可部から旧河戸までが電化の上、再開業するとの報道がありました。

 

105_k13_141219

 

 


105系 K13編成 2014/12/19 可部

 

141219_2

 

 


2016年3月には復活開業の予定の三段峡方面への線路

 

また沿線の安佐南区八木地区は今年8月19日から20日にかけての豪雨による土砂災害で死者74名、重軽傷44名の大災害が起きた場所でありました。

 

141219_3

 

 


たまたま横川から乗車した電車が梅林までだったので、接続待ちの間、梅林駅で下車して周辺を歩いてみました。

 

この災害は急斜面での宅地開発が問題となった災害だと思いますが、沿線風景をみて、横川を出発して太田川放水路を渡ってからの左手の車窓風景は関東人の私にとってはかなり高い山の中腹まで宅地開発がされており、特に梅林から先は山が山が線路際まで迫っている風景には驚かされました。

 

可部線から広島に戻った後は、天神川で
Ef210302_141219


この駅から見ることができる機関車、電車、気動車を撮影し、

 

C11_189_141219

駅から北方に歩いて5分ほどのイオンモール広島府中に静態保存されているC11189号機を見学しました。

さらに向洋で山陽本線、呉線の電車、貨物列車を狙い、

 

Ef2005_141219

EF200-5号機牽引

 

Ef67_104_141219

補機はEF67 104

そして、呉線で呉に向かい呉市海事歴史科学館(戦艦大和ミュージアム)と海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)を見てきました。

 

141219_4

戦艦大和ミュージアムのシンボルとして有名な1/10スケールの戦艦大和の模型

 

141219_5戦艦大和ミュージアムの前に鎮座するゆうしお型潜水艦「あきしお」がシンボルのてつのくじら館

 

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通称末期色で最後の活躍をする103系3連 D-01編成 2014/12/19 海田市

最後は海田市で、呉線、山陽線の国鉄形電車を撮影してきました。

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2014年12月19日 (金)

速報 ただ今 広島地方を旅行中

現在、広島市内に滞在しております。

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「のぞみ7号」 東京駅の出発表示 予想したとおり、雪の影響で遅れの表示も 2014/12/18

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広島到着時の表示 雪の影響で62分遅れとなりました。

18日早朝の東京6:50発の「のぞみ7号」で広島までやって来ました。新幹線に乗るのも久しぶりで、さらに新大阪以西まで乗車したのは何年ぶりかという感じです。山陽新幹線はトンネルが多いというのも改めて認識しました。

ご承知のように北海道に居座っている強烈な低気圧の影響で浜松から新大阪まで減速運転の影響で、62分の遅れで広島に到着となりました。途中、名古屋の手前から銀世界になり、京都付近まではまさに大雪の状態でした。

今回は路面電車と公園保存車両、鉄道博物館などがメインテーマで、広島から松山、伊予西条、宇和島、高知などを回る予定です。

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現在の原爆ドーム 2014/12/18

広島市内も昨日、17日の積雪の影響が残っており、平和公園や原爆ドームなどにも少し雪が残っていました。

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C59 161 2014/12/18 広島こども科学館 

まずは原爆ドームのそばの「広島こども科学館」の敷地内に保存されているC59161号機、そしてアストラム・ラインに乗車して、「広島交通科学館」を見学しました。

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3006 2014/12/18 広島駅前

広島電鉄は走る車両博物館といわれるほど、沿線で見ていても次から次へと新旧いろいろなタイプの車両が走っています。ということで広島市電もいろいろと写して来ました。

まだこの夏の旅行の報告も終わってはいませんが、いずれこの旅行の詳細報告を致します。

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2014年12月18日 (木)

公園保存機 SNJ6209 鎌ケ谷市制記念公園

日本全国の公園等に保存されている車両を観て歩くシリーズですが、今回は千葉県鎌ケ谷市の市制記念公園を訪れた際にD51385号機のとなりに保存されていたノースアメリカンT-6練習機(海上自衛隊ではSNJ)の紹介です。機はおなじでも機関車ではなく飛行機です。

Snj6209_140510_3 SNJ6209 2014/5/10 鎌ケ谷市制記念公園

T-6 Texanと呼ばれ、1930年代から1960年代にかけて使用されたノースアメリカン社製のレシプロ高等練習機で、アメリカ陸海軍をはじめとして、イギリス、イギリス連邦諸国で使用され、第二次大戦後は日本を始め多くの国で使用されました。アメリカ陸軍ではAT-6、海軍ではSNJ,英連邦諸国ではHarvardと称されました。

Snj6209_140510_5
初飛行は1935年4月1日で、当初は基本戦闘練習機Basic Combat (BC-1)として採用されましたが、まもなく高等練習機Advances Trainerに統合されAT-6となりました。海軍向けのSNJには空母への着艦訓練用に着艦フックを装備したモデルもありました。

Snj6209_140510_7

練習用でなく実戦にも投入されており、朝鮮戦争などでのミッションの例もあるそうです。生産機数は15,495機に及び、現在でも飛行可能な機体があり、エアショーなどで目にすることもあるとのことです。
Snj6209_140510

自衛隊には1955年1月から供与が開始され、航空自衛隊にはT-6Gを中心に167機、海上自衛隊には48機が引き渡されました。自衛隊では中間練習機として使用されましたが、前輪式の初頭練習機T-34、海上自衛隊KM-2と高等練習機T-33や実用機の間に尾輪式の機体の課程が入るのは合理的ではないとのことで、1960年代には後継機T-1と交替するように退役しました。所沢航空発祥記念館に0099号機が屋内展示されている他、各地の基地や公園等で保存されているようです(詳細はこちら)。SNJ-5シリーズは電気系統を改善し、全金属製にしたバージョンです。

SNJ62091952年2月10日に海上自衛隊に供与され、1964年9月30日、第201航空隊で用途廃止となり、1992年8月25日から、こちらに展示されているとのことです。

単発低翼のレシプロ機であるため、零式艦上戦闘機として映画に出演する機会がおおい機体でした。

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2014年12月17日 (水)

水郡線営業所公開 その1 ビューコースター風っこ

1934年12月4日磐城棚倉~川東間の開通でそれまで水郡南線、水郡北線だったのが一本につながった時から80年の今年、開業80周年記念イベントの一環として、11月30日に常陸大子の水郡線営業所で開催されたのがこの公開イベントでした。

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10時20分頃、水戸から到着後、引き上げるビューコースター風っこ 2014/11/30 常陸大子

今回はこのイベントの展示車両として、また水戸方面から【快速】 風っこ水郡80周年号として活躍したキハ48形気動車改造のびゅうコースター風っこを紹介したく思います。

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同車両との最初の出会いは2003年6月1日の宇都宮運転所公開でした。

それまで使用していたトロッコ貨車の老朽化に伴い、2000年キハ48形 キハ48-547 と-1541を改造しての登場となりました。

キハ48形500番台(トイレ付き)、1500番台車(トイレなし)キハ40形500番台車と同様の東北地方向け寒地仕様車で1979年から1982年までに501-559、1501ー1550が製造されました。デッキ付き、上段下降、下段上昇ユニット窓と空気バネ台車を装備しています。

