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2015年2月21日 (土)

西武新101系 その7 時は流れて 2連編 その5 流鉄5000形 5004編成  若葉

流鉄で活躍する元西武鉄道新101系2連、今回は5000形第4編成、三代目「若葉」の話題です。

若葉という愛称が与えられた編成としては三代目になり、

初代は1200形1208編成で1200/1300形の一員として1979年から1987年にかけて西武501系、551系を譲受したもので、

クモハ1200 サハ60  クモハ1200

 1201           61           1202       流星 橙色地白帯 1979/1/31-1999/2/11         
  (515)        (1527)        (516)      
  1203           62           1205       流馬 水色地白帯 1979/9/1-1997/9/9
  (509)        (1509)        (510)
 1206           63           1207       銀河 銀色地橙帯 1980/4/26-1995/11/9
  (523)       (1524)        (524)
  1208     65           1209       若葉   若草地白帯  1981/6/8-1999/6/26 
  (511)       (1511)         (512)

クモハ1200 クハ80

 1210          81                        なの花 黄色地緑帯 1984/11/14-1997/2/3
  (561)   (1658)
クモハ1300 クハ70                    あかぎ  臙脂地白帯 1987/12/24-2001/5/21
 1301          71
  (558)       (1659) 

このように1201から始まる符番でしたが、1204は”死”を忌み嫌ってなのか避けています。

かつて旅客機などの登録記号でもJA8004, JA8304, JA8342, JA8404, JA8504 などが避けられ、JA8000番台が一杯になってきた頃、MD-90やA320がかつて避けられたこれらの登録記号を付けていたことがありました。おなじような現象は台湾の旅客機の登録記号などでも見られます。

因みに後年デハ3450形に改番された東急のモハ510形の場合は「惨事」に通じるという理由で510から565の末尾3が欠番になっていたとか。

3002310232_090607_2
3000形 3002編成の先代「若葉」 2009/6/7 馬橋

二代目は3000形3002編成で西武旧101系131Fを3連化したものでした。
1999年に1200/1300形置き換えのため、旧101系4連のモハ101形偶数車にクハ1101形偶数車の運転台を接合し、先頭車化しました。西武旧101系としては唯一の他事業者への譲渡事例となりました。

クハ30  モハ3100 クモハ3000

31            3101        3001       流星(二代目) 橙色地 N字形白帯
(1135)   (135)   (136)
32            3102        3002       若葉(二代目) 黄緑地 N字形白帯
(1131)       (131)       (132)  

2010年1月20日、全列車2両編成化で、定期運用を離脱し、「若葉」のさよなら運転は2011年5月15日に行われました。尚、元西武701系、801系改造の2000形「明星」「流馬」「青空」「なの花」が同時期に活躍していました。

51045004_130525_2
5000形 5004編成 三代目「若葉」 20013/5/25 馬橋

三代目若葉編成は2012年9月に甲種回送され、営業運転に就いたのは12月3日からでした。

51045004_140716_2
2014/7/16 馬橋

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コメント

B767ー281様こんにちは。区内出張で何かと便利な世田谷線。長い歴史があるのですね。宮の坂のグリーンの電車、通る度に微笑ましく見ています。ゲージについても歴史的な背景よくわかりました。これからも楽しみにしております。

こんばんは。

若葉は先代が旧101系だったもので、101系から101系への置き換えという形になってしまいましたね。そして2両に短縮化されてしまいました。

MiOさま、おはようございます。

確かに旧101系から新101系へのバトンタッチになっていますね。流鉄としても2連化というのはTX対抗上、やむを得ない措置だったのでしょうか。

地図で、流鉄の路線を見ると、あの短い区間で、よく頑張っているなと感じます。

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