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2015年1月31日 (土)

水郡線営業所公開 その3 DE10 1604号機

2014年11月30日の水郡線営業所の公開、今回は「DL奥久慈清流ライン号」の牽引役を務めたDE10の話題で、イベントの際に会場にいた1604号機について触れます。

De10_1604_124141130
DE10 1604 + 12系客車 さらにC6120号機 2014/11/30 常陸大子

JR東日本のDE10(DE11)は以下のように配置されています。

高崎車両センター 1698,1705
青森車両センター 1109, 1122, 1536, 1761, 1762, 1763, 1764, 1765
秋田車両センター 1187, 1647, 1759
長岡車両センター 1680, 1700
宇都宮運転所   1099, 1571, 1603, 1604, 1685, 1697, 1704, 1751, 1752
         DE11          1031, 1041, 1043
郡山車両センター 1124, 1180, 1649, 1651, 1760

宇都宮配置の車両の一部が水戸常駐という形になっています(出典、2014年車両配置データ 鉄道ファン誌)。

De10_1604_141130
沖田祐作氏の機関車表から1604号機の履歴データを見てみると

DE101604    川崎重工大阪工場=3772           1973-07-00 D65.0tAAAB(1067)
   車歴;1973-07-00 製造→ 納入;国鉄;DE101604→ 配属;札幌局→1973-07-26 配置;鷲別→
      宇都宮→1987-04-01JR 東日本;DE101604→ 配置;宇都宮運転所→
      2003-04-01 現在;宇都宮運転所→2008-04-01 現在;宇都宮運転所

新製配置は北海道鷲別機関区でした。14年ほどの北海道勤務のあと、関東に転属となっています。

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2エンド側の煙突はSG用の機関の排気用ですが、SGなしの場合は飾り?JR東日本の首都圏のDE10はATS-P機器を2エンドボンネット内に搭載している関係で、その設置と整備の関係で扉が観音開きに改造されています。

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放熱器カバーが3分割化、ナンバープレートのブロック化が分かります。

De10_1604_141130_11
エンジンルームも公開されていました。

DE10 1500番台高崎のイベントの1705号機の記事でも触れましたが、1970年から1978年にかけて265両が製造されており、SG抜きの500番台1000番台と同じDML61ZB形に変更した区分ということです。3軸台車はオリジナルのDT132A形からDT141形となり、運転室に扇風機も設置されています。

DE10DD51に搭載されているDML61系エンジンはもともと6気筒のDMF31系エンジンを2列ならべV形12気筒にしたもので、型式名のDはDiesel MはMotor FはA,B,C,Dで6番目、Lは12番目ということです。試作で終わったDE50には16気筒のDMP81Zエンジンが搭載されていました。

DML61系の系譜を辿ると、DD51に最初に搭載されたのが1000psのDML61S1962年製の試作車の1号機から先行量産車の19号機までに2基搭載されました。1965年製の20号機からは出力を1100psにしたDML61Zが搭載されるようになり、19号機までの車両もエンジンが換装され、DML61SエンジンはDD16形に流用されました。

Dml61zb_100522
Dml61zb_100522_2
2010年5月22日の大宮工場の公開で展示されていたDML61ZBエンジン

DE10ではDML61Zのインタークーラー回路を別経路とし、ピストンを強化し、定格出力の引き上げを図ったDML61ZA (1250ps/1500rpm)が1966年登場の基本番台では搭載され、1969年登場の1000番台から燃料噴射ポンプや予燃焼室の形状を改良して出力を向上したDML61ZB (1350PS / 1550rpm) となりました。

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2015年1月30日 (金)

東海道新幹線開業から50年 その9 100系量産車 X G V編成

東海道新幹線開業からの50年間を車両別に振り返って来ましたが、今回は100系量産車の話題です。

100_g1_860816_3
後にX1編成と改称される暫定G1 12両編成 1986/8/16

100系の編成は16両編成時代はおなじ12M4TでもX編成G編成のように両端先頭車と中間2階建て車2両が付随車の編成と、V編成のように2階建て車を4両として中間車のみを付随車にした編成がありました。

←博多

X編成

Tc-M'-M-M'-M-M'-M5-T'dd-Tsd-M's-M7-M'-M-M'-M-T'c
M's 116形 Tc/T'c 123/124形 M/M' 125/126形 T'dd 168形 Tsd 149形

G編成
Tc-M'-M-M'-M-M'-M5-T'sbd-Tsd-M's-M7-M'-M-M'-M-T'c
T'sdd 148形

V編成
Mc-M'-M-M'-M8-M'-Tsd-T'dd-Tsd-T'sd-M7-M'-M-M'-M-M'c
Mc/M'c 121/122形は3000番台のみ Tsd/T'sd 179/178形 その他の中間車は3000番台

量産車は最初、2階建て車両を含まない12両編成(暫定G編成G1~G4)が1986年から投入され、6月13日から「こだま」運用に投入されました。これが1次車で、2次車として中間車のみの12両が組み込まれ16両化され、編成番号もX2~X5に変更されました。1987年3月に3次車としてさらに2本(X6, X7)が追加され、X編成の増備は終わりました。

100_g1_860816_2
試作車と較べて前照灯は水平になり、イメージが変わりました。

試作車X0→X1編成では0系後期車と同じ小窓を採用しましたが、量産車からは0系0番台のような大窓に戻りました。窓ガラスの厚さを構成を見直して、強度をアップさせました。

116形は平屋のグリーン車で博多寄りに車掌室を持ち、パンタ、主変圧器、整流装置、CPなどが搭載されていましたが、1991年にパンタ半減工事でパンタは撤去されました。

125形基本番台、500番台、700番台が登場し、500番台は業務用室、多目的室、電話室が追加され、700番台は車販準備室、車椅子対応設備、多目的室が追加されました。

168形は2階建て食堂車で、1階部分が厨房と売店、通路に2階に食堂が設置されました。X編成と後述のV編成では外観は同じものの内装は大きく異なりました。1階から2階に料理を運ぶエレベータも設置されました。

148形は後述のように東京~新大阪間の短時間運転向きにグリーン席とカフェテリアを併設した2階建て中間付随車で、G編成の8号車に組み込まれました。

149形はグリーン席を備える2階建て中間付随車で、1階にグリーン個室、2階にグリーン席が設置され、X,G編成の9号車として使用されました。G1~G3編成では当初、0番台が組み込まれておりました。

X編成は東京~博多間の「ひかり」運用に集中的に投入されたため、走行距離が伸び、検査周期もかなり短かったそうです。1998年10月2日を最後にひかり運用から撤退し、食堂車の営業も終了となり、東海道区間のこだま運用に就くようになり、1999年8月から2000年11月にかけて全車廃車となりました。

100_g1_860816
登場当初は平屋だけの12両編成で「こだま」運用に就いていました。窓は大窓に。

G編成は分割民営化後、JR東海が増備した編成で、X編成に続く4次車として3編成が製造されました。通称100’系とも呼ばれました。

8号車の食堂車が168形からカフェテリア・グリーン合造車148形に変更されました。後に5次車と9号車の149形の個室配置を統一する改造が行われ、149-7,8,9149-101, 102, 103と改番されました。

149形 0番台 グリーン個室は1人用5室、2人用3室、3人用1室
   100番台   グリーン個室は1人用3室、2人用3室、3人用1室、4人用1室

1993年春に関西に家族旅行した際に、こどもが小さかったこともあってこの149形のグリーン2人個室を利用しました。室内からインターホンでアイスクリームを注文して配達して貰ったのを憶えています。

5次車  G4-G15編成 1988年12月から1989年3月
6次車  G16-G20編成 1989年4月から9月
7次車  G21-G31編成 1989年7月から1990年3月
8次車  G32ーG41編成 1990年4月から1991年2月
9次車  G42-G45編成 1991年1月から4月
10次車 G46-G50編成 1991年5月から1992年2月

ちょうど東海道区間のき電がATき電になる時期であったため、増備の過程でパンタカバーの設置や特高圧引き通し準備工事、パンタの削減がなされました。

G編成は1988年3月13日の改正で登場し、当初は東京~新大阪間の「ひかり」に投入され、1993年3月18日改正で博多まで運用されるようになりました。2003年9月16日を最後に東海道新幹線運用から離脱、2004年3月1日G50編成の廃車で消滅しました。

1231_140812_5
123-1はX2編成の表示でリニア・鉄道館保存されています。 2014/8/12

1996年以降、G1,G2,G3, G4, G5, G7の7編成がJR西日本に譲渡され0系の運用を置き換えN編成として活躍しました。

JR西日本が1989年から1991年にかけて製造したのがV編成100N系と呼ばれ「グランドひかり」の愛称でも親しまれました。将来の270km/h走行を見据え、最終ノッチで235km/hになると80%弱め界磁が作動するCS60主制御器の導入や、電機子の温度上昇防止対策を施した主電動機WMT202の導入、主整流装置と断流器への弱め界磁回路の搭載、主抵抗器の新設計などがそれにあたります。歯車比も高速化に向けて従来の2.41から2.17としています。

8号車はX編成と同じ食堂車でしたが内装が大きく変更され、階下の売店は面積が2倍になりました。7,9,10号車が2階部分はグリーン席で座席ごとに液晶モニターが装備され、階下は横4列配置の普通車指定席となりました。

V編成では両先頭車が制御電動車McM'c121形、122形となり、X,G編成のTsd149形に代わって179形T'sdとして178形が登場し、番号も3000番台となりました。両車とも2階がグリーン席、1階が普通席で、178形は博多寄りに車掌室を備え、179形は業務用室を持つ7号車が3000番台、電話室を持つ9号車が3100番台となりました。また5号車に組み込まれる中間電動車125形は便所・洗面所・車販準備室・多目的室を備えた3800番台となりました。

4両2階建て付随車が並ぶ編成は制動時に電動車との間で減速度の違いが出て、前後衝動がしばしば発生することになりました。

1次車 V1・V2編成 1989年2月から3月
2次車 V3編成 1989年6月
3次車 V4編成 1989年12月
4次車 V5・V6編成 1990年7月から12月
5次車 V7編成 1991年2月
6次車 V8・V9編成 1991年7月から12月

V編成は1989年3月11日改正から「ひかり」で運用開始し、1990年から高速試験が実施され、新大阪~博多間を2時間30分で結ぶことを目標に275km/h運転を目指しましたが、255km/hあたりから騒音が増加し、環境基準をクリアできないことが判明し、最高速度は230km/hとされました。

需要の急減に伴い、2000年3月10日を持って食堂車の営業は休止となり、新幹線食堂車の歴史は幕を閉じました。2002年5月18日で定期列車の運用を終了し、2002年11月25日V2編成の編成名削除で消滅しました。V編成は最後まで東海道新幹線「こだま」として運用されることはありませんでした。

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2015年1月29日 (木)

高崎鉄道ふれあいデー その6 八高線全線開通80周年記念号

2014年10月18日の高崎鉄道ふれあいデー、今回の話題は八高線全線開通80周年記念号として、八王子から高崎までDD51+客車3両+DD51のプッシュプル方式で走った列車の話題です。

八高線全線開通80周年記念号は八王子駅を9時27分に出発し、高崎駅12時11分着の予定で、途中、拝島駅・東飯能駅・高麗川駅・毛呂駅・越生駅・寄居駅・群馬藤岡駅に停車しながら運行されました。ちょうど、高崎でのイベントの最中に高崎駅に到着するように設定されていました。

八高線に客車列車が走るのは5年振り、全通75周年イベント(2010年2月28日)以来でしょうか(関連記事)。あのときはDD51842+12系+DD51895という編成で高崎~高麗川間を1往復したようです。その前は全通70周年でDD51842+旧客4両+DD51895という編成で高崎~八王子間を2004年11月14日に運転されたようです(関連記事)。

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高崎到着後、引き上げる記念列車編成 2014/10/18 高崎

機関車は高崎車両センター高崎支所に4両配置されているDD51 800番台のうちの2両、888号機と895号機が担当、客車は同じく高崎支所の12系でした。

DD51 800番台は基本番台からSG除いたグループで運転整備重量が約6t軽くなったため、中間台車の枕バネを変更し、滑走防止のためブレーキシリンダーを縮小したTR106Aとした貨物列車用バージョンです。本来はDD52という新形式の付与を考えていたようですが、ED76 500番台EF64 1000番台と同様に新形式とすると、労働組合との折衝があるために枝番での登場となったそうです。

高崎支所の4両(842, 888, 895, 897)のうち、842は非電化区間のお召し列車牽引機として用いられ、888, 895はお召し予備機として対応工事が施されています。

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DD51 888号機

沖田祐作氏の機関車表データによるDD51 888号機の履歴は

DD51888    三菱重工業三原工場=2001          1974-10-18 D84.0tB2B(1067)
   車歴;1974-10-18 製造→ 納入;国鉄;DD51888→ 配属;千葉局→1974-10-26 配置;佐倉→
      1984-07-04(7/3?)高崎一→1987-04-01JR 東日本;DD51888→ 配置;高崎運転所→
      2004-04-01 改称現在;高崎車両センター→
      2004-10-28 発(10/30 着)借入;新津(中越地震のため)→
      2008-04-01 現在;高崎車両センター高崎支所

Dd51_895_141018
DD51 895号機

そして895号機の方は

DD51895    三菱重工業三原工場=2008          1974-12-12 D84.0tB2B(1067)
   車歴;1974-12-12 製造→ 納入;国鉄;DD51895→ 配属;干葉局→1974-12-17 配置;佐倉→
      1984-11-21(11/12?)高崎一→1987-04-01JR 東日本;DD51895→ 配置;高崎運転所→
      1995-04-01 現在;高崎運転所→2004-04-01 現在改称;高崎車両センター→
      2007-04-01 現在;高崎車両センター(お召し塗装機/ 予備機)→
      2008-04-01 現在;高崎車両センター高崎支所