民営化の際、JR東日本には500番台41両・1500番台33両が継承され、ジョイフルトレインに改造された車両も多く存在します。

060714
走行しているところは2006年7月14日、長町駅(まだ高架になる前)に一度偶然出会いました。

改造工事は新潟鐵工が担当しました。機関は落成時のDMF15HSA(連続定格出力220 PS/1,600 rpm, 連続定格出力時燃料消費率185 g/PS/h, 最大出力250 PS/2000 rpm)からDMF14HZ(154 g/PS/h)に換装されました。

141130

構造的特徴は車体側面を大きく開口させ、外気を感じるようにしたことで、冬季には開口部にガラス戸をはめ込み、ストーブを焚くことも可能となっています。開口部の下部にもガラス戸を設置し、開放感を高めています。

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今回、当日の朝も水戸駅で7:28発の327Dの発車を待っていたら、ビューコースター風っこが入線してきて、引き上げ線に移動して行きました。 水戸

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2014年12月16日 (火)

東海道新幹線開業から50年 その7 1980年から100系登場前まで

1964年10月の開業からの東海道新幹線の歴史を振り返って来ましたが、今回は0系の最終増備まで、国鉄最後の時代を見てみようと思います。

01000 浜松町を通過する0系1000番台

27_3
まず3~5次車置換え用の27次車が1979年5月から増備され、37形はビュッフェ部分を拡大した37形1500番台となりました。26形は業務用室が乗務員室に変更されました。

こだま用K編成も置換えとなり、1000番台先頭車のK編成は編成番号に50が加算されました。

28_3

28次増備では車掌室付き25形1200番台と売店車25形1400番台が新登場となり、将来の2+2化対応のため床構造も変更されました。

29_2
29次増備で1000番台の増備は終了しました。

1000番台車の増備は置き換え目的の増備であったので、基本番台にに較べると両数的には少なく、

15形       1001-1043                      定員64名
16形       1001-1041                     定員68名
21形       1001-1051                     定員75名
22形       1001-1051                     定員75名
25形       1001-1103                      定員100名
          1201-1208                      定員95名
          1401                         定員85名
                      1701-1703                                             定員100名
26形       1001-1102                     定員100名
          1201-1313                     定員110名
27形       1001-1003                                             定員85名
36形       1001-1003                     定員42名
37形       1001-1070                                             定員43名
          1501-1527                     定員38名        

30

30次車はそれまで蓄積していた状態不良車を置き換えました。

0_811130 3人掛けシートは真ん中から背中合わせ固定方式に

30次増備から2000番台となり、客室アコモデーションに改良が加えられました。まず窓枠が200系に準じてFRP化され、普通車の座席がリクライニング化されました。ただ、シートピッチの関係で3人掛けシートは回転ができないため、背中合わせで向き固定(集団離反)方式になりました。運転室窓のサッシ改良、非常口の廃止なども行われました。シートピッチの拡大で窓のサイズも小窓車に較べて若干大きくなったので、中窓車と呼ばれました。

3131次車は6~9次車置き換え用に増備されました。
32_2 32次車では売店車25形2400番台が登場しました。ただ一両の新製でした。
33

372523_140812_2 リニア鉄道館の37形-2523は33次車でした。

33次車で登場した25形2700番台車は洋式便所付きの車両でした。
34 34次車のグリーン車16形では業務用室が乗務員室になりました。
35 35次車は9・10次車置き換え用でした。2200番台の製造が五月雨式で少ないのは置き換え対象の200番台が少なかったからのようです。
36 そして36次車では10・11次車置き換え用、こだま増発用に登場しました。

こだまの利用客の伸び悩みから16両のK編成は12両化され、1984年4月11日からSK編成として営業を開始し、1985年3月14日のダイヤ改正から「こだま」用編成は全て12両となりました。

01000_4
東京駅に進入する0系小窓主体の新幹線 1981/11

一方同改正では東京~名古屋~新大阪相互間の旅客が堅調に推移していたので10年ぶりに「ひかり」の増発を中心にした6-4ダイヤが実施されました。このとき、東海道区間の利便性を向上させるためおおむね毎時一本「HKひかり」が登場し、熱海~豊橋間のいずれかの駅に停車するように設定されました。このとき、毎時00分は博多行き「Wひかり」、12分発は博多行き「Aひかり」(広島以西各駅停車)、17分発は岡山、広島行き「Bひかり」(新横浜停車)、30分発は新大阪行き「HKひかり」(熱海~豊橋間2駅停車)、42分発は岡山・広島行き「Aひかり」47分発は新大阪または博多行き「Bひかり」(新横浜停車)となりました。最高速度は210km/hでしたが、6-4ダイヤによる余裕時分の見直しで、東京~新大阪間3時間8分、東京~博多間6時間26分とスピードアップされました。

博多~小倉間の区間運転用に0系6連(R0編成)のミニ新幹線が登場したのもこの改正でした。
1         2           3          4          5          6  号車
Mc       M'7      M7        M7        M'5       M'c
21-77  26-726  25-728  26-755  25-528  22-77

37 10-12次車置換え用に37次車が増備されました。

38 そして0系の最終増備38次車は10~12次車を置換え、25形2200番台の乗務員室が荷物保管庫に、業務用室が電話室に変更になりました。

2000番台のまとめ

16形       2001-2035                                    定員68名
21形       2001-2030                                    定員75名
22形       2001-2030                                    定員75名
25形       2001-2053                                    定員95名
           2201-2216                                  定員90名
          2401                                            定員85名
          2701-2713                                    定員95名
26形       2001-2038                                    定員95名
          2201-2251                               定員105名
37形       2501-2542                                    定員38名

0系の総製造両数は3216両でした。

162034_140812_3
名古屋のリニア鉄道館に保存してある16-2034は第38次増備車です。 2014/8/12

1986年100系が登場する頃、0系は6両編成の運転区間拡大に伴い新たにR1~R20編成が追加となりました。これらの編成は

1       2       3       4       5       6 号車

21形 26形 25形 26形 25形 22形
Mc    M'2    M4     M'      M      M'c  と

21形 26形 37形 26形 25形 22形 
Mc    M'2    Mb     M'      M      M'c  の  2パターンがありました。

R0編成は3,4号車を差し替えてR21編成と改番しました。

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2014年12月15日 (月)

EF200形電機 20号機

試作の901号機から1機ずつ、これまで撮影した写真をアップしてきたEF200形電機シリーズも今回が最終回となりました。20号機1993年4月16日、日立製作所で製造されています。

いつものように2004年頃からの写真をアップします。

Ef20020_040801

2004/8/1 北府中 当時の5084レ、梅田発越谷タ行き(A104仕業)でしたが、ダイヤの乱れで遅れて北府中を通過したため撮影できました。

 

