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2015年4月29日 (水)

尾久車両センター公開 2014 その7 北斗星編成用緩急車

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、今回も前回に引き続いてこの3月のダイヤ改正で定期運用を終了した寝台特急「北斗星」の客車について触れます。

緩急車という言葉はもはや我が国の鉄道では死語になっているのかも知れませんが、編成の最後尾等に連結されている手ブレーキや車掌弁(列車にブレーキをかける)が備わった車両です。24系客車系列における”顔”的な車両で、オハネフ24オハネフ25が製造され、オハネフ24は1回の製造で終わりましたが、オハネフ25は数次に分けて製造され、バラエティが豊富でした。

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北斗星の仕業を終え、尾久車両センターに戻って来た編成 2014/11/15

最後尾と2両目がオハネフ25ですが、下の帯から最後尾は0番台由来、2両目は200番台由来であることが分かります。北斗星に使用されているオハネフ25は0番台か200番台で、100番台はありません。

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東京発西鹿児島行き寝台特急「はやぶさ」 1975/7 東京

24系の緩急車であるオハネフ241973年8~9月スハネフ14に準じた構造で27両製造され、向日町に配置されました。同年10月1日のダイヤ改正で118両の24系一族とともに「あかつき3・1号、4・3号」「彗星3・4号、4・1号」に投入されました。定員は45名でした。厳密に形態を比較すると、スハネフ14とオハネフ24では乗務員室側のエアコンの取付位置が違います。

登場後しばらくはジャンパ栓受けが妻面に設置されており、スハネフ14とは違った雰囲気を出していました。

1975年3月10日の新幹線博多開業のダイヤ改正で24系一族は向日町から品川に異動となり、「はやぶさ」「富士」「出雲」を受け持つことになりますが、それも僅か1年半で、青森に転属となり、「あけぼの」「ゆうづる」等を担当します。
尚、1977年に16,17,18の3両は床下に電源エンジンと発電機を搭載し,スハネフ14  101, 102, 103に改造されました。余談ですがスハネフ14 1021982年3月15日、「紀伊」として運用中、名古屋駅構内でDD51に衝突され廃車となりました(その時の状況を紹介しているサイトはこちらに)。

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日暮里を通過する上り「ゆうづる」 24系編成    1979/6/24
ジャンパ栓受けはオリジナルの位置にありました。

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24系「出羽」編成 1983/1/2 秋田

その後、寝台特急の愛称表示が絵入りになる頃ぐらいから、ジャンパ栓受けの位置を台枠レベルに付け替えた車両が見られるようになりました。

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オハネフ25 0番台1次車による彗星5号 1974/3/6 下関

1974年4月25日の日豊本線幸崎~南宮崎電化によるダイヤ改正で、二段ハネが登場することとなり、24系25形基本番台が新潟鐵工所、富士重工業、日本車輌で91両製造されました。

上段寝台自動昇降装置付きとなり、上下段とも寝台高さが103cmに広がりました。帯は白帯からステンレス帯に、オハネフ25も27両製造され、二段化による定員の減少を抑えるため、トイレの位置を改め、乗務員室と業務用室の長さを縮めて1セット分の寝台スペースを確保して定員32名としました。そのために左右の乗降扉の位置がずれているのもこの車両の特徴となりました。

冷房装置はオハネフ24はAU76でしたが、AU77になりました。使用列車は「あかつき6・2号」「あかつき3・1号」「彗星5・1号」で、「あかつき3・1号」のみ12両、あとは13両編成でしたが、B寝台のみのモノクラス編成でした。

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オハネフ25 0番台2次車による「つるぎ」 1976/2 新大阪

1976年2月20日から大阪~新潟間の寝台特急「つるぎ」が二段ハネに、さらに3月1日から大阪~青森間の季節寝台特急6003/6004レ「日本海1・2号」が二段ハネ化されるにあたり、1975年12月から1976年2月に0番台が60両増備され、宮原区に配置されました。オハネフ25は46まで製造されました。2次車では狭すぎた乗務員室を、ドアエンジンを移設することで改良しました。

このときに20系客車が初めて急行「銀河」に使用されるようになりました。
増備された2次タイプのオハネフ25 28からはジャンパ栓受けが台枠レベルに下げられて設置されるようになりました。

オハネフ25 18は鹿児島本線川尻駅構内で運転操作ミスによりDE10-1190に衝突され、車端部が圧壊し、1976年2月26日付けで廃車となったため、1976年9月24日に新潟鐵工所で47が製造されました。すでに基本番台から100番台に移行している時期でしたが、0番台の形態で製造されました。

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下の帯が貫通扉まで回っているオハネフ25100番台 1983/9/24 東京駅

