東海道新幹線開業から50年 その10 300系の登場 part1 J0編成
1964年10月1日の東海道新幹線開業から50周年を機に東海道・山陽新幹線の歴史を形式別に振り返って来ましたが,今回は300系です。
リニア・鉄道館に展示されている300系試作車の先頭車 322-9001 2014/8/12
前回の記事で記述しましたが、100系新幹線車両でも航空機に対抗して新幹線の速度を上げる試みはなされました。しかし、鋼製の車体や構造、あるいは2階建て車両の存在などで本格的な高速化への挑戦は断念せざるを得ない状況でした。
後に「のぞみ」として具現化する「スーパーひかり」の開発は分割民営化後の1988年1月にJR東海内部で「新幹線速度向上プロジェクト委員会」が設置されたのが嚆矢とされています。
日本国内の長距離輸送は国内定期航空運送事業者参入制度、いわゆる45・47体制の頃は圧倒的に鉄道が優位に立っていました。
45・47体制においては
JAL 国際線・国内線(幹線)
ANA 国内線(幹線・ローカル線)
JAS 国内線(ローカル線)と棲み分けられていました。
この規制が1986年に解かれ、同一路線に2,3社が運航すること(ダブル・トリプルトラック化)が緩和されました。1998年にはさらにその基準が撤廃され、スカイマークやエアドゥの参入が可能となりました。
そういった航空業界の規制緩和と国鉄末期の相次ぐ運賃値上げで、鉄道と航空のシェア争いも深刻化して行きました。
私もちょうど、この頃、社会人となり、出張などで航空機を使うようになり始めたので、よく憶えています。
飛行機に対して優位に立つためには,新幹線はどれくらいの時間で東京~新大阪を結ぶべきかが検討され、出された答えが2時間30分でした。同区間、飛行機の場合は離陸から着陸までの実質飛行時間は30分程で、ゲートアウトからインまでを含めると1時間となり、空港までのアクセス、搭乗前に到着すべき時間を考慮すると2時間30分で十分勝負ができるとの計算でした。それを満足するための最高速度は270km/hと算出されました。
速度が上がれば騒音と振動も増えるので、それらを現行の220km/hと同じレベルに抑制するにはどこまで軽量化すべきかが0系に、さまざまな重量にした付随車を挟んだテストが行われ、重量45t、軸重11.3t以下であれば、現行の振動値を超さないことが明らかになりました。
東海道新幹線区間は、1964年のオリンピック開会に間に合わせるために急ピッチで建設されたため、半径R2500のカーブが多く、そのカント量は180mmでした。カーブでの減速を減らすことも到達時間短縮に貢献するので、カント量を200mmにし、さらにR3000のカーブのカント量も150mmから180mmに増やす工事がなされました。これらの工事でカーブ区間の制限速度が255km/hまで引き上げられました。
ATCも高速化に対応可能なように2周波数化が実施され,閉塞区間の長さも従来の10kmから8.5kmに短縮されました。き電方式もBTからAT方式に変更となり、編成内に特高圧引通線を引き通して,3基のパンタからの集電方式としました。
車体はアルミニウム合金を用いたシングルスキン構造となり、車体総重量を6t減らすことに成功しました。空気抵抗を減らすため車体断面も縮小され、車高は100系よりも0.4m低くなり、重心を下げるため、空調装置は屋根上から床下に移されました。また出来るだけ滑らかにするためスカート一体構造となり、側窓も再び狭窓、さらに天地も低くなりました。
駆動方式は架線からの交流を直流にしてさらにインバータで三相交流に変換し、交流電動機を回すVVVF方式が採用され、これまでのMM'ユニット構成からM1TM2の3両ユニット式になりました。交流モーターの採用は出力のアップと質量の減少に大きく貢献しました。電動車にはVVVF方式による回生ブレーキが装備され、付随車は渦電流ブレーキで対応しました。実はこの渦電流ブレーキ装置の質量がモーターの質量より重くなったため、主変圧器を搭載していることもあって、付随車の方が電動車よりも重くなると言う結果を招きました。
台車は新幹線としては初となるボルスタレス台車を履き、軽量で曲線通過性に優れたものとなりました。駆動装置は100系とおなじWN平行カルダンドライブ方式となりました。
試作車の特徴はなんといっても側面の出っ張りかと思います。
「のぞみ」用試験車両として、300系の試作J0編成が完成し、東京第二車両所に配置されたのは1990年3月8日でした。製造費用は46億円だそうで、100系G編成に較べて15億円高くなったそうです。性能試験では1990年に303km/hさらに1991年2月28日未明には325.7km/hを記録しており、961形による国内最高速度記録を12年振りに更新したことになりました。
最後まで読んで戴きありがとうございます。
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コメント
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B767ー281様お早うございます。300系はあまり好きになれなかった形式です。天井が低く圧迫感があり、何よりVVVFの音が耳障りでした。速度向上を主眼としたドライな設計だったのかな?と今にして思います。またまたお邪魔いたしました。
投稿: 細井忠邦 | 2015年2月13日 (金) 07時22分
細井忠邦さま、おはようございます。
300系という車両、今にして思えば、居住性よりも速度優先だったというご感想、わたしも同感です。メカ的にはいろいろと新しい試みもなされ、VVVFも初の導入だったようですが、やはり乗車する側にとってみれば、100系の雰囲気が一辺に実務的雰囲気になった点が印象を下げたといった感じですね。やはり、新幹線という長距離列車の難しいところですね。、
投稿: B767-281(クハ415-1901) | 2015年2月14日 (土) 05時51分