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2015年4月30日 (木)

パリの6つのターミナル駅巡り リヨン駅 4 TGV Duplex

パリの6つのターミナル駅巡り、TGV南東線を始め、フランス南部との多くの旅客列車が発着しているリヨン駅の話題、今回もTGV関係でSud-Estに続き、LGV南東線の主力と活躍中のTGV Duplexの話題です。

Tgvduplex_070603_gare_de_lyon TGV Duplex 252 編成 2007/6/3 Gare de Lyon

第三世代のTGV車両として、飽和状態になっていたLGV南東線の輸送力を高める目的で開発されたのがTGV Duplexです。我が国のE1系E4系MAXと似た背景から登場しています。

1981年の開業以来、旅客輸送量は順調に増え、1990年代初めには約2倍となりました。この対策として、当初、信号保安システム(TVM)の改良により、1時間あたりの列車本数を5分ごとから4分ごとに上げることで対応を試みましたが、在来線区間の線路容量がボトルネックとなり、運転本数が制約されました。次に編成両数を増やすことが考えられましたが、フランスではリヨン駅を初めとして頭端式のホームが多く、乗客にとっては問題でした。そこで出されたのがダブルデッカー方式でした。

Tgvduplex_215_070603_gare_de_lyon2_ TGV Duplex 215編成 2007/6/3 Gare de Lyon

1990年に試作車が完成し、試験が繰り返され,290km/h走行試験や勾配走行試験も行われ、最初はTGV Réseau編成の動力車と組んでの試験も行われ、1995年6月21日に専用の動力車と組んだ新編成が登場しました。 前頭部の顔にあたる部分も大きくモデルチェンジされ、300km/h走行時の空気抵抗軽減に大きく貢献しています。客車も重量増加を軽減するためアルミニウム合金製となり、ダブルスキン構造となりました。車両間の通路は2階レベル結ばれています。動力車は2006年製までは鋼製でした。

Tgvduplex_070603_gare_de_lyon4 TGV Duplex 240

このシリーズで後で登場しますが、パリの近郊電車や地域列車ではかなり以前からダブルデッカー車は導入されていましたが、優等列車に採用されたのはTGV-Duplexが初めてでした。編成あたりの定員で比較するとTGV Sud-Estが350人でしたが、Duplexでは516人となり、約40%の増加となりました。

車両の構成はSud-Estの方式を踏襲しており、両端2両が動力車、中間8両の客車で、一等車3両、全室バー車1両、二等車4両となっています。

原型編成 29000形   1995年から1997年、2001年から2006年にかけて製造 
  201-289編成が在籍 
     201-230, 266-289 はリヨン駅側の南東ヨーロッパ車両基地
     231-265はLGV大西洋線 アトランティック車両基地に

南部の都市、モンペリエに出張した際にTGVで二度往復しましたが、Duplexに乗車した際には車内探検をして、各所の写真を写していますので,次回の記事では車内の様子について紹介しようと思います。

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2015年4月29日 (水)

尾久車両センター公開 2014 その7 北斗星編成用緩急車

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、今回も前回に引き続いてこの3月のダイヤ改正で定期運用を終了した寝台特急「北斗星」の客車について触れます。

緩急車という言葉はもはや我が国の鉄道では死語になっているのかも知れませんが、編成の最後尾等に連結されている手ブレーキや車掌弁(列車にブレーキをかける)が備わった車両です。24系客車系列における”顔”的な車両で、オハネフ24オハネフ25が製造され、オハネフ24は1回の製造で終わりましたが、オハネフ25は数次に分けて製造され、バラエティが豊富でした。

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北斗星の仕業を終え、尾久車両センターに戻って来た編成 2014/11/15

最後尾と2両目がオハネフ25ですが、下の帯から最後尾は0番台由来、2両目は200番台由来であることが分かります。北斗星に使用されているオハネフ25は0番台か200番台で、100番台はありません。

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東京発西鹿児島行き寝台特急「はやぶさ」 1975/7 東京

24系の緩急車であるオハネフ241973年8~9月スハネフ14に準じた構造で27両製造され、向日町に配置されました。同年10月1日のダイヤ改正で118両の24系一族とともに「あかつき3・1号、4・3号」「彗星3・4号、4・1号」に投入されました。定員は45名でした。厳密に形態を比較すると、スハネフ14とオハネフ24では乗務員室側のエアコンの取付位置が違います。

登場後しばらくはジャンパ栓受けが妻面に設置されており、スハネフ14とは違った雰囲気を出していました。

1975年3月10日の新幹線博多開業のダイヤ改正で24系一族は向日町から品川に異動となり、「はやぶさ」「富士」「出雲」を受け持つことになりますが、それも僅か1年半で、青森に転属となり、「あけぼの」「ゆうづる」等を担当します。
尚、1977年に16,17,18の3両は床下に電源エンジンと発電機を搭載し,スハネフ14  101, 102, 103に改造されました。余談ですがスハネフ14 1021982年3月15日、「紀伊」として運用中、名古屋駅構内でDD51に衝突され廃車となりました(その時の状況を紹介しているサイトはこちらに)。

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日暮里を通過する上り「ゆうづる」 24系編成    1979/6/24
ジャンパ栓受けはオリジナルの位置にありました。

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24系「出羽」編成 1983/1/2 秋田

その後、寝台特急の愛称表示が絵入りになる頃ぐらいから、ジャンパ栓受けの位置を台枠レベルに付け替えた車両が見られるようになりました。

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オハネフ25 0番台1次車による彗星5号 1974/3/6 下関

1974年4月25日の日豊本線幸崎~南宮崎電化によるダイヤ改正で、二段ハネが登場することとなり、24系25形基本番台が新潟鐵工所、富士重工業、日本車輌で91両製造されました。

上段寝台自動昇降装置付きとなり、上下段とも寝台高さが103cmに広がりました。帯は白帯からステンレス帯に、オハネフ25も27両製造され、二段化による定員の減少を抑えるため、トイレの位置を改め、乗務員室と業務用室の長さを縮めて1セット分の寝台スペースを確保して定員32名としました。そのために左右の乗降扉の位置がずれているのもこの車両の特徴となりました。

冷房装置はオハネフ24はAU76でしたが、AU77になりました。使用列車は「あかつき6・2号」「あかつき3・1号」「彗星5・1号」で、「あかつき3・1号」のみ12両、あとは13両編成でしたが、B寝台のみのモノクラス編成でした。

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オハネフ25 0番台2次車による「つるぎ」 1976/2 新大阪

1976年2月20日から大阪~新潟間の寝台特急「つるぎ」が二段ハネに、さらに3月1日から大阪~青森間の季節寝台特急6003/6004レ「日本海1・2号」が二段ハネ化されるにあたり、1975年12月から1976年2月に0番台が60両増備され、宮原区に配置されました。オハネフ25は46まで製造されました。2次車では狭すぎた乗務員室を、ドアエンジンを移設することで改良しました。

このときに20系客車が初めて急行「銀河」に使用されるようになりました。
増備された2次タイプのオハネフ25 28からはジャンパ栓受けが台枠レベルに下げられて設置されるようになりました。

オハネフ25 18は鹿児島本線川尻駅構内で運転操作ミスによりDE10-1190に衝突され、車端部が圧壊し、1976年2月26日付けで廃車となったため、1976年9月24日に新潟鐵工所で47が製造されました。すでに基本番台から100番台に移行している時期でしたが、0番台の形態で製造されました。

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下の帯が貫通扉まで回っているオハネフ25100番台 1983/9/24 東京駅

1976年10月に東京発の寝台特急「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系から24系25形に置き換えられた際に導入された25形は寝台の設置および解体を省力化したグループで、オハネフも新潟鐵工所、富士重工業で100番台として57両製造されました。

上段を移動させないで側窓のガラスが交換できるように、寝台側の側窓の上下幅が小さくなりました。乗務員室のスペースを確保するために、後位の妻面は切り妻式となり、片渡りで方向も電源車と逆向きに固定となりました。そのために、基本編成と付属編成の連結部ではオハネフが同じ向きに2両並び、九州内で分割した後もオハネフが逆向きに付いた付属編成が留置されることになりました (一次車103両)。その後の、「あさかぜ2・1号」「瀬戸」「安芸」の二段ハネ化 (二次車91両)でもこのオハネフタイプが製造されました。

カニに関しては一次車ではカニ24 15^25が増備され、二次車からモデルチェンジしたカニ24 100番台となりました。

1990年に直流区間のみを走行する「瀬戸」「あさかぜ3・2号」の電源車にSIV方式のスハ25 300番台が導入された際に、134、135,141の3両がオハネフ25 301~303に改造されました。それまで電源車にあった荷物積載スペースがなくなったために後位側寝台スペース6名分をつぶし、乗務員室が拡大され,業務用スペースとなりました。

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あさかぜ3号 下関行きに組み込まれるオハネフ25 300番台 (機関車次位) 2004/9/5 海田市

最後まで残った20系デラックス「あさかぜ1・2号」の二段ハネ化に際して三次車35両が製造され、オハネフ25は方向転換可能な200番台が登場しました。1977年に新潟鐵工所、富士重工業で201-210の10両が製造されました。

寝台等は100番台と同じですが、妻面は半折り妻となり、品川、向日町に配置されました。下帯は角を曲がって少しのところで終わるパターンとなり、同時期に登場した14系の二段ハネ15形と同じパターンとなりました。

24系25形、最後は4次車として35両が1980年10月1日のダイヤ改正に向けて増備され、向日町に配置されました。その際に捻出された0番台が青森に転出し、最後の20系寝台特急「あけぼの」が24系化されました。このときにオハネフ25 211-221が新潟鐵工所、富士重工業で製造されています。

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晩年は「はやぶさ」編成などでみられたオハネフ25 200番台 2007/12/18 門司

JR北海道の北斗星用オハネフは0番台から、2~4, 7, 8, 15、200番台から216、218,220 さらに中間車のオハネ14 508, 507を改造したオハネフ24 501 502がありました。218、220は1991年12月にスハネフ14 551, 552に再改造されました。
JR東日本のオハネフはオハネフ24 10, 12, 22 オハネフ25 5, 6, 9~14 200番台から212~215, 217, 219, 221が当初,充てられました。

オハネフ25の番号は変わっていませんが、折り戸は引き戸に改造されました。

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北斗星編成でもオハネフ25 200番台が最後部に回ることがありました。 2007/8/4 黒磯

2014年4月時点では

JR東日本 尾久車両センター
11号車 オハネフ25形 開放式B寝台 5両配置 12~14・214・215

JR北海道 札幌運転所

2号車 オハネフ25形 開放式B寝台 3・7・216 14系対応
1号車 オハネフ25形 開放式B寝台(Bコンパートメント 簡易仕切付き) 4両配置 2・4・8・15 これらは北斗星1・2号の全車個室化で1997年に4名用Bコンパートメントに改造された車両です。

定期運用終了でJR北海道所属の車両は引退となったようです。

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2015年4月28日 (火)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 11 C57 1号機

2014年8月10日の40年振りの梅小路蒸気機関車館訪問の話題ですが、今回のC57 1号機も前回のC56 160号機同様に、不在だった機関車です。

C57_1_740929_2_2
我が国で最も多忙で有名な動態保存蒸機であるとおもいます。

その履歴を沖田祐作氏の機関車表のデータで見てみましょう。

C571      川崎重工兵庫工場=1769            1937-03-22 S67.50t2C1T(1067)
   車歴;国鉄;C5563 予定→ 設計変更→1937-03-22 製造→ 納入;国鉄;C571→
      配属[達346];東京局→1937-03-22 使用開始→ 配置;水戸→1937-04-04 到着;水戸→
      1939-11-10 郡山工場発(11/10 着)宇都宮→
      1949-10-12(10/11 発10/11 着)千葉→1954-10-06 大宮工場発(10/7 着)新津→
      1957-05-02 発(5/3 着)借入;酒田→1957-05-18 発(5/19 着)返却→
      1957-06-21 工場入→1958-03-05 新缶に交換完了(三菱製)→
      1961-02-09 急行「日本海」牽引中脱線転落→ 復旧の際長野工場で運転室新製→
      1972-09-23 発(9/25 着)借入;佐倉→1972-09-30 佐倉発(10/3 着)梅小路→
      1972-10-10(10/9?)動態保存;京都府「国鉄梅小路機関車館」;C571;梅小路→
      1979-06-29 鷹取工場発借入;小郡機関区→
      1987-04-01 動態保存;京都府国鉄・JR 西日本梅小路機関車館;C571;梅小路運転区
      (以下略)(動態保存以前最終走行距離=3,287,777㎞/ 計測時点不明)→
      2008-04-01 現在;梅小路運転区