1976年10月に東京発の寝台特急「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系から24系25形に置き換えられた際に導入された25形は寝台の設置および解体を省力化したグループで、オハネフも新潟鐵工所、富士重工業で100番台として57両製造されました。

上段を移動させないで側窓のガラスが交換できるように、寝台側の側窓の上下幅が小さくなりました。乗務員室のスペースを確保するために、後位の妻面は切り妻式となり、片渡りで方向も電源車と逆向きに固定となりました。そのために、基本編成と付属編成の連結部ではオハネフが同じ向きに2両並び、九州内で分割した後もオハネフが逆向きに付いた付属編成が留置されることになりました (一次車103両)。その後の、「あさかぜ2・1号」「瀬戸」「安芸」の二段ハネ化 (二次車91両)でもこのオハネフタイプが製造されました。

カニに関しては一次車ではカニ24 15^25が増備され、二次車からモデルチェンジしたカニ24 100番台となりました。

1990年に直流区間のみを走行する「瀬戸」「あさかぜ3・2号」の電源車にSIV方式のスハ25 300番台が導入された際に、134、135,141の3両がオハネフ25 301~303に改造されました。それまで電源車にあった荷物積載スペースがなくなったために後位側寝台スペース6名分をつぶし、乗務員室が拡大され,業務用スペースとなりました。

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あさかぜ3号 下関行きに組み込まれるオハネフ25 300番台 (機関車次位) 2004/9/5 海田市

最後まで残った20系デラックス「あさかぜ1・2号」の二段ハネ化に際して三次車35両が製造され、オハネフ25は方向転換可能な200番台が登場しました。1977年に新潟鐵工所、富士重工業で201-210の10両が製造されました。

寝台等は100番台と同じですが、妻面は半折り妻となり、品川、向日町に配置されました。下帯は角を曲がって少しのところで終わるパターンとなり、同時期に登場した14系の二段ハネ15形と同じパターンとなりました。

24系25形、最後は4次車として35両が1980年10月1日のダイヤ改正に向けて増備され、向日町に配置されました。その際に捻出された0番台が青森に転出し、最後の20系寝台特急「あけぼの」が24系化されました。このときにオハネフ25 211-221が新潟鐵工所、富士重工業で製造されています。

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晩年は「はやぶさ」編成などでみられたオハネフ25 200番台 2007/12/18 門司

JR北海道の北斗星用オハネフは0番台から、2~4, 7, 8, 15、200番台から216、218,220 さらに中間車のオハネ14 508, 507を改造したオハネフ24 501 502がありました。218、220は1991年12月にスハネフ14 551, 552に再改造されました。
JR東日本のオハネフはオハネフ24 10, 12, 22 オハネフ25 5, 6, 9~14 200番台から212~215, 217, 219, 221が当初,充てられました。

オハネフ25の番号は変わっていませんが、折り戸は引き戸に改造されました。

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北斗星編成でもオハネフ25 200番台が最後部に回ることがありました。 2007/8/4 黒磯

2014年4月時点では

JR東日本 尾久車両センター
11号車 オハネフ25形 開放式B寝台 5両配置 12~14・214・215

JR北海道 札幌運転所

2号車 オハネフ25形 開放式B寝台 3・7・216 14系対応
1号車 オハネフ25形 開放式B寝台(Bコンパートメント 簡易仕切付き) 4両配置 2・4・8・15 これらは北斗星1・2号の全車個室化で1997年に4名用Bコンパートメントに改造された車両です。

定期運用終了でJR北海道所属の車両は引退となったようです。

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コメント

おはようございます。

あかつきのために製造された24系、高校の修学旅行のときに乗り、
鉄道好き仲間と全く寝ずに24系探索をしました。


24系25型の富士重工で製造されたのが配置先に向かうのに EF58に牽引されたのを覚えています。


このゴールデンウィークに北斗星とカシオペアを見に行こうかと思います。

準急豊島園さま、おはようございます。

関西での24系の活躍期間は1973年10月から1975年3月と極めて短い間でしたから,貴重な体験をされましたね。わたしも1973年当時は高校3年、1974年4月に大学入学してますが、関西に新型BTが投入されたと聞いても実態がよく分からなかったのを憶えています。

こんにちは~。モモパパです。
ブルトレ全盛期時代によく名古屋駅を早朝停車するたしか「富士」だったと思いますがよく客車の最後尾のテールマークを撮影してたのを思い出します。あの頃はよかったな~。いろんなブルトレが走ってて。

モモのパパさま、おはようございます。

わたしも大垣行きに乗って名古屋まで行ったとき、上りの「さくら」が名古屋に到着するシーンを見て、ああこれから来た道を帰るのか,東京着は11:30だからねと思ったことがありました。
効率優先のダイヤになってしまうのは何か寂しいですね。

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