Ef20020_0409052004/9/5 海田市 最後尾で後押しをする紅葉色のEF67の姿もちらっと見えます。

Ef20020_0508122005/8/12 浜川崎 

Ef20020_060624_2
2006/6/24 岸辺

Ef20020_090322


2009/3/22 清洲

Ef20020_101205_2


2010/12/5 千里丘

EF200の車齢は最終号機の20号機も21年を越えました。JR貨物にはまだまだ車齢の高い機関車も多くいて新しいタイプに置き換えるのも製造費がかかるので、まだEF200の活躍は続くと思われますが、これからも機会があればEF200の写真を撮って行きたいと思っています。

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2014年12月14日 (日)

高崎鉄道ふれあいデー その4 DE10 1705

2014年10月18日の高崎鉄道ふれあいデーの4回目です。今回は茶色の機関車大集合のトリとして、DE10 1705号機です。

De10_1705_141018
DE10 1705 2014/10/18 高崎

私、実は高崎にこんな茶色のDE10がいたとはこのときまで知りませんでした。ですから、この機関車の写真も今回が初めての撮影となります。

まずは沖田祐作氏の機関車表から製造からこれまでの経緯を見てみましょう。

DE101705    川崎重工大阪工場=3843           1974-07-00 D65.0tAAAB(1067)
   車歴;1974-07-00 製造→ 納入;国鉄;DE101705→ 配属;長野局→1974-07-31 配置;篠ノ井→
      1975-01-01(1/4?)東新潟→1975-02-27 旭川(北見?)→1985-09-15 東新潟→
      1986-10-09 高崎一→1987-04-01JR 東日本;DE101705→ 配置;高崎運転所→
      1999-00-00 夏借入;わたらせ渓谷鉄道;DE101705→ 返却→
      2004-04-01 現在;高崎車両センター→2008-04-01 現在;高崎車両センター高崎支所

製造は川崎重工大阪工場で1974年7月に誕生していますので、今年で車齢40年です。新製配置は篠ノ井機関区ですが、すぐに東新潟、さらに北海道に異動となり、10年後東新潟に戻り、1986年から高崎にいるようです。わたらせ渓谷鉄道に出向していた期間もあるようです。

De10_1705_141018_4
DE10という機関車について拙Blogで触れるのは恐らく初めてであり、本当ならばその開発の経緯から振り返りたいところですが、実は今週後半に四国西条市の四国鉄道文化館を訪れる予定があるので、そこでDE10 1号機を見学した際にその辺をことをおさらいすることにして、今回は高崎のDE10 1500番台について軽く触れておこうと思います。

DE10形はローカル線の貨物・旅客列車牽引や入換用として1966年から1978年までに合計708両が製作され、
基本番台 1-158 SG付き
500番台  501-574 SG無し
900番台   901  重ヤード入換用 試作機 SG無し 量産車はDE11形に
1000番台 1001-1210  基本番台の出力向上タイプ(機関の設計変更)
1500番台 1501-1765  1000番台からSGを非搭載に
3000・3500番台 JR東日本の除雪用DE15をJR貨物が購入し改造したもの
       3000番台  DE15 1000番台 から
       3500番台  DE15 1500・2500・2550番台から 
と番台区分されています。

分割民営化の際にJR東日本には68両が継承され、高崎には1698号機と1705号機の2機が在籍しています。その他に首都圏で活躍するDE10はDE11とともに宇都宮運転所に集中配置され、大宮、田端、水戸、木更津などに常駐する形態となっています。

高崎の2機は「SLみなかみ」などの客車の入換作業がメインの業務となっており、本線走行の機会は殆ど無いようです。ですから1698号機はまだ見たことがありません。

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2014年12月13日 (土)

尾久車両センター公開 2014 その1 185系 A4編成 part2

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、最初に取り上げているのは185系基本番台で、今回はそのpart2として公開における展示車両(A4編成)の様子について触れようと思います。

構成は
    ←伊豆急下田                                 東京→
    クハ   モハ    サロ      サロ   モハ      モハ     クハ 
    185-7+184/185-15+Ts185-8+185-7+184/185-14+184/185-13+185-107

この編成構成は登場時から変わっていないのではないでしょうか。サハ185はこの10両編成には組み込まれておらず5両付属編成(C編成)に組み込まれています。車体長はクハが19,850mmで他の形式19,500mmよりも長くなっています。車体断面はそれまでの特急車両とは異なり、117系と同様となっています。

185_a4_141115
185系A4編成 南側、偶数向きのクハ185-7のHMは「踊り子」でした。

185_a4_141115_3
北側、奇数向きのクハ185-107のHMは「あかぎ」でした。

185系の場合、電気連結器が片渡りのため、偶数向きが0番台、奇数向きが100番台となっています。製造両数はそれぞれ15両でした。

車内は休憩所として開放されていましたが、かなり混雑していたので立ち入りませんでしたので。今回は床下、足回り関係のレポートになります。

185_a4_141115_2
185_a4_141115_2_2

付随台車はディスクブレーキ式で耐寒耐雪構造のTR69Hの側バリと枕バリを強化し、増粘着とフラット防止の機能を付加したTR69Kを履いています。

185_a4_141115_4
185_a4_141115_2_3
汚物処理装置は地上設備の関係で落成当初は準備工事状態でしたが、1982から1983年に循環式汚物処理装置が装備されました。モハ185には便所・洗面所の設備はありません。クハ185形およびサロ185形の便所は落成時は和式でしたが、1993年から1994年にかけて、奇数番号の8両は洋式に変更されました。

185_a4_cp_141115  
185_a4_cp_141115_2
ブレーキやドアの開閉にとって重要な圧搾空気を作る電動空気圧縮機(CP)は115系300番台以降の標準型となっているMH113B-C2000M (2000l)をモハ184形とサハ185形に搭載しています。

185_a4_mg_141115
最近の電車は静止形インバータ(SIV)を搭載している車両が多くなりましたが、185系の電動発電機(MG)は電車としては初めての電動機、発電機ともに三相同期機として交流化、完全ブラシレス化したDM106(190kVA)をモハ184に搭載しています。

185_a4_mg_141115_2
MG起動装置

185_a4_mg_141115_3
MG整流装置

そのために床下にはMG起動装置や整流装置の箱がぶら下がっています。

モハ185に搭載される主幹制御器は381系のCS43を改良した電動カム軸接触式のCS43Aです。またパンタグラフ(当初はPS16)もモハ185の前位車端部に設置しました。

主抵抗器は抑速ブレーキ使用に対応して容量を増大させた強制通風式のMR136、主電動機は特急型、近郊型車両で標準の直流直巻電動機 MT54D (定格120kW)を使用し、歯車比は近郊形電車と同じ17:82 (1:4.82) とし、加減速性能重視の設計となっています。そのため最高運転速度も110km/hとなっています。ブレーキは応荷重装置付き発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ(SELD)を採用しています。

185_a4_141115_7
電動台車は117系と同様の踏面片抱き式、空気バネ式のDT32Hです。

最後に普段目にしない中間連結器ですが、

185_a4_141115_5
このような感じでした。

以上、185系A4編成の床下主要機器について纏めてみました。

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2014年12月12日 (金)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 3 1070形 1080号機