両機とも新製配置は千葉地区の旅客・事業用列車の担当区として中心的役割を担っていた佐倉機関区への配置でした。842号機も佐倉機関区時代にお召し列車を牽引しています。

Dd51_895_041211
DD51 895号機 2004/12/11 高崎車両センター

888号機は今回初めての撮影でしたが、895号機は2004年12月11日の高崎車両センターのイベントの際に撮影しており、

Dd51_895_141115_2

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2014年11月15日の尾久車両センターの公開の際にもエルムや出雲のHMを付けた姿を見ることができました。

国鉄時代、現在のJR東日本区間のDD51のHM付き寝台特急といえば、非電化時代の東北本線の「はくつる」「ゆうづる」、奥羽本線の「あけぼの」くらいでしょうか

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2015年1月28日 (水)

尾久車両センター公開 2014 その2 EF81 81号機 part1

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、前回までは長らく田町で活躍し、現在は大宮に所属する185系基本番台A4編成について触れました。今回は昨年7月末に秋田に入場し、8月末にローズピンクお召し塗装で戻って来たEF81 81号機の話題です。

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尾久車両センターの構内に残されている転車台の上でしばし回転していたEF81 81号機 2014/11/15

拙blogでは2013年1月にEF81の誕生から今までを纏めた憶えがありますが、EF81一機ごとに触れるのは今回が初めてとなります。誕生から旅客列車牽引においてはまさに寝台特急の先頭に立つために生まれてきたといっても過言では無いほどいろいろな寝台特急の牽引に活躍してきましたが、客車寝台特急の消滅とともにその活躍期間もあと数年と考えられる時代になりました。

東北・北海道の寝台特急では「北斗星」の運用をEF510-500番台に譲ってからというもの田端のEF81も定期運用を失い、話題もあまりない状態が続いていました。冒頭にも記述しましたが、そういったモヤモヤ感を一気に吹き飛ばす話題が、昨夏の塗装変更であったと思います。

そこで今回のpart1では同機の塗装変更後の活躍をまとめ、part2ではそれまでの活躍の様子をアップしようと思います。

まずは秋田センター入場からの経緯を時系列で纏めてみると、(些か他人の褌的ですが)

2014年7月23日
、配9751レにて長岡のEF81141牽引でDE10 1752とともに秋田総合車両センターに入場しました。関連記事
2014年8月28日1985年の筑波万博 (国際科学技術博覧会)の際のお召し列車牽引の塗装で田端に帰還。 関連記事
2014年9月6日、田端運転所撮影会に登場、EF8195号機、EF81133号機などと並ぶ 関連記事
2014年9月11日、ゆうマニ秋田入場配給列車を牽引 関連記事
2014年10月7日
、いわき工臨 工9481列車を牽引 関連記事
2014年10月31日、黒磯訓練列車、試9501~9502レを牽引 関連記事
2014年11月15日、ふれあい鉄道フェスティバルに登場
2014年12月8日、黒磯訓練列車、試9501~9502レを牽引 関連記事
2015年1月5日、冬のカシオペアクルーズ列車 9011レ、回9062レを牽引 関連記事
2015年1月16日EF510-509の新潟配給列車を牽引 関連記事

と塗装変更後もいろいろな列車を牽引したり、イベントに登場したりでニュースになっていることがわかります。

生憎、わたしはこれらの列車に関してはどれも撮影していませんが、唯一目撃したのは

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昨年9月27日に東京に出かけた際に金町を通過する際に常磐線の車内から偶然、単機で佇む姿を見つけ、北千住で緩行線を引き返し、撮影しました。

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転車台上のEF81 81号機

このイベントで初めて尾久車両センターに入場し、転車台があったことも初めて知りました。

今回の塗装変更は、185系の斜めストライプ塗装復活とともに、車生最後の化粧との噂もあるようですが、残された期間、思い出に残る列車牽引に活躍して欲しいものです。

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2015年1月27日 (火)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 5 9633号機

2014年8月10日の梅小路蒸気機関車館訪問、今回は9600形式9633号機です。

9633_140810_4
9633号機 2014/8/10 梅小路蒸気機関車館

国鉄の前身である鉄道院が1913年から製造した日本初の本格的貨物牽引用、テンダー形式の蒸気機関車であり、1976年3月の国鉄蒸気機関車廃止の時点で最後まで稼働したのも9600形式でした。にも書きましたが、9600形式という形式名自身は1912年度に12両試作された加熱式テンダー機関車が最初に命名されており、本形式は9600形としては2代目に当たります。

9600形式は1941年までに828両が製造されており、その大半が川崎造船所(686両)あとは汽車製造会社(69両)、国鉄小倉工場(15両)で770両、9600から79669まで符番されました。そのほか、三菱大夕張鉄道、夕張鉄道、美唄鉄道の自社発注や、樺太庁鉄道、台湾総督府鉄道向けなどに断続的に同形機が生産されました。

9633号機の車歴を沖田祐作氏の機関車表から見てみますと、

9633      川崎重工兵庫工場=142            1914-00-00 S59.80t1DT(1067)
   車歴;1914-11-00 製造→ 納入;国鉄;9633→1914-12-09 使用開始[東管達1076];東京局→
      1933-06-30 現在;松本→1933-12-00 現在;高崎→
      1938-02-02 長野工場発(2/3 着)上諏訪→1940-05-01 発(5/1 着)甲府→
      1941-06-18 借入;上諏訪→1941-06-27 返送→1941-07-12 発(7/14 着)富山→
      1941-09-18 発室蘭(倶知安支区?)→1945-09-30 現在;倶知安→
      1949-03-01 現在;倶知安→1955-03-28 発(3/29 着)小樽築港→1972-09-24 梅小路→
      1979-03-28 廃車;梅小路→ 保存;京都市JR 西日本「梅小路機関車館」;9633
      (最終走行距離=2,670,745㎞)

1914年製造で最初は東京局配属ですが、1933年に松本に転属、1941年には富山から、北海道に渡り、最後は小樽築港機関区でした。梅小路に保存後、1979年3月28日に車籍を失っています。
梅小路機関車館の説明書きには1967年のNHK朝の連続テレビ小説「旅路」に出演とありますが、この頃は私も観ていた憶えがあります。

室伏雄一郎:横内正
室伏有里:日色ともゑ
室伏嘉一:宇野重吉
室伏はる子(伊東はる子):久我美子
室伏千枝(岡本千枝):長山藍子
千枝の夫・岡本良平:山田吾一
佐々木三千代(和田三千代):十朱幸代
塩谷駅長・南部斎五郎:加東大介
駅手・伊東栄吉:名古屋章
関根重彦:小山田宗徳
坂井正作:松山省二

Wikipediaによれば朝の連続テレビ小説としては最後の白黒放送だったそうで、前年度の「おはなはん」ほど強烈な印象は残っていませんが、配役のリストを見ると思い出すといった感じです。男性が主役という珍しいドラマでもありました。

9633_740929
40年前の1974年当時は釜に火が入った状態で保存されていました。 1974/9/29

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1987年から静態保存状態となっているそうです。

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プレートは形式名入りです。キャブとランボードの繋がりはSカーブではありません。

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2015年1月26日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting プロローグ

2014年7月29日から、2015年1月1日の記事まで23回に渡ってニューヨークイサカへというタイトルでシカゴ、ニューアークなどでスポッティングした旅客機など現代アメリカの旅客機事情について記事にしてきましたが、今回から2000年から2010年1月、さらに2015年1月に訪問したサンディエゴ・リンドバーグ空港で撮影した旅客機について触れようと思います。

From_the_air_150108_san_diego
San Diego Lindbergh空港にアプローチするJL066便から撮影した空港などの風景 2015/1/8    地図はこちら

Code: IATA; SAN         ICAO: KSAN          FAA LID: SAN

空港の所在地はダウンタウンから3マイル(4.8km)でかなり近く、公共交通機関はMTS(Metropolitan Transit System)が運行するバス(Route 992)があります。

992_bus_150113_santa_fe_depot
現在、空港とダウンタウンを結ぶ公共交通機関はMTSが運行するバスです。
2015/1/13 Santa Fe Depot

料金は市内料金と同額(片道$2.25)です。TrolleyのGreen LineやCoasterも近くを通っており、空港への延伸計画もあるようです。

1000_x3_021103_middle_town
左手前が空港の滑走路端になり、TrolleyのMiddle Townの駅を発車する1000形3併結が見えます。 2002/1/13

Spirit_of_st_louis_150111_asm San Diego Air and Space Museumのエントランスに展示されているSpirit of St. Louis のレプリカ 2015/1/11 本物はWashington DCのNational Air and Space  Museumに。

空港の開港は1928年8月26日のことで、飛行家Charles Augustus Lindbergh (1902/2/4~1974/8/26)1927年5月20日にスピリットオブセントルイス号(Ryan NYP)でニューヨーク・ロングアイランド飛行場からパリ・ル・ブルージェ飛行場まで大西洋単独無着陸飛行に初めて成功した際に元々、San Diegoで飛行試験を行ったという史実にちなんでLindbergh Fieldと名付けられました。

歴史的にはこちらの方が有名かも知れませんが、Spirit of St. Louis号を製造したのがRyan Airline Companyでこの会社が1925年4月19日にT. Claude Ryan と Benjamin Franklin "Frank" MahoneyによってSan Diegoで設立されていたのですね。

空港としては元来アメリカにおけるグライダーの設計や飛行訓練の場所として有名でした。
1930年にロサンゼルスとの間に定期航空郵便機が就航、1934年にInternational Airportとしての地位を獲得しています。1937年には空港のとなりに米国沿岸警備隊の基地が置かれています。1942年には軍が接収し、大型爆撃機の基地となっています。戦後の1949年にはケニー・フリードキンにより、Pacific Southwest Airlinesが設立され、サンディエゴが拠点となりました。最初の旅客便はリースしたDC-3による、SAN~BUR(バーバンク)~OAK(オークランド)でした。PSAは全米で最初の大規模格安航空会社であり、現在はダラスを本拠とするSouthweat Airlinesがこの航空会社を参考に此所をハブにしています。1987年US  Airwaysに吸収合併され、消滅しました。バルボア公園にあるAir and Space Museum にPSAのコーナーがあります。

Psa_150111_asm        
       PSAのロゴ Air and Space Museum 2015/1/11

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歴代のCAの制服も展示されていました。

Psa_memory_150111_asm
PSAに関してはSan Diegoを拠点にした航空会社というばかりでなく、1978年9月25日、182便Boeing 727-200がLindbergh空港着陸直前にセスナ機と空中衝突した事故1987年12月7日、1771便のBAe146が機内清掃員の機内でのトラブルで墜落した事故を起こしており、それらの事故、事件で犠牲になった方々を追悼する展示もありました。

最初のジェット旅客機による便は1960年、American AirlinesUnited Airlinesによって開設されたPhoenixとSan Fransico便で機材はともにBoeing 720でした。

RWYは9/27 の東西方向で1本、長さは2865m アスファルト塗装です。
滑走路が一本の民間空港としてアメリカ国内で最も交通量の多い空港で年間1700万人の乗降客があり、大規模民間空港としては全米で最も狭い空港でもあります。

西海岸の空港のうち、LAXとSANは東側からのアプローチがメインで、SFOは海側からのアプローチがメインのようですが、SANの場合、ダウンタウンの高層ビル等があるため、RWY27アプローチの場合、滑走路の進入端が通常より中に移動しているそうです。

オリジナルターミナルは空港の北の端にあり、1960年代まで使用されており、現在は貨物機が駐機しているのが見えます。現在はターミナル1,2,コミューターターミナルの3つのターミナルがあり、ターミナル1は1967年3月5日に、2は1979年7月11日に、コミューターターミナルは1996年7月23日にオープンしています。

030115_san_diego_ap
空港の敷地がそれほど広くないので管制塔も小振りです。 2003/1/15

現在乗り入れている航空会社はアメリカ国内ではAlaska, Allegiant, American, Delta, Frontier, Hawaiian, JetBlue, Seaport, Southwest, Spirit, Suncountry, United, US Airways, Virgin America、アメリカ以外ではAir Canada, British Airways, JAL, Volaris, Westjet、貨物便ではDHL, FedEx, UPSなどです。

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2015年1月25日 (日)

通勤電車シリーズ E231系500番台 ミツA520編成

昨年9月に山手線から転属したE231系500番台、A520編成が三鷹区転属後、中央・総武緩行線で運転を開始したのは昨年12月1日のことでした。

今日、久しぶりに東京に出かける機会に恵まれたので、事前に運用を調べ狙い撃ちしてきました。
1月24日土曜日は51B運用に投入されており、

 0431千→茶0522┐
┌0627千←茶0536┘
└0632千→三0759┐
┌0932千←三0803┘
└0940千→三1108┐
┌1226津←三1113┘
└1240津→三1353┐
┌1526千←三1358┘
└1540千→三1708┐
┌1826津←三1713┘
└1833津→三1947┐
┌2106津←三1951┘
└2113津→武2237    運用パターンはこちらのサイトから。


中央・総武緩行線の場合、いくつか撮影する場所が思い当たりましたが、運用と時間を考えて、まずは新小岩で1251Bを狙うこととしました。

E231_a520_150124
E231_a520_150124_2

E231系500番台 A520編成 2015/1/24 新小岩

次の上りで御茶の水まで行き、さらに特別快速に乗り換えて中野で追いつきましたが、ここで三鷹から折り返してくる下りを狙うことに。

E231_a520_150124_3
東西線折り返しの4番線から千葉行き1351Bを

E231_a520_150124_2_2
三鷹区の中央・総武緩行用の編成はこれまでE231系基本番台B編成、209系500番台C編成でしたが、新たにE231系500番台が加わり、A編成に、編成番号はそのまま520に。山手線時代には無かったホーム検知装置が搭載されました。

