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2015年1月30日 (金)

東海道新幹線開業から50年 その9 100系量産車 X G V編成

東海道新幹線開業からの50年間を車両別に振り返って来ましたが、今回は100系量産車の話題です。

100_g1_860816_3
後にX1編成と改称される暫定G1 12両編成 1986/8/16

100系の編成は16両編成時代はおなじ12M4TでもX編成G編成のように両端先頭車と中間2階建て車2両が付随車の編成と、V編成のように2階建て車を4両として中間車のみを付随車にした編成がありました。

←博多

X編成

Tc-M'-M-M'-M-M'-M5-T'dd-Tsd-M's-M7-M'-M-M'-M-T'c
M's 116形 Tc/T'c 123/124形 M/M' 125/126形 T'dd 168形 Tsd 149形

G編成
Tc-M'-M-M'-M-M'-M5-T'sbd-Tsd-M's-M7-M'-M-M'-M-T'c
T'sdd 148形

V編成
Mc-M'-M-M'-M8-M'-Tsd-T'dd-Tsd-T'sd-M7-M'-M-M'-M-M'c
Mc/M'c 121/122形は3000番台のみ Tsd/T'sd 179/178形 その他の中間車は3000番台

量産車は最初、2階建て車両を含まない12両編成(暫定G編成G1~G4)が1986年から投入され、6月13日から「こだま」運用に投入されました。これが1次車で、2次車として中間車のみの12両が組み込まれ16両化され、編成番号もX2~X5に変更されました。1987年3月に3次車としてさらに2本(X6, X7)が追加され、X編成の増備は終わりました。

100_g1_860816_2
試作車と較べて前照灯は水平になり、イメージが変わりました。

試作車X0→X1編成では0系後期車と同じ小窓を採用しましたが、量産車からは0系0番台のような大窓に戻りました。窓ガラスの厚さを構成を見直して、強度をアップさせました。

116形は平屋のグリーン車で博多寄りに車掌室を持ち、パンタ、主変圧器、整流装置、CPなどが搭載されていましたが、1991年にパンタ半減工事でパンタは撤去されました。

125形基本番台、500番台、700番台が登場し、500番台は業務用室、多目的室、電話室が追加され、700番台は車販準備室、車椅子対応設備、多目的室が追加されました。

168形は2階建て食堂車で、1階部分が厨房と売店、通路に2階に食堂が設置されました。X編成と後述のV編成では外観は同じものの内装は大きく異なりました。1階から2階に料理を運ぶエレベータも設置されました。

148形は後述のように東京~新大阪間の短時間運転向きにグリーン席とカフェテリアを併設した2階建て中間付随車で、G編成の8号車に組み込まれました。

149形はグリーン席を備える2階建て中間付随車で、1階にグリーン個室、2階にグリーン席が設置され、X,G編成の9号車として使用されました。G1~G3編成では当初、0番台が組み込まれておりました。

X編成は東京~博多間の「ひかり」運用に集中的に投入されたため、走行距離が伸び、検査周期もかなり短かったそうです。1998年10月2日を最後にひかり運用から撤退し、食堂車の営業も終了となり、東海道区間のこだま運用に就くようになり、1999年8月から2000年11月にかけて全車廃車となりました。

100_g1_860816
登場当初は平屋だけの12両編成で「こだま」運用に就いていました。窓は大窓に。

G編成は分割民営化後、JR東海が増備した編成で、X編成に続く4次車として3編成が製造されました。通称100’系とも呼ばれました。

8号車の食堂車が168形からカフェテリア・グリーン合造車148形に変更されました。後に5次車と9号車の149形の個室配置を統一する改造が行われ、149-7,8,9149-101, 102, 103と改番されました。

149形 0番台 グリーン個室は1人用5室、2人用3室、3人用1室
   100番台   グリーン個室は1人用3室、2人用3室、3人用1室、4人用1室

1993年春に関西に家族旅行した際に、こどもが小さかったこともあってこの149形のグリーン2人個室を利用しました。室内からインターホンでアイスクリームを注文して配達して貰ったのを憶えています。