誕生は1937年3月22日で川崎重工兵庫工場でした。御年88歳を越えています。C57形は元々C55形の改良型ととして登場していますので、1号機はC5563としての付番予定だったのですね。
新製当初は関東地区水戸機関区に配置され、常磐線、水戸線などで活躍しています。太平洋戦争末期の1945年には宇都宮機関区で機銃掃射を受けたそうです。
1949年10月に千葉機関区に転属しました。
1954年10月には新津機関区に異動し、羽越本線などで旅客列車の牽引にあたります。
1961年2月9日13時45分、村上~間島間で大阪発青森行き 急行「日本海」牽引中に土砂崩壊現場に突入し、機関車と客車2両が脱線する大事故となりました。人的被害は機関士が軽傷を負った程度でしたが、現場復旧作業が優先され、車両は2ヶ月以上も現場に放置されたそうです。4月27日に長野工場に入場し、5ヶ月の期間をかけて修復されました。当時の機関車不足とボイラーは3年前に交換したばかりであったこと、さらにトップナンバーであることなどで、廃車を免れたのでしょうか。台枠が無事だったことも重要な要素でした。このとき運転室が新製されたのですね。1972年3月14日の秋田行き821列車が最後の定期列車牽引となりました。
1972年5月には新潟県村上植樹祭で新津ー村上間、お召し列車牽引の大役を担い、9月23日には千葉佐倉機関区に異動し、千葉鉄道管理局鉄道100年記念特別列車「なつかしのSL列車」の牽引も担当しました。そして、梅小路入りしました。

1976年9月4日、東海道線の京都~大阪間開業100周年を記念して臨時列車「京阪100年号」が運転され、大阪から京都に向かう復路の運行中、千里丘ー茨木間で鉄道用地に立ち入って撮影していた小学5年生の男児が列車に接触、死亡する事故が起きました。この事故でC571号機による牽引は高槻駅で打ち切られ、残りの区間はEF65形が牽引しました。1975年12月の蒸気機関車営業運転廃止(入れ換え運転は1976年3月)以来、イベント列車として梅小路機関区に保存された動態保存機を本線で走行させる試金石的運行でもあったため、その方向性に問題を投げかけた事故となりました。

蒸気機関車の動態保存そして本線での走行に関しては大井川鉄道が1976年7月9日から運転を開始しており、先鞭を付けていますが、当時の国鉄も”人類の科学遺産としても価値”を認め、先の「京阪100年号」の事故の教訓も踏まえ、大都市圏からは離れた場所で復活運転を行うことを決定し、1979年8月1日から山口線での「SLやまぐち号」としての運転が開始されました。その運転も今年で36年になり、現役時代(1937-1972)を超える期間となっています。

1985年初頭には鷹取工場で国鉄時代最後の解体修繕が行われ、車軸が新造され、動輪への圧入や転削はプレス機が鷹取工場には無かったため、車輪は苗穂工場に送られ、行われました。1995年1月、阪神淡路大震災発生時には鷹取工場に入場中で、ジャッキ上にありました。地震の揺れで転落し、ボイラーなどが大きく破損しました。2005年にも動輪軸受けの異常加熱などのトラブルが発生し、その後の全般検査でこれらの異常箇所を全て修復する修理が行われています。2009年には老朽化した炭水車の車体を新製し、交換しました。さらにボイラーの改修も行われ、煙室管板と火室管板の新製交換もなされました。2013年には汽笛にクラックが生じて、音階がずれてしまい、全般検査で1980年当時の音色に復元されています。こういったC57 1の維持には兵庫県姫路市御立交通公園に保存されているC57 5の存在が大変役立っているそうです。

2014年7月5日から「SLやまぐち号」の運行が開始されましたが、折しも山口線は2013年7月の大雨による災害で宮野~益田間が不通となり、同年8月5日の宮野ー地福間、11月16日の津和野ー益田間に続いて、2014年8月23日、地福-津和野間が復旧したところでしたが、車軸の異常加熱、速度計の動作不良、発電機の故障などのトラブル発生に悩まされました。今年に入ってからも2月17日の試運転がトラブルで中止となったとのことです。

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C571号機に関しては昔からNHK特集や多くの鉄道番組で取り上げられ、そのたびに録画して多くの映像は保管しているのですが、未だ「SLやまぐち号」が走る姿は生で見たことがなく、是非近いうちに見ておかなくては思っています。

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2015年4月27日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 5 Alaska Airlines part2

San Diego Lindbergh空港での撮影記録、今回もAlska Airlinesで前回はMD-83等の旧Douglas系の航空機でしたが、今回からはBoeing 機です。

N713as_boeing_737490_cn_30161_ln311N713AS Boeing 737-490 cn 30161 ln 3110 2008/1/18 SAN

Alaska Airlinesは以前はMD-80 series一辺倒でしたが、Planespotters.netの情報に依りますと、これまでに171機のBoeing 737を導入しています。尚、同社のBoeing customer codeは-90です。
Boeing_737200
-200 type はj上記の表のように 1981年から9機 導入されており、既に全機売却、もしくはリースバック済みです。
N765as_boeing_7374q8_cn_25102_ln235 N765AS Boeing 737-4Q8 cn 25102 ln 2350 2002/1/17 SAN

この機体はカスタマーコードが示すようにILFC(International Lease Finance Corporation)からのリース機です。

Boeing_737400_2
この表のように1992年から41機のClassic -400が導入されていました。

N706as_boeing_737490_cn28894_ln3050
N706AS Boeing737-490 cn 28894 ln 3050 2015/1/16 SAN

この写真は今年1月に撮影したものですが、Disny ”Make A Wish” csのスペシャルマーキング機は健在でした。
以上です。

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2015年4月26日 (日)

47年振りの東急世田谷線訪問 その4 デハ300形 302F

東急世田谷線で活躍中のデハ300形シリーズ、今回は302編成です。

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デハ302編成は300形として最初に乗車した編成でした。 2015/2/7 下高井戸

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パンタグラフはシングルアーム方式です。

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車内の様子 連結部から三軒茶屋よりのB車を
1人掛け座席は連結部を背にして対照的に並んでおり、固定されています。

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山下駅を出発 上は小田急線豪徳寺駅 世田谷線はさほど変わりがありませんが、小田急線は複々線化で幅が随分広がりました。

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上町~世田谷間にて 向こうに見えるのが上町駅の下りホーム、上りホームはカーブの先で踏切の向こうになります。さらにその先の左側に車庫があります。

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三軒茶屋に進入する302編成 2015/2/14
このポイントはスプリングポイントで、常に発車する車両の進行方向にセットされており、編成が渡る度に発熱するのか、ときどきスプリンクラーが作動して散水しています。

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三軒茶屋のホーム 左側が降車ホーム、右側が乗車ホームです。 2015/2/14

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再び山下駅 玉電時代は玉電山下でした。

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山下を発車した下高井戸方面行き 写真を撮影しているこのあたりで、上りとすれ違うことが非常に多いです。

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三軒茶屋方面行き 2015/3/22 山下

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小田急線豪徳寺駅のホームから 2015/4/1

302編成の塗色はモーニングブルーと呼ばれています。

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2015年4月25日 (土)

西武新101系 その7 時は流れて 2連編 その5 流鉄5000形に乗って流山散歩 part3

2015年3月14日の流山散歩、3回目は、市内散策の後半です。

流山の街は江戸川の流れに沿って、発展しており、前回は北部を観て歩きましたが、一旦、駅まで戻り、後半は南部を見て回ることに致しました。

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流山駅全景 駅横に掛かる跨線橋から流山の検車区方向を見た眺め 2015/3/14

流山駅の開業は1916年3月16日でした。ですから、来年で開業100周年となります。

かつて流山駅から万上みりん(キッコーマン)の工場まで貨物用の引き込み線が存在し、昭和44年に廃線になったと聞いていましたので、その跡を辿ってみることにしました。引き込み線の跡は前回の記事で載せた「流山本町 江戸回廊マップ」においても一目瞭然でその存在がわかります。
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貨物用引き込み線跡 駅から工場方向

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工場から駅方向 奥に見える歩道橋のような橋が先ほどの跨線橋

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引き込み線跡のカーブした路は工場まで続いており、工場の壁はなまこ壁風になっており、白味醂200周年の記念に壁には流山の歴史を紹介する懐かしい写真などが展示されていました。工場内の引き込み線の写真もありました。
ちなみに白味醂200周年は昨年でした。

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工場の横には庚申塚もあり、庚申塔が建てられていました。

庚申塔は道教に由来する庚申信仰に基づいており、庚申講を3年18回続けた記念に建てられることが多いそうです。庚申講は人間の体内にいるという三尺虫が庚申の日の夜、寝ている間に抜け出して天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされることから、その晩は寝ずに天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習だそうです。落語に「疝気の虫」というのが」ありますが、なにか発想が似ていますが、昔は病気にしろ、信仰にしろ虫が関係していると思っていたことが多かったのでしょうか。

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寺田稲荷という小さな御稲荷さん

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訪れた時は梅が満開だった浄土宗の寺院 宝泉山長流寺

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江戸時代の俳人 小林一茶は生涯に流山をたびたび訪問しており、その際に訪ねていたのが味醂の開発者でもある五代目秋元三左衛門でした。三左衛門も双樹と号し、両者の交流の地が一茶双樹記念館として残されています。

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そのそばには不動尊を本尊とする真言宗豊山派の寺院、光明院があります。秋元三衛門氏の墓も境内にあります。

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さらにその横には海抜15m、周囲350m余りの小山があり、その上に赤城神社が鎮座しています。この小山はかつて洪水の際に群馬県の赤城山の山体の一部 が流れ着いたという伝承があり、神社の名前も赤城神社にそして流山の言われとなっているそうです。
流鉄の電車に「あかぎ」という愛称がつけられているのも この伝承のためなんですね。

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赤城神社の拝殿

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毎年10月上旬の日曜日 第3土曜日・日曜日の例祭に先立つ宮薙には氏子達が大しめ縄を作る大しめ縄行事が行われているそうです。そのしめ縄が山門に飾られています。長さ10m重さ500kgだそうです。

江戸川沿いの旧街道から、県道5号線に出て、ケーズ電気の前あたりに来ると写真のような碑が建っています、

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ここは軍馬の食糧保管の倉庫があったようで、こちらにも引き込み線があったようです。

糧秣本廠は深川の越中島にありましたが、向島区本所にあった倉庫が手狭になったので出張所として、干し草や藁の産地に近く、かつ江戸川の水運や鉄道が利用出来る流山の地が選ばれ、1923年に建設が開始され、1925年に完成したそうです。
敷地面積は35,260坪(約116,562m2)、 建坪は3,560坪(約11,769m2)で、結構広大な土地で、現在は民間に払い下げられ、キッコーマン、三楽オーシャン、盛進製薬の工場や、イトーヨーカドー流山店、流山南高等学校や住宅地となっています。

管理した主な糧秣は、干し草、藁(わら)、牧草、大麦、燕麦、コーリャン、乾パン、肉の缶詰などで、近衛第一師団の各部隊に糧秣を供給し、宮内省や警視庁には牧草を供給しました。太平洋戦争敗戦とともに解散しました。

150314_9
平和台駅 駅舎

最後に平和台駅から帰りました。この駅は1933年に開業したときは赤城駅で、1965年に赤城台、1974年に平和台と改称されています。軍関係の施設があった関係から平和台と改称されたのかと思ったら、平和不動産によってこの周辺が区画整理されたのが言われのようでした。
ちなみに平和不動産が開発した地域で平和台と名前が付いているのは、小田急線鶴川、成田線布佐にもあるようです。

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2015年4月24日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その30 SAS DC-9

冷戦下の西ドイツ、Düsseldorf 空港で撮影した写真の紹介シリーズも30回目となりました。今回は我が国でもなじみの深い、スカンジナビア航空 Scandinavian Airlines System, SASDouglas DC-9です。

Lnrlc_cn_47179_335_mcdonnell_dougla
LN-RLC cn 47179 ln 335 McDonnell Douglas DC-9-41 1989/5/4 DUS
こちらはノルウェーのレジのDC-9

スウェーデン4、デンマーク3、ノルウェー3の割合で出資して、それぞれの国の政府が50%の株式を保有するという3カ国によるナショナルフラッグキャリアーです。ストックホルムのアーランダ国際空港がアメリカ、カナダなどの大西洋路線の拠点に、コペンハーゲンのコペンハーゲン国際空港が中国、日本などアジア諸国への便の拠点となっています。

その歴史は1918年、2月ノルウェーにDNL(Det Norske Luftfarsrederi)、10月デンマークにDDL(Det Danske Luftfarselskab)、そして1924年スウェーデンにABA(AB Aerotransport)が設立されたことに始まります。1940年6月にこの3社の合併の合意がなされたものの、ナチスドイツのノルウェー侵攻で白紙となりました。第二次世界大戦終結後の1946年8月1日、漸く設立にこぎ着けます。1946年9月17日、最初の運航が開始されました。

1951年4月、南回りバンコク線を延長する形で日本への乗り入れを開始した我が国にとって古参の国際線キャリアーです。またポーラールートの開拓に積極的で、1954年にはDouglas DC-6Bを使い、コペンハーゲンとロサンゼルスを、グリーンランドのSøndre Strømfjord、カナダのWinnipeg経由で結び、さらに1957年にはDC-7Cによるアンカレジ経由コペンハーゲン~東京便も就航させています。当時、ソ連はシベリア上空通過を承認していなく、中国も解放されていなかったため、アンカレジ経由のルートは北極経由の世界一周サービスとして広めました。その後、続々とヨーロッパのキャリアーがこのルートに参入しました。
因みに余談になりますが、地球温暖化で北極の氷が減り、ヨーロッパから、アイスランド、北極海経由でアラスカに抜ける海路が開けるというニュースも数年前に聞いたことがありました。