今年8月10日に1974年9月以来、40年ぶりに京都の梅小路蒸気機関車館を訪問しました。今回からは形式別に保存機関車を紹介したく思います。

まずは1070形式1080号機です。保存状態は静態保存です。
1080_140810 1070形 1080号機 2014./8/10 梅小路蒸気機関車館

1901年にイギリスのダブス社で製造されており、日本に135両、輸入されました。明治を代表する蒸気機関車だったそうですが、現存するのはこの機のみです。
当時はD9形651号機というテンダー形式で東海道本線などで急行列車の牽引機として活躍しましたが、1926年に浜松工場でタンク機関車に改造されたそうです。改造後は地方線区や入れ換え用として活躍しました。

1080_140810_2
1080_140810_4 イギリススタイルというのか、アメリカの蒸機とは少し異なるスタイルをしています。

1940年に日鉄鉱業株式会社に譲渡され、新潟や栃木の鉱山でドロマイト運ぶ貨物列車の牽引機として活躍し、1979年に引退しました。引退後は栃木事業所で大切に保存され、2009年に譲渡され、梅小路入りしました。
1080_140810_3 形式名の入った赤色バックのプレート

仕様
全長 11.3m
重量 48.0t
動輪直径 1520mm
スポーク動輪2軸
最大出力 434ps
最高運転速度 85km/h

1080_140810_5 前照灯は運転のたびにカンテラのようなものを引っ掛けたのでしょうか。

運転席は今の標準形とは異なり、右側に設置されています。
前回の訪問時、1974年当時はまだ現役で活躍していたということで、今回初めての出会いとなりました。

1080_140810_7
キャブサイドにはこういった表記もありました。

ちなみにこの機関車の製造会社のダブス社(Dübs and Company)はヘンリー・ダブスが1863年に設立したグラスゴーに所在した会社ですが、1903年にシャープ・スチュアート社、ニールソン社と合併して、ヨーロッパ最大の機関車メーカー、ノース・ブリティッシュ・ロコモティブとなりました。

同社は蒸機機関車からディーゼル、電気機関車へと展開し、イギリス本国のみならすオーストラリア、マレーシア、ニュージーランド、南アフリカ向けの機関車も製造しました。しかし、大量発注を見越した赤字納入などのせんりゃくに失敗し、保証期間中の設計修正要求や技術的欠陥の露呈などが祟って1962年4月19日に倒産に至りました。

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2014年12月11日 (木)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング17 ORDのATS

2014年7月のアメリカ出張でのシカゴ・オヘア空港、ニューアークリバティ空港でのスポッティングシリーズ、今回からは飛行機の話題ではなく、空港内の連絡シャトル鉄道の話題です。

まず、今回はシカゴ・オヘア空港のATS (Airport Transit System)を紹介いたします。

Inter_terminal_shattle_140722_ord
Term 5を出発したATSからのショット 2014/7/22

アメリカの多くの空港では入国管理施設の関係から国際線の到着便はInternational Terminalに到着し、出発便はそのまま航空会社別のターミナルから出発する場合が多いようで、今回のANA便でもシカゴ到着は国際線ターミナルのTerm 5でした。

Terminalplan_010727_ord
些か古い写真ですが、今も基本的には同じかと思いますが、シカゴ・オヘア空港のターミナルの位置関係を示した案内板です。 2001/7/27

黄土色の5番が国際線ターミナルでその右側に4はなくて3,2,1とターミナルがあり、それぞれのターミナルにコンコースがあります。ターミナルの根元を結んでいる細い赤い線がATSです。

Inter_terminal_shattle_140722_ord2
ホームでは車両の写真が撮れないので走行中にトライしましたが、結構速度が速くてこんな写真しか撮れていません。

このATSはフランスのMatra (Mécanique Aviation TRAction)社によって1億2線7百万ドルかけて建設された無人のシステムで竣工は1993年で5月6日に開業しました。Matra社はフランスのレーシングカーや自転車の製造会社として有名です。1,2,3,5のターミナルとRemote Parkingの4.3kmを結んでおり、24時間休まず走行しており、乗客の運搬能力は1時間に2400人です。そして乗り降りは自由、料金はかかりません。

両端のターミナル1駅からRemote Parking駅までを約9分で結んでおり、速度は26mph (41.6km/h) です。各駅ではホームのドアと車両のドアが完全にシンクロナイズして開閉されるので、乗客がホームから転落したり、進入禁止の場所に入り込むことを防いでいます。おかげで車両の写真を写すこともかなり難しいのですが・・・。

Inter_terminal_shattle_140722_ord4

車内の様子 座席は殆どなく、短時間乗車なので殆ど立ち席です。

フランスの技術で建造されているため、車両のシステムもVAL(Véhicule Automatique Léger)のゴムタイア方式の駆動システムが用いられています。フランスでは1983年4月25日開業したLille metroが最初のVALシステムでしたが、Paris Orlival, Toulouse Metro, Rennes Mero, Paris CDGVALと適用されて行き、国外ではシカゴ・オヘア空港のATSが最初の適用例となっています。

車両は幅が2.56mであることから256-type vehicleと呼ばれており、シカゴ空港では13両最初に導入し、後に2両、フロリダ州ジャクソンビルの JTA Skywayから購入したそうです。

Tunnel_b_to_c_140722_ord2
本題とは関係ありませんが、Term1のコンコースBとCを結ぶトンネル  初めて見たときはきれいだなと思いましたが、何度も見ているとまだ同じなのと思うのが人間の心理というものでしょうか。

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2014年12月10日 (水)

西武新101系 その7 時は流れて 2連編 その4 近江鉄道900形

西武では廃車になったものの、新たな鉄道で現在も頑張っている新101系2連の話題、今回は近江鉄道の900形電車(モハ901ーモハ1901:淡海(おうみ)号)の話題です。

901f_140809
八日市の中線で休む900形編成 2014/8/9

2008年12月29日付けで廃車された269Fを受け入れ、彦根工場で改造しました。近江鉄道における新車導入は1999年11月800系以来のこととなりました。

導入時の改造項目は
・ワンマン運転対応改造
・HSC電磁直通ブレーキからHRD-1電気指令ブレーキへ改造
・行先表示器の発光ダイオード (LED) 化
・客用扉の開閉時に鳴動するドアチャイムの新設
・手すりやつり革の黄色塗装化
・優先席のクロスシート化
・バリアフリー対応改造
など多岐に及びました。
そして塗色は琵琶湖をイメージしたダークブルー地にローズピンクの帯を配しました。客用扉下部にはイルカのイラストが描かれました。

1901_140811
米原に接近する900形電車 2014/8/.11

2013年6月14日から臨時列車として運用を開始し、15,16日は近江鉄道ミュージアムでの一般公開を経て、17日から通常の営業列車として多賀線を除く全線で運用を開始したそうです。現在は高宮駅のホーム工事も終了し、全線で運用されているとのことです。

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2014年12月 9日 (火)

1989年のDüsseldorf Airport その22 Hapag-Lloydの737-400

最近、週末毎にどこかのイベントに出かけている関係で従来からのシリーズ記事の間隔が伸びていますが、今回は 1989年の西ドイツDuesseldorf空港で撮影した旅客機のシリーズです。

