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2015年4月28日 (火)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 11 C57 1号機

2014年8月10日の40年振りの梅小路蒸気機関車館訪問の話題ですが、今回のC57 1号機も前回のC56 160号機同様に、不在だった機関車です。

C57_1_740929_2_2
我が国で最も多忙で有名な動態保存蒸機であるとおもいます。

その履歴を沖田祐作氏の機関車表のデータで見てみましょう。

C571      川崎重工兵庫工場=1769            1937-03-22 S67.50t2C1T(1067)
   車歴;国鉄;C5563 予定→ 設計変更→1937-03-22 製造→ 納入;国鉄;C571→
      配属[達346];東京局→1937-03-22 使用開始→ 配置;水戸→1937-04-04 到着;水戸→
      1939-11-10 郡山工場発(11/10 着)宇都宮→
      1949-10-12(10/11 発10/11 着)千葉→1954-10-06 大宮工場発(10/7 着)新津→
      1957-05-02 発(5/3 着)借入;酒田→1957-05-18 発(5/19 着)返却→
      1957-06-21 工場入→1958-03-05 新缶に交換完了(三菱製)→
      1961-02-09 急行「日本海」牽引中脱線転落→ 復旧の際長野工場で運転室新製→
      1972-09-23 発(9/25 着)借入;佐倉→1972-09-30 佐倉発(10/3 着)梅小路→
      1972-10-10(10/9?)動態保存;京都府「国鉄梅小路機関車館」;C571;梅小路→
      1979-06-29 鷹取工場発借入;小郡機関区→
      1987-04-01 動態保存;京都府国鉄・JR 西日本梅小路機関車館;C571;梅小路運転区
      (以下略)(動態保存以前最終走行距離=3,287,777㎞/ 計測時点不明)→
      2008-04-01 現在;梅小路運転区

誕生は1937年3月22日で川崎重工兵庫工場でした。御年88歳を越えています。C57形は元々C55形の改良型ととして登場していますので、1号機はC5563としての付番予定だったのですね。
新製当初は関東地区水戸機関区に配置され、常磐線、水戸線などで活躍しています。太平洋戦争末期の1945年には宇都宮機関区で機銃掃射を受けたそうです。
1949年10月に千葉機関区に転属しました。
1954年10月には新津機関区に異動し、羽越本線などで旅客列車の牽引にあたります。
1961年2月9日13時45分、村上~間島間で大阪発青森行き 急行「日本海」牽引中に土砂崩壊現場に突入し、機関車と客車2両が脱線する大事故となりました。人的被害は機関士が軽傷を負った程度でしたが、現場復旧作業が優先され、車両は2ヶ月以上も現場に放置されたそうです。4月27日に長野工場に入場し、5ヶ月の期間をかけて修復されました。当時の機関車不足とボイラーは3年前に交換したばかりであったこと、さらにトップナンバーであることなどで、廃車を免れたのでしょうか。台枠が無事だったことも重要な要素でした。このとき運転室が新製されたのですね。1972年3月14日の秋田行き821列車が最後の定期列車牽引となりました。
1972年5月には新潟県村上植樹祭で新津ー村上間、お召し列車牽引の大役を担い、9月23日には千葉佐倉機関区に異動し、千葉鉄道管理局鉄道100年記念特別列車「なつかしのSL列車」の牽引も担当しました。そして、梅小路入りしました。

1976年9月4日、東海道線の京都~大阪間開業100周年を記念して臨時列車「京阪100年号」が運転され、大阪から京都に向かう復路の運行中、千里丘ー茨木間で鉄道用地に立ち入って撮影していた小学5年生の男児が列車に接触、死亡する事故が起きました。この事故でC571号機による牽引は高槻駅で打ち切られ、残りの区間はEF65形が牽引しました。1975年12月の蒸気機関車営業運転廃止(入れ換え運転は1976年3月)以来、イベント列車として梅小路機関区に保存された動態保存機を本線で走行させる試金石的運行でもあったため、その方向性に問題を投げかけた事故となりました。

蒸気機関車の動態保存そして本線での走行に関しては大井川鉄道が1976年7月9日から運転を開始しており、先鞭を付けていますが、当時の国鉄も”人類の科学遺産としても価値”を認め、先の「京阪100年号」の事故の教訓も踏まえ、大都市圏からは離れた場所で復活運転を行うことを決定し、1979年8月1日から山口線での「SLやまぐち号」としての運転が開始されました。その運転も今年で36年になり、現役時代(1937-1972)を超える期間となっています。

1985年初頭には鷹取工場で国鉄時代最後の解体修繕が行われ、車軸が新造され、動輪への圧入や転削はプレス機が鷹取工場には無かったため、車輪は苗穂工場に送られ、行われました。1995年1月、阪神淡路大震災発生時には鷹取工場に入場中で、ジャッキ上にありました。地震の揺れで転落し、ボイラーなどが大きく破損しました。2005年にも動輪軸受けの異常加熱などのトラブルが発生し、その後の全般検査でこれらの異常箇所を全て修復する修理が行われています。2009年には老朽化した炭水車の車体を新製し、交換しました。さらにボイラーの改修も行われ、煙室管板と火室管板の新製交換もなされました。2013年には汽笛にクラックが生じて、音階がずれてしまい、全般検査で1980年当時の音色に復元されています。こういったC57 1の維持には兵庫県姫路市御立交通公園に保存されているC57 5の存在が大変役立っているそうです。

2014年7月5日から「SLやまぐち号」の運行が開始されましたが、折しも山口線は2013年7月の大雨による災害で宮野~益田間が不通となり、同年8月5日の宮野ー地福間、11月16日の津和野ー益田間に続いて、2014年8月23日、地福-津和野間が復旧したところでしたが、車軸の異常加熱、速度計の動作不良、発電機の故障などのトラブル発生に悩まされました。今年に入ってからも2月17日の試運転がトラブルで中止となったとのことです。

C57_1_740929_1
C571号機に関しては昔からNHK特集や多くの鉄道番組で取り上げられ、そのたびに録画して多くの映像は保管しているのですが、未だ「SLやまぐち号」が走る姿は生で見たことがなく、是非近いうちに見ておかなくては思っています。

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コメント

こんにちは~。モモパパです。
C57 1号機の牽引するSL「やまぐち号」。
僕、一度だけ乗ったことがありますヨ。
家族旅行で湯田温泉へ行った時に乗りました。
当時から思ってたことですが客車が旧型車両じゃないのが残念です。
やはり蒸気といえば旧型客車が絵になると思うのですが。

モモのパパさま、おはようございます。

そうですか、SLやまぐち号、乗車されていましたか。
わたしもテレビの鉄道番組で取り上げられているのを拝見して、是非きちんと記録しておこうと思っています。
客車に関しては展望車も含めて新製されるというニュースが最近ありましたね。

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