1959年Sud Aviation SE210 Caravelle の運航が開始され、ジェット時代に入り、1971年にはBoeing 747 の運航も始まりました。またこの時期にタイ政府との合弁でタイ国際航空を設立しています。
その後、ノルウェーのBraathens、 Widerøe、スウェーデンのLinjeflyg、Skyways Express、デンマークのCimber Airなどの国内航空を傘下に入れ、さらにコンチネンタル航空の親会社のTexas Air Corporationの株式の18.4%と取得し、British Midlandの20%やスペイン第二の航空会社Spanairの95%を手に入れ、グローバルな経営展開を進めました。

1997年5月にはエアカナダ、ルフトハンザ、タイ、ユナイテドとともにスターアライアンスを設立しています。尤もこの4年前にKLM、オーストリア航空、SwissairとAlcazarと呼ばれる企画で航空連合を作ろうとしましたが、失敗していました。2001年、出資に関して変化があり、それぞれの国の比率が半分に抑えられ、残りの50%が公開株式となりました。
その後、アメリカの9.11による航空不況やLCCの台頭によるコストの削減など経営を取り巻く環境は悪化していますが、2013年には久しぶりに営業利益がある決算となり、なんとか持ち直してきているようです。2014年は再び、赤字に転落しましたが。

Oykgh_cn_47493_562_dc941_890507_dus
OY-KGH cn 47493 ln 562 DC-9-41 1989/5/7 DUS
こちらがデンマーク国籍 OY-KGHといえば、Starallianceの初期に登場したSASの胴体輪切り塗装のBoeing767-383/ER OY-KDH を思い出します。

現在のフリートは

Airbus   A319-100      4
           A320-200     13
           A320neo                  30 ordered 11 opt
           A321-200      8
           A330-300      4          4
           A340-300      8
           A350-900                 8              6
Boeing  717-200        5
           737-600      27
           737-700      30
           737-800      29
Bombardier CRJ900 12    となっています。

スカンジナビア航空の塗装、現在は灰色をベースに、紺と赤をあしらったものに変わっていますが、個人的にはこちらの塗装の方が好きでした。

Dc9_fleet

DC-9は全部で66機運航されており、そのリストをいつものようにPlanespotterslist.netのデータを参考に作成しました。

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2015年4月23日 (木)

ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part3 EF81 103

牽引した機関車からこの3月のダイヤ改正で26年に及ぶ活躍を終えた豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」の走行シーンを振り返っていますが、今回はEF81 103号機です。

Ef81_103_tle_030324_4
山崎駅に接近する8001レ 200/3/24

103号機は以前にも記述していますが、1974年に開業する湖西線山科~近江塩津間で使用する分の先行手配車として101~105号機のロットの一員として昭和48年度第1次債務予算で製造されており、全機が敦賀第二機関区に配属になりました。最初の敦賀に配置されたEF81の一員でした。同予算では新大阪~宮崎間の寝台特急増発用として303号機も製造され、門司機関区に配置されています。

沖田祐作氏の機関車表のデータによると
EF81103    日立製作所水戸工場=10250-3         1974-05-21 E100.8tBBB(1067)
   車歴;1974-05-21 製造→ 納入;国鉄;EF81103→ 配属;関西支社→
      1974-05-21 配置;敦賀二→1984-02-01 富山二→1986-11-01 敦賀→
      1987-04-01JR 西日本;EF81103→ 配置;敦賀運転所→
      1995-10-01 改称;福井地域敦賀派出→2008-04-01 現在;福井地域鉄道部敦賀運転派出

製造は日立製作所水戸工場で1974年5月21日に誕生していますので、まもなく満41歳です。一時、富山に移ったこともありましたが、3年で敦賀に戻り、車生の殆どを日本海縦貫線での活躍に費やしています。

Ef81_103
特急「日本海」を牽引して大阪駅に到着するシーン

Ef81_103_811129
鳩原ループで貨物列車を牽引するシーン 1981/11/29

などトワイライト塗装になる前のローズピンク塗装時代の同機の写真を撮っていました。

Ef81_103_tle_061117
8001列車 2006/11/17 新大阪 

Ef81_103_tle_100708
8002列車 2010/7/8 島本

Ef81_103_tle_100718
8001列車 2010/7/18 直江津

Ef81_103_tle_101208
改装後の大阪駅に進入 2010/12/8

Ef81_103_tle_101208_2
HMは客車側にも 2010/12/8 大阪
下回りの黄帯は銀の縁取りされています(2015/4/24追記)。

Ef81_103_tle_110528_2
西高岡を通過 2011/5/28

さらに日本海を牽引する姿もあります。

Ef81_103_tle_911112  
1991/11/12 青森駅 この頃は函館まで客車は行っていました。

Ef81_103_tle_101024
2010/10/24 千切踏切

同機はお化粧直しを金沢総合車両所松任本所で行い、2014年4月23日EF81 108号機に牽引されて向日町まで配給回送され、京都鉄道博物館に展示されることになったそうです(鉄道ニュース 鉄道ファンサイト より)(2015/4/24 追記)

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2015年4月22日 (水)

通勤電車シリーズ 103系 24 赤羽線 part1

通勤電車シリーズ 103系通勤電車103系、1963年の試作電車の登場以来、首都圏、関西圏への投入を線区ごとに見て参りました。今回は赤羽線への投入です。

103_31
東武東上線7800系とならぶ赤羽線103系 31編成

以前、試作冷房車編成が赤羽線運用に就く写真をご紹介致しましたが、今回、ご紹介する写真も1977年から1979年にかけて撮影したものです。

赤羽線は101系の記事でも紹介しましたが、1967年4月から101系 6M2T編成により新性能化されていました。私は見たことはありませんが、101系の時代にも103系が8両編成で代走することもあったそうです。1978年1~3月にかけて、南武線の新性能化で101系を捻出するため、103系8連5本が投入されました。といっても新車は山手線に投入され、既存車が赤羽線運用に就きました。

このときに新製され、池袋区に配置された車両が以下の番号の車両です。

クハ103-481, 482, 483, 484, 485, 486, 487, 488, 489, 490
モハ103/102-610/766-619/775
サハ103-433-442

予算区分は昭和51年度第一次債務で、全ての車両が日本車輌で製造されています。

このときに既存車の一部はカナリヤ色(黄色5号)に塗り替えられて運用に就いており、103系として初めてのカナリヤ色バージョンの登場となりました。

103_32_1

103_32_2
103_32_3
32編成 十条

この時期、クハ103の製造に関しては予算、時期、番号の関係は非常に複雑で、

昭和51年度第一次債務予算 
445~460, 462, 464 (東急)
471~490 (日車) 493~499, 702, 704, 706 (川重) 711, 713~720, 722, 724  (近車)

昭和52年度本予算
461, 463, 726, 728  (すべて東急、イケに1978年3月配置)

昭和52年度第一次債務
701, 703, 721, 723, 730~736 (735は日車、それ以外は東急)  

昭和52年度第二次債務
725, 727, 729, 731, 738, 740, 742, 744 (東急)

103

103_2
34編成 十条 ドアの上に誤乗防止の黄色のステッカーが貼られています。

この昭和52年度本予算で製造された4両が、新東京国際空港開港に伴う常磐線快速増強用に投入された4+6連バージョンの10連に対応するのかと思います。

いずれの写真も1978年5月頃のものですが、この頃の赤羽線103系クハは非冷房で連結器上の通風口も塞がれておらず、原型をよく保った車両でした。5編成のうち、35編成が以前紹介した、クハ103-178,179を両端とする試作冷房クハの編成でした。

1979年4月1日時点での池袋区赤羽線用5編成の編成データを載せます。
              Tc  M    M'  T     T   M   M'  Tc
31編成    39  39   39  39   40  40   40   40 
32編成 271  49   49  49   50   50  50  272
33編成 269  53   53  53   54   54  54  270
34編成  55   55   55 55   56   56  56   56
35編成 179 111 187 151 152 110 188 178
   バラ  49   11   11                          50 
写真の32編成のクハは49と59であったと思われます。ATC準備工事車として最も若番のクハ-269~272がこの時期には赤羽線編成に回っていたことが分かります。

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2015年4月21日 (火)

San Diego Trolley 1000形 part6

San Diego Trolley 1000形の話題、前回は1058号まで行きましたので、今回は1061号からです。

1061_090114_5th_street
1061号車 2010/1/13 Oldtown

連結器の横の注意書は連結されている場合に連結器の上を跨いで車両を横切ると危険という意味のようです。結構、車長が長いので連結された車両の間を通り抜けようとする客がいるようです。また、前照灯とおでこのオレンジと赤のランプも赤は尾灯だと思いますが、オレンジが点灯しているのを見たことがありませんでした。

1063_020113_middle_town2
1063 2002/1/13 Middle Town/Little Italy

ここはSanta Fe Depotのひとつ北の駅で、近くに

150113_little_italy2
Little Italyというイタリアンレストラン、デザイナーなどが集まった地域があります。もともとは19世紀から1970年代にかけてここら辺にマグロ漁の漁船団の会社やマグロの缶詰工場が多かったそうです。

1064_030113_santa_fe_depot
1064 2003/1/13 Santa Fe Depot

この車両も2003年頃はラッピング塗装車でした。

1065_030113_santa_fe_depot
1065 2003/1/13 Santa Fe Depot

今回はここまでです。

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2015年4月20日 (月)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 5 3900形

2014年12月の広島・四国西南部旅行、広島電鉄編、3800形に続いて3900形です。

3905_141218 3905編成 2014/12/18 広島駅 標準色

3900形は3800形のマイナーチェンジ版で、モーター出力が60kwから85kwに上がり、加速・減速がスムーズになったそうです。全部で8編成製造されました。製造は1990年から開始され、1996年まで続きました。

3901-3902編成 1990年製造 冷房機器は廃車となった1090形のものが流用されました。

3903編成 1991年製造 車内の形式銘板フォントがかわりました。

3904-3905編成 1992年製造 これ以降、2編成連結が可能なように連結器が装備

3906編成 1995年製造 

3907-3908編成 1996年製造 車掌側出口の戸袋窓部分に車椅子スペースが設置

3908_141219 ブレた写真で恐縮ですが、3908編成 2014/12/19 広島駅
こちらはラッピング編成

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2015年4月19日 (日)

保存蒸機 C11 155 大垣スイトピアセンターこどもサイエンスプラザ

2014年8月の京都・滋賀・愛知・静岡への旅行、琵琶湖の東岸に保存されていたC57128号機を見学した後、東海道線で関ヶ原を越えて、大垣で下車することにしました。大垣での目的は大垣スイトピアセンター内のこどもサイエンスプラザに保存されているC11 155号機の見学です。
C11_155_140811
C11 155 2014/8/11 大垣スイトピアセンター こどもサイエンスプラザ

大垣スイトピアセンターは大垣市と財団法人大垣市文化事業団が運営する施設で1992年4月5日に開業しました。4つの施設、図書館、学習館、文化会館、こどもサイエンスプラザがあり、こどもサイエンスプラザの建物内にC11 155号機は保存されています。なお、スイトピアは水都である大垣に由来しています。
C11_155_in_140811
こどもサイエンスプラザの建物 ガラス張りの1階部分にC11の姿が見えます。

C11_155_140811_3
機関車のサイドにはプラットホーム状の台が設けられキャブ内も見学できるようになっています。
C11_155_140811_15_2
キャブ内部もメーター、水位計などのガラス類もきちんと保たれており、今でも動いている感じです。

C11_155_140811_2
これまでいろいろなC11を見てきましたが、155号機の煙室扉のハンドルは8時と2時の方向を前照灯下部を除いて上半周を囲むタイプで銀色に塗装されています。これまでに紹介した機関車では大田原交通公園の275号機大荒田公園の304号機鴻巣せせらぎ公園の322号機真岡鉄道の325号機などが同じタイプです。一方、中野紅葉山公園の368号機は簡略化されたタイプです。近々、半田駅横の265号機が出てきますがこちらも別タイプです。

C11_155_140811_5
後部前照灯は増設コールバンカーの上に設置されており、炭庫の通風口はありません。

C11_155_140811_4 機関車の履歴を紹介する説明板も整備されています。

沖田祐作氏の機関車表データによると

C11155     汽車製造大阪工場=1920            1940-08-22 S66.1t1C2t(1067)
   車歴;1940-08-22 製造→ 納入;国鉄;C11155→ 配属;名古屋局→1940-08-22 竣工→
      配置[名鉄達679];名古屋局→1947-10-00 現在;名古屋→1955-08-01 現在;大垣→
      1972-05-15(12/9 廃車?)廃車;大垣→ 保存;岐阜県大垣市「大垣市文化会館」;C11155