Dahlj_cn_24125_1687_boeing_7374k5_8
D-AHLJ cn 24125 ln 1687 Boeing 737-4K5 1989/5/5 DUS

前回のHapag-Lloyd機は「よど号ハイジャック事件」で有名になった日本国内航空からJALにリースされたBoeing 727-89話題でしたが、今回は737-400シリーズです。

-400シリーズは-300の胴体を33.4mから36.4m(110ftから120ft)に延長し、最大離陸重量を56.473kgから62,823kgに増加させたシリーズで、定員も149名から170名に増えています。Boeing社の旅客機は依然としてヤードポンド法の単位系のため、メートルで表すとわかりにくい数字になりますが、ftで示すとキリの良い数字になりますね。

1986年6月にシリーズの開発がアナウンスされ、1988年2月19日に初飛行しています。7ヶ月間500時間に及ぶ試験飛行の後、10月からキックオフカスタマーで、25機発注したPiedmont Airlinesが就航させています。1989年当時には最新鋭機だったことになります。そして486機目の最後の-400シリーズ、737クラッシックシリーズとしても最終機は2000年2月25日CSA Czech Airlinesに納入されました。

貨物タイプの-400FはBoeingが発表したモデルではありませんが、Alaska Airlinesが同社が保有する-400シリーズ一機を改造しました。10個のパレットを輸送する能力があります。さらに客貨混載タイプcombi形への改造も5機行っており、これらは現役で活躍しています。
我が国でもJALDouglas DC-8以来の単通路機として導入し、導入月にちなんだ花の名前を付け、「フラワージェット」として親しまれていました。後にJALエクスプレスに移管されました。
アメリカ以外ではマレーシア航空が最大時54機も22年間に渡って運用し続けていましたが、今年6月14日をもって後継の-800シリーズへの置き換えが終了しました。

1
表1 Hapag-Lloydの Boeing 737-400 Fleet list (Planespotters.netから)

Hapag-Lloydは表1にあるように12機の737-400シリーズを運航していました。このうちの3機は後年JTAが購入し、JAレジを付けて日本の空で活躍しました。

2
表2 D-AHLJ Boeing737-4K5 cn24125のその後

写真で紹介したD-AHLJですが、Airliners.netなどで検索すると1988年頃まではAirbus A300B4-2C (cn 169)に付与されていたレジだったようです。737-4K5の方は2002年にHapag-Lloydを離れ、ヨーロッパ各国の航空会社で働いた後、現在はタンパでストア状態のようです。

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2014年12月 8日 (月)

奥久慈清流ライン号を撮りに水郡線へ

12月7日日曜日は先週に引き続いて2週連続になりますが、水郡線沿線を訪問し、DL・SL奥久慈清流ライン号を撮って来ました。

11月30日はときわ路パスを使って行きましたが、今回はいろいろな撮影ポイントを試したかったので、自宅からクルマで参りました。
午前7時少し前に出て、常磐道桜土浦インターから那珂インターまで高速、そこからは国道118号をひたすら北上しました。

141207
水郡線の好撮影地 久慈川橋梁 下小川~西金間 2014/12/7

まず最初に目指したポイントは下小川と西金の間で久慈川を渡る鉄橋です。クルマで
出かける場合いつも気になるのは駐車場ですが、試運転の際の情報ではここはかなり混雑しているとのことで様子見がてら通過してみるとそれほどではない様子でしたので、まず下小川駅によってから、現地へ。
E13111_7_141207
下小川駅では先週乗車した水戸7:28発の327Dと郡山6:06発の320Dの交換のタイミングでした。

Dl_1411207
DL奥久慈清流ライン号 141207 下小川~西金

待つこと10分弱、8時52分頃、DLの汽笛とSLの汽笛とが静寂な山間に響き渡る様にして汽車の接近を知らせ、トンネル側からDE10 1697に牽引された「DL奥久慈清流ライン号」が鉄橋上に姿を現しました。ただ、DLと14系4両でほぼ鉄橋上は一杯になってしまい、SLは陰に隠れる形になりました。

Dl_1411207_2 C61の方も自己の存在を示すように汽笛を吹鳴し、その白煙がたなびいていました。

141207_2

E131e132e130x2_141207
続いて立ち寄ったのが下小川~中舟生間の久慈川の対岸、118号線との間にある家和楽農村公園でした。ここもGoogle Earthによる事前調査で目を付けていた場所で川向こうの築堤を列車が走る構図が撮れる場所でした。

そして、最後 SL奥久慈清流ライン号を撮る場所として決めたのは玉川村駅を出発してすぐのカーブでした。

De10_1697_141207
まず12:33に通過する先行DL単機を撮影し、

C61_20_sl_141207
C61_20_sl_141207_2
C61_20_sl_141207_3
C61_20_sl_141207_4
C61_20_sl_141207_5
13:19頃、交換待ち停車の玉川村駅を発車し、若干の上り勾配のため、たっぷりと煙を出してくれました。線路がカーブしているため、正面からサイドに写真が撮れる好撮影地でした。

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2014年12月 7日 (日)

四方津を再訪 その1 189系 M52編成 グレードアップあずさ塗色を撮る

関東地方は日没時刻の最早週が過ぎ、これからは日の入りは遅くなって行くようですが、寒さの方はこれからが本番のようですね。

既に各所で話題になっているように11月から大宮入りしていた豊田車両センターの189系M52編成が1990年代の「グレードアップあずさ色」に塗り替えられ12月2日出場しました。

その最初の営業運行として、189系で行く中央線の旅12月6日に開催され、立川~松本間を往復し、往路は旧線辰野駅経由で運転されるとのことだったので、昨年6月に訪れた四方津のポイントで狙うことにしました。

ちなみに豊田車両センターのM52編成は、元大宮の
H102編成
クハ189 モハ189/188 モハ189/188 モハ189/188 モハ189/188 クハ189
  509         19                  21                 38                 41            11
2013年8月29日に長野総合車両センターに回送され、モハユニット19, 21を編成から外し、6両編成化し、9月2日に豊田車輌センターに回送され、M52編成と名乗ったものです。

今回の塗装変更が編成異動後わずか1年2ヶ月で行われるとは思わなかったものですから、国鉄色時代のM52編成は撮り逃がしてしまいました。

M52編成
クハ189 モハ189-188 モハ189-188 クハ189
  509             38                 41            11

183_m52_gu_141206_3
183_m52_gu_141206_10
183_m52_gu_141206_15
183_m52_gu_141206_16
183_m52_gu_141206_18
183_m52_gu_141206_21
183_m52_gu_141206_25
9時42分頃、四方津駅に接近し通過する189系M52編成 団体臨時列車 2014/12/6

JR移行後、高速バスとの熾烈な競争時代となりJR東日本は1987年から1989年にかけて「あずさ」用9両編成8本(当時のM1~M8編成)のグレードアップを行いました。