5次車  G4-G15編成 1988年12月から1989年3月
6次車  G16-G20編成 1989年4月から9月
7次車  G21-G31編成 1989年7月から1990年3月
8次車  G32ーG41編成 1990年4月から1991年2月
9次車  G42-G45編成 1991年1月から4月
10次車 G46-G50編成 1991年5月から1992年2月

ちょうど東海道区間のき電がATき電になる時期であったため、増備の過程でパンタカバーの設置や特高圧引き通し準備工事、パンタの削減がなされました。

G編成は1988年3月13日の改正で登場し、当初は東京~新大阪間の「ひかり」に投入され、1993年3月18日改正で博多まで運用されるようになりました。2003年9月16日を最後に東海道新幹線運用から離脱、2004年3月1日G50編成の廃車で消滅しました。

1231_140812_5
123-1はX2編成の表示でリニア・鉄道館保存されています。 2014/8/12

1996年以降、G1,G2,G3, G4, G5, G7の7編成がJR西日本に譲渡され0系の運用を置き換えN編成として活躍しました。

JR西日本が1989年から1991年にかけて製造したのがV編成100N系と呼ばれ「グランドひかり」の愛称でも親しまれました。将来の270km/h走行を見据え、最終ノッチで235km/hになると80%弱め界磁が作動するCS60主制御器の導入や、電機子の温度上昇防止対策を施した主電動機WMT202の導入、主整流装置と断流器への弱め界磁回路の搭載、主抵抗器の新設計などがそれにあたります。歯車比も高速化に向けて従来の2.41から2.17としています。

8号車はX編成と同じ食堂車でしたが内装が大きく変更され、階下の売店は面積が2倍になりました。7,9,10号車が2階部分はグリーン席で座席ごとに液晶モニターが装備され、階下は横4列配置の普通車指定席となりました。

V編成では両先頭車が制御電動車McM'c121形、122形となり、X,G編成のTsd149形に代わって179形T'sdとして178形が登場し、番号も3000番台となりました。両車とも2階がグリーン席、1階が普通席で、178形は博多寄りに車掌室を備え、179形は業務用室を持つ7号車が3000番台、電話室を持つ9号車が3100番台となりました。また5号車に組み込まれる中間電動車125形は便所・洗面所・車販準備室・多目的室を備えた3800番台となりました。

4両2階建て付随車が並ぶ編成は制動時に電動車との間で減速度の違いが出て、前後衝動がしばしば発生することになりました。

1次車 V1・V2編成 1989年2月から3月
2次車 V3編成 1989年6月
3次車 V4編成 1989年12月
4次車 V5・V6編成 1990年7月から12月
5次車 V7編成 1991年2月
6次車 V8・V9編成 1991年7月から12月

V編成は1989年3月11日改正から「ひかり」で運用開始し、1990年から高速試験が実施され、新大阪~博多間を2時間30分で結ぶことを目標に275km/h運転を目指しましたが、255km/hあたりから騒音が増加し、環境基準をクリアできないことが判明し、最高速度は230km/hとされました。

需要の急減に伴い、2000年3月10日を持って食堂車の営業は休止となり、新幹線食堂車の歴史は幕を閉じました。2002年5月18日で定期列車の運用を終了し、2002年11月25日V2編成の編成名削除で消滅しました。V編成は最後まで東海道新幹線「こだま」として運用されることはありませんでした。

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コメント

B767ー281様お早うございます。100系グリーン車の二階のあの広い窓からの眺めは最高でした。今は速さ優先で味わいがなくなったな、と思います。まあ新幹線ですから仕方ないのでしょうが。昔は関西方面にいくにも夜行の銀河で朝早くついて時間を有効活用するとか、東海と比叡を乗り継ぐ(途中は快速ですが)など時間や気分に合わせた選択肢があって良かったです。東海道線で東京から大阪を結ぶちょっと贅沢な列車があれば、と思うのは私だけかな?またまたお邪魔いたしました。