1940年8月22日、汽車製造大阪工場で誕生後、名古屋に配置され、上の説明板にあるように終生大垣付近で活躍したようです。

C11_155_140811_6
こどもサイエンスプラザが開設されたとき、この機関車も搬入されたとのことで、その時の様子が写真や新聞記事で紹介されています。

さらに大垣ゆかりの鉄道関係の人々、大垣市と鉄道、大垣駅の沿革、EF58EH10の活躍を紹介するボードなどが設置されていました。

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2015年4月18日 (土)

九州鉄道記念館訪問 その2 59634号機

10年以上前の2004年10月17日、開館して1年ちょっとが過ぎた頃の九州鉄道記念館を訪れたときの記録です。
今回から展示車両の紹介ですが、最初は9600形蒸気機関車の59634号機です。

59634_041017
九州といえば炭鉱、そして石炭列車で9600形が石炭車のセム、セラ、セキなどを牽引していた光景を彷彿させます。

沖田祐作氏の機関車表によりますと、
59634      川崎重工兵庫工場=733            1922-01-31 S59.80t1DT(1067)
   車歴;1922-01-31 製造→ 納入;国鉄;59634→1922-01-31 使用開始[門鉄達80];広島→
      1925-00-00 岡山→1933-06-30 現在;富山→ 直方→1945-11-00 新鉄局→ 秋田→
      1946-04-30 庭坂→1947-07-09 山形→1955-08-01 現在;山形→ 米沢→
      1964-04-01 現在;米沢→1971-05-00 土崎工場全検→1974-06-28 後藤寺→
      1974-12-19 休車→1974-11-22 小倉工場廃車上申[小工機685]→
      1974-12-24 廃車[工車1136];後藤寺→
      1975-03-04 貸与[工車1472]保存;福岡県粕屋郡「粕屋町中央公民館」;59634→
      移管保存;福岡県JR 九州小倉工場;59634→
      2003-08-09(開館日)移管保存;福岡県北九州市門司港駅「九州鉄道記念館」;59634

59634_041017_3

1922年1月31日に川崎重工兵庫工場で誕生しましたが、1936年(昭和11年)までの配置に関しては履歴簿の紛失で不明だそうです。
その後は貴婦人「躍動」さまのサイトの情報によると、
昭和14年9月16日    富山 → 金沢
昭和15年8月31日    富山
昭和16年1月13日    金沢
昭和16年5月14日    大里
昭和16年5月18日    直方
昭和21年2月12日    秋田
昭和21年4月29日    庭坂

と北陸から、北九州へ、さらに秋田、板谷峠へと異動しています。その後、25年間米坂線で活躍して、九州に再びやって来ています。最後は後藤寺に移り、廃車。一旦は粕屋町の中央公園で保存されましたが、JR九州小倉工場に引き取られ再整備を受け、2003年の九州鉄道記念館の開館でここに保存されることになりました。

貴婦人「躍動」さまのサイトには小倉工場で保存されていたときの様子もあります。さらにYoutubeには同機が1970年9月18日、米坂線で旅客列車を牽引した際の録音もアップされています。続編もあります。

59634_041017_2
米坂線時代は1972年10月に無煙化された後も予備機として残り、1973年3月には長井線で臨時貨物を牽引したそうです。九州形の機関車はキャブ下に点検穴があるそうですが、この機関車は晩年に九州に来たため穴はありません(以上はTADAさまのサイトの情報です)。
59634_041017_4
今でも変わらないと思いますが、足回りも車体も大変美しく磨き出されていました。

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2015年4月17日 (金)

東海道新幹線開業から50年 その14 700系 試作C0編成の登場

昨年10月の東海道新幹線開業50年で、東海道・山陽新幹線で活躍した車両を0系から振り返って参りましたが、今回からは700系です。

700c11_140812_5
リニア・鉄道館に展示されているC1編成の1号車 723-9001 2014/8/12

新幹線車両としては第4世代にあたり、500系程の高速性は追求しないで製造・保守コストのバランスを考慮しつつ、既存の0系、100系の置き換え用として、汎用性を重視してJR東海とJR西日本の共同開発により、製造された車両です。

1997年秋に先行試作車16両編成1本が落成し、各種試験がなされ1998年から量産車が製造されました。日本車輌製造、日立製作所、川崎重工業、近畿車輛に発注され、16両編成75本(JR東海 C編成、JR西日本 B編成3000番台)、8両編成16本(JR西日本 E編成7000番台)の1328両が製造されました。

車体はアルミ合金、防音材入りのダブルスキン構造、先頭形状はトンネル微気圧波対策のためエアロストリームという形状を取り入れ、カモノハシのようなスタイルとなりました。

500系同様、4両1ユニット方式ですが、すべて電動車ではなく(M-M1-M2-T)方式として、電動車の両数を3両としています。M車に主変圧器、M1車に主変換装置1台、M2車に主変換装置2台、T車に補機類を搭載しています。主変換装置はIGBT素子によるPWMコンバータ(*) 1基とVVVFインバータ1基で構成されています。

*PWMコンバータ:PWMはPulse Width Modulation の略で日本語ではパルス幅変調で、1サイクルの電圧波形を分割して、多数のパルス列として、その数、間隔、幅を時間的に変化させる制御方式です。

IGBT素子はそれまで使用されていたGTO素子よりもスイッチング周波数が高速なため、電動機の磁励音が低減され、大容量の素子を使用することで小型軽量化も達成されました。

主変圧器は4,160kVAの容量のものが使用され、軽量化の観点からアルミコイルのものが使用されました。補助電源装置は主変圧器の3次巻線から電源を取り、DC100V,36kW, AC100V5kVAの容量のIGBT素子を使用した静止形インバータを装備しました。CPはスクロール式を採用しました。主電動機は定格出力275kWのかご形三相電動機を電動車1両に4基搭載しました。ブレーキは電動車には電力回生ブレーキ、付随車には渦電流式ディスクブレーキを採用しました。緊急制動時の滑走対策としてセラミック噴射装置を両端運転台車の最前、最後側の車軸に採用しました。

台車はJR東海とJR西日本で異なり、C編成は300系の台車をベースとしたコイルバネと円筒積層ゴムを併用したウイングバネ式軸箱支持装置のボルスタレス台車のTDT204(電動車)、TTR7002(付随車)を履き、B,E編成は500系用の台車をベースにした軸梁式軸箱支持装置のボルスタレス台車WDT205A(電動車)、WTR7002(付随車)を装備しました。

300系が導入されてから、乗り心地に関する苦情がかなり寄せられたため、700系ではセミアクティブサスペンション、空気バネの特性の改善、車体間ダンパなどにおいて乗り心地の改善が行われました。空調装置の効きの悪さに関しても基本能力を向上させ、ダブルスキン効果による断熱性の向上、吹き出し口を天井近くから荷物棚下に移すなどで大幅な改善がなされています。

700c11_140812_3
ノーズ部分が若干短いことと、連結器カバー付近に取っ手があることがC1編成の特徴です。

先行試作車C0編成1997年秋に完成し、10月27日から約1年半に渡り、走行試験が行われました。番号は9000番台が与えられ、パンタグラフは5号車、725-9301、12号車、725-9601に設置され、当初は300X(955形)で試されていたワイングラス型のパンタカバーを装備していました。しかし騒音源となることが判明し、シンプルな形態に改められました。ちなみに9301は東京寄り、9601では博多寄りにパンタが取付けられ、方向も逆向きとなりました。500系では省略された運転台直後の乗降口も復活しました。

量産化改造を受け、C1編成として1999年秋から営業運転に充当され、2013年1月16日に廃車となりました。

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2015年4月16日 (木)

パリの6つのターミナル駅巡り リヨン駅 3 TGV Sud-Est

パリの6つのターミナル駅巡り、フランス南東方面に向かう列車が発着するリヨン駅の3回目ですが、今回もTGVの話題です。

Tgv_sudest_070603_gare_de_lyon2 TGV Sud-Est 6編成 2007/6/3 Gare de Lyon

TGVのタイプは最初に登場したSud-Est, LGV大西洋線開業で登場したAtlantique、LGV北線開業で登場したRéseau、ユーロスター用の373000系DuplexThalys、POS、La Posteなど様々な編成が存在しますが、私がリヨン駅やその近郊で撮影し、写真としてご紹介出来るのはSud-Est, Duplex, La Posteの3種類です。他の編成は別の駅の話題で出てきます。

Tgv_sud_est_29_090312_gare_de_lyon
TGV Sud-Est 29編成 2009/3/12 Gare de Lyon
先頭の動力車と隣接する客車の一部までに側面のフィルターや屋根の冷房ユニットがかかっており、ここまでが動力部分であることがわかります。隣のホームに入線しているのはDuplexの編成です。

まずSud-Estは1978年から1986年にかけて製造されたTGV第一世代の編成です。編成は10両で、両端に動力車、そして中間に8両の客車という構成です。2009年時点で107編成が在籍し、65本がリヨン駅側の南東ヨーロッパ車両基地に、42本が北駅側のランディ車両基地に配置されています。

対応する電源方式の違いから形式は2種類あり、

23000形(交流25kV 50Hz, 直流1.5kV) 編成番号 1-37, 39-45, 47-69, 71-87, 89-98, 100-102

33000形(交流25kV 50Hz, 直流1.5kV、交流15kV, 16 2/3Hz スイス国鉄対応) 編成番号 110-118

となっており、編成番号のない38はLa Poste(郵便車編成)に転用、70は1989年に除籍、88は118に転用、99は当初より欠番となっています。

編成出力は交流25kV 6450kW, 直流1.5kV 3100kW, 交流15kV 2800kWとなっており、我が国の500系W1編成の18,240kWの1/3程度となっています。編成重量は385t(1-102編成)、390t(110-118編成)で500系の700tの約半分です。

両端の動力車の床下に8基、隣接する客車の台車4基の主電動機が装備され、トリボートと称する可撓継手により、動力を伝達する方式を採っています。

Tgv_sudest_070603_gare_de_lyon4 TGV Sud-Est 52編成 2007/6/3 Gare de Lyon

制御方式は直流区間はサイリスタチョッパ制御方式、交流区間はサイリスタ位相制御方式で直流電動機を駆動しています。ブレーキシステムは発電ブレーキ併用電磁自動空気ブレーキであり、台車には踏面ブレーキとディスクブレーキが装備されています。

Tgv_sudest_070603_gare_de_lyon 2編成併結のTGV Sud-Est 2007/6/3 Gare de Lyon

台車の空気バネの出っ張りが気になります。

電源切り替えは昔からのシングルアームパンタグラフを切り替える方式で、運転台寄りが直流用、連結面寄りが交流用となっています。

保安装置は高速新線区間(LGV)ではTransmission Voie-Machine (TVM)という線路を流れる信号情報を車両が受信し、運転席に速度、進行/停止の指示を与える方式となっており、在来線区間ではKVB(Contrôle Vitesse par Balise)に対応しています。

客車は一等車2両、二等車5両、二等座席とバーの合造車1両で構成されています。耐候性鋼板製で板厚は3.2mmです。定員は350人前後です。

Tgv_sudest_070603_gare_de_lyon8
TGV Sud-Est 100編成 2007/6/3 Gare de Lyon

Tgv_070603_gare_de_lyon
8両の客車は連接台車で繋がっています。

Tgv_090308_cdgmontpellier
Sud-Est 編成の車内 2009/3/8 Paris CDG T2~Monpellier
こんな写真しか撮っていませんが、スペースの広さの感じでは我が国の在来線特急より、狭いかも知れません。

このシリーズ、次回の記事ではDuplexの紹介を致します。

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2015年4月15日 (水)

尾久車両センター公開 2014 その6 北斗星編成用食堂車

2014年11月15日の尾久車両センターの公開、今回は前回に続いて北斗星編成の食堂車スシ24 500番台について触れようと思います。

24_506_141115_2
スシ24-506 2014/11/15 尾久車両センター

24系客車には本来、基本形式として1973年に製造されたオシ24形 (1-5) と1975年オシ14形から改造されたオシ24形100番台(101-105)がありました。

新型ブルートレインとして14系、24系24形までは食堂車が製造されましたが、二段ハネになった24系25形からは食堂車の製造はされず、1975年3月のダイヤ改正で24系24形一族が大ムコから南シナに転属し、「はやぶさ」「富士」「出雲」に使用されるにあたり、不足する食堂車を補ったのがオシ14からの改造でした。難燃化処理と電気系統の引き通し線が変更されました。

オシ14 5・6・10・11・14→オシ24 101 - 105
101 1975/1/31 高砂
102 1975/1/24 高砂
103 1975/3/19 高砂
104 1975/1/24 高砂
105 1975/2/26 高砂

この3列車は1年半後の1977年10月24系25形に置き換えられますが、さらに1978年2月の「あさかぜ1・2号」の24系25形化ではさらなる改造は行わず、4列車の食堂車の連結位置を基本編成から付属編成に付け替えることで、所要数を減らす対応でまかなわれました。

24_701_030503
尾久に単体で留置されていたオシ24 701 2003/5/3
2014/11/15にもこの車両はスロフ14-700、オロハネ24-501などとともに尾久駅ホームの手前に移動していました。オシ24と14系から改造のオシ24 100番台は車端部の掴み棒の取り付け位置と長さが違いました。

