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2015年3月10日 (火)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 8 C53 45号機

2014年8月10日、1974年9月以来、40年振りに京都梅小路蒸気機関車館を訪問しました。今回は3シリンダー蒸機として有名なC53形45号機です。

C53_45_140810_3 C53 45号機 2014/8/10 梅小路蒸気機関車館

ボイラー下の前面デッキの出っ張りは中央シリンダーと後述のグレズリー連動弁装置の被いですね。

当時の鉄道省が3シリンダー方式の国産蒸気機関車の開発を手がけるようになったきっかけは1926年9月23日に山陽本線安芸中野~海田市間で発生した山陽本線列車脱線事故で、34名が犠牲になりました。

この事故は広島県下を襲った集中豪雨で瀬野川支流の畑賀川が決壊し、築堤が崩壊し、線路が宙づりになったところに28977号機(後のC51178号機)牽引の特急第一列車(後の特急富士)が進入し、脱線大破した事故で、客車が木製であったため、被害が大きかったと考えられ、客車の鋼製化の必要性が唱えられた事故でした。

客車を鋼製化するとなると当時の技術では自重が5t程度増加し、さらに車長が17m級から20m級になると、1列車あたりの牽引定数が50tから100t近く引き上げられることになりました。それに耐えうる出力の機関車を2シリンダー方式で製作する技術は当時まだなく、世界的に流行であった3シリンダー方式の機関車として、アメリカのアメリカン・ロコモティブ(アルコ)社に半ダースの6両を発注し、経費節約のために炭水車は自前で製作することにしたのが、8200形(後のC52形)でした。本社があったニューヨーク州のスケネクダディ工場にて1925年11月に完成し、1926年2月、日本に到着しました。国産の炭水車は日立製作所が製造し、D50形と同じ水槽容量20m³、燃料積載量8.4t、台車は板台枠の2軸ボギー台車を2個履くタイプでした。

サンプルとして輸入された8200形6両は各種試験に供され国産3シリンダー機C53形の開発に役立てられました。その後、名古屋と沼津で東海道本線の運用に就き、さらに瀬野八の補機としても活躍し、晩年は下関操車場で入れ換えに使われ、1947年に全車が廃車されました。

C53_45_140810_13
ピストン弁前・後方に通常では見かけない仕組みが見えるのがグレズリー式連動弁装置の特徴かと思います。

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給水温め器もこのようにかなり下に装着されています。C5345号機はこのようにピット線上に停められています。ただ、この中に潜り込んで3シリンダ機構を見学することはできないようです。

C52形の技術を解析して国産化したのがC53形ですが、それに携わったのは当時新卒だった島秀雄氏でした。3シリンダー式の最大の難点は弁装置にあると言われ、C53ではロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 (LNER) の技師長 (Chief Mechanic Engineer:CME) であったナイジェル・グレズリー卿が考案したグレズリー式連動弁装置が採用されました。2シリンダー方式のワルシャート式弁装置にその左右のピストン弁の尻棒の先端に連動大テコと連動小テコを繋げ、2つのテコの働きにより、左右のシリンダーのバルブタイミングから差動合成で台枠中央部に設けられたシリンダーのバルブタイミングを生成する方式となっています。3シリンダー方式は自動車の6気筒エンジンと4気筒エンジンの違いのように動輪の回転が滑らかになり、低速域の粘着特性が改善され、牽引力が増すとともに軌道へのハンマーブローが軽減されると考えられており、実際良く整備されたC53では安定性の高い走行を示したそうです。

1928年に53両、1929年に44両の計97両が製造されました。

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暗くてわかりにくい写真ですが、第一動輪前部の空間を覗いてみました。

性能向上が期待された3シリンダー機でしたが、構造が複雑で部品点数が多く、整備検修側から嫌われたこと、さらに設計側の3シリンダー機構の理解不足で剛性を低下させるような穴開け、軽量化等を行ってしまったため、亀裂が多発したり、動作不良が生じたりと重大なトラブルに再三見舞われたようです。また日本の軌間における余裕のなさにより、弁装置まわりのスペースが狭く主連棒ビッグエンドへの注油が非常に困難であったことも大きなマイナス要因となりました。