Gu1989 表1 松本運転所 「あずさ」グレードアップ編成 1989年

その内容は
・外部塗装の変更
・座席部分の床を170mm嵩上げしてセミハイデッキ化
・窓を100mm上方へ拡大し内窓キセをFRP製に変更
・座席の交換
普通車は背面テーブル付リクライニングシートへ取り替えてシートピッチを910mmから960mmまたは970mmに拡大(定員は各車両4名減)
グリーン車はシートピッチはそのままにC席を独立させた1+2配置の3列式とし従来より座面横幅の広いシートに交換(定員36名に変更)
・荷棚は100系新幹線と同型の読書灯付
・仕切ドアを自動ドアに改造し上部に案内表示器を設置
・グリーン車に当初は百円硬貨専用→テレホンカード式の公衆電話を新設
・グリーン車のトイレ・洗面所をリニューアル
・車内チャイムを変更
すべて指定席車を対象にした変更で、自由席車は外部塗装を変更して座席表地のモケットとカーテンを指定席車と同色のものにした変更に留まりました。「あずさ」は4号車指定席を閑散期には自由席で運用することもあったため該当車は、指定席改造のほか座席取付部にレールを設置しシートピッチを変更可能にしました。
(以上、グレードアップ内容に関してはWikipediaの記述を参考にしました)

1990年代は鉄道よりもむしろ旅客機の時代だったもので、この塗色は雑誌の写真では何度も見ていましたが、実物を見て撮影するのは初めてでした。

今回はほぼ同じ時間帯にM50,M51,M52編成が相次いで四方津を通過し、さらに本日、豊田車輌センターの115系は最終運用だったこともあり、スカ色115系(長ナノのC1以外)は引退となるため多くのファンが駆けつけていました。四方津での撮影内容は数回に渡ってレポートする予定です。

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2014年12月 6日 (土)

通勤電車シリーズ 103系 16 京浜東北線にも高運転台クハ登場

通勤電車103系シリーズ、今回は山手線同様にATC化が決定された京浜東北線へのATC準備工事クハ投入の話題です。

103
京浜東北線にも登場した高運転台クハ103先頭の編成 スカイブルーに見えない色ですが・・・ 川崎

京浜東北線における旧形車(72・73系)の駆逐は1970年10月1日のダイヤ改正による中央線快速、中央線緩行・総武線のスピードアップと予備車捻出による101系10連5本の投入、さらに1971年4月20日の常磐線複々線化による常磐線快速の10連から8連への減車による転入、さらに山手線のスピードアップと予備車の見直しによる40両転入により、純103系ではない形で達成されました。

103_2
高運転台クハが登場するまでは大船方、片渡りのクハ103-500番台、 大宮方、クモハ103で7+3の分割編成が京浜東北線103系の標準的なスタイルでした。 上野

1973年1~3月には4月の根岸線開業に向けて、60両が増備されましたが、その内訳はクハ103-180以降の非冷房で側窓がユニット窓化されたタイプの中間車20両 
(モハ103-373~382, モハ102-529~538) と、山手線からの非冷房車40両でした。これらの投入で完全10両化は達成されました。

103_811220 1981/2/20 王子 

そして同年10月の成田線我孫子~成田間電化で新製冷房車1本が山手線に投入され、非冷房車が京浜東北線に転入し、さらに京浜東北線から常磐線に電化で必要な車両が転属しました。

103_820214
1982/2/14 日暮里

ここまで全く冷房車に縁が無かった京浜東北線に初めて冷房車が投入されたのが1974年5月からでした。ATC準備工事対応のクハ先頭の新製車が60両投入され、横浜線新性能化他、他線区に向けてクモハ103の転出が開始されました。

昭和48年度第2次債務予算
クハ103-317~336 モハ103-461~476 モハ102-617~632 サハ103-373~380

これらは全て浦和区に新製配置されました。

1975年秋から1976年春にかけて南武線、阪和線新性能化、小金線(武蔵野線新松戸~西船橋)開業用、大阪環状線増強用に63両新製投入され、非冷房車が阪和線、大阪環状線に転出、101系30両も南武線、小金線に転出しました。大阪環状線から捻出された101系で片町線が新性能化されました(2018.2安田様のご指摘で追記)。
1976年夏から1978年夏にかけて388両が投入され、非冷房車は青梅・五日市線、中央西線、常磐線快速(成田空港関係)、中央快速線に転出し、ここで漸く完全103系化が達成されました。

昭和49年度第3次債務予算
クハ103-359~366 モハ103-500~506 モハ102-656~662 サハ103-393~410
昭和50年度本予算車
クハ103-367~372/383~386/393/394 モハ103-507~512/522~525/532/533 モハ102-663~668/678~681/688/689 サハ103-411~416/421/422/428
昭和50年度第3次債務予算
クハ103-395~436 モハ103-534~568 モハ102-690~724
昭和51年度本予算車
クハ103-437~444/465~470/491/492/705/707~710/712 モハ103-569~576/594~601/620~622/631~636 モハ102-725~732/750~757/776~778/787~792 サハ103-429~431/443
昭和51年度第1次債務予算
クハ103-445~460/462/464/471~490/493~499/702/704/706/711/713~720/722~724 モハ103-577~593/602~619/623~630/637~647 モハ102-733~749/758~775/779~786/793~803 サハ103-432~442/444~446
昭和52年度第1次債務予算
クハ103-701/703/721/723/730~736(even) モハ103-651~658 モハ102-807~814

このシリーズ、次回は京浜東北線の103系の転入で新性能化が進んだ横浜線の話題です。

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2014年12月 5日 (金)

西武 トレインフェスティバル2014 in 横瀬 2 旧101系 part1

2014年11月8日の西武トレインフェスティバル in 横瀬のレポート、第二回は2月の大雪でエアコンキセ等に大きな損傷の見られた旧101系保存車両です。

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横瀬基地に単体で保存されているクハ1224 2014/11/8 横瀬

旧101系については拙Blogにおいて2014年5月11日の記事から6月23日の記事で触れました。part1では横瀬に保存中のクハ1224について触れ、part2では東村山の美住グリーンタウンに車体のみが保存されているクハ1150に触れようと思います。

保存されているクハ1224を含む223F1976年8月5日、昭和51年度上半期の最後の101系4連最終グループ(8次車:211F~225F)として所沢車両工場で製造されました。現在は主流になりましたが、モハ218 220, 222, 224の4両にはMGに代わってSIVが装備されました。

新2000系が登場した1988年に車体内外のリフレッシュ、特別修繕工事が実施されました。その内容は
・化粧板を新2000系に準じたものに交換
・座席のモケットの赤系オレンジへの変更
・座面と背もたれの間にFRP成形物を入れたタイプの座席への変更
などでした。
CPもAK-3からHB-2000に交換され、前面乗務員室通風口の室外側も撤去されました。客室ドアの窓支持方式も黒色Hゴムから701系の廃車発生品金具押さえに変更されました。

1224_141108_0
エアコンキセ以外、車体には大きな傷はないようです。

1996年4月、多摩川線でワンマン運転が開始されるのに際して、ワンマン運転対応工事がなされ、甲種回送に対応する工事も行われ、多摩川線の701系、401系を置き換えました。

