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2015年2月19日 (木)

四方津を再訪 その5 長ナノ 211系 N編成 3連

2014年12月6日の中央線四方津訪問の際に撮影した車両のシリーズです。

今回は、長らく活躍してきた115系に代わって活躍を始めた211系編成の話題です。

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信州色の帯を締めて活躍を開始した元高崎B1編成からのN317編成 2014/12/6 四方津

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中間のモハ210は1000番台のトップナンバー

思えば、211系に関しては東海道系の0番台、2000番台、高崎・宇都宮系の1000番台、3000番台については未だ拙blogにおいて触れていませんが、今回の記事ではそれらの転用先となった長野総合車両センターの編成について触れようと思います。

211_2 表1 登場時から2006年のG車組込みまでの編成表 1000番台クロスシート車がB編成、3000番台ロングシート車がA編成 車両番号と編成番号の関係も極めてシンプルでした。

211g 表2 2006年G車組み込みに伴う組換え B編成は変化がありませんが、A編成からC編成が構成され、編成番号と車両番号の構成は規則性がなくなり、さらにG車の構成の違いでC編成は3つのグループになりました。

211系の長野地区への投入は、2006年3月、高崎・宇都宮線で使用される車両のグリーン車連結率を100%にする決定に端を発しています。このために同年7月までにE231系110両が新製投入され、211系3000番台のグリーン車非連結の5両編成22本が余剰となり、14本(70両)は塩害等で腐食が進んでいた房総地区の113系置き換え用として幕張車両センターに転用され、40両は高崎・宇都宮線の輸送力増強用に振り向けられました。

転用された211系は大宮総合車両センターで前面種別表示器をLEDから幕式に変更され(一部の車両)、車体帯色を黄色に薄い青の「房総色」になり、2006年8月以降、順次出場しました。編成番号はマリ401~414と符番され、2006年10月21日から運用に就きました。

2007年11月から集電効率を上げる目的でパンタを2基にする増設工事(PS35C 201系の廃車発生品)が行われ、この工事が行われたマリ402~408, 410編成は編成番号がマリ501~508に変更され、マリ409, 411~414 編成は404~408編成に変更されました。さらに2008年2月からは半自動扉スイッチをE233系タイプに交換する工事も行われました。

211_3 千マリ時代の211系3000番台の編成表 2012年冬期のジェー・アール・アールの編成表データから

14編成の211系3000番台での房総地区での活躍はその後の京浜東北線のE233系1000番台投入による、209系余剰車改造209系2000番台、2100番台の房総地区投入で,2013年3月16日のダイヤ改正をもって終了することとなりました。

これらの211系3000番台の再就職先となったのが、長野の115系N編成の後継で、まず最初に2012年6月頃から、N304、N305編成として、5両編成からサハ2両を除いた3両編成が転属し、房総地区のスタイルのまま、試運転や乗務員の訓練運転が開始されました。2013年1月にはN301編成の改造工事が終了し、信州帯の211系の登場となりました。2013年3月15日にはダイヤ改正に先駆けて大糸線での営業運転に投入されました。

転用改造の内容は

・暖房の強化
・PS33E形パンタ(低断面トンネル用)に交換
・車体帯の交換
・運転台側台車にニュージェット、セラミック噴射装置取り付け
・保安装置をATS-P/ATS-Psに変更
・PS35Cパンタの撤去(N330番台N331~N339)←元マリ501~509

元マリ401, 405, 406, 407, 408 →N301, N302, N303, N304, N305

でした。14編成すべてにおいて転用改造工事が終了し、運用に就き、2014年3月のダイヤ改正からは松本~甲府・岡谷~辰野~飯田・塩尻~中津川と運用区間を拡大しています。

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N301編成になった元マリ401編成 2009/8/15 成東

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N331編成になった元マリ501編成 2009/10/15 成田

そして2015年3月14日のダイヤ改正における上野・東京ライン開業の準備として2011年度からE233系3000番台の増備が再開され、田町車両センターの211系は2012年4月23日を以て運用が終了となり、高崎車両センターの車両も2013年3月15日を以て、宇都宮線上野口の運用が終了、2014年3月14日を以て、高崎線での定期運用も終了となり、現在は両毛線での運用のみとなりました。

幕張の211系の転用に加えて、田町、高崎の211系全てが転用に関係しており、さらに長野センター配給から、疎開、長野、大宮、秋田などの改造へ至る過程を追ってみると、なんで廃車解体されてしまう車両が疎開していたのかという疑問にも突き当たる今回の一連の大移動であるようにも感じます。

