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2015年3月 6日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その27 アドリア航空のDC-9 (MD-82)

1989年初夏のDüsseldorf空港シリーズ、今回はAdria AirwaysDC-9 (MD-82)です。

Yuanc_mcdonnell_douglas_md82_dc982_ YU-ANC McDonnell Douglas MD-82 (DC-9-82) (cn 48087 ln 1035)  1989/5/7 DUS

現在は白いボディにADRIAと大書されたマーキングで有名なスロベニアのフラッグ・キャリアですが、当時はユーゴスラビア連邦の航空会社でした。

設立は1961年3月と比較的新しく、同年8月KLMから2機のDC-6Bを購入し、Zagrebを拠点にオランダ人クルーにより、商業運航を開始しました。同時期、アドリアのクルーと技術スタッフがJAT Yugoslav Airlinesと空軍にて技術を習得しました。1961年12月には自前のスタッフにより、最初の運航が行われました。

チャーター便運航事業により、西ドイツ、英国、オランダ、スカンジナビアの空港からアドリア海沿岸都市へと利用する乗客が徐々に増加し、1964年にはアメリカやカナダからのチャーター便も飛ばすようになり、国際連合のための便も運航するようになりました。同年にはリュブリアナに新たな空港が開港し、拠点を移しました。やがてDC-6Bによる運航では競争力がなくなり、1967年には経営危機に陥り、1968年にセルビアのベオグラードを拠点にしたInterExportと合併し、社名もInex-Adria Airwaysと改め、フリートの刷新が開始されました。

1969年、最初のジェット旅客機のDC-9-30 (115席仕様)を入手し、チャーター業界でシェアが拡大し始め、1969年9月、リュブリアナ~ベオグラード間の定期便運航を始めました。その頃にはSud Aviation Caravelle, Douglas DC-8, BAC One-Elevenなどもフリートに加わりました。1972年には大西洋横断便もDC-8-55*に刷新しましたが、翌年には撤退しました。1970年代後半、Adria Airlinesは最も定時率の高いチャーター航空会社として表彰されました。当時のこうしたビジネス上での成功はGrimex社との建設的な連携が大きく貢献しており、また西ドイツとの人の流れも大きく貢献していました。国際的なビジネスのみならず、ユーゴスラビア国内路線もこの頃充実が図られました。

*このDC-8-55 (cn 45883 ln 308)は1965年10月20日Seaboard World Airlinesに貨物機として納入された機体で、N806SWという登録記号が最初に与えられていますが、1970年2月1日から1972年3月31日まで同じレジでJALにもリースされていました。その後、YU-AGBとユーゴのレジが登録されましたが、使われずN806SWでInex-Adria Airwaysに1972年4月20日から、10月8日までリースされました。

この時期、1972年3月から1981年12月にかけて、アドリア航空に関係した事故が5件、起きており、かなりの数の犠牲者が出たことが教訓となり、アドリア航空は訓練や技術レベルを高める研修の充実化が図られるようになったとのことです。

Yuanc_mcdonnell_douglas_md82_dc98_2 YU-ANC

1981年には3機のMD-80を購入しますが、12月にそのうちの1機 (YU-ANA cn 48407 ln 998) がコルシカ島のサンピエトロ山に激突し、搭乗者全員が犠牲となる事故に遭遇します。1984年には西ドイツやスイスで働く出稼ぎ労働者のためにリュブリアナ~ベオグラード~ラルナカの初の定期国際便を運航開始しました。同年、新たにAirbus A320 5機の購入を決定し、2機のDash7もサラエボ冬季オリンピックに備えて購入しました。1985年には4機のDC-9-30, 2機のDC-9-50, 1機のMD-81,3機のMD-82、2機のDash7とさらにもう一機のMD-82とフリートが増加してゆきました。

1986年、特定の企業が膨張するのを制限する法律により、Inexグループを離れ、再度名前をAdria Airwaysとしました。さらにIATAに加盟しました。1989年、最初のAirbus A320が納入され、IAEエンジンを搭載した最初の機体となりました。

ユーゴスラビア連邦の崩壊、スロベニアの独立宣言(1991年6月25日)の3日後、ユーゴスラビア連邦軍がアドリア航空のハンガーを爆撃し、納入されて1年未満のA320やDC-9-30, Dash7などが大きく損傷し、さらに機材の登録や保険などでも大きなハンディを背負うことになりました。

1992年、Adria Airwaysは新興独立国スロベニアのフラッグキャリアになり、これまでのチャーター便をメインとした事業体系から大きく転換を余儀なくされました。

ここから先はまたの機会に。

Duesseldorf空港で撮影したMD-82 YU-ANCですが、Plane Loggerのサイトで履歴を調べてみると

Yuanc
1982年にYU-ANCとして登録されInex Adria Airwaysのフリートに加わっており、写真の頃は丸7年が経過した頃でした。スロベニア独立後もS5-ABBのレジでアドリア航空のフリートでしたが、最後はアメリカに渡り、バリュージェットレノエアーで活躍した後、最後はSpirit Airlinesのフリートだったようです。

Inex-Adria Airwaysで検索すると1989年当時の同航空会社のfleet listが出てきますが、MD-82はYU-ANC 1機で、あと2機のYU-AJZ(cn 48046 ln 977)YU-ANB (cn 48048 ln 1005)はいずれもMD-81でした。因みに1981年の導入の年にコルシカ島サンピエトロ山に激突して失われたYU-ANAはまだ当時はDC-9-81と呼ばれていました。

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旅客機 Douglas DC-9/MD-80 series/MD-90/Boeing 717」カテゴリの記事

コメント

B767−281様お早うございます。MD80シリーズ、ダグラスお得意のストレッチもここまでいくと驚きですbね。お写真のように着陸進入角度が浅く、おもわずどっきりです。(笑い)さて日本ではTDAで、長く使われていましたが、初期導入がDC9−81で後期導入はMD81と言われていましたが、当時読んだ話では、後者はアビオニクスの近代化がなされており、それで名称を変えたとのことでした。それが一般的に言えるのか単なる呼称の変更なのか、調べてみたいと思います。さてDC8ですが、貨客転換形でしょうね。そうなるとDC8−F55なのかもしれません。(純然たる貨物タイプー55F)JALでも「あさま」のネーミングで一機使用していましたが、ほとんでお貨物機としてだったように覚えています。朝からお邪魔いたしました。

細井忠邦 さま、おはようございます。

仰るようにJASのDC-9-81、かつては羽田でよく見ましたが、着陸姿勢が他の機体とは違っていましたね。ストレッチされた関係と高い位置にある尾翼の関係でしょうか。

MD-80という呼称は1983年からだというのを私も読んだ記憶があります。
DC-8-55に対してDC-8-F55というタイプ確かにありましたね。

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