ワンマン対応工事の内容は
・車内に非常通報器を設置。
・自動放送装置ならびドアを閉める際の注意喚起放送装置の搭載。
・運転台にマイクを設置。
・マスコンハンドルをデッドマン装置付きのものに交換。それに伴う抑速ブレーキの機能停止。
・電気連結器の撤去。
でした。

多摩川線用には5本改造、4本を通常配置し、本線に残った1本と検査などの際に武蔵野線を介した編成の入れ替えが行われていましたが、1999年からJR中央線武蔵境駅高架工事が開始されJR線との連絡が絶たれてからは217F-223Fの4本に固定され、検査時には主要機器をトラックで武蔵丘車両研修場まで陸送し、台車交換を白糸台車両基地で行うことになりました。

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車体にはこういった表示がありましたが、住友金属工業のFS372/072台車など101系を特徴付けるパーツはきれいに維持されています。

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多摩川線での最晩年時代の223F 手前がクハ1224 2010/1/10 白糸台

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多摩川線武蔵境駅ホームから是政方面の風景 JRへ渡り線が見える 2014/9/27

2010年武蔵境駅の高架化が完了し、車両の入れ替えが復活し、ワンマン化改造が実施された新101系4編成が投入され、223Fは11月に小手指車両基地に回送され、さらに横瀬基地で解体となりました。223Fは横瀬に回送される前に小平、小川、東村山の三角線ルートを利用して方向転換が行われました。223Fの廃車をもって旧101系は全廃となりました。

2011年10月の「西武トレインフェスティバル in 横瀬」で公開されたされた際にクハ1224は登場当時のイエローとウォームグレーの2色塗装となりました。

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2014年12月 4日 (木)

公園保存蒸機 D51 385 鎌ヶ谷市制記念公園

日本全国の公園等に保存されている蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は鎌ヶ谷市政記念公園に保存されているD51385号機です。

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鎌ヶ谷市政記念公園に屋根付きで保存されているD51385号機 2014/5/10

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前照灯がシールドビームタイプに交換されているので多少「眠そうな」感じです。

この機関車は一見して、いくつかの形態的特徴を持った機関車です。それはその履歴とも大きく関係していると思いますので、まずは沖田祐作氏の機関車表のデータをお示ししようと思います。

D51385     日本車輌名古屋工場=760           1939-11-13 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1939-11-13 製造→ 納入;国鉄;D51385→ 配属;新潟局→1939-11-13 竣工→
      配置[新鉄達974];新潟局→1946-08-17 現在;吹田操車場より宇野駅宛毀損機関車として
      三井造船玉野工場迄の回送記録がある(大鉄局報)→1946-12-31 現在;吹田→
      1947-10-00 現在;吹田→1955-08-01 現在;吹田→1955-10-10 平→
      1957-12-26 炭水車交換(D511024 のものに交換)→1958-04-11 水戸→
      1963-09-11 平→1965-03-28 下関→1968-04-01 現在;下関→ 長門→
      1973-10-25 廃車;長門→ 保存;千葉県鎌ケ谷市「市政記念公園」;D51385

形態的特徴のひとつはエンドビームの埋込式標識灯です。これは1965年3月28日に平から下関に転属していますが、この後、広島工場に入場することになり、広島工場特異的な改造がなされたのではと思います。広島工場特有のスタイルとして円筒形のボイラーと車体をつなぐエプロンがハの字をしていることですが、385号機は垂直タイプとなっています。

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もうひとつは炭水車です。台車の形態からしてこの台車はD52などで見られる戦時形の蒸気機関車によく見られるタイプですが、上記の履歴でも
1957-12-26 炭水車交換(D511024 のものに交換) とあります。車輪もスポークタイプではなくボックスタイプとなっています。まさにD52の炭水車(例 136号機)とよく似ています。

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炭水車自身の形態もいわゆる舟底テンダーと呼ばれる形態をしています。

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砂管は写真の様なパターンです。

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主連棒のビッグエンドは長方形タイプです。

D51_385_140510
こちらの説明板に展示の経緯が書かれています。

機関車の横にはSNJ6209号 海上自衛隊の練習機も展示されておりました。次回はそちらに触れます。

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2014年12月 3日 (水)

通勤電車シリーズ E231系500番台 502編成 山手線命名100周年

首都圏を走るJR東日本の通勤電車の一編成にスポットを当てて、これまでの活躍の様子を振り替えるシリーズ、今回は2009年9月7日から12月14日にかけて走った「山手線100周年記念電車」とそのためにラッピングを施されたトウ502編成の誕生以来の活躍です。

E231系500番台2002年1月頃から落成し、それまで山手線に投入されていた205系編成を置き換えて行きました。205系の車齢からすればまだ置き換えには早かったのですが、103系時代に導入された保安装置ATC-6が老朽化しており、新システムD-ATCの導入が決定し、車両側の機器更新も求められていたので、D-ATCの導入に先駆け、車両も新しくしてしまおうということで一気に置き換えられたとのことです。

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登場した頃の502編成 快適・省エネをアピールするステッカーが前面に貼られていました。 2002/4/27 恵比寿

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外回り21G 運用を田町で 2002/4/27

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山手線命名100周年 ラッピング編成 2009/10/4 秋葉原

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同上

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同上

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周回後の西日暮里 2009/10/4

502編成のラッピングは明治製菓の協力で行われたため、旧形国電の雰囲気とチョコレートの雰囲気を出したもので、現在走っている東京駅赤煉瓦100周年ラッピングのように煉瓦模様はなく、茶色一色でした。側面の写真は生憎撮ってはいませんが、車体番号の表記は国鉄の書体に準じたものだったようです。

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2013/2/24 原宿

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2014/10/25 西日暮里 73G運用

E231系500番台は1次から4次まで分けて製造されており、トウ501~503編成は2001年度製造(2002年1~2月落成)の1次車に属します。504編成以降(第2次車以降)は5号車にSIVを搭載していますが、501~503編成は搭載されていません。

余談ですが、トウ520編成が総武・中央緩行線に転属し、A520編成として試運転等を行っていましたが、昨日12月2日から本格的に運用に投入されたようですね。

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2014年12月 2日 (火)

速報 水郡線営業所公開

2014年11月30日は、水郡線営業所公開に行ってきました。

141130 水戸駅に掲示されていた今回のイベントのポスター 2014/11/30

水郡線営業所は常陸大子駅に隣接してあり、つくばから片道3時間の長旅ですが行って参りました。

荒川沖 6:08 1321M  水戸 6:58
水戸 7:28      327D   常陸大子 8:50

今回の公開は今年が水郡線開業80周年であり、12月5日から7日にかけてC6120号機が水戸から常陸大子まで「SL奥久慈清流ライン号」として運転されることもあり、一連の80周年イベントの一環として開催されました。

常陸大子駅は9月6日の郡山車両基地の公開の際にも水戸発郡山行き327Dの停車時間に駅前に静態保存されているC12187号機を撮影するため途中下車していますが、今回はそれに続いてのこととなりました。