E231_a520_150124_3_2
本来、山手線には52編成のE231系500番台が配置されており、520編成に続いて全編成が転属しても
中央総武緩行線の56運用を回すためには編成数が不足するとのことです。既に三鷹区からB20, B21, B22の3本が東京車両センターに移動しており、松戸区へ転出するものと思われます。

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2015年1月24日 (土)

西武新101系 その7 時は流れて 2連編 その5 流鉄5000形 5002編成 流星 

西武新101系2両編成バージョンの引退後の活躍を紹介するシリーズ、今回は流鉄の2回目で5000形の第2編成「流星」です。

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3001310131_050905 旧 101系135Fを改造した先代の3000形「流星」 2005/9/5 馬橋

「流星」はそれまで旧101系135Fを3両固定編成に改造した3000形に付けられていた愛称でした。この編成は2010年8月29日のさよなら運転で運用を離脱しており、新しく275Fからの改造車が同じ塗色で導入されました。

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5000形 第2編成による現在の「流星」 2012/4/1

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流鉄への甲種回送は2010年9月のことでした。営業運転開始は2011年3月11日、東日本大震災の当日だったのですね。

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2015年1月23日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その24 BA, TAROMのBAC1-11

1989年5月、冷戦下の西ドイツ Duesseldorf空港で撮影した旅客機の話題ですが、今回はイギリスが生み出した短距離用旅客機の中で最も成功したといわれるBAC1-11の話題です。

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Duesseldorf空港に着陸するBAのBAC1-11-530FX G-AYOP  cn233 1989/5/7

イギリスの航空業界は世界初のジェット旅客機de Havilland Cometをデビューさせたものの、度重なる空中爆発事故でその信用は大きく失われていました。そういった状況においてもジェット機が今後旅客機の主役として活躍するのは間違いない流れと業界は考えていました。

次のターゲットは短距離用のジェット機ということで、フランスではSud Aviation Caravelle1955年4月21日にロールアウト、5月27日に初飛行をしていました。

1956年7月British European Airways (BEA)は国内の航空機製造メーカーに対して第二世代のジェット旅客機として短距離ジェット機の提案を呼びかけました。それにHunting Aircraftが出した答えがそれまで成功を収めていたターボプロップ機Vickers Viscountの置き換えとして30席仕様のHunting 107でした。同じ時期にVickersVC10をベースにした140席仕様のVC11を考案しました。他の航空機メーカーもそれぞれ独自の設計を考えていました。

1960年、イギリス政府の圧力により、HuntingVickers-ArmstrongsBristolEnglish Electricと合併することになり、その結果、British Aircfaft Corporation (BAC)が新たに設立され、Huntingの提案した107の案が引き継がれることになりました。しかし30席仕様では市場規模が小さいと考えられたので、59席仕様のBAC107に計画は変更され、エンジンは7000ポンド(31kN)の推力を持つBristol Siddeley BS75 ターボファンエンジンを搭載することとなりました。同時に140席仕様のVC11の計画も継続となりましたが、他の設計、例えばBristol Type 200などはこの時点で破棄されました。

市場調査の結果、59席仕様のBAC107でも小さいということでさらに計画は練り直され、1961年80席仕様のロールスロイスSpeyエンジンを搭載する案が固まり、BAC111と命名されました。この時点で並行して進められていたVC11計画はBAC111計画に集中するため破棄となりました。

BAC111の場合、同時代のHawker Siddeley Tridentとは異なり、英国内の航空会社(BEABOAC)のニーズに応えるというスタンスよりも、世界的な需要に応える方向で開発が進んだのが後の成功に繋がったといえます。試験飛行は英国空軍飛行中隊長のDave Glaserによって行われました。

製造のローンチは1961年5月6日 British United Airways (BUA)が10機の-200を発注したことで開始され、
    10月20日 Braniff International Airways 6機 後に12機に
1962年7月24日  Mohawk Airlines                   4機
           Kuwait Airways         3機
           Central African Airways    2機
                        Aer Lingus                          4機
           Western Airlines        10機 後にキャンセル
           Bonanza Air Lines        3機

しかしこのBonanzaの発注に関してはアメリカ民間航空委員会 (CAB: the U.S. Civil Aeronautics Board) から「Bonanza航空のジェット運航には補助金が必要だ」というクレームが出され、発注が抑止されました。CABは同様にFrontier AirlinesOzark Air Linesの発注も抑止しました。言うなれば自国の航空産業保護のための政治的圧力に他ならないもので、OzarkはDouglas DC-9を、FrontierはBoeing 727-100を発注しました。CABは Mohawk Airlinesの発注も抑止しようとしましたが、こちらはうまく行きませんでした。

1963年5月、BACはSpeyエンジンの推力増強型のMk.511を搭載した-300, -400の開発を発表し、航続距離の延伸がなされました。-300と-400の違いはアビオニクス関連の装備で-400はアメリカでの販路を開拓するためにアメリカ製の計器を搭載しており、これにAmerican Airlinesが反応し、-400を30機、実際に購入し、最大のカスタマーとなりました。

プロトタイプ(G-ASHG)は1963年7月28日にロールアウトし、8月20日に初飛行しました。これはライバル機であるDouglas DC-9よりも1年も早いことでした。しかし、同年10月22日の試験飛行の際にMike Lithgowの操縦した機体は失速試験の最中に墜落し、搭乗者全員が死亡する事態となりました。

事故調査の結果、T型の水平安定版とリアマウントエンジンの形態が失速時の回復を妨げる効果を持っていることが分かり、失速防止装置であるスティックシェイカーやスティックプッシャーが装備されるようになりました。また後部エンジンや水平安定版へ空気をスムーズに流れ込ませるための翼断面の改良もなされました。

Gayop_bac_111530fx_233_890507_dus2
この機体はエンジンの騒音を下げるために排気口周辺にハッシュキットを装備しています。それでも当時ブルブルといったエンジン音を轟かせていました。

こういった改良がカスタマーの信頼を勝ち取り、1964年2月にはAmerican Airlines, Braniffなどがオプションを本発注に切り替え、Mohawkからの追加発注、Philippine Airlines、Helmut Hortenからも発注を受け、1964年末には13機がロールアウトしました。1965年1月22日にはBUAに最初の機体であるG-ASJIが納入され、路線就航は4月9日、London Gatwickからイタリアのジェノバに向けてなされました。

1967年には119席仕様の-500Super One-Elevenが提案されました。主翼前胴体を8ft4in、後部胴体を5ft2in伸張したストレッチタイプで翼端も5ft伸張し、エンジンは最新のMk.512バージョンを搭載しています。この開発にあたり、BEA/BAがcockpitをHawker Siddeley HS.121 Tridentと同じ仕様にして、自動操縦システムの装備、CATIIに対応した自動着陸装置の装備を要求(このバージョンが-510ED)したため、BAC1-11は開発当初、アメリカ製のライバル機に対して1年の先行を持っていましたが、この要求のために1年の遅れとなり、アメリカ市場での地位を失う結果をもたらしたと言われています。

さらに1970年にはオランダのFokker F28 Fellowshipといった競争相手も現れ、それに対抗して-400の胴体と-500の主翼を持った高温、高地用の-475を発表しましたが、10機しか売れず、1977年には静粛性の-670を日本市場に対して示しましたが、採用に至りませんでした。

1966年までに46機がデリバリーされ、1971年までにさらに120機がデリバリーされましたが、この時点で発注は微々たるものとなり、その後1982年までの11年間に35機が英国で細々と製造が続けられました。これだけ長くの間、製造ラインが閉められなかった訳は、BACとしてはロールスロイスが静粛で推力のあるエンジンを開発することを期待していたこと、ルーマニアがBAC1-11の製造全プログラムに興味を示し、ブカレストでの製造を考えていたことからでした。

Yrbci_cn_252_bac_111525ft_oneeleven
YR-BCI cn 252 BAC1-11-525FT 1989/5/4     525はBACがRombac用に製造した-500タイプです。

1974年、BACは-700として134席仕様のSpey67エンジン搭載のストレッチトバージョンのローンチを考えていましたが、エンジンの開発がなされず中止となりました。

1977年
にはBACはHawker Siddeleyと合併しBritish Aerospace(BAe)となり、CFM-56エンジン搭載の150席仕様の-800が考案されますが設計ステージに進むこともありませんでした。

1979年6月9日、ルーマニア チャウセスク大統領がルーマニアでの1-11ライセンス生産契約にサインして、後に言われるROBAC1-11登場の礎が作られました。

契約においては3機(-500 2機と-475 1機)の完成版1-11の納入とブカレストで最低22機の生産が含まれており、中国や他の発展途上国や東ヨーロッパ諸国へ、80機のルーマニア製1-11の販売が謳われていました。

最初のRombac1-11-561RC (YR-BRA cn 401) は1982年8月27日にロールアウトし、9月18日に初飛行しています。1982年12月29日TAROMに納入されますが、生産ラインのペースは契約で謳われたものよりも遙かに遅く、1989年までに9機がデリバーされ、10機目と11機目は85%と70%の製造で製造ラインが放棄されました。9機のうち、2機がTAROMに納入され、残りのうち2機はRomaviaに納入され、最後の1機がデリバーされたのは1993年1月1日のことでした。

Rombac生産計画が失敗に終わったのは3つの理由が考えられています、ひとつは当時のルーマニアの国際的な地位と貨幣価値の関係で国外から調達すべき部品の調達がスムーズに進まなかったこと、Rombac1-11のヨーロッパにおける市場予測を見誤ったこと、1-11の騒音や燃費が西側のライバル機に較べて劣っていたことです。

チャウセスク政権崩壊後、ロールスロイスTayエンジンを装備し、グラスコックピットにしたRombac1-11を西側ユーザーに50機リースする計画が持ち上がりましたが、1991年4月に担当のイギリスのリース会社Associated Aerospaceが倒産して計画倒れになりました。さらにこの後、Kiwi International Airlinesが11機の Tayエンジン装備の1-11の確定発注と5機のオプション発注を行いましたが、これも無くなりました。

BAC1-11に関してはDuesselfdorf空港のみならす、ケルン・ボン空港やフランクフルト空港でも撮影しており、日本のテレビでもしばしば紹介されるあのBAの1-11も気がついたら撮影していましたので、後日紹介する予定です。

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2015年1月22日 (木)

四方津を再訪 その3 豊田区のM51編成

2014年12月6日、豊田区のM52編成の改装後初運用を四方津に撮影しに行った際に撮った車両の話題です。前回はM50編成の紹介でしたので、今回はM51編成です。

183_m51_141206_4
赤富士のHMも美しい
河口湖行き「ホリデー快速富士山1号」の運用を担当するM51編成 2014/12/6 四方津

構成は
←新宿 クハ189-508 モハ189/188-25 モハ189/188-30 クハ189-10 河口湖・長野→

となっており、両端クハの向きはM52編成と同じで500番台が新宿方向向きです。MG、CPもクハに搭載されています。
豊田区への転入は2013年秋のことで、大宮車両センターのH81編成の先頭車2両とH101編成の中間車4両を再構成して作られた編成です。

189_h101_061014
大宮に停車中のH101編成  2006/10/14

H101編成は10両編成で8M2Tと非常にMT比の高い編成で、ムーンライトながらなどに投入され活躍していました。H101編成の廃車は2013年9月26日のことでした。

183_h81_110618_2
大宮に進入するH81編成 2011/6/18

H81編成は6M2Tの8両編成で、2013年9月24日に長野総合車両センターへ回送され、クハ2両を残して廃車されました。

183_m51_141206_6
現在、豊田区には3種類の塗色の183・189系編成が所属し、最後の活躍をしています。
それぞれの末永い活躍を祈るばかりです。

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2015年1月21日 (水)

通勤電車シリーズ 103系 18 横浜線の新性能化 part2

通勤電車103系シリーズ、今回も横浜線への投入で、ATC化に向けての高運転台車配置の歴史です。

103_790923
京浜東北線に投入された新製高運転台クハの103系が横浜線用の旧形車と山手線から転属した初期103系の横を発車して行きます。 1979/9/23 東神奈川

1982年11月15日のダイヤ改正で運用停止になるまで存在した駅南東に位置する研修庫、留置線が写っています。

103_06_810426
橋本付近を行くうぐいす色高運転台クハの横浜線電車 蒲田区6編成 1981/4/26

1979年、山手線に7連7本が投入され、ATC対応のクハを含む49両が東神奈川区や蒲田電車区に転入となり、横浜線の新性能化が完了となりました。山手線からの転出はすべて品川区所属の車両でした。

このときの動きを車両番号で追っかけてみると

クハ103-798が山手線への新製配置最終のクハ103であり、

クハ103-779,790  1979/8/30
            783,785  1979/9/5
            787,789  1979/9/11
            791,794  1979/9/14
            781,792  1979/9/17
            793,796  1979/9/21
            795,798  1979/9/26   を両端クハとする編成が品川区に投入され、   

その結果以下の車両が捻出されたと考えられます。   

クハ103-337,338     1975/4/25 シナ    1979/9/12 ヒナ
           -341,342     1975/5/19 シナ    1979/9/30 ヒナ
     -343,344     1975/8/5  シナ    1979/9/22 ヒナ
     -345           1975/8/21 シナ    1979/9/17 カマ
     -351           1975/7/7 シナ       1979/9/21 カマ
           -356           1975/8/26 シナ       1979/9/26 ヒナ

クハ103は-269から高運転台車となっており、1979年から大井工場でATC準備車が本格搭載改造を受けています。それらの中でATC化改造を受ける前に山手線から転出しているのは上記の番号の車両でした。

クハ103-349          1975/6/18 シナ         1979/9/9 ヒナ
     -353         1975/7/17 シナ         1979/9/13 ヒナ
     -355         1975/8/26 シナ          1979/9/26 ヒナ
     -357,358    1975/11/19 シナ       1979/10/4 カマ