1934年11月には梅小路機関区の43号機が流線型に改造されました。これは空気抵抗を軽減するためではなく、列車の周囲の気流を改善し、煙が列車に絡みつくのを防ぎ、走行中に対向列車や駅ホームの乗客に及ぼす風圧の軽減を目標にしたものでした。43号機の試験成績は良好であったのでC53を流線型に改造するための改造費として昭和10年度予算で10両分(1両につき3000円)が内定したそうですが、結局は実現しませんでした。

C53_45_140810_7
C53の形態的特徴は通常は蒸気ドームと砂箱の2コブですが、重心の上昇を防ぐため、砂箱を左右のランボード上に分散させたことです。これも砂を補給する方にとってみれば大変な作業かもしれません。

C53_45_140810_11
動輪はスポーク方式です。主連棒や連結棒は他機に較べると細い感じが致します。

1940年代になり、2シリンダーで同クラスの性能のC59が登場し、幹線の主力機の座を追われることになりました。ただ大きな車体と複雑な構造が災いして、戦後は運用を離れる車両が続出し、1948年から1950年に全機廃車となりました。

梅小路に保存されている45号機は、沖田祐作氏の機関車表のデータによると

C5345      汽車製造大阪工場=1040            1928-11-02 S81.00t2C1T(1067)
   車歴;1928-11-02 製造→ 納入;国鉄;C5345→ 配属;大阪局→ 配置[大鉄局達乙1748];大阪局→
      1930-08-00 現在;梅小路→1933-06-00 現在;梅小路→1946-12-31 現在;梅小路→
      1950-07-13(6/29?)廃車[大阪鉄道局達乙1393];梅小路→
      保存;大阪府吹田市「国鉄吹田教習所」;C5345→1957-12-07 鷹取工場へ発送→ 復元走行→
      移管保存;大阪府「交通科学館」;C5345→1972-09-30 梅小路へ→
      移管保存;京都府「国鉄梅小路機関車館」;C5345

終生、梅小路で過ごした釜で、1950年に廃車となった後は吹田教習所に保存され、1957年に鷹取工場で復元され、1962年鉄道90周年事業の一環として大阪府の交通科学館に保存されましたが、梅小路蒸気機関車館開館とともに移管されています。

C53_45_140810_4
C53が廃車になった頃の1949年、炭水車2両分を糖蜜輸送用のタキ40t積みに改造する工事が行われ16両のタキ1600形が誕生したそうです。

C53_45_740929最後に1974年当時の同機の姿を

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コメント

B767−281様 お早うございます。C53ですか、こちらも技術者のロマンの結晶と思えます。1962年の復活運転のレコードがあるそうですが、私はその音源を残念ながら聴いたことはありません。3シリンダ機独特のリズムがしっかり録音されているそうで、いつか聴いてみたいです。この機関車こそ動態に戻せない無いのかな、と思います。まあ機械式速度計(国鉄101系の初期車もこれでした)ですらもうそれを整備できる技術者はいないそうですので、果たせない夢かもしれませんが。3月末に京都方面に行けそうになりましたので、梅小路是非再訪したいと思います。では失礼いたします。

細井忠邦さま、おはようございます。

わたしも今回C52からC53開発の歴史を改めて勉強して、技術者の大変な苦労を知りました。
C53の走行音、とくに3シリンダー機のリズムはやはりワルツになるのでしょうか、是非聞いてみたいものです。

3シリンダーではないですが、1986年の新婚旅行でスイス・ルツェルンのVerkehrshaus交通博物館を訪問した際に、2965という4シリンダー機を見学しましたが、機関車の下側からの見学が可能で、両輪の内側にある2個のシリンダーを見ることが出来ました。京都鉄道博物館の展示でもC53に関しては下から見学できるようになればありがたいですね。

是非、お時間が許せば梅小路訪問してみて下さい。

こんにちは~。モモパパです。
C53といえば3シリンダーの蒸気。
でも意外と早く姿を消しちゃいましたね。
C53ってデフレクターつけた車両を見ないですけど何ででしょうかね?

モモのパパさま、こちらにもありがとうございます。

そうですね、流線型に改造されたバージョン以外は見ませんね。やはり重心を低く抑えるためなんでしょうか?

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