田町車両センター 
10連
(セミクロスシート車)
  0番台 N1~N6
(ロングシート車)      
2000番台 N21~N26  N31 N32
 5連
2000番台 N51~N64

10両編成からG車とサハ2両を除いた6両編成0番台5本が転属 (元N4のみ未)
    → N601・N602・N603・N605・N606編成
さらに2000番台10両編成からG車とサハ2両を除いた6両編成0番台4本が転属 
    → N607・N609・N611・N612編成
いずれ残っている編成も改造されて編成番号がきれいに揃うものと思われます。

211_n63_120721
2012/7/21 福島駅で見かけた疎開中の元チタN63編成と思われる編成(編成札はN63と読み取れ、クハ211-2020も見えます)。 同編成は約1年後に解体されており、果たしてこの疎開は何だったんだろうと思います。

高崎車両センター

(ロングシート車)
 5連 3000番台  A
10連 3000番台  C
→ N306, N307, N308, N309, N310, N311, N312, N313, N314, N315, N316
(セミクロスシート車)
 5連 1000番台  B1~B11の各編成 からサハ2両が抜かれた33両がN317~N327編成に

Acvsn 表3 これまでに出場しているN300番台編成とその元となった元タカA,C編成の対応関係

211_b1_070520_2
在りし日のB1編成 2007/5/20 黒磯

211_b1_110628
5連から3連化の過程で廃車となってしまったサハ211-1001 2007/5/20 黒磯

211_130809

再掲ですが、2013/8に酒田を訪問した際にも211系の疎開を見ています。時期と経緯から調べてみるとC2,C10編成だったのかと思われます。

211_n318_141206
N317編成の併結相手は元B2のN318編成でした。

2111009_140524_3

2014年5月の大宮総合車両センター公開の際にも元B9編成(クモハ211-1009)が信州版に転用改造されている姿が展示されていました。 2014/5/24 大宮総合車両センター

本記事を作成するにあたり、長野総合車両センター所属車両さまのサイト、4号車の5号車よりさまのサイトとWikipediaの記述を参考にいたしました。

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電車211系」カテゴリの記事

コメント

B767−281様 こんにちは。211系中央線界隈でも目にする機会が大変増えました。3連の方は何編成も武蔵小金井に疎開していたので、高架線上からもよく見えました。短い編成になりましたが生き残ってくれて良かったと思っています。6連の方は幌がついていませんが、3連の方は頻繁に増結,解結があるので幌がついています。幌がつくと全面がしまって見えて好きです。全く鉄分のない私の知人は「最近、甲府方面の普通電車が、山手線みたいのに変わったみたいだけど、あれは何」と言っていました。(笑)またまたお邪魔様です。

細井忠邦さま、こんばんは。

211系の運用、豊田区の運用も長野区の車両が受け持つようになり、長野区のC編成も数を減らしているのでまさに電車の質の転換期のようですね。

今回の転用の過程を追ってみるとやはりクモハのある高崎の編成が残され、両端クハだった田町の付属編成は廃車となってしまいましたね。田町の付属編成は疎開までして残されていましたが、2013年夏から一斉に廃車解体となっており、これは新潟地区の編成投入計画の変更が影響しているという話もあるようですね。

こんにちは~。モモパパです。
211系といえば国鉄分割民営化後からJR東日本、JR東海、JR西日本で設計製造された車両ですね。
僕も今現在JR東海でよく乗ってる車両ですよ。

モモのパパさま、おはようございます。

そうですね。JR東海の場合、国鉄時代に製造された基本番台2編成とJR東海として製造した5000番台などがあり、中央西線や東海道線静岡地区で活躍していますね。

 おはようございます、211系は毎日通勤時に使っております。ところで、四方津で撮影されたようで、というのも私の最寄駅なもので、ついついお邪魔させていただきました。くれぐれも申し上げておきますが、ホームで三脚を立てるような無粋なことをなさらないようにしてくださいね、少ないとは言え、私のような利用者がおりますので

おいちゃんさま、おはようございます。

先日はBB7200電機の件でありがとうございました。そうですか、四方津が最寄り駅ですか、わたしは中央線の中でも四方津周辺の風景が大好きです。

ホームで三脚、私も最近、しばしば目にします。その度に出来るだけ声をかけるようにしていますが、注意書きがあっても平気で使っている人は困りものです。

私自身はクルマで撮影に出向くときは持ってでかけますが、電車の場合はいつも手持ち撮影です。

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