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2015年2月26日 (木)

高崎鉄道ふれあいデー その8 スハフ42形 三等緩急車

2014年10月18日の高崎鉄道ふれあいデー、8回目となると取り上げる材料も殆ど尽きているのですが、SLばんえつ物語号客車は以前、新潟の話題で取り上げましたので、今回は”渋く”スハフ42形客車について触れようと思います。

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スハフ42 2234 2014/10/18 高崎

Wikipediaなどにもスハ43系客車として纏められていますが、スハ43系はいわゆる正式な系列名称ではなく、軽量客車10系とそれ以前のオハ35系の間に位置する形式の、趣味的、便宜的な総称としての位置づけのようです。

形式的には

三等車        スハ43、スハ44、スハ45、 オハ46
三等緩急車     スハフ42、スハフ43、スハフ44、 オハフ45
三等荷物合造車  スハニ35
特別二等車     スロ51、スロ53、スロ54
寝台車        スロネ30、マイネ41
食堂車        マシ35、マシ36、
郵便車        オユ40、スユ41、スユ42、スユ43 

が属します。

特急、急行用などといった用途は定められずに長距離列車で使用することを前提に製造されており、わたしも小さい頃から大学の頃の撮影旅行まで、東海道線の急行「雲仙・高千穂」「桜島・高千穂」、羽越線方面の急行「鳥海」、東北本線の急行「八甲田」、奥羽本線の「津軽」などの座席車では必ずご厄介になった憶えがあります。1982年のダイヤ改正まで主要幹線の夜行急行の座席車として活躍した客車でした。

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スハフ42形は基本形の三等車スハ43形の緩急車で、基本番台は1~335まで汽車製造、川崎車輌、新潟鉄工所、日本車輌、近畿車輌、帝国車輌で製造されました。車掌室は、それまでの緩急車と異なり、デッキの外側に配置され、妻面に監視窓が設置されました。暖房は蒸気機関車からスチーム暖房でしたが、電気暖房化された車両は車番に2000が付加されました。因みに台枠形式は基本番台はUF136, 136Aの2種類、400番台は135とのことです(朝日新聞社刊 世界の鉄道’71)。

19両が北海道向けに改造され、500番台となりました。
通勤用にオールロングシート化改造され、オハフ41形200番台になった車両、軽量化改造を受け、オハフ33に編入された車両もいます。さらにスユニ50形に台車を流用された車両もありました。
スハ43形として誕生し、1965年から1966年にかけて緩急車化改造を受けた車両は400番台に符番され、さらに電気暖房の設置で、2400番台になった車両が4両、2401~2404、さらに北海道向けスハフ42 500番台に再改造された車両もいます。

500番台は北海道向けの枝番で、前述のスハフ42基本番台からの改造車、スハフ42 400番台から再改造車、北海道向けスハ43 700番台からの再改造車、オハ35形の改良増備車のスハ42形(オハ35系客車一族)の北海道向け改造車からの再改造車からなります。

さて、今回のスハフ42 2234ですが、1954年7月、日本車輌(本店)製造で製造時は蒸気暖房の234号でした。1962年10月、電気暖房化されて2234号となり、1964年3月、近代化改造、さらに1972年10月、体質改善工事が施工されています。

通常運用時の最終配置は盛モカ(盛岡客貨車区)で、東北本線、黒磯~青森間、常磐線平~仙台間を活躍場所にしていました。

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2014/10/18 高崎
42_2234_141115_6 2014/11/15 尾久

台車はウィングバネ式のTR47形を履いています。

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現役時代 1979年3月 まだED75700番台が普通列車を牽引していた頃、編成の4,5両目の2両はスハフ42でしょうか。 鶴形~東能代

