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2015年2月18日 (水)

通勤電車シリーズ 103系 20 青梅・五日市線の103系 part1

青梅・五日市線は首都圏の通勤路線でも中央快速線とは一線を画しており、昭和50年代に入ってもクモハ4072系などの旧形車が活躍していました。

40
103系が投入されて間もない頃、青梅線では72系4連にクモハ40を増結した旧形車5連が走っていました。 拝島

101系が間合い運用で活躍していた時期もありましたが、新性能電車として103系が初めて投入されたのは1976年のことで、京浜東北線の運用を受け持っていた浦和、東十条、蒲田電車区のATC対応・冷房車投入で捻出された車両が豊田区にやって来ました。

103_5
103_6
上と同じ場所で103系スカイブルー4連を

最初の移動でMcM'TT'cの4連9本、36両が配置されています。京浜東北線で活躍していた7+3編成の7両基本編成からMM'Tを除いた4連でした。塗色はスカイブルーのままでオレンジ・バーミリオンになるにはかなり時間を要したとのことです。

103_3_2
拝島を発車する青梅線方面 この頃は拝島で石灰石輸送の貨物列車が入れ換えを行っており、ED16, EF13, EF15などの姿もありました。

1977年には基本4連に付属3連も加わり、それぞれ4本の28両が同じく京浜東北線から転属しており、このとき試作の900番台も移動しました。

クハ103-900番台(901~904)の履歴 1963.3.25 日本車両で製造後、池袋区に初代クハ103-1~4として配置
901
1964.3.31 改番1967.2.28量改1967.10.31シナ1971.4.20モセ1973.4.6ウラ1977.9.21トタ
902
1964.3.31 改番1967.2.9量改1967.10.31シナ1971.4.20モセ1973.4.8ウラ1974.7.4カマ1978.3.24トタ
903
1964.3.31 改番1967.2.17量改1967.10.31シナ1971.4.20モセ1973.4.9ウラ1977.9.21トタ
904
1964.3.31 改番1967.3.7量改1967.10.31シナ1971.4.20モセ1973.4.9ウラ1974.7.6カマ1978.3.8トタ

モハユニット901, 902は山手線に留まり、最後は埼京線川越区に転属して廃車を迎えております。

103
いまも基本構造は変わらない拝島駅の五日市線ホームで出発を待つ103系4連

103_2_2
同じ日の撮影と思いますが、オレンジ・バーミリオンに塗り替えられた103系も登場していました。

1978年2月から3月にかけて五日市線に残っていた旧形車(クモハ40+72系4連)置き換えに19両、内訳はMcM'MM'T'c3本とMcM'MM')が転入し、完全新性能化が実現しました。3月29日に旧形車のお別れ運転が行われました。

101_103_830219
青梅線奥多摩行きは101系、五日市線は103系 1983/2/19 拝島

1979年4月1日時点での豊田区の青梅線103系の配置データによると、

Mc   M'   T   T'c          Tc   M    M'   Tc                大井工場入場中
103 102 103 103           103 103  102 103       Mc   M'   T
25  110  164  902             53    4     4     54                103 102 103
39  131   96  564            Mc  M'   M   M'  T'c             40  133 114
51  149  75   550           103 102 103 102 103            29   116
63  168 103  506             50 148  137 252  585
92  212 147  549             65 171  127 232  542
107 234 179  588             91 210    90 124  505
112 244 187  565            102 227  119 208  566
  9   82  73   537            Mc  M'  T'c
70  179  68  904            103 102 103
71  180 175 571              19   98  595
                                      68 176 584
                                    103  228 901                 青字はスカイブルー塗装車

冷房車の登場は1980年のことで、改造冷房車でした。1985年3月のダイヤ改正で5連を6連化する際に、非冷房サハ101形をジャンパ連結器をKE70に、さらに貫通幌を交換しただけの改造でサハ103-750番台続番として組み込みました。

サハ101-115, 116, 127, 128  → サハ103-773~776

773 1984.12.19 大井 トタ 1990.2.3 廃車
774 1985.2.28  大井 トタ 1986.10.21 ナハ 1988.2.26 マト  1990.1.13 廃車
775 1985.1.31  大井 トタ 1988.12大宮冷改 1991.9.10 廃車
776 1985.3.27 大井 トタ 1990.10.1 廃車

マトに転属した774は元101系車輌としては唯一のエメラルドグリーン塗装経験車になったとか。

103_3
首都圏のオレンジバーミリオンのクモハ103も中央快速線同様、103系の登場からかなり経ってのことでした。

1986年3月3日の改正では6連運用が武蔵野線と共通化されたため、101系1000番台がこちらを走ることもありました。さらに津田沼区との差し替えでTcMM'Tc編成も登場しました。

7月から9月にかけて仙石線72系970番台103系3000番台に改造した際に保留車となっていたモハ72形奇数車5両をサハ103-3000番台に改造し、1986年11月の改正で3連5本を4連化しました。まさに国鉄末期の「動ける車両は極力使え」と云った方針の反映かと思います。

モハ72971, 973, 975, 977, 979 → サハ103-3001~3005

3001 1986.3.31 大井 トタ 1990.5冷改 ヤテ 1995.9.26 ハエ 2004.10.8 廃車
3002 1986.8.18 大井 トタ 1990.8冷改 トタ 1996.2.24 ハエ 2005.2.25 廃車
3003 1986.8.18 大井 トタ 1990.8冷改 ヤテ 1995.9.26 ハエ 2005.10.18 廃車
3004 1986.10.15 大井 トタ 1990.5冷改 ウラ 1996.2.24 ハエ 2003.12.3 廃車
3005 1986.10.15 大井 トタ 1990.4冷改 トタ 1996.2.24 ハエ 2004.11.13 廃車

1032      
       軍畑?

