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2015年2月23日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 2 Aloha Airlines

サンディエゴ空港でのSpotting,前回はHawaiian 航空でしたが、今回もホノルルを拠点としたAloha航空です。アロハ航空といえばなんといってもBoeing 737の屋根が一部吹っ飛びながらも無事着陸した243便事故を思い出します。

N739al_boeing_73773a_cn_cn28500_ln4 N739AL Boeing 737-73A cn 28500 ln 414 2008/1/18 SAN

その歴史はHawaiian航空の競争相手として出版家Ruddy F. Tongg, Srがチャーター航空会社Trans-Pacific Airlinesとして.1946年7月26日創業しました。第二次世界大戦の生き残りのDouglas C-47 (DC-3)一機でホノルル~マウイ、~ヒロを結びました。すぐにAloha航空という名前に改名し、4機体制での運航になりました。1949年2月21日には定期航空会社としての免許を取得し、6月6日定期便としての初フライトを行いました。

N739al_boeing_73773a_cn_cn28500_l_2 N739AL 同機がSan Diegoに就航していた頃がAloha Airlinesの絶頂期だったのかも知れません。

1952年にはTPA-The Aloha Airlineと改名し、Convair 340を導入しますが、業績は伸びませんでした。1958年、再びAloha Airlinesに改名し、1959年4月15日Fairchild F-27 turboproを導入し、業績は向上しました。1958年、経営権はHung Wo Chingに移り、1987年には倒産の危機に見舞われますが、同族会社として存続させました。

1961年1月3日、創業以来活躍してきたDC-3がリタイアし、1963年には3機のVickers Viscountを導入し、ピストンからターボプロップ時代になります。さらに1966年4月16日にはBAC One-Elevenを導入し、F-27は1967年6月に、1971年10月にはViscountがリタイアし、ピュアジェット時代になります。その間にBoeing 737-200も2機導入しています。

1984年にはMcDonnell Douglas DC-10-30をリースし、5月28日からホノルル、グアム、台北間にAloha Pacificの名前で運航しますが、Contimental Airlinesとの競争には勝てず、1985年1月12日に運航停止を余儀なくされます。同年、Boeing 737 Quick Changeタイプを導入し、昼は旅客便、 夜は貨物便として活躍します。1986年2月にはホノルルとクリスマス諸島のキリマチを結ぶ便を運航し、世界初のETOPS 737運航航空会社となりました。

N751al_boeing_7377q8_cn_30674_ln151 N751AL Boeing 737-7Q8 cn 30674 ln 1511 2008/1/18 SAN

2000年2月14日、メインテナンスサービスを開始するとともに、ETOPS証明を得た737-700が導入され、ハワイ各都市、ホノルル、カウルイ、コナからオークランドに就航さらに、オレンジカウンティ、サン・ディエゴ、サクラメント、レノ、ラスベガスへと就航します。

しかし2000年代はAloha航空にとっては試練の年代となりました。2001年の9.11、2003年のSARSの流行や燃料費の高騰で経営が悪化し、2004年12月30日、連邦倒産法第11章適用を申請せざるを得なくなります。2008年3月20日、再度、適用申請の事態に陥り、同月31日、全旅客便の運航が停止されました。

*Aloha航空 243便事故*

1988年4月28日、ヒロ国際空港からホノルル国際空港に向かっていたN73711 (Boeing 737-297 cn 20209 ln 152) (機体愛称Queen Liliuokalani)が同日8回目の運航でマウイ島付近高度4000ftを飛行中に機体前方左側の外壁が破れ、与圧空気が流出し、爆発的減圧で前部座席から主翼近くまでの18ftの天井外壁が吹き飛ばされました。この一連の出来事で事件発生現場付近の通路を歩いていたCAのランシングが機体の穴から吸い出され行方不明となりました。

左エンジンの燃料制御ケーブルが破壊され、同エンジンは停止しましたが、幸い油圧系統は破壊されていなかったため、操縦系統は維持されており、マウイ島カフルイ空港に緊急着陸しました。機体の破片や猛烈な風圧を受け、65名が重軽傷を負いましたが、行方不明のCA以外は無事生還しました。

事故原因は機体の老朽化による金属疲労の蓄積、マルチサイトクラックの発生を見逃していたためにクラックが拡大して風船が割れるように機体が破壊したためと公式見解で発表されています。事故機はハワイ諸島内短距離路線に就航しており、事故当時世界で二番目に飛行回数の多い737でした。

実はこの事故の約7年前、1981年8月22日、台湾で起きた遠東航空103便事故、作家の向田邦子さんが犠牲になった事故でもありますが、も非常によく似た原因の事故と考えられています。こちらは、先日、Trans Asia AirwaysATR-72-600が離陸直後にエンジントラブルで墜落した台北・松山空港発高雄行き遠東航空103便Boeing737-222(B-2603 cn19939/151)乗員6名、乗客104名、が離陸後10数分で高度22000ftを巡航中、空中分解し、110名全員が死亡した事故でした。

事故機は1969年製造でUnited Airlinesが使用した後、遠東航空に売却されたまだ新しい機体でしたが、海洋に近い、台湾島内で頻繁に離着陸を繰り返し、塩水の影響で与圧隔壁の腐食が進行しており、貨物室の外板が与圧に耐えられなくなり、破壊が進行して空中分解に至ったと考えられています。事故の2週間前にも与圧が抜けるトラブルを起こしており、応急修理を終えてラインに復帰していました。今こうして、2つの事故を振り返ってみると事故機のLine numberが151と152で続いていることにも驚きを感じます。

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コメント

こんにちは~。モモパパです。
アロハ航空といえば思い出すのがハワイ諸島に近隣島を飛んでいた航空機の屋根が吹っ飛んだ事故です。
あれでよく墜落しなかったなと思ってしまいます。
あの頃の航空機のペイントと今のペイントは変わってしまったのですね。

B767−281様 お早うございます。昨日はコメントの移動、お世話かけました。さてアメリカの航空会社ですが、例の規制緩和で大幅に独占状態が進み、名門が数多く姿を消してしまったのが残念です。飛行機を本格的に撮り出した80年代の半ばにはまだまだいろいろな会社があり百花繚乱といった趣でした。そう言えば鉄道車両も個性がなくなって最近興味半減状態です。だから昭和30年代の写真集などがブームになるのかな、と思います。さて737はライバルのDC9に比べると機体構造に関するトラブルが多いように感じます。DC8が最近まで現役なのに対して707が早く引退したのも同じです。787のトラブルもその辺の悪しき「伝統」からでなければいいな、と思っております。今後とも宜しくお願いいたします。

モモのパパさま、細井忠邦さま、おはようございます。

わたしもあの243便の事故は残念ながら1名の客室乗務員の形が行方不明になりましたが、機体が墜落することなく着陸できた点は非常にラッキーだったと思います。普通ならクラックが全体に回り、空中分解を起こしてもおかしくない事故ですね。

細井様、確かに多様性が失われるというのは趣味的に見ても残念なことですね。また寡占が進むというのも業界全体にとってみては決してプラスでは無いと感じますね。

仰るとおり、Boeingに較べてDouglasは頑丈というイメージがあり、それが個々の機体の長生きに繋がっているのですね。

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