一方、これらの車両は大井工場で改造を受けた後に転出しています。

モハ103/102-2         1964/5/28 イケ     1973/3/1 シナ    1979/3/3 カマ
        -5         1964/8/29  シナ                           1979/7/7 カマ
        -6      1964/8/29  シナ                           1979/3/11 シナ
        -10       1964/7/22  イケ  1973/3/1 シナ    1979/9/21 カマ
        -13,14   1964/9/10  イケ  1973/3/7 シナ    1979/9/30 ヒナ
                 -19,20    1964/10/9 シナ                           1979/9/13 ヒナ
         -21,22   1964/10/28 シナ                          1979/9/22 ヒナ
        -37,38   1964/10/7  シナ                           1979/9/26 ヒナ
        -43,44   1964/10/27 シナ                          1979/9/12 ヒナ

サハ103-13        1964/9/10 イケ       1973/3/7 シナ    1979/9/30 ヒナ
           -14        1964/9/10 イケ      1973/3/7 シナ    1979/10/4 カマ
      -21        1964/10/28 シナ                              1979/9/22 ヒナ
      -37        1964/10/7  シナ                               1979/9/26 ヒナ
      -38       1964/10/7  シナ                               1979/9/21 カマ
      -43        1964/10/27 シナ                               1979/9/12 ヒナ
       -44       1964/10/27 シナ                               1979/9/13 ヒナ

Tc-MM'-T-MM'-Tc の7編成が横浜線関係に転属となっています。

この後、1979年10月に蒲田区から東神奈川区に転属した高運転台クハもあります。

クハ103-345  1975/8/21 シナ 1979/9/17 カマ 1979/10/20 ヒナ
     -704   1977/3/29 カマ 1979/8/24 ヒナ
     -712   1977/3/15 カマ 1979/9/7  ヒナ

1980年にはATC非搭載の高運転台クハが新製される中、京浜東北線にATC付きのクハが新製され、捻出された車両が横浜線に投入されました。

クハ103-809, 816  1980/9/17 カマ  

この両端クハの編成が京浜東北線への最終新製投入となっています。

103_54_810426
同じく橋本付近を行く東神奈川区 54編成 1981/4/26

1981年6月1日に検修部門を蒲田電車区に分離し、蒲田電車区東神奈川派出所(現在の鎌倉車両センター東神奈川派出所)となりました。横浜線用の103系は全て蒲田電車区に転出しました。

1981年には中央線快速用に配置されていたATC搭載工事終了後のクハが豊田区から6両転入しています。

クハ103-311,312  1974/1/29 トタ    1981/11/11 カマ
          -313,314   1974/3/6  トタ    1981/12/2  カマ
          -315,316   1974/3/18 トタ    1981/12/6 カマ

これ以前に豊田区にはATC非搭載高運転台のクハ103最終グループが1980年4月から8月にかけて投入されています。その件は別記事にて。

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2015年1月20日 (火)

西武 トレインフェスティバル2014 in 横瀬 3 5000系

速報 San DiegoシリーズはまだTrolleyの話題や空港でのSpottingの話題があるのですが、それは通常のシリーズで記事にすることにして、以前からのシリーズを回して行くことに致します。

ということでだいぶ前のイベントになってしまいましたが、2014年11月8日の「西武トレインフェスタ in 横瀬」の3つめの話題ということで先代レッドアロー5000系保存車の話題です。

5503_141108_2
横瀬基地に保存される5503 2014/11/8

横瀬基地にはクハ5503一両とクハ5504運転台部分のカットモデルが保存されています。5503Fは5501F同様に1969年10月の秩父線開業に合わせて日立製作所で製造されました。
前面は特徴的なエッチング加工されたステンレス板が使われていますが、設計段階ではコルゲート加工されたステンレス板を使う予定だったとか。曲面加工が難しいためエッチング加工になった経緯があるそうです。

5503_141108
現役時代は見たことがなかった製造銘板

5503_141108_2_2
形式名、自重、定員数なども銘板に刻まれています。

5503_141108_2_3
台車は101系と共通の住友金属工業製ペデスタル式空気バネ台車 FS072

5503_141108
4両編成で登場した頃はトイレと車内販売準備室は奇数号車のクハにしかありませんでした。そのため偶数番号のクハとは定員が異なっていましたが、6両編成化の時点で偶数クハにもトイレ、車販準備室が設置されることになり、両方のクハの仕様が統一されました。

5504_cutmodel_141108_2_2
こちらはクハ5504のカットモデル

5503_141108_5
床下の様子、元々クハですので、それほど機器が搭載されてはいませんが、比較的シンプルです。

この5000系保存車両は2014年2月の大雪の被害は免れたようで今後も末永く保存していただきたいものです。

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2015年1月19日 (月)

速報 San Diego便り その5 Coaster part2

San DiegoのSanta Fe Depot駅と以北のOceansideの街を結ぶ通勤列車Coasterの話題、今回は客車です。

2304_100113_santa_fe_depot
Coasterの編成 2300番台のCab Car 制御客車と3両から4両のCoachから構成され、塗色は機関車と合わせてOcean BlueとDark Blueに白い帯となっています。こちらも定員を増やすために2階建て客車となっています。ただ細工は日本の2階建て車両などに較べると非常に無骨な感じがします。

機関車は1994年2001年に購入されていましたが、客車も1994年、1997年、2003年に購入されています。

22052406_150113_santa_fe_depot
客車はBombardier製で1994年製のものは2200番台(2201~2208)1997年製のものは2400番台(2401~2406)2003年製のものは2500番台(2501~2504)となっており、編成内ではランダムに組み合わされているようです。

台車はAmtrakの方はイコライザ式の旧式台車でしたが、こちらはデスクブレーキが台車枠の外側にみえるパイオニア台車のような台車を履いています。

2207_150113_county_center_little_it

2207_150113_county_center_little_it
2207号車はこのようにSpecial Markingでした。We Salute You. と大書されており、安全性を訴えているのでしょうか?

2310_150113_santa_fe_depot2
車端部を見てみると機関車側の第二発電機から供給される480Vの電源の引き通しが通っています。

150113_santa_fe_depot
駅の一角にはこのようにジャンパケーブルが何気なくかけられていました。

日本などと較べるとまさにこの場所で機関車の燃料の給油が行われたり、機関車が1両長く休んでいたり、無人運転の機関車が踏切を渡ってホームに進入したりと、全てにおいておおらかな感じが致しました。

2310_150113_santa_fe_depot
南行きの列車ではこちらが先頭となり、機関車が推進でSan Diego Santa Fe Depot駅に向かいます。Cab Carは10両あり、2301~23081994年に購入、2309、23102003年に購入されています。

走行するところも見ましたが、屋根上にある鐘を鳴らしながら、標識灯を点滅させて走る姿は日本ではなかなか見られない姿だと感じました。

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2015年1月18日 (日)

速報 San Diego便り その5 Coaster part1

Santa Fe Depotで見ることができる旅客列車のあとひとつがOceanside Transit CenterからCarlsbad, Solana beachなどの海岸沿いの街とSan Diegoを結んでいる通勤列車Coasterです。San Diego郡の8つの駅を1時間で結んでいます。現行のスケジュールはこちらに。

運行しているのはNorth County Transit District (NCTD)で先日の記事でも記述したAtchison, Topeka and Santa Fe Railwayから1994年に路線を購入し、San Diego Northern Railway Corporationを設立しました。2002年にこの会社は解消されNCTD自身が運行会社になりました。

車両は、機関車牽引の客車方式で、今回の記事ではその機関車について触れます。

機関車はGeneral Motors Electric-Motive Division が1975年から1992年にかけて製造し、1991年から2000年にかけてMorrsin Knudsen Corporationが引き続き製造した、EMD F40PHという機関車とF59PHIです。前者は1994年に購入し、2101~2105という番号が与えられ、後者は2001年に購入し、3001、3002となっています。

まずはF40PHから

F40phm2c_2101_070118_santa_fe_depot
2101号機 

F40phm2c_2104_2102_150112_12th_imp3
12th & Imperial TC側の待避所で休息するCoasterの列車 3001, 2014 2102 2015/1/12

F40phm2c_2103_150113_santa_fe_depot
休息の場を出発し、Santa Fe Depot駅に向かうため、踏切前で一時停止する2103牽引列車

もしかしたら間違っているかもしれませんが、ここまで運転してきた機関士が降りて、手前のポイントを操作し、列車には戻らず列車はリモートコントロールで無人でホームに入って行き停車します。

150113_santa_fe_depot
そのことを意味しているのがこの標識かと思います。

F40phm2c_2104_030115_santa_fe_depot
2104号機 このように列車はホームに停車します。

F40phm2c_2105_100113_santa_fe_depot
2105号機 今回気付いたのですが、Amtrakの機関車はすべて南向きなのに対して、Coasterの機関車は全て北向きでした。

F40phm2c_2103_150113_santa_fe_dep_2
客車との連結面はこんな感じです。この機関車も客車と一体化しています。

F40phm2c_2103_150113_santa_fe_dep_3
台車はこんな感じです。間近で見ることが出来るせいかかなり大きく感じます。

一方、こちらはF59PHIです。

3001_150113_santa_fe_depot2
3001号機 2015/1/13列車を推進してSanta Fe Depot 駅に到着するところです。

F59phi_3002_coarster_020113_old_tow
3002号機 2002/1/13 Old Town

Amtrakでもお馴染みの機関車ですが、塗装がかわるとイメージが大きくかわります。

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2015年1月17日 (土)

速報 San Diego便り その4 Amtrakについて part3

1月16日、午後4時過ぎ、San Diego Lindbergh空港から11時間のフライトで無事、成田空港に到着し、午後7時前に自宅に戻りました。

San Diego Santa Fe Depot駅で見たPacific Surflinerの編成について、過去2回の記事で触れて参りましたが、今回は今までのスタンダードから外れる珍編成です。2つの例があります。

最初は客車はいつもの2階建て客車なのに、機関車がF59HIでないケースです。機関車はGE P42DCという他の路線でAmtrakを牽引している標準タイプの機関車で184号機でした。

Ge_p42dc_184_150114_santa_fe_depot4
184GE P42DC Phase IV ペイント 2015/1/14

GE P42DCはGEトランスポーテーション・システムが開発した旅客用電気式ディーゼル機関車 ジェネシスシリーズの2代目に当たる機関車でV型16気筒ディーゼル機関出力4250HPを搭載し、最高速度は110mph (177km/h)を出せる機関車です。
Surflinerの2階建て客車と較べると背が低いため、機関車と客車の間に大きな段差が生じています。

もう一つの例は、機関車も客車も異なるケースで、機関車は上記と同じGE P42DCですが、客車はAmfleet IHorizon Fleet Cafeの客車からなり、しかも通常の6900番台の制御客車の代わりにEMD F40PHタイプの機関車から動力ユニットを取り除いて制御荷物車とした車両を機関車の反対側に連結した珍編成です。

まず機関車はGE P42DCの44号機です。

Ge_p42_dc_44_150113_santa_fe_depot
2015/1/13

スタイルは上の184号機と同じですが、塗装パターンが異なります。この塗装はPhase Vbペイントと呼ばれているようです。編成を見て分かるように、円いカーブを描いている客車と四角い客車が繋がり、最後は2階建て客車と屋根の高さが同じ元EMD F40PHM-2C機関車のため、何とも不揃いな編成となっています。

81547_150113_santa_fe_depot2
機関車の次のBusiness Class CarはAmfleet Iの81547

81547はステンレス車両で有名なBudd Railcar製で1970年代中期に製造されものです。Regional Businessclassとして短距離用の設定のようです。

82560_150113_santa_fe_depot
2両の角形車体の客車の先につながる普通車Coachは82560 82570 82710で台車が

82560_150113_santa_fe_depot3
この写真のように非常に特徴的です。

一方、角形の車体はHorizonタイプでBombardier Transportationの製造で全部で104両製造され、86両がCoachタイプ、18両が食堂車タイプでした。

58108_150113_santa_fe_depot
58108 Club Dinette と表記されており、全室食堂タイプの車両です。1989年4月から投入されているようです。

54552_150113_santa_fe_depot
54552 Coachclassと表記されていました。これら2両はイコライザ方式の台車です。

F40phm2c_npcu_90208_150113_santa_fe
そしてなんと言っても一番ユニークなのがこの車両で、Santa Fe Depotでは後で紹介する予定のCOASTER牽引機でもお馴染みのF40PHM-2Cタイプの機関車から動力ユニットを除いて荷物室にし、制御客車的(NPCU)に残された90208号機です。
元は#208でしたが、Non-Powered Cab Unit (NPCU)化した車両は頭に90を付ける符番方式だそうです。

この列車が折り返し発車して行くシーンも見ていましたが、先頭車からは何も音も無くそろそろと走り出すのが印象的でした。

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2015年1月16日 (金)

速報 San Diego便り その4 Amtrakについて part2

今回はAmtrakのPacific Surflinerで運行されている客車編です。

これまで撮った写真を見てみると、この路線用の客車は6000番台の車両で占められていることがわかります。

本来の編成は昨日の記事でも書きましたが、機関車+Business Class Car+Coach x 3+Coach Cafeといった形態で、すべて2階建て客車から構成されており、