201系の時代を経て、E233系が投入された今日でも中央快速線の乗り入れ運用車と、専用の青編成が存在する青梅・五日市線ですが、先日の中央快速線グリーン車連結12両化のニュースで、さらにこれから動きがあるのではないでしょうか。

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コメント

こんにちは~。モモパパです。
72系にクモハ40.
懐かしいです。
これらの車両と103系とどちらに乗りたいか?と聞かれると僕は断然72系なんですが。
でも通勤客からしてみれば近代的な車両の方がいいんでしょうね。

B767しゃん、おはようごじゃります(^◇^;)お邪魔致しますm(_ _)mあら〜〜青梅・五日市線にも103系が進出でっか‼︎スカイブルーの103系、元々は京浜東北・根岸線で走っていましたね。のちにオレンジバーミリオン塗装になるんですな。

B767−281様 こんばんは。青梅線への103系投入懐かしいです。当時は青梅線だけに青でいいんじゃない(笑)などと洒落ていました。クモハをどこかへ持っていくにはもってこいの線区でしたね。103系がMT半々でも走れるのもちょうど良かったと思います。その後中央線にもクモハが登場し、三鷹から豊田に移り、両方ともオレンジなのが幸したようです。それというのも一時確かクハ103−903(後日メモをひっくり返て確かめます)が、中央線の付属編成に入ったことがあります。写真を撮っている方はいないかもしれませんが。この時期は関東だけでなく国鉄一家で広域移動もあり、面白い時代でした。夜分小山いたしました。

失礼しました。夜分「お邪魔」いたしました。です。

モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。

クモハ40は鉄道博物館に保存されて車内も体験できたと思いますが、如何にも昔の電車という感じがしますが、関西や広島などで103系に乗っても同じくらいの車齢なのに古いという感じがあまりしないのが不思議ですね。

マスダっち1971さま、おはようございます。

昔の鋼製の車両は線区がかわると塗り替えをしなくてはならなくて大変でしたね。スカイブルーからオレンジに代わった後で、また仙石線に転属した車両などもあったようで、塗り替えの手間と予算も節約したかったのではと思いますね。

細井忠邦さま、おはようございます。

さすが、地元だけあって、クハ103の試作903が中央快速線の方に回っていたことも気付かれていましたか。
わたしも当時、試作車が青梅、五日市線にいることは何かのきっかけで聞いてはおりましたが、写真にはおさめ損ないました。
今でもE233系の青編成を全編成写すのに苦労しているような感じです。

B767しゃん、おはようごじゃります(^◇^;)お邪魔致しますm(_ _)m一つ疑問に思っている事が…。青梅線のチョコレート色の旧型車両は昭和何年頃まで走っていたんですか⁉︎

マスダっち1971さま、おはようございます。

本文にも書いてありますが、昭和でいうと53年3月末をもって引退していますね。

こんばんは。
青梅線の東京都内とは思えないような清々しい風景、たまに訪ねたくなります。
旧型国電のチョコレート色の塗装は、いかにも古めかしく感じさせますが、吊り掛けの音を聞きながら列車に揺られるのもいい時間だったのではないでしょうか。
今では、その路線用として新車が投入され、その後せいぜい1回転属があるかないかですが、お写真の頃には頻繁に車両の入れ替えもあったのだろうと思います。とても追いきれませんが、様々な出自の車両が揃って運用に就く様子も、見ていて楽しいものです。
貴重なお写真、楽しく拝見させて頂きました。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com

風旅記さま。お久しぶりです。

青梅線沿線も、青梅を境に随分変わりましたね。ベッドタウン化という言葉も今は余り聞かなくなりましたが、都心通勤圏内とそうでない地域では街の様相の変化に違いがあるように感じます。

1978年の青梅、五日市線はスカイブルーからオレンジバーミリオンへの塗色変更の過渡期で、混色編成もかなり見られました。
現在でこそ青梅東線は殆ど10両編成が当たり前ですが、昭和末期までは立川〜拝島間でも4両編成が当たり前でよほどラッキーでない限り座れませんでした。最悪なのは中央快速線の101系が拝島で東京寄りの3両編成を切り離し、これが間合いで青梅線内の運用に入った時でした。中央快速線から青梅線への直通が青梅まで10両編成で行けるようになるのは201系の青梅線直通が解禁になった1982年で、この時例の単線化で話題の東青梅駅はホーム延長のために踏切を1つ廃止にしてます。国鉄時代は常に混んでるイメージがありました。平成になって青梅線の103系は東線は最悪でも6両、ノーマルな例では4両編成を2本繋いだ8両運転でしたが、総武緩行線から201系が捻出されるまでは中央快速線直通と青梅線内専業運用で格差が生じてました。

ねこたろうさん、こちらにもありがとうございます。

青梅線、五日市線は私にとって近くて遠い路線です。立川まではよく行くのですが、そこから先なかなか拝島、さらには青梅方面、さらには奥多摩、五日市までは足を延ばすことがありません。E233系P編成のことも先日、初めて知ったくらいですから。

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