オシ24 1-5は「あさかぜ1・4号」のグレードアップで国鉄時代の1986年11月に1・4・2が星空をイメージした青系統の内装、車端部にラウンジ風のソファーを設けた食堂車701-703に改造され、

オシ24 1・4・2 →オシ24 701-703  定員は38名に
701 1986/12/20 大宮
702  1986/12/22 鷹取
703  1986/12/20 鷹取

5・3はその後、オリエント急行をイメージした赤、白、木目の内装の食堂車704, 705に改造され、

オシ24 5・3 → オシ24 704・705  定員は40名で同じ
704   1987/3  日車
705   1987/4  大宮

「あさかぜ1・4号」「出雲1・4号」に使用され、食堂車廃止後も車販の基地やロビーカー代用として使用されました。

一方、オシ24 101-105はJR九州が継承し、1998年に「はやぶさ」「富士」から食堂車が外された時点で廃車となりました。

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かつて「白鳥」などの長距離電車特急には編成のほぼ中間にサシが組み込まれていました。 鶴形~東能代

青函トンネルが開通し、「北斗星」の運行が開始されるのにあたり、オシ24では所要数に満たないので、当時電車特急の食堂車全廃で余剰となっていた485系、489系の食堂車のサシ481形、サシ489形を改造して充当することにしたのが、スシ24 500番台です。

サシ481 67・75・76・64・68・サシ489 83・7・サシ481 50→スシ24 501 - 508

スシ24 501 1987/3/12 松任  札サウ
スシ24 502 1987/3/19 吹田  札サウ
スシ24 503 1987/3/17 新津  札サウ
スシ24 504 1987/2/24 新津  東オク
スシ24 505 1987/3/10 新津  東オク
スシ24 506 1987/2/23 新津  東オク
スシ24 507 1987/3/30 大宮  東オク
スシ24 508 1987/6/28 苗穂  札サウ

2425_020827_6
4本帯やエンブレムからJR北海道所属のスシ24-508 2002/8/27

JR北海道所属の501-503, 508は2008年3月15日の改正で「北斗星」が減便されたのに伴い廃車され、ミャンマー国鉄に譲渡されました。

2425_101229_3
上野に到着後、尾久まで推進回送される北斗星編成 2010/12/29 日暮里

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郡山に停車中の北斗星編成 2012/7/22

改造工事では24系化工事として引き通し回路変更、ブレーキ装置のCL化が施工され、簡易運転台の撤去、防火対策、耐寒耐雪改造がなされました。また内装はグレードアップされ、「グランシャリオ」の愛称が与えられました。

JR北海道の車両はオリエント急行風、JR東日本の車両はモダン風となりました。501-503は当初、食堂の後位方半分にソファタイプボックス席が設けられていましたが、後に撤去されました。冷房装置は全車AU13E,台車はTR69Eを履いています。

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2015年4月14日 (火)

40年ぶりの梅小路蒸気機関車館 10 C56 160号機

2014年8月10日の梅小路蒸気機関車館訪問の話題、今回のC56 160号機と次回のC57 1号機は動態保存機として、活躍中のため梅小路機関区には不在で、写真は1974年9月当時の写真しか紹介できません(笑)。

C56_160_740929 1974/9/29 庫内に展示されていたC56160号機

まずは同機の梅小路に保存される前の履歴をいつものように沖田祐作氏の機関車表データから追ってみると

C56160     川崎重工兵庫工場=2099            1939-04-20 S37.60t1CT(1067)
   車歴;1939-04-20 製造→ 納入;国鉄;C56160→ 配属[達335];札幌局→
      1939-04-22 使用開始→1939-05-20 配置;静内→1939-09-19 発(9/20 着)借入;室蘭→
      1939-10-03 発(10/4 着)返却→1940-02-07 発(2/7 着)借入;苫小牧支区→
      1940-02-10 発(2/10 着)室蘭→1940-04-27 発(4/27 着)静内→
      1942-01-28 発(1/30)苗穂→1942-09-05 発(9/11 着)備後十日市→
      1943-10-30 発(11/2 着)白山→1944-03-31 現在;津山? →
      1945-06-29 発(7/10 着)備後十日市→1947-05-27 発(5/28 着)津山→
      1948-10-03 発(10/4 着)岡山支区→1949-09-13 発(9/14 着)小郡→
      1950-06-06 発(6/7 着)宇部支区(本区小郡)→1953-03-20 発(4/13 着)鹿児島→
      1954-07-01 一休指定→1954-07-09 発(7/9 着)出水→
      1954-10-25 発(10/26 着? = 書類上?)横浜→1965-06-22 発(6/23 着)上諏訪→
      1965-06-22 松本? →1965-07-08 発(7/10 着)借入;飯山→
      1966-03-24 発(3/26 着)返却→1966-12-09 長野工場発= 中検出場(3/17 着)借入;飯山→
1967-03-16 発(3/17 着)返却→1967-03-17 一休指定→1967-12-07 二休指定→
      1968-04-15 指定解除→1968-07-15 発(7/15 着)借入;中込→1968-11-05 返却→
      1972-04-01 発(4/2 着)長野運転所→1972-05-15 発(5/17 着)七尾→
      1972-09-01 長野工場発(9/8 着=9/6?)梅小路→
      1972-10-10 動態保存;梅小路機関車館(京都府)

ということで、誕生は1939年4月、川崎重工兵庫工場でした。新製配置は北海道静内で日高本線などで活躍しました。1942年に中国地方に転属となり、津山線、芸備線などで活躍しています。戦後は宇部から、鹿児島、小海線、飯山線、さらには能登線と転々としています。そして1972年、動態保存機として梅小路にやって来ました。

走行線区を選ばない特性から全国からお座敷のお声がかかるようになったのは1980年11月の函館本線小樽~札幌間の「北海道100周年記念号」からだそうで、それ以来「SL北びわこ号」「SLやまぐち号」を中心に各種のイベント列車で活躍し、今日に至っています。

私は1980年代から90年代にかけては鉄道よりも旅客機に趣味の中心が行っていたこともあって、同機がJR東日本管内でイベント列車などを牽引していたことはまったく見過ごしていました。なお、東日本管内での運転は1996年11月の大糸線松本~信濃大町間の「SLあづみ野号」が現時点では最後となっているようです。

さらに過酷な運用続きであったため、ボイラーや足回りの老朽化が非常に早く進行してしまい、2017年を目途にD51200号機を本格復活させ、C56160号機にかかっていた負担を減らす方向になるのか、あるいは完全撤退するのかといった判断が下されるのでしょうか(JR西日本のプレスリリース)。

一方、記憶に新しいのが2013年2月にあおなみ線名古屋駅~名古屋貨物ターミナル間を走行した「SLあおなみ号」でした。河村名古屋市長は「名古屋鉄道聖地化計画」を打ち上げ、えらく乗り気であったようですが、JR東海の反応は「リニア・鉄道館で手一杯で煤煙・汽笛等の騒音問題や運転技術者育成問題など、解決しなければならない問題が山積みのSL運転には力をさけない」との素気ない返事で、前進はしていないようです。

ファン的視点から見れば、もともと同じ国鉄のJR東日本・東海・西日本の3社がお互いに協力、補完し合って、こういった問題を解決して行けば魅力的なものができるのにと思うのですが。

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2015年4月13日 (月)

San Diego Lindbergh空港でのSpotting 5 Alaska Airlines part1

San Diego Linbergh空港での撮影記録、今回からはハワイ州と並んでアメリカ50州のなかでは他州と隣接しない州であるアラスカ州の航空会社であるAlaska Airlinesの機体に触れようと思います。
N933as_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N933AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn 49234 ln 1204 2002/1/17

わたしも人生最初に海外で上陸したのはアラスカ州でした。といっても入国したのではなく1986年に新婚旅行で初めの海外、ヨーロッパに飛んだ際にアンカレジに給油のため立ち寄ったためでした。今ではヨーロッパに飛行機で行くといっても直行便が当たり前になって、その昔は南回り、アンカレジ経由、モスクワ経由便があったこと自身が忘れられようとしていますが。
860614_anc Stop Over Alaska の表示や「うどんや」ののれんもアンカレジ空港の懐かしい思い出に 1986/6/14

アラスカはもともとロシア帝国の領土でしたが、1867年3月30日、アメリカ合衆国が買収し、いくつかの管理形態を経て1912年5月11日にアラスカ準州となり、1959年1月3日にアラスカ州となりました。50州の中で面積は最大ですが、人口密度は最小の州です。

N947as_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N947AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn 53020 ln1789 2005/1/21

アラスカ航空の歴史やフリートに関しては次回の記事で詳しく触れる予定ですが、創業は1932年にアンカレジ~ブリストル・ベイ間の地域航空会社、マクジー航空として創業す、冷戦時代地理的な関係からソ連への定期便も運航していたそうです。1980年代のDeregulationで急成長を遂げました。本拠地はワシントン州のシアトルです。

N948as_mcdonnell_douglas_md83_dc983 N948AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn53021 ln1801 2008/1/18

この航空会社のフリートの特徴は1990年代までは圧倒的にMD80シリーズ一辺倒であったのが、近年はBoeing 737NG一辺倒であることです。そこで今回はSan Diego Lindbergh空港で撮影したMD-83の写真を紹介し、次回はBoeing 737の写真を紹介することに致します。

アラスカ航空が起こした事故として記憶に新しい事故が2000年1月31日、メキシコのプエルト・ヴァリャルタ国際空港発、サンフランシスコ経由、シアトル行きの261便が水平安定板の角度を調整するスクリューに対する不適切なメンテナンスの結果、潤滑油が欠乏し、固着してしまい操縦不能に陥り、ロサンジェルス北西の太平洋に墜落し、乗員5名乗客83年が犠牲になった事故です。会社が他社との競争のためメンテナンスの頻度と質を落としたために起こるべくして起こった事故として厳しく責任を問われた事故でした。

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2015年4月12日 (日)

47年振りの東急世田谷線訪問 その4 デハ300形 301F

2015年2月に公園保存蒸機巡りの一環で、杉並から世田谷を回った際に47年振りに東急世田谷線に乗る機会があり、これまでに玉電の歴史を田園都市線「電車とバスの博物館」に展示してあるデハ204の写真や、宮の坂に保存してあるデハ80形などから紹介して参りました。

今回からは現在、世田谷線で活躍中のデハ300形を1編成ずつ紹介して行こうと思います。

301_150322_9
デハ200形の塗装を模した301編成 2015/3/22 山下

営業運転の開始は1999年7月11日とのことです。それまで使用されていたデハ70形、80形、150形の老朽取り替えと冷房化、バリアフリー化を目的に製造された連接車です。

セミステンレス構造の低床構造で、車椅子スペースも設置され、客用扉はバス型の両開きプラグドアです。三菱電機製のVVVFインバータ制御装置(MAP-064-60V82型)を採用し、TD継手式中実軸平行カルダン方式で駆動されます。架線電圧は600Vで主電動機はかご形三相誘導電動機(TKM-300形 東洋電機製造形式 TDK-6050A) 60kWを搭載しています。

301_150207
2015/2/7 下高井戸
この写真が47年振りに世田谷線を訪問した際の最初の写真で、301編成は私にとってはよく会う編成で4回の訪問で毎回運用されていました。

ブレーキ方式は回生ブレーキ、発電ブレーキ併用の電気指令式空気ブレーキ(HRDA-2)を搭載し、台車は直結式コイルバネ台車で東急車輌製造製のTS-332をM台車にTS-332TをT台車として履いています。歯車比は67:11 (6.19)です。

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301A(下高井戸向き)の運転席 2015/2/7
マスコンはワンハンドルタイプです。ワンマンではなく、車掌が乗務しています。世田谷線の車掌さんは女性の比率が高いように感じました。(追記:ぽんこさまのコメントにあるように、世田谷線の乗務員体制はワンマン方式で車掌室におられる方は料金収受と案内を行うための車内アテンダント(案内係)とのことです)。

全部で10編成導入され、301~306編成はホーム嵩上げ前に導入されたため、ドアステップや車椅子昇降装置設置の状態で導入され、後に撤去されています。座席形状も304編成までとそれ以降では異なるそうです。

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2015/2/7 山下

平日は9運用、土曜・休日は7運用で運行されるため、運用中の写真を全編成撮影するのに休日パターンの3回と平日東京に出かけた際に1回、撮影し4回目にして漸く全編成撮影することが出来ました。

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2015/2/14 三軒茶屋

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2015/2/14 三軒茶屋

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2015/3/22 山下

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2015/4/1 小田急線豪徳寺駅ホームから山下駅に停車する301編成

私が小学生の頃、下高井戸から大橋まで、玉電に乗車した際、玉電山下で小田急線の下をくぐるシーンはよく見ており、当時は土手の上を小田急の電車が行くといった感じでしたが、その後の複々線化で豪徳寺の駅も随分変わりました。

ちなみに301編成の公式な色名はアルプスグリーンと言われており、登場当初は「サザエさん」のラッピング、2005年11月からデハ200形の登場50周年を記念して現在の塗装に変更されたそうです。

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2015年4月11日 (土)