編成順にすると

機関車+Business Class Car+Coach/Cafe+Coach+Coach+Coach+Coach/Baggage という編成になっています。

日本のグリーン車に相当するBusiness Class Carは6800番台の車両で

6803_150113_santa_fe_depot
#6803 MacArthur Park

6851_150114_santa_fe_depot
#6851 Barboa Park

6852_150114_santa_fe_depot
#6852 Elysian Park

車両には公園名の愛称が付けられ、車両番号的には6800番台と6850番台がいるようですが50番台がどう違うのかは分かりません。

続いて、Coach/Cafeの合造車ですが、こちらは6300番台となっており、

6300_150114_santa_fe_depot
#6300 Rose Canyon

6301_150114_santa_fe_depot
#6301 Soledad Canyon

6303_150113_santa_fe_depot
#6303 San Fransisquito Canyon

こちらは峡谷の名前が愛称として付けられているようです。

Coachは普通車になりますが、6400番台で

6400_150113_santa_fe_depot2
#6400 Carpinteria Beach
#6412 Seal Beach
#6413 Venice Beach
#6414 Cabrillo Beach
#6453 Pacific Beach  などと言った海岸の名前が愛称として付けられています。

そして、機関車の反対側のCoach/Baggage は荷物を積むスペースのある客車、日本で言えば*ハニで、かつ編成の片方のエンドになるため、制御客車となっており、6900番台の番号が与えられています。

6903_070118_santa_fe_depot
#6903 Point Piedras Blancas

6904_150113_santa_fe_depot4
#6904 Point Sur

6906_030113_santa_fe_depot
#6906 Point Dume

6951_150114_santa_fe_depot
#6951

こちらは海岸の岬の地名が愛称として与えられているようです。
これらの車両はすべてイコライザ方式の台車です。

ただこれらの標準的な客車以外に別の列車で使われていた形式が組み込まれることもあり、Superliner 用に製造された

31021_150113_santa_fe_depot
#31021 塗装からして全く違います。

34967_150114_santa_fe_depot
#34967 こちらは元々はSuperlinerのCoachでしたが、2002年に温水ヒーターの故障を起こし、2008年にカリフォルニア交通局の予算で修繕した関係でSurfliner用にリースされ、塗装もSurflinerに合わせたものになったそうです。

これらの客車の方が台車的には乗り心地が良いかも知れません。

*Amtrakの車両情報はこちらのサイトの情報を参考にしました。

今回はここまでですが、明日の記事では、2階建て客車でない編成で、しかも機関車が異なる変わり種も目撃していますのでその記事をアップする予定です。

なお、この記事がアップされる頃、San Diegoを離れ、日本への帰路につく予定です。

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2015年1月15日 (木)

速報 San Diego便り その4 Amtrakについて part1

San Diegoの鉄道の話題、今回からはSanta Fe Depotに発着する旅客列車の話題です。

この駅は下の図が示すように

150113_santa_fe_depot
San Diego市内、周辺を結ぶTrolleyと長距離列車の乗換駅です。いわば、上野駅や新宿駅のような機能の駅ですが、極めて開放的です。厳密に言えばどちらのホームに相当する場所も乗車券なしに入場はできないことになってはいますが・・・。そもそもプラットホームの高さが、路面電車の安全地帯の高さなので駅という感じがしないのかも知れません。

長距離列車には大きく分けて2つの種類の列車があります。

ひとつはSan Diegoのここを南のターミナルとして北方のLos Angeles Union StationさらにSan Luis Obispoを約8時間半で結ぶAmtrakの列車 Pacifc Surflinerで走行距離は560kmです。もうひとつはNorth County Transit District (NCTDによって運行されているCOASTERと呼ばれる通勤列車です。こちらはOceanside Transit Centerまでの8駅を1時間で結んでいます。

この記事ではPacific Surflinerの主に機関車について触れます。

現在の形態で運行を開始したのは2000年6月1日のことですが、それまではアッチソン・トピカ・アンド・サンタフェ鉄道(ATSF)がLos Angeles~San Diego間を南行きThe Angel、北行きThe Saintという列車を運行していましたが、1971年Amtrakが発足したことで引き継がれ、1988年にはSanta Barbaraまで延伸し、2000年にSan Luis Obispoまで行くようになりました。Amtrakは日本で言う第二種鉄道事業者で線路は各セクション毎に別の会社が所有しており、オレンジ郡・サンディエゴ郡境界~サンディエゴまでの区間は後で紹介するCOASTERを運行しているNCTDが所有しています。Amtrakの運行路線の中ではアメリカ東海岸ボストン~ニューヨーク~ボルチモア~ワシントンDCを結ぶAcela ExpressNortheast Regionalで構成されているいわゆるNEC路線についで人気の高い路線です。

編成は機関車+Business Class Car+Coach x 3+Coach Cafeといった形態で客車はすべて2階建て客車で機関車は客車の屋根の高さがそろったEMD F59PHIで塗装も揃えてあります。終端駅で機回しをして機関車を先頭にするといったことはせずに客車の反対側のエンドに運転室がついた制御客車がついており、編成はそのまま推進運転で出発して行きます。

機関車のEMD F59PHIはいわゆる電気式ディーゼル機関車でGeneral Motors (GM)の電機部門の製造でしたが、現在はその後継会社のElectro-Motive Dieslが受け持っています。1994年から製造され、3200hpのEMD 12-710G3c-ECエンジン(12気筒)で発電機を回し、その電力でモーターを回します。最高速度は110mph (176km/h)出るそうです。駆動用以外にサービス電源用の発電機も搭載しており、交流60Hz 480Vが得られます。1994年のデビュー以来、カリフォルニアの厳しい環境基準に適合した最初のアメリカ製機関車になったそうです。

F59phi_450_100113_santa_fe_depot
EMD F59PHI #450 2010/1/13 Santa Fe Depot

この450号機は予備機扱いなのか、今回もSanta Fe Depotに客車なしの状態で駐機しています。向きはこのときとは逆向き(北向き)ですが。

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#453 機関車と客車が塗装的にも一致して大変美しい編成です。 2009/1/14 Santa Fe Depot

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#456 たまたま給油中のところを見たこともありました。タンクローリーがやって来て駅で堂々と給油するようです。 2009/1/14

F59phi_458460_150109_santa_fe_depot
#458+#460の重連 これも珍しいシーンですが、前の機関車は回送なんでしょうか? 2015/1/9

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#459 2003/1/13 
機関車は北向きと南向きがいますが、見た限り奇数、偶数で向きが異なるようでは無いようでした。

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#461 2007/1/18 このプラットホームの風景が南国的雰囲気を良く出しています。

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#462 2010/1/13

おそらく郊外では驀進しているのかと思いますが、Santa Fe Depot駅周辺、とくに南の待避線等へ引き上げるときや北方からやってくるときは鐘を鳴らしながらそろりそろりとやってきます。出発のときも汽笛一声はありません。

次回の記事で客車について触れます。

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2015年1月14日 (水)

速報 San Diego便り その3 San Diego全般について

San Diegoに来て、中間点を過ぎようとしていますが、今回はSan Diegoの街の様子について触れようと思います。

Dt_090114_san_diego7
Down Townの様子 2009/1/14

カリフォルニア州でLos Angelesに次いで2番目、全米でも7番目の大都市ですが、空港がDown Townに近接した古くからの小さな空港であるため日本からの直行便もこれまではなくアクセスの点で問題がありました。しかし2012年から成田からの直行便が開設され、その問題は解消しました。

地理的にメキシコ国境に近く、スペイン統治時代の歴史を持ち、メキシコ文化が多く残されています。公共交通機関に乗っていても主要駅では英語とスペイン語のアナウンスが流れます。

気候は

平均最高気温:1=18°C4=20°C7=24°C10=23°C

平均最低気温:1=9°C4=13°C7=18°C10=16°C

年間平均降水量:264.8mm (東京の年間平均降水量:1528.8mm

西岸海洋性気候で、一年を通じて温暖であり、雨が少ないのが特徴です。

昨年夏のニューヨーク州イサカの出張の際に、コーネル大学の先生が冬のサンディエゴはパラダイスだと言っていたのが印象的でした。

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太平洋戦争中の1943年に建造され、1997年に除籍された空母ミッドウエイの博物館 San Diego 港の岸壁に係留されています。こちらの詳細は追って記事にする予定です。

San Diegoの街の特徴はアメリカ海軍、特に太平洋艦隊の基地として位置づけがあり、退役した空母ミッドウエイの博物館もあり、今回見学しました。

150110_san_diego
珍しく雨模様になった日曜日の午前中 開園100周年を迎えたバルボアパークを訪問しました。

150111_balboa_park
Balboa Parkの中にある San Diego Air & Space Museum(航空宇宙博物館)前景

150111_balboa_park_2
Model Railroad Museum (鉄道模型博物館)を見学しました。
これらについても別記事で触れる予定です。

またDown Townの北には1915年パナマ・カリフォルニア博覧会の開催に合わせて開園したバルボアパークがあり、今年はちょうど開園100周年に当たります。多くの博物館、美術館、動物園、劇場、映画館などがあり、今回航空宇宙博物館と鉄道模型博物館を見学しました。

Sd_oper_house_150112_san_diego
San Diego Opera House の前景

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Down TownのTrolleyのCivic Center駅からすぐのところにSan Diegoのオペラハウスがあり、今年の演目はプッチーニの「ラ・ボエーム」、モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」、そしてジョン・アダムスの「ニクソン・イン・チャイナ」とのことです。こちらは今年が開場50周年に当たり、その記念のコンサートもあるようです。

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一方、記事に再三登場した12th & Imperial TC駅の側にはサンディエゴ・パドレスが本拠地とするペトコスタジアムがあり、ここは日本でもWBC2006の決勝戦が行われた場所として有名です。

Old_town_150112_san_diego
Old Townの駅前にはカリフォルニア発祥の地といわれるOld Town San Diego State Histric parkがあります。

と今回は鉄道を離れて、名所の紹介となりましたが、未だ鉄道の話題がありますので、明日からはそちらに戻る予定です。

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2015年1月13日 (火)

速報 San Diego便り その2 San Diego Trolley part4

引き続きSan Diego Trolleyの話題ですが、今回は1940年代製造のPCCカーを復活させて走らせている話題です。

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12th & Imperial TCで発車を待つ#529 号 Vintage PCC car 2015/1/10

この529号のスタイルはTCRT: Twin City Rapid Transit Companyで知られるミネアポリス・セントポールのPCC保存カー322号とスタイル的によく似ています。

わたくしも今回のSan Diego訪問は2010年以来の5年ぶりのことで初めての体験となりましたが、2011年8月18日1946年製造のPCC(the President’s Conference Committee)カー#529号車が修復されてDown Townのループ線を走ったそうです。これは6年におよぶボランティアで協力された方々の努力の結果で、さらに5両修復中の車両があり、将来はそれらも復活させ、昨日の記事にも書いた1890年代以来の San Diegoの歴史的風景を復活させようという試みだそうです。

詳細はこちらのサイトにありますが、復活中の6両のうち、3両はSan FransiscoのMUNI system (市営鉄道でこの中には有名なケーブルカー、メトロ、さらにFラインと呼ばれる世界各国の路面電車を集めた1路線もあり、阪堺電車の151形も走っているそうです)で活躍していたものをSouth Lake Tahoeの収集家から入手し、残りの3両はSoutheast PennsylvaniaとNew Jerseyで活躍していた車両だそうです。既にこういった試みを行っている他の都市、San Fransisco, Portland, little Rock, Tampa BayやBostonなどを参考に復活プロジェクトは進められたそうです。

Pcc529_150111_12th_imperial_2
車内の様子 後ろから前方へ

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前から後方へ

 まさに車内はバスといった雰囲気で、運転台は片側にしか無く、シートは片側1, 反対側2で運転台のすぐ後には内側向きの座席があります。窓もバス窓です。今回の修復ではこの内装の復活に大変な労力がかかったようです。

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修復にあたり、車椅子用の搭乗システムと無線装置が付加されたそうです。

そしてPCCカーの特徴であるペダルによる運転方式で、左足がアクセル、右足がブレーキだったと思います。運転中の乗務員の動作を見ていると手はブザー、鐘、警笛の操作と無線機の操作に忙しそうでした。

通称Silver LineのDown Town loopを約20分かけて一周した後、いろいろなポイントで撮影してみました。
Pcc529_150111_12th_imperialsea_vill
12th & Imperial TCを出発してGreen Lineを行く姿 上から見るとシングルアームのパンタがえらく大きく見えます。

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Green Lineを離れ、Orange LineとBlue Lineの共用部分のSanta Fe Depot付近を通過する姿

Pcc529_150111_civic_center
Down Townの北側の辺のCivic Center駅に進入するところ

Pcc529_150111_civic_center2
停車時はボギー台車の車軸間の電磁石がレイルに吸着し、ブレーキをかけるシステムなんでしょうか?

