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2015年3月 8日 (日)

公開 47年振りの東急世田谷線訪問 その2 デハ200形

玉電シリーズ、今回は宮崎台の東急「電車とバスの博物館」に保存されているデハ200形204号を紹介しようと思います。

204_150214_10 東急「電車とバスの博物館」に保存されているデハ204 2015/2/14

デハ200形はその形態からも想像されるように1954年から製造された東急デハ5000系で採用されたモノコック構造、中空軸平行カルダン駆動、設計当時最新のHSC発電ブレーキ連動電磁直通ブレーキなどの技術を採用し、1955年に6編成、デハ201~206が東急車輌製造で製造されました。
5101a_100320 熊本電鉄で活躍する元東急デハ5000形 2010/3/20 北熊本 

こちらは直角カルダン方式でしたが、デハ200形はたわみ継ぎ手を使用した中空軸平行カルダン方式となりました。また主電動機と車輪の歯車間に遊び歯車が挿入されました。
熊本電鉄の5000形も東京メトロ01系の導入でついに引退のようですね。

車体は長さ10,200mm、幅2300mmの2車体を連接台車で結合した連接車で、鋼材は高抗張力鋼を使用、旧日本海軍の航空機技術を応用したモノコック構造およびボディマウント構造を採用し、自重22tと大幅な軽量化を実現しました。

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車体間を結んで支える1軸のリンク操舵方式の連接台車 TS-501

Talgo_090308_montpellier5
こちらは本物のタルゴ客車の連接台車 2009/3/8 Montpellier 

確かにデハ200形の連接部とよく似ています。タルゴの場合、軌間可変機構もあるので、左右の車輪は車軸で繋がっていないとか。

TS-501台車では台車枠と車体側心皿フレーム1組の間をコイルばねで支持し、2車体それぞれの心皿フレームと台車枠の間に2本ずつリンクを連結し、その案内により車軸が常に曲線中心方向へ向く操舵機構を開発・搭載しているとのことです。

204_150214_7
車体は卵形断面のため、扉部床面とホームの間が大きく開くため、空気シリンダーによって展開される可動式ドアステップが設置されました。
屋根は車体の構造強度を負担する下屋根と外形を保ち、パンタの保持をする上屋根の二重屋根構造でした。
ドアの位置は荷重負担の中心となる心皿を支持する横梁と重ならないように左右非対称配置となっています。

204_150214_3
前面は2枚窓流線型で尾灯は車体腰部、屋根左右は標識灯でした。

204_150214
座席はオールロングシートで、片側運転台の反対側間でありましたので、現役時代はここに座るのが楽しみでした。

204_150214_4
特徴的な卵形の車体構造がよく分かります。連接部の車内は幌で繋がっています。換気装置は各車体天井にファンデリアが4カ所設置されていました。

204_150214_5 TS-302 二軸ボギー台車

台車は車輪径510mmで東急車輌製造がその前身の海軍工廠から承継した鋳造設備を利用して製造したそうです。前にも書きましたが、この車輪が走行時には独特のギシギシといった走行音を出していました。

204_150214_3_2
一見、シンプルな運転台ですが、当時の最新ハイテク技術が込められたものでした。

制御器は主電動機の電流量を監視しながら、限流値に達するとリミターが作動し、その指令に従って主回路を切り替え、進段する方式でかつ乗客数に応じて主電動機の限流値を自動可変させる応荷重装置も備えていました。ノッチ段数は力行4段、電制3段で最大加速度は2.6km/h./sでした。
抵抗器はスペースの関係からパンタのない第二車体の天井に搭載され、屋根側面にルーバーを設けて自然通風冷却方式としました。

運用的特徴は扇風機すら満足に設置されていなかった当時の玉電にあって、強力な送風機構を持っていたので夏場は「プール行き」臨時電車に優先的に使用されたそうです。

先進の機構が投入されていたことが、仇となってワンテンポ遅れた応答性などで当時の玉電を取り囲む交通事情では不利に作用したことが多かったようです。さらにボディーマウント方式であり、床下空間が狭かったため、故障時にはピット線入りを余儀なくされたことも不利でした。一軸の連接台車はスプリングポイントで横に引っ張られたために前後部に反動が発生したり、時には脱線することもあったそうです。ローリングが激しかったのも欠点でした。扉位置が他車と異なることもラッシュ時等に問題となり、敬遠され、玉電廃止前から運用離脱状態となり、世田谷線には承継されませんでした。製造後わずか14年での現役引退でした。
デハ204と206が保存されましたが、204は多摩川園から高津駅前広場、電車とバスの博物館に保存され現在に至っていますが、206は野田市の清水公園に保存されたものの荒廃のため解体されました。
204_150214_6
301_150207 現在の世田谷線300形 301  デハ200形を模した塗装が施されています。 2015/2/7 山下

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コメント

B767−281様 おはようございます。200型いいですね。一般的に初期新性能電車はロマンがあっていいです。オールエム構想など挫折もありましたが、先の時代を見据えた新技術にかける気概が伝わってきます。301はよく見ますし、これが来るとちょっと得して気分になります。この博物館時間だできたら是非行ってみます。では、また。

細井忠邦さま、おはようございます。

わたしも今回の記事でデハ200形が如何に当時の最新技術を集めて製作されたかがよく分かりました。

折角の技術の産物がわずか十数年で引退とは残念でしたが、その精神が技術者によって伝承されることが重要かとも感じました。

B767しゃん、おこんばんは(^◇^;)お邪魔致しますよm(_ _)mこの電車が…渋谷〜二子玉川園を走っていたとはね〜〜(^◇^;)

マスダっち1971さま、こんばんは。

新玉川線が通じている今では想像も出来ないことですね。

こんにちは
デハ200型について学術レポートを書いているのですが、電車とバスの博物館での保存、管理方法についてはご存知ですか?休憩場所として利用されていますが展示物として、何か問題はないのでしょうか。

はじめまして。

訪問したのは2015年3月で、その後変化があるかも知れませんが、自分が小学校のころ実際に乗車した特徴的で非常に印象に残った玉電200形に再会できたことが素晴らしく、かつ車内にも入ることができ、当時のまま保存されていることが良かったです。
出来れば再訪してみたいですね。

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