西武新101系 その7 時は流れて 2連編 その5 流鉄5000形に乗って流山散歩 part2

2015年3月14日ダイヤ改正の土曜日、上野東京ライン初乗りの後、常磐線馬橋駅からこちらも初めての流鉄に乗って流山の街を歩いた話題の続編です。

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江戸川の堤防から眺めた現在の流山市街 2015/3/14

首都圏のベッドタウンでありながら、かつての県庁所在地や江戸川の水運で栄えた頃の風情を残す街です。

Photo 流山本町 江戸回廊マップ

新撰組陣屋跡でボランティアガイドの方から戴いた流山市観光協会作製のパンフレットにあった江戸回廊マップをスキャンしたものです。

流山は江戸時代に開削された江戸川の水運を利用して繁栄し、さらにみりんの醸造が盛んでした。そして明治初期には葛飾県の県庁所在地であったため、県庁の建物は現在も博物館として残され、当時の様子を伝える資料が展示されているそうです(実は今回の訪問では博物館は訪れておりません)。

流山を語るキーワードは、「新撰組」「みりん」「江戸川」「赤城山」かなと思います。

まず最初は新撰組に関する話題で、

150314
駅前の流山街道(駅前を通っている県道5号)を南下するとすぐ目にとまるのがこの看板です。

幕末期の1867年(慶応3年)10月,将軍・徳川慶喜が大政奉還を行い、新撰組も幕府軍に従って戊申戦争に参加しましたが、初戦の鳥羽伏見の戦いに敗れ,榎本武揚の率いる軍艦で江戸に逃れました。官軍の進撃を抑え,幕府直轄の甲府の地**を守るため幕府の命により、甲陽鎮撫隊と名を改め、甲州勝沼の戦いに出動しましたが,再び敗れ、近藤勇、土方歳三らは流山に陣を構えました。当時、この場所は酒造家の長岡屋があったそうです。
(**甲斐の国一国が江戸幕府の直轄地になったのは8代将軍吉宗による享保の改革の一環だそうです)。

150314_2
陣屋跡の説明板

150314_3 石碑

近藤勇はこの地で新政府軍に包囲され、街が兵火に包まれることを避けるために自首しました。1868年(慶応4年)4月3日のことでした。官軍内部でも近藤の処遇についてはいろいろな意見があったそうですが、3週間後の4月25日、板橋の刑場で処刑となりました。35歳でした。一方、土方歳三は箱館まで行きますが,戦死しました。

150314_4

この並びに焔魔堂(1776年安永5年に作られた閻魔木像)と義賊 金子市之丞、遊女 三千歳の墓もありましたが、こちらはパスしました。新撰組のスタイルをした人々が餅つきをしているのが見えましたが。

現在の県道5号線はバイパスで江戸川の堤防沿いの道が旧街道かと思いますが、旧街道沿いには昔ながらの商家の建物が残っています。

150314_2_2
丁字屋という看板がかけられているお店ですが、イタリア国旗が掲げられているように現在はイタリアンレストランでした。(遊食伊太利庵 丁字屋というWEBサイトもあります)。

150314_5
その並びには新川屋 和装小物、呉服店で1846年(弘化3年)の創業です。土蔵造り二階建てで1890年(明治23年)の建築だそうです。

150314_2_3
通りの向かい側には同じく 呉服店ましや(増屋)があり、こちらは1859年(安政6年)の創業で、それ以前は酒造業を営んでいたそうです。土蔵は1870年(明治3年)に建てられたものだそうです。新撰組御用達という看板もあったそうです。

これらの建物の裏手には江戸川が流れており、堤防に登ると

150314_6
関宿方向

その昔、現在の江戸川と同じ流れ方をする川に太日川(河)という川があり、渡良瀬川の下流部で五霞町の西側を南下し、江戸湾に注いでいました。更級日記、吾妻鏡、義経記にこの川を渡ったという記述があるそうです。1590年(天正18年)徳川家康が江戸に入った後、伊奈忠次を関東郡代に命じ、関東周辺の河川工事あたらせ、以後伊奈家3代(忠治、忠克)らによって、利根川の東遷事業が行われました。

1641年に江戸川上流部が人工放水路として開削され、1654年に赤堀川(備前堀)掘削工事が完成し、利根川の水が銚子に放流されるようになり、東北地方や北関東からの物資が涸沼、霞ヶ浦、銚子から利根川経由で江戸に運ばれる水運の幹線ルートが出来上がりました。

一方で江戸川周辺からも野田の醤油、流山のみりんが産物として江戸に運ばれるようになりました。1890年には利根運河が開かれ、水路が短縮されましたが、その頃は鉄道の時代となっており、水運は急速に廃れて行きました。

因みに、訪問したときは早すぎて、紹介する時期としてはちょっと遅かったですが、利根運河は桜の名所です。

150314_7
3月の中旬、堤防の斜面は満開の菜の花で埋め尽くされていました。

次回の記事では流山駅から万丞みりんの工場までの引き込み線の跡、工場外壁の説明画、流山由来の赤城神社などについて紹介致します。

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2015年4月10日 (金)

1989年のDüsseldorf Airport その29 Swissair Fokker100

1989年初夏のDuesseldorf空港、今回は前回に引き続きSwissairのFokker 100です。

Hbivd_cn_11252_fokker_100_f280100_8 HB-IVD cn 11252 Fokker 100 (F-28-0100) 1989/5/4 DUS

前回も触れていますがSwissair- Schweizerische Luftverkehr AG が創設されたのは1931年1919年創業のAd Astra Aero (ラテン語でto the starsの意味とのこと)と1925年創業のBalairの合併によるものでした。創業当時は他の航空会社と異なり,全く政府の援助なし運営されていました。当時の機材はそれぞれの航空会社から引き継いだFokker VIIa 1機, Fokker VIIb 8機, Dornier Merkur 2機、Messerschmitt M18 1機、Comte AC-4 1機でした。

1932年4月17日、ヨーロッパの航空会社としてはチェコのCSA (České aerolinie)Ford Trimotor1930年に購入したのに次いで2番目にアメリカ製の航空機、Lockeed Orionを購入しました。当時、最速の航空機でチューリッヒ~ミュンヒェン~ウィーン線に投入されました。1933年には最初のアルプス越えのルートとしてチューリッヒ~ミラノ線が開設されました。

1934年Curtiss AT-32C Condorの導入とともにヨーロッパ初のフライトアテンダントが搭乗することになりました。Ms Nelly Dienerさんで世界的に有名になりましたが、1934年7月27日、金属疲労のため、同機がドイツWurmlingen近郊に79回目の飛行で墜落し、犠牲となりました。

以前,細井忠邦さんがコメントされていたように1936年から長いDouglas機とのつきあいが始まります(まさに、Douglas社が市場に出したほぼ全種類の旅客機を使用していると言っても過言でないようです)。最初はDC-2で同年開設されたロンドン線に投入されました。さらにDC-3も同じ年に投入されています。

1939年8月27日
、ナチス・ドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦の火ぶたが切って落とされる数日前にアムステルダム、パリ、ロンドンへの路線は休止となります。大戦中、スイスはフランスがナチス・ドイツに降伏したことで四方を枢軸国に囲まれる状態となりましたが、アンリ・ギザン将軍のもと、武装中立が保たれました。それでもStuttgartに駐機されていたDC-2がアメリカの爆撃で破壊されたこともありました。1945年7月30日に商業運航を再開しました。

1947年、株式の上昇により、DC-4によるニューヨーク(JFK)、南アフリカ、南米への長距離運航が可能となりました。一方、短・中距離便には1948年末から最初の与圧機であるConvair 240が使われました。1951年にはスイスのフラッグキャリアーとなり、大西洋便はDC-4からDC-6Bに置き換えられました。

1948年、拠点空港もそれまでの Dübendorfから Zurich-Klotenに移りました。1956年DC-7Cが導入され、アメリカへのノンストップ運航が可能となりました。一方、短距離路線にはConvair CV-440 Metropolitanが導入されました。1957年、東京への乗り入れが開始され,南回り便でアテネ、カラチ、ボンベイ、バンコク、マニラを経由しての運航でした。

ちなみに父がヨーロッパ出張の帰国便でこのルートを飛んだと話していました。Swissairは同年、ギリシャの海運王、アリストテレス・オナシスがオリンピック航空を設立するのを手助けしています。

ヨーロッパのライバル会社がジェット機の導入前にターボプロップ機を導入していましたが、SwissairはSASとともにいち早くジェット旅客機を発注し、DC-81960年初頭に入手しています。短距離用にはSud Aviation SE-210 Caravelleを導入しています。機材の維持・管理はSASと共同で行われました。さらに1962年にはConvair 990 Coronadoも導入しています。Convair 880 同様"韋駄天ジェット「巡航速度マッハ0.91」"といわれ、導入当初は契約時の性能が発揮できずにいましたが、南米線、西アフリカ線、中東、極東線に投入され、従業員や顧客からは好まれた機材でした。

Hbicc_convair_990_860617_verkehrsha
HB-ICC Convair990 1986/6/17 Luzern Verkehrshaus 

1986年の新婚旅行でルツェルンの交通博物館を訪問した際に同館の野外スペースに展示されているCV990 HB-ICCを撮影しました。主翼上に飛び出したポッド状の膨らみ(スピードカプセル)が同機の最大の特徴で、中学生の頃、プラモデルで作製した憶えがあります。

1966年DC-9の導入が開始され、同社の短中距離機の核として、DC-9-15, -32さらにはMD-80シリーズとして続いて行きます。1971年には20年以上の長きに渡り、同社のトップに君臨するArmin Baltensweilerが経営のトップに就任し、Boeing 747-200、さらに1972年にはDC-10-30が導入されます。

1975年には世界の航空会社で2番目に中国乗り入れ(北京、上海)を果たし、DC-9-51のLaunch costomerとなり、さらに1977年にはDC-9-81,現在のMD-80シリーズのLaunch costomerにもなり、BaltensweilerはMD-80の父親とも言われています。1979年にはAirbus A310-200Boeing747-300 Streched Upper deck typeを世界で初めて発注しました。また,今回のFokker 100やMD-11のLaunch customerにもなっています。1960年代以来、同社は貨物の予約システムにおいても世界をリードする立場になっています。

Airbus A310-200の発展型で航続距離が伸びた-300もSwissairがLaunch customerとなっており、同機には水平安定板内にも燃料タンクが設けられ、搭載量が増やされると同時に燃料を移送し、機体の重心位置を制御するシステムも搭載されました。そもそもこのシステムはコンコルドで開発されたものでしたが、水平尾翼内に燃料タンクを設けたのはA310-300が最初でした。1985年から導入されました。

1988年にはFokker100が導入され、1991年MD-11が導入されています。1990年代半ばにはA320-111, -214さらに胴体を短縮したA319-112が導入され、長距離用にはA330-223が導入されました。最後に発注した機体はA340-600でしたが、倒産に至る過程で発注を-300に切り替え、-600はSouth African Airwaysに納入されました。A319, A320, A330などの機体はSwiss International Air Linesに継承されました。

"Flying Bank"といわれるくらい堅実な経営で有名な航空会社としての地位を確立したかに見えましたが、「奢れる平家は久しからず」ではないですが、前回の記事で記述したように2002年に倒産に至りました。

なお、今回はMD-80とFokker100でしたが、留学中にZurich-Kloten空港も訪問しているので今回登場した機体をいくつかさらに紹介できると思います。

Swissairはその71年の歴史において、9件の重大事故を起こしており、390名の方々が犠牲になっています。

1954年6月19日 Convair-240 燃料切れでイギリス海峡に不時着、当時は救命胴衣などの装備が義務づけられていなかったため、乗客3名が溺死

1956年7月15日 Convair CV-440 アメリカからスイスへのデリバリーフライトでShannonへのアプローチの際に失速し、墜落 乗員4名が死亡

1957年6月18日 DC-3 有視界飛行訓練中にエンジン1機停止の訓練を行っている最中に墜落、搭乗者9名、全員死亡

1963年9月4日 Caravelle チューリッヒ空港を離陸したローマ行き306便(乗員6名乗客84名)が10分後に墜落。原因は地上をタキシングしている際の車輪ブレーキの加熱で発火し、機体の主要部品が破壊されたため。乗員6名、乗客74名、全員の他、墜落場所となったHumlikon村では200名の人口のうち、43名がこの事故で犠牲になりました。

1967年2月10日 Convair CV-440 チューリッヒ空港を離陸した機が、雲に被われた山腹に激突、乗員4名が死亡。

1970年2月21日 Convair CV-990 チューリッヒ発、テルアビブ行き330便(乗員9名乗客38名)が離陸7分後,高度4300mを飛行中に後部貨物室で爆弾が爆発、緊急事態の無線交信と空港に引き返すとの連絡があるものの、操縦不能に陥り、空港北西24kmの森に墜落。全員死亡。

1970年9月6日 ヨルダンの Zerqa Dawson's Fieldで3機のハイジャックされた機体がテロリストによって爆破、うち1機がSwissair機 人的被害はなし。

1979年10月8日 DC-8  アテネのEllinikon空港で着陸時にオーバーランして、乗客14名が死亡 着陸速度が高すぎたことと、ブレーキングのための残りのRWYが短かったため