Pcc529_150111_12th_imperial2
後姿も1940年代スタイルで独特の雰囲気があります。当時のポールも再現されています。

現在は1台の運行ですが、今後残る5台が続々と登場してくるのが楽しみであります。

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2015年1月12日 (月)

速報 San Diego便り その2 San Diego Trolley part3

San Diego Trolleyの話題、前回の記事ではGreen Lineの命名から今日に至る変化を中心に触れましたが今回はOrange LineとBlue Lineについて触れようと思います。

San Diegoの軌道による公共輸送システムは鉄道馬車によるOpen-air street carでHamilton StoryとElisa Babcockが1886年7月3日に5th Streetに走らせたものが最初と言われています。運賃は5セントでした。翌年には電気で動くStreetcarの試運転が始まり、11月19日から営業運転を開始しました。

その後、会社乱立の数年が過ぎ、1892年11月30日に砂糖産業の創立者で企業家だったJohn D. Spreckelsがそれまでのシステムを統一してSan Diego Electric Railway (SDERy)という会社にまとめました。最初はthe Fifth Street and Logan Heights 線、the First and "D" Streets 線、 the Depot 線、 the Ferry 線、そして the "K" Street シャトルの5本線からスタートし、交通量の増加に合わせてネットワークを拡大して行きました。ピーク時に路線の総延長は165マイル(266km)に達しましたが、自動車の発達ともに衰退し、1949年に市電は全部バスに置き換えられました。

一方でJohn D. Spreckelsは1906年San Diego & Arizona Railway (SD&A)を設立し、San DiegoとEL Centroの間146.4マイル(235.61km)を結びました。しかし、こちらも財政難などで1932年に一旦、Southern Pacific Transportation Companyに所有権が移り、1933年Pacific San Diego & Arizona Eastern Railway Company (SDAE)が設立され、所有権が移りました。SD&AEはオリジナルの路線のうち108マイル(174km)に相当する路線を4分割して今日、貨物輸送に使用しています。

そのうちのひとつがBlue LineのSan DiegoからSan Ysidroまでの15.5マイル(24.94km)とOrange LineのSan Diego からEl Cajon までの19.2マイル(30.90km)です。

今日の復活の始まりは1966年頃からSan DiegoにTrolleyシステムを復活させようという考えが起こり始め、当時の最新技術の導入と路線の検討が開始されました。1976年にはMetropolitan Transit Development Boardが立ち上がり、新交通システムによる路線の可能性をメインに検討されますが、同年ハリケーンKathleenが襲来し、SD&AEの貨物輸送に大きな打撃を与え、貨物輸送の重要性が再認識されることとなりました。これが大きなきっかけとなり、貨物を残しつつ、新たな旅客輸送システムを作るということで、今日のTrolleyシステムが決まりました。

1981年にまずSouth Lineとして13.5マイル(21.7km)の今日のBlue Lineの路線が開業、1984年には複線化、1986年にはEast Lineとして今日のOrange LineがEuclid Avenueまで開業、1989年にEL Cajonまで延伸され、さらに1995年にはSanteeまで延伸されました。一方、北方には1996年にOld Townまで延伸、さらに1997年、Mission San Diegoまで延伸されました。

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Orange Lineの終点 El Cajon TCに到着した4000+2000+4000タイプの3併結編成 2015/1/9

San Diego Trolleyは道路と同じ、右側通行方式で、すでに折り返し(画面奥に進む線に入線しています)。一方、この駅から先のSanteeまで行く、Green Lineの車両は手前の線に入線します。

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駅と言っても改札口はありませんが、このようなスタイルの駅舎が多いです。

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そしてTC (Transit Center)と付く駅には接続するMTSのバスが駅前で待機しています。前面のキャリアは自転車を運ぶためのものです。

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路線図にあるようにOrange LineとGreen LineはGrossmont TC付近で合流しますが、ここには駅はなく信号所のようになっており、線路は平面交差しています。手前がSantee方面、左手先がOrange LineのSanta Fe Depot方面、車両の進行方向右手がGreen Lineの12th & Imperial となります。

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こちらはBlue Lineの南の終点、San Ysidro TC/Tijuana

1000番台や2000番台車は低床式ではなくステップがあるため、車椅子等での利用の際は車両の運転席横のドアがリフト式になっており、このようにして車椅子等での乗り降りを助けています。3000番台以降は低床式なのでどのドアからでも乗り降りできるようになったようです。
また、Blue Lineで運用される車両は写真のような2000番台3併結の編成がメインでした。

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メキシコとの国境 国境の向こうのメキシコ側の街がTijuana 日本語でティファナ アメリカ側からメキシコ側へはここから徒歩で入国可能で逆行不能の回転ドアを通るだけだそうですが、私はまだここを通って入国した経験はありません。メキシコからアメリカへの入国は密輸、密入国の問題もあり、結構、厳しいようです。

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2015年1月11日 (日)

速報 San Diego便り その2 San Diego Trolley part2

こちらの時間で2015年1月9日は、仕事の方は学会の参加登録だけだったので、Day Passを使ってSan Diego Trolleyに乗っていろいろ見て回りました。

San Diego Trolleyの路線図 (MTSのサイトの図を説明用に加工して、使用しました。)

私が泊まっているHotelや学会の会場となるHotelはFashion Valley のそばでGreen Lineの沿線なのですが、まずは12th & Imperial まで行ってみました。

初めてSan Diegoに来た2000年頃は、今のGreen Lineに相当する部分はMission San Diegoまで開通しており、Blue LineとOrange Lineの車両がやって来てました。2005年に延伸され、Orange LineとGrossmont 手前で合流するようになり、そのときにGreen Lineの名称が与えられました。Green LineはOld TownからSanteeまでとなり、Fashion ValleyからDown Townに向かう際にはOld Townでの乗り換えが必要となりました。

それが、2012年9月2日の線名再編成でGreen Lineの南側終点を現在の12th & Imperial まで延長し、Orange LineはSanta Fe DepotまでBlue LineはAmerica Plazaとしました。Down Townの正方形路線の西南側線は、それまではOrange Lineの車両がAmerica Plazaから12th & Imerial TCまで伸びていましたが、そこをGreen Lineが走るようになりました。

一方で、Old TownからSanta Fe DepotにかけてはSan DiegoとLos Angeles方面とを結ぶ、Amtrakの軌道(非電化)が併走しており、Santa Fe DepotがAmtrakの終点であり、さらにその南に引き上げ線や貨物ターミナルがあります。

今回初めてその部分をGreen Lineとして走りました。

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Coaster牽引機の3001 Amtrakもそうですが、アメリカの機関車は本当にその大きさに圧倒されます。走るときは意外とかわいい鐘を鳴らすような音を出して走って来るのですが。 2015/1/9 Santa Fe Depot先の引き上げ線 車内から写す。

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さらに貨物列車の編成も停まっており、側面にはSan Diego and Imperial Valley Railroadの略称、SDIYと書かれており、これがTrolleyが運転されていない深夜の時間帯に貨物列車を牽引している機関車ではないかと思います。

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Green Lineの南側の終点 12th & Imperial Transit Center

ここはDown Townの南東側のコーナーとなって、San Diego Trolleyの車庫も目の前にあり、さらに特定の曜日と週末に運転されるVintage Carの出発駅でもあり、Orange Line, Blue Lineの分岐駅でもあります。

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El Cajon方面から12th & Imperial TCに到着するOrange Lineの車両

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San Ysidro Transit Center方面から12th & Imperial TCに到着するBlue Lineの車両
左に伸びる線路がOrange Lineです。奥に車庫が見えます。

ここからさらにOrange LineでEl Cajon方面に向かいましたが、以降の内容は別記事にします。

今回、San Diego Trolleyの編成を見て感じたことは、1000番台のSiemens-Duewag U2 は殆ど運用されていないこと。車庫で1001番を見ましたが、おそらく保存されるのかと思います。さらにOld Townそばに留置線があり、そこに数編成留置されてるのが見えました。

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3併結の編成は中間に2000番台を連結しているケースが多いようでした。 2015/1/9 Santa Fe Depot

2000番台のSiemens SD-100 も上の写真のように先頭に立つケースはあまりなく、4000番台に挟まれて活躍するケースが多いようでした。今はまさに4000番台の天下といった感じで、11編成しか増備されなかった3000番台は一編成も見ませんでした。

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2015年1月10日 (土)

速報 San Diego便り その2 San Diego Trolley

San Diegoに到着し、時差の調整や仕事の方の準備に追われてまだ外出はしてませんが、今回の記事ではこちらではSan Diego Trolleyと呼ばれているLight Railについて触れようと思います。

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現在のSan Diego Trolleyの路線図 2015/1/8 Santa Fe Depot

1981年7月26日にアメリカにおける第二世代のLight Rail Systemの一番手として開業しました。運営しているのはSan Diego Trolley, IncでSan Diego MetropolitanTransit System (MTS)の一部門です。

現在は、上の写真のようにBlue Line, Orange Line, Green Lineの3線からなっており、軌間は1435mmの標準軌、電化方式は600V 直流電化、沿線には53駅、総延長53.5miles (86.1km)となっています。また火・木曜日と週末にビンテージ車両が走るSilver LineがDown Townの周回線(12th & Imperial Transit Centerから)に設けられており、そちらも人気を集めているようです。

車両は開業時から1989年までに導入されたSiemens-Duewag U2と呼ばれるカナダのエドモントン(Edmonton Light Rail Transit)やカルガリー(C-train)、もしくはドイツのフランクフルトのU-Bahnで使用されているのと同型の1000番台1993年に導入されたSiemens SD-100と呼ばれるC-Train, Edmonton LRT, デンバーのLight Railと同型の2000番台、そして2004年から導入されたfull-size Siemens S70と呼ばれるHouston METRORailやパリのT4(Avanto)を走るタイプと同型の3000番台、さらにS70の増備でStreet Car Lengthの4000番台が活躍しています。

これまでの11回の訪問でこの赤い電車とSantafe Depotで見られるAmtrakの車両やCoasterの車両はかなり写真を撮っているのでそれらを紹介して行こうと思います。そして今回の滞在中にこれらの車両が今どうなっているかの現状の報告もできればと思います。

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正面から見た顔つきは電車というよりはむしろバスを彷彿させる1000形 Siemens-Duewag U2 1065 2003/1/13 Santa Fe Depot付近

1000形は最盛期71編成活躍していましたが、後継車両の増備などでスペインのMendoza線などに売却され、現在残っているのは31編成だそうです。これまでに標準色以外に、いろいろな特別塗装のラッピング車両が登場しました。

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1000形の次に導入されスタイルは角張り、どこか日本のEH200と似ている2000形 Siemens SD-100 52編成導入されました。 写真はそのトップナンバー 2009/1/14 Old Town こちらもラッピング車両を数編成、見かけました。

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2004年から導入された3連接車体の3000形 11編成導入されました。 full-size Siemens S70 2007/1/14 Santee Transit Center

この車両はGreen Lineでしか見かけないなと思っていたのですが、その理由は車長が長すぎで3連併結で運用するとDown Town以南の路線などではプラットホームの長さが短くなるようで、そのために車長の短い次の4000番台が導入されたようですね。

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4018 今回の空港からホテルまでの道中で見かけた4000形 Streetcar length Siemens S70 現在65編成、導入されているとのことです。 2015/1/8 America Plaza

他都市の同型車として、これまで訪問して撮影した車両ですが、

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1111 DenverのLight Rail 2002/8/5 Union Station in Denver

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パリのT4線 Avanto 2009/9/19 Aulnay-sous-Bois

San Diegoは晴天の日が多く、晴れればカリフォルニアの青い空に赤いボディの電車が映えます。

料金は1回の乗車で$ 2.50ですが、One Day Pass $ 5.00や数日分のPassを購入すれば一日中乗り放題なので、距離に関係なくRidingを楽しむことができます。また、MTSはドイツなどと同様に信用乗車方式を取り入れており、通常は切符のチェックがありませんが、抜き打ちで係員が乗り込んできて切符のチェックを行う方式を採っており、きちんと切符を購入して乗らないと大変な罰金をとられるようです。

San Diego Trolleyの面白い点は、電車の走らない夜中 (午前2時から3時半までの間)にディーゼル機関車牽引の貨物列車が走っていることです。実物は見たことがありませんが、Orange Lineの終端のEl Cajon付近には貨物線との連絡線があり、そこからOrange Line~Blue Lineを経由してSan Ysidroとを結ぶ貨物列車が走っているそうで、運営はSan Diego and Imperial Valley Railroadが行っているとのことです。

こちらはこれから1月9日がスタートです。プログラム上は参加登録だけなので、今日は早速、出歩いてみようかと思います。

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2015年1月 9日 (金)

速報 San Diego便り その1 JL066 Flight

2015年1月8日の夕刻、JL066便で成田を発って、2015年1月9日午前3時(現地時間では1月8日午前10時)にSan Diego Lindbergh空港に無事着陸しました。

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出発便案内 成田空港 Terminal 2 2015/1/8

San Diegoに来るのは2010年以来、5年ぶりですが、実は2000年から2010年まで、同じこの時期に11年連続で来ているので今回は12回目の訪問となります。

そして今回の訪問で初めてのことは、フライトがこれまでのサンフランシスコ経由ではなく直行便を使って来れたことです。機材も初めての搭乗となったBoeing 787-8でした。これまではUnited AirlinesでSFO乗り換え、NRT-SFO間はBoeing 747-400Boeing 777-200、SFO-SAN間もBoeing 737Aibus A320で、SFOでの入国審査の行列や再度のスーツケースのチェックイン、セキュリティチェックなどの厄介だったプロセスが思い浮かびますが、今回は直行でSANに来れたので随分、楽な感じであり、到着時間も3時間ほど早くなりました。

国際線の場合、普段は通路側の座席をアサインしますが、今回は混雑しており、窓際席になりました。それが幸いして、普段見ることがなかった光景も写真に写せましたのでご紹介しようと思います。

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かつてTerm 2の本館とサテライトを結んでいたシャトルシステム 2011/7/29

今回久しぶりのJL便ということもあって私は知らなかったのですがかつてターミナル2のあったメインビルとサテライトを結んでいたシャトルシステムは、通路が完成したことで運行を終了していたのですね。

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早々とGate 91に行き、ちょうどこの時間帯順光でタキシングする機体が撮影できるのでGate付近で撮影することにしました。JA828Jと搭乗機と2番違いの同タイプが通過して行きました。RWY34Rに降りてくるJAL, Jet Starなど数種類の機体を撮影できました。

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16:45に定刻通り搭乗開始です。これまでのタイプと違って787独特のフォルムです。

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787がデビューしたとき紹介されていたと思いますが、これまでのタイプと異なって787の窓は円く、かつ日よけのプラスティック板がなく、

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このボタンで窓の光の透過量をコントロールする仕組みになっています。

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オーディオ、ビデオエンターテイメント システムはMAGIC-Vで座席のコントローラーもしくは画面に指を触れるタッチパネル方式でした。

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RWY34Lから離陸後、安定飛行に移り、おしぼりとドリンクのサービスの後、19:00頃から夕食サービスが開始され、洋と和の選択で和を選ぶと上のようなメニューでした。