乗車券は、ときわ路パスを利用したため、荒川沖から2150円で往復と随分得をしました(通常の切符なら片道で1940円)。

C61_20_141130_2
C61 20号機を間近で見ることが出来る展示でした。 キャブの横には家庭用石炭が置いてありました。

まずはなんといっても今回のイベントの主役は高崎車両センターから12系客車とともにやってきたC6120号機です。

De10_1604_141130_3
DE10 1604号機 この機関車は宇都宮所属ですが、水戸常駐機ですね。

そして、常陸大子から水戸まで往路の牽引を担当するDE10 1604号機

12_141130
12系客車 4連

12系客車4両は休憩所となっており、今回は私も中を覗いてみました。

12_1_141130
オヤ12 1 は転車台上に

さらにSL伴走用のオヤ12 1も随行しており、こちらは1両だけ転車台上にありました。

141130_2
141130_3
常陸大子まで、水戸からとおそらく、郡山からお客さんを運んで来た、DC 「ビューコースター風っこ」と「青池」改め「クルージングトレイン」も続々到着し、展示されていました。

Dsc02187
今回の展示でユニークだったのは東鉄工業のマルチプルタイタンパーの内部も公開されていたことで、外観だけでなく運転席に座って操作パネルの状態等を見学することも可能でした。

11:23発の水戸行きで帰途につきましたが、ときわ路パスは、鹿島臨海鉄道、ひたちなか海浜鉄道などにも乗車可能なので、水戸から鹿島臨海鉄道で新鉾田まで往復し、家路につきました。

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2014年12月 1日 (月)

東海道新幹線開業から50年 その6 博多開業以降、1979年頃まで

1975年3月10日、東海道・山陽新幹線はついに博多まで開業しました。

0_791218 0系 小窓車 1979/12/18 博多駅

1964年9月末の東海道新幹線開業に伴う東海道特急全廃のタイミングでは、まだ東京駅にひとりでゆくことすらしなかった時代で、151系特急が消えて行く様は見ることも出来ませんでした。1975年3月は大学1年、鉄道写真を始めて3年目の頃で、今回こそは、この歴史的転換をきちんと記録をしておこうと思い、教養課程Ⅱ学期(冬学期)の試験が終了した後の3月10日までの間で、消えゆく山陽・九州特急を記録する旅を計画しました。それが、拙blogの2012年11月3日からの「関門へ・・・」の一連の記事に纏めた内容でした。

この改正で新幹線のダイヤは5-5ダイヤになり、原則的に12分間隔となりましたが、東京駅のホーム転用工事が間に合わず、時間帯によっては24分の空白時間が生じるダイヤでした。7月18日15番線が完成し、1976年7月1日の長崎・佐世保線電化完成に合わせた東海道・山陽新幹線ダイヤ改正が行われました。

14_741215
1975年3月のダイヤ改正で廃止された14系「あさかぜ2/3号」 客車の向こうに転用中の15番線ホームが見えます。 1974/12/15 東京

このダイヤ改正で
・新大阪以西が各駅停車の広島行き 「Bひかり」が1時間に1本新設
・博多行き「Aひかり」は広島以西が各駅停車に、これにより所要時間が7時間48分から7時間31分に短縮
「Wひかり」と併せて、博多以西への乗り継ぎも改善され、鹿児島が日着圏になりました。
・東京~新大阪間の「ひかり」1往復が新横浜、静岡、米原停車となりました。

この頃の国鉄財政はかなり悪化しており、経営破綻寸前の状態でした。累積赤字解決策として、1976年11月6日に運賃値上げが行われ、運賃、料金とも約50%の値上げとなり、新幹線普通車指定席で東京~大阪間、5510円から8300円に、東京~博多間は9010円から14000円となりました。オイルショック以降の経済低迷期、さらに航空機、自動車の急速な普及で1975年度、61%だった対航空機の国鉄のシェアは、38%までに落ち込みました。

国鉄全体の旅客シェアも20%台となり、1980年4月までに三度の運賃・料金値上げをしたことが追い打ちをかけ、大幅な減量経営を強いられる事態となりました。1980年10月1日改正では、1974年度のピーク時に較べて20%減となった乗客数に応じて、列車運転本数を削減を行いました。利用率の低い「こだま」の削減を行い、その補完で、「ひかり」が熱海と三島の2駅を除く全駅に停車するようになりました。

開業時の1日の運転本数は60往復でしたが、1965年11月には110本、1972年3月には215本と増加し、さらに210km/hの高速運転で車両や路盤への負担は予想以上にかかり、老朽化について検討する必要性が出て来たのがこの頃でした。施設の点検は列車運行休止時間帯の深夜0時から早朝6時までに行われてきましたが、夜間の限られた時間では補修作業が間に合わなくなり、1974年12月11日から1975年2月19日にかけて4回の「臨時総点検」が行われるようになりました。いわゆる、始発から昼まで半日運転(東京~新大阪間)を休んで、徹底的な軌道、架線、設備の点検を行う設定でした。さらに1976年2月25日から1982年1月27日までにも44回に亘って「東海道新幹線若返り工事」が実施されました。

これ以降は深夜時間帯のみで対応できる新しい工法や部材の開発で列車を運休しての工事は行われなくなりました。2013年からは10年計画でトンネル、橋梁などの大規模改修工事が深夜時間帯に行われています。

車両の方は、0系初期車の置き換えに小窓の1000番台車両が登場しました。

22 第22次車として増備された車両 27形、36形の増備はこれで最後になりました。

機構的には以下のような変更がありました。

座席指定表示器の字幕化
発電ブレーキの下限速度の変更(50km/h→30km/h)
主制御器をステップ数を増加したCS46に変更
主抵抗器をMR201に変更
台車を台車枠材質を変更したDT200Aに変更
WN継手をQD251に変更
スカート内部の排障器の材質を鋼製からアルミ製に変更

37_2 1000番台車の登場と37形ビュフェ車組み込み編成

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ビュフェの部分が縮小され小窓が5枚の37形1000番台 品川

なかでも9号車用に新形式のビュフェ車37形が登場した点が特筆すべき点かと思います。編成番号も、すべて1000番台車で構成される編成(今回は97~99)はN編成、H編成の先頭車が1000番台に置き換えられた編成はNH(Hは小さく)編成、中間車のみ1000番台となったものは従来と同じとなりました。この増備で、1次車99両が初の廃車となり、浜松工場で順次解体されました。

23 第23次車として増備された車両

23次車では客室内に新幹線車両で初の広告枠が取り付けられ、新聞記事にも「聖域がついに」といった記事があったのを思い出します。

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25 第24次25次車として増備された車両

25次車の増備で1・2次車は全て引退となり、H1~H30編成はNH編成となりました。

26 第26次車として増備された車両

26次車では3~5次車が置き換えられました。1979年3月のダイヤ改正で「こだま」1~8号車が自由席となるため、ビュフェ車2両を含む7編成の変則編成の5・6号車ユニットと9・10号車ユニットの交換も行われました。37形1000番台はビュッフェ部分が狭かったため、27次車からはビュッフェ部分を拡張した1500番台になり、側窓の数も6枚になりました。

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