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2015年2月 4日 (水)

通勤電車シリーズ 103系 19 中央西線の新性能化

通勤電車103系の話題、これまでは首都圏や関西の通勤車両における103系の進出を観てきましたが、今回は中央本線名古屋口の103系の話題です。

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中央西線名古屋口の103系 クモハ103を中津川方に連結した非冷房編成 1980/12/8 名古屋

中央西線名古屋口は1966年7月名古屋ー瑞浪間が電化され、横須賀線と京阪神緩行線から、70系(クハ68形を含む)が72両が転属し、通勤電車による運行が開始されました。同年10月には運用区間が東海道本線浜松~米原間まで拡大され、それまで客車で運行されていた列車が電車化されました。1968年には神領電車区が開設され、10月のダイヤ改正では運用区間を中津川まで拡大しました。

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1980/12/8 名古屋 助手席側にもワイパー付き

当時の70系の編成は基本6両、付属4両でラッシュ時には10両編成も組成されました。1973年には中央西線・篠ノ井線が全線電化され、坂下まで運用区間が拡大し、1975年には南木曽まで延長されました、さらに1976年には岡多線が開通し、付属編成が投入されました。

私はこの頃、1975年1月2日に大垣行き夜行で名古屋を訪問し、中央西線の通勤車両を記録しました。

103_860216
1986/2/16 名古屋
この時点では6+4編成でしたが、ライトのシールドビーム化、冷房化改造が進んでいました。

70系最盛期は横須賀線などからの転属車の格下げ車サハ75形サハ85形も組み込まれていたそうですが、80系は東海道本線に中央西線は72系(5+5編成)という方針から規模が縮小され、余剰車は新潟や長野に転出となりました。

103系は72系旧形車で運用されていた中央西線の通勤車を新性能化するため、ATC対応車の投入で捻出された0番台初期車を中心に1977年から投入され、神領区に配置されました。初期投入分は京浜東北線、横浜線から、後期投入分は青梅・五日市線からとなりました。

103_861203
3連の運用が登場した頃 1986/12/3 名古屋

投入時に以下の改造が施されました。
・塗装はスカイブルーに統一されました。
・ 2人乗務用に運転室助士側に座席とワイパーを増設
 (後期に投入されたものについてはワイパー増設がされていない)。
・前面窓ガラスにデフロスタを取付
(後にガラスを熱線吸収ガラスに交換したため撤去している)。
・先頭車側面にサボ(行先方向板)受けの設置
(後期に投入されたものについては設置されていない)。
・サボを使う関係で冷房車でも方向幕の使用は行わず、前面の方向幕も「中央線」・「普通」などのステッカー貼付による固定表示とした。

編成は転入時は
←名古屋
   Tc T M' Mc Tc M' M T M' Mc       でしたが、1986年11月1日のダイヤ改正で
   Tc M' MC Tc M' M T T M' Mc      となりました。

クハ103基本番台の神領転属車は
-75~-91の新製配置で浦和区や蒲田区に配置された車両が異動したケース多く
-77, 78, 79, 83, 84, 85, 88, 90, 91が異動しています。
500番台はATC化に伴う捻出車で
-512, 542, 549, 559
クモハ103は若番車が多く
-3, 7, 8, 15, 16, 17, 18, 36, 37, 38, 49, 75 が異動しています。

民営化の時点では70両がJR東海に継承されました。

JR東海は211系5000番台を大量増備し、1989年7月には昼間の運行は全て211系となりました。103系は冷房車のみの50両が残され、1991年には特別保全工事、リフレッシュ工事がなされました。1995年には中央本線外に初めて進出し、関西本線亀山まで足を伸ばしました。1999年12月4日のダイヤ改正の前日、前年から投入の始まった313系に押される形で運用を終了しました。車籍は2001年度まで残されましたが、JRグループとして最初の全廃となりました。

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コメント

B767−281様 お早うございます。中央西線の103系は東海会社になってからの印象が強いですが、クハb103−549が青梅・五日市線から転出した車両で、当初オレンジ色のまま走っていたのを覚えています。(これぞ中央線!)と一人にんまりしていました。(笑い)103系は博物館入りはしなかったようで残念です。もう一つ神領の72系列と言えばクハ79904がいました。横浜線では見た事がありますが、当時はまだ行動力が伴わずとうyとう写真を撮れなかったのが残念です。では失礼いたします。

1977年の転入時にはウグイス色が混じっていました。車輪のフラットが多くすごい騒音でした。1980年頃名古屋工場で冷房改造が始まりました。扇風機はそのままだったので扇風機と併用でとても涼しかった記憶です。あの頃のローカルは70系、80系、103系、113系、153系、155系、165系、気動車列車ととてもバラエティーに富んだ列車が走っていました。

こんにちは~。モモパパです。
僕の地元。
名古屋を発着する103系。
なんだか懐かしいです。
この車両に乗ってよくL特急「しなの」の撮影に出かけたのを思い出します。
古虎渓駅で降りて山を登って撮影してたのを覚えておりますよ~。

B767しゃん、おはようでごんす(^◇^;)お邪魔致しますよm(_ _)m中央線名古屋口にも103系が登場ですか‼︎最初の画像3枚ですが、前面の方向幕に「中央線」と表示されちょりますが、行先は何処に表示されちょるんすか⁉︎

72系の転入は1972年3月改正で玄海の間合いが廃止の見返りと聞いています。70系の東海道運用もなくなり一部が新潟や長野に転出となりました。この時クハ68はいなくなりました。基本6連中のサハは
1978年の廃止までありました。検査予備がなくモハ代用もあったようです。

細井忠邦さま、中央西線さま、モモのパパさま、マスダっち1971さま、おはようございます。

皆さん、中央西線の103系には多くの思い出をお持ちのようで、コメントをありがとうございます。いまでも通勤車両の路線間の転属はありますが、今と違ってあの頃は総塗り替えをしないといけませんでしたから、当面は混色でというパターンが多かったですね。

モモのパパさまはまさに地元で思いで多き電車でしょうか。
中央西線さまは、初めてコメント戴きありがとうございます。しかも、72形導入の経緯がなんと475系急行「玄海」の間合い運用の中止とは思いませんでした.特急版では「金星」の間合いで「しらさぎ」というのは有名でしたが、急行電車もこういった使われ方をしていたのですね。
「玄海」といえば、その前身の「はやとも」は乗車した思い出があります。
マスダっち1971さま、名古屋の103系の場合、行き先表示は側面にサボを入れていたようです。

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