San Diego Lindbergh空港でのSpotting 5 Alaska Airlines part1
San Diego Linbergh空港での撮影記録、今回からはハワイ州と並んでアメリカ50州のなかでは他州と隣接しない州であるアラスカ州の航空会社であるAlaska Airlinesの機体に触れようと思います。
N933AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn 49234 ln 1204 2002/1/17
わたしも人生最初に海外で上陸したのはアラスカ州でした。といっても入国したのではなく1986年に新婚旅行で初めの海外、ヨーロッパに飛んだ際にアンカレジに給油のため立ち寄ったためでした。今ではヨーロッパに飛行機で行くといっても直行便が当たり前になって、その昔は南回り、アンカレジ経由、モスクワ経由便があったこと自身が忘れられようとしていますが。
Stop Over Alaska の表示や「うどんや」ののれんもアンカレジ空港の懐かしい思い出に 1986/6/14
アラスカはもともとロシア帝国の領土でしたが、1867年3月30日、アメリカ合衆国が買収し、いくつかの管理形態を経て1912年5月11日にアラスカ準州となり、1959年1月3日にアラスカ州となりました。50州の中で面積は最大ですが、人口密度は最小の州です。
N947AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn 53020 ln1789 2005/1/21
アラスカ航空の歴史やフリートに関しては次回の記事で詳しく触れる予定ですが、創業は1932年にアンカレジ~ブリストル・ベイ間の地域航空会社、マクジー航空として創業す、冷戦時代地理的な関係からソ連への定期便も運航していたそうです。1980年代のDeregulationで急成長を遂げました。本拠地はワシントン州のシアトルです。
N948AS McDonnell Douglas MD-83 (DC-9-83) cn53021 ln1801 2008/1/18
この航空会社のフリートの特徴は1990年代までは圧倒的にMD80シリーズ一辺倒であったのが、近年はBoeing 737NG一辺倒であることです。そこで今回はSan Diego Lindbergh空港で撮影したMD-83の写真を紹介し、次回はBoeing 737の写真を紹介することに致します。
アラスカ航空が起こした事故として記憶に新しい事故が2000年1月31日、メキシコのプエルト・ヴァリャルタ国際空港発、サンフランシスコ経由、シアトル行きの261便が水平安定板の角度を調整するスクリューに対する不適切なメンテナンスの結果、潤滑油が欠乏し、固着してしまい操縦不能に陥り、ロサンジェルス北西の太平洋に墜落し、乗員5名乗客83年が犠牲になった事故です。会社が他社との競争のためメンテナンスの頻度と質を落としたために起こるべくして起こった事故として厳しく責任を問われた事故でした。
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