1975年3月31日現在のスハフ42の配置データ

釧路 2037 2038 66 503 504 506
旭川 2033 2166 502
札幌 2035 325 2404 501 508
室蘭 115
函館  2036 114 257 504 505
一ノ関 2296 2304
盛岡 2028 2031 2034 2046 2047 2049 2067 2069 2126 2155 2164 2165 2199 2200 2221 2222 2233 2234 2242 2243 2244 2245 2246 2247 2248 2250 2252 2253 2261 2292
青森 2083 2084 2085 2133 2135 2144 2145 2186 2187 2294
山形 2192 2241
秋田  2001 2007 2012 2014 2017 2030 2059 2061 2062 2063 2076 2077 2081 2190 2191 2196 2231 2232 2249
弘前 2008 2016 2021 2161 2188 2189 2194 2318 2319
福島 2011 2015 2022 2023 2032 2064 2065 2260 2326 2327 2401
仙台 2009 2010 2132 2134 2271 2283 2284 2320 2321 2322
酒田 2029
高崎 2002 2003 2004 2005 2006 2060 2193
水戸 2063 2172 2173 2175 2264 2265 2290 2293 2306 2307 2308 2329 2330
佐倉 2087 2094 2125
尾久 2048 2050 2051 2052 2053 2054 2055 2056 2057 2058 2070 2071 2073 2074 2086 2088 2089 2090 2091 2092 2124 2127 2128 2129 2130 2142 2143 2159 2160 2201 2202 2262
品川 2167 2174 2195 2223 2224 2225 2259 2291 2328 2402 2403
名古屋 2102 139 2185 2287 2298
金沢 2072 2154 2288
向日町 2044 2045 2104 2106 2122 226 2272
宮原 2254 2255 2299 2305 2309 2316
姫路 2103 2110 2121 2123 2141 2149 2153 2162 2197 2198 2237 2238 2251 2303
竜華 96
福知山 20 2026 140 2150 2151 2152 170 227 2235 2236 270 275 311 312 323 332
米子 228 313
出雲 100 113 310
岡山 19 97 98 99 101 108 109 112 136 137 300
広島 43 80 279
徳山 239
下関 40 41 278
高松 39 78 79 2095 131
門司港 13 24 148 169 266 267 277
門司 301 302
竹下 146 204 212 214 240
鳥栖 213 218 269 273 274 276 295 317 331
早岐 107 120 135 178 181
大分 147 179 182 217 219 289 314
熊本 138 205 206 209 215 216
八代 25 118 168 183 280 281 282 285 334
鹿児島 156 158 176
都城 116 119 157 210 211 220 297     計 337両

090628
イベント列車として 2009/6/28 レトロ横濱号 4両目 東逗子

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内房線100周年記念号 2012/2/11 木更津

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スハフ42 2173 2012/7/20 ふくしま復興号 郡山

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おいでよ佐原号 2013/2/11 成田線

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コメント

旧型客車。
長いこと乗ってません。
全国的に淘汰されて久しいですから当たり前といえば当たり前ですが。
今じゃSLが牽引する際にしか観られなくなったような気がします。
昔、紀勢本線でDD51が牽引する旧型客車に乗って亀山から尾鷲まで乗ったことを思い出しました。

B767−281様お早うございます。一般型客車、わたしも懐かしいです。高校の合宿の帰りの夜行臨時妙高や、大学のゼミ合宿で使った急行男鹿など、周遊券とともに思い出です。当時は勿論ドアは手動、一番後ろも「展望車」でした。夏も勿論クーラーとは無縁、まど全開でばく進、良い時代でした。やはり蒸気機関車に引かせるのは、12系ではなく、こちらでしょう! 朝からお邪魔いたしました。

モモのパパさま、細井忠邦さま、こんばんは。

旧形客車、いわゆる12系、14系座席車以前の座席車の現役時代を知る人は今は35歳以上になっているのでしょうか。
独特の車内の臭い、走行音、それと車内放送の前にかかる鉄道唱歌など、忘れられない思い出が詰まっていますね。

わたしも1974年12月の時刻表を見ているのですが、亀山から尾鷲までご乗車になった列車は125列車、亀山発1106、尾鷲1650 でしょうか?
t1974年当時は921列車名古屋1521発、天王寺翌朝500といった長距離夜行普通列車もありましたね。

細井様の高校合宿で妙向というと、実は私の高校の寮も妙向にありまして、高校1年の夏は妙高山登山、冬はスキー合宿がありました。

こんばんは。

小生、四捨五入でアラフィフになってしまっていますが、既に旧客はイベント列車用、というイメージですね。急行は14系座席車のバッタン簡易リクライニング、普通列車は50系客車でした。子供の頃に客車列車の走っている沿線に住んでいなかったからかもしれません。

MiOさま、おはようございます。

確かに、小さい頃からの鉄道環境というのも大きいですね。
わたしも小学生の頃から、親の帰省に連れられて、毎夏、萩、能代と長距離列車を体験させられたのが、その後鉄道趣味に目覚めるのに繋がっていると思います。

一方で、家の子供たちは、我々の実家は東京にあるものですから、帰省といってもクルマになってしまう関係で、クルマには興味を示しても鉄道は前々興味を持ってませんし、知識も無いようですね。

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