1998年9月2日 MD-11 JFKからGeneveに向かっていた111便(乗員14名乗客215名)が客室内の電気配線のトラブルから出火し、操縦不能となりハリファックス沖に墜落。全員死亡。

個人的には、Convair-990の事故とMD-11の事故は記憶にありましたが、それ以外の事故は今回初めて知りました。

Hbivd_cn_11252_fokker_100_f280100_2 HB-IVD

今回の記事を作成するにあたり、Swissairという会社がFokker, Convair そしてDouglasの航空機を好んで使っていた会社だと言うことがよく分かりました。

Fokkerに関しては創業前のBalairやAd Astraから使用しており、VIIaに関しては写真を撮っていませんが、Luzern Verkehrshausにも展示してあるようです。

Table1
表1 Swissair のFokker100 Fleet list

Table2
表2 HB-IVDの履歴

表1にSwissairのFokker100のフリートリストを、表2に写真のHB-IVD cn11252のその後の様子をいつものようにPlanespotters.netのデータを参考に纏めました。

同機は最後、ALPI Eaglesで働きましたが、同社は経営状態の悪化からイタリア民間航空局から運航許可が降りず、2007年末で運航を停止しているようです。

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2015年4月 9日 (木)

ご苦労様でした トワイライトエクスプレス part2 EF81 44

3月のダイヤ改正で26年におよぶ運行の歴史に終止符を打ったトワイライトエクスプレス、その勇姿を牽引機関車から振り返っていますが、今回はEF81 44号機です。

まずはその履歴を沖田祐作氏の機関車表のデータから見てみますと、

EF8144     日立製作所水戸工場=10110-3         1972-05-31 E100.8tBBB(1067)
   車歴;1972-05-31 製造→ 納入;国鉄;EF8144→ 配属;関東支社→1972-05-31 配置;長岡→
      1972-07-00 酒田→1982-12-06 富山二→1986-11-01 敦賀→
      1987-04-01JR 西日本;EF8144→ 配置;敦賀運転所→
      1995-10-01 改称;福井地域敦賀派出→2008-04-01 現在;福井地域鉄道部敦賀運転派出

”昭和46年度第2次債務予算で日立製作所の製造です。以前の記事に書きましたが、42号機から74号機までの グループで羽越本線電化開業用の名目で製造されており、この機関車は酒田区の駐泊施設が未完成だったため長岡に暫定配置された後、酒田区に配置されていま す。1982年、EF70の淘汰のため、40、41,42、43、44号機が揃って富山第二に異動しています。そして、1986年11月に将来の貨物機と 旅客機の選別が行われ、「日本海」「つるぎ」および大阪口の団臨牽引用に43~48, 101~108, 113, 114号機が敦賀に転属しています。”

その生涯は僚機43号機と全く同じ行程を辿っています。今は大役を終え、検査期限が切れるまで余生を過ごしているのでしょうか。

Ef81_44_tle_031210
44号機牽引の姿を最初に撮影したのは43号機同様に、大阪到着後の上り列車が北方貨物線経由で宮原に引き上げる塚本でのシーンでした。 2003/12/10

Ef81_44_tle_060621
関西に出張した際に山科駅の東海道上り線ホームからは通過する湖西線方面の列車をこうしてよく写したものでした。 2006/6/21

Ef81_44_tle_101208
第一淀川橋梁は大阪駅からは歩いてゆける場所にあり、ここでも大阪到着直前の上り列車を撮影しました。 2010/12/8

Ef81_44_tle_101210_2
上の写真と同じ時の関西出張ででしたが、東淀川~新大阪間で新大阪を出発する下り列車を撮影したこともありました。 2010/12/10

今回はここまでです。

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2015年4月 8日 (水)

通勤電車シリーズ 103系 23 中央・総武緩行線 part2

中央・総武緩行線への103系投入の話題、前回は1979年夏頃までに投入された車両に関してでしたが,今回はそれ以降、分割民営化までです。

103_810829
1981/8/29 千駄ヶ谷

103_820211_2
1982/2/11 飯田橋

中央快速線に先駆けて導入された103系高運転台非ATCタイプの先頭車

1979年11月から12月にかけて鶴見線新性能化用に101系を捻出するため、10連4本が新製され投入されました。すでに山手、京浜東北線用のATCタイプ先頭車は所要数に達していたため、高運転台非ATCタイプのクハが製造され、10連全てが新車として投入されました。これが同線にとって最後の新車投入になりました。

クハ103-801, 803, 805, 807, 808, 810, 812, 814
モハ103/102-732/888~743/899
サハ103-488~495 
これらは昭和53年度第3次債務予算で製造されました。

103_820211
冷房改造はされていますが、ライトはオリジナルのままのクハ 316編成 1982/2/11 飯田橋

103_830226
中間車はカナリア色、両端クハはオレンジ色の混色編成 ライトは改造済み 321編成 1983/2/26 市ヶ谷

103
1973年以降製造された量産冷房車の低運転台クハ先頭の317編成 飯田橋

103_830205
高運転台非ATCタイプのクハで豊田区配置の車両由来の322編成 1983/2/5 飯田橋

1981年夏以降、201系の量産開始とともに中央快速線から103系が転入し始めました。10月に総武快速線が千葉まで延長された際に緩行も増発となり、10連2本が転入しました。さらに豊田区に201系が配置されたことで10連8本が転入しました。1982年には201系が三鷹区から中野区に転入し、同年度末に103系は10連27本体制となりました。

中央快速から転入した高運転台非ATCタイプのクハ2両は山手線増発対応でATC付きに改造され、空いた分を松戸区から転入したクハで埋めました。

クハ103-811
1980/7/25 新製 東急 トタ配置 
1982/7/31 ツヌ転属 
1984/1/26 ATC取り付け改造 大井工場 
1984/1/27 イケ

クハ103-818

1980/7/25 新製 東急 トタ配置 
1982/7/31 ツヌ転属 
1984/2/14 ATC取り付け改造 大井工場 
1984/2/15 イケ

代わりに松戸区から津田沼区に転属したのは

クハ103-138, 139 
1969/3/9  新製 川崎 イケ配置
1978/3/24 マト転属
1980/2/4  大井冷改
1983/8/31 ツヌ転属

非ATCタイプで製造されたクハにATCが搭載された唯一の例となりました。

私自身はちょうどこの頃、大学院を修了する頃で、社会人としてつくばで暮らすことも決まっていた頃で、東京で通勤電車を撮影するのもこれが最後かと、せっせと激変する中央・総武緩行線を写真に収めていた頃でした。

1984年には武蔵野線用101系1000番台の検査切れ対応関連で津田沼区から豊田区に103系10連が貸し出され、両端6両は豊田区に,中間4両は松戸区に、同線の編成中間McM'TT'cと振り替え、さらに青梅線用のMM'を加え6連として、武蔵野線対応として、各線に混色編成が登場したそうです。

1986年には山手線205系投入で武蔵野線に捻出された103系の一部クハが津田沼区の車両と差し替えられATCを撤去したATC対応クハが中央・総武緩行線を走ったそうです。さらに3編成も同線に投入され、30本体制でJRに継承されたとのことです。101系も70両、残っていました。

198611103 1986年11月時点での習志野区の103系10連30本の編成表です。
(ジェーアールアール編の編成表を参考に作成しました。)
元々単灯で製造されたクハ103-179以前のクハはこの時点ですべてシールドビーム化改造済みでした。またモハユニットの番号をみると、山手線、中央快速線から転属してきた車両も10連のまま移動してきているので、10連新製時のままのN、N+1, N+2の並びが保たれいるのが分かります。

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2015年4月 7日 (火)

San Diego Trolley 1000形 part5

San Diego Trolley 1000形の話題、今回は1052号車から行きます。

まず1052号車はラッピング塗装と通常塗装の両方を撮影していました。

1052_030115_santa_fe_depot
韓国のLGグループのラッピング塗装を纏った1052 2003/1/15 Santa Fe Depot

1052_050119_5thstr
通常塗装に戻った1052 2005/1/19 5th Street

1053_090114_america_plaza
1053 2009/1/14 America Plaza~Santa Fe Depot

1054_090114_america_plaza
1054 2009/1/14 America Plaza~Santa Fe Depot

1056_020113_san_diego_fashion_valle
1056 2002/1/13 Fashion Valley Transit Center

1057_030115_5th_street
1057 2003/1/15 Santa Fe Depot
この車両もLGのラッピング広告車でした。

1058_050119_sfd
1058 2005/1/19 Santa Fe Depot

今回は以上です。

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2015年4月 6日 (月)

広島・四国西南部旅行 広島編 その3 広島電鉄 part 4 3800形

2014年12月の広島・四国西部旅行の際、広島で撮影した広島電鉄の車両を順に見ていますが、今回は3800形です。

3803_141218
3803編成 2014/12/18 本川町

1987年から1989年にかけてアルナ工機で製造された、3700形に次ぐ連接車で広電では初めてVVVFインバータ制御方式が採用された車両でもあります。
9編成が製造され、1987年製造、1988年製造、1989年製造の各グループで若干相違があります。
3801-3803編成 1987年製造 
丸形ヘッドランプ 3801編成は他の編成とは幕の位置が異なります。
3802、3803編成は空調制御装置がC車搭載1台となっており、他の3800形はAB車2台搭載

3804ー3805編成 1988年製造 角形コンビネーションライト

3806-3809編成 1989年製造 運転台後ろの広告スペース部分の配置が異なり、手摺りが設置されました。

3803_141218_2
3803編成

塗装は 3801、3802、3805~3809は標準色、3803は日本赤十字ラッピング、3804はサニクリーン帯広告となっています。

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2015年4月 5日 (日)

公園保存蒸機 C57 128 遊びの森SL公園

全国の公園等に保存してある蒸気機関車を観て歩くシリーズ、今回は昨年夏の京都、滋賀、岐阜、愛知旅行の一環で立ち寄った琵琶湖湖岸の大津市遊びの森SL公園に保存してあるC57128号機の話題です。

C57_128_140811_sl5
C57 128号機 2014/8/11 大津市遊びの森公園

この場所の最寄り駅は膳所駅で
140811
駅の西口から出て、琵琶湖岸に向かいますが、まず駅の改札で面白い経験をしました。

140811_2
早朝だったためか、西口に係員は配置されておらず、こちらは18切符だったため自動改札を通れなかったのですが、上の写真のような装置があり、自動改札機の横に、切符をかざして東口の係員がカメラで確認してokを出すというシステムで通過できるというものでした。

140811_2_2
10分程歩くと琵琶湖の湖岸に出ます。

140811_3
東岸は逆光のせいもあり、水墨画のような趣で、標高412mながら美しい山肌で地元では近江富士と言われている三上山の姿もくっきりと見えました。

湖岸をさらに10分程歩くと

140811_sl
目的地に到着します。

C57_128_140811_sl
この説明のように、引退後の1976年に大津市科学館に設置されたそうですが、科学館は別の場所に移転し、1991年にその跡地に設置されたようです。

C57_128_140811_sl4
保存状態は非常に良く、上屋や非公式側にホームが整備され、しかも公開時以外は機関車に近づくことが制限されていました。

C57_128_140811_sl14
後部のプレート、灯火類も欠けてはいません。

C57_128_140811_sl10 機関士側の前方窓枠は修復跡が見えました。

C57_128_140811_sl17 全景ではこんなかんじです。

最後にこの機関車の履歴を沖田祐作氏の機関車表のデータから見てみますと、

C57128     三菱重工業神戸造船所=278          1940-03-15 S67.50t2C1T(1067)
   車歴;1940-03-15 製造→ 納入;国鉄;C57128→ 配属[達199];広島局→1940-03-15 使用開始→
      配置;広島局→1945-04-01 現在;糸崎→1946-11-01 現在;梅小路→
      1947-10-00 現在;梅小路→1955-08-01 現在;福知山→1964-04-01 現在;福知山→
      豊岡→1973-03-01 廃車;豊岡→
      保存;滋賀県大津市「市立科学館」;C57128(兵庫県香住町香住小学校?;C57128)

誕生は1940年3月15日、三菱重工神戸造船所で、広島局に配属され、引退するまで梅小路、福知山、豊岡と西日本地区で活躍しています。

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2015年4月 4日 (土)

九州鉄道記念館訪問 その1

水郡線常陸大子営業所公開の話題は前回で終了しましたので、今回からは鉄道博物館巡りの一環として、2004年10月17日に訪問した九州鉄道記念館の記事です。041017

九州鉄道記念館 車両展示場入り口 2004/10/17

開館は2003年8月9日でしたので、大宮の鉄道博物館(2007年10月14日)や名古屋のリニア・鉄道館(2011年3月14日)に較べればかなり早い時期になります。尤も、大宮は万世橋の交通博物館、名古屋は佐久間レールパークからの歴史を考えるとそちらの方が歴史的には古いですが。

041017_3
2004年当時、館内は本館、車両展示場、ミニ鉄道公園の3つの要素から構成されており、現在もそれは変わっていません。

041017_4
本館は赤煉瓦造りの初代九州鉄道本社社屋を転用しています。

041017_6

本館に展示されているチブ37

九州鉄道が発注し1909年5月に小倉工場で製造された所謂「マッチ箱」客車です。耶馬溪鉄道に譲渡され、廃車後は中津市の飲食店で保存されていたものを復元・移設したそうです。

