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2015年1月 5日 (月)

東海道新幹線開業から50年 その8 100系登場 X0試作編成

1975年3月の博多開業時に増備された0系16両編成が1980年代中期には置き換えの必要が生じるため、1984年頃から開業以来の0系のモデルチェンジが検討され始めました。

100_x0_860216_2_2 東京駅に進入するX0編成(改造前) 1986/2/16

1984年5月14日の国鉄常務会にて100系試作編成の製作が決定されました。9000番台X0編成として、1985年3月27日に落成、東京~三島間で公式試運転が実施されました。4月には東京~博多間で営業速度での試験が実施され、9月まで速度向上試験が実施され、米原駅 - 京都駅間で230km/hを小郡駅 - 新下関駅間で260km/hを記録しました。

1985年10月1日から「ひかり3・28号」1往復による営業運転が開始され、1986年8月から10月にかけて量産化改造が実施されました。

X0編成は12M4Tの16両で新幹線電車としては初の付随車の登場となりました。これは製造コストの削減を最優先にしたためと言われています。

構成は

博多  1   2   3  4   5   6   7      8      9   10   11  12  13 14 15 16 東京
        Tc-M'-M-M'-M-M'-M5-TDd-Tsd-M's-M7-M'-M-M'-M-Tc   で、

MM'ユニットの向きは0系とは逆向きとなりました。窓は0系1000番台などと同じく小窓でした。普通車のシートピッチが980mmから1040mmに拡大されたため、リクライニング角度が拡大し、3人席の回転・リクライニングも可能となりました。0系からのモデルチェンジではスピードアップがなされるべきところでしたが、国鉄財政難で不可能だったため、内装や接客設備に力が入れられ、座席での音楽サービス(グリーン車ではイヤフォン、普通車では手持ちのFMラジオ)、LED方式の電光掲示サービスも導入されました。

Tc 123-9001 博多向き制御車 トイレ・洗面所各2カ所 男性用小便所 定員65名
Tc 124-9001 東京向き制御車 連結面より乗降口に電話設置スペース 定員75名

100_860216_3_2 名古屋に到着したX0編成 124-9001の運転台窓下桟のV字の特徴がわかります。 1986/2/16

100_1239001_860216_2 123-9001の横顔 量産車よりもツリ目でした。

M 125-9001~9004 定員90名
M5 125-9501 9000番台に多目的室、業務用室、電話室を付加、トイレは洋式 定員80名
M7 125-9701  9000番台に身障者対応広幅乗降扉、大型洋式トイレ、車椅子用座席、多目的室、車販準備室 定員73名

M車には主制御器(CS56)、抵抗器が搭載され、主変圧器の二次巻線4つからの交流をブリッジ整流し、サイリスタによる位相制御方式を採用しました。主電動機は直流直巻方式のMT202でした。

M' 126-9001~9005 定員100名 乗降口に公衆電話スペース

M'車には主変圧器(TM203)、整流装置、補助電源装置(SIV:SC202)、CP(MH1091-TC2000)、パンタグラフなどが搭載されました。パンタはPS202,下枠交差型で当初は6基搭載されていましたが、1991年の東海道新幹線ATき電化で3基に半減され、特高圧引き通しでパンタのない電動車ユニットにも電源が供給されるようになりました。

M's 116-9001 平屋のグリーン車 新製時は博多よりに乗降扉、1人用個室2室、2人用個室1室が設けられていましたが、量産化改造で撤去され、乗降口は塞がれ、全室開放式グリーン室になり、荷物室と車販用ワゴン置き場になりました。 定員は60名から68名になりました。

100_x0_1499001_860216_3_2 改造前の149-9001 まだ1階東京寄りの乗降扉がありません。 1986/2/1

Tsd 149-9001 100系最大の特徴とされる2階建てグリーン車 東京寄りにトイレ・洗面所が設けられており、新製時は1階の使用法が決まっていない状態で落成しました。営業運転開始時に1階部分に1人用個室4室、3人用個室6室を設置し、量産化改造で東京寄りに乗降扉を増設、個室も1人用5室、2人用3室、3人用1室に変更されました。定員56名。

100_1689001_860216_4_2

168-9001 改造前 NSマークは小さいものでした。

TDd 168-9001 日本の鉄道史上初の2階建て食堂車で2階部分が食堂、1階は厨房でした。量産化改造で食堂内部の内装が仕様統一され、小さかったNSマークも大きくなりました。食堂定員44名

1689001_140812_2 168-9001は名古屋のリニア・鉄道館に展示保存されています。2014/8/12

これら2階建て車両はサービス面を中心としたモデルチェンジの中心となった車両で客席部分を最大限利用するために付随車となりました。空調設備も室内機と室外機を分離したセパレート方式となりました。また車体重心を出来るだけ下げるため1階部分の車体構造が強化され、厚い鋼板が張られたそうです。

X1編成は2000年に引退しました。

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コメント

B767−281様こんばんは。いよいよ100系の登場ですね。昨年末の京都方面旅行では偶然N700Aに乗車することができ、乗り心地改善の恩恵を受けました。だがしかし今でも好きなのは100系です。特に何回かしか乗れなかったですがグリーン車の2階は格別でした。ご紹介いただいた9000番台の後の量産車では(今後ご紹介いただくのを楽しみにしています。)大窓に戻り、車窓からの眺めは最高でした。先頭車の形状もカッコいいです。まあ270キロ以上だすには厳しい形状なのでしょうが〜その後は新幹線自体がより大衆化し、味気ないものになってしまったと思います。夜分お邪魔いたしました。

こんにちは~。モモパパです。
新幹線に100系が登場した時ずいぶんシャープなデザインの車両になったな~と思いました。
今じゃ当時とは全然違うデザインの車両ばかりですが。

細井忠邦さま、おはようございます。

今から思い返すと100系というのは財政難の国鉄にとって新幹線本来のスピードアップという方向は諦めて、如何にサービスを限られた予算で充実させるかの方向で努力した車両だったようですね。
その後のバブル時代とも相まって、その戦略が成功して100系は大好評だったようですね。
後日登場の2階建て4両のグランドひかりなども将来の短編成化を見越しての編成だったという話もありますね。
そういった意味で100系というのは今の路線とはちょっと違った観光列車的車両だったように思います。

モモのパパさま、おはようございます。
わたしも100系の試作X0編成を初めて東京駅でみたときは、0系から随分、鋭角な車輌になったと感じ、2両の2階建て車に圧倒されたのを憶えています。
その後の車両はまた大きくイメージが変わって行きましたね。

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