着陸予定時刻の3時間前、日本時間で午前0時頃、客室内が点灯され、朝食サービスが開始され、

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こちらはJRの駅などでよく見かけるスープストックとのタイアップメニューのようでした。昔からアメリカ出張の際の朝食はとんでもない時間に出てくるので辟易感がありましたが、今回はすんなり食べることができました。

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外に目をやると朝焼けが見え始め、あっという間に明るくなりました。

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私の座席からは主翼がまさにこういった感じで見えました。

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アプローチは一旦、内陸に入って空港東側から着陸する方式でした。

高層ビルが見えるあたりがダウンタウン、その右斜め奥にLindbergh空港の滑走路が見えます。

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着陸後の搭乗機を撮影 2015/1/8 SAN

入国審査もESTAのためすんなり終わりました。
今回は空港からタクシーを使わず、公共交通機関を乗り継いでホテルまで行くこともやってみましたが、問題なく到着でき、随分節約できました(笑)。

今回はここまでです。

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2015年1月 8日 (木)

広島・四国西南部旅行 広島編 その1 アストラムライン

新シリーズとして、2014年12月18日から22日までの広島、松山、宇和島、高知旅行を始めます。

最初は広島電鉄から行こうかと思ったのですが、その予習編として広電の模型が展示されていた広島市交通科学館から行くことにしたのですが、その前にそこへのアクセスで利用したアストラムラインから触れることに致しました。   

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アストラムライン 6119 2014/12/18 長楽寺       

正式名称は広島高速交通広島新交通1号線で、愛称がアストラムラインです。

運営しているのは広島市などの出資による広島高速交通株式会社で第三セクター方式です。本社ビルは長楽寺駅そばの交通科学館横にありました。アストラムという名称は英語ではなく、「明日」と「トラム」の造語だそうです。会社設立は1987年12月1日でした。

141218

1989年2月28日に工事に着手し、当初は市中心部と北西部を結ぶ足として県庁前~長楽寺間を建設する予定でしたが、1994年10月に広島アジア大会が広島広域公園で開催されることに決まり、同公園のアクセス路線として役割から、広域公園まで延長が決まり、1994年8月20日に本通~広域公園間18.4kmが開業しました。昨年が開業20周年でした。

Automated Guideway Transit (AGT)と呼ばれるシステムで案内軌条は側方案内式となっており、同様のシステムは、埼玉新都市交通、日暮里・舎人ライナー、ゆりかもめ、横浜シーサイドライン、西武山口線レオライナー、大阪ニュートラム、六甲ライナーなどがあります。18.4kmという路線距離は現在、我が国で運行されているシステムの中では最長距離で、しかも本通駅から白島駅手前までの1.9kmが地下線というのも全国初とのことです。

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県庁前駅 まさに雰囲気は地下鉄でした。

法的にも本通~県庁前間は鉄道事業法に基づく鉄道区間で、地下鉄と見なされており、地下高速鉄道整備事業費補助制度を受けていたそうです。ここから北の区間は軌道法に基づく軌道区間だそうです。

駅はすべてホームドア方式で鉄道ファンとしてみると車両の写真を写すのに苦労する設定となっていますが、長楽寺のホームではガラス越しに列車が写せました。

電圧750Vの直流方式で全線複線、駅数は両端駅を含めて21駅、車内信号式による閉塞方式を採用しています。

Photo
路線図

白島駅ではJR山陽本線と交差します。これまでJR側に駅はありませんでしたが、この春のダイヤ改正で新白島駅が開業する予定です。大町ではJR可部線と接続しています。

車両は1994年導入の6両編成の6000系23本と同じく6両編成で1999年に導入された1000系が1本の24編成体制です。

6000系という系列名は開業年の平成6年に由来するそうです。製造会社は新潟鐵工所(現 新潟トランシス)、川崎重工業、三菱重工業です。

6100-6200-6300-6400-6500-6600 の符番で下2桁が編成番号となっています。

1000系は平成10年に増備されたため、10とし
1100-1200-1300-1400-1500-1600 の符番で編成番号は24となっています。

6000系は電機子チョッパ方式、1000系はVVVFインバータ制御方式で、いずれもゴムタイヤ方式です。

なお、編成の向きは長楽寺の車庫と本線がデルタ線で結ばれており、出入庫の向きで方向転換が起こるため一定していないそうです。

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長楽寺駅付近 こちらではまさに高速道路の下という感じでした。

12月18日の広島地方は前日に降った大雪が未だ残っているところに小雪が舞う状態でした。

わたしは旅行の計画をするまでこのシステムの存在を忘れていましたが、1994年広島でアジア大会が開催されるため、そのアクセス交通機関として新交通システムが整備されることになり、その工事において1991年3月14日橋桁落下事故が起き、14人が死亡、9人が重傷を負う事故があったことを思い出しました。改めてあの事故の悲惨さを思い出し、亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたく思います。

さて、私は今夕成田発でアメリカ・カリフォルニア・サンディエゴに出張します。
internet accessに問題がなければ現地からの速報方式でupdateを続ける予定です。

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2015年1月 7日 (水)

公園保存蒸機 D51 125 船橋市郷土資料館

今年最初の保存蒸機は2014年5月10日、新京成線に何年ぶりかで乗車して、鎌ケ谷、船橋、津田沼と回ったときのもので、習志野駅の南東の方向、歩いて約10分、成田街道(国道296号)沿いにある船橋市郷土資料館に展示されているD51125号機です。

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      習志野駅の駅名標 2014/5/10

新京成の線路の大半は旧日本陸軍鉄道連隊が戦前に演習用に敷設したもので、戦後京成電鉄に払い下げられ、1946年10月、新京成電鉄の設立で現在に至っています。軍隊の路線敷設演習のために急曲線が多く存在し、今もその名残を留めているのはそういった歴史的経緯によるものです。驚くべきことに津田沼~松戸間の直線距離は16kmですが、線路の道程は26kmになるそうです。

軌間も複雑な歴史を辿っており、演習線軌間は600mmで、1947年12月27日、新津田沼~薬園台が最初に開業したときは1067mmとなりました。1953年10月、全線が1372mmに改軌され、さらに1959年8月に現在の1435mmになっています。ちなみにこの1435mmへの改軌は親会社の京成電鉄よりも早く、親会社の改軌の予行演習ではなかったともいわれているようです。

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いまでもこの習志野には自衛隊の駐屯地、演習場、北には下総航空基地などもありますが、かつて江戸時代は幕府の馬の放牧場、その後は陸軍の演習場となっていました。その碑と説明文も郷土資料館にありました。

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郷土資料館は薬園台公園の一角にありますが、薬園台という名前は江戸時代に小石川養生所の薬草園がこの地につくられたことに由来しているそうです。薬草園ではおもに朝鮮人参などの漢方薬の原料となる植物が栽培されていたようです。

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D51 125号機 2014/5/10 船橋市郷土資料館 

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D51 125号機 35年間の現役生活の後、当地に保存されて41年が経過していますが、大切に保存されているせいか外板などの痛みも少なく、動態復活も可能ではないかと思われる状態と感じました。

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形態的には主連棒のビッグエンドは長方形

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逆転機のモーションプレートは大穴タイプ、

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砂管のパターンは写真のようなタイプでした。

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テンダーのライトはシールドビームタイプでした。

D51_125_a D51_125_b なお、このD51125号機の展示にはこういった解説のパンフレットが付属していました。全国的に見ても、こういったものが準備されている展示もここだけかも知れません。

最後に沖田祐作氏の機関車表からの履歴データを載せますと

D51125     日立製作所笠戸工場=994           1938-07-22 S77.60t1D1T(1067)
   車歴;1938-07-22 製造→ 納入;国鉄;D51125→ 配属;東京局→1938-07-22 使用開始→
      1938-07-31 配置[東鉄達617];新鶴見→1944-08-18 静岡→1949-09-16 中津川→
      1950-01-24 借入;稲沢→1950-02-28 返却→1955-04-23 借入;名古屋→
      1955-08-01 返却→1968-07-13 集煙装置取付(長野工場)→1973-06-16 長門→
      1974-03-01 廃車;長門→ 保存;千葉県船橋市「郷土資料館」;D51125

新鶴見から始まって、静岡、中央西線、最後は山陰本線で廃車となっています。中央西線時代に長工式集煙装置を装着したようですが、長門に移ってから外されたようですね。
私も、1972年の夏東萩駅で山陰本線で働くD51を数両撮影しましたが、あのときにもしも運用があっていれば撮影していたかも知れない機関車でした。

帰りは鎌倉街道に沿って薬園台駅まで歩き、津田沼に向かいました。
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新京成 薬園台駅 駅舎 2014/5/10

追記:このD51125号機が中央西線で旅客列車832レを牽引している録音がYoutubeにアップされています。Rail Archives:中央西線D51旅客列車832レ、831レ走行音 1969年11月16日録音.

 

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2015年1月 6日 (火)

水郡線営業所公開 その2 CRUISING TRAIN

2014年11月30日の水郡線営業所公開、今回触れるのは郡山方面から、【快速】リゾート水郡80周年号としてやって来たCRUISING TRAINです。

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CRUISING TRAIN キハ48-533+540 2014/11/30 常陸大子

この編成は1997年3月の秋田新幹線開業と同時に1990年から五能線で運転されていた50系客車による眺望列車「ノスタルジック・ビュートレイン」に代わって運転を開始したリゾート・しらかみのうち初代の青池編成でした。尤も、青池編成との命名は2003年に姉妹車「ブナ」編成が登場してからでした。

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キハ48-540+533

キハ48-533, 540, 1521, 1543 を1997年に改造したもので改造に伴う改番はされませんでした。

1,4号車の533、540は展望ラウンジ付きの座席車(回転リクライニングシート)、2, 3号車の1521、1543は6人または4人用の簡易個室車として、冷房装置を搭載し、エンジンをDMF14HZ(300PS/2000rpm)に換装しました。1,4号車の前頭部形状を変更し、全車の側窓を拡大して、ブロンズガラス固定窓としました。塗装は白神山地の白、日本海の深青をイメージしたそうです。ちなみに「青池」は沿線の十二湖にある最大の湖、青池から来ています。

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十二湖の風景 1979/8/13

父の郷里が秋田県能代だったものですから、夏休みには能代に行った際に、十二湖にも足を伸ばしました。

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リゾートしらかみ「くまげら」編成 2010/10/23 五所川原

2006年3月18日のダイヤ改正を前に2号車の1521は「くまげら」編成に転用され、3両編成となりました。2010年12月4日の東北新幹線・新青森開業にあわせて新型ハイブリッド車両HB-E300系4両編成が投入されたため、この編成は「青池」の名称をHB-E300系に譲り、さらに中間車1543も「ブナ」の中間車として組み込まれたため、2011年から2両編成の団体臨時列車用の「CRUISING TRAIN」と改称されました。

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リゾートしらかみ「ブナ」編成 2010/10/24 青森

2011年4月の「弘前夜桜鑑賞号」として、新しい車生をスタートしました。保安装置はATS-Ps形のみのため、首都圏への乗り入れは不可能とのことです。

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2015年1月 5日 (月)

東海道新幹線開業から50年 その8 100系登場 X0試作編成

1975年3月の博多開業時に増備された0系16両編成が1980年代中期には置き換えの必要が生じるため、1984年頃から開業以来の0系のモデルチェンジが検討され始めました。

100_x0_860216_2_2 東京駅に進入するX0編成(改造前) 1986/2/16

1984年5月14日の国鉄常務会にて100系試作編成の製作が決定されました。9000番台X0編成として、1985年3月27日に落成、東京~三島間で公式試運転が実施されました。4月には東京~博多間で営業速度での試験が実施され、9月まで速度向上試験が実施され、米原駅 - 京都駅間で230km/hを小郡駅 - 新下関駅間で260km/hを記録しました。

1985年10月1日から「ひかり3・28号」1往復による営業運転が開始され、1986年8月から10月にかけて量産化改造が実施されました。

X0編成は12M4Tの16両で新幹線電車としては初の付随車の登場となりました。これは製造コストの削減を最優先にしたためと言われています。

構成は

博多  1   2   3  4   5   6   7      8      9   10   11  12  13 14 15 16 東京
        Tc-M'-M-M'-M-M'-M5-TDd-Tsd-M's-M7-M'-M-M'-M-Tc   で、

MM'ユニットの向きは0系とは逆向きとなりました。窓は0系1000番台などと同じく小窓でした。普通車のシートピッチが980mmから1040mmに拡大されたため、リクライニング角度が拡大し、3人席の回転・リクライニングも可能となりました。0系からのモデルチェンジではスピードアップがなされるべきところでしたが、国鉄財政難で不可能だったため、内装や接客設備に力が入れられ、座席での音楽サービス(グリーン車ではイヤフォン、普通車では手持ちのFMラジオ)、LED方式の電光掲示サービスも導入されました。

Tc 123-9001 博多向き制御車 トイレ・洗面所各2カ所 男性用小便所 定員65名
Tc 124-9001 東京向き制御車 連結面より乗降口に電話設置スペース 定員75名

100_860216_3_2 名古屋に到着したX0編成 124-9001の運転台窓下桟のV字の特徴がわかります。 1986/2/16

100_1239001_860216_2 123-9001の横顔 量産車よりもツリ目でした。

M 125-9001~9004 定員90名
M5 125-9501 9000番台に多目的室、業務用室、電話室を付加、トイレは洋式 定員80名
M7 125-9701  9000番台に身障者対応広幅乗降扉、大型洋式トイレ、車椅子用座席、多目的室、車販準備室 定員73名

M車には主制御器(CS56)、抵抗器が搭載され、主変圧器の二次巻線4つからの交流をブリッジ整流し、サイリスタによる位相制御方式を採用しました。主電動機は直流直巻方式のMT202でした。

