47年振りの東急世田谷線訪問 その1 玉電の歴史
2015年2月7日、まだ玉電が廃止される前の私が小学校時代の1968年以来47年振りに東急世田谷線に乗車して沿線風景を楽しみました。
今回、玉電の記事を書くにあたり、玉電の歴史を勉強し、さらにデハ200形の保存車を見学しに田園都市線宮崎台駅側の「電車とバスの博物館」に先週の土曜日、行ってきました。そこで仕入れた材料を使って今回からの記事を書いてみます。
電車とバスの博物館に展示されている玉電の歴史のパネル 2015/2/14
玉電、玉川電気鉄道の最初の開通は1907年3月6日、道玄坂上~三軒茶屋間でした。その後、同年中に後に二子玉川園となる玉川までが開通しました。軌間1067mmの狭軌で、
電車とバスの博物館 デハ204車内の掲示から
この絵のような電動客車が乗客を運んでいましたが、メインは多摩川の砂利輸送で無蓋貨車も所有していました。1920年には砂利運搬の貨物列車を東京市電に直接乗り入れるため、全線で改軌を行い1372mm軌間となりました。
因みにこの1372mmの軌間は馬車軌道が出自の東京市電、後の都電の軌間として東京ではメジャーで、東京市電との乗り入れをしていた、あるいは考慮していた私鉄、例えば京浜急行が1904年から1933年にかけて、1959年以前の京成電鉄、新京成電鉄1953年から1959年などが採用していました。スコットランドの一部で使用されていた関係からスコッチゲージとも呼ばれているそうです。
現在、日本では、都電荒川線、東急世田谷線、京王線(井の頭線以外)、都営新宿線そして函館市電のみが使用しているマイナーな軌間です。
電車とバスの博物館 デハ204車内の掲示から
電車とバスの博物館 エントランス通路の写真から
電車とバスの博物館 エントランス通路の写真から
1924年には玉川・砧間の砧線、そして1925年1月18日に三軒茶屋~世田谷駅間が開業しました。そして同年5月1日に下高井戸駅まで延長されました。一方、山手線の内側でも1924年に、渋谷橋~天現寺間、1927年に渋谷橋~中目黒間が開通し、
電車とバスの博物館の展示から
上記のような路線が形成されました。後に山手線内の路線と中目黒までの路線は東京市電に編入されました。
1927年、二子橋の建設費用を一部負担し、橋の上に単線併用軌道を敷いて、溝の口まで路線を延ばし、南武鉄道とも接続しました。太平洋戦争中、この二子玉川園~溝の口間は
分離・改軌され、大井町線の一部となり、二子橋は江ノ電の神戸橋、長野電鉄の村山橋、名鉄犬山線の犬山橋などと同じタイプの併用橋となりました。わたしもこの区間は父親が運転する車で家族で横浜に出かけた際に通過したのを憶えています。
電車とバスの博物館 エントランス通路の写真から
電車とバスの博物館 デハ204車内の掲示から
1938年3月10日、玉川電気鉄道は東京横浜電鉄に合併され、玉川線と名前をかえました。その後、東急は目蒲線、池上線の他、京浜急行、京王や小田急も傘下に置く大東急時代になり、終戦後、これらを分離し、東横、目蒲、池上、大井町の各線と玉川線3線の体制となりました。
その後の経済成長、クルマ社会の到来、1964年の東京オリンピックで路面電車廃止に拍車がかかり、国道246号の地下に新玉川線を建設するという計画の元に1969年5月10日、渋谷~二子玉川園間(9.1km)と砧線(2.2km)が廃止となりました。
私が小学校の頃の廃止直前の玉電には、デハ30形(デハ31~39)1927年製、玉電初の鋼製車、デハ40形(デハ41~52)1928~29年製が最古参として頑張っており、これらの車両は玉電廃止とともに廃車解体されました。写真はこちらのサイトに。
そして、デハ60形(デハ61~65)1939年製、デハ70形(デハ71~78)1942~1946年製の2形式は
電車とバスの博物館の展示模型
電車とバスの博物館 エントランス通路の写真から
形はよく似ておりましたが、60形は玉電廃止ともに廃車、70形は連結二人乗り改造済みであったことが幸いしてか、世田谷線で存続し、1999年に75+76号が新形式300系に改造されて今日も活躍中です。
電車とバスの博物館の展示模型
上の写真のデハ80形(デハ81~108)は1950年登場で1953年までに28両製造され、玉電の主力でした。もっとも新造車は81~86号で、87号以降は木造車の鋼体化名義でした。81~86号は世田谷線に継承され、104~107号は87~90号と改番された後、現在の江ノ電に譲渡され601~604号として1990年まで活躍しました。601号は廃車後、里帰りして現在、宮の坂駅脇に展示されています(別記事で報告します)。105号、最終的に江ノ電651号は江ノ電もなか販売店の店先に展示されています。
