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2015年2月10日 (火)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 6 C51 239号機

2014年8月10日の梅小路蒸気機関車館で見学した機関車の話題、今回はお召し機としても有名なC51239号機です。

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C51 239号機 2014/8/10 梅小路蒸気機関車館

C51形式は国鉄の前身の鉄道院が1919年に開発した幹線旅客用大型テンダー機関車で、登場時は18900形と称していましたが、1928年5月C51形と改名されました。

18900形式と当初命名された理由はアメリカから輸入したアルコ社製8900形式コール式1軸心向外側軸箱式従台車を参考にしたパシフィック軸配置の国産蒸機第一号となったからだそうです。

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常用最高速度100km/hで計画されたため、動輪の常用最大回転数から逆算して1750mmという当時の狭軌用蒸機では最大の動輪直径が算出され、以後C62まで踏襲されることになりました。

動輪直径が大きくなればボイラーの中心高が高くなりますが、当時ドイツから輸入されたボルジッヒ社製8850形が2438mmであり、すでに実用化されていた9600形がこれよりも高い中心高で問題なく運行されていたので、2400mmのボイラー中心高で設計されました。

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ボイラーは3缶構成とし、煙管長は5500mmとし、以後の標準となりました。台枠は25mm厚の板材による板台枠で、動輪はスポーク動輪としました。28962号機までは17本スポーク式で折損事故対策で28963(C51164)号機からは18本スポーク方式となりました。第2動輪を主動輪とし、弁装置はワルシャート式でピストン棒を短縮し、メインロッドを長くする方式としました。

炭水車は当初は17立方メートルタイプでしたが、41号機以降は石炭8t水17t積載の8-17形が標準になりました。後期には12-17形も登場しました。超特急「燕」運行時には東京~名古屋ノンストップ運転のため、C52形の20立方メートルテンダーと振り替え、さらに水30tを積載可能な水槽車を連結し、給水管で連絡しました。

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102号機以降は空気ブレーキ装置の装備が開始され、ランボードが2段式となり、第2動輪とランボードの間に空気だめが取り付けられました。

1919年から1928年までの間に鉄道院浜松工場、汽車製造大阪、三菱造船所神戸で合計289両が製造されました。

従来機と比較して飛躍的な性能の向上が認められ1920年代から1930年代にかけて主要幹線の主力機として活躍しました。239号機236号機とともにお召し列車専用機に指定され、1928年11月の昭和天皇の御大礼から1953年5月の千葉県下の植樹祭まで104回の牽引の大役を務めました。

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輸送量の増加、客車の大型化などによる牽引定数の増大で、後続のC53,C59に任を譲り、1930年代以降は地方幹線に活躍の場を移しました。

1939年には陸軍の要請で16両が標準軌に改造され、供出され中国大陸に渡り、江南を中心に南京~上海間で運転されました。

戦後は動力近代化計画の遂行で早々と廃車が進められ1965年には全車が運用を退き、最後まで活躍したのは1966年2月に引退した251号機でした。

239号機の履歴は沖田祐作氏の機関車表のデータによりますと、

38938      汽車製造大阪工場=936            1927-00-00 S66.30t2C1T(1067)
   車歴;国鉄;38939;1927-03-19 使用開始→1928-10-01 改番[達380];C51239

C51239     汽車製造大阪工場=936            1927-03-00 S68.25t2C1T(1067)
   車歴;1927-03-00 製造→ 納入;国鉄;38938→ 配属;東京局→1927-03-19 使用開始→
      配置[東鉄達314];品川→1928-10-01 改番[達380];C51239→1933-06-30 現在;品川→
1934-11-00 現在;品川→1936-00-00 現在;八王子→1945-12-01 現在;新小岩→
      1947-10-00 現在;新鶴見→ 尾久→1955-04-11 直江津→1958-10-02 新津→
      1959-07-01 新潟→1962-10-26 廃車[達518];新潟→
      1963-09-23 新潟県「国鉄新潟教習所」;C51239→
      保存;新潟県新潟市「国鉄グラウンド」;C51239→
      移管保存;新潟県「新潟鉄道学園」;C51239→1972-09-27 梅小路→
      保存;京都府「国鉄梅小路機関車館」;C51239

現役時代は製造後の新製配置から東京機関区に在籍し、1945年に八王子に移るまでいました。その後、10年間首都圏にいて、1958年新潟に異動し、1962年に廃車となっています。その後、10年間新潟の地で朽ち果てかけていましたが、1972年の鉄道百年の機関車保存で長野工場での修繕を経て、梅小路入りをしました。新潟時代に教習用にカットモデル化されていましたが、外観の修復を経ています。梅小路入りする前の新潟時代の野に佇む貴重な姿はM.TADAさまのサイトにあります。

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40年前の梅小路入場、2年後の姿 1974/9/29

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コメント

こんにちは~。モモパパです~。
キーワードを入力なる人物。
実は僕でした。なんかパソコンの調子が悪くって。
どうもすいませんでした。
C%! 239号機。
お召し機として活躍したんですか。
知らなかったです。外観はすっきりとまとまってていかにも速そうに見えますね。

B767−281様 お早うございます。C51239いいですね。前照灯も復元されているのもすばらしい。そう言えば青梅鉄道公園にあったC515がいなくなっているのに気づき、調べてみましたら、大宮に入っているのですね。台風で崖下に落下し引き上げられてこともあり数奇な運命をたどっている機関車ですが、場所を異動しても健在だったので安心しました。梅小路シリーズを拝見させていただくうちに再訪したくなりました。隣にできる予定の新博物館も楽しみです。朝からお邪魔いたしました。

モモのパパさま、細井忠邦さま、おはようございます。

先日のキーワード入力氏はモモのパパさまでしたか(笑)。
面白いHNだなぁと思いつつ、レスをしてしまいました。

わたしもC51239の現役時代はもちろん知らない世代ですが、それはそれは素晴らしい活躍だったようですね。それが廃車後、新潟の地で朽ち果てかけていたというのが不思議でなりませんです。

細井さま、わたしも青梅鉄道公園、小学校の頃行って以来なので、C515のことは忘れていましたが、昨年5月、大宮で見かけました。かなり奥の方に展示されていました。

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