HMの展示では

Hm_041017_4
Hm_041017_2_2
Hm_041017_3_2
特急「燕」 1930年10月~1943年2月 東京~神戸
       1943年2月~1943年10月 東京~大阪

特急「つばめ」 1950年1月~1960年6月 東京~大阪 が客車特急つばめの時代で、牽引機C51, C53,C59, C62, EF58 さらに展望車マイテ39 に掲出されたマークかと思います。

Hm_041017_31
そしてこちらは1960年6月からの151系・181系特急(東京ー大阪・神戸,広島)、さらに東海道新幹線開通後、151系による九州乗り入れの時代から1965年10月の改正で登場した481系による名古屋~熊本間、そして新幹線岡山開業から博多開業までの間485系ボンネットクハにも付けられたマークでした。

Hm_041017_6_2
今は新幹線の愛称となった「さくら」や「みずほ」のマーク

Hm_041017_7_2
さらには関西BT「あかつき」「明星」のマークも展示されていました。

Hm_041017_5
こちらはあまりなじみの無いマークですが、九州伝統のお椀型スタイルは踏襲されているようです。

041017_5
車両展示場横は留置線となっており、本館2階からは門司港駅舎や遠く関門橋も見ることができます。

2004年に訪問した際はありませんでしたが、2013年の開館10周年リニューアルで中央ゲート横にEF30 3, ED76 1, クハ481-246の前頭部が展示されるようになり、車両展示コーナーにもスハネフ14 11とセラ1239が追加されたそうです。

次回の記事から展示車両を1台ずつ見て行きます。

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2015年4月 3日 (金)

東海道新幹線開業から50年 その13 500系の登場 part2

東海道新幹線の50年間を系列別に振り返っているシリーズ、今回は500系の2回目です。

500_w4_030329_8 新大阪駅を出発する500系 W4編成 2003/3/29

300系は3両で1ユニット方式だったため、16両編成では1両+5ユニットの構成となりましたが、500系ではM+M1+Mp+M2の4両電動車で1ユニットを構成する方式が採られ、16両で4ユニットの0系以来の全電動車方式となりました。64基の主電動機、出力合計18,240kW (W2編成以降は17,600kW)となり、地上を走る旅客輸送機関としては史上空前の動力装備だそうです。

1997年11月改正に向けて2次車5本(W2~W6)編成が製造され、1998年3月改正で東京~博多間5往復に増強された際に3次車(W7~W9)編成が増備されました。

主変圧器はMp車に搭載、主変換装置はM1M2車に搭載し、編成重量は700tとなり、車軸駆動方式の鉄道車両として世界最小の重量出力比を実現しています。そのために発車から4分程度で300km/hに達する加速力を持ち、320km/h運転でも環境面の条件をクリアしていましたが、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災を引き起こした地震)後の非常制動距離の厳守と費用対効果の検討などから300km/hでの運転となりました。

駆動制御方式は、交流25kV→降圧→整流→三相交流で主電動機を制御するVVVFインバータ制御方式でGTOサイリスタ素子を使用し、1台の装置が4台の電動機を制御する1C4M方式となっています。
モータはWMT204形かご形三相誘導電動機でW1編成は連続定格出力285kW、W2編成以降は275kWとなっています。
補機類の電源はトランスの3次巻き線から単相交流440V 60Hzを取っています。ATC,列車無線、補助CPに関しては定電圧装置、補助変圧器、整流装置を介してAC100V,DC100Vが供給されています。

ブレーキは回生ブレーキを主体に空気圧動作式のディスクブレーキも併用し、さらに1,8,9,16号車にセラミック噴射装置を搭載し、悪天候時でも300km/hから270km/h走行時の300系と同等の制動距離で停止できる性能を確保しています。

500_w4_030329_4
前頭部側面のロゴ 2003/3/29 新大阪

台車はWDT205で軸箱支持機構を備えたボルスタレス台車です。両先頭車両、パンタ搭載車輌、グリーン車の台車には各台車に車体に働く左右方向の振動加速度を抑えるセミアクティブサスペンションが搭載されました。パンタは5,13号車の2カ所に搭載され翼型パンタとなりました。この形状はフクロウの羽根の形態やF1で蓄積された空力技術が応用されているとのことです。

1
500系の編成内容 (Wikipediaを参考に作成)

定員は構造的制約から1号車が53名、16号車が63名と300系等に較べそれぞれ12名少ないため、3号車、5号車、13号車で1列分、各5名増やし(85名を90名に)、15号車では2列分、10名(80名を90名に)増やし、編成全体で1名増としています。

500_w7_050708_4 500系 W7編成 2005/7/8 新大阪
独特のフォルムです。車体側面のフィンは量産車から付けられましたが、量産先行車も後に付加されています。

形式と装備は

グリーン車
515形 Ms   9号車 便所、洗面所
            CP, 補助電源、セミアクティブサスペンション装備
516形 M1S 10号車 乗務員室、荷物室、公衆電話
            主変換装置、補助電源装置、セミアクティブサスペンション
518形 M2S  8号車 乗務員室、公衆電話
            主変換装置、セミアクティブサスペンション 

普通車
521形 Mc   1号車 便所、洗面所
            CP, 補助電源装置、セミアクティブサスペンション
522形 M2c 16号車 公衆電話
            主変換装置、セミアクティブサスペンション 
525形 M'   5,13号車 便所、洗面所
            CP,補助空気圧縮機・補助電源装置・
            集電装置・セミアクティブサスペンション
526形 M1 2, 6, 14号車 公衆電話
            主変換装置
527形  
   0番台 Mp  3,15号車 公衆電話
                   主変換装置

   400番台 Mpk 7号車 便所・洗面所・車内販売準備室(旧売店)
                      主変圧器 
    700番台 Mpkh 11号車 便所・洗面所・車内販売準備室(旧売店)、車椅子対応設備
                                    主変圧器
528形 M2
   0番台 4号車   公衆電話
              主変換装置
  700番台 12号車  公衆電話(車椅子対応)
              主変換装置

となっています。

500_w8_090321_2 500系 W8編成 2019/3/21 大高

2007年N700系が営業運転を開始し、増備されたことで500系は2010年2月に定期列車の「のぞみ」運用から離脱しました。W1編成を除く8編成(W2-W9)は8両編成化7000番台V編成化の改造工事が行われました。

16両から8両化するにあたり、W編成の 1, 2, 3, 4, 13, 10, 11, 16号車が残されました。全車普通車ですが、元グリーン車の6号車はW編成10号車の516形が改造され、2+2シートの指定席車となり、形式も526形7200番台となりました。他は、元番号に7000が加えられた番号となりました。

内装、装備に変化があった形式は

522形7000番台 8号車 2009年9月以降 東京より座席2列を撤去してお子様運転台設置

525形7000番台 5号車 集電装置(翼型パンタグラフ)・補助空気圧縮機・セミアクティブサスペンションが撤去、後に4列化

526形7000番台 2号車 シングルアーム型パンタグラフ・補助空気圧縮機・セミアクティブサスペンションを搭載。

526形7200番台 6号車 シートピッチはそのままにオーディオシステムやフットレストなどの付帯設備を撤去して普通車化。

527形7000番台 3号車 博多寄りの座席2列を撤去し、喫煙ルームを設置。

527形7700番台 7号車 博多寄りの座席2列を撤去し、喫煙ルームを設置。
           補助変圧器・シングルアーム型パンタグラフ・補助空気圧縮機・セミアクティブサスペンションを搭載。

528形7000番台 4号車 後に4列化

500_8_100830
500系 8連 V編成 2010/8/30

W編成のうち、8連化改造されなかったW1編成は長らくJR西日本博多総合車両所に留置されていましたが、2012年1月31日に中間車6両、5,6,9,12,14,15が解体され、残る10両も2014年3月28日付けで廃車となり、W編成は消滅しました。そして2014年12月11日521-1100系122-5003とともに博多総合車両所から、京都鉄道博物館展示のため、甲種回送されました。

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2015年4月 2日 (木)

パリの6つのターミナル駅巡り リヨン駅 2

パリの6つのターミナル駅巡り、リヨン駅編の2回目となりますが、この駅は1986年6月に新婚旅行で最初にパリに来たときにも訪問した駅です。今回はその時の写真にもある当時、登場間もないTGV(Train à Grande Vitesse)について触れようと思います。

Tgv_860623_2 パリ・リヨン駅を出発するTGV Sud-Est 1986/6/23

フランスでは、日本が東海道新幹線の建設を開始した1959年以降に種々の高速鉄道のアイディアが考案され、アエロトラン(空気浮揚方式)、磁気浮上式なども提案されましたが実用性や費用の面で問題があったため、鉄軌道上を鉄車輪で走行する方式により、実施することとなりました。

1967年にガスタービンの出力軸に発電機を接続し、発電した電気でモーターを回す電気式ガスタービン動力車が考案されました。1972年にこの方式を利用したTGV001が試作され、編成出力4400kWの動力集中、連接方式で登場しました。1972年12月8日には非電化車輌の世界最高速度318km/hを出しています。しかし、オイルショックの影響で燃料価格が高騰したため、架線から電力を得る架空電車線方式とすることになり、電力はフランス国内に新設された原発から供給されることになりました。

Tgv_070603_gare_de_lyon3
登場時のオレンジ主体の塗装から変化した TGV Sud-Est 2007/6/3
塗装の変化は最高速度を上げた際にオレンジからシルバーメタリックになりました。

1974年に電機が牽引する方式のTGVが完成し、1976年最初のTGV路線である、パリ~リヨン間(LGV Sud-Est,ligne nouvelle 1,LN1)の建設が開始されました。1980年4月25日に最初の量産型営業車輌が完成し、LN1開業前に運転を開始しました。

1981年9月27日、パリ~リヨン間LGV南東線が開業し、最高速度260km/h後に270km/hで営業運転が開始されました。

Tgv_070603_gare_de_lyon5
TGV Sud-Estはアルストムによる開発製造で、10両固定編成で両端が機関車の動力集中方式となっています。台車は機関車以外は転がり抵抗を減らすため連接台車となっています。
2007年6月にはリヨン駅からモンペリエまでの往復、2009年3月にはCDG Term2からモンペリエ、モンペリエからリヨン駅まで乗車しました。車内の様子は別記事で触れます。

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2015年4月 1日 (水)

尾久車両センター公開 2014 その5 北斗星編成用荷物電源車

このシリーズ、前回はカシオペア編成用予備電源車カヤ27-501をご紹介致しました。今回は寝台特急客車繋がりで、「北斗星」編成用荷物電源車に触れようと思います。

24_507_141115_5
尾久車両センター公開で展示されていた「北斗星」編成用 荷物電源車カニ24 507 2014/11/15

「北斗星」の運転開始にあわせる形で、1987年から1988年にかけて
カニ24形0番台から2, 19, 21, 1, 5, 8, 20, 22, 24
(カニ24 1~8はマイクロスカート付き、9~25はスカートなしの形態でした)が改造され、カニ24 501-509となりました。

さらに、1990年にカニ24形100番台から113, 115が選ばれ、番号順にカニ24 510, 511に改造されました。

改造の内容は各種機器類の保温強化、機関吸気装置への雪切り装置の設置などでした。

外観的には銀色2本帯から金色3本帯に変更されました。配置は尾久、青森、札幌で「北斗星」「エルム」「あけぼの」「日本海」「出雲」に使用されました。これらのうち、5102000年にカシオペア用予備電源車に再改造され、カヤ27-501になりました。

24_507_050618
マイクロスカート付き 1次タイプのカニ24からの改造車 2005/6/18 大宮

24_051106
こちらはスカートのないタイプ カニ24 509 2005/11/6 大宮
スカートのあった1次タイプからの改造車も、500番台になってからスカートを切り取られたタイプもあり、最後までスカートが残っていたのは501のみでした。

2枚の写真、いずれも屋根の開口部は大きく、側面のルーバーもオリジナルのタイプです。

24_506_111001
カニ24 506 2011/10/1 尾久

この506や最初の写真の507のように、発電装置が

エンジン            DMF31Z-G → DMF15Z-G
発電機      DM95    → DM109

更新された際に屋根上のファンが2基に減り、側面のルーバーが埋められました。

一方、「北斗星」3往復体制や「エルム」の運用による電源車不足に対応するためマニ50形荷物車を種車として改造したマニ24形500番台も存在しました。

24_501_060305 マニ24 501 2006/3/5 大宮

24_502_030507 マニ24 502 2003/5/7 大宮

マニ50 2048 → マニ24 501
マニ50 2070 → マニ24 502   

501がJR東日本、502がJR北海道所属でしたが、501は2006年6月、502は2010年3月に廃車となりました。

24_500_141115
庫内に展示されていたカニ24 500(番号失念)は「出羽」のテールサインを掲出していました(私が写真に撮ったのは「出羽」だけでしたが、「あけぼの」「鳥海」「出雲」「夢空間」などと幕回しが行われていたようです)。

現役時代、カニ24100番台の「出羽」は見たことありましたが、0番台の「出羽」は見たことありませんでした。

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