江ノ電 江ノ島駅そばの和菓子店 2015/1/3
651号の前頭部
83+84号が2000年300系の種車となり、改造され、他の車両も同様に改造されました。
デハ200形に関しては別記事で纏める予定にしており、最後はデハ150形で
電車とバスの博物館の展示模型
電車とバスの博物館 エントランス通路の写真から
玉電最後の新車でデハ151~154の4両が1964年に登場しました。鋼製車体ですが、当時の東急ステンレスカー7000系の雰囲気を漂わす、新風を吹き込んだ車両でしたが、如何せんデハ200形の存在感には圧倒されていた感がありました。玉電廃止後は世田谷線に継承されましたが、他の継承車が機器類の更新を受けて新しくなって行く中、最後には最も旧性能の車両ということになり、2001年初めに引退して行きました。
今回の記事を書くにあたり、ぽこぺんさまのサイトの玉電の項目の内容を大変興味深く拝見し、参考に致しました。またWikipediaの記述も参考にしています。
次回は、保存されているデハ200形デハ204、宮の坂の601号、そして現在の300形といった順番で記事にして行こうと思います。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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コメント
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B767ー281様こんにちは。区内出張で何かと便利な世田谷線。長い歴史があるのですね。宮の坂のグリーンの電車、通る度に微笑ましく見ています。ゲージについても歴史的な背景よくわかりました。これからも楽しみにしております。
B767ー281様 こんにちは。先程は失礼いたしました。こちらへのコメントのつもりがうっかり昨日の記事にコメント書き込んでしまいました。
投稿: 細井忠邦 | 2015年2月22日 (日) 13時28分
こんにちは~。モモパパです。
東急世田谷線。
学生の頃よく乗りましたよ。
玉電の車両。
バラエティーに富んでたんですね。
江ノ電もなか。
このお店。
昔行ったことあります。
あの頃と変わってないな~。
投稿: モモのパパ | 2015年2月23日 (月) 05時23分
細井忠邦 さま、モモのパパさま。おはようございます。
わたしも今回、調べて玉電が改軌をしていたこと、そして馬車鉄道由来の軌間というものがあることを知りました。鉄道の軌間にはまさにその歴史が刻まれている感じですね。
江ノ電の方も、久しぶりの訪問ですが、別の記事に出来ればと思っています。
細井様のコメント、こちらの方で移動しておきました。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年2月23日 (月) 06時13分
B767しゃん、おこんばんは(^◇^;)「電車とバスの博物館」に行かれたんすか⁉︎「電車とバスの博物館」って…現在は宮崎台にあるんすね。ワタシは「電車とバスの博物館」は、高津にあった頃は何度か行きましたよ。
投稿: マスダっち1971 | 2015年3月 2日 (月) 18時28分
マスダっち1971さま、こんばんは。
そうですか、高津時代に行かれていましたか。
わたしも昔は国鉄一辺倒といった感じで、西武以外はあまり私鉄に興味が無かったのですが、玉電の歴史の勉強や写真の材料を求めて、今回初めて訪問致しました。東武博物館も昨夏訪問しています。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年3月 2日 (月) 20時11分
B767しゃん、おこんばんは(^◇^;)そうなんですよ‼︎「電車のバスの博物館」は…高津時代に行ってました。あと、博物館つながりで…葛西に「地下鉄博物館」があるんすが、1986年のオープン当時行きましたよ。当時中3(15歳)でしたが(^◇^;)
投稿: マスダっち1971 | 2015年3月 5日 (木) 18時46分
マスダっち1971さま、こんばんは。
最近は鉄道博物館も各会社ごとに出来ていて、その会社のことを知りたいときには大変勉強になりますね。
是非近いうちに葛西の博物館も訪れたいです。
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年3月 5日 (木) 21時20分