こんにちは~。モモパパです。
100系の2階建て車両。
懐かしいです。僕は乗ったことありませんが。
100系が登場した頃0系に比べ随分洗練されたイメージを受けました。
今では新幹線車両といえばカモノハシの様に鼻先がビロ~ンと伸びた車両ばかりですが当時はカッコイイなな~と思ったものでした。

こんにちは。

100系の2階の食堂車は眺めが良かったし、それ程混んでいなかったので、ゆっくりできましたね。自由席が一杯で食堂車で座っていた、何てことも・・・。私は列車の食堂車はこの100系新幹線と北斗星でしか利用した事がありません。

細井忠邦 さま、モモのパパさま、MiOさま、こんばんは。

纏めてレスで申し訳ありません。

やはり東海道新幹線のなかでも100系というのは、長かった0系時代に新たな光明がさしてきたような登場をしているのと、時代背景がバブル期に入っていたこと、さらにスピードの点はある程度犠牲にして、2階建て車両をつくり、東京~博多間の長距離には食堂車があったことで人気が高かったことが、皆さまのコメントでもよく分かりますね。

リニアが開通する頃(東京~大阪で)、私はどうなっているか分かりませんが、その時点では現在の新幹線はある意味では余裕が生じるかもしれませんから、100系の思想を復活させるような列車が登場するのも良いかななどと思います。

 興味深くこの記事を見させて頂きました。凄いの一言です。
  1991年12月24日にひかり16号の3人用個室を博多駅から利用しました。当時嬉しさの余り編成番号を見れば良かったですが乗れた事で満足し、編成はどうだったのか悔やまれてなりません。確か1編成に1室だったと記憶しております。最近は必ず編成をチェックしておりますが。
 当時100系には余り感心が無く、個室が有るとの事で個室に憧れ利用しました。もっと100系について理解を深めていれば良かったと悔いています。
 お判りになりましたら教えて頂けますか?又は調べる方法をアドバイスして頂けましたら最高ですね。よろしくお願いいたします。

自称_新幹線マニアさま、おはようございます。

はじめまして。コメントありがとうございます。

今から思うと、この時代は自分の趣味の中心が鉄道よりも旅客機の時代で、東京~大阪間の利用もしょっちゅう飛行機を利用していました。

さらに0系から後は新幹線の歴史は数年刻みで新系列が登場する時代になり、下手をすると撮り損なうことも多かったように記憶しています。

数年前の東海道新幹線50年を記念して多くの書籍が出ているので、その辺を調べるあるいはネットでWikipediaをベースに調べるあたりで入って行くのがよいのではないでしょうか。

今日は記事の内容を楽しませて頂きました、有難うございます。
 新幹線100系について色々と調べております。このサイトを見つけ興味深く読ませて頂きました。良くまとまった内容で参考になりました。100系についての本、雑誌の記載が少なくグランドひかりについてはよくありますが、2階建2両の編成は資料が乏しいですね。
 1991年12月に3人用個室に小倉からひかり16号に名古屋まで乗車しました。新横浜停車無しで仕方なく乗換えました。最近になり調べますと、この頃まで新横浜が飛ばされていたと改めて痛感しました。当時嬉しさの余り車番、編成番号を見落としまして、今になり調べていますが判りません?1編成に1室の3人用個室の貴重さ興奮して乗車しましたね。車番、編成番号を確認しなかったのが疑問と不思議ですね。カードキーの反応の悪さは今でも忘れられません。食堂車のハンバーグを下の娘が残した記憶がせ鮮明に残っていますね。新幹線には色々と思い出が有りますね。この頃から鉄道から飛行機にシフトして行き記憶が飛んでいますね。
 ラスト運転には興味深々ですね、次は700系でしょうか?

新幹線イカレ野郎 さま、はじめまして。

コメントありがとうございます。
100系の個室、わたしも本文中にあるように家族旅行で利用しましたが、あの頃の新幹線、特に100系では旅の情緒を感じさせるものがありましたね。
果たしてリニアが出来た後の東海道新幹線はどうなるのかが気になりますが。

これから旅の形態がどうなって行くのか、もっと低運賃で多少時間がかかっても良いからゆっくりと沿線風景を楽しめる列車が出来ればと思うのですが。

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