M' 126-9001~9005 定員100名 乗降口に公衆電話スペース

M'車には主変圧器(TM203)、整流装置、補助電源装置(SIV:SC202)、CP(MH1091-TC2000)、パンタグラフなどが搭載されました。パンタはPS202,下枠交差型で当初は6基搭載されていましたが、1991年の東海道新幹線ATき電化で3基に半減され、特高圧引き通しでパンタのない電動車ユニットにも電源が供給されるようになりました。

M's 116-9001 平屋のグリーン車 新製時は博多よりに乗降扉、1人用個室2室、2人用個室1室が設けられていましたが、量産化改造で撤去され、乗降口は塞がれ、全室開放式グリーン室になり、荷物室と車販用ワゴン置き場になりました。 定員は60名から68名になりました。

100_x0_1499001_860216_3_2 改造前の149-9001 まだ1階東京寄りの乗降扉がありません。 1986/2/1

Tsd 149-9001 100系最大の特徴とされる2階建てグリーン車 東京寄りにトイレ・洗面所が設けられており、新製時は1階の使用法が決まっていない状態で落成しました。営業運転開始時に1階部分に1人用個室4室、3人用個室6室を設置し、量産化改造で東京寄りに乗降扉を増設、個室も1人用5室、2人用3室、3人用1室に変更されました。定員56名。

100_1689001_860216_4_2

168-9001 改造前 NSマークは小さいものでした。

TDd 168-9001 日本の鉄道史上初の2階建て食堂車で2階部分が食堂、1階は厨房でした。量産化改造で食堂内部の内装が仕様統一され、小さかったNSマークも大きくなりました。食堂定員44名

1689001_140812_2 168-9001は名古屋のリニア・鉄道館に展示保存されています。2014/8/12

これら2階建て車両はサービス面を中心としたモデルチェンジの中心となった車両で客席部分を最大限利用するために付随車となりました。空調設備も室内機と室外機を分離したセパレート方式となりました。また車体重心を出来るだけ下げるため1階部分の車体構造が強化され、厚い鋼板が張られたそうです。

X1編成は2000年に引退しました。

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2015年1月 4日 (日)

高崎鉄道ふれあいデー その5 八高線全線開通80周年 特別塗装

2014年10月18日高崎鉄道ふれあいデー、4台の茶色の機関車の後は、八高線全線開通80周年を記念して、登場したキハ111,112-204の特別塗装車両について触れようと思います。

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キハ111-204+キハ112-204 八高線全通80周年塗装 2014/10/18 高崎鉄道ふれあいデー

キハ100系気動車は老朽化したキハ20系、キハ45系などの置き換えとローカル線のサービス改善を目的として1990年3月10日に北上線でキハ100形、釜石線、山田線でキハ110形量産先行車がデビューしました。製造は富士重工業・新潟鐵工所でした。

車体、台車の軽量化と高出力直噴式エンジン、高効率液体変速機の組み合わせにより、電車並みの性能を有しており、ブレーキシステムも応答性の高い電気指令式を使用しています。連結器の形状も在来車とは異なるため併結が出来ません。

エンジン DMF14HZA (カミンズ製NTA-855-R4、連続定格出力 420PS/2000rpm) 1台搭載
変速機 DW14A-B

速度向上により、時間短縮が実現し、冷房装置搭載で旅客サービスが向上しました。また冬場の車内温度保持のため、客用ドアは半自動方式とし、ドア横に開閉スィッチが設置されました。
111204_80_141018_5

車両形式は
片運転台 20m級車体 キハ111形 同トイレ無し キハ112形の2両一組
両運転台  16-17m級車体 キハ100形 
       16m級車体 キハ101形 (左沢線用) 
       20m級車体キハ110形 

キハ110,キハ111+112形200番台はキハ110が50両、キハ111+112が21編成製造されました。但し、キハ110形14両とキハ111+112編成3本は秋田新幹線工事に伴う田沢湖線改軌で田沢湖線特急「たざわ」の運転が出来なくなった代替措置として北上線経由で運転された特急「秋田リレー号」に使用された300番台からの改造車です。
200番台車は羽越本線、磐越西線、八高線、飯山線、陸羽東線、陸羽西線、米坂線に投入され、2011年3月の東日本大震災で電化設備が損傷し、205系の運転が不能となった仙石線陸前小野~石巻間でも運用されるようになりました。

2014年の気動車配置データでは
キハ110 
高タカ 207 208 209 210 218 219 220 221 222
仙ココ 237 238 239 240 241 242 243 244 245
新ニツ 201 202 203 204 205 206 211 212 213 214 215 216 217 223 224
長ナノ 225 226 227 228 229 230 231 232 233 234 235 236
キハ111,112
高タカ 204 205 206 207 208 209 
仙ココ  213 214 215 216 217 218 219 220 221
新ニツ 201 202 203
長ナノ 210 211 212

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この白地に赤帯の塗装はかつて八高線で活躍していたキハ38形気動車の塗装を再現したものとのことです。

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残念ながら八高線時代のキハ38形の写真はありませんので、久留里線で活躍する姿を載せます。 キハ38 1 2009/2/15 木更津

八高線は南から1931年12月10日、八王子~東飯能間が八高南線として開業し、小宮駅・拝島駅・東福生駅・箱根ヶ崎駅・金子駅・東飯能駅がその際に開業しました。さらに1933年4月15日には東飯能 - 越生間が延伸開業し、高麗川駅・毛呂駅・越生駅が開業しました。そして1934年3月24日、越生 - 小川町間が延伸開業し、明覚駅・小川町駅が開業しました。
一方、北からは1931年7月1日、倉賀野駅 - 児玉駅間 が八高北線として開業し、群馬藤岡駅・丹荘駅・児玉駅が開業しました。そして倉賀野駅 - 群馬藤岡駅間に小野信号場が新設されました。この信号所は高崎線との分岐点に設置されたもので、後に北藤岡駅が新設され、信号所は同駅構内に統合されました。1933年1月25日には児玉駅 - 寄居駅間が延伸開業し、松久駅・用土駅・寄居駅が開業しました。

1934年10月6日、小川町ー寄居間の延伸開業で全通となり、八高線と改称し、竹沢駅・折原駅が開業しました。

2053000_83_141108_4
ちなみに全通80周年記念のHMは205系3000番台83編成も掲げて走っていました。 2014/11/8 八王子

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2015年1月 3日 (土)

箱根駅伝とすれ違う@保土ヶ谷

本日 横浜方面に車で出かける用事があり、足を伸ばして、辻堂海浜公園と年末30日に続いて江ノ電を撮影しようと思い、国道15号線、1号線と下って行きました。

当然のことながら、箱根駅伝の復路と見事にスケジュールがあってしまい、横浜付近から沿道は大変な人出で、保土ヶ谷付近では対向車もストップ状態となり、

1_150103
まずはパトカーが先導し、1号車、カメラ車がやってきて、

1_150103_2
つづいて白バイの先導で

9_150103
1位の青山学院大学9区の選手(藤川 拓也さん)がやって来ました。

9_150103_2
日本中が注目しているスポーツの実況をこうして真横で観るのも初めてか?

9_150103_2_2
今年は青山学院大学が往路、復路とも完全優勝で初優勝だったそうですね。しかも10時間50分の壁を初めてきったとか。

1_150103_3 既にこの時点で2位以下とは10分近く開いており、こちらが進み出して2位以下とすれ違ったのは権太坂あたりでした。

まさしく、偶然とは言え、箱根駅伝をこうやって観戦したのは初めての経験でした。

150103
辻堂海浜公園からは白く冠雪した富士山が綺麗に見えました。

ここまでは良かったのですが、江ノ島から鎌倉経由で帰ろうとしたら鎌倉の海岸で大渋滞に遭遇し、えらく時間をロスしてしまいました。

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尾久車両センター公開 2014 その1 185系 A4編成 part3

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、185系基本番台A4編成のこれまでの活躍の様子について写真を紹介しようと思います。

手元の写真リストを見返してみると最初にA4編成を撮影したのは
185_a4_030126
2003年1月26日のことで、新川崎~横浜間を走行する横須賀線の車内から並走する同編成を撮影したときでした。

185_a4_030426
東海道線の車両を撮影する場合、鶴見駅でよく撮影しますが、2003年4月26日に鶴見で撮影した際に撮影していました。

185_a4_051218

「湘南ライナー」 かもめの水兵さんのHMを掲示したA4編成 2005/12/18 大船

185_a4_070224_2

大船の貨物線を通過するA4編成 2007/2/24

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特急「踊り子」号として大船を通過するA4編成 2007/8/11

185_a4_120708
東海道運用以外にも当時の田町区受け持ちの特急「あかぎ」として高崎線運用にも就いていました。 2012/7/8 大宮

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C編成と併結の15連で特急「踊り子」号を担当するA4編成 2013/5/5 田町

今のところ10両のA編成グループには手が加えられていないようですが、湘南ブロックパターン塗色からオリジナル斜めストライプ塗色への復帰が進んでおり、編成の組換えもOM, B, C編成で行われております。今後の動きを注意深く見守るべきかと感じております。

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2015年1月 2日 (金)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 4 8630号機

2014年8月10日の梅小路機関車館訪問、今回は8620形式の8630号機です。

8630_740930_2
       1974年訪問時の写真 この時点で満60歳

8630号機は672両量産された8620形式のなかでも11番目、1914年製造の機関車です。製造は汽車会社で、JR九州の58654と並んで2機の動態保存機の1機です。

8630_140810_2
今回はDE10とともに庫内にいました。

沖田祐作氏の機関車表のデータを引用すると、

8630      汽車製造大阪工場=129       1914-06-27(6/26?) S46.75t1CT(1067)
   車歴;1914-06-27 製造→ 納入;国鉄;8630→1914-06-00 配属;品川→
      1914-07-20 使用開始[神管達696];神戸局→ 大宮→
      1926-12-18 発(12/18 着)千葉→1928-04-17 発(4/17 着)借入;銚子分庫→
      1928-04-20 発(4/20 着)返却→1930-05-06 発(5/6 着)成田→
      1933-04-13 現在;安房北條事故? →1934-11-23 発(11/23 着)安房北条→
      1938-12-28 発(12/29 着)借入;尾久支区→1939-01-05 田端発(1/6 着)返却→
      1939-05-29 発(5/31 着)常陸大子→1952-12-02 発郡山工場にて乙修施工→
      1952-12-08 発(12/8 着)平→1955-08-01 現在;平→1967-09-29 水戸→
      1968-10-03 平→1970-03-27 付(3/26 付郡山工場出場3/26 水戸発?水戸発は
      書類上の処理か)弘前→1972-08-25 動態保存整備のため土崎工場入(1972 年廃車の78627 号
      より小工デフK-7 形を移植= 思うに移植されたのはデフだけではない可能性を見る 梅小路収容は
      第一義的には動態保存であり現在梅小路にある現車は運転室が後期型のものを装備していて特徴的
      なS 字の初期型ではない この運転室の変更は何時行われたのか公表されたものはないがデフを交
      換されたときにデフだけではなく後期型のボイラーを含む上回り全体を取換えられてしまったので
      はないかと邪推している)→1972-09-13 土崎工場発→1972-09-14 付梅小路→ 小工デフ撤去→
      1979-03-28 廃車;梅小路→ 保存;京都府「梅小路機関車館」;8630→
      1989-10-13 借入;宮原客車区→1989-10-17 返却(最終走行距離=4,124,177㎞動態整備以前)

このデータにもありますが、8620や9600の運転室下部はS字のカーブを描くラインを持っているのが特徴ですが、現車はそのS字ラインを失っているようです。

8630_140810_6
写真からも分かるように当日は台風の接近でまさに叩き付けるような雨でした。

入館後の1979年に車籍を無くしており、営業路線走行は出来ませんが、館内の線路上を「スチーム号」として走行することは可能です。2006年に蒸気機関車群、関連施設とともに、準鉄道記念物に指定されています。

8630_140810
現在、満100歳。 釜に火が入っています!
さすがの大雨でスチーム号の運転は中止、HMを付けての撮影となりました。

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2015年1月 1日 (木)

ニューヨーク州イサカへ その4 ORDとEWRでスポッティング18 Air Train Newark

明けまして、おめでとうございます。
本年も宜しく、お願い致します。

Tower_and_airtrain_140726_ewr
ニューアーク・リバティ国際空港の管制塔とAir Train 2014/7/26

新年最初の話題は2014年7月のアメリカ出張で利用したNewark Liberty Airport (EWR)の空港ターミナル間連絡モノレールシステム、Air Trainの話題です。もっとも私はこのときは同じターミナルC乗り継ぎであったので、写真を撮影しただけで乗車はしておりませんが。

Map_of_term_c_140726_ewr        空港のターミナルCの案内図 
左下の空港全体のターミナル配置図を結んでいるのがAir Train

AirTrain Newarkは3マイル(4.8km)のモノレールでアムトラック、ニュージャージートランジットの北西回廊線や北ジャージー海岸線との乗り換えが可能な空港駅と駐車場P4、ターミナルC, B, Aそして駐車場P3,P2,P1を結んでいます。

最初に開業したのは1996年で、ターミナル間を結んでいましたが、1997年に工事が開始され、2000年10月21日、現在のような路線形態になりました。

車両も開業時はボンバルディア製の6両編成12本で開始しましたが、2000年再オープンの際には18本に増強されました。

建設を請け負った会社はVon Roll AG (1803年創業のスイス鉄鋼会社Eisenwerke der Handelsgesellschaft der Gebrüder Dürholz & Co.をオリジンとする)で最終的にはAdtranz (ABB Daimler-Benz Transportation 鉄道車両、施設などを建設する多国籍企業)が完成させました。さらに後にAdtranzはBombardier Transportationに吸収されました。AirTrainシステムの運行はPort Authority of New York and New Jerseyが受け持っています。

Airtrain_140726_ewr2
運賃はAmtrak/New Jersey Transit stationmまで、もしくは同駅から乗車する以外は無料とのことです。

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